これが、勇者の書……?
前回のあらすじ
王城に用意してもらった自室に、陛下と宰相が訪れました。あれ、その本はなんですか……?
陛下だけではなく、まさか一国の宰相までもが私の部屋にやってくるなんて。
その事実に我に返り、私とアグニが畏まるよりも早く、陛下はエイクエスさまを気安そうな手振りで招き寄せました。
「おお、来たか、宰相。こっちだ、こっちに座れ」
それは、この場を決して畏まった空間にはしたくないという陛下の見事な手腕でした。
そのせいですっかりタイミングを失ってしまった私とアグニは、浮かしかけた腰をそのまま下ろすことしかできませんでした。
そんな様子を穏やかに微笑んで眺めていたエイクエスさまは、アグニの隣、アグニと陛下に挟まれる位置に腰を下ろすと、私に向かってなんと頭を下げました!
「こうして会うのは二度目になりますね、勇者殿。私はエイクエス・ハウファード。この国の宰相です」
「は、はい! ルージュです! レイライン辺境伯領、エイピアの生まれです!」
「よろしくお願いいたします」
どこまでも物腰丁寧な、ゴードグレイス聖王国に名高い敏腕宰相、エイクエス・ハウファードさま。
陛下よりもまだお若いのにも関わらず、陛下から全面の信頼を受けたといわれるエイクエスさま。
その優れた政治経済の知識から生み出される政策は、私たちのような平民からも凄く評判がいいんです。
それに。
こうして顔を合わせてみると、とても理知的で、高潔な方なんだなあという印象が沸き上がってきます。
私を見る表情も、平民を見下すような冷たいものなんかではなく、寧ろ逆に、陛下のいたずらに振り回される私を苦笑いして見守るような、暖かいものでした。
捗る。
とても捗ります。
なにがって? 言うまでもありません。
お噂だけでも妄想が弾んでしまうというのに、親しみやすく茶目っ気のある陛下と、理知的でありながらもなんだかんだで陛下を許してしまいそうな宰相!
この組み合わせを前にして、私の毛細血管は崩壊寸前でした。ですが私はこの危機を、この国の国王陛下と宰相を前に鼻血を噴出しかねないという危機を前にしてなお、自分が不幸だとはちっとも思いませんでした。
お父さん! お母さん!
イケメンな美丈夫が揃った立派な国のもとに産んでくれてありがとう!
娘はいま、幸せです!
「さて、早速ですが、貴女に読んでいただきたいものがあります」
あやうくトリップしかけた私の前に、とすんと置かれたものがありました。
それは、エイクエスさまが携えていた本でした。
古びた本でした。
所々装飾が欠けていたり、全体的にくすんでいたり。表紙に挟まれ重ねられたページはどれも手垢で汚れてボロボロ。まるで長い間風雨に晒され続けてきたかのような、表紙をつまめば崩れてしまいそうな、叩けば無限に埃が飛び出してきそうな大昔の本。
だというのに、私はその本を前にして、すっと背筋が伸びるのを感じました。
なぜでしょう。
不思議な強制力でした。
その本に対して、私はどうしても敬意を払いたくなる。そういう気分になってしまう。
人界に済む人々にとってかけがえのない、何か大切なことが記されている。
そう、根拠もなく思わされるような本でした。
しかもこの本、むずむずとしていた私の鼻奥の疼きさえ止めました。今まで抑えきれなかった鼻血噴出の気配がピタリと止まっています! 煩悩カウンターです!
便利ですねこの本。帰りに一冊貰っていけないかな。
「これはゴードグレイスの王家に代々伝わる『勇者の書』と呼ばれる書物です。かつてこの地に女神が現れ、初代勇者に力を授けた際、女神トーラはこの本を当時の国王陛下に託されました。それ以来、ゴードグレイスの王家は代々この本を大切に守り続けています」
「えっ。『勇者の本』……? 女神さまにってことは、500年以上も昔の本なんですね。どうりで……」
「ええ。そしてご想像の通り、この本は普通の本ではありません。この本は勇者以外のどんな者にも開くことができず、また読むこともできません。しかしこの本を勇者が最後まで読んだ時、勇者には女神より新たなる力が授けられるのです。
『転移魔法』。
一度でも訪れたことのある場所になら、例えどんなに離れていても瞬間的に移動することができる、勇者だけが扱える最上級の時空系魔法。貴女には、それを覚えていただく必要があります』
転移魔法。
その名前を聞いたのは、果たしていつだったでしょうか。
そう言えば初めて女神と会ったとき、女神が「転移魔法を使って旅行もし放題!」みたいなことを言っていたような気もします。
女神に選ばれた代々の勇者が、まず最初に必ず王都ディアカレスを目指す理由。
それはこの王都ディアカレスでのみ、勇者が転移魔法を覚えることができるからです。
転移魔法の存在については、旅の噂や女神のセールストークで事前に知っていた私ですが、それをどのように授かるのかについては聞かされていませんでした。
へえーっ。本の形をしてたんですね。
ちょっぴり意外です。
私の予想では、陛下から不思議な魔力的な何かが迸って、私の頭をうあんうあんする感じで何かトクベツな力に目覚めるとか、そういうのを想像していたんですが。
何はともあれ、転移魔法。
転移魔法です。
実は私、こう見えて結構、魔法に対して強い憧れがあります。
勇者になる前の頃はともかく、今の私はご覧の通り、安売りを通り越して常時無料配布する勢いで魔力が垂れ流され続けています。実際は外に漏れ出ているのではなく、私の体に戻って循環しているそうなのですが、売るほど魔力が溢れていることに違いはありません。
だというのに、ああ、だというのにも関わらず、私には魔法の才能がありません。
これっぽっちもありませんでした。
アグニと二人でさんざん練習したにも関わらず、私はごくごくありふれた、初級の炎魔法すら使うことができなかったのです。
アグニ曰く、魔法には適正があって、それは例えば目の色だとか、髪の色だとかに現れるみたいです。例えばアグニの瞳は紅蓮色。適正は爆炎魔法。同じように、凪いだ湖のような透き通る水色の瞳を持つ陛下の適正は水属性だそうです。
そうすると、私も炎色の髪をしているのだから、ちょっとは炎に適正がありそうなものなのに、全然、ちっとも、魔法は発動してくれませんでした。
アグニの教え方が悪いんだ! とふてくされた時期もありましたが、女神と魔王にも手伝ってもらった上でこの結果なので最早疑いようもありません。
才能が、ない。
魔力が殆どゼロだったということもあり、以前はあまり気にしていなかった魔法の適正ですが、今更こんな悔しい思いをすることになるとは思いませんでした。
そんな私ですが、今は一つだけ魔法を使うことが出来ます。
女神にお願いして授けてもらった、女神の魔法。
《B.G.M》という名前の魔法です。
聴かせたい人に、聴かせたい時に、聴かせたい音楽を届ける魔法。
女神はこれを人々へ届ける啓示として使ったり、趣味なのか分かりませんが派手な演出の際に奇妙な効果音を鳴らしたりすることに使っていますが、私はもっぱら、大好きな森の音楽を聴くために使っていたりします。あの曲を聴いていると、前へ進もう、もっと頑張ろう、って気持ちが無限に湧いてくるんですよね。
たまにちょっぴり悪用することもありますけど、そこはご愛嬌ということで。
さて。
話が反れましたが、そんな私にとって、これは二つ目の魔法獲得のチャンスです。
しかも転移魔法ですよ!
一度行った場所、という縛りはありますが、好きな場所に自由に行き来できるなんて素晴らしい魔法じゃないですか!
ていうことはですよ。
私が転移魔法を覚えた暁には、好きな時にエイピアの町に帰れるんです!
私、三ヶ月ぶりにお父さんとお母さんに会いたいです!
コリン、元気にしてるかな。覚えてます? 私の幼馴染みですよ。実家の取引先の商店の息子の。
お店の常連さんたちも変わりないでしょうか。出立前に教えてくれた冒険者のあるある知識、アレ、地味に旅の間で結構役に立ったんです。きちんと顔を合わせてお礼を言っておかなくちゃ。
衛兵に連れていかれたバルドさん、もう出所してるかな。
それに、それに。
私が一度でも行ったことのある場所ということは。
ホワイトタブの温泉、いつでも出入りし放題。
マツコベ村の森牛料理、好きな時に食べ放題。
その他もろもろ、これまでの観光名所に行きたい放題やり放題ってことじゃないですか!
よかった。
渋面のアグニを無理矢理連れ回して、あちこち寄り道して本当によかった!
勇者になってよかった! ああいや、魔王になるかもしれませんけどね!?
「あの! 早速読んでみてもいいでしょうか!」
「ええ、勿論。そのために持ってきたのですから」
クールな表情で素敵に微笑むエイクエスさまに頭を下げて、私は慎重に『勇者の書』を手に取りました。
表紙には何も書いてありません。私は早速中身を読むべく、表紙に指をかけて、最初のページを開きました。
長い長い年月を経て、風化し、変色してもなお、しっかりと本の形を残した『勇者の書』。そこに書かれた文字は滲みも掠れもせずに、充分に読めるものでした。
勇者である私にしか読めない『勇者の書』。
不思議と敬意を払わずにはいられない、不思議な雰囲気を持った古の本。
その最初のページには、こう書かれていました。
『第一章 価値観の発明と、貨幣によってもたらされた普遍的な幸福について』
私はそっと本を閉じました。
「宰相さま」
「なんですか?」
「これ、『勇者の書』ですよね?」
「ええ。『勇者の書』です」
おかしいな。とてもそうとは思えない出だしが書いてあったような気がしたのですが。
私はもう一度本を開きました。そっ閉じしました。大きく伸びをしたり目頭を揉み解したり、「はぁー!」と気合を入れてから開いてみたりもしました。
やっぱりそこには『第一章 価値観の発明と、貨幣によってもたらされた普遍的な幸福について』などという小難しそうな言葉が書いてありました。
頭痛がしました。
私はその言葉を努めて無視して、パラパラとページをめくってみました。
「ぱらっ。ぱらっ」という音が、「ぱららららら」に変わるのに、そう時間はかかりませんでした。
なんとなく読めそうな単語を拾うだけの、流し読みですらない行為でしたが、パッと見どのページにも「金」という言葉が書いてありました。
そのまま最後までページをめくりきった私は一息つきました。
そして言いました。
「転移魔法、発動!」
『ルージュ。きちんと読むのです。流し読みなどでは転移魔法は付与されません』
深い絶望が私を包みました。
不覚でした。
私はいま、この時まですっかり忘れていました。
『勇者の書』を記したとされる女神は、まごうことなき、女神トーラなのだということを……!
「伝承によればこの書は、人間の幸福とは何かを神の視点から見た斬新な切り口で綴ったものなのだそうです。たいへん興味深い内容です。可能であれば私自身が拝読し、今後の政策の参考にできればと思うのですが、残念ながらそれは叶いません。こうして貴女がページを開いている今でさえ、私には白紙にしか見えないのですから。勇者殿には、今、その書が読めているのでしょう?」
「はい……。見えて、おります……」
「たった今、『勇者の書』を流し見てどう思われましたか? この書にはいったい、どのようなことが記されているのでしょうか?」
「……はい……。その……。とても、深くて、高尚な、テーマなんじゃないかなあと、思います」
私がウツロな目をしてそういうと、エイクエスさまだけでなく、アグニと陛下も強く頷いていました。ナゼ。
「やはりそうか。実はな、勇者よ。その書を読んだ歴代の勇者は、決まってそなたと同じことを言うのだよ。まるで口を揃えたかのようにな。そして決まって、その書の詳しい内容については決して語られることはないのだ」
「先代のフセオテ殿も同様だった。ただ一言、女神様の深いお考えが記された本と言ったきりだった。懐かしい。まるで昨日のことのように思い出すことができる」
しみじみと回想にふけるアグニには悪いけれど、私は歴代の勇者さまがたの苦労が忍ばれてたまりませんでした。
「やはり、内容をお伝えいただくことはできませんか。くっ。分かっていても、羨ましいと思う心を諌めることができません……!」
エイクエスは何かをこらえるようにして目を閉じ、震えていました。心底悔しそうでした。
そんなエイクエスさまの様子を見て、私はこう思わずにはいられませんでした。
できれば代わりに読んでください。
だけど空気が読めることで有名な『炎の燕亭』の看板娘である私はとてもそんなことを言い出す勇気が持てずに、結局『勇者の書』を預かることが決まってしまいました。
ルールは二つでした。
この部屋以外への持ち出しは禁止。
基本的に読み終わるまでの間は、王城から外へは出ないこと。
事実上の軟禁でした。
こうして私、暫定勇者兼魔王による転移魔法習得のための、長く苦しい戦いは始まったのでした。
不定期更新を始めました。とても健全なので気軽に見に来てね!
基本的にはめがまお更新優先、下は息抜きがてら区切りのいいところまで書き溜めたら更新する、みたいな形を取ります。
どうぞよろしくお願いいたします。
↓
http://ncode.syosetu.com/n1843de/
 




