バレました。
前回のあらすじ
勇者になると言ったら魔王に泣かれたので、取りあえず勇者と魔王になったことは内緒にして、魔界観光をすることに決めました。
染み付いた習慣とは恐ろしいもので、昨晩はあんなに夜更かしをしたというのに、目を覚ますべき時間に私はぱちりと目を覚ましました。
目だけを開けたまま、しばらくの間ぼうっとしていました。
時刻は日の出の頃だと、部屋にできた影が教えてくれました。
ふと目元に手をやると、ほんの僅かですが、涙の跡がありました。
朝チュン。けだるい気分。そして涙の跡。
足りないのは美男子だけでした。
『目を覚ましなさい、ルージュ』
私の甘い妄想を邪魔する声が頭の中に響きました。女神でした。
「女神さま、私は起きてます」
『存じております。わたくしはあなたの目覚めを待って声をかけたのですから』
「えっ。ふつう、寝てる人を起こすために声をかけるんじゃないんですか?」
『啓示の魔力消費もタダではありません。わざわざ起こすために何度も呼びかけるくらいなら、起きるまで待ったほうがお得。つまりそういうことなのです』
女神って案外庶民派なんですね。
「そういえば、女神さまのお姿が見えませんが」
私は体を起こして、部屋を見渡してみました。部屋には女神も魔王もいませんでした。ただ冷え冷えとした清涼な朝の空気に満たされていました。
『それも節約いたしました。ルージュよ、わたくしは常にあなたの心の中におります』
「節約? どういうことですか?」
『わたくしもあの駄犬と同様、肉の体を持ちません。昨晩あなたに見せた姿は、魔力で作った幻影に過ぎないのです』
曰く、あの女神らしい神々しさ満点のお姿は、あくまで人間から見てそれっぽく見えるように作ったとのことです。
他にも、後光やら音楽やらもまた幻を見せるのと同じで、言わば女神魔法とでも言うべきもので作って見せているのだそうです。
私は昨晩のことを思い出しました。どうりで演出過剰だと思いました。あれは別に女神の存在感とかオーラとか、そういうものではなかったのです。
私は見た事はありませんが、歌劇の舞台裏を覗いた時ってこんな気持ちなのかもしれません。
『それでルージュ、あなたは今日からどうするのですか?』
打ち拉がれている私に女神が問いました。
私は昨晩考えていたことを女神に伝えました。
『勇者であることも魔王であることも伏せて、まずは魔界に行きたい。それがあなたの願いなのですね』
「はい。だって私が勇者だってバレると、もれなく王城行きなんですよね?」
『もれなくゴードグレイス国王特撰の従者数名も付けて、全国地方行脚ツアー送りとなるでしょう。勇者の覚える転移呪文は、一度訪れたことがある場所にしか転移できませんからね』
「それってどれくらいかかるんですか?」
『百年ほど昔は半年かかる旅でしたが、近年の勇者は大抵、旅を終える前に魔王との決戦に挑んでいます。この百年の間にも人界は発展しておりますから、これはあくまで目安と留めるのがよいでしょう』
「短くても半年かかっちゃうってことですね。魔王さまはどう思いますか?」
『……バロールでよい』
やっぱり魔王も起きていました。もしかしたら寝ていないのかもしれません。寝る必要もないのかもしれません。
魔王もやはり姿は見せないで、直接脳内に語りかける感じで言いました。
端から見れば私の独り言ですが、実際には私、女神、魔王の脳内会議です。人前には決して晒せない姿と言えるでしょう。
「バロールさまですか?」
『ただのバロールでよい。今は名乗らずとも、力の上ではおまえは既に魔王で、そして我は先代の魔王だ。故に、我らの間に上下関係などない』
意外です。
もしかして、魔王がデレていませんか?
「バロール?」
『それでよい』
なんでしょう。
すごくこそばゆいです。
魔王を呼び捨てにした征服感みたいなものはこれっぽちもありませんが、どちらかというと小さく震えていた捨て犬の餌付けに成功した時のような、羽毛でくすぐられるような達成感です。
『勘違いするなよ。あくまで対等なのだ。もし我を飼い犬か何かのように扱おうものなら……』
「扱おうものなら?」
『……許さぬ』
かわいい。
『ンン! さて、半年と言ったな。やはりそれは長い。人界にとっての勇者は単なる殺人鬼かもしれんが、魔界にとっての魔王とは為政者でもあるのだ。あまり不在にはできぬ』
「それってつまり、今魔界には王さまがいないってことですか?」
『人界の政治は詳しく知らんが、魔王とは為政者であっても執政者ではない。やる気のある魔族を率いて戦争を始める権利があるだけだ。我の代では、各氏族の取り纏めはジクスという男がやっていた』
そういうことって気軽に話してしまっていいんでしょうか? 女神も聞いていると思うのですが。
まぁ、私にはあまり関係ないですね。
それよりも私、昨晩あんなに取り乱していたのに、今は取り繕った感を出してる魔王に萌え死にしそうです。
「じゃあやっぱり、王さまとか、他の人たちには内緒で魔界に行ったほうがいいと思います。
ただ、問題はお父さんとお母さんが許してくれるかどうか……」
私もまた、そんな内心を取り繕って言いました。
問題は、まずどうやって家を、そして町を出るかです。
私はまだ十四歳です。ギリギリ未成年です。独り立ちするどころか、ずっとお家の酒場を継ぐつもりで生きてきましたし、両親もそう思っています。
家の手伝いをして仕事を覚えて、いつかは結婚して、未来の旦那さまと一緒に『炎の燕亭』を継ぐ。ささやかな私の将来設計図でした。今は、木っ端微塵ですが。
問題は、私には生活能力がないってことです。ちょっとした家事はできますけど、旅をしたこともなければ、お金を稼ぐ方法も知りません。
女神と魔王の言う事が正しいなら、私はちょっとどころではないくらい強くなったみたいなので、もしかしたら冒険者みたいな仕事ができるかもしれません。
けれど、それを知らないお父さんとお母さんは、私が旅に出たいなんて言っても、絶対に許してくれないと思います。
私は強くなったんだよ、だから大丈夫だよと教えたくても、教えられないのです。
昨晩は結局、良い言い訳が思いつきませんでした。
家出。
家出するしかないのかなぁ。
でも。
私は、お父さんもお母さんも好きです。大好きです。尊敬しています。
認めてくれるところを認めてくれて、叱るところでちゃんと叱ってくれる、大切な両親です。
できれば、心配をかけたくありません。
それに、よしんば家出したとして、町を出るためには門を通らなければなりません。
町の門には当たり前ですが、門番がいます。人の出入りを監視するのが彼らのお仕事なのです。
商人でも冒険者でもない私が、彼らの目を盗んでこっそりと門を通る方法なんて、そう多くはありません。
前途多難です。
「女神さま、何かいい方法はないでしょうか」
『ルージュよ』
「はい」
『わたくしのことも、トーラと呼んで構いませんよ』
わ。わ。女神もデレました。
対抗意識でしょうか?
でも魔王と比べると、なんという抵抗感でしょう。とてもじゃないですが私、そんなに気安く呼べそうにありません。
『さておき、ルージュ。あなたは両親に心配をかけることなく、穏便にこの町を出たい。間違いありませんか?』
「はい」
『であれば、わたくしによい考えがあります』
「本当ですか!?」
私は一晩考えても何も思いつかなかったのに、こんなに短い時間で思いつくだなんて!
流石は女神です!
きっと私には考えもつかないような、すごい考えがあるに違いありません!
『というより、もう既に手は打ってあるというべきでしょうか』
手は打ってある。
デキる女を目指すなら一度は言ってみたい台詞じゃないですか!
何度でも言います! 流石は女神です!
昨晩はなんかちょっと演出過剰であけすけでなんか女神っぽくないなとか考えてしまいましたけど、やっぱり女神は女神でした!
憧れます!
「それはいったいどのようなお考えなのですか!?」
興奮する私に、女神はたった一言だけ言いました。
『見れば分かります』
@
うきうきと身なりを整えて自室を飛び出していくルージュの姿を、ナナメ上から俯瞰して見下ろす存在があった。女神と魔王だった。
ルージュを通さずに互いに意思疎通を図ろうとしたとき、彼女たちは一度精神体として外に出る必要があった。
「手は打った、見れば分かるか。フン。女狐が。笑わせてくれる」
「黙りなさい駄犬。ではあなたには何か方策があるとでも?」
「馬鹿を言え。そんなものあるわけがない」
魔王は不機嫌を隠そうともしていない。
一方で女神もまた苦々しい表情をしている。
「半年か。長いな」
「仕方がないでしょう。彼女の意思に沿うことはできません」
「分かっている」
二人には共通して確信している事があった。
ルージュの身分を隠して町を出るという望みは、例え何があろうとも叶わないだろうという確信だった。
それは女神は望み、魔王は望まない結果なのだが、女神が渋面を作る理由は、単にルージュの意に添わずして女神が望む結果を手にする事に、ルージュからの印象が悪化するのではないかという不安であった。
そして魔王もまた、その結果を望まないにも関わらず何の手も打たないのは、何の手も打てないということが分かり切っていたからだ。
「知らぬは亭主ばかりなり、か」
「すぐに気が付くことではありますが。しかし、まさか」
女神はため息を吐いた。そういう演出でも挟まなければ、やってられないという気分だった。
「あれほどとは」
「あれほどとはな」
女神と魔王は仲良く揃って呟いた。
@
私が一階に降りた時、お父さんとお母さんとっくに起きて、厨房で仕込みをしていました。
ガタイがよくて精悍で、細い文官のお兄さんを無理やり襲うのが似合いそうなのがお父さん。
平民だけど恰幅がよくて目じりが優しそうな、私と同じ燃えるような赤い髪の人がお母さんです。
二人の出会いは冒険者ギルドの建物の中だったらしいです。そこそこの冒険者だったお父さんと、実家を継ぐのが嫌で家を飛び出して冒険者ギルドに飛び込んできたお母さんが、ばったり出会ってお互い一目惚れだったとか。
それ以来ずっと仲が良くて、色々あってお父さんがこのお店を継いで、今に至ります。
荒くれ者揃いで知られる大酒飲みの冒険者たちを、舌でも腕力でもねじ伏せられるお父さんとお母さん。二人の継いだ『炎の燕亭』は、そういう酒場なのです。
「おはよう! お父さん、お母さん!」
そんな大好きな二人の前に、私が姿を現した時でした。
お父さんとお母さんが私のほうを見て、一拍置いて言いました。
私の予想ではこうでした。
「おうルージュ。おまえ、寝坊すんなってあれほど言ってるだろうが!」
「おはよう、ルージュ。まだ寝癖がひどいね。もう一回顔洗っといで」
現実はこうでした。
「うおおおあああああ!」
「いやっ、ルージュ!?」
お母さんは腰を抜かしてへたり込み、お父さんが青ざめた顔のまま、そんなお母さんをかばうように腕を広げて、中腰の姿勢になりました。
驚愕の眼差しははっきりと私を捉えていて、その視線は私の心を抉るように深く深く刺さりました。
厨房の床に落ちた鍋や包丁の奏でる不協和音が、どこか遠くから聞こえる音楽のようでした。
どこからどう見ても、間違いなく、私のお父さんとお母さんでした。
どこからどう見ても、間違いなく、私のお父さんとお母さんは怯えていました。
何かに。
誰かに?
「……えっ」
私は一歩も動くことができませんでした。
お父さんとお母さんの目が、私にそうさせていました。
私が、怯えさせていました。
いったいどうしてなのかも分からないままで。
その時でした。
厨房にある裏口が、数回のノックのあと、返事も待たずに開けられました。
コロンでした。
彼は私の幼馴染みです。
彼のお父さんは町の商人で、去年成人したコロンは少しずつお父さんの手伝いをするようになりました。
彼のお父さんのお店は炎の燕亭の仕入れ先の一つで、こうして朝早い時間から馬車で食材を届けてくれます。
彼が跡を継ぐための修行を始めた頃、彼が最初にやりたがったお仕事が、このお店への配達でした。
彼は小さい頃からよくお店に遊びに来ていました。
彼のお父さんからは、これからもずっと仲良くしてやってね、とよく言われました。
その都度、彼はまんざらでもなさそうな顔で笑っていました。
彼にとって、私はたぶん長い付き合いのある妹のようなもの。
私にとって、彼は優しくて優柔不断なマゾっ気の強い総浮け。
私たちはそういう関係でした。
「あっ、コロ……」
「おはおひぇああああああああああ!」
そういう関係だったと思うのですが、コロンは私を一目見た瞬間、奇声をあげて踵を返して逃げました。
一瞬の躊躇もない全力疾走でした。
訳が分かりませんでした。
どうして、私は両親に怯えられて、幼馴染みからは逃げられるのでしょうか。
頭がこんがらがりすぎて、昨日あれだけ泣いたのに、また涙が出てきそうでした。
彼に向けて延ばしかけた私の手は、行き先も分からないまま、暫くのあいだ空中をさまよって、そして気付きました。
我ながら、いま気付くの? って感じでした。
私の腕に何かついてました。
違いました。私の腕から何かが沸き出していました。
違いました。沸き出すってレベルじゃありませんでした。
灰色っぽい何かが轟々という感じで噴き出していました。
腕だけではありませんでした。
よく見ると、それは私の体の至るところから、全身から沸き出していて、たぶん私の頭からもえらく出ているに違いありませんでした。
それは魔力でした。
それはそれは膨大な、尋常ではない魔力でした。
よく見ると、それは白い魔力だったり黒い魔力だったりが混じり合って、結果灰色に見えている、そういう魔力でした。
よく考えるまでもなく、これが勇者と魔王の魔力なのでしょう。なにせ、昨日までの私は魔力なんてこれっぽちも持たない、ただの一般人だったのですから。
今の私はまるでイヤッサー人のようでした。
ここでイヤッサー人という言葉について、補足が必要かもしれません。イヤッサー人というのは子ども達に人気のあるおとぎ話に出てくる言葉で、七つの秘宝を集めて願いを叶えるドラゴンを喚び出す系のお話です。私の言いたいことは伝わったでしょうか。つまり、そういうアレでした。
『ルージュよ、聞こえていますね』
「めがっ」
私はあわてて口を閉じました。
未だ震えて私を見つめるお父さんとお母さんの前で、間違っても、女神さま、なんて言う訳にはいきませんでした。
『そのまま、落ち着いてわたくしの話を聞きなさい。あなたはいま気付いたようですが、あなたは今朝からそういう状態でした』
私は黙ったまま聞いていました。
『わたくしの祝福と魔王の継承、それらは一晩の時間を置いて、よりあなたに定着したようです。それらはあなたという器に溢れることなく注がれましたが、冷たい水を注がれた器の表面に水滴が生まれるように、あなたの周囲に影響を与えています。
体内の魔力が体外をも循環して流れているのです。今のあなたは正常です。前例がないことで、驚くべきことですが、それで正常で通常なのです』
私には、目に見えるどれだけの魔力がどれほどの脅威かなんて、分かりません。
だから、私の体にまとわりついているこれが、他の人からどのように見えるのかも分かりません。
ですが、元冒険者だったお父さんとお母さん、それに町の外に出たこともあるコロンには、きっと分かったんだと思います。
それが分かったから、きっと、こんなにも怯えさせてしまっているんだと思います。
『こうなった以上、隠すことはできません。異常は誰の目にも明らかです。先ほども言いましたが、見れば分かるのです。残された方法はただ一つ』
「わかりました」
それ以上は聞くまでもありませんでした。
「お父さん、お母さん」
私はその場で膝を落として、お父さんと目を合わせました。
そしてこれ以上怯えさせないように、怯えなくても済むように、できるだけ、いつも通りに笑えるように頑張って、頑張って笑って言いました。
「私、勇者に選ばれました」
その時、女神の啓示を意味する壮大で荘厳な鐘の音が、人界に住まう人間すべての耳に響き渡りました。
 




