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私の初めての魔法。

前回のあらすじ


 魔王が牧羊犬になりました。

 

 肌寒さの残る暁の空の下を、一匹の狼が駆けていく。

 その狼はただの狼ではなかった。目に見えて異常なのはその大きさだ。普通の狼の何十倍もある、常識では考えられない、見上げるほどに巨大な狼だ。

 軍馬をも易々と踏みつぶせそうなほどの逞しい四肢が大地を蹴るたび、深く巨大な爪痕を刻みながら、その巨大な体を驚異的な早さで西へ西へと運んでいく。

 その巨体を前に、あらゆる障害物は意味をなさない。馬車が迂回せざるを得ない急勾配の坂道だろうと、まったく減速することなく滑るように駆け抜ける黒狼の姿は、まるで高速飛行する飛竜が大地に落とす影のようだ。


 これほどの巨体であればその重量は推して知るべしだが、狼の奏でる足音は軽い。重心の位置を自在に操作し、力の無駄を省いているのだ。その証拠に、気分良さげに大地を駆ける狼の姿は、どこまでも軽く伸びやかに見える。

 事実、その狼は気分が良かった。


『クックックックック』


 笑っちゃうぐらいに気分が良かった。


『ハッハッハッハッハ』


 思わず人語が出ちゃうくらいたいへん気分がよかった。


『ハァーッハッハッハッハ!!』


 ついつい魔王三段活用を駆使して大笑いしちゃうほどに気分がよかった。


『聞くに耐えません……! 下だけではなく上の口からも汚物を垂れ流し続けるとは、魔族とはなんと下劣で低俗な生物なのでしょう!』

『失敬な! 我はうんこなどせぬわ!!』


 事実であった。ルージュの魔力100%で構成される今の魔王はいくら食べてもうんこをしない。老廃物や排泄物にあたるあらゆるものは全て魔力に変換されて、宿主たるルージュの体内へと還元される。そこに選択権の発生しないルージュ自身の心証はともかく、外側だけ見れば今の魔王は実に清潔でエコロジカルな存在と言えるだろう。

 いつの間にか疾走する魔王のすぐ側に姿を現していた女神に対し、異世界のアイドルグループのようなことを言いながら、更に続けて魔王は言った。


『久方ぶりに元に近い体を得て、せっかくいい気分で走っていたというのに水を差しおってこの腐れ女狐が。しかし随分と遅かったな? 我の姿に恐れをなしたか?』

『聞く価値もない戯れ言ですが、塵芥の慈悲をもって答えましょう。無知で無様で無躾な駄犬にはとても相談できないような頼みを、勇者ルージュから聞いていただけです。咽び泣きながら妬む権利を与えましょう』

『フン。大方、貴様の魔法を教えろとせがまれたのであろう? 魔王ルージュにな』

『……聞こえていたと?』

『さてな』


 嘲るように魔王は嗤う。しらを切るような物言いだが、その意図は明白だ。魔王は遠く遠く離れた場所にいながら、何らかの方法によって女神とルージュの会話内容を間違いなく正確に把握している。


『本来ならば貴様如きの案内など不要なのだ。森の位置も群れの位置も我には手に取るように分かる。であれば貴様などと行動を共にする必要も価値もないし、こうして貴様と面を合わせていると反吐が出そうだが、どうやらルージュには別の思惑もあるらしい』

『不本意極まりないですが、まったく同じ意見です。ルージュはわたくし達を互いに監視させたがっている』

『元はと言えば貴様のせいだろうが! 森牛の暴走は魔物化の可能性があるだなどと、貴様が我を疑うような発言をしたことをルージュなりに気にしたとしか思えん』

『駄犬如きに言われるまでもありません。無論、適材適所という言葉も決して嘘ではなかったのでしょう。ですが、しかし……』


 はぁ、と。


(私の言ってるこの意味が、分かりますよね?)


 女神と魔王はまったく同じことを考えながら、同時に深くため息をついた。

 無論、分かっていた。ルージュが単に、村や森牛の話をしている訳ではなかったということなど。


『普段能天気だったルージュが、あれほど露骨に心境を語ったのは初めてだ。今まであれはなんだかんだと言って、魔界を観光してから決めるの一点張りだったからな。だが、貴様はとっくに気付いていたんだろう?』

『このわたくしに隠し事ができる人間はおりません。ですがこれだけは言っておきます。ルージュはあくまで即断即決するつもりがないだけで、既に八割近くは勇者になると決めています』

『ハッ! 初日に比べれば格段の進歩だな。なにせあの時は、その場で勇者になると断言されたほどだからな』


 魔王の言葉の通り、ルージュは確実に悩んでいる。

 魔王にとっては推測するしかないことだったが、女神にとっては、自身の能力と権限を使って知り得た真実でもあった。

 更に、もっと言ってしまえば、女神はあの日ルージュが「勇者になる」と即決(・・)してみせた本当の理由も知っている。だがそれは、女神の口から語られることは決してない。魔王がそれに感づくことは、女神にとってマイナスでしかないからだ。

 例え魔王も薄々感づいていることを、女神自身分かっていたとしても。


 苦々しい表情を浮かべる女神とは裏腹に、ハッハッハー、と笑う魔王ではあったが、その声に覇気はない。それどころか、次第にどんどん小さくなっていく。

 魔王から気力を奪っているのは、言いようのない空しさであった。


『……やめだ、やめだ。どうも調子が出ん』

『……そうですね。あなたと同感というのも虫酸が走りますが』

『ハッ。よく言う』


 いつもの軽口にもキレはない。

 その原因は明らかだった。

 認めたくないが、という前置きは入るが、女神と魔王は間違いなくルージュに感化されていた。


 女神と魔王。二人の主張は実に明快で、正反対に見えて実のところ、似通っている。

 それは自らが庇護する人界ないし魔界のために、その対抗勢力である異なる世界を滅ぼすこと。

 だが、その願いにはある一つの前提条件がある。

 それは自らが庇護する世界を、滅ぼさせずに守り抜くこと。

 例え相手を滅ぼしたとしても、もし仮に共倒れになったとすれば、それは最悪の未来に等しい結果だ。


 魔物が現れてから1500年。戦端が開かれてからは500年続いた争いだ。相手に対する恨みはある。憎しみもある。特に歴代魔王の恨みを継承し続けた魔王の怒りや憎しみは筆舌に尽くし難い。ルージュに継承されたとはいえ、既に怒りと憎しみに汚染されているバロールの魂は、今もなお深い所で人間を滅ぼせと唸りを上げている。


 だが。

 だがそれでも。

 もし仮に、どちらも滅びないという道があるのだとしたら?


 人界は魔王を無視できない。魔王を滅ぼさない限り、人界は常に脅かされ続けるから。

 魔界は勇者を無視できない。勇者を滅ぼさない限り、魔界は常に脅かされ続けるから。


 そうして互いに滅ぼされないために攻撃し合った結果、戦争は500年経った今もなお続いている。


 女神が存在する限り、何度でも選定され続ける勇者。

 魔王が存在する限り、何度でも継承され続ける魔王。


 互いに決して滅ぼせないものを、いつか滅ぼすことができると信じて、いつまでも争い殺し合う運命にあるはずだった者たちが、ある日突然、何らかの奇蹟によって、争い続けられなくなったとしたら。

 勇者と魔王が声を揃えて、「もうやめた」と言える日が来るとしたら。

 滅ぼさなければ、滅ぼされる。戦争を支えたその大前提が、脆くも崩れ去る日が来るとしたら。

 どちらの世界も滅びることなく、500年続いた戦争が終わるかもしれない。

 守りたいものを守るため、敵を滅ぼすことしか考えてこなかった女神と魔王にとって、想像すらしてこなかったその未来が、いつの間にか、すぐ手の届く距離にあるとしたら。


((少なくともその道の先では、魔王(勇者)によって人界(魔界)が滅ぼされることだけはない))


 その可能性をほんの僅かにでも感じさせられたという事実が、一時的にとはいえ女神と魔王から苛烈な敵対心を奪い去っていた。

 そうさせたのは、あの運命の日が訪れるまでは何者でもなかったはずの一人の少女。

 特出した才能も、これっぽっちの魔力も持たず、生まれも育ちも平凡な一人の町娘。

 魂の容量が他人と比べて、たまたま異常に膨大だった。普通に生きる上では誰にも誇ることができない、たったそれだけの長所を理由に女神と魔王に目をつけられてしまった不幸で不憫でしかないその少女が、勇者や魔王といった肩書き、ましてや与えられた膨大な魔力さえまったく無関係なところで女神と魔王を心動かしたという事実。

 その事実が、女神と魔王を震撼させ、そして戦慄させていた。


(始まりは不運な巡り合わせだと思った。だが、しかし。これはひょっとすると……)


 その時、魔王の視界に明確な変化が訪れる。


 住処を追われ、暴走することを余儀なくされた森牛たち。

 その群れが、大地を揺らし、もうもうと立ちこめる土煙を上げながら、魔王の真正面から現れた。


 ついに来たか。魔王は獰猛な笑みを浮かべた。牧羊犬の真似事という不本意極まりない役割を前に、いま、魔王のやる気は密かに漲っていた。

 魔王にとって森牛とは憎き人間に虐げられる同情の対象であり、美味なる肉を提供してくれる有り難い存在であったが、だが今この瞬間、森牛にとって幸か不幸か、非常に間が悪かった。


『フン。実に丁度いいではないか。溜まりに溜まったこのやり場のない感情全て、貴様らで晴らしてスッキリとさせてもらうぞ』


 つまりそれは端的に言って、腹いせ以外の何物でもなかった。


 魔王は実に魔王的なあくどい笑みを浮かべながら、実に魔王らしい理不尽さを伴って森牛の群れを威圧する。

 今から魔王はこの群れを、徹底的に叩き潰す。殺傷することを含めたあらゆる手段を駆使して森牛たちの心をへし折り、服従させる。犬如きには到底真似できないような、圧倒的な恐怖を教えてやる。

 その気迫が全てを飲み込む闇色の魔力の奔流となって、魔王の全身から迸った。

 猪突猛進、一心不乱。ただ前へと進む装置と化したはずの森牛の群れの足が揺らいだ瞬間だった。


『我が名はバロール! 貴様らよく聞け! ここから先は一歩も通さん!! 貴様らが生き延びられる最短距離とはどの方角か、その小さな脳でよぉく考えろ!!』


 魔王バロール。巨大な三つ首狼として魔界に君臨した魔族の王。

 聞くだけで耳を腐らせ、魂をも呪うと言われた魔狼の極悪の咆哮が、いま、人界の空の下に響き渡った。


  @


 風が少し、強くなってきました。


「ふーんふーん、ふふんふーんふん……」


 魔王と女神を見送った私は、丘を降りてたった一人、冷たい風の吹きすさぶ牧草地の真ん中で女神の曲を静かに歌う。


「ふーんふーんふふんふーんふふん……」


 風向きは東。

 東から吹く強い風が、私の背を撫ぜて前のほうへと吹き抜ける。


「ふんふんふふふん、ふふんふーんふん……」


 私の歌を、前へ前へと運んでゆく。


「すぅー……。はぁー……」


 お腹の奥からじわじわと競り上がってくる緊張感を、深呼吸して外へと追い出す。


 魔王の側へとついた女神は、私の耳に、逐一声を届けてくれています。

 首尾は上々。

 アグニはレガートさんたちを連れて、既に南の街道へと避難を完了しているそうです。村を離れたくないと、何名かの村人は村に留まったそうですが、レガートさんの機転でその人たちは地下の蔵に隠れているとのこと、万一森牛の群れが村を襲っても、命の心配はなさそうです。

 魔王のほうも、慣れない牧羊犬の役を精一杯頑張ってくれました。自分で頼んでおいてなんですけど、暴走(スタンピード)中の森牛を誘導するなんて至難の業じゃないかと思いましたが、流石は魔王の恐ろしさと言うべきか、森牛の群れを巧みに追い回して、今は川を渡らせている最中なんだとか。

 川さえ越えれば、もう誘導は終わったも同然です。すぐ目の前には南西の森があって、振り返れば川と魔王がいる。その二つの壁を越えてまで、ずっとずっと向こうにある東の森を目指すなんてことは、流石にもう、ないでしょう。


 アグニは村人のために、女神と魔王は森牛のために。

 彼らはそれぞれの場所で為すべきことをしました。

 なら最後は私の番。


 目の前の丘を越えて、ここにもうすぐ森牛たちがやってくる。


 魔王の手のひらからこぼれ落ちて、新しい故郷へと辿り着けなくなった、哀れで不幸な森牛たち。

 魔王には、どうしても誘導しきれず群れから溢れた森牛については、深追いせずに見逃してほしいとお願いしました。

 魔王のプライドに障るかもしれませんが、ただでさえ慣れない牧羊犬役です。いくら魔王と言えども、全部の森牛を一頭残らずきちんと誘導するなんて、ぶっつけ本番で期待するには少しばかり荷が重いと私は思いました。

 だから魔王には、無理して群れを瓦解させてしまうくらいなら、より多くの森牛を確実に南西の森まで届けてほしいとお願いしました

 そのかわりに、こぼれ落ちた森牛たちは私がきちんと止めるからって。

 魔王は頷いてくれました。

 そうして決まった役割分担。

 アグニは村人を。女神と魔王は森牛を。そして私はマツコベ村を。

 これは、そういう役割分担でした。


 丘を見上げるこの場所を、私が森牛たちを迎え討つ場所として選んだ理由はただ一つ。

 ここなら私は剣を振れる。

 思い出すのは、魔物を相手に初めて剣を振るったあの日のこと。

 そんなつもりはなかったのに、湖を割るほどの大きな亀裂をうっかり作ってしまった私の手加減下手は、未だちっとも直ってはいません。そんな私が剣を振ろうと思ったなら、横にでもなく、下にでもなく、上のほうへと剣を振らなきゃいけません。

 幸いというべきか、森牛の進路はハッキリしていました。基本直進ですからね。

 だから私は西の森と東の森をまっすぐ一本の線で繋いで、間に合いそうな場所の中で一番高い丘を選んだ。

 それがここ。適材適所というやつです。


 アグニから借りた偽物の聖剣を握り締めて、女神さまの曲を歌いながら、私はただ、その時を待つ。


 あの丘を越えて、森牛たちが現れたら。

 私はこの剣を、振らなきゃならない。


「っ……」


 私は本当に、いい選択をすることができたでしょうか。

 正しくなくていい、間違っててもいい。ただ、後悔だけはしないで済むほうを選びたかった。

 だって私は臆病だから。いつか大切な人を失って泣いていたあの冒険者さんのように、後悔して、泣きたくないから。

 私はそんな未来を、きちんと選べているでしょうか。


「……ふん。ふん。ふふん、ふん、ふん、」


 分からない。

 いつだって後悔は、取り返しがつかないほど、ずっと後のほうからやってくる。


「ふん。ふん。ふふん、ふん、ふふん、」


 本当は。

 何かを殺すなんて、本当は嫌だ。

 森牛を殺すなんて、本当ならしたくない。

 そんなこと今までしたこともないし。

 生き物の命を奪うのってすごく怖い。

 ましてや森牛は魔物ですらない。

 どうして私がやらなきゃいけないのか。

 こんなの間違ってるとさえ思う。

 何度も何度もそう考えた。

 だから私は、


「ふん、ふん、ふふふん。ふふん、ふん、ふん、」


 今は泣けるような優しい曲なんかじゃなくて、勇気をくれる曲が欲しい。

 逃げ出したくてたまらない臆病な私を蹴飛ばして、無理矢理前へと引っ張ってくれるような、女神のあの森の曲が欲しい。

 わがままで選んだ答えから私自身が逃げ出してしまったら、みんなにもう、合わせる顔がないから。



(魔法を教えてください、女神さま。女神さまの、音楽の魔法を)



 その時。

 丘の向こうに幾つもの影が現れました。

 それは生き物でした。

 口角から泡を飛ばしながら、まるで狂ったみたいに必死になって走る何頭もの森牛たち。

 住処に火をつけられ、仲間を奪われ、故郷を追われてなお、生きたいと必死になって全力を振り絞る生き物の姿でした。

 次々に丘を越えて、下り坂を全速力で駆けてくる。凄い数。数十頭。女神からざっくり聞いてはいましたけど、こうして実際に目にすると、その数と勢いの怖さが頭じゃなくて心で理解できる。

 邪魔なんかしたら跳ね飛ばされる。

 そう思わせるほどに森牛たちの様子は鬼気迫っていて、


 少なくとも、

 この森牛たちを素通りさせれば、マツコベ村が大変なことになるってことを、否応なく確信させられてしまうくらいに。


「っ……!」


 本当だったら魔王に頼めた。

 一頭残らず止めてください。そう言えばきっと代わりにやってもらえた。

 でもそれじゃ何も変わらない。

 あの森牛たちは私の剣じゃなく、魔王の爪にかかって死ぬだけ。

 それなら私はこっちを選ぶ。

 だってマツコベ村を無傷で守るって決めたのは、誰でもない、私だから。

 だから、ごめん。

 ここから先へは行かせられない。

 大きく息を吸って、私は歌う。



「……《B.(ビィ)》、」



(好きな時、好きな相手に、好きな音楽を聴かせるためのあの魔法を教えてください。いまの私に、必要な魔法を)



「《G.(ジィ)》、」



 突然、背中に熱を感じた。

 朝焼けの優しい光が辺り一面に降り注ぐ。

 それで気付いた。私が背にした山の向こうから、寝坊助な太陽が顔を出したのだ。

 突然の光に目を焼かれたのか、森牛たちの足がほんの一瞬だけ止まる。これ以上ないチャンス。

 なんて偶然なんだろう。

 背中に感じる温かな光が、無性にいま、心強く感じる。



「……《(エム)》っ」



 その熱に押されるようにして、私は声を振り絞る。

 アグニの剣を力いっぱい握り直して、聴きたい曲に魔力を注ぐ。

 イメージはとっくに済んでいる。

 何度も歌ったあの曲を願う。

 私の耳に魔法陣が生まれる。

 聴かせたい人に、聴かせたい時に、聴かせたい音楽を届ける魔法を使う。

 女神が教えてくれた魔法。

 私の初めての魔法。

 《B.G.M》。

 ぶっつけ本番だったけれど、私はその魔法が正しく発動する音を聴いた。


  ――♪


 ずっと待ち望んでいた曲は、やっぱり惚れ惚れするくらい素晴らしくて。

 立ち止まりたくなるような恐ろしさを越えた先には、きっと素晴らしい景色があると信じて、私は剣を振りかぶりながら、最初の一歩を踏み出した。


  ――♪


  @



「勇者様! このマツコベ村を救っていただき、誠にありがとうございます! 本当に、本当にありがとうございました! ハハ! ハハハハ! ハハハハハ!」


 そうして。

 全てが終わってマツコベ村へと帰還した私たちを出迎えたのは、アグニと、そしてレガートさんたちでした。

 ちょっと戻るの早くない? そう思いましたが、どうやら朝焼けと共に放たれた魔力の籠った剣閃は南の街道からでも見えたらしく、危険は去ったと確信した村人たちが我先と村へと帰還していったそうです。

 実際には、私が剣を振ったのは全部で四回。陽光に煌めく銀閃が空へと伸びて、重なる雲を切り裂くたびに、村人たちの額を冷や汗が伝ったそうです。


 それはまあ、ともかくとして。


 私はレガートさんたちに、今回の事件の顛末を伝えました。

 森牛は、魔物化なんかしていなかったこと。

 西の森を追いやられて、住処を求めていただけなんだということ。

 東の森へと向かうはずだった森牛の群れは、その数を減らしながらも、今は南西の森へと移動したこと。

 そして西の牧草地帯で、何頭もの森牛を……。


 全てを聞いたレガートさんは、なんと笑顔でこう言いました。


「つまり西に落ちている森牛たちは、勇者様の狩りの収穫ということですね!」


 ぽかんとする私とアグニを尻目に、レガートさんは素早く村人たちに指示を飛ばして倒れた森牛たちの回収を命じました。

 やがて引きずられてきたたくさんの森牛の死体は、決して綺麗なものとは言えませんでした。断面という意味においてはこれ以上なく綺麗なのですが、断面の位置とか、そういう意味で。

 ちょっと直視できないでいると、なんとその場で解体が始まりました。えっ? いまここで? よりにもよって?

 呆然としている私に、レガートさんは言いました。


「宴です! 宴をしましょう、勇者様! なぁに遠慮はいりません! この森牛はすべて、勇者様の獲物なんですから! ハハ! ハハハハ!」


 きっと悪気なんてこれっぽっちもないんだろうな。そう思えるほどの恩着せがましい笑顔でした。

 そんなレガートさんに、真っ先にこれに反応したのはアグニでした。

 アグニは昨日の西の森で、私の代わりに瀕死の森牛を楽にしてくれました。いったい私がいまどういう気持ちでいるか、きっと察してくれたのでしょう。

 でも、私はアグニを止めました。

 急に手を握られて、アグニはびっくりしていましたが、何も聞かずに下がってくれました。

 そして私は言いました。


「はい。頂いていきます」


  @


 その宴は昼過ぎまで続き、身も心も満身創痍ってくらいお腹いっぱいに森牛を食べて、私たちはマツコベ村を後にしました。

 大勢の村人が見送りに来てくれて、たっぷりお肉を持たせようとしてくれました。流石に積載量に問題があったらしく、アグニにばっさり斬って捨てられてましたけど。デルタにあまり無理してほしくはないですからね。

 私たちはこの村に来たときのように、デルタに乗って、アグニが手綱を握って、私はアグニに頭を預けるお馴染みの姿勢を取りました。

 それにしてもアグニ、ちょっと太りました?


「そうだな。増えたかもしれん。しかしルージュ殿、君も食べ過ぎだ」

「しょうがありません。だって、おいしかったんですもの」


 どんなことがあったって、森牛はやっぱり美味しかった。

 それは少しショックでもありましたが、同時にやっぱりほっとしました。私が守りたかったものは守れたんだなあって、そう思えた瞬間でしたから。


「村に被害はまったくなくて、村人たちも全員無事。森牛たちは南西の森に移住しちゃいましたけど、レガートさんたちやる気まんまんでしたね」

「ああ。船でも橋でもなんでも作って、南西の森で狩りを続けると息巻いていたな。だが、それでよかったのか?」

「いいんですよ。森牛狩りがなくなっちゃったら、それはそれで私が困りますから」


 森牛狩りが廃れたら、それこそなんのために村を守ったのか分からなくなっちゃいますからね。


「そうではない。西の森のほうだ」

「……えっ」

「生き残っているんだろう? 森牛たちは、西の森にも(・・・・・)


 私は驚いて、アグニの胸を後頭部で抉るようにして頭上のアグニを見上げました。

 私の魔力をたっぷり吸ったアグニの革鎧はびくともせず、アグニの「してやったり」という表情が逆さまになって目に飛び込んできます。


「気付いてたんですか?」

「大丈夫だ。レガート殿は気付いていなかったぞ」


 そりゃあそうです。村人たちは勿論、レガートさんは特に女神に念入りに心を読んでもらって、あらゆるズルを駆使して心証操作しましたから。


 村へと戻る道すがら、私は女神から聞きました。

 そんなに数は多くないけれど、西の森にもまだ残っている森牛がいるって。

 私はそれを聞いた時、殆ど即決でこうすると決めて、その後じっくり考えましたが、やっぱり決めた通りにしました。

 西の森に森牛がいることは、レガートさんたちには内緒にすることにしました。

 だってその事を聞いたら、レガートさんたちは絶対また森を燃やしに行くに決まってるじゃないですか。

 それがなんか嫌だったというのもありますけれど、本当の理由はもう一つあって、住処を燃やされ、仲間に置いていかれても、それでも生まれ育った故郷に残りたいというその思いがなんだか無性に他人事には思えなくて、私は全力でその事を隠すことに決めたんです。

 幸いレガートさんたちは騙されてくれたようです。女神にこっそりレガートさんの心を覗いてもらいましたが、南西の森の開発計画で頭がいっぱいだったとのこと。忙しくなりそうですね。頑張ってくださいね。

 こんなことしかできませんでしたが、これがエゴにまみれた答えを出した私にできる、ほんの小さな罪滅ぼし。

 いつかは気付かれてしまうでしょうけど、それまでの間、西の森は森牛たちにとっての楽園であって欲しいと切に願います。


「それにしても、アグニにはバレていたなんて……。私そんなに露骨でした?」

「まぁなんだ。これも付き合いの長さの差という奴だろう。多少の隠し事なら、瞬く間に看破する自信はある」


 なにこの人ちょっと怖い! デリカシーって言葉知ってますか!?


「ふ、ふうーん!? 流石はイケメン騎士さまですね!? でも甘いですよ! 乙女にはですね、男性には見えないもっともっと深い所に、とんでもない秘密が隠されていたりするんですから!」


 例えば信じてた勇者が、実は魔王だったりね!

 これは流石に…………流石に、気付いていませんよね?


「そうか。その秘密とやらは、いつか打ち明けてもらえるのだろうか?」

「………………まぁ、そのうちに?」

「そうか!」


 どことなく満足そうなアグニの声に、何も言えなくなる私。

 はぁ。ずるいなあ。イケメンって本当にズルい。

 いったい私はこの旅の間、何回アグニに負かされるんでしょう。世界最強とか聞いて呆れます。魔力が全てじゃないですね、ホントにもう。


「何か言ったか? ルージュ殿」

「別に!」

「そうか!」


 こんなやり取りも無駄に楽しい!

 くそうアグニめ! 今晩妄想の中で泣かせてやるかんね!

 受け側で!


『あまり具体的に妄想するのはやめろ。結構伝わる』

『あっはいすみません。バロールもお疲れ様でした』

『良い。割とストレス発散になった』


 確かに魔王の言葉の節々から、スッキリとした爽やかさを感じます。


『聞きましたよバロール。牧羊犬扱いするなとか言っておいて、結構楽しんで森牛を追いかけ回してたらしいじゃないですか』

『ああ。意外と楽しめた。奴ら、我がつまみ食いなどをすると途端に素直に言う事を聞くのだ』


 満喫してる……!? っていうか、なんだか妙に素直ですね?


『そう言う気分の時もある。時にルージュよ』

『はい、なんですか?』

『あの日勇者になると即答したのは、エイピア(おまえの町)を守るためか?』


 ……。


『おまえにとってあの日は最悪だったはずだ。心の準備もなく勇者だ魔王だと祭り上げられた挙げ句、勇者になると言えば我が暴れ、魔王になると言えば女神が暴れ、かといって答えを出さなければ、おまえを巡って我々二人が暴れ出す。どう足掻いても炎に包まれることになる町の様子を、おまえは容易に想像できたはずだ。今日これだけの選択をしてみせたおまえならば』


 ……。


『だからおまえは考えた。迷って、悩んで、決断した。勇者になると決めておいて、我に情けをかけるフリをした。

 おまえ……エイピアの町を戦場にしないためだけに、この我を利用したな?』


 ……。


『……な、なんのことでしょうか。確かにあの時は、魔王にはちょっと悪いことをしちゃったなぁとは思ってますけど?』

『良い。我は別に怒っているわけではない』

『あ、そうなんですか?』

『いま暗に認めたな?』

『うぐぅ!』


 なにこれ怖い! この魔王怖い!

 えっ!? 気付かれてたの!? だって今まで、全然そんな素振りなかったのに!

 いや、だって、だってしょうがないじゃないですか! あの時の女神と魔王、ホントもう殺る気まんまん過ぎてこちとら失禁寸前だったんですよ!? 初見のリアル女神と魔王を前に、ひたすらテンパり続けた私の心中も察してほしいです!


『だから言っておるだろうに。我は怒っているわけではないし、責めてもいない』

『あの、一つだけ、一つだけ言わせてください! 勇者になるって即決したのはその、確かにバロールの言う通りです。ですけどその後の私の言葉に、嘘はありません。私は魔界と魔族が知りたいって心の底から思ってます!』

『その言葉に嘘偽りはないだろうな?』

『はい。人界の女神トーラに誓って!』

『嘘です。ルージュは起きている間ずっと魔界など滅んでしまえと念じ続けています』

『ちょっと女神さま!? いますごく大事なところなんですけど!?』

『ハッハッハッハ! 良い! 我はおまえを信じてみることにした』

『ふぇ?』


 魔王、今なんて。ニンゲン死すべしを地でいく魔王が、人間である私を信じる?


『この言葉の意味が分からないおまえでもあるまい?』

『っ!!』

『確かにこの先、おまえの気持ちがどう転ぶかは我にも分からん。だが今のおまえなら信用できる。人間を滅ぼすのではなく、森牛も滅ぼすのでもなく、我と女狐の誘いを蹴って、それでもおまえの選びたいものを選び取ることができる強さは我が今までに見てきたどんな魔族も持ち合わせていなかったものだ。そんなおまえだから信じるのだ。おまえは何の根拠もなく、ただ魔界を滅ぼすなんて選択だけは決してしないと』

『ふぁっ……ば、バロールぅ』

『我にできることはただ一つ、おまえをできる限り早く魔界へと連れていくことだ。おまえに魔界の全てを見せてやる。魔界はおまえを歓迎する。だからおまえはおまえのまま、その時が来るまで好きなだけ悩め』


 ……。

 ふわあ。

 なんか私、最近ダメだ。

 ちょっと涙腺緩くなっちゃったかもしれない。

 だって、だって魔王ですよ?

 人界は滅びて当然で、ニンゲンなんてゴミかスナック程度にしか思ってなかったあの魔王が、人間である私を信じるって。

 魔王だけど、勇者でもあって、困ると分かってて「勇者になります!」なんて言った性格悪い私のことを、信じるって言ったんですよ。

 信じられない!

 いやこの言い方だと魔王に失礼かな!?

 いきなり過ぎてテンパってますけど、とにかくこれって、いま、何かもの凄いことが起こってません!?


 私は前を向いてられなくなって、思わず両手で顔を抑えてうつむきました。

 ごめんねアグニ。いきなり不審だったよね。でもごめん。これだけは言わせて。脳内で。


『…………い』

『『い?』』


『いま、ろくよんに、なりましたあ』


『『ええええええええーーーっ!?』』

『信じています! 信じていますよ勇者ルージュよ! わたくしもあなたを信じています! だからその評価はちょっと考え直しなさい!』

『フハッ! フハハハッ! フハハハハハハ! なんと無様な! 女狐よ、今の貴様は見苦しいなどというレベルではないぞ!!!』

『黙りなさい汚物が!! 言いなさいルージュ、どっちが六で、どっちが四なのですか!! わたくしの声が聞こえていますね!?』

『ついに汚物扱いだと!? 言ってやれルージュよ、人界にも女狐にもほとほと愛想が尽きたのだと! なぁにルージュのことだ。塵芥の慈悲をかけて、滅亡だけは避けてくれるやもしれんぞ?』

『ぐぬぬぬぬぅ!!』


『ゆうしゃが、ろくですう』


『何ィィーーーーっ!!?』

『アーッハッハッハ! ァアーッハッハッハ!! 聞きましたか!? 聞きましたね!? 僅かにでも調子に乗った己を恥じて自死しなさい!』

『ぐくくくっ、まだ勇者が優勢なのか! だが! 状況が分かっておらんのは貴様のほうだ! 気付いているか? この旅が始まって以降、魔界の評価は上がりこそすれ、人界の評価は下がる一方だということに!』

『確かに今まではそうでしょう! しかしそれもこれも全て、この極貧に近しい旅に問題があるのです! もうじき王都! 我がトーラ神聖教会の総本山です! この世のものとは思えない贅の限りを尽くしたもてなしをもって、浮ついたルージュにこの世の天国を思い知らせてくれる!』

『何だと貴様ァ!? 卑怯にも程があるぞ! ルージュはこれでかなり俗物なのだぞ!?』

『加えて信者から美男子を選りすぐり、ルージュの前に並べます! 彼らは女神トーラの名の下、人界のためならなんでもするでしょう!』

『ルージュの変態的な性癖までも利用するだと!? 正気か貴様!! この悪魔め!!』

『アーッハッハッハッハ!! 矮小な魔族の罵声のなんと心地よい響きか! アーッハッハッハ! ァアーッハッハッハ!!』


 いつまで経っても終わらない女神と魔王のイチャラブを聞いて、やっぱり私たちは分かり合えないかもしれないな、なんてそんなことを思いながら、私たちの旅は続く。

森牛編はこれで終了となります。楽しんでいただけたでしょうか。

この後短い幕間を挟んで第二章は終了となり、キャラクター紹介へと続いていきます。できれば同日更新したいところ。


続く第三章は、王都へと辿り着いたルージュたちの物語。

聖王国と帝国の首都でちょっとした事件を巻き起こしつつ、魔界へと旅立つまでを描く予定となっております。

長さによっては、聖王国編と帝国編で分割するかもしれません。

特に意識して間を置かず、普段通りのペースで更新していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。


第二章はサブキャラしか増えませんでしたが、第三章ではパーティメンバーが追加される予定です。お楽しみに。


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