表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/85

レガート・マツコビアンは回想する。

前回のあらすじ


 森牛狩りを見るために、西の森へと移動していました。

 

 レガート・マツコビアンの野望は、食肉における森牛のシェアの拡大である。

 レガートはマツコベ村の村長として、森牛による利益を享受する側の人間であったが、同時に現在流通している森牛の末端価格が高すぎるのではないかと感じ続けていた。


 森牛は既にその名前自体がブランドだ。

 長年貴族に親しまれ、そして愛され続けてきたという確かな味と実績は、森牛の評価を常に万全たらしめている。

 どんなに食の細い貴族でも、祝い事の席では森牛を食べる。

 肥え太ることを仕事であるかのように考えている貴族は、それこそ毎日のように食べたがる。

 ゴードグレイス聖王国に数多く存在する貴族たちの需要を支えるだけでも、マツコベ村の規模では供給が間に合っていないのが現状だ。

 当然、値段は吊り上がる。

 村に出入りする商人たちが吊り上げるのだ。

 そしてその結果森牛は、庶民には滅多に行き届かない、特別級な高級食材となった。



 レガートは幼い頃から薦めたがりの少年だった。

 彼は何か素晴らしいものを発見するたび、それを他の誰かと共有したがったのだ。

 彼は独占するよりも、誰かと分かち合いたがる少年だった。

 彼に何かを薦められた者は、それが素晴らしいものであると分かる度に、彼に礼を言った。それを聞いた彼は、嬉しそうに笑う。

 彼の周りには常に人が集まるようになった。皆が笑顔だった。彼によって、分かち合うことの素晴らしさを教えられた者たちだ。

 逆に、彼に何かを薦めたがる者も現れた。彼はそれが素晴らしいものであると分かると、進めてくれた者を誉め称えながら同じように誰かに薦め始めた。その光景はまるでレガートを中心にした波が起こるかのようだった。

 彼が十五歳になったとき、当時のマツコベ村の村長が、彼にあるものを薦めた。

 それがどれほど素晴らしいものであるかを語って聞かせられたレガートは、村長にこう聞いた。


「それは、どうしたら分け合えますか?」

「それ自体を分け合うのではない。お前がいま以上に、誰かに分け与えられる人間になるのだ」


 村長の言葉に、レガートは満足げに頷いた。

 その日、レガートはマツコベ村の村長になり、名をレガート・マツコビアンと改めた。



 彼は村の者に支えられながら、マツコベ村の村長として成長していった。

 彼の才能は、生来の気質に由来する話術にあった。

 彼は自らが素晴らしいと思う物がいかに素晴らしいかを他人に伝える術に長けていた。

 彼はマツコベ村の村長である前に、一人の村人だ。村人の誰もがそうであるように、彼もまた、マツコベ村の誇る森牛の素晴らしさを熟知していた。

 隙あらばと利益を狙う狡猾にして奸譎な商人たちを相手に、彼はまるで神の教えを説く神父のように森牛の素晴らしさを語った。

 成人して間もない若き村長と、倍以上年の離れた大商人。その商談の趨勢が明らかにレガートに傾いていくのを眺めながら、同席していた前村長は己の英断を静かに誇っていた。



 レガートの心に野望が芽生え始めたのは、彼がかつて屈服させた大商人に年が追いつき始めた頃だ。

 前村長は既に亡くなり、レガートは誰もが認めるマツコベ村の村長となっていた。彼の手腕により、マツコベ村が過去に類を見ないほどの莫大な利益を得ていたからだ。

 この頃になると、彼は徐々に村の外に目を向けるようになっていた。

 村の外には、村にはない素晴らしいものがまだまだたくさん溢れていたのだ。

 例えばコテージなどもそうだ。

 マツコベ村には宿がない。採算がまったく取れなかったためだ。今でこそ村は潤っていいるが、では採算度外視で新しく始めるか、ということにはならなかった。採算を度外視するということは、道楽にも等しい。どの町にもあるような代々続く宿すらないマツコベ村の住人が道楽で始めるような宿では、とても村を訪れるような大商人をもてなせる気がしなかったからだ。

 そのため商人たちはしかたなしに村の中央広場に野営するような形を取っていたのだが、この状況を打破したのが他でもないレガートだ。

 ある日、外の町を視察していたレガートは、商業地区の一角に幾つもの住居が建っているのを見つけた。それらは何れも空き家だった。

 それが気になったレガートは町の者に問うと、あれはコテージと言って、一棟まるごと貸し出すことを想定した宿泊施設だと言うのだ。

 宿として客人をもてなすことも、食事を出すこともせず、ただ宿泊場所として建物ごと貸し出す。そのアイデアに初めて触れたレガートは、感動のあまり大きく震えた。

 なんて素晴らしいんだ! マツコベ村に必要なのはこれだ! これなら難しいノウハウは必要ない! 我々は貸し出すための家を建てるだけでよかったのだ!

 いても立ってもいられなくなったレガートは、すぐさま建ち並ぶコテージを建てた建築屋を訪れた。突然現れた村長を名乗る男に、始めは訝しんだ建築屋たちだったが、コテージのアイデアがいかに素晴らしいものであるかを熱弁するレガートの姿に、次第に頬を緩ませていった。コテージのアイデアを彼らが考えたわけではなかったが、他でもない彼ら自身の仕事が絶賛されているのだ。人として、それを嬉しく思わない筈がなかった。

 是非我が村にも同じものを建ててくれ。金に糸目は付けない。そう言って金貨の山を机に載せたレガートに、建築屋たちは度肝を抜かれた。思わず降って湧いた儲け話に、建築屋たちは一も二もなく頷いた。契約の瞬間だった。

 そうした経緯でマツコベ村に建てられたコテージの数々が、元の町よりも遥かに立派だったのは言うまでもない。


 村の外で新たな刺激に触れ、それを吸収する。それが素晴らしいものであると分かれば、すぐさま村へと共有する。

 そんな行為を何度も繰り返していく内に、レガートはやがてそれに気がついた。

 とある市場。軒先に並んだ森牛と、そこに立てかけられた値札を見て、彼は思った。

 庶民の一般的な収入と比べ、そこに並んでいる森の値段は牛は高すぎやしないかと。

 今まで商人を相手に森牛を卸すばかりだった彼は、森牛が非常に高価な食材として取り扱われているのは知っていたが、よもやこれほどの値段で取り引きされているとは思わなかったのだ。

 大丈夫なのか。こんな値段で売れているのか。その売れ行きが気になった彼は離れたところから様子を見ることにした。

 結論から言えば、森牛は確かに売れていた。

 だがしかし、買ってゆくのはどうみても貴族に仕える侍女たちばかりだ。

 そんな中、レガートは側を通りかかった親子の会話を聞いて目を剥いた。


「お父ちゃん、森牛だって」

「ああ、あれは貴族さまの食い物だよ。うまいらしいんだけど、すげえ高いんだ」


 ふーん、と興味無さげに頷いたきりの子どもにも驚いたが、何より驚いたのは父親の台詞だ。

 うまい、らしい。

 つまりあの父親は、森牛を食べたことすらないのだ。

 その事実に愕然としたレガートは、その親子を慌てて追いかけ、いかに森牛が素晴らしいかを語って聞かせたい衝動に駆られた。

 しかし彼は、マツコベ村の村長として長い時間を生きる中で、それが何の解決にもならないということも理解してもいた。

 己の衝動を歯を食いしばって耐えた彼の胸中を、やがて一つの思いが占めてゆく。


 すべては、森牛が高すぎるのが悪いのだ。

 今の価格では、森牛は貴族たちの腹に収まるばかり。

 庶民たちは、森牛の美味さを味わい、その喜びを分かち合うことすらできない……。


 それは素晴らしいものを誰かと分かち合い続けてきたレガートにとって、許し難いことであった。

 また一人、森牛を買うために身なりのいい侍女が軒先に並んだ。

 それを見てレガートは決心した。

 レガート・マツコビアンの戦いが始まった。



 高すぎるのなら、下げればいい。

 まずレガートは商人たちに卸す森牛の価格を半分にまで落とした。

 元々儲かり過ぎるほどだったのだ。レガートの理想にもレガートの判断にも、村の誰も文句を挟まなかった。寧ろ大半の者がレガートの意見に同調したほどだ。

 驚いたのは馴染みの商人たちだった。そして同時にほくそ笑んだ。

 仕入れは半額、売値はいつも通り。莫大な差額が丸儲けだ。

 思わぬ幸運にギラギラと目を輝かせる商人たちだったが、値下げの意図を懇々と説明するレガートの姿に次第に頭が冷えていく。

 しかしそんなことで商人たちは諦めない。儲けのチャンスをそう簡単に諦めていたら、商人として失格だ。誰もがいかにしてレガートを出し抜くかを考えていた時、レガートは最後に爆弾を投下した。


「もし末端価格に改善が見られない場合、申し訳ないが、そちらの商会とは今後の付き合いを見直させていただく」

「「「!?」」」


 森牛の流通に絡むことは、それだけでも商人たちにとっては莫大な利益だ。

 居並ぶ商人たちはその言葉を聞いて、頭だけではなく肝を冷やすことになった。

 もはや嬉しそうにニヤつく商人など誰一人としていなかった。


 文字通り一変した商人たちの顔つきを見て自らの勝利を確信したレガートだったが、その確信は数日後にあっけなく崩された。

 森牛の値崩れと、それによって起こる庶民への浸透。そう遠くない未来、自らの口に入る量が激減することを嫌った貴族たちが、商人たちを囲い込んだのだ。


「誰とは言いませんが、とある貴族さまの圧力が物凄いのです。今までの価格を絶対に維持しろと。レガート村長、私どもにはどうにもできないのです。どうか、分かってください」


 そう言って頭を下げる商人を、その日いったい何人見ただろうか。

 やがてレガートは静かに頷き、卸値を元の価格へと戻した。

 その時の商人たちのホッとしたような表情は、今もなお、レガートの心に痼りとして残っている。


 この一件をきっかけに、レガートは、森牛というブランドが貴族たちにどれほどの影響を与えていたかを本当の意味で知ることになった。

 森牛とは、一部の貴族たちとっては既に生活の一部であり、ステータスでもあった。

 ある集まりでは、馬鹿みたいな話だが、週に何度森牛を食ったという話をすることがあたかも自慢であるかのように受け入れられてさえいたのだ。

 そうした状況の中で、森牛フリークとでも呼ぶべき貴族たちは徹底的にレガートの野望を打ち砕いた。

 あの手この手で値下げを実現しようとするレガートの企みを、ある時は商人を、ある時は騎士を使って潰して回った。

 権力という意味でも、謀略という意味でも、武力という意味でも、レガートは貴族たちにまったく太刀打ちできなかった。

 そもそも、たかが村一つを管理する村長と、領地を統べる貴族との間では勝負にすらならない。

 村に出入りする商人たちからは、自らの策を潰して回る貴族の名前すら聞き出すことができなかった。いったい相手は誰なのか。何人いるのか。それさえも分からないまま、レガートは憔悴していった。

 しかしレガートは足掻く事をやめなかった。

 森牛の素晴らしさを、もっと多くの人間と共有するのだ。

 その一念に支えられ、それでも諦めなかったレガートだったが、ある日ついに出入りの商人が一人の貴族の名前を口にした。

 商人は、自分の名前を出すようにと、その貴族から言付かっていた。それがレガートにとってどういう意味を持つかも、正しく理解しながら。

 レガートに、その名は正しく作用した。そして彼は己の完全なる敗北を悟った。

 その商人に圧力を掛け続けていた貴族の名はクラウディア伯爵。

 それはゴードグレイス聖王国の北東に小さな領地を持つ貴族の名だった。レガートはそのことをよく知っていた。

 何故なら彼の領地には、マツコベ村も含まれていたからだ。

 その人物は、レガートにとって決して逆らえない人物であり。

 同時に彼もまた、重度の森牛フリークだった。



 その日以降、レガートは大人しくなった。

 これは彼の野望を押さえつけようとしていた貴族たちから見た感想だったが、それは概ね、現実に則していた。

 レガートは庶民のために、森牛を値下げしようとする一切の試みをやめた。

 代わりにレガートは、村としての幸福と利益を最大限追求するように動くようになった。まるで自分の行いを、誰かにアピールするかのように。

 そんな彼の行いは、勿論貴族の目に届く。貴族たちは密偵からその報告を受けるや満足げに頷くと、マツコベ村に対する干渉を和らげる決定を下した。

 マツコベ村は可能な限り自由にさせるのがよい。それは長い間森牛を親しみ続けた貴族たちの共通認識だ。

 何故なら、森牛を狩ることにかけてマツコベ村の村人たちの右に出る者はいないのだから。

 こうしてレガートと、森牛フリークとでも呼ぶべき貴族たちの戦いは終わった。



 ある日を境にまるで金の亡者のように振る舞うようになってしまったレガートだったが、意外なことに、村人たちは黙って着いてきた。

 レガートは変わり果てていたが、しかしそれでも、誰もがレガートを信じていた。それは村人たち全員が、彼の心中の慟哭を察していることの何よりの証左となった。

 その有り難さに、レガートはひとり涙した。そしてレガートは、その事実一つで、己の抱いた野望はやはり素晴らしいものであったことを改めて再確認できた。

 諦めるには、あまりにも惜しい野望だった。


 レガートは村の富を積み上げながら、機を待った。

 それを誰かと共有したいという思いを、胸の中で押し殺しながら。

 身を以て思い知らされた貴族社会の底知れない闇と戦う術を夢想しながら。

 自らの野望が、念願が叶い、いつか見た親子が森牛の美味さを語り合うさまを夢想しながら。

 野望の炎が胸を焦がすのを感じ続けながら、長い長い年月、彼は待ち続けた。

 いつ来るか、そもそも来るかも分からない転機を待ち続けた。


 そして、果たして彼の祈りが女神に届いたのか。

 彼の齢が、自らに地位を譲った前村長に追いつこうという頃に、念願の転機が訪れた。

 それも勇者の来村という、前代未聞にして極大の転機が。


  @


(勇者様には、王都に着いたらマツコベ村の森牛は最高だったと吹聴して頂くようお約束した)


 レガートは西の森の外周を歩く馬車の御者台の上で、昨日のことを思い返していた。

 噂を確かめるためだと称して、当代の勇者だという、異常な魔力を身に纏った少女に金貨の山を渡した時のことだ。



『それで、いったい私に何をさせるつもりだったんですか?』


 率直に言って、レガートは当代の勇者を侮っていた。

 しかしそれも無理はない。何せ当代勇者に関して流れてくる噂話と言えば、武勇伝というよりはどちらかと言うと陰口に近いものばかりだ。

 年端もゆかぬ少女であり、平民の生まれの無名の娘であり、しかも金好き、酒好きだ。湖の精霊などという意味不明なものもあった。そのような噂話からは、勇者ルージュの実態など見えようはずもない。

 ましてや勇者だ。きっと自尊心やプライドの塊のような人物なのだろう。突然大きな力を得た平民という話もあるから、増長している面もあるかもしれない。これまでの情報を繋ぎ合わせると、いざ会おうと思ったとき、なかなか心の準備が必要になりそうな想像図だ。

 しかし実際に会ってみるとどうだろう。


 レガートから見た勇者ルージュは、予てよりの予想に反して、実に聡明そうに見えた。

 見た目や物腰から与えられるその少女のイメージは、まるで純朴そうな町娘のそれだ。

 その表情は見ていて飽きない。よく笑い、よく怒る。怒ると言っても会話の流れのごく一瞬で、すぐにまたニコニコと笑いながら森牛を頬張る姿は小動物を連想させる。

 その様子からは、高い自尊心やプライド、或は増長といったものは微塵も感じられない。せいぜい膨大な魔力に気圧されるくらいだ。それも勇者が危険人物ではないと分かれば、あっという間に慣れてしまう。

 従者と思しき騎士風の男に対しても気安い態度で接している。お互いよく笑う。まるで旧知の友人の間柄のようだ。実際そうなのかもしれないとレガートが考えたほどだ。


 勿論、いい点ばかりではない。酒場の生まれと言うだけあって、所作が大雑把なところがある。テーブルマナーにも疎い。食べ方も汚い。丁寧な言葉遣いを心がけているようだが、所々、それも甘い。

 だがそれらも一歩引いてみれば、頑張って背伸びをしている町娘の姿そのままのようで微笑ましかった。


 何よりレガートが気に入ったのは、こちらの問いかけに対して、打てば響くというか、実に期待通りの答えを返してくれるという点だ。

 こちらの発言の意図を汲み取り、いったい何を言えば相手が喜ぶのか、どういうリアクションを望んでいるか、こちらの反応を伺いながら会話を組み立てているような節が所々に見られたのだ。純朴そうな見た目と相まって、これがまた、実に自然に見えるのだ。酒場の一人娘ということだったが、これが酒場で鍛えられた話術なのかもしれない。

 だが、その卓越した会話運びが天然なものであろうと意図したものであろうと、レガートにはとってはどうでもいいことだった。

 ただ一つ重要な点は、当代勇者であるこの少女が、目の前に積まれた金貨の山が賄賂であると正しく理解しているということだった。


『なに、簡単なことでございます。このマツコベ村で食べた森牛が最高だったと、王都で語って欲しいのです』

『えっ。それだけ、ですか? 確かに最高でしたけど』


 レガートが思わせぶりに微笑みながらも本心を伝えると、案の定、少女は驚いた。

 誰でも驚くだろう。レガートの頼みというのは、金貨の山を積んで頼むには些か簡単すぎる話だ。王都で話題にするだけで金貨300枚。一人前の商人であればまず乗らない。旨味の桁が意味不明すぎて、警戒せざるを得ないからだ。

 現に少女も、どういう事かとうんうんと唸り始めている。心なしか彼女の体から溢れ続けている魔力の奔流も乱れ気味だ。さしもの勇者でも、それがレガートにいったいどのような利益をもたらすのか、皆目見当がつかないらしい。

 人界にその名を轟かせる勇者から一本を取ったような気分になり、レガートは高揚した。

 それにしても、いちいち嬉しい言葉を含ませてきてくれる勇者様だ。レガートは二重の意味で笑顔になった。


『ええ、それだけでよいのです。市井に生まれた勇者様が森牛が最高だったと吹聴すれば、庶民たちもきっと興味を持つでしょう。わたくしは半ば貴族が独占している森牛を、もっと多くの人々に食べてほしいのですよ』

『そうなんですか……うーん』


 結局、勇者ルージュは首を傾げたまま、レガートの言葉に頷いた。



 勇者ルージュの噂に関して、その時レガートが重要視したのはただ一つ。

 それは勇者ルージュが、庶民の生まれであるという点だ。

 目の前の少女は、その噂が事実であることを肯定した。そして勇者となり、町からの出立が決まったその日、その祝いとして森牛を食べたことがあるという。

 これを利用しない手はなかった。

 レガートの考えはこうだ。

 いま人界で、最も高い注目度を誇る勇者ルージュが、王都で森牛を絶賛したとする。

 王都ディアカレスには、噂好きが多い。その話は瞬く間に浸透するだろう。

 特に勇者ルージュは見た通り、歴代勇者と比較して愛らしい見た目をしている。彼女が笑顔を振りまいて、いかに森牛が素晴らしかったかを語ってくれれば、きっと庶民たちは森牛に興味を抱くはずだ。

 勇者ルージュは、庶民の生まれだという。森牛とは貴族だけの食べ物ではないのか? と。

 しかし同時にこうも思うはずだ。勇者ルージュがマツコベ村で歓待を受けたのは、彼女が勇者になったからだと。

 庶民たちの既得権益への悪感情は、いつの時代になっても根強い。

 森牛への期待と同時に、貴族や、あるいはこの少女に向かう悪感情も高まるかもしれない。

 その時彼らはこう思うはずだ。

 貴族ばかり、勇者ばかりが美味いものを食べるなんてずるい!

 どうしてこんなにも高いんだ! 儲けているんだろう! 俺たちにも手が届くように、もっと値段を下げろ! と。

 きっとその批判はマツコベ村にも届くだろう。そしてその時、その声こそが、レガートが今まで一日千秋の思いでずっと待ち続けてきたものなのだ。


 今は価格が高騰し過ぎている故に、大多数の庶民たちには興味すら持たれていないのが森牛というブランドの現状だ。

 そこに投じられる、勇者ルージュの口から語られる森牛の素晴らしさという情報は、まさに既存のパワーバランスを覆す巨大な波となるはずだ。

 その波の到来を予測できるレガートと、予測すらできないクラウディア伯爵を始めとする森牛フリークの貴族たち。レガートは庶民の不満と渇望という新たな波を味方につけて、今度こそ自らの野望を成就させるために、その荒れ尽くされた大海を自らの力で泳ぎ切るのだという漲る自信があった。


(彼女にとってはたったそれだけの事が、わたくしの……いや、俺の願いを叶えるために投じられる、最初の一石となる)


 勇者が村を訪れるという最大級の幸運。これを掴むために、レガートは蓄えた財を放出することを惜しまない。


(何故なら俺は、この日のために、ずっとずっと金の亡者を演じてきたのだから)


 従者の操る馬の上で、まるでベッドで微睡むかのようにくつろぐ当代勇者の姿を横目で見つつ、レガートは表面上は好々爺のような優しげな笑みを浮かべながら、しかし内心では舌舐めずりをしていた。

 森牛フリークの貴族たちがレガートの野望を潰すために手段を選ばなかったように、彼もまた、自らの野望を叶えるために手段を選ばない。王都で彼女自身が流す噂話が、彼女にいったいどのような作用をもたらすかを正しく予測していながら、それを一切、おくびにも出さない。

 何故ならレガート・マツコビアンは、彼自身の持つ性癖とも呼べる性質や、その動機に関わらず、その本質はとどのつまり、根っからの悪人であったからだ。

収まりが悪いのならば、視点を変えればいいじゃない!

というわけで、マツコベ村の村長、レガート・マツコビアンさんの話。

この名字はもう少し考えたほうがよかったかもしれない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ