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湖岸にて、女神と魔王と。

前回のあらすじ


 王都では、国王と宰相が新たな謀略を企んでいました。

 

 辺境の町エイピアの近郊にある、見渡す限りに広がる大きな湖、オムアン湖。


 そのほとりに、一匹の子犬の姿がありました。


 その子犬は背の低い私でも抱きかかえられる大きさで、それはそれは艶やかで見事な黒色の毛並みをしていました。

 ころころとしていて、撫でればきっとふかふかでふわふわ。そんな愛らしい子犬でした。


 子犬は前足が水に触れるか触れないかという場所に座り込んでいました。

 つぶらで潤んだ二つの瞳は、じっと正面を見据えています。

 対岸の木々が麦の粒よりも小さく見える、大きな大きなオムアン湖。

 その中央にぽっかりと浮かぶ、小さな島を見据えています。


 その島は、魔王軍最後の生き残りである竜王が篭城しているという曰くつきの島。

 上空に留まり続ける分厚い雲は竜王の力によって張り巡らされた雲の結界にして、今ここに、確かに竜王が存在するのだという証左でもありました。


『……おぐっ』


 その雲の下、小さな島の上には半壊した館がありました。


 つい三ヶ月前、某勇者兼魔王の手によって古びた館から半壊した館に進化を遂げた、竜王が潜んでいたといわれる曰くつきの館。

 およそこの世にある建物の中で、あの館ほどに半壊という言葉が似合う建物はないでしょう。

 なにせその館ときたら、まるで巨大な包丁を振り下ろされたみたいに、島ごと綺麗に半分に切り取られてしまっているのですから。


『おぐっ、うぐっ、ひぐっ』


 半分はそのまま残り、もう半分は湖の藻屑と沈んでしまった湖上の島。

 人の気配なんて感じられない、半壊したままの古びた館。

 だけどその上に浮かぶ雲を見ながら、その子犬は千切れんばかりに小さな尻尾をぶんぶんぶわぶわと力いっぱいに振りながら、力の限り、叫んでいました。


『うおっ、おぉおおおぉんっ! ルージュっ! おぉん! ふぐぅうううっ! るっ、ルージュぅぅぅっ! あうっ、はぁう、うぐっ、うぅうううう! はぁぁぐぅぅっ! ルージュっ! ルージュぅっ! おぉっ、ぉおおおおおんおんおんおん……!!』


 それは魔王バロールが久しく見せる、なりふり構わない大号泣でした。


  @


 私の目的が竜王であると魔王が気付いたのは、なんと私がオムアン湖のほとりに転移してきた直後でした。


 私が謁見の間で陛下を相手に吹っ切れモードで啖呵を切っていたときは、何が面白いのか女神を指差さんばかりに大爆笑。

 私が領主さまのお屋敷でちょいおこ魔王モードで釘を刺していたときは、「ようやく魔王の貫禄がついてきたな」とか言いながらうんうん頷く物知り顔の雰囲気。

 察しの悪かった魔王が『ん?』ってなったのはエドモンドさんのお屋敷で船を話題に出した頃で、次にエドモンドさんが竜王の名前を口にした時は『まさか……おい、まさか……』な状態。


 なんとなく面白くなってきたので魔王をスルーしてオムアン湖に転移したところで、魔王の涙腺が崩壊しました。


「っていうかバロール、いい加減私の名前を連呼して泣き叫ぶのやめません? もの凄く、もの凄くいま人聞きが悪い感じになってますよ! やめて!」

『はぐう、ふぐう、うう、ルージュうぅううううおんおんおん!!』

「ダメだこの人話聞いてない!」

『人ではありませんよルージュ。それは薄汚れた犬です。駄犬です。決して愛らしい見た目に騙されてはなりません』

「すみません女神さま。今はその辺、割と切実にどうでもいいです」


 まぁ実際のところ、バロールの慟哭も「こいつ、直接脳内に……!」状態なので私と女神以外には聞こえないんですけどね。気分の問題です気分の。


『それはさておき、ルージュ。本当に魔族を従者に迎え入れるつもりなのですか? あの島にいるのは紛れもなく竜王。前回の戦争において人類の側に多数の死者を生んだ、罪深き魔族なのですよ』

「事実に基づいたっぽいご指摘ありがとうございます女神さま。そう聞かされると私も思うところがないでもないんですけれど、今回は一つ、偏見を抜きにして直接お話したいと思っておりまして」


 なんせバロール以外の魔族の方と直接お話をする始めてのチャンスです。

 魔界についてのあれこれだとか、私が魔王って魔族的にはぶっちゃけどうなのとか、色々ナマのご意見が聞けそうではありませんか?


『わたくしにはとても話が通じるとは思えません。あなたは人族で、相手は魔族。しかも竜種です。ルージュ、あなたは竜の言葉が話せるのですか?』

「大丈夫ですよう。そこはほら、いざとなったら通訳にバロールがいますし。それにバロールが話せるんだから、竜王だってきっと共通語でお話ができるって気がしませんか?」

『ルージュよ。胸に手を当ててよく考えるのです。あなたは、いきなり自分を館ごと叩き切ろうとした人物と、進んでニコニコと会話しようだなどと思えますか?』

「……どうしよう女神さま。私なんだか急速に自信がなくなってきました」


 そんな会話をしていると、やがて魔王がぽてぽてと歩いてきました。


『あー、なんか思いっきり叫んだらスッキリした。魔力の体になっても、泣き喚けば案外スッキリするものなのだな。面白いな。……ん? どうしたルージュ、そんなに眉根を寄せて深刻そうな顔をして。まるで憂慮する令嬢のようで気持ち悪いぞ大丈夫か?』

「しっつれいな! 人が魔族(あなた)たちのことで思い悩んでるっていうのに!」

『ああすまん。なんだかスッキリしすぎて普段オブラートで包んでる部分がだだ漏れになってしまったらしい』

「素だとそんなこと考えてたんですか!? 正直者であることが無条件に美徳だと思ったら大間違いですよ! おすわり!!」


 魔王はしゅばばっと機敏な動きでおすわりしました。

 なんというノリノリ。

 さては魔王。いまとても、機嫌がいいですね?


『冗談はさておきだ。ルージュ! ついに、ついにエミルを迎えに行く時が来たのだな!』

「そうそう! そんな名前でしたよね! そうです、竜王エミルさんに会いに来たんですよ」

『チッ殺し損ねたか! 待ってろ今からトドメを刺してやるぜ! みたいなアレではないのだな!』

「そんなバイオレンスなアレではないです! 襲ったり殺したりはしません! ただ一言謝って、よしんば従者に勧誘するだけです」

『そうかあ! そっかあ!』


 嬉しそうにぶんぶんと尻尾を振り回す魔王に、私は言い聞かせるようにして言いました。



 竜王エミルさんに一言謝りに行く。

 それは私が魔王から竜王の生存を聞かされた時に、いつか絶対にしようと思っていたことです。


 私と竜王の関係は、一言で言えば加害者と被害者。

 勇者兼魔王のパワーを見誤り、全力でスライムを斬ろうとした私の一撃にうっかり巻き込まれてしまった竜王。

 遥か遠くで島ごとまっぷたつになったお屋敷が湖に沈んでいくのを見て「あはっ♪」なんて言ってしまった私ですが、その後に響いた魔王の絶叫を聞いて「やっちゃった」なんて思ったものです。


 初対面どころか、出会う前からうっかりで命を奪いかけるだなんて普通ならばどん引きレベル。謝って許されることではありません。

 それに相手は魔族です。人間とはそもそも敵対関係であるのだし、これが私でなければ、そもそも謝るだなんて発想がおかしいと言われてしまうかもしれません。


 だけど、私は勇者兼魔王。

 私の体にたっぷり詰まった膨大な魔力の半分は、魔王のマガマガしさからできています。


 もしかしたら天秤が傾いて、私が魔王になっちゃうこともあるかもしれないのだし、いくらその気がなかった、うっかりだった、事故みたいなものだったとしても、私の軽率な行いによって竜王が脅かされてしまったのは事実です。

 であれば一度出向いて、頭を下げるのが筋でしょう。

 お父さんも言っていました。荒くれ冒険者たちを相手取った暴力沙汰だらけのこの商売、通すべき筋は通さないと未来はないって。


 それに魔王とも約束しました。人界での用事を済ませたら、いつかここに戻ってこようって。

 いつか必ずと思っていた日が、たまたま今日、この日だった。これはただ、それだけのことなのです。


 さて。

 そんな訳で竜王エミルさんにごめんなさいするのは私の中では規定事項だったのですが、私にはもう一つ、隠していた野望がありました。

 そうなったらいいなと思っていたけど、きっと無理だと諦めていて、でも陛下の思わぬ一言によって実現する可能性が芽生えた、小さくて大きな私の野望。



 竜王に、私の旅についてきてもらうことはできないだろうかと。



 だってほら。

 竜王ですよ?

 フセオテさまやアグニが大苦戦したという強大な魔族、竜王。


 そんなの絶対強いじゃないですか。

 頼もしいとかそういうレベルを遥かに超越してるじゃないですか。


 もはや私が体質レベルで向いてない魔物討伐系の依頼とか、アグニ一人に任せるしかないこの現状。

 それをもし竜王が手伝ってくれたなら、なんだそんなことで悩んでたのかとバカらしくなるに違いありません。

 それにアグニが言ってましたけど、竜王って普通の竜よりも一回り大きいんですよね確か。めっちゃ力とか強そうだし、きっと臨時日雇い系の力仕事とか絶対余裕のはず。


 あと、私を乗せて空とか飛んでくれそう。

 だって竜ですもの。そんなの絶対空飛ぶじゃないですか!

 しかも風とか嵐で有名な竜王ですよ! そんなのもう飛ばないほうが不自然!


 それに意思疎通ができる魔族の竜王だったら、私が魔力垂れ流しで背中に乗っても逃げなさそうじゃないですか。

 私、魔力を漏らすたびにデルタの背中に緊張が漲るの地味に傷ついてたんですよね。

 そのデルタだって私を王都に連れていってくれた途端に倒れてしまいましたし、これ以上、無理はさせたくありません。

 でもそうすると、私とアグニは徒歩移動に逆戻りです。


 はぁーあ。

 どこかに魔王のおどろおどろしい魔力を気にせず私を背中に乗せてくれて、しかも空とか飛べる子いないかなぁー。


 なーんて思っていた、その時。

 その時だったのですよ、陛下が私に向かって従者が足らないなんて言ったのは!

 天啓ですよね!


『いまおまえ、脳内でエミルの事を馬車馬か何かのようにこき下ろしていなかったか?』

「やだなあそんなわけないじゃないですか」

『そうか?』


 そうです。


『まあいい。我としてもエミルを連れていきたくない訳ではないからな。寧ろ望外の喜びだ! だが、エミルは手強いぞ』

「手強い? 私別に戦いにいくつもりはないんですけど」

『そうではない。あいつはな、生粋のニンゲン嫌いなのだ』


 魔王は後ろ足で首の後ろを掻きながら、困ったように言いました。


『それも相当なレベルだ。無論我も説得には協力するし、ルージュが魔王にならなくては魔界が滅ぶという事情も含めて言葉を尽くすつもりだが、それでも正直なところ、エミルが素直におまえの従者になることを受け入れられるかどうか分からぬ』

「つまり、私のことを未来の魔王じゃなくって、毛嫌いしてる人間として見ちゃうってことですか?」


 私は魔王をなでりなでりしながら言いました。


『まぁそんなものだ。ニンゲンが魔王になるなど、前代未聞のことだしな。

 もともと竜族というはそういう傾向(ニンゲンぎらい)の者が多いのだ。好戦的であるが故に、肉親を戦争で失った者も多い。特に緑竜の里は閉鎖的な空間の中でニンゲンの恐ろしさを煮詰めるような教育をしているからな。並大抵のことではエミルの心は動かせまい』

「心ですか」


 その時、私の心にピンと閃きが過ぎりました。


「つまり、私はエミルさんの心を動かしてあげればいいんですね?」

『ん? まぁそうなるのだが、嫌に自信満々だな』

「ええ! 大丈夫です! 私に任せてください! 閃きました。私に秘策があります」


 私が胸を張ってそう宣言すると、なぜか魔王は嫌そうに顔をしかめました。なにそのリアクション傷つく。


『秘策だと? いったいどうするつもりだ?』

「おやおや。もしかして魔王バロールともあろうお方が、この私がいったい何者なのかをお忘れですか?」

『魔王だろう?』

『勇者ですよね』

「しまった。こういう人たちだった。えっと、元! 元がつくほうです! さあなんだったでしょう!」

『町娘だろう?』

『今も町娘には違いありませんが』

「歌姫! うーたーひーめ!!」


 私は魔力を全開にして胸を叩きました。ドンドンという乙女にあるまじき凄い音がしてちょっと後悔しました。


「二人ともちょっとひどくないですか! 私はこれでも元酒場の歌姫! アイドルですよアイドル! 常連さんたちに大人気の! 二人とも、勇者だの魔王だのになる前の私に興味なさすぎなんじゃありません!?」

『ちなみにその常連冒険者たちですが、統計ではルージュの歌がどうというよりはどちらかというと身内びいきの感情が強いようですね。昔は小さかったルージュが、今や冒険者連中のセクハラを片っ端から叩き落としながら高らかに歌い上げる姿に、立派になったなとほろりと来るそうですよ』

「いらない! そういう情報はいらない! できれば一生いらなかったです女神さま!」

『それと、面と向かっては言えないけれど甘々なラブソングは酒の空気に合わないので勘弁してほしいという印象が多く』

「やめてよ!! もう二度とお店で歌えなくなりそうだよ!!」

『まあそれはいいとしてだ。で、つまり何が言いたいのだ? おまえが歌姫だと、どうなるのだ?』


 個人的には全然よくないのですが、それはさておき言いました。

 さも当然のように言いました。


「どうなるってそりゃあ、人の心を動かすと言ったら、歌に決まってるじゃないですか」


 という私の言葉に、女神と魔王の反応は、


『『……はぁ』』


 なんと奇しくも珍しく、あまり嬉しくない方向で一致していたのでした。


「えっ、ちょっと待ってください。何その反応。納得できません。バロールはともかく女神さま! なんですかその生返事っぽい反応は! 女神さまだって歌で私の心を動かしたじゃないですか! まさにこの場所で!」

『え? ああ、そうですねルージュ。戦士に勇気を与えるのは、いつだって愛と音楽。ええ、わたくしもそう思いますよ』

「でしょ? そーでしょう?」

『しかしルージュ。それはあくまで心を動かすものであって、定常的な心変わりを促すようなものではありません。例えば恐怖心を抑えて心の奥底に燻る勇気に力を与えるものであったり、立ち上がれないほどの悲しみを和らげるようなものであったり、喜びや楽しさを膨らませて盛り上げるようなものです。それも多くの場合、それは一時的なものです』

『この女狐の肩を持つようで癪だが、魔界でも似たようなものだぞルージュよ。魔界の場合はもっとこう、暴力的で反社会的で退廃的でノーフューチャーな感じの騒がしい音楽が主流だが』

『プッ。未開の蛮族にはお似合いですね』

『なんだとゴルァ!』

「音楽に貴賎はありませんよ! どんな音楽にだって源流と文化が……違う! そういうことが言いたいのではなくてですね、いいですか、音楽にはですね、ちゃんと人を変える力が」

『ええ、ルージュ。わたくしはあなたが何を言いたいのか、分かっているつもりですよ。まずはやってみるのがよいのではないのですか』

「あの」

『そうだな。まずはやってみせよルージュ。そうでなくてはおまえも納得せんだろう』

「ちょっと」

『ほれ行くぞルージュよ。あの船であろう? どれ、この我が器用にも前足を駆使してロープを(かい)らんしてやろう』

『ちゃっちゃと乗ってちゃっちゃと渡りましょう。そして用事を済ませて早く王都へ戻るのです、ルージュよ』

「だから、そうやってちょっと生暖かい感じの姿勢で見守ろうとするのやめてよ!!!」


 こうして、私はちょっと釈然としないものを抱えながらも、係留していた船に乗って、湖上の島へと向かったのでした。


 なお、余談ですが。


『ルージュ! ルージュ! 今すぐオールを手放せ! もはや前に進むとかそういうレベルじゃあないぞ!』

『いったいどういう漕ぎ方をすれば、船がその場で高速回転し始めるのですか!?』

「知りませんよ! だいたいこんなのは勇者とか魔王の過剰な魔力のせいじゃな…………うぷっ」

『『ルーーーージュ!?』』


 船は少しだけ大きくなって犬かきする魔王に、後ろから押してもらいました。

 私、この体質がなんとかなっても二度と船なんか漕ぎません。絶対に。

 ……うぷっ。

台詞多め。


あ、600pt越えてました! ありがとうございまっす!

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