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エミルが子どもで、本当によかった。

前回のあらすじ


 エミルを温泉の中へと引きずり込みました。

 『バロールよりも好き』って言ってもらいました。

 とても興奮しました。

 

 何事も最初の一歩を踏み出すときといいますと、誰しも未知なる領域へと足を踏み出すことへの怖さのほうが先に立ってしまうもの。

 ですが勇気を振り絞り、えいやと最初の一歩を踏み出してさえしまえば、なんだ、こんなに簡単なことだったのか、と思わず笑ってしまうということもよくあることです。


 踏み出せなかった自分は過去になり、二歩目、三歩目のハードルは思っていたよりも低く感じる。

 最初の一歩の勢いのまま、どこまでも駆けていくことができるのです。


 そんな人の心の機微というのは、どうやら人間も魔族もあまり違いはないようで。

 いま私の目の前に立つ一人の魔族の少年は、最初の一歩を踏み出すことの難しさと、それに続く二歩目三歩目を容易(たやす)く感じているであろうことを、言葉と全身であますことなく私に伝えてくれていました。


 その少年の名前は、エミルと言いました。


 大浴場を出て脱衣所へと戻った後、いそいそと新しいタオルを用意してじりじりとエミルに忍び寄る私に、エミルは言いました。


「おい。その異様に柔らくてふわふわしたタオルはなんだ。反則級に水気を吸い取りそうな気がするタオルで俺に近づいて何をするつもりだ!

 自分で拭ける! 自分の体くらい自分で拭けるから! だから大人しくそのタオルを俺に渡せ! たのっ、くっ、ば、バロールよりも、オマエが好きだからあ!」


 大人しくタオルを奪われしょんぼりしつつも、しょうがないのでその場で中腰になって美少年の生着替えを堪能する構えの私に、エミルは続けて言いました。


「いやだからってガン見するなよ。近いよそもそも近いんだよ! つーかちったぁ隠れろよ! こんな堂々と着替えを覗かれるのは生まれて初めてだよ! ……おい何してる。やめろ。なんで頭の位置をゆっくりと下げる!? ローアングルから何を覗き込もうとしてんだ!? いいか!? オマエっ、もしその頭の位置を腰のタオルより下げっ、すっ、ストップ! 止まれ! 頼むから! バロールよりも好きだから! だからもっと離れてあっち向いてろよもぉおお!!」


 高級タオルをひしと抱きしめるエミルにしっしっと邪険に追い払われる私でしたが、しかし私は、とても満ち足りた気持ちでいっぱいでした。

 足取りは軽く、口元はにまにまと緩んでしまいます。目じりは無意識に垂れ下がり、心なしかてかてかと肌艶が増している気さえします。これはきっと温泉の効果だけではありませんね!

 私は自分の着替えの前で濡れたタオルを解きながら、うきうきとした気持ちで言いました。


「順調です……! まさかもう二回も言ってくれるなんて! エミルの順応がこんなに早いとは思いませんでした!」

『なんでだろうな。合い言葉を得てエミルはルージュから身を守る術を手に入れたはずだというのに、何故だか我には着々とエミルが飼い馴らされてしまっていっているように見える』

『ぶふっ……! ぷ、くくくっ。ひくっひくっ。ふふーはーすーはー。……いえ、気のせいでは?』

『言いたいことがあるならハッキリ言えやこの女狐がァ! あああ、嫌な予感がする! 不安だルージュ! ルージュぅ! おまえ、エミルは本当に大丈夫なのだろうな!? 何もしていないだろうな!? 我はおまえを信じると言ったぞ!? 魔王の信頼は重いのだぞ!? もしおまえがエミルに何かひどいことをしようものなら、我は、我はぁっ……!』

「ストップストップ! 大丈夫ですよバロール!」


 一方、魔王は落ち着きを失っていました。

 たぶん女神に煽られて、不安のあまり悪いほう悪いほうへと考えてしまったのでしょう。


 そんな魔王を安心させてあげるため、私は念話モードに切り替えると、意識して声を落ち着けて、なだめるようにして言いました。


『心配しなくても、エミルの一番はバロールですよ。あんなのただの合い言葉です。言ってるうちに『あれ? 俺ほんとにルージュのこと好き……かも』なーんて創作の世界でもありえませんから!』

『そういう心配をしているのではないわー!!!』

『それならなおのこと心配いりません。ほら見てみてください、あのエミルの表情を』


 私が後ろを振り向くと、私に背を向けながら先ほどのタオルを頭にかぶせてごしごししているエミルの後ろ姿が見えました。

 ふわふわと揺れるタオルの隙間からは、エミルの横顔がちらちらと見えています。

 その表情に浮かんでいるのは、不安でも怯えでもありませんでした。

 見間違えようのないその表情に、魔王は驚いたようでした。


『笑顔……? エミルが笑っているだと……?』

『たぶん、いまエミルはやっと安心できたんだと思います。なんだかんだ言ってもエミルはまだ子どもで、今までずっとあの寂しい島で一人ぼっちでした。だけど今日、エミルはバロールと再会できました。汚れが積もった体も綺麗さっぱりして、最後に心も守れるんだと知って』

『心だと? それはさっきの合い言葉のことか?』

『そうです。私はその言葉を聞いたら、それ以上は決して踏み入らないと約束しました。エミルはさっそく立て続けに使っていましたけれど、それは別に合い言葉の内容そのものに抵抗がないというわけではなくて、単純に私がそれを聞いて、本当に退くのかどうかを確かめていたんだと思います』

『ふむ。そしておまえは退いてみせた』

『大浴場の件と合わせるとこれで三回、私は約束を守りました。当然、これからも守るつもりでいます。

 ちょっと意地の悪い言葉を選んじゃいましたけど、単に私が趣味でそう言わせたってだけじゃなくて、私が本当に約束を守るつもりでいるんだと知って、エミルはようやく、ほっと一息つけたんじゃないでしょうか。

 でもそれは、今だけかもしれません。

 いくら私がそのつもりでも、エミルからすると私が明日も約束を守るとは限りません。明日はよくても、明後日は、その次の日は。

 エミルはたぶん、もう数日の間は『バロールよりも私が好き』って言ってくれると思います。だけど責めちゃだめですよ? これはエミルにとって、大事な大事な確認作業なんですから』

『そうなると分かっていて、敢えてその言葉を設定したのだろう? エミルを責める気はないが、おまえに思うところがまるでない訳ではないぞルージュよ』

『ま、まぁそれは置いておくとして。でですね。私はこれって、一つの信用にあたると思うんですよ。合い言葉さえ口にすれば、私はそれ以上嫌なことはしないんだっていう信用です。まだ出会ったばかりで、しかも勇者でもある私のことが信じられなくても、エミルはきっとその約束だけは信じようとしてくれるはずです』

『それを否定してしまえば、何のために我よりもおまえが好きだと言っているのか分からなくなるからか?』

『それもありますが、他にも色々です。エミルはまだそこまで深く考えていないみたいですけど、それも時間の問題だと思います』

『おまえ……やはりちょっと性格悪いぞ。まるで人の心を弄ぶクズで最低の変態みたいではないか』

『私だって別に悪気があってしてるわけじゃないですからね! ただ、これから一緒に旅をする仲になるわけですから、何一つ信用できない関係のままでいるよりは、たった一つでもお互いに信じられるものが必要なんじゃないかと思っただけです』


 そう言って、私は再びこっそりと後ろを振り返りました。

 そしてその試みは、エミルの横顔を見る限りでは、正解だったと思ってよいのではないかと私は思うのです。


『私はエミルと、もっと仲良くなりたいんです。

 私は二人が部屋に来るまで、何者でもないただの町娘だったけど、勇者になって、アグニと仲良くなれました。

 言いたいことを言い合えて、時々手が出ちゃうこともありますけれど、いざという時には頼って頼られて、肩や背中を預け合える関係になれたと思っています。

 私は、エミルともそうなりたいです』


 私がエミルをどう思っているのか、全部言いたい。伝えたい。

 私に対してエミルが思ったことを、全部聞きたい。伝えてほしい。


 私のことを知ってほしい。

 エミルのことを教えてほしい。


 痛みを感じるところは避けて、お互いの柔らかいところまで触れ合って、そうやって少しずつ手探りで仲を深めていく。


 私がやりたいことというのは、結局のところ、ただそれだけなんです。


『エミルはその内、無意識に『これくらいまでならいいかな』という線引きをすると思います。合い言葉を使うか使わないかという線引きです。そしてエミルがその本当の意味に気付いたとき、エミルはきっと、少しだけ私に心を開いてくれるんだと思います』

『……』


 そう言葉を締めくくった私に対して、魔王は何も言いませんでした。

 私の言葉を、魔王は自らの心で噛み砕いているのでしょう。


 そうして、私の心にひと時の静寂が訪れました。


 それはどこか暖かな静寂でした。

 誰かが言葉を切ったわけでも、押し黙ったからでもなく、そうなるべくして訪れた静寂。


 普段は口喧しい女神も魔王も言葉を発さない、久方ぶりのしじまの時。

 それをどこか心地よく感じながら、私はその間、体中の水滴をタオルに移すことに専念することにしました。

 頭から首。肩。胸。腕。背中。そして足。

 頭の先からつま先までをちょうど綺麗に拭き終えた頃、やっと魔王がぽつりと言いました。


『うむ。まぁ、今回のところは納得しておこう。おまえがエミルと仲を深めたいというのは本当のようだしな』

『はい! とりあえず、目下の目標としてはお姉ちゃんって呼ばせたいです!』

『呼んでほしい、ではなく呼ばせたいと言ってしまう辺りが我の不安を掻き立てるんだがなあ……。まあいいだろう。それよりルージュ。我は大筋のところは納得した。納得したのだが、気になっていることが一つだけある。聞かせろ』

『なんですか?』

『おまえ。例の合言葉を、何故風呂に入る前に(・・・・・・・)持ち出さなかったのだ?』

『……』

『おまえ。口ではエミルと仲良くなりたいだとか仲良くなりたいだとか耳当たりのよい言葉を抜かしておったが、わざわざエミルをひん剥いて裸の付き合いがしたいがために、わざと切り出すタイミングを選んで遅らせたな?』


 魔王の言葉は力強く、じっとりとした湿り気のようなものを帯びていました。

 そして確信に彩られていました。

 拭いたばかりの私の背中を、ツウと冷や汗が伝いました。


『……』


 ものすごい視線を感じました。

 まだ下着一枚も身に付けていない体のほうに……ではなく、心の内側から精神を覗き込まれているみたいな突き刺さるような視線でした。

 これはちょっと『バロールのえっち!』だなんて茶化す気にはとてもなれない、そんな視線でした。


『……』


 痛い! 魔王の沈黙が痛い!

 暖かだったはずの静寂は、いつの間にかぴりぴりとした緊張に支配されていました。

 止むことのない追求。

 それに耐えかねた私は、


『あはっ。やだなあ。そんなわけないじゃないですか。あの時偶然、たまたま思いついただけですよお』


 と言いながら、スッと目を逸らしました。


 魔王は深々とため息をつきました。

 我ながらバレバレだったかなと思いました。


  @


 それは私が下着を身につけたすぐ後のことでした。


「あれ? あれあれ?」

『どうしたのですかルージュ。何か探し物ですか?』

「はい。あのですね、お財布がないんです」

『なんだ。物盗りか? 高級宿と言いつつずいぶん物騒だな』

『駄犬を名乗るに相応しいあさはかな考えですね。わたくしの目を盗んでルージュの私物に狼藉を働くなど、わたくしが許すはずがありません』

「じゃあ、私のお財布はいったいどこへ行ったんでしょう? 結構入ってたのに……」


 無くなったと思うと、ちょっと半べそになってしまうような額です。


 私とアグニのパーティ資金のうち、大部分だった宝石類は東門でジィドさんに渡してしまいましたが、それでも通貨で残していたぶんだけでも間違いなくエイピアにいた頃よりだいぶお金持ちになっています。

 ちなみにですが、ジィドさんは預かってくれた宝石類のうち、東門前の暴走騒ぎに巻き込まれた商人さんたちにあてた補填の残りはしっかり教会に寄付してくれたことを女神が確認しています。なんでも現在は専属の人間が洗浄している最中だとかで、私たちの手元に戻ってくるまでにはもう暫く時間がかかるのだとか。

 洗浄というのがよく分かりませんでしたが、お金にうるさい女神くらいになると、金貨のちょっとした汚れも許せないのかもしれませんね。


 それはさておき、お財布の行方なのですが。


『王城の客室でしょう。ルージュ、あなたは謁見へ向かう際に貴重品を全て客室に置いてきているのではありませんか?』

「あっ。そういえば……」


 言われてみれば、そんなような気もしてきました。

 あの時は勢いで転移魔法で飛び出すだなんて想像もしてませんでしたから、『勇者の書』以外は全部部屋に置きっぱなしにしていたんでした。


 なんてことを考えている間にも、女神は私に割り当てられた客室を確認してくれたようでした。


『やはり客室で間違いありません。テーブルの上に置かれていますね』

「なんだか人界を見通す女神の瞳をこれ以上なくムダ使いした感が否めませんが、ありがとうございます女神さま! それじゃ私、さっそくちょっと取りに行ってきますね!」


 いやあ危ないところでした。このままお金持ってないなんてことになったら、無銭飲食ならぬ無銭混浴。オットーさんにもツーマさんにも会わせる顔がありません!

 お財布を忘れてしまったこんな時、覚えててよかった転移魔法!

 エミルが人界のお金なんて、持っているはずありませんしね。


 善は急げとばかりに、私はすぐさま転移魔法を発動させました。

 今回の範囲は私一人。転移先は私の客室の中です。そうですね……入口近く辺りにしておきましょうか。

 エミルはここに残して、こっそりぱぱっと回収しに行きます。


『えっ!? ちょっ、待つのです、ルージュ! そのかっこう……!』


 突然魔力の燐光に包まれる私に、女神が慌てた様子で何かを言っていましたが、その言葉が意味を結ぶよりも早く、転移魔法は完成しました。


 一瞬の浮遊感のあと、瞬時に入れ替わる空気と景色。

 硬いフローリングだった床からは一転、贅沢さを感じさせる柔らかな感触が足裏から伝わってきています。

 そして私の耳からは、すごく聴きなれた男性の声で、こんな呟きをしているのが聞こえてきました。


「うーむ。やはり東グレイブランドン通りを歩くならばルク鳥の串焼きだけは外せない……! しかしそうするとこの通りだけで肉が三件か……。重い。間違いなくこれは重い。しかしどれも外せん。間違いなく必殺の軌道なのに、全てを通ることができないとは、夜市というのは斯くも奥深いものだったのか……!!」


 何か拳を硬く握り締めて、ギリギリと歯がゆそうな顔で思い悩むアグニがそこにいました。


 アグニは見慣れた革鎧を身に付けて、テーブル前のソファに身を沈めながら、なにやら数枚のチラシのようなものをテーブル上に所狭しと広げていました。やや俯いたような姿勢で食い入るように、穴よ開けと言わんばかりの熱意でチラシを睨みつけています。もしかしたらラスタの森で三つ目狼と戦っていたときよりも真剣な表情だったかもしれません。

 謁見の間で見た時は、確かアグニは近衛騎士としての白銀鎧を着ていたはずでした。あれから私はすぐにレイライン辺境伯領まで転移したので、まだそれほど時間は経っていないはずです。アグニもお風呂に入って着替えたのでしょうか? 金属製の鎧ってなんか蒸れそうですし。


 着替えと考えて、はたと気付きました。

 そうだった。私も着替え中なんだった。

 しかも私、まだ下着しか着ていません。

 半裸です。しかも全裸寄りの半裸です。


 っていうかアグニ、なんでここに?

 いや、確かに私の客室というよりは、勇者のパーティに割り当てられてたみたいな雰囲気でしたし、いつも当たり前のようにアグニは入り浸っていましたから、別に不自然とかそういうわけではまったくないんですけど、でも今はちょっと困るというか、私はただお財布を取りにきただけで別にアグニに会いに来たというわけではないですし、そんなつもりではまったくありませんでしたし、というか今の私って完璧に痴女? アグニがいま顔を上げたら、色々全部見えちゃうじゃない!


 ぐるぐると目が回ってきました。


 果たして、私の目的だったお財布は確かにテーブルの上にありました。

 アグニが広げた無数のチラシのすぐ傍にちょこんと置かれていました。


 私、今からアレを取らなきゃいけないのか……。

 あんなの絶対に視界に入っちゃうじゃないですか……。


 それ以前に、少しでも動いて物音を立てたりすれば即気付かれてしまう今の状況。

 あれ? もしかしてこれ、詰んでません?


 どうあっても私が半裸でここにいることをアグニに気付かれるしかないこの状況。

 そんな私に必要なのは、覚悟を決めるための時間でした。

 大丈夫。ぶっちゃけた話、三ヶ月間も二人で旅をしていればこういうことの一つや二つは珍しくもなんともありません。同じたらいの水と手ぬぐいを使い回した仲なんです。

 思い返せばそういったアクシデントの後には必ず鉄拳制裁からの女神による回復魔法が組み合わさっていたような気はしますが、それも覚悟が不足してのこと。


 私はゆっくりと深呼吸をしました。音が漏れないようにゆっくりと。

 そして自分に言い聞かせました。

 大丈夫。今さら今さら。相手はアグニ。恥ずかしくない。

 何度も何度も言い聞かせようとしました。

 それは私が今の格好をアグニの目に晒すためには、どうしても絶対に必要な手順でした。


 そしてアグニが顔を上げたのは、まさにその途中だったんです。


「……そうか! 肉が重くて胃がもたれるのならば、何かサッパリとしたものを間に挟めばいいのではないか! うむ! 確か西グレイブランドン通りで美味い果汁を出す夜店があったはずだ。まずはここで飲み物を…………………………ッ!?!? る、る、ルージュ殿!? いつ戻ったのだ? それにその格好はいったい!?」

「いやあああああああああああああああっ!!」

「へぶぅっ!!!」


 気がつけば私の体は勝手に動いていました。

 足の指で的確にカーペットの繊維を捉えて瞬く間に距離を詰めると、ソファとテーブルの隙間から渾身の右ストレートを放っていました。

 くの字に折れ曲がるアグニの体は、しかしその直後に四肢を大の字に広げて恐ろしい勢いで回転し始めました。インパクトの瞬間に拳に加えたヒネリが生んだ人間風車。それが今のアグニでした。

 アグニはそのまま凄まじい勢いで飛んでいき、客室の大きな窓を芸術的な角度で突き破って中庭のほうへと落ちていきました。

 何か重たい物が落ちる音がしたその直後、王城に誰かの悲鳴が響きました。


 私は振り切った右手をゆっくりと引き戻し、残心の構えで思いました。

 また、やってしまいました。


「……女神さま」

『……わたくしは、止めましたからね?』

「……はい……」


 すぅと女神の気配が遠ざかると、やがてギュギュッと魔力が吸われた感覚がありました。女神の回復魔法のために使われたぶんの魔力です。それも結構な量でした。アグニの重症の具合が伺えました。


 気がつくと、粉々に吹き飛んだ窓の向こうの空は茜色に染まり始めていました。

 夕暮れ時の空でした。

 私がエイピアにいた時は、まだお日様は高かったのに。きっと私たちが温泉に浸かっている間に、いつの間にか日が落ちていたのでしょう。


 『勇者の書』との戦いの終わりから始まった、とても長く感じた今日という一日。

 その終わりを実感させるような見事な色合いの夕焼けを見て、女神と魔王が言いました。


『美しい夕日ですね。まるで青空という名のキャンバスにアグニの血を垂らしたかのようです』

『見事な夕焼けだな。まるで夜空にアグニという名の贄の血を思い切りぶち撒けたかのようだ』

「こんな時に息を合わせるのやめてくださいよう!」


 私はうわぁんと泣き出しながら、ひったくるようにしてテーブルの上のお財布を握り締めると、逃げるように再度転移魔法を発動させました。

 転移は何事もなく完了しました。

 後に残されたのは無残に粉砕された窓枠。

 そして拳を振りぬいた勢いで生まれた風に吹き散らかされてしまった、無数のチラシたちでした。



 そうして脱衣所に戻ったものの、落ち込んだ様子を見せる私に魔王がぽつりと言いました。


『まぁなんだ。肉を食い歩くのならば、間にリンゴの果汁でも摂るのが良いだろう。あれは消化を助ける働きがあるのだ。果汁に絞らなければ大根やキャベツなども良いだろう』

「……うん。ありがとうバロール。すっごく役立ちそうだしありがたい情報なんですけど、すみません、今は少しだけ放っておいてください……」


 珍しく沈んだ様子の私を見ながら、魔王はこの時こんなことを考えていたそうです。


(そうだな……。よく考えてみれば、エミルがもっと大人だったらあの男のように日常的に殴られていたかもしれんのか……。我は女狐のような回復手段はないからな……。よ、よかった。エミルが子どもで本当によかった……。辱めを受けている最中は心が痛んだが、あのような目に遭うよりは数倍マシだろうな……)


 結構切実に、こんなことを考えていたそうです。

後半はカットも視野に入れていましたが、やはり入れることにしました。

サービスシーンは入れられるときに入れておかないと次いつになるか分かんないですもんね。


全裸に剥かれて辱めを受けるエミルを見て、内心複雑な思いを抱えていた魔王ですが、ルージュにぶん殴られるアグニを見てほんのちょっぴり考えを改める回でした。


あ、気がついたら700pt越えておりました!

数話前からだったような気がします! ありがとうございます!

今後ともよろしくお願いいたします。

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