女神の曲とエミル。
前回のあらすじ
ちょっといい話風にまとめて誤魔化してみたけどダメでした。
あとアグニのラッキースケベに鉄拳制裁しました。
急にテンションが下がった私を見て不穏がるエミルを連れて脱衣所を出ると、まだお仕事中だったツーマさんとばったり出会いました。
「あら、勇者様。いま上がられたんですね。お湯加減は……あら? 勇者様、少しのぼせられました?」
「ツーマさん……。いいえ、温泉は最高だったんですけど、その、お湯を張り替えてもらってもいいですか? アレがアレして、女神さまがチェンジだって言ってて……」
「あらあら、そうなの! ふふ、大丈夫ですよ勇者様。二人きりですもの。そういうこともあるわよね。だから勇者様、そんな顔をしないでくださいな」
私が恥ずかしそうにそう言うと、ツーマさんは明るい笑顔で快諾してくれました。
まだお仕事が残っているのに、面倒なお仕事を増やしてしまった私に文句一つ付けることなく、しかもこんな私を元気づけてくれさえしました。
女神トーラよりも女神らしい存在がそこにいました。
私には見えます。ツーマさんの背後から射す後光のような温かな光を。女神の魔法によって作られたパチモノではない、本物の後光のような何かを感じたのです!
こう、ぱぁぁぁっと照らすような何かをです!
「ああっ! 眩しいっ! ツーマさんの理解と包容力が眩しいよう! 直視できません!」
『待つのですルージュ! いま心の中で看過できない比較をしましたね!?』
『その眩しさはおまえの性根のやましさだ! なぜ直視できないのか、それをよく心に刻み付けておけ!』
抗議の声を上げる女神らしくない女神と突然お説教を始めた魔王らしくない魔王を無視して、私は先ほどあったことをツーマさんに話しました。
「ふむふむ。下着姿のまま忘れ物を取りにいったらアグニさんがそこにいて、思わず殴ってしまったのね?」
「はい。そうなんです……。アグニは悪くないんです。アグニはたまたまそこにいただけで、下着姿で転移しちゃった私が悪いのは当然なんですけれど、それ以前に三ヶ月もの間二人きりで旅をしておいて、下着姿を見られたくらいで思わず手が出てしまうのがなんだか凄く申し訳なくって……」
「勇者様。そんなことはありませんよ。だって女の子なんですもの。殿方に下着姿を見られて、ついカッとなって手が出ちゃうくらい全然普通よ!」
ぐっと両手を握りしめて、可愛らしい仕草でガッツポーズしてみせるツーマさん。
そして弾けるような笑顔で、それくらい普通なんだと、力強い言葉で許しを与えてくれるのです。
それがとっても嬉しくて安心できて、私は思わず自然と笑顔になっていました。
『流石、ついカッとなって実の夫を殴り殺した過去を持つ女は言うことが違うな』
『それにルージュ。あなたを普通にカテゴライズしては一般人に対して失礼です。あなたは勇者であり、選ばれし存在なのです。ええ、実に様々な意味でです』
『すみません。無駄に含みを持たせるのやめていただけますか……?』
様々な意味で台無しでした。
その一方でエミルは「えっ、マジで!?」みたいな顔でツーマさんを見ていました。
そういえばまだ事件のことを言っていませんでしたね。でも凝視はやめてあげてくださいね。それ、ツーマさんのみならず私の黒歴史でもあるんです。
女神と魔王、そして竜王から微妙な眼差しを向けられているとも知らないツーマさんは、マイペースに人差し指を顎に当てると、何やら思いついた様子でナナメ上を見ながら言いました。
「でもそうすると、勇者様、今日は王都のほうへは帰りづらいのではありませんか?」
図星でした。
「うっ……。はい。本当は、日帰りにするつもりだったんですけれど……」
ばつが悪い思いをしながら、ぽりぽりと頭を掻く私。
ちょっと看過できない問題があったとはいえ、恐れ多くも陛下との謁見を放り出して飛び出してきてしまった身の上です。
こうしてエミルを従者にした今、本当ならすぐにでも王城に戻って、陛下やエイクエスさま、そしてアグニに報告しなければなりません。
しなければならないんですけれども。
先ほどのアグニとのことを思い出すだけで、かぁと熱くなってしまう私のほっぺと耳。
つい反射的にアグニを殴り飛ばしてしまってから、まだそれほど時間が経っていません。
とてもじゃないけど今はまだ気まずくて、アグニに合わせる顔がありません……。
「だったら、せっかくですし今日は泊まっていかれたらいかがですか? 名案だわ! ね、そうしましょう勇者様! 今晩はお互い距離を置いて頭を冷やして、明日の朝にお戻りになればいいじゃありませんか!」
ぱちんと両手を叩いてはしゃぐツーマさん。その提案は確かにとっても魅力的でした。
ただ、一晩の間陛下をはじめとする王都の皆々様がたを待たせてしまうという点を除けば。
勇者としての責任。陛下たちの期待。アグニとの関係。私個人の感情。
様々な思いを秤に乗せて、私は少しだけうーんと悩んで、そして隣のエミルに言いました。
「……じゃあ、そうしちゃいましょっか? エミル」
「軽っ。オマエがいいなら別にいいけど……。あ、部屋は別にしろよな! 絶対だぞ!」
「嬉しいわ! めいっぱい、おもてなしするわね!」
ツーマさんの面に華やぐような極上の笑顔が咲きました。
こうして私の今晩の無断外泊が決定しました。
「とはいえ、外泊するってことはきちんとアグニたちに伝えておいたほうがいいですよね……。どうしましょう。……あっ、そうだ!」
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一方その頃王都では、二人の男が失踪したルージュの行方にやきもきしていた。
「宰相よ。勇者はまだ戻ってはおらんのか?」
「いえ。今のところ連絡は何も」
「そうか……」
言わずもがな、国王ギリエイムと宰相エイクエスの二人である。
『ギリエイム。そしてエイクエスよ。わたくしの声が聞こえますね?』
その時である。何か荘厳そうな音楽と共に、女神トーラの啓示が再びギリエイムたちのもとへ届いた。
「こっ! この声は女神か! またか!?」
「お聞かせください女神さま! いったい女神さまはどのような意図であの啓示を降されたのですか!」
ガタタッと椅子を倒して立ち上がる二人。
特にエイクエスからは尋常ではない必死さが醸し出されている。
無理もないだろう。猜疑心を己の信仰心で克服し、怪しさが爆発していた女神の啓示に従った結果、得られた結果が勇者の失踪とBL宰相の誹りとなれば誰だって平常心ではいられまい。
しかし女神は無情にもエイクエスの血を吐くような問いかけを華麗にスルー。
そして女神の言葉で告げられたものは、二人がまったく予期せぬものであった。
『勇者ルージュは今晩はこちらには戻りません』
「「……は?」」
男たちの声が綺麗にハモった。
『ルージュは現在ホワイトタブに滞在しています。今日はこのままこちらで一拍し、明日こちらに戻るつもりのようです。無断で外泊することをルージュは申し訳なく思っておりました』
「あ、ああ……その。女神よ。勇者は、怒ってはいなかったのだろうか?」
『いいえ。逆に謁見の途中で飛び出したことも申し訳なく思っておりましたよ。今晩こちらに戻れないのはもっと別の事情からです』
「そ、そうか。良かったと言っていいものか……」
『それともう一つ。ルージュは既に二人目の従者を決めました。明日ルージュと共にこちらに姿を現すでしょう。ギリエイム、そしてエイクエスよ、そのつもりで備えるように』
「なにっ!? もう見つけたというのか!?」
『以上です。聞こえましたね? ルージュからの伝言は確かに伝えました。従者アグニにもよろしく伝えるのですよ……』
「ああっ!? そ、それだけ!? 待ってくれ! 女神! 女神ぃーーーっ!!」
ほわんほわんとエコーを残して徐々に遠ざかっていく女神の声に手を伸ばすも、その手は空しく空を切ってしまう。
執務室に僅かばかりの沈黙が降りる。
そして。
「いま、勇者殿からの伝言、と言っていませんでしたか……?」
「いや、まさか……。それでは女神が、女神トーラがまるで伝令か何かのように遣われたかのようではないか。ハハ、そのようなバカなことがあるわけ……」
あるわけがない、と言い切ることはギリエイムにはできなかった。
当代の勇者、ルージュは常識の枠には収まらない。
彼女が何をしたっておかしくはないのだ。
ギリエイムは先日、ルージュと混浴しただけで光り輝いた侍女の変貌を目撃して、それを思い知ったばかりではないか。
ありえなくはない。
ありえなくはないのだ。
むしろ、あの破天荒極まりない勇者であればありえると考えてしまった二人は、ルージュに関して正しく理解を深めていると言えるだろう。
からからに乾いた喉に、ごくりと二人が同時に唾を送り込む。
いま二人の下に降されたのは、勇者の選別を知らせる以外に殆ど降されることのない、ありがたいありがたい女神から啓示のはずだった。
だが、それを受け取った栄誉を喜ぼうとする感情の動きは二人にはない。
素直に喜べるはずがない。
勇者の無断外泊を知らされたことよりもむしろ、間違いなく勇者の仕業であろう、その女神による啓示のあんまりにもあんまりな使い方に、二人の大人は揃って戦慄したのだった。
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ツーマさんの誘惑に乗って、今日はのんびりすると決めた私たちは、オールドウッドの外に出て夜風で体を冷ましていました。
「いい風が吹いてますね! 涼しくて気持ちいい!」
山頂から吹き付けてくる涼やかな風が、斜面を下るように吹き抜けていき、火照った体の熱を奪っていきます。
ざわざわと木々が揺れて奏でる音が耳にも心地いいですね。
眼下には、以前オールドウッドを訪れたときにツーマさんに教えてもらった最高の夜景が広がっています。
星空と人々の生活の灯りが境界線を失って一体となった、オールドウッド前から覗ける最高の絶景。
湯上がりにこの景色を眺めていると、いま私っ、最っ高に贅沢をしてる! って気持ちになれるんですよね。
私が束の間の贅沢を堪能する一方で、エミルもまた、静かに目の前の景色に心奪われているようでした。
たかが人界とこき下ろすことも、意地を張って目を逸らすようなこともせず、翡翠色の瞳に無数の星々を写しながら、ただただ立ち尽くしてこの光景に魅入っていました。
まるで何かを受け止めているようだと私は思いました。
湯上がりの火照りを冷ましながら、この夜景に魅入ることを私がこの上ない贅沢だと感じているように、エミルもまた、この目の前の光景を前に、真摯に受け止めなければならない何かを感じ取っているのかもしれません。
それがいったいなんなのかまでは、私には分かりませんけれども。
「山谷風だよ」
その時でした。エミルがぽつりと何かを言いました。
「え?」
「風の話。涼しくて、いい風だって言っただろ? こういう山間の地形だと、昼と夜とで風向きが変化するんだよ。
夜になると、冷えた空気が斜面に沿って降りてくるんだ。そう言う風を、山谷風って呼ぶんだよ」
そう呟いたエミルの横顔に、私は景色も忘れて思わず振り向いていました。
「なんだよ。オマエ、今すげーバカっぽいツラしてるぞ。せめて口閉じろよ」
「……いいえ。いいえ! ちょっぴり驚いて、それで……少し嬉しかっただけです!
そうですかあ! 山谷風っていうんですね! 私、知りませんでした! エミルは博識なんですね!」
「フン! 俺は緑竜族の竜王だぞ? このくらい知ってて当然だ」
エミルはさも不機嫌だぞと言わんばかりに、ぶっきらぼうに言いました。
だけど本人は気付いているのでしょうか。そう言うエミルの声からは、出会った時からずっと色濃く見せていた敵意の色が、いつの間にか薄れていることに。
『エミルよ、いったいどういう風の吹き回しだ? おまえのほうからルージュに話しかけるなど』
「いや、別に深い意味なんかねーんだけど……ただ」
「ただ?」
「ただ、この風は俺の故郷でも……エアーリア竜谷にも吹く風なんだ。緑竜族で、竜王の俺だから分かる。すげー似てるんだ。こうやって目を閉じれば、そこに故郷を感じられるくらいに。そう思ったら、なんだか急に目の前の景色が綺麗に見えてきてさ。おかしいよな。だって俺は魔族で、ここは人界なのに」
「だとすると、もしかしたら人界と魔界は、実は似ているのかもしれませんね」
私がそう言うと、エミルは「え?」と私を見上げました。
「私、前から思っていたんです。魔族であり元魔王であるバロールと出会ってもう三ヶ月以上になりますけれど、私たちの感性って実はもの凄く似ているんじゃないかなって。いい眺めの景色を見たり、気持ちのいい風を感じたりして、それをいいなって思う気持ちに人間も魔族もないんじゃないかなって」
「ニンゲンと俺たち魔族が、似ている?」
「バロールは私が美味しいなって思ったものを美味しいって言って食べてくれますし、私がちょっとこれはないなって思うような狩りをしているのを見て、胸糞悪いって表現したりしてたんです。たまに感覚がすれ違うときもありましたけれど、思い返すとそっちのほうがずっとずっと少ないんです。
はじめは、バロールが特別なのかもしれないとも思いました。今はもう私の魔力になってしまったバロールですから、どこか影響し合うものがあったのかもしれないって。
でも、今日出会ったばかりのエミルは違います。エミルは今、魔界と同じ風を人界で感じて、この景色を見て綺麗だと言ってくれました。私、それを聞いてすごく感動してるんです。だってそれって、私が魔界に行ったとき、魔族の皆さんが誇りにしているような風や景色、料理なんかを同じように素晴らしいって感じられるってことじゃないですか?
だからきっと、エミルはおかしくなんてなっていないんです。ただ気付いただけなんです。目を閉じず、耳を塞がず、その場で立ち止まらずに一歩前へと進みさえすれば、そこには新しい景色が広がっているんだってことに」
「俺は、おかしくなんかない……? いや、でも、そんなこと聞いたこともない! 俺たちとニンゲンは違うだろ? 種族も姿も考え方だって違う! 似てるだなんて、そんなこと今まで誰も言ってなかった!」
信じられないものを見たという表情で、一歩後ずさろうとするエミル。
だけど私はエミルの手を掴んで、その後ろ向きの一歩を止めました。
びくりと震えて、体を固くしてしまうエミルに対し、私は膝を落として目線を合わせると、エミルの両耳辺りに小さな魔法陣を作りました。
「エミル。今からエミルに聴いてほしいものがあります。……いきます。《B.G.M》」
聴かせたい人に、聴かせたい時に、聴かせたい音楽を届ける魔法を使って、エミルに届けるのは女神の曲。
かつてスライムに怯える私を救ってくれた、一歩前に進むことの偉大さを教えてくれる未開の森の音楽。
私の大好きな曲。
――♪
曲が始まって、その旋律が耳に届いたのでしょう。
エミルの目が、みるみるうちに見開かれていきました。
「音楽? 急に聞こえて……。なんか、すげーそわそわした気持ちになってくる。ルージュ。この曲はなんなんだ?」
「これは私のために、女神さまが贈ってくれた曲なんです。とっても素敵で、大きくて、私の大好きな曲なんです」
「あのクソ女神のっ!? くっ、じゃあこんな曲!」
「って言ったのは嘘で、実はバロールが口ずさんで教えてくれた曲なんです」
「えっ!? ええっ!? どっちなんだよ!?」
「誰が作ったかなんて、ちっとも重要じゃないと思いませんか? 私はエミルにこれを聴いて、そして教えてほしいんです。私が前に進むことを決めるきっかけになったこの曲を、私が大好きになった曲を聴いて、エミルがいったい何を思うのかを」
そう言って《B.G.M》の音量を上げると、エミルの瞳がだんだんと、焦点を失ってぼんやりと宙を漂い始めました。
きっと今、エミルは世界と二重写しになった森を見ているのでしょう。
深い深い森の中に響く木々のざわめきや川のせせらぎ、動物や魔物の鳴き声といった雑多な音が未知の楽器で表現され、そして見事に組み合わされた女神の音楽。
この曲を始めて聴いたとき、私は自分の中にある好奇心という名の扉が、もの凄い勢いでノックされるような感覚を得ました。
たった一歩を踏み出した先に、これだけの価値が溢れているんだということを教えてくれた曲でした。
どうして急にエミルにこの曲を聴いてほしくなったのか、自分でもよく分かりません。
人間と魔族が音楽に対しても、同じ感性を抱いているのかを確認したかったのでしょうか。
私の大好きなこの曲を聴いてもらって、私と同じ想いを抱いて欲しいと願ったからでしょうか。
それとも、今まで知らなかったことから一歩後ずさってしまったエミルに、次への一歩を踏み出してほしいと願ったからでしょうか。
この中のどれかである気がするし、どれでもあるような気もするし、どれでもないような気もする。
だけど一つ確かなことは、私はエミルに何かを感じてほしいと願っているということでした。
エミルはこの曲を聴いて、いったい何を想うのでしょうか。
やがて曲が終わり、エミルの耳元にあった魔法陣が溶けるように消えてゆきます。
エミルは最後までぼんやりと視線を彷徨わせたままで、最後に一つ、深いため息をつきました。それは感嘆のあまり思わず漏れてしまったというような、余韻を感じさせるため息でした。
私は逸る心を抑えつつ、しっかり十秒を心で数えて、エミルにこう訪ねました。
「それで、この曲はどうでしたか?」
エミルの肩がぴくりと動き、翡翠色の両目がぴたりと私を照準しました。
その後なぜかエミルはぷいと視線を逸らすと、拗ねたみたいな口ぶりでこう答えました。
「まぁ、悪くはなかったんじゃねーの」
カルドセプトリボルトがついに発売しましたね!
………………………………………………………大丈夫! 書いてますよ!!!!
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次回辺りでようやく王都に帰れる予定です。
さも意味深に名前だけ出てたあの人が新たに登場しますが、まあお察しの通りになるかと思います。お楽しみに。
 




