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新しい景色へ。

前回のあらすじ


初めて見るスライムはとても怖かったけど、音楽を聴いて勇気を出したらオムアン湖にスジができました。

 その日の事件は、後に『オムアン湖潮吹き事件』と呼ばれるようになりました。

 私の剣はエイピアの町まで揺らして、そして吹き上げられた土砂と水は町中の至る所から目撃されていたそうです。

 その光景を誰もがぽかんと見上げる中、エイピアよりもずっとずっと東にあるオムアン湖よりもずっと大きな湖――海というらしいです――から来た旅人が、天高く舞い上がる水しぶきを目撃して「まるでクジラの潮吹きだ」と呟いたことがその呼び名のきっかけになったそうです。

 それは、誰にも理解することも説明することもできなかったオムアン湖の惨状に唯一与えられた表現だったとか。


 そんな訳で、私たちはたった今起きたばかりの『オムアン湖潮吹き事件』について説明するため、エイピアを任されている小領主さんの屋敷に来ています。


「ハワワワワ……」


 口に手を当てて乙女みたいな声を出してる顔面蒼白のヒゲおじさんが、この町の小領主ことエドモンドさんです。

 エドモンドさんには一人の奥さんと二人のお子さんがいますが、今はどちらも別の部屋にいます。誰あろうエドモンドさんが、「俺に何があろうとも、決して部屋から出ないように」と厳命した結果でした。謎の覚悟を発揮していました。

 なので、応接室にはエドモンドさんの他、三人と一匹だけがいるという状態でした。

 私とアグニさまと領主さま、そして未だに実体化したままの魔王でした。


「ルージュ殿は実に素晴らしい勇者だ!」


 震えるエドモンドさんの前で熱く語っているのは、私の隣に座っている興奮冷めやらぬ様子のアグニさまでした。

 彼の瞳はキラキラと輝いていて、身振り手振りを交えて大仰に、つい先ほど起きた『オムアン湖潮吹き事件』について最も熱く、事細かく丁寧に、微に入り細に入り正確に、そしてちょっぴり過剰な表現を織り交ぜて説明していました。

 オムアン湖の潮吹きについて熱く語るイケメン騎士という状況でした。

 この状況を前に、私の勇者的第六感が切実に何かを訴えていましたが、私はその正体を掴むことができませんでした。


「…………」

「ハワ……ハワ……」


 そんなアグニさまの熱弁を青白い顔をして聞いているのは勿論、対面に座った領主さまとエドモンドさんコンビです。領主さまに至っては若干白目でした。

 エドモンドさんと私は顔見知りの間柄で、月に数回は酒場に顔を出して、ちょっぴり高いお酒を飲んでいってくれるお得意様です。

 日々町のために働いてくれる冒険者さんたちに時々お酒を振る舞ったりする、尊敬できる大親分みたいな人なのですが、今は普段の覇気はどこへやら、チャーミングなおヒゲもいつもよりちょっぴり縮んでみえるほどの変わりようでした。

 それともう一人、変わり果てている人がいました。


「……」


 魔王でした。

 いま魔王は私の腕の中に抱えられています。

 領主さまに負けず劣らずの生気のない瞳をしています。

 あの後魔王はオムアン湖のほとりで暫く叫び続けたのち、へにゃりと体の力を抜いてそのまま動かなくなりました。

 つまんでもつついても揺らしても反応しなくなりました。

 女神に聞いてみたところ、一応精神は生きているようでした。ただ、時間が必要なのだろうと言っていました。

 無理もありませんでした。

 死んだと思っていた親友が生きていて、やった嬉しい! となったところで目の前でうっかり殺された訳ですから、魂の一つや二つは抜けてもおかしくありません。

 というかそもそも魔王は死んでいるので、ある意味このもふもふしたものが魔王の魂そのものであるはずでした。魂なのに魂が抜けるとはこれ如何に。

 それに実際のところ、竜王エミルが本当に死んだかどうかは未確認です。魔王は雲の結界が消えたことで竜王エミルの生存を絶望視したみたいですが、私はいつか確認しに行こうと思っています。

 まあなんにせよ、このぬいぐるみのようになった魔王も悪くはありませんでしたので、暫くの間は放置することにしました。

 きっといつか、時間が解決してくれるのでしょう。

 今はただ、ぬいぐるみのようになった魔王の素晴らしい毛並みを思う存分モフるのみです。


 ちなみにアグニさまたちには、湖畔に突然現れた魔王の事は『魔力で作った使い魔』だと説明しました。女神にそうしたほうが良いと教わりました。アグニさまは特に深く考えた様子もなく、ただ「そうか!」と言っていました。

 名前を聞かれた時にちょっぴり迷いましたが、素直にバロールだと答えました。先代魔王の名前や三つ首犬の姿を知っていたアグニさまは苦い顔をしていましたが、ずっと昔に飼っていた犬の名前だと嘘をつくと、「そうか」と納得した様子でした。

 こうして魔王の姿がバレてしまった以上は仕方がないことのですが、魔王には色々と演技をお願いしないといけなくなるでしょう。ですが、はたしてこんな私のお願いを聞いてもらえるでしょうか。ある意味私、仇になってしまいましたが。


「と言う訳で、ルージュ殿の勇者としての素質、資質に関してはなんら疑いの余地はない」


 今まで喋っていただろうアグニさまが話を締めくくりました。すみません。まったく聞いていませんでした。


「誰もが尻込みする魔物との初戦において、女性の身でありながらも恐怖心を見事打ち払い、そして鮮やかに放った上段からの振り下ろし! たった一度の攻撃で、スライムどころか遥か彼方に浮かぶ島ごと竜王さえも討ち取った、常識では考え難いほどの武勲! 戦功!」


 アグニさまはこれ以上なく興奮していました。

 私はそれとなく腰を浮かして、アグニさまから距離を取りました。座り心地は抜群ですが、このソファではこの距離までが限界でした。


「こうして我が目で見ても信じ難いのだから、これを言葉だけで王都のお歴々に伝えたとしても到底信じてはもらえないでしょう。

 これは我々が早急に王都へと赴き、陛下にお目通り願うしかありますまい」

「わ、我々だと!?」


 テーブルを揺らす勢いで飛び上がったのは領主さまでした。

 どういう訳か、領主さまはひどく怯えきった表情をしていました。はて?


「それは、また私を拉致して連れていくという意味かね!?」

「残念ですが」


 アグニさまは首を横に振りました。


「これは吃緊の問題です。オレの馬が速度を落とさず運べるのはせいぜいが二人。領主さまにはご自分の領地での努めもあるでしょうし、此度はオレとルージュ殿の二人で王都へ向かおうと思います」

「そっ、そうか!」

「えっ!」


 領主さまは、まるで馬車ジャック犯にとらわれた人質の立場から解放されたかのような喜びの笑顔で言いました。

 しかし、アグニさまの言葉を看過することのできない人物がいました。

 というか私でした。ちょっと!


「待ってください!」

「どうしたのだルージュ殿?」

「アグニさま! 今のは」

「アグニだ」

「はい?」

「アグニでいい。オレは今この時から王の騎士であり、そして君の騎士だ!

 ルージュ殿! どうかオレのことは呼び捨てにして、こき使ってほしい。身の回りの世話をさせて欲しい。移動のための足として使ってほしい。そして時々、構ってほしい!

 オレは、オレの認めた強者に付き従うのが大好きなのだ!」


 姿勢を整え頭を下げて、眩い太陽のようなキラメキを放ちながらアグニさま……いえ、アグニはそんなことを言いました。

 これもまたこれで衝撃的なカミングアウトでした。

 その瞳にはもっと偉大な相手に向けられるべき畏敬の念と、まるで飼い主を見つめる子犬のような親愛の念と、そして服従したいという興奮の念がありありと込められていました。

 というか言っていることが変態そのものでした。

 でも、そんないきなり困ります!

 いったいアグニはどうされてしまったのでしょうか?

 私は呆然とアグニの頭に二つあるつむじを眺めました。


『思い出しました』


 女神でした。


『確かに前勇者、フセオテのパーティにこのような(へんたい)がいました。この(へんたい)は騎士でありながら勇者フセオテを尊敬する従者のように立ち振る舞っていました。忠犬のような(へんたい)という印象で覚えていたので今まで気がつきませんでしたが』


 そう言われてみると、今のアグニは確かに犬のような(へんたい)でした。

 清廉な騎士の仮面を脱ぎ捨てて、犬としての本性を現したアグニがそこにいました。

 誰かの下に付き、侍り従うことの喜びを誰よりも知り尽くしていると言わんばかりの上目遣い。

 私の一挙手一投足を見守る姿勢。

 私の脳内には犬耳にふさふさ尻尾を装着したアグニが出現し、『ルージュ殿! ルージュ殿!』と



 ぶはっ!



「ルージュ殿! また鼻から血が!」

「もんふぁ()いありはへ(ませ)ん。()いしょうです」


 危ないところでした。

 もし脳内にもう一人美男子が現れていたら、命に関わるところでした。

 私は鼻をつまみながら、鼻の奥からダクダクと湧き出し続ける被萌え汁(命名:私)をゴクゴクと嚥下し続けました。

 しかしアグニの素質はまるで留まるということを知りません。

 例え変態だとしても、些細な問題でしょう。

 恐らく騎士としてのアグニも、犬としてのアグニも本物のアグニなのでしょう。

 それが絶妙のバランスで同居し、一人の人物として完成していました。

 このような逸材を私が独り占めにすることなど、果たして許されるのでしょうか?

 いえ、先ほどアグニは言いました。アグニは私の騎士であると同時に、王の騎士だと。

 つまり……。


 ……。


 この妄想(はなし)は止めましょう。鼻血の勢いが更に増しました。

 私は王都で国王さまのお顔を見た時、果たして失血死を避けることができるでしょうか。たぶん、無理でしょうね。


「それはともかく!」


 私は危険な話題から撤退しました。


「えっと、私とアグニさま「アグニだ」……あ、アグニさん「アグニだ」……」


 私の理想の騎士さまが強すぎる件について、誰か相談に乗っていただけないでしょうか。


「ゴホン……私と、アグニが、二人で、王都に?」

「そうだ」

「その、どうやって行くんですか?」

「先ほどのように馬に乗ってだ」

「あの……馬車とか」

「オレの『騎乗』は背に乗らないと無効なんだ。馬車では君を運べない。オレの駆る馬に二人で跨がる他に手がない」

「でも、そうは言っても私は未成年ですが女で、アグニは若い騎士さまで! ふ、二人旅なんて無理です!」


 ましてやこんな変態と!


「大丈夫だ!」


 アグニは大きく息を吸い、そして宣言しました。


「オレが勇者に欲情することだけは決してない! あり得ない! 断じてない! 絶対にだ! 約束する! だから頼む、オレを信じ」


 そこまで叫んだアグニ(ヘンタイ)はエドモンド邸の壁と隣家数件の壁と幾つもの家具を粉砕して全身を強く打ち無事死亡しました。他に怪我人はありませんでした。

 おっと失礼。重体の間違いでしたね。死亡ってまさかそんな。まるで私が鎧を装備した王国近衛騎士を腹パン一つで殴り殺したかのような。言い掛かりですよやだなあそんなことある訳がないじゃないですか。ねえ?

 私はたったいま振り抜いたばかりの右手を軽く振って、心なしかドス黒く染まっているような気がする魔力の残滓を振り払いました。たぶん気のせいでしょう。だって私の魔力は白と黒が混ざった灰色なんですから。

 私はゆっくりと右手を下ろし、女神にも領主さまにもエドモンドさんにも聞こえるようにハッキリと言いました。


「女神さま。『治癒』をお願いします」


 体内からギュギュギュッと魔力が吸われるのを感じながら、私はアンモニア臭の漂う応接室全体を見渡して言いました。


「今のは勇者的コミュニケーションです。あなたの事を信じますという一種の愛情表現です。つまり何も問題はありませんでした」


 そうですね?


 領主さまとエドモンドさんは壊れたおもちゃみたいにガクガクと何度も頷きました。二人とも失禁していました。


  @


「何はともあれ、話がまとまったようで何よりだ!」


 一晩明けて、すっかり元通りになったアグニが爽やかに笑って言いました。

 彼は一晩ぐっすりと眠って、そして今朝方完全復活しました。エドモンド邸での記憶を一部失っている点以外には特に後遺症もなく、今ではこうしてピンピンしています。

 当然のことですが、私とアグニの間には何のわだかまりもありません。きっとお互い、色々なものを外に吐き出したのでスッキリとした関係が残ったのでしょう。そこに精神的にだとか物理的にだとかいう表現は蛇足ですし、些細な問題だと思います。気にしたほうが、負けなのです。


 私とアグニは今、一頭の馬を連れてエイピアの北門を目指して歩いています。

 馬に乗らずに歩いているのは、今日から暫くの間離れてしまうこの町の景色をゆっくりと目に焼き付けたかったからです。

 これから私たち二人はエイピアの町を出て、まずはリエリアに向かう予定になっています。

 リエリアからこの町までアグニと一緒に来ていた領主さまは、別の馬車に乗ってリエリアまで帰るそうです。

 私は「お気をつけくださいね」と言って、お店に常備されている二日酔いに効くお薬を領主さまに渡しました。領主さまは頬をピクピクとさせながら、私にお礼を言いました。領主さま、お酒は程々に。



 少しだけ昨日の話をしましょう。


 オムアン湖に大きな割れ目を作った『オムアン湖潮吹き事件』についてですが、私たちは特にお咎めなし、ということになりました。

 竜王の舘が文字通り半壊した件については、いったん町中に箝口令を敷くようなことを言っていましたが、それでも人の口の戸は建てられないだろうなぁというようなことも言っていました。

 情報は、漏れる。

 それ自体は割とどうしようもないので、ちょっとした有名税については予め覚悟しておくようにとのことでした。

 ちなみに竜王討伐については冒険者ギルドのほうにS級だかSS級だかの依頼が貼ってあったみたいですが、私たちが国王さまに直接ご報告するまで一時凍結するそうです。

 私、報奨金とかもらえるんでしょうか。冒険者登録とか、一切していませんけど。

 そもそも元親友だった魔王がいる手前、もらえたとして、ものすごく気まずいんですけどね。


 色々あって壁や床が大変なことになっていた炎の燕亭ですが、嬉しいことに修繕費用を含む損害額全額を領主さまがもってくれることになりました。やったあ!

 アグニは殴りたくなるほど信用できる騎士さまですが、とは言うもののね? 男性と女性の二人旅はこんなに危険で恐ろしいんだよということを懇々と説明し、その条件として上記を要求したところアッサリ通りました。領主さまもエドモンドさんも二つ返事でした。ちょっと拍子抜けでした。

 エドモンド邸から家に帰ってそれを伝えた時のお父さんの喜びようったら、いい年してこの人ホント何やってんだろうなって感じでした。

 お母さんはいつも通りを装っていましたが、やはりホッとしたようです。久しぶりに私の頭を撫でてくれました。地味に効きました。


 王都への出発は明日以降という運びになったので、その日は簡単に修繕された炎の燕亭で、ささやかながら私の行ってらっしゃいパーティーを開いてもらいました。

 どうして明日以降になったのかというと、翌日までアグニが目を覚まさなかったからです。その時女神は『サンズ・リバーで気の抜けない戦いが今も続いている』と言っていましたが、今でも意味はよく分かっていません。

 まぁそもそも即日出発とか流石におかしいって私でも分かりますからね。

 そうそう。

 バルドさんが無事釈放されていました!

 衛兵に連れていかれたあと、割とすぐに釈放されていたみたいです。常連さんたちが懸命に無実を訴えてくれたんだとか。

 その後お母さんにも話が行って、厳重注意で済んだみたいです。よかったですね。

 なので、行ってらっしゃいパーティーにもきちんと出席してくれて、他の常連さんの方々と一緒にタダ飯を食べてタダ酒を飲んでさんざ笑って帰っていきました。

 この時また色々あってお店に穴が幾つか増えましたが、お母さんが「この際建て直すわ」と言っていたので多分問題ないでしょう。お父さんはもうどういう理由で泣いてるのか判断つきませんでした。

 お父さんとお母さん。バルドさんや常連さんたち。いつの間にか現れていた影の薄いコリン。その他、ずっとお世話になってきた人たち。

 私はパーティーに参加してくれた彼ら一人ひとりの笑顔を見納めるつもりで見つめ、瞼に焼き付けました。

 ちなみに、この時の飲み食い代も全部、領主さまが払ってくれました。太っ腹、という言葉の意味と重みを堪能しました。

 お父さんもお母さんも、好きなものを好きなだけ食べていきな、って言ってくれました。

 私は一切遠慮しませんでした。

 しあわせでした。

 森牛のステーキ、初めて食べました。とても美味しかったです。


 その日の晩はぬいぐるみモード継続中の魔王を抱いて、久しぶりに親子三人で川の字になって眠りました。

 本当は夜更かししたかったんですけど、私はあっという間に寝てしまいました。それがちょっとだけ、心残りです。



 回想終わり。


 私はぬいぐるみ(まおう)を抱いてぽくぽくと歩きながら、隣のアグニを見上げました。

 アグニは軽装でした。昨日までとはうって変わり、重たくて頑丈そうな白銀の鎧を脱いで、今朝町で選んで買った皮鎧を着ています。

 どうして装備を変えたのかというと、単純にあの鎧は重くて行軍速度(軍? と思いましたがそう言っていました)が落ちるからというのが一点。そしてもう一点は単に昨日ぶっ壊れたからでした。何で? とは聞きませんでした。アグニはぶっ壊れた瞬間のことを覚えていないのですから。

 鎧の残骸は、皮鎧を買うための資金源として売ってしまったみたいです。でもああいう鎧って、お国からの借り物じゃないんでしょうか?


「そうだ! だが事情が事情だ。この事も含めて陛下に上申するつもりだ」

「そうですか」


 ちなみに偽聖剣ですが、こちらは折れずにアグニがそのまま装備しています。私が殴っておいてなんですが、驚きの耐久性能でした。


『一時的にあなたが魔力を通して強化した影響でしょう。でなければ例の一撃で消滅しています。いまあの剣からは、ガチの聖剣にも劣らない魔力を感じます』


 (ゆうしゃ)が振ったから、ですか。

 なんかプレミア付き商品みたいな感じでちょっとヤですね。国王さまの使ったティーカップみたいな。


「ところで私たちはこれから王都に行って、国王さまと会うんですよね?」

「そうだ! 基本的にまっすぐ向かうつもりだ。だが、リエリアには立ち寄る必要があるだろう。レイライン辺境伯閣下ともお約束したしな!」


 アグニが引いているこの馬は、アグニさまがリエリアから乗ってきたという領主さまの馬です。

 これはアグニと領主さまがある取引をして、譲り受けた馬でした。

 ちなみに、その取引の内容というのが、リエリアに立ち寄らなければならない理由でもあります。


「確かリエリアの町に魔物が現れたんですよね?」

「そうだ! 群れを作って行動する、狼のような魔物らしい。特に群れのリーダーと思われる個体は体も大きく、並みの冒険者では歯が立たないそうだ」


 それを討伐するのが、領主さまの出した条件という訳でした。


「でも私、今ならちょっと自信があります!」

「ははは! ルージュ殿はやる気充分だな」

「はい! 魔物退治なら任せてください!」


 昨日の一件は私を少し、いや、大きく変えてくれました。

 女神さまは、私に勇気をくれたあの魔法のことをこう言っていました。


『先ほどの魔法ですか。あれはバック・グラウンド・ミュージック……B.G.Mという魔法です。聴かせたい者に聴かせたい音楽を聴かせるため魔法です』


『あなたには勇気が足りていませんでした。ですから、最初の一歩を踏み出すことができるよう、力を添えたつもりだったのですが……まさか……あんなことになるだなんて……』


 あれはこの世に生まれてきて、一度だって聞いたことがない、とても素敵で素晴らしい音楽でした。

 私は何度も、何度も女神にお礼を言いました。女神はとても困った様子でしたが。


 私、ルージュは音楽の力を信じて生きてきました。

 もともと私が炎の燕亭で歌を歌うようになったのは、最初は仲間を亡くしてしまった常連(ぼうけんしゃ)さんに乞われて、鎮魂の歌を歌ったことが始まりでした。

 それは酒に酔った冒険者の戯言とも言うべき願いでした。私はちゃんとした歌詞もメロディーも知りませんでしたし、人前で歌ったことなんてありませんでした。だけど、その冒険者さんは町の教会にそれをお願いするにはお金がなく、またどうせなら年の若い女の子に歌ってほしいという小さな願望が、お酒の勢いを借りて飛び出した。そういう願いでした。

 だけどその時、幼かった私はその願いを受け入れました。

 私の歌はとても稚拙で、つっかえつっかえでしたけど、それでも頑張って最後まで歌いきりました。

 冒険者さんは最後まで黙って聞いていました。

 私が歌を歌い終えて、その冒険者さんの様子を伺うと、冒険者さんはただ一言、「ありがとう」と言ってお代を置いて帰っていきました。

 泣いていたと思います。

 その後、他の冒険者さん達からもお褒めの言葉だったり、感謝の言葉だったり、色々な言葉をもらいました。彼らの心が受け取った何かを、少しでも私に返してくれるかのように。


 これが、私が音楽の力というものを信じて歌うようになったきっかけです。

 そして昨日女神の奏でた音楽を聴いて、やっぱりそれは在ったんだと確信するに至りました。

 音楽には、力がある。

 女神の奏でたあの森の音楽は、今もまだ私の心に根を張って、私に力を与えてくれています。

 今なら私、大陸だって割れます!


「いや、ダメだ」


 あっ、はい。

 すみません、大陸を割るというのは言葉のあやです。そんなことしません。


「ルージュ殿。君はとても優れた、素晴らしい勇者だと思う」

「あ、はい。ありがとうございます!」

「素質も未知数だ。少なくとも、先代勇者のフセオテ殿を遥かに上回っている」

「そんなあ。恐縮です」

「だからその、なんだ」


 アグニはもの凄く言いにくそうに、それを言いました。


「君は剣を使うのは禁止だ」

「え?」

「だから禁止だ。冒険者諸君が君に剣を禁じた理由が分かった。あれは危ない。君が危ないという訳じゃない。周りが危ないんだ」


 実は薄々、そうなんじゃないかという気がしていました。


「あの酒場は、君が素振り(・・・)をしてああなったんだろう? あの様子を見る限り、迂闊な修行や手加減の練習は君にとって逆効果だ。より被害が拡大する恐れがある」

『意外に正論を言いますね』


 女神までもがアグニの側につきました。根拠もなく裏切られた気分でした。


「そう不安そうな顔をしないでほしい。少なくとも、人里に近い場所で振るえる剣ではないということが分かったのは僥倖だった。そうと分かれば対策も立てられる」


 アグニは私の頭を撫でて言いました。以前ならばイケメン騎士さまに撫でられた喜びで吐血する場面でしたが、今は不思議と飼い犬に手を舐められたくらいの感覚でした。優しい撫で撫で、きもちいい。


「実はルージュ殿の剣の修行場所について、一箇所だけ心当たりがある」

「本当ですか! でも、それってどこですか?」

「それは行ってのお楽しみだ! だが一つだけヒントを教えよう。例え君がどれほど暴れても大丈夫な場所だ」


 なんでしょう。若干嫌な予感がします。


  @


 そうして私たちは、エイピアの町を後にしました。

 町の北門を抜けるところで、お父さんやお母さんたちが見送りに来てくれました。

 バルドさんがまた衛兵に連れていかれたり、コロンからちょっとビックリするようなことを言われたりもしましたが、この辺りのことはちょっと恥ずかしいので、その、省略させてください。別に大したことはありませんでしたから!


 私は昨日と同じように、アグニの前で馬に跨り、緩やかな風とアグニの体温を感じながら流れる景色を眺めています。金属の鎧じゃなく、皮の鎧になったことで、よりアグニとの距離が近まったように感じます。

 私はもっと緊張してしまうんじゃないかと心配していたんですが、どうやら杞憂のようでした。

 私にとってアグニは素晴らしい素質を備えたイケメン騎士さまですが、同時に変態的な性癖を持つ私の犬という理解をしてしまったようでした。およそ年の若い男性に抱くべき感想ではないことは自覚がありますが、それもお互い様というものでしょう。

 なんとなく、私はアグニとなら、気持ちのいい二人旅ができるんじゃないか、と思いました。

 それが経験の若い生娘の楽観ではないことを、祈るばかりです。


『祈られたついでに答えておきましょう。安心なさい、ルージュ。もし仮にこの男がルージュに懸想したとしても、この男があなたに傷を与えることはないでしょう』


 それってどういう意味ですか?


『あなたが生娘だということが分かったので、下半身には特に念入りにブレス(しゅくふく)しておきました。今やあなたの膜は何人たりとも犯すことのできない聖域にして聖盾にして聖剣。もし仮に何者かが邪な感情を持ってあなたに手を出したとき、その者は地獄のような苦しみの末に去勢され、やがて絶命することでしょう』


 ……。

 はあっ!?


『これは例えあなたが数千数万の魔物に囲まれたとしても、あなたは文字通り傷一つ(・・・)付かずに殲滅できるという意味です。どうですか、この攻守兼ね備えた完璧な防備は。女性の弱点と武器を最大限に生かし、そして昇華した手腕は。これぞまさしく勇者の特権。女神の加護の真骨頂と言えるでしょう。さあルージュ、魔王が脳死している今がチャンスなのです。魔界のことなど速やかに忘れて、わたくし女神トーラの加護の元、魔界を滅ぼすことを今すぐ決断するのです! 今ならもれなく教会の稼ぎの半分を与えることを約束します!』


 その後も女神は、女神としてちょっとどうかと思う数々の特典をつけて私を誘惑し続けました。

 私はそれらの一つひとつをよく吟味しながら、やっぱり女神は女神だなという結論に落ち着きました。

 私と魔王とアグニと馬は、気持ちのよい青空の下をまっすぐに、まっすぐに駆け抜けていきます。

 私は目の前に広がり続ける新しい景色と音の中、いったいどうやって魔王を起こして「私、やっぱり魔王やります」と伝えようかと、そんなことを考え続けました。

 リエリアの町は、もうすぐそこでした。

ある意味一章完結。このサイトの章管理がよく分からないので保留しますけど。


一行はこの先幾つかの町で色々な事件に巻き込まれながら王都を目指します。

今のところ三つくらいのエピソードを挟む予定ですが、予定は未定です。

どうぞお楽しみに。

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