女神の夜。ルージュの夜。
前回のあらすじ
アグニとジィドがしっぽりと呑んでいました。
ちなみにアグニはノンケです。
アグニが王都の裏酒場でジィドとの旧交を温めていた頃。
夜が更けてなお騒がしい裏酒場からも、眠らない夜市からも遠く離れたとある場所で。
今、冷たい夜の暗闇に紛れ潜んだ一つの影が、この王都ディアカレスに陰謀の種を撒くべく、暗躍せんと動き始めていた……。
「勇者殿の従者に、同性愛者のイケメン騎士を付けろと……!?」
「そうです。当代の勇者、ルージュにはどうしても、男色家の若いイケメンが必要なのです」
女神トーラであった。
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女神はここ最近、ルージュの中で下落する一方の人界株について、かなり真剣に焦っていた。人界の将来を憂えていた。
もしや、ルージュは本気で魔界を選ぶつもりなのではないか、と。
その焦りが現実味を帯びてきたのは、マツコベ村での森牛騒動が終着した時だ。
ルージュはこう言った。今、傾きは6:4であると。6:4で勇者になると。
一見するとまだ勇者が、人界が優勢であるかのように見えるが実際は違う。
勇者兼魔王という規格外の存在が、図らずもこの世に爆誕してしまった現在、人界と魔界のパワーバランスにはもはや意味がない。
閉ざされたゲートからは魔界の侵略者も人界の侵略者も現れない。ルージュがその気にならない限り、戦端は開かれない。何故なら勇者と魔王以外に、ゲートを開ける存在はいないからだ。
人類が強かろうが魔族が強かろうが関係ない。
人類が正しかろうが魔族が正しかろうが関係ない。
ただ、ルージュがこれと決めて、加担したほうが勝つ。
勇者と魔王の力を得て地上最強となったルージュに匹敵する存在が他にいない以上、それは例え女神トーラであっても覆すことのできない事実となった。
であれば、6:4という数字にはまったく安心することができない。何故なら女神は知っている。ルージュは刻一刻と、その心の内にある天秤をぐらぐらと揺らし続けていることを。
そもそもルージュは最初の選択を迫られた時、確かに勇者になるつもりでいたのだ。ルージュが守りたいものは故郷だった。エイピアという名の辺境の町だった。そこに住む人々だった。ならば、故郷ごと人界を丸ごと滅ぼす魔王になんてなる訳がない。
あの時あの場ですぐに勇者にならなかったのは、単にエイピアの町を守りたかったから。そして子犬のように泣きわめく魔王に同情したからに他ならない。
何。心配するようなことは何もない。エイピアの町から程よく離れればルージュはすぐにでも勇者になるに決まっている。それまでの間、王都への旅路が快適なものになるようサポートし、人間と人界の素晴らしさをそれとなくアピールしていればすぐに落ちるに違いない。
女神はそう考えていた。
あの日マツコベ村で、ルージュの決意の一端に触れるまでは。
それまでも、それからも。女神の目から見てルージュは揺れに揺れている。
勇者になろうとも魔王になろうとも決心しない。
すべては魔界を一目見てから。でも、もし今決めるなら6:4で勇者かな?
そんなルージュの心の動きを、女神は自身の権能を以て敏感に察知していた。
そもそも6:4という数字もまずい。ルージュの生まれ故郷は人界で、見聞きしてきた世界も人界。大切な人も守るべきものも全て人界にあるというのに、それだけのアドバンテージを得てなおギリギリ勇者寄りというのはまったく安心できない。魔界に足を踏み入れて、何か良いことがあった瞬間に「私、魔王やります!」などと宣言されかねない。女神はそう危惧していた。
いったい何故、こうもルージュは魔界に感心を寄せるのか。
人界の評価が下がる一方なのか。
分からない。女神にはまったく心当たりがなかった。
(強いて言えば、わたくしがルージュに加護を与えたり、小金を稼ぐよう助言をした時に限って、何故か『もう魔王になっちゃおうかな』などと考えることくらいでしょうか。解せません。なんだかんだと言いながら、ルージュは心の底から資金に余裕のある旅を楽しんでいたというのに……)
ホワイトタブやマツコベ村での贅沢三昧を割とマジで全力で楽しんでいたルージュではあったが、もし女神が人間社会特有の感情に素直に生きられない自制心やしがらみだったり、あるいは賢者タイムといった言葉に精通していればもう少し違った解釈が出来たかもしれない。
しかし女神がここで選択したのは今までの我が身の振り返りではなく、ルージュに対する更なるポイント稼ぎであった。
(もはや猶予はありません。王都へと辿り着いた今、ルージュがハルグリア帝国へと旅立つのは時間の問題。ならば今しかありません。ルージュが『勇者の書』を読み尽くすまでの間に、いま打てる手は全て打っておかなければ!)
女神は改めて決意した。
ルージュに勇者となる道を選ばせ、人類を、ひいては人界を守り抜く。
そのためならば女神は文字通りなんでもやるつもりでいた。
その覚悟をこじらせた結果、女神はこうして深夜、ゴードグレイス聖王国の重鎮である国王ギリエイム、そして宰相エイクエスの両名をこっそり呼び出し、ルージュに付ける従者について注文をつけるためだけに地上に顕現したという次第であった。
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だが。
(い、いったい女神は何を……)
(何を、言っているのでしょうか……!?)
だが、そのような深遠なる神の御心を、ノンケの人間に過ぎないギリエイムらに察しろというのは些か酷であった。
そもそも呼び出しからして唐突だった。
『ギリエイムよ。わたくしの声が聞こえますね。このまま人界を滅ぼしたくなければ、今すぐ王城内の教会まで一人で来るのです』
その啓示たるや新手の脅迫文が如しである。
王城が寝静まった深夜の出来事だ。何が恐ろしいかと言えば、その声は紛れもなく女神トーラのものであったり、その声が響いてきたのは不眠の近衛兵と無数の感知魔法が張り巡らされた王族の寝室だったという点だった。かつて王族の寝室に侵入者の姿こそあれど、誰にも気付かれずに侵入を果たした者はいない。
夢だと思いたかったギリエイムだったが、かといって無視する訳にもいかない。奇しくも勇者ルージュが王城に現れて間もない出来事であり、ルージュが絡めば何が起きてもおかしくないと認識を新たにした直後の出来事でもあった。
よもやと思い寝室を抜け出し、頑なに付いてこようとする護衛を説き伏せたギリエイムは、王城の教会前でエイクエスと合流して確信した。あれはただの夢ではないと。
そして似たような啓示を受けたというエイクエスと共に教会の扉を潜ると、祭壇の上に女神が浮いていた。
荘厳さはなかった。
なにせ深夜の教会である。
カーテンの閉ざされた教会内に満ちるのは薄暗い闇。唯一の光源はステンドグラスから降り注ぐ僅かな月光と夜市の灯りのみ。
人々の息づかいも祈りの声もなく、ただ静謐に包まれた深夜の教会は、控えめに言ってもかなり不気味だった。
そのぼんやりとした光の中で、女神は浮いていた。比喩ではなく、物理的に浮いていた。
当然ながら、音楽はなかった。光もなかった。ただひっそりと、周囲の闇に同化するかのように女神はそこにいた。
しかも半透明であった。
かなりのホラーであった。
もしギリエイムとエイクエスがある種の覚悟を抱いて扉を開けていなければ、情けなく悲鳴を上げたに違いない。
それは信仰を試すための、まさしく神の与えた試練にも似ていた。だが試練はそれだけでは終わらなかった。
女神は通常、人前に易々と姿を現すことはない。勇者の現れを啓示によって人々にもたらしこそすれ、その基本スタンスは教え、導き、そして見守ることだ。
女神がその姿を現すのは、勇者として選ばれた人間の前のみ。そんな常識は、ギリエイムとエイクエスの前で粉みじんに打ち砕かれた。
ましてや、そんな激レア女神がこっそりと、まるで忍ぶようにして現れてまで口にした言葉が「男色家のイケメン騎士をルージュの従者に!」だったとなれば、言葉を失うのも無理はないだろう。
慈愛に溢れる人界の守護者、女神トーラのイメージはもはや風前の灯だった。
いま、ゴードグレイス聖王国の聖王、そして宰相の信仰が試されていた。
「……わたくしの声は聞こえましたね? 」
そんな揺れる二人を前に、女神は無情にも念押しをした。
「い……いや。その、女神よ。勇者に従者が必要なのは分かる。イケ……顔のよい男が好ましいというのも、理解はできる。だが女神よ、なぜ同性愛者である必要があるのだ?」
ギリエイムの疑問は最もであった。
「ギリエイムよ。今、それを全て説明することはできません。ですが女神トーラの名の下に断言します。今、人界の未来はひどく不安定な状況にあります。この戦況を確定し、人界に救いをもたらすために今何よりも必要なものは、若く、イケメンで、男同士で、心から愛し合う男性騎士のカップルなのです!」
「なんということだ……」
それはあまりにも力強い女神のお告げだった。
言っていることはよく分からない。人界でも有数の知能を有するエイクエスをして意味不明であった。ギリエイムとエイクエスの信仰心に、ビキバキと亀裂が走る音が聞こえるかのようだ。ギリエイムの声色にも震えが走る。
だが。
だがしかし。
かつて女神が、これまでに冗談や流言を口にしたことがあっただろうか?
青い顔をするギリエイムの隣で、エイクエスがゴクリと唾を飲み込んだ。
「……女神様。必要、なのですね?」
信じられないとばかりにギリエイムが振り返った。
これ以上なく真剣に、滝のような冷や汗を流しながら、男色家のイケメン騎士の必要性について女神に問うたエイクエスの表情を、ギリエイムは生涯忘れないだろう。
「ええ。絶対に必要です」
一方で、女神は断言した。
女神は確信していた。
悪辣なる魔王バロールの悪魔的人心掌握術により、日に日に劣勢へと陥っていく人界の未来。
現状を打破し、なんとしてでも人界を守り抜くのだというルージュのモチベーションを引き上げるには、今、なにを置いてもイケメンが必要だった。
それもただのイケメンではダメだ。
女神は知っている。
ルージュが男同士による熱烈な愛を『尊い』と感じてしまうという、ちょっと特殊な性癖を持っているということを。
(その事実を、この者たちに伝えることはできません。ルージュは己の性癖を、秘めたものにしたいと願っていますから)
しかし女神は、そんな勇者の性癖さえも利用することを躊躇わない。
それだけ追いつめられているのだという自覚が女神にはあった。
「若く、容姿端麗で、そして互いに愛し合っている同性愛者の騎士二名ですね?」
「おい、エイクエス……」
「ええ。最低限の礼節を弁え、腕が立つものであればなお良いでしょう」
(ルージュの好みの男性像は、視線解析によってリサーチ済み。ルージュにとっての理想の騎士を従者に付ければ、ルージュは必ずや舞い上がることでしょう。やる気は漲り、彼らに良い所を見せたいと思うあまり勇者として振る舞うようになるかもしれません)
そんな僅かな可能性にすがるために、女神はルージュや魔王バロールの目から隠れ、この王都の夜に暗躍する。
この企みをルージュが知れば、彼女はいったいなんと言うだろうか。
少なくとも魔王が知れば、ここぞとばかりに攻撃するに違いない。
だからこそ女神は言った。
「この件に、わたくしは関わっておりません。全てはエイクエス、あなたがアグニから得た情報を元に判断して決めたこと。いいですね?」
もしもこの世に悪の組織がいたとしたら、その親玉はきっと、こんな薄暗い笑みを浮かべているに違いなかった。
「……はい。仰せのままに」
エイクエスの返答に、女神は実に満足そうに頷いた。
その後女神は「いいですね、イケメンですよ」と更に念を押した後、発言にエコーをかけながら緩やかに気配を薄れさせ、やがて消えた。
後にはギリエイムとエイクエス、そして夜の静寂だけが残された。
「……宰相よ」
「……なんでしょう、陛下」
「探すのか、その……イケメン騎士とやらを」
「探さざるを得ないでしょうね。明日の朝、城内の騎士たちに早急に聞き取りを行います。ただ、陛下は何も存じ上げなかった。そう言うことにします」
「……そうか。苦労をかけるな、エイクエス」
「いえ。これもきっと、女神の与えたもう試練なのでしょう」
暗闇に、一つの雫が溢れて落ちて消えた。
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一方その頃ルージュは。
「……バロール」
『どうした、ルージュよ』
「これ、なんて読むんですか?」
『どういう字だ。…………ああ。それはな、カワセと読むのだ』
脳天から湯気を発しながら、魔王と共に『勇者の書』という強大な敵を相手に、壮絶なバトルを繰り広げていた。
「あぁあああー! も、もうやだっ! 私もうイヤです! お外出たい! 王都の夜市見たいです!! 私は!! 食べ歩きが!! したいです!!!」
『気持ちは分かるが落ち着けルージュ! 見ろ! 残りのページはあと僅かだ!』
「まだ三分の一近く残ってますよね!? 私もうこの本読みたくないです! 難しくて何が書いてあるのか全っ然分からないし、何より、面白く、ないです!!」
『耐えるのだ! これを読み終わらなければ転移魔法を覚えられんのだろう!? 魔界へ行くにはこの苦行を乗り越えるしかないのだ!』
「ちくしょう! 転移魔法の一つくらい、そっと授けてくれたっていいじゃないですかあ!」
『おお、いいぞルージュ! そうだそうだ女神を恨め! 全ての元凶はあの女狐だ!』
「女神様のぶわぁかぁ!!!」
ルージュの夜明けは、まだ当分先であった。
更新が遅くなって申し訳ねえ! 風邪とスランプの複合技で書いては消してしてた!!!
次回で『勇者の書』との対面も終わり、物語はルージュ視点に戻ってきます。




