三つの選択肢。私の選択。
前回のあらすじ
後味悪い狩りを終えたと思ったら、森牛の群れが大挙して押し寄せてきました!
マツコベ村の近辺には、合わせて三つの森があります。
一つはマツコベ村のまっすぐ西にある、西の森。昨日私たちが訪れた、森牛の聖地。
一つは正反対の方角にある、東の森。西の森より近いけれど、村人たちによる伐採の対象になっている森で、こっちの森には森牛はいません。
最後の一つは南西の森。地図上で近くにあるというだけで、タイローン山脈から流れるでっかい川の向こうにあるため、村とはまったく関わりがない森。
どの森にもきちんとした名前があるはずなのですが、流石に三つも森があると名前が混ざってややこしいとかで、いつしか誰もが方角で呼ぶようになったそうです。それでいいのかと思いましたが、実際誰も困らなかったし、本当の名前は先代の村長さんも知らなかったのだそうです。誰も覚えてないんじゃしょうがないですね。
同様に、川も『川』です。こちらは下流に向かえば名前が聞けそうですけどね。既にあんまり興味が湧きませんが、もし覚えてたら聞いてみましょう。
閑話休題。
「事態が発覚したのは、丘の上に建てた見張り小屋から火急の知らせが入ったためだ。それによると数百頭からなる森牛の群れが、西の森を出てまっすぐこの場所、マツコベ村まで迫ってきている」
テーブルを挟んだ向こう側には、緊迫した様子のアグニがいました。テーブルに乗り出すように片手を添えて、もう片方の手で地図をなぞっています。
慌てて駆け込んできたレガートさんを一度追い出し、これを持ってこさせた上で再度追い出すことによって獲得したこの近辺の地図でした。手先まで引き締まったアグニの指が、地図上の西の森からマツコベ村までの間を滑ります。
「距離的に最も近い南西の森を無視してマツコベ村へと迫る大群に、村の人間は森牛が魔物化したと判断し、我々に救援を求めてきた。
群れの移動速度は、見張りの話を聞く限りだと早馬に匹敵しそうだ。オレの馬よりは遥かに遅いが、それでも驚異的な速度で迫ってきている。現状、あまり猶予がない」
アグニはいったん言葉を切ると顔を上げ、真剣な表情で私を見ました。平時であればドキッとしてしまいそうな表情です。
「どういう対応を取るにせよ、早急に対策を練る必要がある。ルージュ殿、何か質問はあるだろうか」
「はい。まず、魔物化ってなんですか?」
「説明する。ルージュ殿は魔物と動物の違いをご存知だろうか?」
「えっと、積極的に人を襲うかどうか。その、色んな意味で」
「そうだ。魔物は人間に猛烈な敵意を抱いているように振る舞う。補食のために襲いかかったり、暴行に及ぶなどする。魔物化とは、今までそうでなかった野生動物が、まるで魔物のように振る舞い始めることを言う」
昨日のように誰かが火をつけた訳でもないのに、唐突に西の森そのものを捨て、人里であるマツコベ村へと驀進している森牛たち。
従順に『狩られる存在』に徹してきた森牛たちによって翻された突然の反旗。その変化は、確かに森牛という野生動物がまるで魔物に転じたかのよう。
「レガート殿は森牛の習性を熟知していた。その彼が言うには、暴走状態にある森牛が最も近い距離にある南西の森を無視して、人里であるマツコベ村に直進しているのは明らかにおかしい。だから森牛は魔物化したに違いない。森牛狩りを続けてきた、村人たちへ復讐するために。と、そういう理屈らしい。
一説に寄れば魔物化という現象は、野生動物たちの恨み辛みを聞き入れた魔王が手を貸すことで起こると言われている。だが言ってしまうが魔物化というのは迷信だ」
「えっ、嘘なの?」
少しでも納得してしまった私の素直な気持ちに謝ってほしい。
魔王も『我にも謝れ』と言っています。あらぬ誹りを受けているので当然の権利だと思いました。
「少なくとも、聖王国における各騎士団の公式見解はそうだ。特に今回のように、普段は大人しいからと狩猟対象にしていた野生動物から手痛いしっぺ返しを受けた時などによく報告されるのだ。命を狙われるのだから、野生動物の側からすれば反撃するのは当然だ。だがそれでも、被害者意識を捨てきれなかった一部の声の大きな人間が提唱し始めたのが魔物化という言葉なのだと考えられている」
なんとまあ自分勝手な。
『ちなみに魔界にはありますか? 魔物化とかっていう言葉』
『いや、ないな』
なんでしょう。民度において計り知れない敗北感を感じます。
『フッ、話を盛っているだけでしょう。真に受けてはなりませんよルージュ。それどころか噂通りに、そこな駄犬が西の森で悪事を働いた結果、森牛の魔物化を促進せしめた可能性さえあるのですから』
『よくぞ言った女狐が! その薄汚い口から垂れ流した嘘偽りが露見したとき、ルージュの決意がどう傾くかが見物だな!?』
『言いましたね駄犬が。可能性はいつだって無限大。見に覚えのない動かぬ証拠を突きつけられて、逃れえぬ破滅へ落ちぬようせいぜい備えて見せることです』
『クックックック!』
『フッフッフッフ!』
『はいそこ! イチャつき禁止!』
『『心外な(だぞ)!?』』
この二人、放っておくとエンドレスで仲睦まじく罵り合うので、適度に止めなきゃいけません。まったく手間のかかる女神と魔王ですよ。
至近距離で見つめ合ってアハハウフフと笑い合うのを脳内で展開される身にもなって欲しいです。独り身なんですよこっちは!
私は頭を切り替えて、話を戻しました。
「魔物化については分かりました。それではやっぱり、森牛は別に村を狙ってるわけじゃないんですね?」
「ああ。間違いないだろう。森牛の進路を見れば明らかだ」
西の森から東に向かい、マツコベ村へと滑るように動くアグニの指先。
その指が村を越えて、まっすぐ進んだその先には……
「地図を見れば一目瞭然だ。森牛は断じて魔物化したわけでも、復讐に狂ったわけでもない。度重なる森牛狩りによって、もう住み続けられないと判断した森牛たちが正しく暴走しているだけだ。森牛の群れの目的地はマツコベ村ではない。その先にある、新天地である東の森を目指しているのだ。まっすぐ、まっすぐにな」
「どうして森牛たちは南西の森を素通りしたんでしょう? この地図だと、西の森からならこっちのほうが近いのに」
「恐らく、川に阻まれているからだろう。レガート殿は、暴走した森牛は最短距離を駆け抜けると話していたが、それも今や眉唾物だ。恐らく何か条件があるはずだ。例えば自然物による障害は感知できるとか」
私が南西の森を指差すと、アグニが川に指を滑らせる。
そして同時にため息ひとつ。
「なんにせよ、憶測の域を出ませんね」
「ああ。ただ一つ間違いないのは、森牛たちはその習性に正しく従い、まっすぐマツコベ村を通り抜けるつもりだと言う事だ」
どちらにせよ放ってはおけません。あの森牛の大群が村の上を通り過ぎたら、ただそれだけでもとんでもないことになりそうです。
一切の誇張なく、実際に肌で感じた森牛のサイズはかなりのものでした。
森牛の真骨頂は森の中での素早さだとか言ってましたけど、あの巨体の群れが馬並みの速度で突っ込んでくるだけでもかなりの脅威です。
数百頭の森牛の群れ。それがあまりにも想像できなさすぎて、私はその言葉が持つ破壊力のイメージを未だ正しく持てないでいました。
「私が魔物除けとして村の前に仁王立ちしたら、群れがくぱっと左右に割れて脇に逸れたりしませんかね?」
「その表現はよく分からないが、昨日森牛がルージュ殿にまっすぐ突撃した事実を鑑みるに、望み薄だろう。分の悪い賭けは控えるべきだ」
確かに。木々は器用に避けていたのに、私に対しては轢く気まんまんなずさんな方向転換でした。
ロープに躓いてたので避けられなかったのでは? とも思いますが、一か八かの賭けをするには、マツコベ村の住人たちの命は重すぎます。
「このままでは、間違いなく森牛はまっすぐ村を踏み荒らす。予想される被害は壊滅的だ。レガード殿もそれを分かっているから、なんとかしてくれとルージュ殿に泣きついているというわけだ。
さて。ここまでが現状なのだが、これを踏まえて、どうする、ルージュ殿」
一泊置いて、アグニが言いました。
「オレは今すぐ村人たちを誘導して、この村から避難すべきだと思う」
次に、女神が言いました。
『いいえ、ルージュ。今すぐ丘を越え、森牛を一頭残らず狩り尽くすべきです』
続けて魔王が言いました。
『捨て置けルージュ、自業自得だ。あのニンゲンどもに、おまえが手を煩わせるほどの価値などない』
三者三様、てんでばらばらにこうするべきだと訴えて、そして私に言いました。
どうする、ルージュと。
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「何をおいても、今は人命救助が最優先だ。村は諦めるしかないが、レガート殿達が生きていればきっと復興できるはずだ。暴走しているだけならば進路上から離れれば安全なはずだが、万が一の時はオレが皆を守ってみせる」
村人は救う。森牛も好きにさせる。代償として村は酷く踏み荒らされてしまうでしょうけど、間違いなく失われる命は最も少ない選択肢。
私たちがやるべきことは、避難民の誘導だけ。それは暗に、私自身は何もする必要はないと言っているのと同じことでした。それは私の手加減べたを考慮してなのか、それとも彼の優しさでしょうか。
『勇者とは同時に英雄でもあります。例え人を救っても、村を見捨てれば禍根が残るでしょう。例え残虐に思えたとしても、ここは徹底的に危機を殲滅して恩を売り、あの噂好きの村長を思い通りに操る基盤を作るべきです。あなたが偽りの聖剣を持てば、それは実現できるでしょう』
女神の主張は一歩進んで、村も人命もどちらも守るべきだと言いました。しかし代償として、暴れる森牛には全滅してもらうという選択です。
その代わり、こちらは私ががっつり関わる必要があります。数百頭からなる森牛の暴走を止めるだなんて、アグニには無理です。もしできるなら、アグニはそう言っているはず。
楽にさせてあげるためとはいえ、瀕死の森牛を一頭屠殺するのだって怖くてアグニに代わってもらった臆病な私がこれをするには、ちょっと勇気が必要です。
『あのクズどもを救うなど、考えただけで気分が悪い。昨日のあの胸糞悪い狩りを思い出せ! おまえはそれでもあのクズどもが、森牛よりも上等な生き物だと言うつもりか?』
魔王の考えはまた別方向にバイオレンス。魔王の中では完全に森牛>マツコベ村の住人という評価になっているようで、清々しいまでの勢いで見捨てるように忠言してきます。
言わんとしていることは、実は、ほんのちょっぴり分かる。もし仮に人と森牛が同じ立場で、どちらが正しいのかと聞かれたら、それはたぶん森牛のほう。
私の感情がそう訴えるほどには、昨日の狩りの風景は衝撃的なものでした。
マツコベ村を見捨てれば、森牛たちはきっと東の森で再起できる。
森牛のお味が忘れられない魔王にとっては、森牛を全滅させようとする女神の提案は論外なのでしょう。
人。村。そして森牛。
どれを救おうと手を伸ばしても、拾えるものと拾えないもの、救えるものと救えないものがあるという現実を、三人に突きつけられているようでした。
ままならない取捨選択。
女神と魔王の声が聞こえていないはずのアグニはともかく、それでもなおどうするのかと、女神と魔王は言っていました。
分かってますよ。どうせまた私に選ばせようって言うんでしょ?
好き放題に言いたいことを言っておいて、最後の最後は丸投げだなんて、まったくひどい女神と魔王です。
というか、なにこの状況。どうして私、勇者としての責任だとか、そういうことで頭を悩ませてるの?
マツコベ村にやってきたのは、ただの観光だったはずなのに。
でもまあ、それを言ったら私たちが最初に出会ったあの日、
『あなたは勇者です』
『おまえは魔王だ!』
ただの町娘だった無知な私の小さな肩に、世界の命運をひょいと乗せられてしまった事に比べれば、今更だなんて思えてしまうのがちょっと悲しい。
「アグニ」
「ああ」
「時間がないのは分かってる。今すぐ動かなきゃならないことも。でも」
私はアグニの瞳に燃える、緋色の輝きを見ながら言いました。
「少しだけ、考えさせてください」
緊急のときに、人々のためにすぐに動けないだなんて勇者失格だ、なんて言われることも覚悟で言った一言でしたが、アグニはただ一言、「分かった」と言って頷いてくれました。
潔いまでの即決でした。
私は少し、アグニが羨ましくなりました。きっとアグニは即決しても、間違わないし、後悔もしないんだ。
同時にそんなアグニから、私に準じる、私を信じると答えてもらったことが嬉しくて、胸がいっぱいになりそうでした。
今のアグニは私の保護者。国王陛下の使者として、無責任ではいられない立場。
私はマツコベ村を取り巻く様々なもの以上に、アグニを守らなくてはならないんだと固く思いました。
私は気合いを入れるため、両のほっぺたを手で叩きました。割と全力だったのでほっぺが痛い。ヒリヒリとした焼けるような痛みが、私の頭から熱を奪っていく。
大丈夫。決められる。
昨日の私なら分からないけど、今日の私ならきっと選べる。
だって私は後悔したから。
もう二度と、後悔なんてしたくないって思えているから。
(ルージュ。人は間違う)
選ぶのは怖い。
どんなに悩んでも、どんなに考えても、どんなに迷ってもいつか必ず間違いを冒す。
でも。
(他の何を失ったとしても、これだけは絶対譲れねえって物を見つけるんだ)
私は例え間違ったとしても、後悔しない方法だけは知っている。
(そうすりゃあ、お前がどんなに悪い選択をしたとしても、決して間違えて後悔することだけはねえ)
女神と魔王に目をつけられてから、今日この日までを思い出せ。
マツコベ村へと足を運んでから、いまこの瞬間までを思い出せ。
何を見た。何を聞いた。何を味わい、何を嗅いで、その手でいったい何に触れたか。そして何を思ったのか。
この村で、私が一番守りたいと願うものは何か。
失ってしまった時に、思わず後悔せずにはいられないものとは何か。
迷って悩んで考えぬいて、自分の心の内側から来る無数の囁きに耳を傾け続けた末に、私はやがて、たった一つの答えを聞きました。
一瞬、何かの間違いでは? と思いすらしたその答え。
しかし、そのあまりにも間の抜けた能天気な響きは確かに私の本心で、
(おいひいれふ!! おいひいれふ!!)
「ぷはっ!」
その瞬間、辿り着いた答えのあまりのひどさに、私は思わず笑い出してしまっていました。
うそっ、なにそれ! よりにもよって、それ!?
あはっ、あはははっ、なにそれ、おかしい!
「ルージュ殿!? いったい、どうした?」
あーおかしい。おかしすぎて涙が出てきた。そりゃあアグニも怪訝に思うよ。
次々溢れる涙を拭いて、心配してくれたアグニを見ます。
アグニはきょとんとしてました。そうでしょうとも。私ってば、さぞや清々しい笑顔をしているに違いありません。
なにせ私がこの村で本当に守りたかったものは、レガートさんたちでもマツコベ村でも森牛でもなく、よりにもよってこの村で出された美味しすぎた森牛料理だっていうんですから。
って、食いしん坊か! 我ながら、煩悩の化身みたいで嫌になります!
でもおかげで分かりました。私が本当は何を守りたいのか。
何を選ぶべきなのか。
だってそうでしょ?
マツコベ村の村人たちも、このマツコベ村も、そして森牛も。
どれか一つでも欠けてしまったら、あの料理はもう二度と食べられないんですから。
「決めました、アグニ」
守らなきゃいけないものがある。
守る方法も、思いついたことはあるけど、全部が全部うまくいくかは分かりません。
だけど、それでも、これだけは言える。
「アグニの力が要ります。お願い。手伝って」
今の私の周りには、アグニがいて、女神がいて、魔王がいる。
ただそれだけで、今の私が選んだ答えに最悪の結果なんてあり得ない。
例え少しくらい失敗したって、決して後悔することだけはない。
「人も村も森牛も、守りたいもの全部守って」
だから私は、アグニの声も女神の声も魔王の声も全部蹴っ飛ばして、私だけの選択をする。
勇者だからでも、魔王だからでもない。他ならない、私が誇れる私のために。
「美味しいものをお腹いっぱい食べてから、気分よくこの村を出ましょう!」
今の私に精一杯の、元気で力強い声を受けて。
アグニは私につられるように、とても嬉しそうにニヤリと笑って、ただ一言、「ああ」と答えてくれました。
次回、守りたいものを守るために、ルージュが選んだ答えとは?
ちょっと暗くて真面目でじめじめした感じの森牛編でしたが、殺人事件編がアレ過ぎたと思って、もう少しだけお付き合いいただければと思います。
あと2話くらいで第二章は完結する予定です。