夜が明けて。
前回のあらすじ
イケメンのBL騎士をルージュの従者につけるよう、女神は国王らに要求しました。
ぷるぷると震える指で最後のページをめくり終えたとき、気がつけば、私は頭からテーブルに突っ伏すように倒れていました。
目がもの凄くしょぼしょぼしていました。一睡もしていないのだから、それも当然でした。
「よ……よみっ、おわっ……た……」
その時どこかから、掠れてしわがれた、まるで地獄の底から這い上がってきたかのような低い呻き声に似たナニかが聞こえてきました。
誰の声でしょうか?
私の声でした。
実家の酒場では荒くれ冒険者たちから歌姫だなんだとチヤホヤされたこともある、私の声でした。
今は見る影もありませんでした。
「わぷっ」
その時でした。窓の外から飛び込んだ日差しが、私の顔に飛び込んだのは。
温かな光が、部屋の暗闇を切り裂いて天井からテーブルまでを一刀両断にしていました。光の刃は窓の数だけ伸びました。私の瞼も、その刃の直撃を受けた犠牲者でした。
王都の朝が始まりました。
「たいよう……う、うう。ま、まぶしい……」
万人に降り注ぐ、恵みの太陽。
ですが今の私の隈だらけの目には、その光はちょっぴり眩しすぎました。
目を背けたいけれど、私を包むやり遂げた感が気だるい感じに邪魔をして、ただ目一杯目を瞑るだけで精一杯な私。
曙光はあまねく降り注ぎますので、きっと私のしょぼくれた顔面に留まらず、色々なものを照らしているのでしょう。
例えば、テーブルの上に置かれた小さなランプ。空になったティーカップ。お菓子が入っていたけれど、今は空になった小さな小皿。
それから『勇者の書』。
何ページあるのか数えるのもバカらしかった分厚い書物は今、全てのページに真新しい手垢をつけて、背表紙を上にしてテーブルの上に閉じられています。
その更に上に乗せられているのは、ページをめくり終えてからずっとそのままにしてある私の左手です。もう開くなという祈りを込めて乗せてありました。気分は魔物を封印する魔法使い。いや、あのタイローンの山頂に登頂を果たした、偉大な登山家というのも悪くありません。
だってたった今、私はこの本を征服したばかりなのですから。
この『勇者の書』を。
長く苦しい戦いは、ついに終わりを迎えたのです!
「やった……私は、やったぞぉ……。ねむいけど……。めっちゃ、ねむいけど……」
ぽかぽかとした光を顔全体で受け止めながら、私はその眩しさをものともせずに、やがて眠りに落ちました。
その間際、頭の中で、女神と魔王のねぎらう声を聞いた気がしました。
私が王都に辿り着いてから、三回目の朝のことでした。
@
はい!
皆さん、おはようございます!
10時間後の私こと、ルージュです!
はい。つい先ほど目が覚めました。
そしたらたっぷり10時間も寝てました。
気がついたらソファじゃなくてベッドで寝てるし、お昼ももうとっくに過ぎてるとかホントびっくりですよね。寝起きびっくりですね。
でもしょうがないんですよ。ここ最近、魔王と一緒に夜遅くまで『勇者の書』とバトっていたのでずっと寝不足だったんです。そもそも三ヶ月前まで日の出と共に起きる生活してた私が、明け方まで起きて本を読むとか無理がありました。もう二度としません! 特に『勇者の書』なんてホント、二度と読みませんからね!
苦節の甲斐あって、転移魔法は覚えることができました。
不思議ですよね。最初から最後までお金のことしか書いてなかったのに、読み終わった瞬間に転移魔法の使い方が分かったんです。
お金と魔法の使い方に意外な共通点が!?
とか、
密接な関係が!?
とか、
一切ありませんでした。
なんの脈絡もなく、ぴこんっと、女神様に音楽の魔法を教えてもらった時みたいな感じで閃くんです。
便利だな、なんて思いませんでした。
初めからこれで教えてよって思いました。
女神は『通過儀礼です』としか言いませんでした。
これは想像ですが、女神は私に、というか勇者に、あの本を通じて転移魔法だけではない、何か大切なことを伝えたかったのかもしれません。
いったい女神は私に何を伝えたかったのでしょうか。それは誰にも分かりません。読んだ私にも分かりませんでした。だって結局書いてあること殆ど分かりませんでしたもの。
なんとなく凄く高尚そうなことが書いてあるのは分かりました。それで充分かなと思いました。お金は大事で、みんな大好き。ですよね。分かります。分かりました。もういいです。
そうそう。転移魔法には名前もありました。
『ムーラ』って名前みたいです。
ちょっとどうかなって思いました。
私の勇者的な第六感が囁いていました。
連呼すると色んな意味で危険そうな香りがしました。
女神に聞くと、転移魔法を使いたいときでも別に名前を唱えなくていいそうなので、きっと私、唱えないと思います。
さて。
こうして無事に転移魔法を覚えた私は、再び謁見の間へと招かれました。
眠りこける私と閉じられた『勇者の書』を見て、侍女さんが察して陛下に報告したみたいです。それからずっと、私が自然に目覚めるのをずっと待っていたのだとか。
陛下を待たせてじっくり熟睡していたと聞いた私はちょっぴり時間停止しましたが、オフのときの陛下を思い出すと、不思議と「まあいっか」と思えました。
これもきっと陛下の人徳のなせる技なのでしょう。あれだけ緊張した謁見だってもう怖くありません。だってちょっとくらい変なことを言ったって陛下は笑って許してくれるに違いありません。
と思ったので謁見前にひとっ風呂浴びようとしたら止められました。それは流石にダメですか。そうですか。
「それで勇者よ。『勇者の書』を読み終えたと聞いたが、相違ないか?」
「はい! ようやく読み終わりました! 思ってたよりもページが多くて大変でした。正直ラスタの森でおっきなスライムと戦った時より辛かったです」
「それは……。確か三つ目狼のボスを森で捕食していたという、変異種のスライムだったか?」
「はい」
「アグニが不覚を取るほどの、相当な魔物だったと聞いているが」
「あの時は私も無我夢中でした」
「それよりもか?」
「いやあ、断然『勇者の書』のほうが強いですね」
ラスタの森で出会った、赤黒くて巨大なスライム。
あの血の怪物のようなスライムは、ちょっと怖かったけれど終わってみれば一瞬でした。
それに比べれば『勇者の書』とはなんやかやで三日間戦い続けましたからね。
格が違いますよ格が。
そう思ったのでそのまま告げたのですが、どうしてか陛下は楽しそうに笑っていました。
「そなたにとっては凶悪な魔物よりも、読めぬ文字のほうが手強かったか?」
「えっ」
ど、どうしてそれを!?
分からない文字は全部魔王に聞いたから、お城の人にはバレてないと思ってたのに!
「何も恥じることはないぞ勇者よ。これまでの勇者たちがみな博識だったというわけではない。生まれも育ちも異なる者たちだ。剣しか知らず、読み書きが不得手な者もいて当然だ。
そう思い、余の代になってからは『勇者の書』の閲覧は王城内に限ると取り決めた。
読めぬ字があっても王立図書館を頼れないならば城内の者を頼る他ない。
うまくゆけば『勇者の書』の真実に迫れるやもしれんと思っていたのだが、アテが外れ続けていた理由にもそなたのおかげで見当がついたわ。
女神なのだろう? そなたらを直接手助けしていたのは」
陛下がドヤ顔で言いました。
いいえ、違います。私の教師は魔王です。
「ソ、ソウデスネ」
とは言えないので、とりあえず合わせておきました。
私の場合は魔王のおかげでなんとなく意味を拾えましたが、他の勇者さまに関しては、そうですね。たぶん文字を目で追うだけでも転移魔法は習得できたのではないかと思いますが真実やいかに。
「それで勇者よ。やはり『勇者の書』の内容については口外できんか? うちの宰相がな、どうにも気になって夜も眠れぬというのだ。あやつの働きを労うために、余は宰相に一つ褒美でも与えたい気分なのだが、どうだ、あやつの前で話しては貰えんか」
陛下が何かを慮るようにして言いました。
そういえば、今日はエイクエスさまの姿が見えません。お忙しいのでしょうか。
陛下も労いたいと言っているので、きっとお忙しいのでしょう。
国の宰相がどれだけ忙しいのか私にはちょっとピンと来ませんが、もし私にできることでエイクエスさまの苦労を労われるのであれば、力になってあげたいなとは思います。
ですけどね?
「すみません。私の口から申し上げることはできません」
「そうか。それもまた、女神の思し召しの内にある、ということなのだろうな」
「はい。とにかく女神さまには何か深い考えがあることだけは確かです」
内容をほぼ覚えていなかった私は、全力で陛下を煙に撒きました。
すみませんエイクエスさま。正直に「お金って素晴らしいよねって書いてある本です!」って言ってもいいんですけど、知らなくていいことは知らないほうが幸せってこともありますよね。特に王都って、敬虔な信者が多いと聞きますし?
とはいえアグニの偽聖剣の話を聞く限りだと、たぶん教会上層部はほぼ真っ黒なんでしょうけど。フセオテさまの従者だったアグニがばっちり騙されてることからして、これも言わないほうがいいような気がします。
「うむ。何はともあれ、転移魔法の習得は大儀であった。
これからそなたには人界を巡る旅をしてもらうことになるのだが、何も今すぐに出立してもらうという訳ではない。
聞けば昨晩も夜遅くまで起きていたそうだな? まずはその疲れをゆっくりと癒すがいい」
「はい。あ! あの、陛下! 転移魔法を覚えたので、その。もう私、夜に外に出てもいいんですよね?」
「勇者よ。話を聞いておったか? 余はそなたに、まずは乱れた生活リズムを整えろと言ったのだが。……ああ、いや。そうか、夜市か」
そうです夜市です!
私は何度も頷きました。
「そなたは登城してから城に籠りきりであったな。夜市に興味があるのか?」
「はい! 私、もしもいつか王都に行ったら、絶対夜市で食べ歩くんだって決めてたんです!」
それが三日間! 三日間ですよ! お城の中に缶詰にされて、三日間も目の前でお預けされ続けた私の気持ちが分かりますか!
切なかったあ……。私が『勇者の書』とにらめっこしている間、窓の外からは明るい賑わいの声が一晩中聞こえてくるんですよ。拷問ですよね。
アグニも部屋を尋ねてきてくれなかったし、まるで広い王都で一人ぼっちになった気分でした。
もしも女神と魔王がいなかったら、心細さでどうにかなってたかもしれません。
そんな私の勢いを察してか、さしもの陛下も苦笑いでした。
「そうだな。そなたにも労いが必要であろう。良かろう。今晩はそなたの好きにするが良い」
「やった!」
私、場を弁えずに小さくガッツポーズ!
見上げると、微笑ましそうにする陛下の様子が伺えました。
……ワガママを言うなら今かな?
今日、私の隣にはアグニがいません。
謁見の間に呼ばれたのは、私一人だけでした。
それにアグニとは、『勇者の書』を受け取ってから一度も会えていませんでした。
一時期はルージュ殿、ルージュ殿とウザいくらいだったアグニからは考えられないことです。
きっとエイクエスさまと同じように、アグニも忙しいに違いありません。
会いに来たくても会いに来れないに違いありません。
だから私が、ちょっと口実をつけて外に連れ出してあげるんだ。
一人で夜市を出歩いたってつまらない。
私は王都の夜市を、アグニと一緒に歩きたいと思いました。
だから私は、今がチャンスと意気込んで、
「あの、アグニもっ」
一緒にいいですか、と、そう言いかけた時でした。
「陛下っ!!」
私の背後で、バーンと勢いよく扉が開け放たれました。
びっくりして振り返ると、私よりも色濃い隈を目の下に浮かべた、宰相のエイクエスさまがそこにいました。
髪を乱して、肩で息をしていました。握り締めた何かの書類はくしゃくしゃで、それでもエイクエスさまは、とても嬉しそうに笑っていました。
いったい何事でしょうか。
「宰相よ! よもや、見つかったか!」
「ええ! ……ええ、陛下! 見つかりました!」
「よくやった! よくぞ辛い役目を果たしてくれた、宰相よ!」
突然の乱入に、謁見の間を警護する騎士たちがざわめいています。
ですがそれ以上に、陛下とエイクエスさまの様子が変でした。
「あ、あのう、陛下? 何かあったんですか?」
「勇者よ! そなたの従者が見つかったぞ!」
「はい? あの、従者ならもう」
「アグニではない」
アグニではない。
その言葉の意味を、私は最初理解できませんでした。
エイクエスさまと同様に、陛下は笑っていました。
凄く安心したというような、見ている側も安心させるような笑顔でした。
そしてとてもとても朗らかに、素晴らしいことを告げるかのように、陛下は私に言いました。
「旅立つそなたへと聖王国が贈る、そなたの新しい従者だ」
……えっ?
総合ポイント500越えました!
ブクマ評価ありがとうございます!
次回、ようやくあらすじを回収します。
あと数話更新したら、あらすじを更新するかもです。




