乗車拒否されました。
前回のあらすじ
人々に私が勇者だってことがバレました。
新たな勇者を選抜したとする女神の啓示は、人界に大きな衝撃を与えた。
今回与えられた女神の啓示は、色々な意味で問題だった。
例えば日の出の頃と言えば、太陽と共に寝起きする農民や平民たちにとっては早朝を意味するが、そうでない者もいる。
例えばゴードグレイス聖王国第四十六代国王、ギリエイム・ゼーイール・ゴードグレイスなどもそうだ。
王族としてこの世に生を受けてからそう短くはない時を生きてきた彼だが、女神の啓示によって問答無用で叩き起こされるという経験をしたのは初めてだ。
勇者の選抜を知らせる女神の啓示は、選ばれた勇者の身分の保障、そして人類へのアナウンスという意味合いが強いが、それに対して最も意欲的に動くべき各国指導者たちへの配慮は常にあった。
要するに、寝ている所に冷や水を浴びせるような女神の啓示など前代未聞だった訳である。
そして問題はそれだけではなかった。
「では、これより今回の勇者選抜における我が国の対応を協議する」
国王の声が室内に重く響く。会議室のような部屋だった。長く大きいテーブルを囲うように並ぶ三十近い椅子は全て埋まっており、誰もが一様に瞼の重みを感じている。
女神の啓示に叩き起こされ、そして速やかに王城に集められた王国の重鎮達だ。
「まずは今の状況を説明してもらおう。エイブラムス卿」
「はっ」
ギリエイムの名指しを受け、一人が書類を手に立ち上がる。
「今朝未明、新たな勇者を選抜したとする女神トーラ様の啓示が与えられました。その勇者の名はエイピアのルージュ。名前から推察するに女性。そしてこの人物に関する詳細は、今のところ掴めておりません」
「掴めていない?」
「そのエイピアというのは、我が国の領内の町ではないのか?」
「はい。エイピアは我が国の貴族、レイライン辺境伯領内にある比較的小さな町です。同名の地名は他に確認できておりませんので、今回の勇者は我が国から選抜されたことになります」
「それ自体は非常に喜ばしいことだが、肝心のルージュというのはいったい何者だね」
「それは……」
「それ以前に」
エイブラムスの言葉をギリエイムが切る。
「この中で、エイピアのルージュという人物を知っている者はおるか?」
誰もが沈黙で答える。
「現地、または周辺でのみ有名な騎士、あるいは冒険者という可能性は?」
「昨年度に辺境伯から提出された名簿を洗ったのですが、エイピアの駐留騎士団に該当する名前はなく、また冒険者ギルドにも問い合わせましたが、ルージュという名の冒険者の登録はありませんでした」
「つまり、どこの誰かも分からん小娘ということかね」
「それが突然勇者だと?」
「前代未聞だ!」
「エイブラムス卿の調査に問題があったのでは?」
「ジエン侯爵、今なんと?」
「そこまでだ」
無様な言い争いを始める家臣に頭痛を覚えるギリエイム。
しかし、荒れる家臣たちの気持ちもまた、ギリエイムはよく分かるのだ。
これまでの勇者の選別とは「ああ、やはりあいつだったか」で済むものであり、その身元が問題になることなど一度もなかったのだから。
しかし、何事にも例外というものがある。
「前代未聞と言うが、過去一度だけ例がある。その男は誰からも知られていなかったにも関わらず、勇者としての使命を抱き、魔王を打ち倒した前例を作った」
「陛下……そのような者がおりましたでしょうか?」
「初代勇者だ」
誰もが息を呑んだ。
「五百年前、地上に始めて姿を現した女神トーラ様は、当時の我が国の王都に降り立ち、たまたまその場に居合わせた一人の少年に祝福を与えた。それまで剣を握ったことすらなかった少年は、世界で初めて魔界への遠征を果たし、その力を振るい、見事魔王を討ち取った。前例はあるのだ。慌てる必要はない」
ギリエイムは静まり返った室内を見渡し、言った。
「状況は聞いての通りだ。新たな勇者ルージュは我がゴードグレイス聖王国から選ばれたは良いが、初代勇者と同様、それがどのような人物なのか今は誰も知らない。年齢もレベルも人格も不明。性別さえも確かではないとすれば、我が国としてはまずこれを早急に調べなくてはならない」
「左様ですな」
「早急にレイライン辺境伯に使者を出しましょう」
「いや、卿も愚か者ではない。今頃は既に勇者の確保に向けて動き出しているはずだ」
ギリエイムに方向性を与えられ、家臣たちがあれこれと議論を進めていく。
彼らは決して無能ではない。
「前例があるとは言え、今回のケースは非常に特殊だと私は考えます。女神トーラ様が選ばれたからには間違いなく相応の実力を持っているとは考えられますが、我が国としてもその力量と適性は事前に測る必要があるかと」
「ふむ。確かにその通りだ」
「使者とレイライン辺境伯には、新たな勇者の資質を見極めてもらう必要があるな」
「そうなると、使者の人選も重要になりますね」
やがて家臣らは一つの人名を挙げる。
「アグニはどうでしょう」
「アグニしかおるまい。あやつは先代勇者のパーティメンバーだ。勇者の能力については知見があろう」
「だが、彼はフセオテ殿に心酔していたと聞く。彼の評価は色眼鏡を通した物にならないか?」
「あれも最初からそうだった訳ではあるまいよ。フセオテ殿が手懐けたに等しい。であれば、あれを差し向ければルージュ殿の徳が試されるというものだ」
「では」
「ふむ」
ギリエイムは大きく頷いた。
「近衛騎士団のアグニを使者として送り、勇者ルージュの適性を測らせることとする。
場合によってはアグニにはそのまま勇者ルージュに同行させ、王都ディアカレスへ護送する任に就かせる。
さて、レイライン辺境伯はいま何処におるのだったか」
「今は領内の自邸に戻っております」
「確かリエリアだったな。エイピアまで何日の距離だ」
「馬車で三日ほどです」
「うむ。リエリアへは余の『送還』で送り届ける。
早急にアグニに旅装を整えさせ、王城に召還し、レイライン辺境伯に会うよう伝えよ。レイライン辺境伯に届ける書状を用意しておけ」
「はっ」
慌しく動き始める家臣たちを横目に、ギリエイムは小さく息を吐いた。
その目には押し隠された憂いがあった。
ギリエイムにとって勇者とは戦う者の事であり、魔王を討たせるための駒であり、平和のための礎である。
兵士が、騎士が、冒険者が勇者に選ばれ、それを使うことに憂いはない。現に歴代の勇者たちはいずれも勝るとも劣らない戦士たちだった。世のため人のために命を捧げ、英雄たらんとする英傑ばかりであった。
だが、今回選ばれたルージュは、恐らく戦いを知らないただの平民だ。
無名の平民であり、そして恐らく女であるルージュという人物が勇者に選ばれた事が、ギリエイムを憂鬱な気分にさせていた。
実はギリエイムはルージュの実力、素質については不安を覚えていない。
なにせ女神が選んだのだ。それは信頼に足る。
しかしその人格までは、もしかしたら女神の考えの埒外なのではないか?
果たしてルージュという女は、命を賭してまで魔王を討たんとする使命感を持つことができるだろうか?
人として、それを強いることなどできない。
だが王としては、それを強いねばならない。
そして自主的にせよ、強要されたにせよ、無辜なる平民だったルージュという女は魔族との戦争の最前線へと送られ、そして死ぬのだ。
「女神の行いとはいえ、残酷なものだ。せめて国として、彼女にできる限りことをしてやらねば」
ギリエイムは一人、心の底で深く懺悔する。
それがまったくの要らぬ心配であることをギリエイムが知るのは、暫く先のことである。
と、その時。
『追伸。新たな勇者ルージュは馬車に乗れません。近寄った馬が悉く逃げ出しています。くれぐれもルージュを呼びつけてはなりません。何らか移動手段を講じた上で、エイピアまで迎えに行くように。人の感情に鈍感な馬などがいれば、それを薦めます』
という声が、ゴードグレイス聖王国首脳陣にピンポイントで届けられた。
宿屋に泊まる際、食事とお湯を追加注文するくらいの気軽さで発せられた女神の啓示は、再び彼らを唖然とさせたのだった。
「ルージュとは、いったい何者なのだ!?」
@
はい。
どうもこんにちは。勇者兼魔王をやることになりましたルージュです。
「おまえ、本当に勇者になっちまったのかァ!?」
「だから言ったろうアンタ! この子はいつかやるときゃあやる子なんだよ!」
「にしたっておまえ限度ってモンがあるだろ!?」
突然ですがどうしましょう。
私はいま、実家の酒場にいます。
幾つもある椅子の一つに腰掛けて、溢れる灰色の魔力をそのままに、ただただぼうっと座っています。
酒場の中には灰色魔力ショックから立ち直ったお父さんとお母さんがいて、今度は勇者ショックに見舞われています。
「おまえそれ、大丈夫なのか? 痛かったり疲れたりとかねえか!?」
「うん、痛くないし、平気」
「しかしなんでまた、アンタみたいなのが勇者になんて選ばれちまったんだい?」
「なんか見込みあるって言われて」
「そうだねえ。それにしても凄い魔力だねえ。コレアンタもともと持ってたのかい?」
「分かんないけど、そうじゃないと思う」
「なあ母ちゃん! 俺ァこういうとき、いったいどうすりゃあいいんだァ!?」
「うっさいね! アンタ大黒柱なんだから、ちったぁどっしり構えてみたらどうだい!」
「でもよう!」
お父さんとお母さんのパワーバランスが刻一刻と明らかになっていく間、店の外の騒がしさは増す一方です。
二人を安心させるため、私は勇者に選ばれたことをカミングアウトしました。
そこにタイミングばっちりな女神の啓示が合わさり、無事信じてもらえたはいいのですが、騒ぎを聞きつけたご近所の方々が炎の燕亭を取り囲んでいるのです。
家の酒場の扉はいわゆるバタ戸です。両開きでスケスケのアレです。なので、結構外から中の様子が見えてしまいます。
ですので、新しい勇者を一目見ようと集まってきているのでしょう。
凄く……落ち着けません。
以前、町のペットショップにレアラビットが入荷されたと聞いたとき、物珍しさで見に行ったことがありましたが、今なら私、あの時震えていた兎ちゃんの気持ちが分かります。
今の私は完全に見世物状態でした。
「とにかく一度、領主様のとこに顔を出すしかないんじゃないかい?」
「そ、そうか! そうだな! ルージュ、付いて来い! さっそく王都に行くぞ!」
「リエリアだよ! 王都まで行ってどうすんだい! それより先に大事な話があるだろ!」
慌てるお父さんをワンパンで沈めたお母さんは、私の肩に両手を置いて言いました。
いつになく真剣な表情でした。
「ルージュ。あんた、本当に勇者をやるつもりかい?」
「それは……」
私は咄嗟に返すことができなくて、少し言いよどんでしまいました。
勇者をやるか、魔王になるか決めてないだなんて言えません。
ですがそれ以前に、どちらもやらないなんていう選択肢は私に許されているんでしょうか?
この沈黙は失敗でした。見る見るうちにお母さんの目じりが吊りあがっていきます。
いけません。これはお母さんが後先考えない時の表情です。
何か言わなくてはならない。そう思った次の瞬間、
「ルージュうううう!」
バゴーン、という感じでバタ戸を叩き開ける男が現れました。
冒険者のバルドさんでした。
えっ。バルドさん、どうしてここに?
「へぶっ!」
バルドさんはバネ仕掛けで跳ね返ったバタ戸の二連撃を受け、店の外に吹っ飛ばされていきました。割といつもの光景でした。
このお店のバタ戸は冒険者御用達と言う事もあって、滅多なことでは壊れない特別製です。
しかしバルドさんはめげていませんでした。むっくと起き上がり早足で戻り今度は控えめにバーンという感じでバタ戸を叩き開けました。叩き開けることを自重する気はないようでした。
バルドさんはお店の常連の一人で、冒険者の中でも特に筋肉というものを信じているタイプの人です。
お父さんより更に五割増くらいのがっしりとした体付きをしていて、一言で言えば公衆トイレから出ようとするノンケのお兄さんの前に全裸で立ちふさがって威圧するのが似合いそうなマッチョメン。それがバルドさんでした。
バルドさんは普段は薄黒い顔を真っ赤にして、とても興奮しているようでした。
これはもしかして、ついにお父さんの貞操の危機でしょうか。
そんな私の期待とは裏腹に、バルドさんはまっすぐ私のほうに歩いてきました。そうですよね。分かっていました。
「聞いたぞ! ルージュ、お前が勇者に選ばれたと! 何故だ! どうしてお前が勇者になったんだ!」
凄い剣幕です。
こんなバルドさん、今まで見たことがありません。
バルドさんはエイピアの町では一番有名な冒険者と言えるでしょう。
どんな服からも溢れ出す筋肉に任せて、大の大人が両手で持ち上げるような斧を両手に一つずつ持って振り回す彼の戦い方は、冒険者ギルドでは暴風と呼ばれて恐れられているのだとか。
そういう二つ名をつけたがる感性とか文化については、私にはちょっとよく分かりません。きっとこれが男と女の違いというものなのでしょう。棲み分けが大事。私はそう思います。
ともあれ、バルドさんは有名な冒険者で、そして自分の有名さをよく知っている冒険者でもあります。
もしかして、バルドさんは私が勇者に選ばれてしまったことが不満なのでしょうか?
「ちょっとバルド! 今日は店を開けないって表に書いてあったろう! さっさと出ていきな!」
「引けねえ! 女将さん、こればっかりは引けねえんだ!」
現役の冒険者であるバルドさんを相手に、お母さんもまた一歩も引きません。気が強いのです。ですが私は、後先考えないモードの今のお母さんがちょっぴり心配です。あわあわとしているお父さんもまた、別の意味で心配です。
気が付けば、店の外をがっちりと固めているのはお店の常連の冒険者の方々でした。道理で野次馬の人たちが店内に乱入して来れないわけです。
あっ。さっき逃げ出したコロンもいました。恐る恐るという感じで覗いていました。目があったら、また引っ込んでしまいましたが。
きっとバルドさんは、あの冒険者の方々の代表としてここに来たんですね。
「ルージュ、お前はどうして勇者に選ばれたんだ!?」
「女神サマに見込みがあるって言われたんだとさ! バルド、あんたの出る幕じゃないよ!」
「見込みだと!」
「か、勧誘されたんです!」
あまりの迫力に私は思わずゲロっていました。
「いま勇者になれば教会とか顔パスだし、転移呪文で旅行したい放題で、イケメンのパーティメンバーも選り取り見取りだって! 女神さまに!」
「そんな女神がいてたまるかあ!」
おっしゃる通りですが!
おっしゃる通りですが!
『ルージュよ。いま何か失礼なことを考えていますね?』
あなたはちょっと黙っててください!
「ルージュ、お前もしかして騙されてるんじゃねえのか!?」
「でもっ」
「でももヘチマもねえ!」
「ぴっ」
バルドさんに睨まれました。こ、怖い。
まるで品定めをするかのような、遠慮のない視線です。上から下までじっくり見られています。心なしか私の下腹部がむずむずしてきました。
バルドさんは、私が生まれた頃から私を知っています。私のすべてを知っていると言っても過言ではありません。決していやらしい意味ではなく。
お店の常連さんは数多くいますが、そういう人は多くはありません。そのくらいの古参の冒険者ともなると、多くの人は怪我で引退したり、別の町に移ったり、あるいは……死んでしまうからです。
バルドさんはたまに給仕する私の尻を撫でようとする変態ロリコンの一面がありましたが、基本的には剛毅で優しい人でした。
なのに、なんでバルドさんは今、こんな目で私を見るんでしょうか?
私の何を狙っているのでしょうか?
貞操でしょうか?
困ります! 年齢差を考えてください!
「確かに魔力はすげえ。でもな!」
顔に手を当ててイヤンイヤンする私をいったいどう捉えたのでしょう。バルドさんは激昂したように叫びました。
「こんな辺境の冒険者連中に尻撫でられてピーピー泣いてるような小娘に、勇者なんぞ務まるわけがねえだろうが!」
その時、信じられないことに、バルドさんがお母さんを突き飛ばしました。
突き飛ばしました。
椅子を巻き込んで倒れるお母さん。
慌てて助け起こすお父さん。
その時のバルドさんの表情が、私には見えていませんでした。
急速にクリアになっていく頭を埋め尽くすように、カッと頭に血が上りました。
咄嗟にテーブルの上のお盆を手に取って、バルドさんに投げつけようとしましたが、それよりも前にバルドさんは私の目の前まで迫っていて、私の首に手を伸ばしていました。
私は咄嗟に身を守ろうと、お盆を盾にしました。
この私の動きは長年の生活で染み付いた、手癖の悪い冒険者のお客さんからのセクハラから身を守るために磨いた、お盆を使った防衛術だったのですが――
「うぎゃああ!」
バルドさんの手がお盆に触れた瞬間、吹き飛ばされたのばバルドさんのほうでした。
弾かれるように錐もみ回転しながら、バルドさんは扉の横の壁に激突して、落ちてきませんでした。
壁にめり込んでいました。
ですが私はそんな事態に驚く前に恐れる前に慌てる前に怒っていて、赤いものがべったり付いたお盆を握り締めて早足でバルドさんの前に行きました。
扉から覗いていた野次馬の方々が、慌てて蜘蛛の子を散らすようにして逃げていきましたが、瑣末なことでした。
私は冷静です。
私はぐったりしているバルドさんに聞きました。
「どうして、あんなことしたんですか!?」
自分でも意外なほど、大きな声が出ました。
ですが、私は冷静です。
「ルージュ、ちょっと落ち着きな! あたしは大丈夫だよ、大したこたあないから!」
後ろからお母さんの声がしました。
お母さんは無事でした。
ですが、それとこれとは話が別でした。
私は極めて冷静でした。
『ルージュよ、私の声が聞こえますね』
「ちょっと黙っててください」
『落ち着くのです』
「落ち着いてます!」
『彼の右腕をよく見るのです』
「なんですか!」
見ました。
丸太の壁にめり込んだバルドさんの右腕は、うっかり直視したことを後悔するくらいにグロいことになっていました。
「うっ」
一瞬で怒りの興奮が冷めるのを感じました。
慌てて視線を逸らすと、バルドさんの顔がありました。
私はそこではじめて、私はバルドさんの顔は見ていても、表情までは見ていなかったことに気が付きました。
バルドさんは悔しそうな顔で泣いていました。
めちゃくちゃになってしまった右手が痛くて、泣いているんでしょうか。
私はそう思いましたが、すぐに違うって事を思い知らされました。
「お前が……お前がよう。勇者なんて、そんなの、やっていける訳がねえ。
だってお前、今まで一度だって、町の外にだって行ったことねえじゃねえか。
魔物どころか、野生の動物にだって勝てるもんじゃねえ。剣も振ったことのねえ小娘が、勇者なんてよう」
バルドさんがしゃくり上げた拍子に、壁からこぼれた木片がぼろぼろと落ちて転がっていきました。
その内の一つはお店の扉から外に転がり出て、誰かの靴に当たりました。
いつの間にか、大勢の冒険者の人たちが、また周りを取り囲んでいました。
お店の中。お店の外。私とバルドさんを囲うようにして、たくさんの冒険者たちが並んでいました。
みんなみんな、お店の常連たち。
なんで皆さんが泣いてるんですか?
「勇者ってのはなあ! 剣振って殺す役なんだよお! 魔物斬って、盗賊斬って、しまいには魔族も魔王も斬って斬って斬りまくって、そんでいつか誰かに斬られる役なんだよお!
酒ついで歌って踊るくらいしか能のねえお前が、そんなこと出来るわけねえだろうがよお!
おおう、おおおう!」
バルドさんの慟哭を皮切りにして、あちこちから声が上がりました。
「そうだそうだあ!」
「出てくなんて言うなあ!」
「いなくなっちゃ嫌だあ!」
「俺と結婚してくれー!」
「お前……いま何つった?」
「今すぐ表に出ろ」
「えっ……ちょ……待っ」
なんで泣いてるのか、だなんて考えてしまった自分が恥ずかしい。
私のためでした。
ずるずると店の外に引き摺られていく何名かの常連さんを除いて、みんなが私のために泣いてくれていました。
私はバカでした。
私だって自分で心配したんじゃないですか。町から出たこともない私が、本当に勇者として、魔王としてやっていけるのかって。
外のことを少しも知らない私がそうなんです。
外の怖さを知り尽くしている冒険者の皆さんがどう思っているかなんて、考えるまでもないことだったのに。
特にバルドさんは、右腕を台無しにした私への恨み言なんて一言も言わずに、ただただ私を心配して――
あっ。右腕!
「あの、女神さま!」
『仕方がありませんね』
私は女神にお願いして、バルドさんの腕を治してもらいました。
体からキュキュッと魔力が吸われていくのが分かり、同時にバルドさんの腕も綺麗に元通りになりました。
それでも、バルドさんは泣くのを止めませんでした。
「おおう、おおおう!」
「あの、バルドさん、すみませんでした!」
「おおう、おおおおう!」
「それで、あの」
「おおおおう! おおおおう!」
「ちょっと聞いてください」
私は軽い気持ちでバルドさんにビンタしました。気付けのつもりでした。
バルドさんは丸太の壁を貫通して店の外まで吹き飛んでいきました。後ろからお父さんの声で「俺の店ー!!」という慟哭が聞こえてきました。
バルドさんは通りの中央で仰向けになり、びくんびくんと痙攣していましたので、再び女神にお願いしてギュギュギュッと治療していただきました。
『あっ、これは……リザレクション』
ちょっとよく聞こえませんでした。
「いてて……あれ、俺、いまどうなて」
「バルドさぁん!」
「バルドのアニキィ!」
「よかったぁ、生きてたんですね!」
無事に起き上がったバルドさんを暖かく迎える冒険者の皆さん。
今です! 今なら私、いい感じの空気でお話できそうです!
「バルドさん!」
「ルージュ!」
私の目論見は成功し、あんなに厳しい顔つきだったバルドさんは憑き物が落ちたようです。ついでに微妙に骨格が変わって左右非対称になっている気がしますが、私の気のせいでしょう。
私は上半身だけを起こしているバルドさんのすぐ傍に、膝を下ろしました。
「心配をかけてすみません。でも私、大丈夫です! ちょっとした成り行きで勇者にはなりましたが、死ぬまで勇者やる気はありませんから!」
「そうか」
「はい! 危なくなったらちゃんと逃げます!」
「そうか!」
「いざとなったら魔界に亡命します!」
「いや、それはちょっと……」
ダメだったでしょうか。
私としては皆さんを安心させたかったのですが。
「ルージュ!」
「コロン!」
そこに駆け込んできたのはコロンでした。
「スゲェ! スゲェよ! ルージュ、ホントに勇者なんだな! あの暴風バルドを一撃で吹っ飛ばすなんてスゲェよ! いま完全に息の根止まってうぐぐぐぐ」
余計なことを喋る口は塞ぐに限りました。
私は手の平にコロンの唇の感触を感じて、少し恥ずかしがりながらも言いました。
「コロンも朝はごめんね」
「おぐぐぐぐぐ」
コロンの足は宙に浮いていましたが、瑣末事でした。
手の平に頷くような手応えを感じたので、私はコロンの唇を解放しました。許してくれて嬉しい。
「うぶはあ! そ、それでルージュ! おまえこれからどーすんだ!?」
「ええっと、領主さまのところに向かおうと思うんだけど」
「それなら、ウチの馬車を使ってくれよ! 裏の通りにまだ留めてあるんだ! すぐに動かせるから!」
「あ、ちょっと」
止める間もなくコロンは走り去っていきました。今すぐ行くなんて一言も言ってないんですが。
コロンにはああいう、ちょっと人の話を聞かないところがあります。困ったものです。
年上なのだから、もっと落ち着きを持って行動してほしいですね。
そんなことを考えていると、「退いて退いて!」というコロンの声と共に、二頭の馬に引かれた馬車が姿を現しました。御者は勿論、コロンでした。
相変わらず立派な馬車でした。
ふと、二頭の馬と目があいました。
途端。
「え? うわ! ちょ! あああれええええええええええ!?」
なんということでしょう。
二頭の馬が血相を変えてUターン。嘶きと共に、コロンを乗せたまま物凄い勢いで去っていきました。
ぽかんとしていた所に、囁く声がありました。
『ああ、これは魔王の魔力の影響かもしれぬ』
魔王でした。
「どういうことですか?」
『うむ。歴代の魔王から継承する魔力には、ちょっとした色がついておってな。まぁ恨みとか怒りとかそういうものだ。なまじ知性のある敏感な動物であれば、近寄ろうとしても逃げ出してしまうのだ』
『それはつまり、この愚かしくも矮小な駄犬のせいでルージュは馬に乗ることができないと?』
『あの様子では馬車も難しかろう。感情に鈍い動物を見つける他あるまい』
魔王のスルースキルの高まりを感じましたが、それどころではありません。
「あの……それでは、私はどうやってリエリアまで行けばいいのでしょう?」
領主館のあるリエリアは、エイピアから馬車で三日の距離にあります。
当然、歩くともっとかかりますし、当然手ぶらという訳にもいきません。
野宿の危険もぐっと増します。
馬車に乗れないということは、遠くの町に移動する術がなくなったに等しいのです。
しかし私の心配を粉砕するのは、やはりこの人でした。
『心配する必要はありません。ルージュ、すべてこのわたくしに任せるのです』
「本当ですか!」
流石は女神です! 至らない魔王のフォローはお手の物ですね!
それにしても女神はいったい、どのようにして現状を打破するつもりなのでしょうか。
『ゴードグレイス聖王国国王にデリバリーを頼みます』
「はい?」
その時私は知りませんでした。
ポイントを稼ぎたい。そんな女神の軽い気持ちから発せられた新たな啓示が、王国首脳陣に新たな混乱をもたらしたことを。
『これでいいでしょう。ルージュ、エイピアの町まで迎えを寄越すよう啓示をもたらしました。わたくしたちはここで待ちましょう』
「はぁ……分かりました」
「あー……ルージュ?」
おっと。
そうでした、女神と魔王の声は私にしか聞こえないのでした。
バルドさんたちのことを忘れて、すっかり独り言を話す痛い子に……
「もしかして今、女神トーラと話していたのか!?」
なりませんでした。
「あっ、そう! そうなんです! 例のお告げ的なアレで!」
「そうか! 勇者ってえのはすげえもんだなあ!」
『念のため言っておきますが、普通の勇者であればもう少し距離感を保っています。あくまであなたが例外なのです。あまり調子の良いことを言わないよう、よく注意するのですよ』
はい、すみませんでした。
「で、女神さまといったい何を話してたんだ?」
「えっと、馬車に乗れそうにないので、領主さまに迎えに来てもらうようにって……」
「そうか! ってえと、最低でもあと三日は町に残るのか?」
「はい、そうなると思います」
「よし。……決まりだ」
バルドさんがニヤリと笑いました。何が決まったんでしょう?
「おいおめえら! 今日から三日間、ルージュの嬢ちゃんをみっちり鍛えるぞ!」
「え!?」
「まずは剣の握り方からだ。他にも色々覚えてもらうぞ。いっぱしの勇者になるってえことは、いっぱしの冒険者になるってえことだ。覚えなきゃあいけねえことは幾らでもある。覚悟しておけよ?」
「いやいやいやいや!」
「いいじゃないか。バルド、みっちり仕込んでやってくんな」
「お母さん!?」
いつの間にか、お父さんとお母さんまで店の外に出てきていました。
お母さんもまた、ニタリと笑っていました。
気がつくと、周りの常連さんたちもまた、ニタリと笑って私を見ていました。
ニタリに包囲されていました。
「話は聞いたよ。三日間はウチにいるんだって? いい機会じゃないか。アンタの父ちゃんと母ちゃんからも、教えておきたいことはたっぷりあるんだ」
「ルージュ! おまえの父ちゃんは、ずっと、ずっとこの店ェ守って待ってるからなァ!」
「ルージュちゃあん! 俺らも手伝うよお!」
「罠の見分け方なら任せてくれ!」
「オレ鍵開け得意!」
「おれ旅先で出来るボイトレ知ってる!」
「結婚してくれえ!」
「テメェちょっと面貸せ」
「待て、俺も行く」
「オレもだ」
逃げ場はありませんでした。
次回予告
アグニ襲来と、初めての魔物討伐