静動
日が沈みはじめ、夜色の空が徐々に広がるそんな夕暮れ時。
一秀司は重たい足を気だるげに引きずり、あてがわれた寝室に足を踏み入れた。
社員寮の一室は秀司が思っていた以上に簡素な造りだ。
白い机と椅子にパイプベッド。窓は一つしかない。
翌朝には朝日が射し込むであろう東側の窓からはほのかに光る月明かりが薄暗い部屋を気持ち程度に照らし出している。
秀司は支給されている白いジャケットを脱ぎ捨て、ボタンを二個ほど開けた黒いカッターシャツに白いズボンで誘惑に駆られるままベッドに身を投げた。
少し硬めのベッドではあるがそれでも秀司の疲れ切った体を癒すには十分な破壊力を秘めている。
ベッドの温もりに身を委ね、まどろみながら一日を振り返る。
今日はこの支部に転属された初日だった。
支部の人たちと顔を会わせ、そして馴れないながらも必死になって自分の仕事をこなしてきた。
ほとんどが挨拶と荷物の整理だけだったが――
仕事に疲れたというのは確かだ。
だがそれよりも精神的な疲労の方が肉体的な疲労をはるかに上回っている。
瞳を閉じると最初に思い浮かぶのは尊敬と妬みの視線だ。
「《英雄》なんてただ周りが言っているだけなのに……」
口から零れた一言は秀司の心境の全てを物語っていた。
自分が英雄だなんて思ったことはただの一度としてない。
常に自分に守れるすべてを守ろうとそれこそ無鉄砲と呼べる行動、そしていつ死んでもおかしくなかったというのに生き延びてしまったそれらの事実がきっと秀司を《英雄》と呼ばせているのだろう。
「僕はそこまで強い人間じゃない」
ただ守るため失わないために必死に頑張ってきた。きっと手に入れられると信じてやまない穏やかな世界を得るために……ただそれだけの願いで数多の戦場を駆け抜けた。
《英雄》って言葉が重く感じるのは僕がまだ僕の望んだ答えに辿り着けていないからなのかな……
それとも戦いたくないだけなのか。
ベッドのシーツをきつく握りしめる。
考えてもきっと今の僕では答えは出せない。
望む世界も力もなにも手に入れられていない自分ではきっとこの《英雄》と呼ばれる自分を肯定することは出来ないだろう。
なら今はまだ我武者羅に前に進むしかない。悩むのは答えを得てからでも遅くはないはずだ。
秀司は深く息を吐き出すとベッドの上で仰向きになる。
今日はこのまま寝てしまうつもりだった。
シャワーを浴びる気にもなれずそのまま瞳を閉じる。
視界いっぱいに広がる暗闇の中に微かに聞こえる秀司自身の吐息。
徐々に重たくなる体。
本格的に眠りに落ちる一歩手前だなと頭の片隅で考えていた。
まさにその瞬間――。
ジリジリジリジリッッ――!
施設全体に響き渡る警報に眠りに落ちかけていた秀司の意識は一瞬で浮上した。
なんだッ!?
慌てて起き上がり唯一ある窓から外の様子を伺う。
本当に夜かと思わせるほど眩しい光が秀司の顔を照らした。
四方を取り囲む外壁に設置されたサーチライトが社員寮を含めた施設全体を照らし出している。
これはただ事じゃない!
ジャケットを着るのも煩わしく、秀司は腰のホルスターに《相棒》だけを突っ込むとそのまま廊下に飛び出した。
廊下では秀司と同じように飛び起きた同僚が何事かといった表情で顔を出している。
秀司は彼らに目もくれることなく走り抜け、昇降口を降りて施設の中央ブロックに向かう連絡橋で足を止めた。
警備員と思われる男性が手にマシンガンを携え、秀司に背中を向けていたのだ。
秀司は今の状況を確認するためにその男性の肩に手を置いた。
直後――
「うわああああぁ!」
肩に触れた途端大声を上げる男性。
そのまま秀司に向けられるマシンガンの銃口。
――ッ!
反射的にマシンガンを蹴り上げるのと同時に天上に無数の穴と耳元で複数の発砲音が聞こえた。
内心では冷や汗を流しながら秀司はどうにか普段通りの装いを保ったまま男性の顔を見つめる。
「落ち着くんだ。自分は本日付でラディカル・ケージ第一特殊部隊に配属された一秀司だ!」
「え……? 第一特殊部隊?」
「そうだ。現状を知りたい。この警報と君のその装備、一体何があったんだ?」
秀司の所属部隊を聞くことでようやく落ち着いた男性は深く息を吐き出すと震える唇を動かし始める。
「じ、自分にもなにがなんだか……ただいきなりレベル5の非常警報が鳴ったので訓練通りに帯銃して上からの指示を待っていました」
なんで今日に限って――。
と続く男の言葉を無視して秀司は考えを巡らせる。
知りたい情報はほとんど得られなかったものの、今ある情報を整理する。
レベル5の非常警報とはこの《ラディカル・ケージ》に武装装備した侵入者が入り込んだ時に発令させるもののはずだ。
そしてもう一つ、この侵入者がただの人間ではないことも含まれている。
目の前の男性は恐らくそのことまでは知らされていないはずだ。
彼らの存在は第一特殊部隊の隊員しか知らされていないのだから。
そして何よりも指令が行き渡っていないことから相当に現場は混乱しているのだろう。
なら、より現状を把握するためには――。
「そうか。なら君はこのままこの場で待機していてくれ。社員寮から出てきた人たちがこの連絡橋を渡らないようにするんだ」
「わ、わかりました!」
動揺しながらもビシッと敬礼した男性を見守ると秀司は連絡橋を渡り、中央ブロックに足を踏み入れる。
目的は中央ブロック管制室だ。
プロローグを書き直しました!
章を分割し、多少は読みやすくなったかと思います!