勇者ルージュ、ちょっと行って参ります!
前回のあらすじ
アグニでは……ない……新しい従者って……?
玉座から勢いよく飛び出して、どたどたと駆け下りてくる陛下。扉の向こう側に声をかけ、手招きしているエイクエスさま。
私は私で跪いてないでさっさと立ち上がるようにと言われるしで、もはや王族に対する謁見のマナーや礼義作法ってなんだろう。そういう状況でした。
すみません。いま私、強がりました。これ、いったいどういう状況ですか?
アグニを真似して頑張って覚えた礼儀作法のあれやこれやがガラガラと音を立てて崩れて落ちていく傍らで、離れて並んでいた貴族っぽいおじさまがたも、何やら慌てたご様子でした。
ああ、やっぱりアレはナシだったんですね。陛下を諌めようとしたおじさまが、逆に陛下に言いくるめられて困った顔をしています。ふふっ、私とお揃いですね。この置いてけぼり感を誰かと共有できて嬉しいです。
ぽつねんとした孤独感を感じながら遠い目をしていた私の前に、やがて鎧を着込んだ二人の騎士が現れました。
たった今、エイクエスさまに連れられてきた人たちでした。
アグニの着ていた近衛兵の鎧とは違ったデザインの、少し黒ずんだ鋼の甲冑姿。
けれど兜を脇に抱えていたので、二人のお顔は見ることができました。
線の細い、少年のような顔つきをした二人組でした。
当然のことながら男性で、私よりもずっと背が高いので本当に少年というわけではないのでしょう。
少なくとも私は彼らを見て、未熟そうだとも頼りないとも思いません。
だって重たそうな甲冑を着込んでいてもなお堂々とした立ち居振る舞いは、まさしく騎士そのものでしたから。
左から見ていきます。
一人は、星空を切り取ったような艶のある黒髪を切りそろえた、優しそうなたれ目が印象的な凛々しい感じの美形の騎士さま。
一人は、額と右頬に負った古い刀傷を誇るかのようにハニーブロンドを短く刈り上げた、キリリとした印象の美形の騎士さま。
まるで歌劇に出てくるような、実に耽美で魅力的な、王子様みたいな騎士たちがそこにいました。
そんな二人が、どこか興奮した様子で私をじっと見つめていました。
興奮したいのは私のほうでした。
「勇者殿、紹介します。左の男がオルフェレウス・マイネリー。右の男がアイザック。今日から彼らが貴女の新しい従者です」
「お初にお目にかかります、勇者様。マイネリー男爵家の三男、オルフェレウスと申します」
「お会いできて光栄です!」
「えっあっはい! ルージュです!」
流石は私。まったく心の準備が追いついていません。辺境の田舎娘を嘗めてはいけない。
それでも実家で鍛えられた私の聴覚と記憶力は、ばっちりお二人のお名前を聞き取っていました。オルフェレウスさまとアイザックさま。いや、ここは敢えてアイザックさまとオルフェレウスさまと言い換えましょうか!
どうしよう。並びを意識したら興奮してきました。思わず口角が緩みます。ダメですよ、私の前にこんなイケメンを連れてきたら、また血が足りなくなっちゃいますよう!
ああもう、なんなの、かっこいい。エイピアだと絶対にいないですこんな美形。特に私は酒場で育ったものだから、男性と言えばムッキムキの荒くれ冒険者みたいなところがあったので憧れをこじらせてるとこあるんですよね。
この心臓が破裂しそうな感じ、懐かしいなあ。確かアグニを初めて見たときもこんな感じでしたよね。はー。
アグニ。
「あ、あの! 陛下? あ、新しい従者って、なんですか? アグニは?」
そうだ。陛下はさっき言いました。新しい従者って。
転移魔法を覚えた勇者は旅に出る。幾つもの国を巡って、たくさんの仲間を連れて。
仲間。従者。パーティメンバー。
言い方はなんだっていい。
けど、その一番最初の場所に、アグニはずっといたんじゃないの?
新しい従者ってなんですか。
どうして、どうしてアグニはここにいないんですか?
「アグニか。あれは元々、余の使者として遣わしたものだ。馬車に乗れぬというそなたを王都へ送り届けるには、あれのスキルが役に立つ。実際役に立ったであろう? そしてそなたは無事、この王都へと辿り着いた。アグニは任を果たしたのだ」
「果たしたって……。お、終わった、ってことですか?」
「そうだ」
「だから、この二人が代わりに来たんですか」
「代わりではない。重ねて言うぞ。この者たちが我がゴードグレイス聖王国が勇者に贈る従者だ」
頭が真っ白になりました。
「この者たちは今日よりそなたの目となり、手足となる。個人の実力こそ百戦錬磨のアグニに比べれば見劣りするが、この二人が連携すれば勝るとも劣らないと聞く。中々に見所のある者たちだ。それになんだ。あまり大きな声では言えんが、何を命じてもよいぞ。それにこの者たちには、一つ秘密があってな……」
耳はハッキリ聞こえているのに、陛下の言葉が半分も頭に入ってきませんでした。心臓の音がうるさくて集中できない。『勇者の書』よりも難解なことを言われている気分。
私は思わず、アグニの姿を探していました。謁見の間にはこんなに大勢の人がいるのに、アグニだけがいないなんて信じられなかったから。
びっくりすることに、アグニはいました。
ずっと謁見の間にいたんです。
だけどアグニは、エイピアの町で買った革鎧を脱いでいて、代わりに白銀に輝く立派な鎧を着ていました。
見慣れたアグニの見慣れない格好。
私とアグニが最初に出会ったときに着ていた、聖王国の近衛騎士の鎧姿。
私とずっと一緒にいたアグニではなく、聖王国の近衛騎士としてのアグニが、同じような格好をした騎士たちに混ざって立っていました。
その着こなしと、近衛騎士としての立ち姿はあまりにも自然で。
私の隣にいなくて当然なんだと。
「終わった」という陛下の言葉の意味を、付きつけられたような気分でした。
アグニは知ってたんでしょうか。
王都に着いたら、終わりなんだって。
知っていた、と思います。知らないはずがありません。
だとしたら、アグニは受け入れたんでしょうか。
私とアグニの旅はもう終わったのだと、アグニもそう思っているんでしょうか。
アグニと話がしたい。
何を考えて、どう思っているのか知りたい。
そう思ってアグニを見つめると、アグニもまた、私をじっと見つめていました。
アグニは笑っていませんでした。
アグニは慌ててもいませんでした。
私みたいに泣きそうになっても、途方にくれてもいませんでした。
陛下を諌めようとするおじさまがたのように呆れもせず、他の騎士たちのようにうろたえもせずに、
ただ、いつか見たような、苛烈なまでの意思を視線に込めて。
私が美しいと思った紅蓮色の瞳をなお燃え上がらせて、アグニは私を見つめていました。
(ああ、あれは、あの時の目だ)
私はその目に、見覚えがありました。
ラスタの森で、アグニが血の怪物に襲われそうになったときだ。
あの恐ろしい血の怪物を、私の方に引きつけた時も、アグニはあんな目をしていました。
あの時の振り絞るような慟哭が、今でも耳に残ってる。
私の身に起こるだろう悲惨な未来を思い描いて、けれど、それでも目を逸らさずに、何一つ諦めようともせず、炎を宿し続けたアグニの目だ。
知りたいと思ったアグニの気持ちだ。
(終わりじゃない)
そうだ。アグニはまだ、終わらせてなんかいない。
終わりじゃないんだって、そう言ってる。
(終わりじゃない!)
私と同じなんだ。
私だって認めてなんかいない。
最初から従者じゃなかった、なんて言葉も認められない。
だって私は、アグニと一緒だったから、この王都まで来たんですから。
(終わらせたくなんてない!)
だいたいですよ。
アグニがいなくなったら、私はどうやって旅をしたらいいんですか。
デルタ以外の馬はみんな逃げていきましたし、デルタだってアグニがいなかったらすぐにでも逃げていきそうです。むしろ逃げてもらわないと困ります。デルタには悪いけど、魔王をけしかけて逃がすまである。
それにアグニの革鎧! あれを脱ぐなんてとんでもない! 私の魔力を三ヶ月間吸い続けて、元々着ていた白銀鎧なんて話にならないくらいのトンデモ装備に生まれ変わってるって女神も魔王も言ってたじゃないですか! 防御力だけじゃありません。陛下もアグニの胸に頭を預けて眠ってみれば、それがどれほど素晴らしいか分かるに決まってます。
なんなら名前とかつけましょうか!? 私の魔力を吸ったんだから、ルージュの……ええと……あー……あとで考えます!
とにかく!
なんやかやと理由をつけて、癇癪を起こしたくなるくらいには、私はアグニを、これっぽっちも諦めたくない!
ああ、なんだか本当に腹が立ってきました。
よし決めた。私、言ってやりますよ。相手が陛下? 知るもんか!
アグニを私から取り上げようとするなら、私はいま、魔王でいいです!
だって、諦めなくていいんだって、アグニのお墨付きなんですから。
そう決めてしまえば簡単でした。
「いりません」
「は?」
思わず堅い声で棒読みになってしまいましたが、私はきっぱり言いました。
そう言えば陛下の言葉も、その他の声も全然聞いてませんでした。陛下の御前だったことも忘れていました。
いいや。今更ですよね。それに今の私はもう怖いものなしです!
「陛下! お願いがあります!」
「うおっ!? なんだ、声が大きいぞ」
「アグニです! 私は一緒に旅をするなら、この人たちよりも断然アグニのほうがいいです! 変えてください! チェンジです!!」
昔冒険者の誰かから聞いた、ちょっと大人な言い回しも交えて言いました。
言ってやりました!
アハッ。見てくださいよ陛下たちのあんぐりとした表情を。オークが女装少年に気付いたような顔ってよく言いますけど本当ですね。似てます! オークも女装少年も、間近で見た事ないけど!!
「待て。どういうことだ、話が違うぞ宰相」
「それは私の台詞です陛下。勇者殿、それはいったいどういう」
「どうしたもこうしたも、私はアグニとだから一緒に王都まで来たんです! 確かにこのお二人はぶっちゃけ理想のカプですし、アグニより顔も好みですけど、そういうのはハッキリ言って、脳内で間に合ってますんで!!」
『ええええええええええーーーーーーっ!』
魔王かと思ったら女神でした。
『なんですかいきなり。いま大事なところなので、ちょっと黙っててほしいです』
『えっ、あっ、その、はい』
誰? この人。女神ですよね。ちょっと自信なくなってきました。
『フハッ! フフフハハハ! ハーッハッハ! ハァーッハッハッハ!! 女狐め、アテが外れておるわ!! ハハ、腹がよじれる!!』
『バロールもちょっと静かに!』
よじれるお腹なんてもうないでしょう!?
「そういうわけだから、私は断固としてアグニの身柄を要求します! 指名します! アグニ一つください!」
「恐れながら宰相閣下」
気がつくと、隣にアグニが立っていました。
「以前お話した通りです、宰相閣下。オレもルージュ殿と同じ気持ちです。オレはこれから始まるルージュ殿の旅を、最も近い場所で支えたい。これまでも、そしてこれからも」
アグニの言葉に、思わず胸が熱くなりました。
だって言葉通りなんですもの。
今、私は礼義も礼節も捨ててなりふり構わず言いたいことだけ言っています。しかも陛下相手に。間違っても褒められることではないですよね。
だのにアグニは、そんな私の隣に立ってくれる、私を認めてくれている。私の最も近い場所で私を支えてくれている。
半ば確信して言い始めたことですが、やっぱりアグニは私の味方だ。
嬉しさが無限にこみ上げてきます。
勇気が湧いてくる。
女神とアグニ、どっちを信じるかと聞かれたら、私は迷わずアグニを選ぶと思います。
「待て。待て、落ち着け。だが、そうだ。我がゴードグレイスから従者が一人では問題がある」
「えっ。そんなのがあるんですか?」
「うむ。一人でも三人でもダメだ。ゴードグレイス聖王国からは二人、選出する必要がある」
何ですかそのちょっとめんどくさい取り決め。陛下のアドリブだったら怒りますよ?
「……それじゃあアグニと、そちらのお二人からどちらか一人、とか」
「そんな! いかに勇者様の頼みとはいえ、アイザックと離ればなれになるだなんて耐えられません!」
「オルフェレウス!」
「アイザックぅ!」
驚いたことに、耽美なイケメン騎士が突然抱きしめ合いました。
えっ、本当にそういう関係? まさかリアルなやつだったとは。
イケメンとイケメンが合わさって、いま、私の目の前には最強の光景が生まれています。女神魔法もないのに舞い散る薔薇が見える。私のテンションがおかしなことになっていなければ、ここは血の海になっていたかもしれません。
「……だそうですが」
「う、ううむ……。……。エイクエス。お前何か言え」
「私に振らないでくださいよ! ええと、そうですね……」
ひしと抱き合うイケメン騎士の隣で、肘で小突き合う陛下と宰相。それをジト目で眺める私とアグニというよく分からない構図になっています。
私とアグニの視線的暴力に、エイクエスさまはついに困り顔で肩を落として言いました。
「……色々と手違いがあったようです。いったんこの話は保留にして、再度検討する時間をいただけませんか」
ダメだ。
私はそう直感しました。
どういうわけか、陛下とエイクエスさまは、そこで抱き合ってるガチカプ騎士さまを私の従者に付けたがっています。間違いありません。明白です。
アグニと旅をしたこの三ヶ月間で、私は贅沢を覚えてしまいました。今の私の望みは、アグニと一緒に魔界に行くこと。今更一人でだとか、魔界に行けるなら誰とでもいいとか、そんなことは言わないし言えません。
だけどここで陛下たちに時間をあげたら、きっと陛下たちは準備を整えてしまう。
私みたいな世間知らずの町娘を言いくるめてしまうような、完璧で手の付けようがない建前を用意してしまう。
そんな予感めいた確信が、私の胸にストンと落ちました。
なので、私は決めました。
「分かりました」
「では数日後、また改めて」
「じゃあ私、ちょっと行って連れてきますね!」
「えっ?」
エイクエスさまの眼鏡がずりっと傾きました。
ちょっぴりキュートです。
「ええと、勇者殿。今なんと?」
「私の従者を、私が見つけて連れてくると言いました! どうしてももう一人必要なんですよね? だったらまだ見つかっていないみたいだから、私が見つけて連れてきます!」
これは突然の思いつきではありません。
私はずっと前から、それこそエイピアの町を離れたすぐの頃から、いつか転移魔法を覚えたら、必ず会いに行くって決めていた人がいたのですから。
思い立ったが吉日です。
私に迷いはありませんでした。
「では、勇者ルージュ、ちょっと行って参ります!」
頭の中で、覚えたばかりの転移魔法の発動手順をなぞる。
記憶の中にあるその場所を強くイメージ。
「魔力が……っ! 待つのだ勇者よ!」
「お待ちください!」
淡い魔力の光が私を包み込みました。
陛下とエイクエスさまが私のほうへと手を伸ばしますがもう遅い。
どうですか。私、陛下を出し抜いてやりましたよ。
猛烈にアグニに褒めてもらいたい。そんな気分でした。
そんな期待を視線を込めて、転移直前に隣のアグニを見上げました。
アグニは、もの凄くぽかんとした顔をしていました。
……あれえ?
@
こうして、オレや陛下たちの目の前で、ルージュ殿はこつ然と姿を消した。
何故かドヤ顔でオレを見上げながら。
転移魔法を使ったのだ。間違いない。転移後に残る燐光に見覚えがある。フセオテ殿も使った魔法なのだから当然だ。
ルージュ殿は今、旅立っていったのだ。自らの手で従者を見つけ出し、連れてくると言い残して。
恐れ多くも陛下との謁見を放り出して。
そして……オレを置いて。
「………………」
ええ……と……。
もしかして、オレはいま、置いていかれたのでは?
ど、ど、どういうことだろうか。
ルージュ殿は、共に旅をする従者にオレを選んでくれたのではなかったのか。
オレと共に旅立つために、陛下を相手に啖呵を切ったのではなかったのか。
夜市は。そうだ。ルージュ殿は確か夜市を見たいとも言っていた。あれはどうなったのか。あの時オレの名を口にしかけたのは気のせいだろうか?
じんと胸から込み上げてきていた、涙すら零しそうだった無限の感動も、今やどこかに行ってしまった。
心なしか、オレに視線が突き刺さっているような気配を感じる。
取り残されたという立場から来る被害妄想だろうか。
……どちらにせよ、この気まずさには耐えられそうもない。
誰も言葉を発さなかった。
誰も言葉を発せなかった。
ただ、ルージュ殿が残した仄かな魔力の残滓が舞い、その全てが床へと消えた頃、この広い謁見の間に立ち尽くす全員が息を揃えてこう言った。
「…………ええぇー…………」
その日、ルージュ殿は戻って来なかった。
当代の勇者。ルージュ殿はこうして王都から失踪した。
たたかう
どうぐ
→にげる
という訳でルージュが逃げました。
アグニを置いてけぼりにして、第三章で大量に増えたネームド達を完全無視して、果たしてルージュが転移魔法で向かった先とは?
……あの子の名前を覚えている方、果たして何人いるかなあ。




