勇者、民衆に寝顔を晒す。
前回のあらすじ
王都の東門に現れた残念そうな少女は、残念なことに勇者だった。
一方その頃、王都の東門で忙しなく働く兵士たちもまた、土煙を上げながら列を無視してまっすぐ検問所へと迫る駿馬の存在に気がついていた。そのただ事ではない勢いに、馬車の積み荷を確認していた兵士の一人がぎょっとする。
王都の四方に存在する門を守る門番と言えば激務で有名だ。そのため、検問所に詰めている兵士の数はことのほか多い。
だが、大勢の兵士たちに常に守られていると知りつつも、なぜか時折、王都の検問を力尽くで通り抜けようとする勇気あるマヌケが登場する。
そう言ったマヌケを水際で捕らえるのは、門番の任についている聖王国の兵士たちの仕事であり、また街道護衛のクエストを受注している冒険者たちの仕事だ。
休憩していた兵士や散っていた冒険者たちが、思い思いの武器を握り締めて東門の前へと集まる。一騎とはいえ、恐るべき速度で疾走する騎兵は決して油断していい相手ではない。彼らの表情に緊張が走った。
「いや、待て」
その時、一人の兵士が何かに気付いた。
体格に優れる兵士たちの中でも、一際大柄な強面の兵士だ。浅黒く日に焼けたスキンヘッドと大男と言っていい体格が、彼の人相をより凶悪なものとしている。
そんな彼が目を細めるようにして遠くを見つめる様は、凶悪を通り越してもはや犯罪的だと言っていい。まるで薄暗い酒場で睨みつけるようにメンチを切っているならず者の風情だ。
「武器を下ろせ。大丈夫だ、ありゃあ顔見知りだ。それも、とんでもねえ奴が帰ってきた」
号令一下、ならず者にしか見えない兵士に従い真っ先に槍を下ろしたのは彼の部下である兵士たちだ。見事に統率された彼らの動きに倣うように、緊張していた若い冒険者たちがほっとした表情で剣を下ろす。
そんな様子にスキンヘッドの兵士は「これだから冒険者は」と思わず愚痴りたくなったが、今は仕事を優先させる。彼の予想が正しければ、今は緊急事態だと言っていい。
「おいお前」
「ハッ」
スキンヘッドの兵士は近くの部下を一人捕まえると、声を潜めて早口で指示を出した。
「今すぐ詰所に戻って王城に連絡しろ。ありゃあ近衛騎士のアグニの馬だ。アグニが帰ってきたと陛下に伝えるんだ」
「アグニ……って、えっ! まさか、あの!?」
その名前を兵士が目を見張る。アグニと言う名前に、覚えがあったからだ。
近衛騎士アグニ。
その存在は、若くして近衛棋士にまで上り詰めたというだけでなく、先代勇者フセオテのパーティメンバーとして抜擢されたとして、王都では非常に有名な名前だ。
歴代の勇者のパーティメンバーは、勇者自身が見出して加えることもあるが、大抵の場合は各国の薦めに従って採用される。当然だが、国の威信を背負って立つため、ただ単に腕っ節が強いだけでは決して推薦されない。
つまりアグニは、戦闘力、人格ともに勇者のパーティメンバーに相応しいとしてゴードグレイス聖王国の信任を受けたと見做されている。まさに、一介の兵士にとっても、一人の男としても、これ以上となると勇者くらいしか思いつかない、憧れの存在というわけだ。
加えて噂では、近衛騎士アグニは新たな勇者を迎えるために、ギリエイム国王陛下の使者として辺境の地へと『送還』されたという。事実、それ以降、アグニの姿は王都で目撃されていない。
王都からアグニの姿が消えて、早三ヶ月。
そのアグニが、こうして帰ってきたということは……
「ああ、そうだ。ド辺境まで女勇者を迎えに行ったで有名な、あのアグニが帰って来たんだよ! おいボサっとしてんな! とっとと復唱しろ!」
「ハッ! 速やかに詰所に戻り、アグニ殿の帰還を王城に伝えます!」
「よし行け! あ、あとついでに桶に水入れて持ってこい」
「ハッ!」
敬礼する若い兵士の尻を叩いて走らせる。
各門の詰所には、伝令のための伝声管が設置されている。幾つかの詰所を経由しなければならないのが難点だが、あれを使えば例え相手が『騎乗』スキルを持つアグニの馬だろうと、先に到着を知らせることができるはずだ。
兵士を見送る僅かな間にも、蹄の音はどんどん近づいてくる。門はもう目前だと言うのに、アグニはバカだから加速しているのだ。もう間もなく、ここに到着するだろう。
――いやぁ、実に久しぶりだな。相変わらずとんでもなく早えなあいつ。
……うん……大丈夫だよな……? 流石に伝声管より早いなんてことはないはずだが……
「兵長、あんな勢いのままで、本当に大丈夫なんですかね……? あれだと、止まれずに門に激突するんじゃあ」
「しねえよ。そっちは大丈夫だ。ありゃあアグニの悪癖だ。馬の負担になるギリギリまで、馬に減速を命令しねえんだ」
「はぁ。そっちは……?」
真っ当な心配する兵士に対して心配ないと言っておきながら、やはりちょっとズレた心配をしている兵長と呼ばれたスキンヘッドの男――ジィドは、それでもだんだんとハッキリ見えてくる騎手の姿に友の面影を見つけ、頬を綻ばせる。重大な任務を終えた友の帰還だ。嬉しくないわけがない。
何故か近衛騎士の証である白銀の鎧ではなく如何にも安物な革鎧を着込んでいるなど、幾つかツッコミどころは見られるものの、どうやら五体満足で過ごしていたようだ。帰郷が嬉しいのだろう。アグニも笑っている。負けじとジィドも笑い返してやる。
邪悪な笑顔を浮かべながら、暴走する騎馬から逃げずに出迎える姿勢の凶悪な人相の兵士から、次第に若い冒険者たちがじりじりと距離を取り始める。一方で兵士たちは涼しい顔をしている辺り、きっと熟練度の差なのだろう。
同じく逃げずに隣に立つ、ジィドと付き合いの長い兵士が言った。
「嬉しそうですね、ジィド兵長」
「んん? そう見えるか?」
「ええ、どう見ても凶悪な犯罪者に見えますよ」
「喧嘩売ってんのかテメェ。アグニの奴ぁ変わんねえなあと思って見てただけだ。見ろよあの髪、あんなにピカピカ目立つ頭してる奴ぁ王都にだってそう居ねえぜ」
「そうですね! でもちょっとテカり具合では兵長には及ばなイヤすみません。すみません兵長! 嘘です! 嘘です兵長やめア痛ったあ!?」
@
ジィドの言う通り、爆走していた馬――デルタはギリギリのところで減速を開始し、ジィドを跳ね飛ばす寸前のところでピタリと静止した。
「アグニぃ! 久しく見なかったが随分元気そうじゃねえか! ぁあ!?」
「ジィド! 久しいな! ただいま帰還した!」
何事もなかったかのように再会を祝している二人だが、周囲の人間たちはバクバクと跳ね続ける鼓動を抑えるのに必死だった。この場合、寸でのところで馬を止めてみせたアグニの技量を褒めるべきなのか、呼吸一つ乱さず暴走馬の前に立ちはだかって見せたジィドの胆力を褒めるべきなのか、付き合いの長い兵士たちにもさっぱり見当がつかない。
何も知らない行商人たちは、勇者のパーティメンバーとしても名を馳せた英雄アグニと対等に語り合うジィドに不思議そうな視線を注いでいたが、
「お前着くなら着くって連絡ぐれえ寄越せよ!」
「いや、オレの馬のほうが早い」
「違えねえわ!」
などと笑い合いながら、自分を轢く寸前だった馬を撫でながら水を飲ませてやっているジィドの姿を見て、「やっぱり英雄の友人も普通じゃあないんだな」という謎の納得をした。
「ところでアグニよぉ、その娘っ子が新しい勇者なのか」
「そうだ。ルージュ殿という。ルージュ殿、起きてくれ。王都に着いたぞ」
何気なくなされたそのやり取りに、地味に度肝を抜かれる兵士たちだったが、続く光景を目の当たりにした時、兵士たちの顎が一斉にかくんと落ちた。
英雄アグニが、抱き抱えるようにしている勇者の頬をつまんで、むにむにと引っ張ってみせたのだ。
「ルージュ殿。ルージュ殿」
「ぶはっ! ハーッハッハッハ! ハーッハッハッハ!」
アグニに引っ張られ、もちか何かのようにむにむにと形を変える勇者のほっぺに、たまらずジィドが爆笑する。周囲の者たちは、人界を救う救世主であるはずの勇者の頬を好き勝手に弄ぶ騎士の姿より、それを見て爆笑してしまうジィドのセンスに恐慌寸前だった。
しかも恐るべきことに、勇者はまったく起きる気配がない。馬上で眠れるだけでも才能があると言われているのに、何をどうしたらああも爆睡できるというのか。勇者の寝顔はあどけなく、とても幸せそうだ。時と場合によっては癒しの光景だっただろうが、無防備に変化し続けるだらしない勇者の寝顔を見せ続けられることは、この場にいる者たちにとっては恐怖でしかない。
アグニの暴挙は止まらない。ついには勇者を抱きすくめるようにしていた右腕の封印を解放し、勇者の頬を挟み込んだ。ひい、とか細い声を上げ、一人の若手冒険者が失神して脱落。
そのまま両側のほっぺを揉み解すようにしながら優しく声をかけ続けるアグニ。しかし勇者はまだ起きない。口の端からてれりと新たなよだれが溢れる。ここで兵士が一人脱落した。
誰か、誰かアグニを止めてくれ。いいから今すぐ止めてくれ。兵士の一人がそんな願いとともにジィドを見たが、彼は腹をよじって笑い転げていた。
「勇者が! 勇者がよだれ! ヒーッヒッヒッヒ!」
ダメだ。使い物にならない。兵士は絶望した。
刻一刻と形を変える勇者の頬に、皆の忍耐は限界だった。誰もが心の中で叫んだ。いいから早く起きろ! と。
果たしてその願いが、人界の守護者たる女神トーラに聞き届けられたのか。その時ふいにルージュの瞼がピクリと動いた。
「……うーん」
目覚める! 勇者が目覚めるぞ!
さんざんだらしない寝顔を披露し続けた勇者の目覚めに、皆の熱い注目が集まる。
「起きたか、ルージュ殿。着いたぞ。王都だ」
ルージュの頬からアグニが手を離し、そう話しかけたその時だ。
「えっ! 王都!!」
勇者ルージュの覚醒に合わせて、ぶわりと、とてつもない密度の魔力の奔流が勇者ルージュの体から溢れた。
三件目の感想をいただきました。ありがとうございますヤッフー!