一発の弾丸
それからさらに数十分後、状況はさらに悪い状況へと進んでいた。
中央ブロックで管制室よりもさらに厳重な警備が敷かれていた中央ブロック《セントラルターミナル》に黒い外套を着た少女が侵入。
その中で保管されていた赤い液体の入った試験管と専用の注射器を奪取。
その後警隊員に包囲されるも突如として姿を消し去り包囲を脱出。
監視カメラにも映らずに突如消えた侵入者に警備隊員のほとんどが言葉を発することができなかったそうだ。
秀司はインカム越しに聞こえてくる情報を耳にしながら太もものホルスターから《相棒》の可変式特殊拳銃|《W・G・S》を引き抜いた。
拳銃にしては大きすぎるバレルの黒い拳銃。
腰のホルダーから弾倉を引き抜くと秀司は《W・G・S》に装填。ガチャリと重苦しい音が鳴る。
ハンマーを起こしてグリップ側にあるスライド式のスイッチを《type・G》にスライドさせると脇をしめて銃を構えた。
侵入者の情報は依然としてロストしたまだが、秀司は敵がここを通ることを予測していた。
敵――《ロストシルバー》の目的が因子ならそれを奪った今、ここに長居をする必要はないはず。
レインの指示のもと、この通路以外の施設の外に向かう通路には厳重な警備体制を敷いてもらっている。
因子の破壊を恐れる今ならより安全と判断する秀司が身を潜めるこの玄関ホールを選ぶはずだ。
秀司はホール全体を見渡せる二階の手すりから身を乗り出し、銃を構えながら密かに願った。頼む。当たってくれ――と。
もし秀司の勘を裏切り強行突破で包囲網を突き破ろうとするなら大勢の人間に被害が出る可能性がある。
それだけは嫌だった。
今、この場所には秀司しかいない。
言い換えれば危険を背負い込むのは秀司一人だけだ。
一日足らずの職場とはいえ誰かが傷つくよりも己自身が身をさらす方が何倍もマシだというのが本音だった。
そして奇しくも秀司の願いが現実となったのはそのすぐ後だ――。
廊下を走る靴音が秀司の耳に届くのと同時に意識が張りつめる。
ゴクリと生唾を飲みこんで意識を集中させた。
手にした《W・G・S》の引き金に指をかけると秀司の視線は銃口の先に縫い付けられる。
まるで自分自身が銃と一体になったような感覚。手先と銃が一つとなり、秀司から銃弾が外れるイメージが霧散していく。
当たる――それは必ずだ。
トトトッ――と響く足音の主が秀司の銃口の前に現れるまでおよそ十秒弱といったところだろうか。
必ず当てる。
そして、この銃弾が当たれば全てが終わる。
銃弾は僕の意志を映し出す鏡だといつも思ってきた。
僕の意志に必ず応えてくれる。
だから――。
誰も傷つけさせない為にまた力を貸してくれ――。
黒い影を銃口が捕える瞬間――。
秀司は引き金を迷うことなく引いた。
ドパンッ!
発砲音に続いて肩を押し上げるような衝撃を全身を使って押さえ込む。
排出された特別製の薬莢がカランと地面に金属音を響かせながら落下した。
同時。
どさりと玄関ホールで黒い外套を羽織った|《少女》が倒れ込む。
「任務完了」
集中の邪魔になるからとインカムを切っていたので当然管制室にその声が届くことはないが、激しく脈打つ心臓を落ち着かせるには十分すぎる効果がある。
一呼吸おくと秀司は状況を確認するために一階に飛び降りた。
着地の寸前ぐるりと回転受け身をとりながら衝撃を可能な限り殺す。
それと併せて目標との距離を一息で縮めた。
すぐ側まで近づくと半信半疑だったレインの話を秀司は否応なしに納得させられた。
黒い外套に隠された素顔は確かに年端もいかない女の子のものだった。
彼女の周囲に立ちこめる薄い霧から見えるその素顔は美人と言って差支えないものだ。
身長は予想した通り少し小柄。
恐らくは高校生くらいの顔立ち。閉じた目元にかかる前髪の色は白銀だ。
肌がミルクのように透き通った綺麗な肌ならさながらその銀髪は夜空をかける彗星のごとく綺麗な白銀といえる。
「本当に女の子だったんだ」
彼女の顔を見て思わず口をついたセリフは無頓着極まりないものだったが、秀司の口からまず誰か容姿を褒めるような言葉を望むのは難しい。
霧散していた霧が晴れるのを確認すると秀司はより一層彼女に近づいた。
目的は彼女をこのまま捉えること。そして彼女が奪ったと思われる《因子》を回収することだ。
ホルスターに《W・G・S》を仕舞うと秀司は腰を屈める。
彼女の体に手を伸ばしかけたところで秀司は目を見張った。
「く……あ」
少女の口から漏れる呻き声に秀司の全身が強張る。
そんな――ありえない。
ピクリと身じろぎしてうっすらと瞳を開けた少女はその透明な真紅の瞳を秀司に向けた。
まずいと心臓が早鐘のように打ち付ける。
直後。
ズン――という鈍い音と同時に秀司の体が宙を舞う。
二、三メートル飛ばされた秀司の体は地面に強く叩きつけられた。
グッと息を詰まらせながら体を叩き起こす。
蹴り上げられた腹部の痛みと地面に体を打ち付けた痛みは無視できるものではないが、体を動かすのに問題なさそうだ。
それよりも――
秀司は背筋に冷たい寒気を感じながら目の前でゆっくりと起き上がる少女を呆然と見つめていた。
油断がなかったわけでは決してないが、それでももう彼女は動けないと思っていた。
現に彼女は肩口を抑えながら起き上ったし、苦悶の表情を覗かせる顔も、激しい息遣いも秀司の銃弾が一定の効果を与えたことを物語っている。
ならば彼女は己の意志の力だけで限界を超えた体を動かし、かつ強力な一撃を秀司に与えたことになるのだ。
そこまでのことを一瞬で脳裏に叩きこみ、さすがの化け物さに秀司は頭を抱えたくなった。
彼女たち《コード・エラー》が普通の人間でないことはすでに理解していたはずなのに目の前で見せつけられた現実はあまりにも受け入れにくいものだった。
「まだ動けるなんて思ってもいなかったよ」
起き上がった拍子に脱げたフードから長い銀髪をなびかせながら少女が秀司を睨みつける。
「当たり前だろ。たかが銃弾一発で私を倒せた気になるな」
目尻に涙を浮かべて秀司を睨みつける少女。
「そんなに痛いならあのまま眠っていればよかったのに」
「貴様はバカか? こんなところで悠長に眠っていられるような時間は私にはないんだ。早くこの力を――」
少女は外套の上から手を当てて、体をまさぐるように胸に、腰にと手を当てて冷や汗を流しながら首を捻る。
「な、ない……どういうことだ」
ひとしきり体を触ったところで何かに気付いた様子でゆっくりと秀司に視線を向けた。
「まさか、お前――」
秀司は必死に笑いをこらえながら右手で握りしめた赤い液体の入った試験管を少女に見えるように持ち上げた。
「悪いけど取り返させてもらったよ。これは君が思っている以上に危険なものなんだ」
秀司は試験管を胸ポケットの中に仕舞うと《W・G・S》のグリップに手を伸ばす。
「……返せ。そいつは私のものだ」
「すまない、その要求を聞き入れることは出来ない。それに君はこの場所で僕が捕まえる。だから後の時間を気にする必要もないよ」
秀司が一歩踏み出したのと同時に少女も動き出した。
いや、動いたとは言い難い。
ふわりと彼女の銀髪が揺れたと思った瞬間、彼女の姿が目の前から消えたのだ。
踏みとどまった秀司のすぐ横で振り抜かれた少女の脚に気付いたのは本当に偶然だった。
視界の隅を横切る影に咄嗟に出た腕が彼女の蹴りを受け止めた。
「ほう、いい反応だな」
「グッ!」
腕に響く衝撃を噛み殺して彼女を空中に押し上げる。
素早くホルスターから《W・G・S》を抜き放ち、その銃口を少女に向けるが、その時にはすでに空中にいるはずの少女の姿が消えていた。
いったいどうゆうことだ? これが彼女の『能力』か?
がら空きとなっていた背中に衝撃が走る。口から苦悶の声を漏らしながら秀司は滑るように地面に倒れ込んだ。
カラカラカラ――と手元から離れ地面を滑る《W・G・S》。
問題はそれだけではなかった。
明滅する視界で捉えたのはさっきの一撃でポケットから飛び出た試験管が彼女の足元に転がっていく光景だった。
宝物を扱うようにゆっくりと少女は試験管を拾い上げる。
胸元で優しく両手で握りしめ、笑みを浮かべた。
「ようやくだ。これで私は――ッ!?」
――その時。
ガクリと膝を折って地面に座り込んだ少女は驚きの表情を隠そうとせず、目を見開いた。
「な……」
少女は自分の体に訪れた変化に理解が及ばず、放心している様子だ。
無理もない。彼女の異変の原因を知っているのはこの場では秀司ただ一人なのだから。
ようやくか――
秀司は悲鳴をあげる体に鞭を打って立ち上がるとゆっくりと少女に近づく。
焦燥にかられたように汗を流す少女は秀司の足音を聞くと見上げるようにして秀司の顔を苦しそうな表情を浮かべて睨みつけた。
「な、なんだこれは……ッ! 貴様の仕業か?」
苦痛というよりは襲ってくる脱力感に抗おうと険しい表情を浮かべる少女はどうにかそれだけを口にすると唇を噛みしめた。
「そうだよ。最初に君に撃った銃弾があっただろ? あれはただの銃弾じゃない。強力な麻酔弾だ。それこそ大型動物でも一瞬で昏倒させてしまうような代物だよ」
「っ……」
閉じかけそうになる瞼を懸命に持ち上げ、少女は強い意志を宿したまま最後の抵抗と言わんばかりに秀司を睨み続ける。
「最初から勝負は決していたんだ。これ以上苦しむことはない。ゆっくり休むといいよ。君の身柄は決して悪いようにはしないと約束するから」
「ふ……ざ……けるな」
もはや手足も満足に動かせないはずの少女の長い銀髪がふわりと微かに揺れた。
――同時。少女の体が透けはじめ、彼女の半透明になった体を通して足元の床が秀司の瞳に映った。
まさか、この状態で能力を!?
咄嗟に伸ばした右手が彼女の肩に触れた直後――。
あっさりと秀司の目の前から少女の姿が掻き消えたのだった。
秀司は彼女の消えたその場から動くことができず、彼女に触れた右手を力なく下ろした。
「これは姿を透明にする能力なんかじゃない。もっと別の――『瞬間移動』? いや、それとも『転移移動』か? でもそうかこれが――」
秀司は彼女の消えた場所を呆然と眺めながらレインの言っていた言葉を思い出していた。
『コードネーム《ロストシルバー》――その由来は彼女と一度戦えばすぐにでも理解できるさ』
決して捕まえることのできない『瞬間移動』の力をもった銀髪の少女――。
「《ロストシルバー》か」