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女神さまは見ている。

前回のあらすじ


 イケメンBL騎士の代わりにアグニを取り上げられそうになったルージュは、覚えたての転移魔法を使って王城から逃げ出しました。

 

 リエリアの一帯を治めるレイライン辺境伯ことダグルス・レイラインはその日とても機嫌が良かった。

 ダグルスはこの日、実に三ヶ月振りに馬に触れることに成功したのだ。


「いやあっ、馬というのは実に良いなあっ! なあ、オースティン! お前もそう思わないかね!?」

「勿論でございますとも、旦那様」

「馬というのはあれだなあっ! 暖かい! そう! 実に暖かいなああれはっ! お前もそう思わないかね!?」

「勿論でございますとも、旦那様」


 樽のような腹をたゆませながら、るんるんとスキップさえしてみせる領主ダグルスに執事が追従する。

 彼らはリエリアの町中にある厩で愛馬とふれあい、たったいま屋敷へと帰って来たところだった。


 貴族が馬に触れる。

 それは一見すると何の物珍しさもないありふれた行為のように見えるが、ことダグルス・レイラインに限り、それは違う。


 何故ならダグルスは、三ヶ月前に起きた勇者騒動の際、心に深い傷を負っていたからだ。


 ダグルスの心に容易に癒すことの出来ない傷を与えた人物の名はアグニという。

 国王ギリエイムの使者にして、先代勇者フセオテのパーティメンバー。

 そしてダグルスにとっては、忌むべき呪われたスキル『騎乗』を持った人物として記憶されている。


 ダグルスの心の傷。それは馬恐怖症。

 ダグルスはアグニが一切自重せずに駆った馬に乗せられて以降、馬そのものに対して強い恐怖心を感じる体にされてしまったのだった。


「長かった。実に長かったなあ、オースティン。お前もそう思わないかね?」

「勿論でございますとも。このオースティン、この日を一日千秋の思いでお待ちしておりました」


 しみじみと過去を振り返るダグルスと執事オースティン。

 彼の目端には綺麗な雫が一粒浮かんでいた。

 レイライン家の跡継ぎとして、格の高い貴族として、苛烈な貴族社会を強く生き抜いてきた彼をして、そうさせるだけの苦労がこの三ヶ月にはあったのだ。

 馬に触れるどころか間近に迫っただけで失禁、嘔吐してしまうほどの障害を、たった三ヶ月でここまで克服したダグルスの信念は、賞賛されこそすれ、貶められるものでは決してないだろう。


「私がこんな苦労をしたのも、全てはあの女勇者と騎士のせいだ! こうして思い返しただけでも腹が立ってくる!」


 それを思い出したのだろう。ダグルスは器用にも、上機嫌そうに笑いながらも口汚く勇者を罵るという荒技をこなしてみせている。

 この場にいない人間を陰で貶める恥ずべき行為だが、彼が馬への愛と、勇者、そして騎士への強い憎しみの感情で過酷のリハビリを耐え抜いてきたのだと思えば、それも致し方ないと言えよう。


 そもそもダグルスは初めから、勇者ルージュに対してはまったく良い印象を持つことが出来なかった。


 勇者ルージュが馬に乗れないから。たったそれだけの理由でアグニがリエリアに『送還』され、その結果ダグルスは心に深い傷を負うハメになった。

 肝心の勇者ルージュはひどく天然なのか、初対面の領主ダグルスをアルコール中毒者呼ばわり。

 極めつけは目の前で湖を割る、小領主エドモンドの屋敷を拳で粉砕するなどの暴力をチラつかせ、本来まったくダグルスが負担する必要のなかった勇者の実家の修繕費や宴会費を支払わされた挙げ句、大切にしていた馬を一頭譲り渡す約束までさせられたのだ。

 更には部下の前で失禁までさせられている。


 快挙に暇がないとはまさにこの事であろう。

 だが驚くべきことにそれだけではない。


 付け加えるとしたら、ここが辺境であると言う点が挙げられるだろう。

 辺境ということは、つまりそれだけ流通が少なく、娯楽もまた少ないと言うことを意味する。

 レイライン辺境伯として辺境暮らしを強いられる立場のダグルスにとって、娯楽の欠如は死活問題だ。そんな中、得意の乗馬と遠駆けという掛け替えのない趣味を奪われたダグルスの心境がいかほどのものであったか、推して知るべしであろう。

 ダグルスは、なんとしてでも再び馬に乗りたかった。この心の傷(トラウマ)を放置するなどという選択肢はなかった。その結果が三ヶ月間以上に及ぶ厳しいリハビリの毎日であった。それでもまだ、馬に触れても崩れ落ちずに済むという程度。愛馬の背に乗り、再び体で風を切ることができるようになるのは果たして何ヶ月後か、それとも何年後か。

 なんと可哀想な男であるのかダグルス。


 なお、ここで更に重要な事実を挙げるとするならば、ダグルスがこのような目に遭うに至った背景において彼自身は何一つとして悪くない。

 ただルージュが生まれ育ったレイライン辺境伯領の領主だったというだけである。

 潔白であった。

 完全なる無実だった。

 とばっちりも良いところであった。


 それもこれも全て、ルージュと関わってしまったばっかりに起きたことだった。


「おのれ許さん……! 絶対に許さんぞ勇者ルージュ! お前が、お前が勇者なんぞに選ばれなければこんなことにはならんかったのだ!」


 ギリギリと歯を鳴らすダグルス。

 ダグルスは今、真っ当な怒りに燃えていた。


 だがいくらダグルスが貴族であり、勇者にどれほど憤ったとしても、勇者本人に仇なすことなど出来はしない。何故ならその行為は出来る出来ない以前の問題として、巡りめくって人界そのものを、ひいては己自身を滅ぼすことに繋がるからだ。

 同様に、ルージュ自身の周辺に手を出すことも出来ない。もしも家族に手を出そうものなら、勇者にバレれば死あるのみ。魔王すらも滅ぼす力が万が一にも己に向かうようなことがあってはならない。歴代勇者の大切な者に手を出した愚かな貴族たちがどういう末路を辿ってきたかは、ゴードグレイス聖王国に限らず各国貴族の教本となっている。

 ではどうするか。

 勇者の没後を待てばよいのだ。

 勇者は死ぬ。それも極めて短期間の内に死ぬ。少なくともダグルスは自分が生まれてからこれまでの間、女神に選ばれた勇者が二年以上生き延びた例を知らない。

 勇者は人界最強の存在であるが不死ではない。そう遠くないうちに必ず死ぬのだ。世のため人のために、魔王と相打ちになって死ぬ。そうして死んだが最後、ダグルスの復讐を阻む者はいなくなる。

 やりたい放題となる。


「二年だ……! 二年経ったら、お前の大事な酒場にあらん限りの嫌がらせをしてやる! 領主をアル中呼ばわりするような酒場が、いつまでも真っ当に商売を続けられるだなどと思うなよ! これは正当な復讐だ! お前から何もかも奪い尽くしてやるぞ! ハハハ! ハハハハハ!」


 辺境伯という割には復讐のスケールが小物臭いダグルスであったが、彼としては甘美な妄想だったのだろう。

 やがてダグルスは堰を切ったように笑い出した。


 素晴らしい未来を夢想して、たぷんたぷんと腹を弾ませながら、狂ったように笑う。笑う。

 それは断じて夢物語ではない。いつか必ず実現する、極めて堅実な目標だった。ダグルスは己の復讐が近い将来必ず成ることを確信していた。

 この屈辱と心の傷を払拭する日は遠くないはずだった。

 明るい未来を祝福していた。

 そう。ダグルスはこの日、とても機嫌が良かったのだ。



 いまこの瞬間までは。



「へぇ」



 ゾクリ


 急激に肌が粟立つ感覚。

 それと同時に、まるで標本に留めるように、背筋を無数の氷の支柱が刺し貫いたかのような強烈な寒気をダグルスは感じた。

 空気が反転した。


「領主さまは、そんなことを考えていたんですかあ」


 底冷えするような微笑みを連想させる、恐ろしい女の声によって。


「ひっ!? だっ、誰だ!? そこにいるのは!?」


 突然の声に怯えるダグルスが、声の方向へと目を向ける。

 するとそこに、何者かが立っていた。


 夕日の中にあってなお、血のような色に輝く鮮やかな赤髪だった。

 半袖から覗くのは、少しだけ日に焼けた肌。

 大きなベルトで留められた、ちょっと大きめだが丈夫な作りの男物のボトムス。

 頑丈そうなブーツ。

 背は低かった。

 にんまりと笑っていた。

 ただ目だけが笑っていなかった。



 そんな女が通路の先の角で、体を半分だけ覗かせて立っていた。



「ホッ!? ほぎゃあぁぁぁあーーーーーっ!!」


 あまりの恐怖に、ダグルスは甲高い悲鳴を上げた!


 ダグルスはその女に見覚えがあった。

 忘れもしない。その女は、無実のダグルスに深い心の傷(トラウマ)を植え付けた関係者にして張本人。

 何ヶ月も前に王都へと向かい、もうこの町からはいなくなったはずの、ましてやこの屋敷には絶対に居てはならないはずの人物。


 勇者ルージュその人であった……。


「ゆ、ゆ、ゆ、勇者っ、ルージュぅぅぅぅ!? ど、どうしてここにぃぃっ!?」

「お久しぶりです領主さま。あの後無事に王都ディアカレスまで辿り着きまして、私、無事に転移魔法を習得することができました」

「てんい、まほう……?」

「私、一度来たことのある場所なら、どこにだって移動できるようになったんですよ。だから私、領主さまに一言お礼を言いに来たんです。リエリアの町では大変お世話になりましたから。ね、執事さん?」


 そう笑いかけられた執事オースティンは勿論、当時リエリアの町にいなかったダグルスもまた、半ば強制的に思い出させられる。

 ルージュは一度、ダグルスの屋敷を訪れている。

 他ならぬダグルス自身が許可を出し、執事オースティンがこの屋敷の中を案内したのだ。ラスタの森に現れた三つ目狼のボスを倒すという、その依頼を達成させるために。

 特にオースティンは、ルージュと共にこの通路を歩いたことを鮮明に思い出していた。

 ルージュに割り当てた部屋はあの角の向こう側にあった。


 その事実と、ルージュが転移魔法を覚えたという事実。

 これ以上なく強力に結びついた二つの事実の意味するところは明白であった。


 そう。勇者の覚える転移魔法とは、室内で発動すると天井に頭をぶつけるような不便な魔法ではない。

 文字通りの転移。つまり、室内から室内への移動も可能なのだ。


 ルージュは王都から直接ダグルスの屋敷へと転移したのだ。

 それが真実だった。


 なお、当然ながら本来、例え勇者であろうと他人の屋敷の中に無断で転移するなど決して褒められた行為ではない。実に弁えていない、非常識な行為であると言えよう。

 だが残念なことに、幼い頃から粗暴な冒険者たちに囲まれて育ったルージュは、他の辺境の娘の水準と比べてもなお非常識なきらいがあった。

 ましてやルージュの側にいるのは女神と魔王という殊更非常識な存在である。常識など身に付くはずもない。

 転移魔法習得の後、ドタバタに乗じて国王ギリエイムや宰相エイクエスから細かい注意を受ける前に飛んでしまったのも良くなかった。


 一言で言えば、ダグルスはついていなかった。

 たったそれだけの理由で、ダグルスの復讐の望みは潰えたのだ。

 辺境伯という身分でありながら実にもっていない(・・・・・・)男。

 それがダグルス・レイラインであった。


 震える二人を前に、にっこりと微笑んでいるルージュであったが、相変わらず通路の角に隠れて半分だけである。

 何故半分隠れているのか。もう半分は笑っているのか。果たしてツッコんでいいものなのか。ダグルスもオースティンも気が気ではなかった。

 一つ対応を間違えれば、直ちに命に別状がありそうな気がする。

 二人はいま、ルージュ以上に微妙な立ち位置に立たされていた。


「で、では、勇者ルージュよ。い、い、い、い、いつから、そこに……?」


 それはある意味、ダグラスの運命を決定づける質問と言えたかもしれない。

 だが事態を進めるためには、避けては通れない道でもある。


 もし。もしルージュがたった今転移してきたばかりならば。

 殆ど何も聞いていなかったとすれば、誤摩化しようがあるかもしれない。


 ごくりと生唾を飲み込むダグルス。

 気分は最後の審判である。

 ダグルスは心の中で何度も女神に祈りながら、通路の先のルージュを見た。

 通路の壁から覗くルージュの口元が、にこりと吊り上がった。


「私がこんな苦労をしたのも、全てはあの女勇者と騎士のせいだー! の辺りからです」

「ほぼ最初からやないかぁーーーーいっ!」


 気がつけばダグルスは被っていた帽子をフローリングに叩き付けていた。

 振り切った絶望感がダグルスの平常心を粉みじんに打ち砕いた瞬間であった。


「おおおオースティーン! 助けてくれオースティーン!」


 もうどうにでもなーれ! といった心持ちのアヘ顔一歩手前のダグルスではあったが、流石に命は惜しかったようだ。

 ダグルスは泣きわめきながら、やせ衰えた老人の背中へと回って縋り付いた。まるで肥えた子どもである。

 だが情けないと思うなかれ。

 オースティンはダグルスに長年仕えた老齢の執事であったが、同時にダグルスの懐刀、元Bランク冒険者オースティン・ソリッドでもあった。

 かつての二つ名《巌のような(ソリッド)》が示した鋼の肉体は、確かに今や衰え、見る影もなくなってしまっている。だが過去に鍛えたレベルと歴戦の戦士としての勝負勘、そして洞察力は本物だ。

 年老いた今でなお、間違いなくこのリエリアの町の住人の中では一番強い。そういう人物である。


 ダグルスの命を受け、オースティンの瞳に光が灯る。

 それは戦士の目であった。老練な執事オースティンから、熟達の戦士オースティン・ソリッドへと変化した男の目。


 オースティン・ソリッドの目が改めてルージュの姿を捉える。

 姿形はどこにでもいそうな町娘のそれ。

 ただし膨大な魔力を纏っている。それも以前見たような灰色の魔力ではなく、ドス黒く変色しているのは何故だろうか。

 更に不思議なことに、ルージュは後光を纏っていた。謎の光源から発せられる温かな光がルージュを包み込んでいた。それは単体で見れば天使か何かかと見まごうほどの神聖さを放っていたが、ルージュ自身の表情から放たれる異様な迫力とドス黒い魔力と組み合わさることでえも言われぬカオスを形成していた。

 オースティンはこの異様な光景の背後にある、女神トーラの涙ぐましい努力を知らない。留まるところを知らない勇者ルージュの魔王化を危惧した女神が、精一杯ルージュのイメージアップを図っていたのだ。なんと健気なのだろう。惜しむべきはその努力はダグルスにもオースティンにもまったく伝わっていない点か。


 温かな後光とドス黒い魔力が織りなす不思議なハーモニー。

 それを見たオースティンはやがて一つ頷くとこう言った。


「謝りましょう旦那様。あの勇者様、マジで何をしてくるか分かりませんので」

「オースティンっ!?」


 オースティンの事実上の降伏宣言であった。

 心から信頼する腹心に裏切られた。そんな心細そうな顔をするダグルスであったが、だがもしダグルスの命に従い、ルージュに襲いかかるような真似をすれば、果たして二人はどうなっていただろうか。

 きっとロクでもない未来が訪れていたに違いない。

 オースティンの勝負勘は正しく作用したと言えるだろう。

 オースティンは変わらぬ忠誠心を持ってダグルスを見つめ返した。


 ルージュが声をかけたのは、そんな折だった。


「領主さま」

「はっ、はいぃぃ!!」

「二年後……でしたっけ。私の実家は、嫌がらせに遭うんですか?」

「あっ、いや、遭わない! 遭わないぞ! 遭いません!」

「真っ当な商売を続けられますか?」

「続けられますうっ! 勿論ですうっ! 商売繁盛間違いありませんんっ!」

「私から何かを奪ったりしますか? 正当な復讐なんですよね?」

「滅相もありませんんん! 魔が差したんですうう! わっ、私がっ、私が悪かったああああっ! すっ、すっ、すみませんでしたああああっ!!」


 ダグルスはその場に跪くや両手を地につけ、肩よりも低い位置へと額を下ろした。

 土下座であった。

 それも非の打ち所のない土下座であった。

 上位貴族としての矜持など微塵も感じられない、清々しいまでの土下座がそこにあった。

 オースティンも主に倣った。隣のダグルスに比べれば、形だけ真似たかのような無骨な土下座であった。だがそれが、余計にダグルスの土下座を引き立てた。


 そんな二人を、ルージュは暫くの間じっと眺めた。

 やがてルージュは言った。


「もういいですよ、領主さま。お顔を上げてください」


 ぴくりと体を震わせるダグルス。ゆっくりと、ゆっくりと顔を上げてゆく。

 ルージュはいつの間にか、ダグルスのすぐ目の前にあった。ルージュもまた、ダグルスの前に膝をついていた。

 それでもゆっくりと顔を上げていく。

 ルージュの顔が見えた。

 その表情は穏やかに見えた。

 あれほどドス黒かった魔力も灰色に戻っている。

 強風のようだった威圧感も今は感じられない。

 ただ、ルージュから発せられる温かな後光だけが残っていた。


 もしかして、という想いがダグルスの胸中に広がってゆく。

 ダグルスに満たされていた絶望が、とてつもない勢いで反転してゆく。

 麻薬のような希望。

 そして目の前の勇者ルージュは、それを肯定するかのように微笑んでいた。


 許されたのだ。

 自分は許されたのだ!


 ダグルスはとてつもない幸福感を感じた。世界がチカチカと輝くようだった。気付けばダグルスは失禁していた。だが、些細なことだった。


「私が元々領主さまのお屋敷を訪れたのは、一つお願いしたいことがあったからなんです」

「なんだっ! 何でも言ってくれ、勇者ルージュっ!」

「船を貸していただきたいんです。私、どうしても今から行きたい場所があるんです」

「船? 船か……残念ながらこの町にはない。川も湖も近くはないからだ。だがエイピアの町にならあるだろう。私の名を出していい。エイピアまで直接行って、小領主のエドモンドから借り受けてほしい。それでよいか、勇者ルージュ」

「はい! ありがとうございます、領主さま!」

「いやいや! なに! それより、他に何か頼み事はないか? 何でも聞くぞ!? 何でも言ってくれ!」

「え? いや、うーん。そうですねえ。本当にお願いは一つだけだったんですけど。あっ。それじゃあ、これからもいい領主さまで居てくださいね」

「勿論だ! 約束しよう! 私は誰よりもいい領主になるぞ! ふはっ! ふははははっ!」


 笑い始めたら止まらなかった。ダグルスは涙を流しながら笑っていた。こんなにも嬉しいと思えたのは初めてだった。

 生きているって素晴らしい! 明日が来るって素晴らしい!

 ダグルスは笑いながら命を謳歌した。


「それじゃあ私、もう行きますね。突然お邪魔しちゃってすみませんでした」

「またいつでも来てくれ! 私は歓迎するぞ! なあ、オースティン! お前もそう思わないかね!?」

「勿論でございますとも、旦那様」

「あ、そうそう」


 すっくと立ち上がったルージュを、膝立ちの姿勢で見上げたダグルスとオースティン。


「私、二年後も生きてると思いますよ」

「えっ?」


 その時、ダグルスの目には、ルージュの瞳からフッとハイライトが消えたように見えた。


「それどころか、私、三年後も四年後も生きてます。その後もずっと生きてます。魔王と相打ちになんかなりません。賭けたっていいです」

「な、なにを」

「私が死んでからあれこれするつもりなら、それでもいいです。私は頑張って長生きします。どんな手を使ってでも(・・・・・・・・・・)、私は領主さまよりも後に死にます。だから」


 ルージュの表情は、女神の後光のせいでよく見えなかった。

 だがダグルスは、そこに死よりも遥かに恐ろしい何かを見た。



「私が生きている間だけでも……いい領主さまで、居てくださいね?

 いつだって、女神さまは私たちのことを見ているんですから……」



 ダグルスの世界は三度(みたび)反転した。

 ダグルスの喉から迸ったあらん限りの大絶叫は、リエリアの町の端から端まで届いた。



  @


 ダグルスが目を覚ました時、既にルージュの姿はなかった。

 気がつけば日はとっぷりと落ちていた。オースティンによれば、眠っていた時間はそう長くはなかったらしい。


 心底震えるような思いをし、最終的には極めて不幸な目にあったダグルスではあったが、次の日、一つだけいい事があった。

 なんとダグルスは、馬に乗ることが出来たのだ。

 念願だったトラウマの克服。それを見事成し遂げたダグルス・レイライン辺境伯はこう語る。


「勇者に比べれば、馬など怖くもなんともない。私はそのことに気付いたのだ。オースティン、私はもう二度と勇者には会わんぞ。次は顔を見ただけで失禁してしまいそうな気がする。酒場への手出しもなしだ。むしろ全力で支援するぞ。例えレイライン家が没落しても、あの酒場だけは死守しろと遺言状に書く」


 股間を押さえてぷるぷると震える哀れな主人に、執事オースティンは神妙に頷いて返したという。


第一章で悲惨な目にあった領主ダグルスさん。

いったい彼が何をしたというのか…!

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