エミルの夜。
前回のあらすじ
クラウスさんはクズでした。
リアンはとっても怒っていました。
ルージュは引きました。
ルージュはむせた。
「えほっ、えほっ! えっ!? リアン、ごめんね、その、今なんて?」
「ですから、クラウスさまの***です! お****って言ったら通じますか!? それとも、お***? あとは******とか」
「はあう! も、もういいですうっ! 分かった! 分かりましたからあっ!」
「なっ、なっ、なんて事を! なんて事を言うのだこのガキがあ! ……!? なんだ!? 俺の尻に、何か垂れてきているぞ!?」
リアンの恐るべき提案を前に顔面を蒼白にして暴れるクラウスだったが、しかし尻に謎の感触を受けて思わずきゅっと力を込める。
クラウスの引き締められた尻にぽたりぽたりしているのは言うまでもないがルージュの鼻血である。どうやら女装した美少年が放つ猥言の連発に我慢できなかったらしい。
慌ててクラウスの足を抱え直して片手で鼻を抑えると、その下ではパキポキと鳴る不吉な音とともにクラウスが悲鳴をあげていた。逆エビ固めがサソリ固めもどきへと進化した瞬間だった。腕次第では腰から足首までが極まり、時に窒息にまで至る恐ろしい荒技である。
苦悶するクラウスの上で、ルージュは頬を紅潮させて身悶えしながら熱っぽく呟いた。
「そ、それにしても、都会の子ってすごいですね……。進んでるっていうか、なんていうか……。お姉さん、ちょっと驚きました」
ゴードグレイス聖王国における王都の性教育事情について勇者の中で誤ったデファクト・スタンダードが認識されつつあることを、国王ギリエイムはまだ知らない。
ルージュがちらりとペルヴに視線を投げ掛けると、流石のペルヴもちょっと顔色を青くしてぷるぷるしていた。リアンの提案する過激な罰に、股間が縮み上がったらしい。
そんな主人の様子を見ていたペルヴの侍女少年が、心配そうにペルヴの股間に手を伸ばす。緊張をほぐそうとしたのだろう。労り、慈愛、そういった感情から生まれた、なんとも暖かみ溢れる行動であったが、敢えなくペルヴにキャッチされる。時と場所を弁えんとする、ペルヴのファインプレーと言えよう。
疑問符を浮かべて主人をじっと見つめる女装少年の姿をルージュが目撃しなかったのは、不幸中の幸いだったに違いない。
「ううむ。我が国にも腐刑と言い、いわゆる去勢を行う刑罰はありましたが、いやはや噛み千切るというのはなかなか斬新ですな……」
「あるんですね……。ふけい、ですか?」
「遥か昔の話です。腐らせる刑罰と書いて、腐刑と読みます」
何をとは言いませんがねと言葉を濁すペルヴだったが、字面を聞いて意味もなくドキッとしてしまうルージュだ。いつの世も腐った人間に世間と法は手厳しいのである。
だがそれはそれとして、流石に局部を噛み千切ろうと奮起するのはいかがなものかとルージュの理性が待ったをかける。
それを失う男性の気持ちはルージュには想像できないが、想像ができないぶん、それは余計に恐ろしい行為だと感じさせられるのだ。
正直言ってルージュはちょっと引いていた。それも自ら積極的に初対面の男性から男性機能をもぎとるお手伝いをするなど、ルージュでなくても普通の町娘ならぜひとも遠慮させていただきたい事案だ。
「あの。流石にちょっとやり過ぎだと思いませんか?」
「いいえ。恐らくやり過ぎだと考えてしまう我々のほうが、クラウスのことを甘く見ているだけなのでしょう。フーッ、むしろ睾丸が見逃されていること自体がリアンの温情と捉えられなくもありません」
「あっ…………それもありましたね。じゃあ、くるみ割り器を使って……」
その時ルージュとペルヴの脳裏で、柔らかなクルミが二つ、パキンと砕けるイメージ映像が流れる。続けて絶叫。血の涙を零さんばかりの、なりふり構わぬ慟哭だ。
それは妙に生々しく、そしてリアルな想像だった。
きゅっと股を引き締めながら、二人は同時に挙手をする。
「「リアン。そこまでにしましょう」」
こうしてルージュは撤退に失敗した。そしてクラウスの処遇が決まった。
@
「私がこの子……ハーヴィと出会ったのは、ある村への視察の最中でした」
ペルヴの膝でくつろぐ侍女服の少年の頭を撫でながら、ペルヴが静かに語り出す。
「当時、彼の村はひどい貧困の最中にあった。代官として置いていた小領主が、私の気付かぬうちに代替わりして横暴を振るっていたのです。自分は小領主の息子なのだから、父亡き後は何をしてもよいのだと増長していたようですな。その愚か者は視察中に処理を済ませましたが、その頃にはハーヴィは既に、口減らしとして村を追い出された後でした」
今、ペルヴのサロンに残っているのは、ペルヴとハーヴィ、そしてルージュとエミルの四人だけだ。
リアンが活き活きとした表情で、クラウスを部屋の外へと引きずり出て行ったからだ。
非力な少年のリアンが、何倍も大きな体を持ったクラウスを引きずることができたのには訳がある。リアンとクラウスの間に横たわる絶壁のようなレベル差を埋めるため、バロールが一肌脱いだのだ。
(さあっ、バロール! お願いします!)
(……がぶっ)
(痛ったあ!? バロール! 痛いです! 実際そんなに痛くないけど、ビジュアル的になんか痛い!!)
ルージュに都合よく使われることに抗議する意味で飼い主(?)の手を噛むバロールではあったが、人間、特にエミルに対して嗜虐的な思いを抱いたクラウスへの害意は大きかった。
今回ルージュがバロールに願ったのは、クラウスのレベルを下げることだった。
リアンのレベルを上げられないなら、クラウスのレベルを下げればいい。
先代の魔王であるバロールの正体は、歴代魔王らの汚染された魂を受け継いだ巨大な三つ首の魔狼だ。その咆哮を聞いた者は魂を呪われ、耳から腐って死ぬという。そしてバロールはその呪いの種類と強さを、己の意思で自在に変えることができた。
(ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる)
(おっ!? お、おぉおっ!? 何をしている!? 力がっ、力が抜けていくっ!?)
その効果は絶大だった。仔狼モードのバロールが身動きできないクラウスの耳元で不穏に喉を鳴らすだけで、クラウスの自慢の筋肉からはみるみる膂力が失われていく。
クラウスのレベルはあっという間に1にまで押し下げられた。しかも、それだけではない。クラウスがこれまでの人生の間で鍛え、蓄え、積み重ねてきた鍛錬の成果さえも無尽蔵に奪い尽くしていく。
そう。バロールはただ失わせるのではなく、クラウスから全てを奪っていた。バロールの選んだ呪いとは、レベルダウンではなくレベルドレインだった。そしてクラウスから奪った全ての経験は、魔力の持ち主であるルージュへと流れていく。
(あの、バロール? なんかものっそい勢いでレベルが上がっていくんですけど)
(…………)
(無視? ねえ、大丈夫? 私、突然ムッキムキになったりしない? イヤだよ? もしそうなったら、私勇者や魔王どころか全世界を滅ぼす邪神になるかもしれない)
などと不吉なことを言うルージュであったが、幸い見た目に変化はなかった。クラウスも同様だ。レベル1とは思えない怪物じみた筋肉量は健在だが、そのスペックは既に非力な少年以下まで押し下げられている。
クラウスが信じ続けてきた偉大な男の象徴は、今やスカスカのハリボテだった。体重も減っているから、今ならリアンでも簡単に引きずっていくことができる。
そして棚ぼた的に自身の低レベルという悩みを解決してしまったルージュの心中は、なんか複雑であった。
ちなみに、ルージュがレベルアップすることで何かが変わったのかというと、特に何もない。元が強くなりすぎたせいで、今さら100や200レベルを上げたところで誤差でしかないからだ。見栄えのためだけに犠牲者となったクラウスにはとても聞かせられない悲しい現実である。
(次はわたくしの出番ですね!)
続けてふんすとやる気を見せたのは誰あろう女神トーラだ。恐らく魔王への対抗意識からだろう。
リアン以外の全員が『流石にトラウマ級のスプラッタシーンを間近で鑑賞したくない』という意見で一致したため、クラウスの息子との告別式は同階層のトイレの個室でしめやかに執り行われる事となった。問題になるのはそこまでの移動だ。遅かれ早かれ明るみになるとはいえ、あまり人目に触れさせたくはない。だが、城内には今日も侍女や官吏が無数に詰めかけている。
そこで、女神がリアンのサポートに名乗りを上げたのだ。人界全域を見通す女神の目ならば、城内の人間たちの動きをつぶさに把握することなど児戯にも等しい。加えて魔法で些細な物音を演出することで警備の操作も思いのまま。その権能の実態を知れば、盗人あたりは五体投地で崇めたくなる女神である。
(────!! ──────!! ──! ──────!!!)
消音機能も重要だった。レベル1に戻されながらも己の身に起こったことを誰からも説明されなかったクラウスは、不安と恐ろしさのあまり発狂したように叫び続けていた。
しかし何を言っているのかは分からないし、聞こえもしない。クラウスが目を血走らせながら口パクしているようにしか見えないのは、聞くに堪えないノイズとして女神が消し去ってしまったからだ。
女神の声や姿の見えないリアンに対して、ルージュは女神の加護という言葉を使って説明した。これからの行いは、至上の女神によって許されたものである。そう知ったリアンは今まで被っていた無表情の仮面を捨てて、年相応の笑顔を見せた。
こうしてクラウス・インマグエスは、城内の誰にも気付かれることがないまま、虐げ続けてきた弱者の一人であるリアンという名の少年の手によって永久にこのサロンから去ることとなった。
この後、愛する息子との別れを経験したクラウスはペルヴによって自邸へと送り届けられ、そしてリアンを初めとする少年たちの身柄はペルヴの預かりとなった。
クラウスはその後一度も登城することのないまま、書簡によって将軍職の辞意を表明。表向きには病状の悪化による引退として処理され、そして内実には趣味が祟って奴隷扱いしていた少年に刺されたということになった。
クラウス将軍の醜聞に沸き立つ王都の情報通の中でも、その裏に潜む更なる真実に気付くことのできた者はほんの一握りだ。だが大衆にとっての真実が何であるにせよ、クラウス・インマグエスという男が歴史の表舞台に立つ事は、もう二度とないだろう。
「私はハーヴィに尋ねました。圧政を敷いていた小領主の小倅はもういない。両親の元に帰りたくはないかと。しかしこの子は首を横に振りました。それどころか、この子は両親の栽培した紅茶を生まれて初めて口にした時、自分の両親を肯定しさえしたのです。『お父さんとお母さんは間違ってなかった。ボクなんかよりもずっと素晴らしいものを守ったんだ』と、泣きながらにね。
私の屋敷には、ハーヴィのような救われなかった子どもたちが数多くいるのです。どうにも見捨てられない性分でしてね、片っ端から引き取っているうちに、気付けば広かった屋敷が手狭になっていました。甘やかしていたせいか、外に孤児院を建てても誰も離れたがらないものですから、泣く泣く庭を取り潰して敷地内に孤児院を増築する羽目になりました。まぁ、その如何にも如何わしげな立地のせいで、よからぬ噂を立てられたりもしましたがね」
「それじゃあ何か? 結局オマエのさっきまでの話は、全部嘘だったってのか? 変態だっていうのもただの噂?」
「いえ。それらはまるきり事実なのですが」
「事実なのかよ!!!」
「エミル君。私は自分が善人であるなどと嘯くつもりはありませんが、変態だからといって悪人であるとは限りません。それはこちらにおわす勇者様を見ても明かなのではありませんか?」
「あの。侯爵さま? ナチュラルにこいつ変態です! みたいに言われるのもそれはそれでグサッと来るんですけれども」
「フフっ。失礼。ま、私が欲深き人間であることは紛うことなき事実ですな。一時は悩み、葛藤した時期もありましたが、少年少女たちの求めに応えているうちにいつしか心の中にあった壁もなくなっていきました。この子らには拠り所が必要だった。それがたまたま私だった。だから私はこの身を差し出した。後悔があるとすれば、この子らの情報共有が予想を超えて遥かに早いことに最後まで気付けなかったことですな」
幼い子どもたちにとって、自分と家族、そして自分たちが暮らす村や町はまさに世界の全てだった。
そして。自らの世界を救ってくれたペルヴに子どもたちが差し出せるものは、自分自身以外にない。
長い葛藤と精神的攻防の末、ペルヴが意を決して一人を抱いたその翌日には、無数の少年少女たちが顔を赤らめてペルヴを包囲したという。
それを聞いたルージュは羨ましさのあまり、ちょっと涎が垂れていた。エミルは見なかったフリをした。
「ただ、そういった経緯で流れることになったよからぬ噂というのも、存外役に立つものでしてな。私を子ども好きの変態と見るや、すり寄ろうとする零細貴族や悪徳商人が後を絶たなくなった。手土産付きでね。ただの噂は不心得者を釣り上げる擬似餌となり、同時に人でなしのクズを見分ける試金石にもなった。それ以来ですな。私がこうして定期的に王都に参上し、陛下のご意見番としてご忠告申し上げるようになったのは」
「もしかして、侯爵さまがそんな体型なのって噂に説得力を持たせるためですか?」
「ハハハ。違うと言えば嘘になりますが、半分は単なる不摂生ですな。虐げられ、心に傷を持つ子どもたちの中には、誰かの食べ残した残飯以外安心して口にすることができない子も多いのです」
ペルヴは大きく息を吸うと、それを深々と吐き出した。
少し前までは、息苦しさに喘ぐ豚のようだと揶揄さえしていたペルヴの吐息だ。だが、今のエミルにはそれが領民を真剣に憂える一人の人間に見えていた。
きっと、それが本当の姿だったのだろう。ペルヴ・ジエンは初めから、ありのままの姿でそこにいたのだ。血も繋がっていない子どもに食事を摂らせるためだけに、寿命さえも捨てて醜さを選べる男。
エミルにとって、人間は敵だ。だがそれを差し引いても、ペルヴは高潔な人間なのではないか?
だが間違いなく変態でもある。
どっちだ。どっちなのだ?
エミルはルージュに抱いた得体の知れなさを、ペルヴにも感じ始めていた。
「さて。これで私自身のことは大方語り終えましたでしょう。リアンも事を為し終えた頃合いですし、盛況でした此度の茶会もそろそろお開きですな。ですが最後に一つだけ」
「はい。なんでしょう」
「もし私でよろしければ、エミル君の身元の保証人として自薦させていただきたい」
ついでのような申し出だったが、エミルは今日、元々その話をしに来たことを今さらのように思い出した。
「いいんですか? ご存知の通りエミルは魔族で、竜王です」
「構いません。今回の一件のお礼……というよりも、勇者様は充分に信頼に足る人物だった。寧ろ私が名を貸すだけで勇者様の旅路が明るく照らされるというのならば幾らでも貸しましょう」
「ですって。どうします、エミル?」
ルージュはニカッと笑ってエミルを見た。悪戯っぽい笑みだった。なんとなく、照れ隠しという言葉がエミルの脳裏をよぎった。
エミルは改めてペルヴと向き合う。ついさっきまで、こんなヤツが親になるなど死んでもごめんだと思っていた。しかし今は、そうでもない。
無意識に姿勢を整え、エミルは言った。
「条件次第だ」
この後、エミルはペルヴに思いつく限りの質問を投げ、確認を取った。
そしてペルヴの申し出がエミルに、そしてルージュになんら不自由を与えないと確信するや、エミルは最終的にこれを受け入れた。
斯くして、エミルはゴードグレイス聖王国において新たにエミル・ジエン・エアーリアという名前と、ジエン侯爵家という後ろ盾を手に入れる。
尤も、これは名目上の名前だ。エミルはジエンを名乗らないし、魔王も、ルージュも、その名でエミルを呼ぶことはないだろう。
しかし意味は手に入れた。エミルはこれで、国王ギリエイム・ゼーイール・ゴードグレイスより提示されていた三つの条件をクリアしたことになる。
ギリエイムによって正式に承認された勇者ルージュ。そしてその従者たるアグニ、そしてエミルの旅は、長い停滞を経て再び動き出そうとしていた。
「ああ、それとエミル君。私は君のことを縛りはしないが、もし気が向いたらいつでも尋ねに来るといい。自らの意思で来る者を私は決して拒まない。家を挙げて歓迎するよ、私の息子。エミル君」
べろりと下品に舌舐めずりするペルヴに、エミルは言った。
「誰が行くかバーカ!」
@
「そうか。そういうことがあったのか」
その夜。
ルージュの客室内に、二人の男の影があった。痛快そうに笑うアグニと、どっと疲れた様子のエミルだ。
背筋を伸ばして座るアグニの対面で、エミルはぐったりとソファに全身を預けている。ずりずりと体が動いたせいで、盛大にローブの裾がめくれ上がっているが、それを見て鼻血を吹き出す少女の存在はここにはいない。
ルージュはいま、入浴中だ。彼女が浴場に向かう度に侍女に捕まり長湯になることを、エミルは経験則から知っていた。だからこそこうして無防備にだらけているのだが、アグニと二人きりになるたびエミルがだらけていると知ったら、ルージュはそれはそれで鼻血を出すに違いない。
「それで、ルージュ殿のことが分からなくなったと?」
「…………うん」
エミルはルージュの不在を見計らって、アグニに一つ相談を持ちかけていた。
ルージュのことについてだ。
今日。ルージュはエミルの目の前で、二人の変態の化けの皮を剥がしてみせた。クラウス・インマグエスは変態の皮を被った人間のクズで、ペルヴ・ジエンは変態の皮を被った領主だった。
ペルヴを養子縁組をしたことを、エミルは後悔していない。ペルヴは間違いなく変態だったが、その性癖は「来るもの拒まず」だ。エミルがそうと望まない限り、ペルヴは害にはならないだろう。
だが、この時にルージュに抱いた不信感は、未だもやもやとした感情となってエミルの心の痼りとなっていた。どうにも拭いきれなかったのである。
「今まで振り回されてきたけどさ。結局、ルージュってどういうヤツなんだ? 俺は最初アイツを殺す気でいたのに、アイツは俺と仲良くなるとか言い出して、無理やり従者だかにさせられてさ。死にたくなかったから従う気でいたら、今度はめちゃくちゃセクハラしてきてさ。それが嫌だって言ったら、あっちのほうから譲歩してきた。今日色々知っちまってすげー複雑な気分だけど、その時はコイツはもう嫌なことはしないんだと思ってちょっとホッとしたんだ。その後ニンゲンの町に行くことになって、すげー不安だったけど、結局アイツの言った通りになった。俺は死ななくてもよかったし、最近なんか、城の連中が菓子までくれるようになったし。
認めたくないけど、心のどこかでルージュのことをいいヤツなんじゃねーかって思い始めてたんだよ、俺。いいヤツ……ってのもなんか違うな。人界には俺の敵ばかりいるけど、初めて敵じゃないヤツを見つけた……っていうか。
だけど今日のルージュはやっぱりどうしようもないくらいに変態で、変態仲間相手にうんうん頷いてみせたかと思えば、急に手のひら返したみたいにばっさり裏切って捨てたりするし。なんかルージュはいい変態と悪い変態がいるみたいなこと言ってたけど、俺にはもうそれからしてわけわかんねーよ。いい変態ってなんだよ。変態は変態だろちくしょー」
「仮にも嫁入り前の娘を捕まえて変態と連呼するのもどうかと思うぞ。エミル」
「う……。悪い」
「うむ。つまり、なんだ。ルージュ殿がエミルの言ういいヤツなのか変態なのか、どっちなのか分からなくなったと。そういうことか?」
「オマエだって変態って言ってんじゃねーか!」
口を尖らせて怒るエミルに、アグニは優しく笑って言う。
「お前の気持ちは分かるぞ。エミル。オレもかつて、お前と似た悩みを抱いたことがある」
「アグニも?」
「ああ。ルージュ殿はかつて……いや、今もだな。ただの市井の町娘だったことは知っているか?」
「聞いてる」
「だが、ルージュ殿は勇者だ」
「…………うん。それで?」
「フ。エミルにはピンと来ないかもしれないが、オレにとってそれらは相反する存在だ。オレは騎士だ。騎士として、町娘であるルージュ殿を庇護し、守るべきなのか。それとも勇者であるルージュ殿に救いを求め、頼るべきなのか。
オレは未熟だったから、その答えをルージュ殿に求めた。ルージュ殿はこう言った。『それはどちらも私なのだ』と」
「どっちも……ルージュ」
唐突に、答えがもたらされた気がした。
エミルはのろのろと体を起こすと、アグニのように姿勢を正した。アグニはその様子を見届けるや、導く者として褒めるように一つ頷く。
「そうだ。そもそも、ルージュ殿は町娘や勇者である前に一人の人間だ。そこに白黒を求めたオレのほうが間違っていたのだ。考えてみれば当然のことなのに、ルージュ殿の持つ膨大な魔力と、勇者という肩書きがオレの判断を狂わせていた。ルージュ殿は、ルージュ殿だ。オレにとって彼女は誰よりも頼れる勇者であり、どこか放っておけない少女なのだ。
エミル。お前もよく考えてみるといい。確かにルージュ殿は時々尋常ではない量の鼻血を零す悪癖があるが、そのこととルージュ殿がお前の味方であるということに、何か関係があるのか?」
いや。ルージュの変態っぷりはそれどころではないのだが……。
思わずツッコミが口をついて出そうになるエミルだったが、それよりも早くエミルは思考の深みへと没頭していく。
思い起こせば、ルージュは徹頭徹尾正直だった。
主に欲望に対して。魔族は力こそ正義と考える脳筋氏族が多数派なのだが、そんな魔族から見てもびっくりの忠実っぷりである。欲望に対して。
ルージュはエミルと出会った時から、エミルのことを求めていた。それが中心であり、真実だった。ただルージュが変態で、色々自重しなかったためにエミルが拒絶反応を起こしていただけだ。
自分は魔族で、ルージュは人間だから。そういう壁がなかったと言えば嘘になる。ルージュが例え魔王でも、人間で勇者でもあるのだから信じられない。アグニはそれを白と黒だと言った。図星だった。エミルの拒絶の根底には、間違いなくその意識があったのだから。
だけどアグニと同じように、ルージュもまた人間や魔族といった白黒に惑わされない目を持っていたのだとしたら、ルージュの目からはエミルはいったい、どういう存在に見えたのだろう。
魔族の生き残りとしてだろうか。魔王軍の将としてだろうか。巨大な緑竜としてだろうか。それともただの少年? 笑えることに、これが一番有り得そうな気がする。
エミルは窓の外を見た。ルージュが出かけていってから、月はさほど動いてはいない。ルージュは長湯だ。それを見計らってアグニに相談を持ちかけたというのに、いまエミルは、ルージュが早く戻ってこないかと落ち着かない気分になっていた。
戻ってきたら、エミルはルージュに直接聞くと決めていた。
ルージュにとって、自分はいったいどういう存在なのかを。
予感だが、それを聞けばこの心のもやはきっとすっきりと晴れる気がする。
「ありがとう、アグニ」
「気にするな。エミル」
曇り一つない夜空の向こうで、今日も星空は爛々と輝いている。
エミルの夜は、これから長くなりそうだ。
何かとお待たせすることが多かった第三章ですが、書いてみたらキリがよかったのでいったんここで切ろうと思います。
笑いあり、変態ありのエミル回だった第三章、お楽しみいただけましたでしょうか。正直ここまで長くなるとは私も思いませんでした。
ていうか章タイトル変えようかな! ぶっちゃけ見切り発車で付けた感が否めません! シンプルに「エミル・エアーリア」とかでもいい気がするけどめっちゃネタバレするしなあ。何か名案募集です。
キャラクター紹介などを挟みつつ、物語は第四章へ進みます。
聖王国からの従者も決まり、いざ旅立ちの時を迎えたルージュ一行は思わぬトラブルに突き当たります。
果たしてルージュは魔物退治を無事に成し遂げられるのか。
人界行脚をすっ飛ばして魔界に行きたいルージュの望みは叶うのか。
私の仕事量はいったいどうなってしまうのか。
乞うご期待!




