10-白銀(5)
目が覚めると見たことのない天井だった。
「どこだ、ここ?」
身体を起こして毛布をどけるとそこは病室のような白さをもつ部屋だった。
ただ消毒の独特な匂いがしないこと。
そしてすぐ側に大きなソファーがあることからも病室ではないだろう。
寝かされていたベッドに腰掛けるとそのソファーに腰掛けていた白銀の少女に視線を移動させた。
「む、起きたか」
俺のことに気付いたユリノは欠伸を噛み殺すと深々とソファーに沈みこむ。
「なかなかの居心地だな。お前も座るか?」
中々に魅力的な提案だったが俺は首を横に振る。
「それよりもここはどこだよ?」
「敵の本部だが」
「な!? ユリノ、なんでそんな余裕でいられるんだよ」
「余裕はないな。だが今すぐどうなるわけでもないだろう。アイツらは私たちの傷の手当をしたばかりかこうして部屋を一つ与えている。何かしら私たちに利用価値があるからこうしていられるんだろう」
「利用価値って……」
確かにあれほどの激痛が嘘のようだ。
傷の手当がされたっていうのは本当なんだろう。
けど、俺たちにそれほどの価値があるのだろうか。
「いやいや、聡明な少女で助かった」
扉のドアが開き、部屋に入ってきたのは長身の眼鏡をかけた男性。
見慣れない白いジャケットを羽織るようにして着こなし、その男性は穏やかな笑みを携えていた。
「初めましてだな。私はラディカル・ケージ特務部隊コードセフィラ第一席レイン・サールドフォースだ。君はハルト・ミツキ、そしてユリノでいいかな?」
コクリと無言で頷く。
「君たちにはぜひ頼みたいことがあって特別に部屋を用意させたんだ」
「君たち? このバカだけだろ。貴様らの目的は」
「む?」
険のある言葉で言い返したユリノはソファーの上でふんぞり返っている。
「大方このバカの能力にあやかりたいだけだろ。全能の能力をもった『祝福』の力をな」
レインは「ふむ……」と顎を撫でると意味深な視線をユリノに向けた。
「やはり君は『祝福』の力を知っていたんだね」
ユリノはそれこそ機嫌が悪そうに視線を逸らした。
「全能の能力?」
俺は言われたことが理解できずに首を傾げた。
「ああ。君が彼女から与えられた力はあらゆる望みを実現させることさえできると言われている全能の力なんだ。それこそこの世界の神になれるほどのね」
「は……?」
あらゆる願いをって……そんな馬鹿な話があるか。
それこそ夢物語だ。
俺は首を振って否定した。
「そんな力じゃない。願いを叶えるなんて御大層な能力じゃなかった」
二本の剣を思い出した。
時計の力を引き出した剣ではあったがアレが全能の力だとは到底思えない。
ユリノの手助けがなければ俺はあの二本の剣に殺されていたんだ。
「……君も恐らく私もまだその能力を完全に把握しきれてはいないのだろう。なにせ適合者がいないんだ。ただ過去の資料から全能の力であると推測をたてたに過ぎない」
「過去の資料?」
適合者がいなかったのにデータなんかあるわけが……。
俺の疑問はレインの苦笑じみた説明に否定される。
「ああ。この世界ができる前から因子と呼ばれる力は存在していた。その時の遺産とも呼べる資料にその力について書かれていたんだ。『あらゆる希望に届きうる力』とね。恐らく前世界にはその能力の適合者がいたんだろう」
「前……世界?」
なんだ。急に話のスケールがでかくなった。
「なにも驚くことはない。古代文明などと呼ばれる遺産がある程だ。我々が観測できる前より超高度な文明があってもおかしくない。因子は恐らくその時代に開発され、そして現代まで受け継がれた現代科学では到達できない超古代の科学だ」
「信じられないな」
「信じようが信じまいが関係ない。今君にはその力が宿っているのだから」
「…………」
どこまで反論しても平行線だな。
ならひとまずこのファンタジーじみた話は置いて、話を進めるしかない。
「アンタらはその全能の力ってやつでなにをするつもりだ?」
「その質問は私よりも先に向ける相手がいるのではないか?」
「は? あんた以外の誰にするっていうんだよ」
レインの視線がソファーに向けられる。
「聞くまでもないだろう。彼女にだよ」
矛先を向けられたユリノは尊大な態度は崩さないまでも居心地が悪そうに唇を噛みしめた。
「それに君には目的だけじゃなく厳重に保管していた力をどうやって知ったのかも教えてもらわないと。なにせこの支部に内通者がいるかもしれないからね」
厳重に保管していたなら外部の人間が知るわけない。つまりはユリノに情報を流したスパイがいるってことか。
ユリノは「ハッ!」と吐き捨てると足を組んで見下すようにレインに鋭い視線を向ける。
「貴様らがどこに何を隠そうが、それが因子である限り私には感知ができるだけだ」
「なに?」
「わからないのか? 私には因子の力を察知できる力があるに過ぎないといったんだ」
レインは驚くわけでもなく眼鏡のブリッジを押し上げる。
「そうか。私の予想通りだったわけか」
「なに?」
「君が施設に侵入した時、君は迷うことなく『祝福』までたどり着いた。この支部には他にも因子があるのにだ。明確な目印となる物があったのか、君には能力を判断する力があったのだと思っただけだ。だがそれにしても因子を察知できる力があるとは驚いた。精々能力を見分けるくらいだと思っていたからね」
冷汗を流すユリノにレインは冷ややかな視線を向けた。
「君を捉えられたのは僥倖だった。その力をぜひ私たちのために使ってもらいたい」
「それは願いではなく脅迫だろ?」
「どちらでもない。取引だ。君が私たちに協力してくれるなら、君には自由と君の目的を叶える手助けをしてあげようといっているんだよ。君にとっても悪くはない取引のはずだ。それに君失くしては彼の能力を発動することは現状では不可能だからね。彼の力が使えないと君も困るだろ?」
「……」
押し黙るユリノに代わって俺は首を突っ込んだ。
「ユリノがいないと能力が発動できないってどういうことだ?」
「言葉通りだ。言ったはずだ。この能力には適合者がいないと。君も適合者じゃない。ただ偶然に因子が体に馴染んだだけで君は一遍たりとも『祝福』に適合していないんだ」
「な……け、けど俺は確かにこの力を使ったぞ」
「正確には能力を発動させたのは彼女だ。彼女と君が一つになった時初めて『祝福』は君を適合者と認めているんだよ」
俺は言葉を詰まらせた。
これでようやくレインが俺たち二人を必要とするわけがわかってしまった。
「ようやく理解したかい? 私が欲しいのは君ではなく『君たち』だ。それに因子を使った事件を防ぐためにも能力を探知できる彼女にはぜひとも協力してもらいたい。全てはその所有者であるユリノ――君がこの先の未来を握っている」
俺には――初めから選択肢がなかった。
ただこの男は器である俺に現状を教えただけで、最初からユリノと話をしていたんだ。
「未来――か。いいだろう。この話乗ってやろうじゃないか」
「賢明だ。そう答えてくれると思っていたよ。ではここに契約は成立したわけだが、君の目的というのを聞かせてくれないか? 目的を知らないと協力のしようもない」
「勘違いするな。話に乗るといったのはあくまでコイツと私の自由に対してだ。私の目的は私が自分の力で成し遂げる。貴様らの力はいらない」
「……そうか。でもこちらは譲歩するつもりはない。君とそこの彼の力は貸してもらうよ」
「――好きにしろ」
レインは「詳細はおって伝える」と言い残して部屋を後にした。
残されたのは俺とユリノの二人だけ。
何を話していいのかお互いにわからずに気まずい沈黙が続いた。
「――で、お前はいつまで黙っているつもりだ」
無言の空気を突き破ったのはユリノの傍若無人っぷりの遠慮の欠片もない一言だった。
「……少しは整理する時間くらいくれないのか?」
「もう全部終わったことだ。今さら整理することもないだろ。私たちはあいつ等に首輪をつけられた。ただそれだけだ」
「それでいいのか?」
「いいも何もあるか。私はどんな状況になろうと私の目的を優先するだけだ」
「その……ユリノの目的って?」
言ってもらえるとは思っていなかった。
なにせあれほど頑なに明かさなかったのだ。
俺に話す理由などあるわけが――。
「家族に会うことだ」
ないと思っていた。
こんなにあっさりと聞けるとは思ってもいなかった。
「家族って親とか兄妹とか?」
「まあ、そんなところだな。私にはつい最近までの記憶しかない。一年以上前の記憶はスッパリと抜け落ちているんだ。目が覚めた時覚えていたのは名前と能力だけだった。ただそれじゃあんまりじゃないか。まるで何も私にはないみたいじゃないか。私にもいたはずなんだ。私を愛してくれた親や私という異質な存在を受け入れくれた家族が。私はただ全てを取り戻して私を受け入れてくれた家族に『ただいま』と言いたいだけだ」
俺は――。
俺はそのあまりにも純粋すぎる願いに不覚にも目頭が熱くなっていた。
放っておけるわけがない。
こんなにも寂しい背中を見せられて孤独な気持を独白されて一人にさせることなんてできっこなかった。
「そのさ――全部終わったら言いたいことがあるって言ってただろ?」
「む? そう言えばそうだったな。一応聞いてやる。なんだ?」
「その悪かったって思ってさ。今朝のこと。俺の前から消えてくれって。言い過ぎた」
「……それだけで済むと思っているのか?」
「思っているわけないだろ。ただ俺のけじめだ。俺はもう逃げない。君に嫌われようと構わない。俺はユリノ、君を一人にさせたくない」
「消えろと言ったり一人にさせないと勝手な言い分だな」
「なんと言われても構わない。けどのこの言葉だけは、この気持ちだけは曲げるつもりはない」
勢いよく俺は頭を下げた。
それからしばらくして小さなため息が耳に届いた。
「そんなに簡単に頭を下げるなバカ」
「けど俺は――」
「ああ。もちろん許しはしない。お前は私を傷つけたことに変わりはない」
俺はギュッと唇を噛みしめる。
確かにその通りだからだ。
どの面下げて言っているんだって俺だって思う。
「だが、とにかく頭を上げろ。下ばかり見るヤツと話をする気はない」
渋々頭を上げた俺にユリノはガリガリと頭を掻いた。
「さっき言った言葉は本当だろうな? 私を一人にさせないと」
「ああ」
「約束できるか?」
「約束する。俺はユリノを一人にさせない」
ユリノは頬を少しばかり赤らめてそっぽを向いた。
「なにを勘違いしている。元からお前は私の所有物だ。一緒にいるのは当たり前だ……バカハルト」
「ユリノ……」
初めて聞いた。彼女が俺のことを名前で呼んでくれたことを。
こんなにも、これほどに優しく、温かいものだったなんて予想すらしていなかった。
御大層な能力なんか関係ない。
この先どんな結末が待っていようが恐れはない。
俺にとって彼女に名前を呼んでもらえることそのものが俺の『祝福』だったのだから。