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霧の魔法  作者: 美月 純
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最終話:本当の旅立ち

 葵の家を出た時はもう真夜中になっていた。外に出ると深い霧が霧多布中を覆っていた。

 旅館へ帰ろうかと思ったが、こんな夜中に戻っても迷惑がかかると思い、そのまま岬の方に向って歩き出した。

 岬の森は、一層暗く、霧も深さを増して、ほとんど前が見えない状態だったが、なんとか森を抜けて岬の入り口までたどり着いた。

 

「宙。」

 

 声が聞こえる方向へ振り返ると深い霧の中に葵がいた。

 

「あれ?いつ起きたの?ついてきてたの?あ、めがね・・・どうしたの?」

 

 何故か葵は、眼鏡を外していた。

 

「・・・・・・。」

 

 少しずつゆっくりと葵は宙の方へ近づいてきたが、ずっとうつむきながら宙の問いに応えようとしなかった。

 呆然と立ち尽くす宙にぎりぎりまで近づいた葵はゆっくりと、しかし、宙の顔をしっかりと見据えるように顔を上げた。

 そして、眼鏡を外したその澄んだ瞳で宙の顔をじっと見つめた。

 

「葵・・・ちゃん?」

 

 葵は、その声かけにも応えずにじっと宙の顔を見つめたままだった。

 

「え?・・・、あ、・・・絵羽?絵羽なんだね。」

 

 その問いに呼応するようににっこりと微笑み、目を細めた。そして、その場でくるりと宙に背中を向けた。

 

「・・・・・・。」どう次の言葉を出してよいか判らず戸惑っている宙に彼女はようやく口を開いた。

「ごめんね。騙してて。そう、私だよ。絵羽だよ。」

 

「絵羽・・・、どうして・・・だって・・・絵羽はもう・・・。」

 

 宙は、この旅の間中ずっと絵羽のことを思っていた。忘れようにも忘れられなかった。

 そんな時、葵と出会い、不思議に感じながらも、どんどんと葵に惹かれている自分に気づき始め、もしかしたら絵羽のことを『想い出』にできるかもしれないと思い始めた矢先の出来事に戸惑いを隠せなかった。

 そして、今、目の前にいる絵羽に何を伝えたらいいか判らず、言葉がそれ以上は出てこなかった。

 

「座ろうか。」

 

 宙は絵羽に促されて岬の傍にあるベンチに一緒に腰掛けた。

 

「ごめんね。今まで騙してて、『葵』なんて言って、この三日間ずっと悪いなって思ってたんだよ。」

「・・・・・・。」

 

「わけわかんないよね。そうだよね。私はもう死んだはずだものね。そう、確かに宙の目の前で私は死んだよ。」

「・・・、だって、じゃあ、今俺の目の前にいる絵羽は?なんなんだよ。幽霊か?」

 

「うふふ、そうね。幽霊かな。でも、夕べあなたは私を抱いたよね。いっぱい愛してくれたよね。」

「え、あ・・・うん。」

 

 急に『抱いた』と言われて夕べのことを思い出した宙は恥ずかしさで言葉を失った。

 

「うれしかった。でも、ちょっと悲しかった。」

「・・・・・。」

 

「あ、わかんないよね。うん。ちゃんと話すね。実はね。私は確かに死んだの。宙、天国って信じる?」

「え?天国、あぁ、うん、あればいいなっては思ってるけど。」

 

「あるんだよ。天国、ほんとは言い方が違うんだけど、でもね。確かに死んだ後いくこの世とは違う世界があるの。」

「・・・・・。」

 

「それでね。そこには本当に神様がいて、ううん、これも正しくは神様ではなくて神様のめいでその世界をまとめてる人が何人かいてね。私みたいに死んだ人がその世界に入る前に、うーん、なんていうのかな。判りやすくいうと面接、みたいなことをするの。」

「面接?」

 

「そう、そこでね。今までいた世界、つまりこの世で何か思い残したこととか、どんな人生だったとか、愛した人はいたかとか色々聞かれるの。」

「マジで?」

 

「あ、信じてないでしょ。今、宙の目、疑ってた。」

「あ、やっぱり絵羽だ。俺の目で俺の気持ちがわかるのは絵羽とお袋だけだから。」

 

「うふふ、でしょ。これで私が絵羽だってことは理解できたでしょ?」

「うん。」

 

「それでね。その人に聴かれたとき宙のこと話したの。宙にもう一度会って謝りたいって。」

「謝る?何を?」

 

「だって、宙と夏休みに甲子園で美樹生君の試合見て、それから旅行するんだって約束したのに果たせなかったでしょ?」

「あぁ、でも、美樹生は結局甲子園にはいけなかったし、絵羽は・・・、あっ・・・。」

 

「そう、死んじゃったしね。」

「ごめん。」

 

「ううん、謝るのはこっち。約束やぶっちゃったから。それで、その人に謝りたいって言ったの。」

「・・・・・。」

 

「そしたらね。私に時間をくれるって言ったの。この世に帰る時間を。ただし、三日間だけ。ほんとはね。人は死んだらこの世にいられるのは一月半くらい、ほら、よく四十九日っていうでしょ。あれ、ほんとなんだよ。大体五十日くらいいられて、その間に思い残したこととか、この世で行きたかったところに行くとか、未練がないようにするんだって。私はその五十日間ずっと宙のこと考えていて、あなたの家にも行ったりしたんだけど、どうしても約束が守れなかったことが申し訳なくて宙に会う勇気がなかったの。そうしているうちに時間が来て天国に行くことになってしまって、ずっとこの世に未練を残しちゃったのね。」

「うん。それで?」

 

「でね。その人が三日の間に宙に会ってちゃんと謝ってきなさいって言われたの。」

「ほんとに?」

 

「うん。宙がここへ来たのは偶然じゃないんだよ。ネットでここの場所知ったでしょ?」

「うん。たまたま見たんだけど。」

 

「あれね。私がやったの。実は、私この世にいられる時間で北海道にずっと行きたかったから行ってたのね。」

「え、旅行もできちゃうの?」

 

「うん。それもそこに行きたいって思うだけでいけちゃう。」

「便利だな。」

 

「でしょ。それでね。偶然この霧多布岬を知ったの。」

「え?じゃあ・・・。」

 

「そう、戻ってきてから宙のパソコンにわざと宙がここの場所を知るように仕掛けしたの。」

「そんなこともできるの?ますます便利だな。」

 

「もう、そんなことに感心しないで、私の話、真面目に聞いてるの?」

「あはは、ごめん、ごめん。やっぱ絵羽だ。今のふくれっ面は絵羽そのものだ。」

 

「もう、知らない!人が真面目に話してるのに。」

「ごめん、ごめん。それで?」

 

「もう・・・、それでね。宙がここに来たくなるようにして、私は許された三日を宙とここで過ごせるように待ってたの。」

「そうだったんだ。でも・・・俺・・・。」

 

「ううん、わかってる。さっき悲しかったって言ったのはそれ。」

 

 自分の心の中が絵羽には見透かされていることに宙は気づいた。

 

「葵に恋をして私を忘れられるかもって思ったんでしょ。」

「・・・うん。」

 

「ちょっと許せなかったけど、でも、葵をわたしと思って抱いてくれたでしょ。」

「うん、それも当たってる。」

 

「だからね。ちょっと悲しかったけど、私も騙してたんだし、おあいこって思って・・・、だから、それは許す。」

「凄い複雑だよ。本当は絵羽とこうなりたかったのに、やっぱり葵だと思ったら、本当にいいのか最後まで気持ちの整理がつかなかった。でも、絵羽は死んでしまったんだから、ここで整理をつけなきゃいけないのかもって思ったりもしたし・・・。」

 

「ごめんね。初めから絵羽で会えばよかったかもしれないけど、私も宙と会ってなんて言えばいいかわからなくて嘘ついちゃった。だから、謝ることが二つできっちゃった。」

「いいよ。なんだかホッとした。やっぱり俺は絵羽が好きだってこと、改めてわかったし。」

 

「でもね。一つだけ、約束守ったんだよ。」

「え?」

 

「私が死ぬ前に『宙の誕生日には一緒にいる』って約束したよね。」

「あ、覚えててくれたんだね。俺の誕生日。」

 

「忘れるわけないでしょ。だから、この三日を選んだの。宙の誕生日にちょうど一緒にいられるように。」

「ありがとう、そして絵羽をプレゼントしてくれたんだね。」

 

「ばか、ハズイよ。」

「あはは、やっぱ絵羽だ。俺の大好きな絵羽だ。」

 

「ありがとう。宙。」

 

 そして、深く霧のかかるその場所で、二人は強く抱き合い口づけを交わした。

 長く熱い抱擁が続いた。二人の失った時間を取り戻すように。

 少しずつ霧が晴れて空が薄い紫色に輝き始めた。

 

「宙、ごめんね。そろそろ行かなくちゃ。」

「え?今会ったばかりなのに。そりゃ三日間一緒に過ごしたけど、絵羽としては今会ったばかりじゃないか。」

 

「うん、でもね。時間が迫ってる。天国へ帰る時間が・・・。」

「やだよ。今絵羽とこうして本当に思い残したことを話せるようになったばかりじゃないか。どうして?まだ、今日は終わってないよ。」

 

「私と会った。ううん、葵と出会った時間覚えてる?」

「え?うん、確か朝の四時頃。」

 

「今、何時?」

「え?あ、もうあと五分で四時だ。」

 

「そう、天国では時間がとても厳密なの。ちょうど私と会った時間に私は消えるの。」

「そんな。なんでもっと早く言わないんだよ!どうして、さっき言ってくれなかったんだよ!」

 

「・・・・・・。ごめんね。」

「絵羽・・・、ごめん。頑張って本当のこと言ってくれたのに。辛かったのは絵羽のほうだよね。ずっと我慢して葵として俺と会ってくれていたけど、本当は苦しかったんだよね。」

 

「宙・・・、ありがとう。やっぱり宙のこと大好き、私のことを本当にわかってくれるのは宙しかいないよ。ありがとう。私・・・宙の彼女でよかった・・・。」

 

 大粒の涙が絵羽の瞳からこぼれ落ちた。その一粒の涙に朝焼けの光が映り一層輝いた。

 そして、その光が絵羽の身体に移り、足元から強い光を放ち始めた。

 

「絵羽!!消えるな!絵羽!」

「宙!もう一度!もう一度キスして!」

 

 宙は絵羽を抱き寄せ、その唇に唇を重ねた。同時に、宙の瞳からも大粒の涙が流れ落ちた。

 確かにそこにいる絵羽の温度を感じながら、宙は自分のすべての感情を絵羽の身体に込めた。しかし、絵羽の身体は朝日と共に少しずつ消えていく。

 二人は見つめ逢い、お互いの身体を確かめるように再び力を込めて抱き合った。

 

「ありがとう。宙・・・、もう、私のこと忘れていいからね。」

「忘れない!忘れるわけないだろう!」

 

「だめだよ。宙、私はもう過去、宙はまだまだこれから生きなきゃいけないんだから。私のことはここで忘れて、私の分まで生きて。そして、幸せになって。」

「絵羽・・・、わかった。絵羽の分まで生きる!でも、絵羽のことは忘れない。愛してる。絵羽、愛してるよ!」

 

「ありがとう。私本当に幸せだったよ。後悔はもうないから。宙も安心してね。」

「お礼をいうのは俺だよ。絵羽、ありがとう。俺にかけがいのないものをくれたよ。」

 

「ありがとう。宙、最後までやさしいね。大好き!」

 絵羽は消えかかる身体の最後の力を振り絞って、宙に抱きつき再びキスをした。

 

「ありがとう。宙、元気で、そして、幸せになってね。さよなら。」

「絵羽!!!」

 

 

 朝日が、きらきらと輝いていた絵羽の姿をその強い光でかき消した。

 さっきまで深く立ち込めていた霧が嘘のように晴れて、空が薄紫から真っ青に変化していった。

 しばらく、宙はその場から動けず、呆然と立ち尽くしていた。

 そして、とめどなく流れてくる涙をこらえることもなく、静かに泣き続けた。

 

「絵羽・・・、ありがとう。」

 

 

 絵羽が消えた場所をふとみると、そこに光るものが落ちていた。

 拾い上げるとそれは、絵羽との出会いから一ヶ月の記念日にあげた初めてのプレゼントの指環だった。

 

「あいつ、これまだ持ってってくれたんだ・・・。」

 

 その指環をギュッと握り締めて宙は岬から海を見つめた。

 澄み切った真っ青な空と深い蒼の水平線が広がっていた。

 そのまぶしさに目を細めた宙は、大きく深呼吸をした。

 

「さあ!帰るか。」

 

 

くるりと海に背を向けた宙は、しっかりとした足取りで歩き始めた。

 そして、二度と振り返ることはなかった。

  了


この物語はフィクションですが、実在する場所等もフィクションを交えて著しています。ですから、実際の風景とは異なりますので、ご了承ください。

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