お茶会に誘われました。
前回のあらすじ
エミルはアグニの竜になり、アグニは竜騎士になりました。
それはパレードが行われてから数日が経った、ある昼下がりのことでした。
「お茶会ですか?」
「ああ、お茶会だ」
一瞬聞き間違いかと思ったフレーズを、逆さまになったアグニが繰り返しました。
アグニが逆さまに映っているのは、何も天地が逆転したとか、天井に埋まったとかではありません。単に私がソファに仰向けになって、だらしなくも寝転がっているからです。
両手で掲げ持っていた本の合間から見えるのは、扉を開け放ったままの格好で佇むアグニの姿。相変わらず凛々しい顔立ちのイケメン騎士さまですが、今日はどこか少し硬い表情を浮かべています。
ちょっとだらしなさ過ぎたでしょうか。
燃えるような紅蓮の瞳は逆光の中にあっても強く輝き、整った美貌に力強い印象を与えています。
凛と佇むシルエットは一見すると細身に見えますが、それはアグニが長身だからそう見えるのだと私は知っています。
袖を捲れば、そこに垣間見えるのは彼が騎士として積み重ねてきた弛まぬ鍛錬の結実そのもの。薄皮一つに閉じ込めれたそれはさながら抑圧された獣のようで、ひとたび戦闘に入れば彼はその凄まじい膂力を解き放ち、私の背の丈よりも大きな両手剣を軽々と振り回すのです。
それはそうと、お茶会です。
お茶会というと、あれでしょうか。暇を持て余した貴族家のご令嬢たちが集い、美味しいお菓子やお茶を嗜みながら優雅かつ耽美に、そしてエレガントな言葉遣いと躍動感で世の青春を謳歌するという、アレ。
今でこそ勇者なんてやってますが、ほんの数ヶ月前まではただの一人の町娘だった私です。実際になれるかどうかはさておき、細くて繊細で麗しいお嬢様に憧れがなかったと言えば嘘になります。幼い頃は大人から聞いた貴族のお嬢様をイメージして、お友達と一緒にお茶会ごっこなる戯れに興じたことだってありました。
そう。あれは確かこんな感じで……。
『ごきげんよう! 今日はわたくしのおごりですわ! このお店で一番高いお茶とお菓子、そしてイケメン男子を持ってきなさい! あはははは! うぇーい!』
『どう? 今日はセレブらしく、大衆浴場の年間フリーパスを買いましたの! これからは毎日お風呂に入り放題よ! おーっほっほっほ! うぇーい!』
『おほん。注文よろしくて? ブタダイダブル、ヤサイニンニクアブラカラメで、ですわっ☆ おほほおほほほおほほのほ! うぇーい!』
『『『うぇーい!!!』』』
やめよう。なぜかは説明できないけれど、これは黒歴史な予感がする。
つまり何が言いたいかと言うと、私のイメージする貴族さまのお茶会というのは酒場で大いに歌って騒ぐ冒険者さんらの貴族バージョンだという認識がどうにも拭えないということです。
エイピアを出てから長く旅をして、私の中にあった優雅で耽美な貴族のイメージはだいぶ正しい方向に軌道修正された感がありますが、それでも知らない世界は寡聞にして存じ上げないというのが正直なところなのです。
そんな私がお茶会へのお誘いを受けたのだと、アグニは宣ったのです。
だらしなくソファに寝そべり、唇には齧りかけのお煎餅を挟んで、両手で本をがぱっと広げて読みながら、左足の指でぽりぽりと右のふくらはぎを掻いているこの私がお茶会。
小さい頃のお友達が聞いたら、きっと噴飯したと思います。
私は読みかけの本をぱたりと閉じてテーブルに置くと、片手をついてのそりと体を起こしました。
すっかり慣れてしまったソファの極上の肌触りを堪能しつつ、食べかけのお煎餅を口に放り込んでぱりぱりもぐもぐ飲み込むと、逆さまイケメンから普通のイケメンに戻ったアグニに聞きました。
「それは、どういったお茶会なんですか?」
「とあるサロンからの招待だ。ぜひ同席をと申し出たのは二名だが、どちらも貴族家の人間だ」
ですよねー。
これが、実はお風呂で仲良くなった侍女さんたちからの招待でしたー、とかであれば気持ちはすごく晴れやかだったんですが。
「そうですかあ。勇者になると、そういうお誘いとかもあるんですね。なんか私、そういうのってもっと遠い世界のお話なんだと思ってました。
その、お茶会ですか? これからもそういうお誘いって多くなっていくんでしょうか」
私は途端に憂鬱な気分になって、ため息を一つつきました。
正直言って、私は礼義やマナーが求められる催し物がちょっぴり……いやかなり苦手です。
陛下との謁見もそうでした。偉い人たちはみんな口を揃えたように「失礼がないようにすればいい」って言いますけど、じゃあ失礼になることとならないことの差ってなんなのでしょう。
私のお父さんとお母さんはお酒の善し悪しの見分け方や痴漢の撃退方法は教えてくれても、貴族社会で通用する礼儀作法は教えてはくれませんでしたし。
「いや。それはないだろう」
だけど私のそんな不安を、アグニはばっさりと一刀両断しました。
「何故ならば、一介の貴族が勇者を個人的に囲い込もうとする動きは通常は禁じられているからだ。茶会だ晩餐だと理由をつけて勇者と接点を持とうとする動きも当然これにあたる。せいぜい、公的な行事や式典で挨拶を交わすまでだろう」
「ああ、それでこの間は妙にたくさんの人に声をかけられたわけですね……」
この間というのは言わずもがな、例のパレードの日のことです。
私、すっかり油断してたんですよ。私はただ馬車の上で手だけ振っていればよくって、あとはにこにこ笑っていればいいんだって思ってたんですよね。
でもパレードの後って式典とかやるんですね。城門前広場でエミルが倒れてから城内の大広場まで連れて行かれて、もの凄い人数の貴族さまがたに挨拶されました。
お話の内容もさることながら、貴族さまのお名前って本当に無駄に長いですよね。それが何人も何人も続けて現れて、あんなの初見で覚えられるわけないですよ!
結局話の半分以上を聞き流したことを告白しながらそうアグニに愚痴ったら、なにか痛ましいものを見る目を向けられたあとに一つコツを教えてくれました。
『どうしても相手の名前が思い出せないときは、取りあえず閣下と呼んで誤摩化すんだ』
花形の騎士さまも色々と大変みたいです。
「あれ。じゃあ、なんで私がお茶会に呼ばれるんですか? それも貴族さまから。禁止されているんじゃ?」
「うむ。それはある事情から、陛下の承認が降りたからだ。君を招待した二人の貴族は同じサロンに属していて、そして君に同じ要件がある。より正確に言うと、君と、エミルにだ」
「! それって!」
「ああ」
アグニはどこか事務的な表情で頷きました。
「エミルの里親になってもよいと、そう申し出ている方々なのだ」
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魔王軍の竜王である魔族のエミルを、ゴードグレイス聖王国に属するエミル・エアーリアにする。
それはエミルを私の従者として正式に国に認めてもらうための最後の条件でした。
そのより具体的な内容は、ずばりエミルをこの国の貴族の養子に迎え入れてもらうこと。
かつて陛下は言いました。長年争い続けて来た魔族、それも竜王を信用して身分を保証しようとする貴族は酔狂であると。
普通なら、誰も引き受けようとはしないだろうとエイクエスさまも言っていました。それ故に、国として関与することはできないとも。何故なら王権を以てそれを命じるということは、誰か一人に責任をなすり付けようとすることと同義だからです。
ただ私個人が動くぶんには別なのだそうで、私がこの話を最初に聞いたときは、真っ先にレイラインの領主さまを思い浮かべたものです。
私の前ではいい領主でいると約束してくれた領主さまなら、きっと無茶の一つや二つ、三つや四つや五つやたくさんぐらい快く引き受けてくれるはず!
……と、そう思っていたのですが。
まさか私が何もしないうちから、エミルの里親になってもいいよ、なんて言ってくれる貴族さまが現れるとは思いませんでした。
「いったい、どんな方々なんですか?」
「一人はクラウス・インマグエスという。現インマグエス侯爵家当主の弟君にあたるお方で、軍人だ。聖王国軍の将軍なのだが、ルージュ殿は東門で会ったジィドを覚えているだろうか」
「はい。あの山賊みたいな人ですよね」
「ああ。一言で言えば、彼の上の上の、そのまた上官にあたる。貴族出の将官であるにも関わらず現場主義で、自らを鍛え抜くことに余念のない方でな。実に凄まじい肉体をしている。遠目からでも一目で分かるほどだ。時折城内で騎士たちに混ざって鍛錬している姿をお見かけすることもある。
もう一人はペルヴ・ジエン侯爵だ。ジエン侯爵家の現当主で、南方に広く豊かな領地を持っている領主だ。統治の手腕に優れ、領民の福祉に力を注いでいるらしく領民からの支持も厚いらしい。個人的に複数の孤児院も経営しているそうだ。そして、貴族らしいと言えばそれまでだが、クラウス閣下とは真逆の意味でまた実に凄まじい肉体をしているお方だ」
「はあ。とにかく、凄まじい体つきのお二人なんですね」
どうしよう。凄まじい体つき以外の特徴が全然頭に入ってこなかった。
それにしても、アグニが凄まじいって言うほどの体格っていったいどんななんでしょう。だってアグニだって結構鍛えてますよ。前に触らせてもらいましたけどすっごくかっちかちでした。
そのアグニがこうまで言うからには、そのクラウスという方はさぞや凄まじい体をしていらっしゃるのでしょう。
ペルヴという方も、真逆の意味で凄まじいってどういうことでしょうか。貴族らしいってことは、ふくよかな感じなんですかね? レイラインの領主さまも大概でしたけど、より一層だらしないわがままボディを持て余してるとか。
なんとなく私は、ありえないくらいムキムキな男性と、ありえないくらいぶくぶくに太った男性を並べて思い浮かべてみました。
出来上がった予想図は、確かに凄まじいシルエットをしていました。
「それにしても、お話を聞く限りだと凄まじい体形以外にまるで共通点が見いだせないんですけど……。どうしてまた、そんな方たちがいきなりエミルの親代わりになってもいいだなんて言い出したんでしょう? それも二人同時にだなんて」
そうぼんやりと疑問を口にした時でした。
それまで妙に事務的だったアグニの表情に陰りが差し、とても言い辛そうに言葉尻を濁したのです。
「……それなのだが、ルージュ殿。実はオレに一つ心当たりがある」
「どうしたんですか、急にそんな暗くなって。陛下の使者モードはもういいんですか?」
「……ああ。陛下には悪いが、ここからのオレは君の従者だ」
だけどアグニの逡巡は短く、すっと改めて顔を上げたアグニは決意に満ち溢れた顔をしていました。
「本来、オレは君を茶会に招待しなければならない立場だ。だが、まずこの茶会への招待は決して強制ではないこと。参加を断ることもできるし、会った上でエミルの親としてふさわしくないと思えば断ることだってできるということを覚えておいてほしい。陛下はエミルの問題が早期に片付くのならばと許可を出されたようだが……だがオレは、そうは思わない。
ルージュ殿。あの二人にはもう一つ、ある共通点がある。あまりよくない類いの噂話だ。根も葉もないと言ってしまえばそれまでなのだが……もし仮に真実だとするなら、彼らは人の親としては些か相応しくない」
それはアグニの立場を考えれば、あまりにも強すぎる断言でした。
アグニは陛下に仕える直属の近衛騎士です。その忠誠はあくまでも国王陛下に捧げているとはいえ、あのアグニが貴族に対してこうも悪しざまに、人の親として相応しくないとまで言わしめる噂とはいったいどのようなものなのでしょうか。
マチスモな将軍さまと、民に尽くす領主さまを結びつけるというよくない噂。
陛下の使者としてではなく、私の従者として改めてアグニが立った理由は、どうやらそこにありそうでした。
アグニの心配はよく分かりました。心の底からエミルを案じていることも。
そして私は、そんな不安を抱えるような人たちに、お茶会に呼ばれてるってことなんですよね……。
なんだか急に、ずっしりと疲労感がのしかかってくるようでした。
さっきとは違った意味で不安感に苛まれる私に、アグニは心の底から心配そうに言いました。
「ルージュ殿。もし彼らに会うつもりならば、必ず見極めが必要になるだろう。オレは君を心から信頼しているし、決断は君に委ねるつもりだ。だが……あえてオレ個人の感情で言わせてもらう。ルージュ殿。オレはエミルの身分を彼らに預けるのには反対だ。火のない所に、煙は立たないからな」
ごめんなさい、今回のお話は結構難産気味で文字数控えめです。
続きも4000字くらいは書けているのですが、推敲+αでキリのいいところまではもう暫くかかりそうなので分割して投稿します。
8/23追記:ブクマ300を越えました! ありがとうございます!




