ハンパない歓迎を受けました。
前回のあらすじ
アグニがコレジャナイと首を傾げるほど平和に、マツコベ村まで着きました。
ところで皆さんは、有名税という言葉をご存知でしょうか。
有名税。
それは税という言葉を使いながらも、誰かから直接的に貨幣を徴収することの決してない税。
人界に数多の国あれど、実際にそれを国税として定めた国は一つもない、有名無実の税。
王族や貴族が平民に税を課すこの世の中で、平民が王族や貴族に課すことのできる唯一の税。
「なぁにこれくらい、有名税だよ」と体のいい言い訳のような意味で使われる、あの有名税のことです。
有名税というのは、それはもう有名税というくらいなのですから、王族や貴族といえど有名でない人には殆ど無関係。その被害は、ある程度有名な人物に絞られます。
例えば、王侯貴族。
我々の上に立つ王様なのだから、きっと優れた英知を誇り、腕も立つに違いない。ダンスも作法も完璧だ! といった、無限に跳ね上がり続けるハードルであるとか。
例えば、名を馳せる高ランクの冒険者。
あいつのパーティは女ばかりなのに浮いた話の一つもないのは、きっとあいつが男色家だからに違いない! といった、根も葉もない噂話であるとか。
そして例えば、勇者とか。
勇者。
五百年以上続く、人界と魔界を舞台に行われている人類と魔族の種族間戦争。
魔物たちによる人界侵攻を端として切り開かれたこの戦争を象徴する、希望の代名詞。
人界と魔界という異なる世界。
この二つの世界を繋ぐことのできる唯一無二の魔力の門、『ゲート』を開くことができるのが勇者と魔王だけであることから分かるように、勇者と魔王はまさにこの戦争における鍵のような存在と言えるでしょう。
闇あるところに光は生まれ、
この世に魔王が現れるとき、勇者もまた、必ず現れる。
勇者を倒すことができるのは魔王をおいて他におらず、
魔王を倒すことができるのは勇者をおいて他におらず。
創世より人界を守護する唯一の神、女神トーラによって選び抜かれた祝福されし英雄、勇者。
強大な力を持つ魔王を倒すために、女神トーラによって力を与えられた人類の守護者、勇者。
そんな存在であるからこそ、勇者には常に噂話が付き纏います。
付き物といってもいいでしょう。
有名税という言葉が示す通り、人界には勇者に限らず、有名な人物というのはある意味噂されるのも義務だという風潮がありますが、ことその度合いに関して、勇者に並び立つものはありません。
なぜか?
それは勇者が人界で最も有名で、注目される存在だからです。
一国の王様なんて目じゃない知名度です。
なにせ女神が問答無用の実名付きで、全人類に公布しますからね。
もし仮に、勇者が「有名になるのはイヤです! やめて!」と言ったとしても女神は公布すると思います。それくらい、女神の啓示は人類にとって必要不可欠なものです。
魔王復活を契機に行われる新たな勇者の選抜は人類にとって希望の再来を意味しますし、それは同時に新たな戦乱の始まりを告げる女神からの宣布でもあるのですから。
さて、そんなある種不可抗力と呼べなくもないような経緯によって、数ヶ月前、一夜にして一躍有名人になってしまった者がここに一人います。
そうです。私です。
なあに。所詮もと町娘の田舎者勇者でしょ? 大して噂になんてならないって! 大丈夫だいじょうぶ!
なぁんて甘い考えを持っていた時期もありました。
まさか面白半分に有名税を取り立てる側から、取り立てられる側に転落するなんて夢にも思いませんでした。
あれはそう。偶然立ち寄った町の酒場で、初めて私の噂話を耳にしたときです。
デルタを厩に連れていくアグニと別れて、ちょっと余所の町の酒場を視察でもしようかな? なんて思って入った酒場で、筋骨隆々の冒険者たちが揃いも揃ってこんな話をしてたですよ。
曰く、勇者ルージュはオムアン湖を割って出てきた湖の化身で、凄い美人で半透明らしい。
曰く、勇者ルージュはあまりに凶悪な面相をしているため、あらゆる馬が逃げ出すらしい。
大真面目な顔でこれですよ。
顎が落ちるかと思いました。
ホワイトタブの一件以降、噂話に「勇者は金次第でなんでも解決する拝金主義の名探偵らしい」が加わった時には本気で魔王になってやろうかと思いましたね。
目の前にいる実物の勇者ルージュをそっちのけで、わいのわいのと『勇者ルージュ』の噂話を続ける人々から慌てて逃げ出して、私はアグニに聞きました。
「ねえアグニ。どうしてみんな、私なんかの噂をしてるんですか? 冒険者でもない、ただの町娘だったのに!」
するとアグニはこう答えました。
「ただの町娘だったからではないだろうか」
と。
つまりどういうことかと言うと、歴代勇者に比べてあまりにも『勇者ルージュ』の正体が謎すぎて、噂が噂を呼んで尾ひれ背びれが付きまくったらしいです。
それを聞いて、ちょっと得心しました。
そもそも女性の勇者自体珍しいのです。
世間の一般常識に照らし合わせても、勇者といえばだいたい男性、それも帝国の闘技大会で優勝したり、災害級の魔物を倒した冒険者だったりがなるものだと相場が決まっています。
そこに突然、どう聞いても女性の名前の、しかもエイピアなんて辺境に住んでる無名の誰かが勇者になった。
聞いたことある? 知らない。
その人強いの? 分からない。
じゃあ、そいつはいったい何者なんだ? となったというわけです。
まぁ納得はしましたけれど、だからといって強面や半透明扱いはイヤです。
なので、アグニ同伴で酒場に戻って、噂についてばっちり訂正しておきました。
「私が、勇者ルージュ(仮)です!」
「ああん!?」
ちなみに「おまえが勇者なわけがあるか!」と難癖つけてきた冒険者さんの分厚い剣をその場で膝で折ったので、説得力はあったと思います。真っ赤な顔が真っ青になっていたので、酔い覚ましにもなったんじゃないですかね。
そのおかげかは分かりませんが、暫く経つと誤った噂はすっかり大人しくなり、今では勇者ルージュといえばこういう噂が流れています。
気持ち悪いほどの魔力を常時垂れ流してる灰色の女がいたら気をつけろ。そいつが当代の勇者ルージュだ。迂闊に近寄ると背骨を折られるぞ!
これを最初に聞いたとき、思わず持ってたお皿を割りました。
あの冒険者の膝の皿も割ってやったらよかったですかね。背骨とセットで。
女の子相手に気持ち悪いて。
しかも私のシンボルカラーでさえ侵略を受けていました。灰色て。ちょっと待ってくださいよ! 私のシンボルカラーは赤ですよ! お母さん譲りの燃えるような真っ赤な髪! トレードマーク!
しかしこの噂が元になり、私=勇者ルージュが繋がりやすくなったのもまた事実でした。なんか釈然としないですが。
きっと分かりやすかったのでしょうね。こんなにもやもやしている女の子は、都会どころか辺境にだってそうそういやしませんから。
さて。
少し前置きが長くなってしまいましたが、大事なことは二つだけです。
まず、『勇者ルージュ』は今や人界最大の有名人として、私のだだ漏れ魔力と合わせて認知されつつあるということ。
次に、そんな勇者一行が辺鄙な場所にぽつんと佇む小さな村に、ある日突然ふらりと現れたということ。
つまりそれによって、何が起こるかと言いますと、
「ウ、ウワアアアアアア! ゆ、勇者ルージュだアアアアアアア!」
こうなりました。
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マツコベ村。
それはなだらかな丘に挟まれた場所にある、小さな小さな村でした。
牧草地と森に囲まれ、遠くに一望できるのは雄大なるタイローン山脈に連なる山々。
それら大自然の真っ只中に取り残されたかのようなその村の中心地点にある、村人たちの憩いとなる広場で、マツコベ村の村長レガート・マツコビアンさんの大音声が響き渡りました。
「それではッ! 我らがマツコベ村への勇者様御一行の御来村をォ祝しましてッ! カンパイッ!!」
「「「カンパーーーイ!」」」
それは一言で言うならば、宴会でした。
それも青空の下で行われる、祭りにも似た宴会でした。太陽も昇りきらないような昼前の青空のもと、広場にはところ狭しと大小さまざまなテーブルが並べられていました。村中の民家からかき集めましたといわんばかりの手作り感溢れる宴会場で、真昼間からお酒を飲むことを厭わないマツコベ村在住の紳士淑女たちは大いに飲んで食べて騒いでいました。
テーブルの上に並べられているのは普段飲まれないような上等なお酒と、このマツコベ村を象徴する高級食材の森牛を贅沢に使用した料理の数々。
食欲を否応にでも掻き立てる魅惑の光景。
立ち込める幸せの匂い。
パッと見寒村にしか見えないマツコベ村に顕現された、まさに酒池肉林と形容すべき地上の楽園の中心に、村人たちに薦められるがままにほっぺいっぱいにお肉を頬張るはしたない女の子の姿がありました。
「おいひいれふ!! おいひいれふ!!」
はい。私でした。
娯楽に飢えた小さな村に、噂の勇者一行という特大の餌を放り込んだらどうなるか。
火を見るよりも明らかなその答えを証明するかの如く、私はいま現在、マツコベ村住民たちによる未曾有の大歓待を受けていました。
マツコベ村には門がないので、門番というより見張りに近い第一村人さんに絶叫されて僅か数時間の出来事でした。マツコベ村住民のアクティブさには舌を巻く思いです。
もちろん、舌というのは巻くだけが仕事ではありません。いま、私の舌は幸せの絶頂を感じていました。
「ただ焼いただけのお肉が、こんなにもおいしいだなんて!」
「ああ! 評判には聞いていたが、予想より遥かに美味いな!」
鶏肉派のアグニをも唸らせる、極上のお肉が目の前にありました。
森牛。
人界を象徴するのが勇者ならば、マツコベ村を象徴するのは間違いなくこの森牛という生き物でしょう。
森牛は人を襲いません。そのため魔物ではありませんが、その特殊な生態ゆえに人の暮らす場所で飼育できないと言われています。
そしてもう一つの特徴が、味。
森牛は、ただ切って焼くだけで美味い。
王宮専属の料理長が呟いたとされる言葉ですが、勿論、正しく調理すればより美味しくなる森牛です。そんな勿体ない食べ方をする人はそうそういません。
そうそういないのですが、ここはマツコベ村。
森牛の整地です。
私たちの前には、あらゆる手法で美味しくされた森牛料理がズラリ勢揃いなのです!
「ああ、美味い! しっかりとした歯応えがあるのに、ぷちんと噛み切れるこの肉質はなんだ! 噛むたびに無限に弾けてとろけていく! それでいて、これ以上なく『肉を食っている』という満足感! ああ、口中に広がる肉と脂の旨味が、いつまでもオレの舌を掴んで離さない! 美味い! なんという美味さなんだ!」
感極まったアグニが突然食レポを始めました。無理もないでしょう。どこの成金貴族かと言うほどの、贅沢極まりない大宴会ですからね。
お口の幸せに舌鼓を打っているのは、私とアグニだけではありません。子犬モードで実体化した魔王も一緒です。女神も当然一緒なのですが、私たちの中で唯一物を食べることができない女神は少しご機嫌斜めです。
『ハーッハッハッハ! ウマイ! ウマイぞ! ハーッハッハッハ!』
対する魔王はこれ以上なく上機嫌でした。
『いやあウマイ! 森牛と言ったか!? これほどの肉は魔界にもありはしなかった! いや、ニンゲンという種は本当に、食への探究心だけは見所があるな! ハハハ! ハーッハッハッハ!』
『ああ、なんと騒々しいのでしょうかこの駄犬が! いや、愚かで矮小な魔族ごとき、静かに食事を摂る程度の教養もなくて当然でしたね!』
『ハハハ! いやあ肉もウマイが! 飯も食えない哀れな女狐の遠吠えを聞きながら食う飯は実にウマイなあぁー!!! ハハハ! ハハハハ! ハーッハッハッハ!』
『うぐぐぎぎぎ』
念話による女神とのいつもの口喧嘩をしながらも、地面に置かれたお皿に口を突っ込んでガツガツとやっている魔王。食事中に喋るのはマナーが悪いとよく言われていますが、念話はいったいどうなんでしょうか? ただ一つ言えるのは、食事中に女神を念話によって煽るのは、魔王にとっては食事を盛り上げるための極上のスパイスであることは確かなようです。
「いやあそれにしても、勇者様の使い魔も本当によくお食べになられますね!」
一心不乱にサイコロステーキを貪る魔王の姿に嬉しそうに目を細めるのは、この村の村長レガートさん。
勇者来村の知らせを受けて、即座に「宴会だ!」と叫んだ豪傑です。
あれよあれよと進んでいく宴会の準備のさなかに、「この子も一緒にいいですか?」と言って子犬魔王を抱えて見せたときに、間髪いれずに「勿論ですとも」と前歯をキラメかせたいい人でもあります。
「レガートさん。この子の食事まで、本当にありがとうございます」
「いいえいいえ! そんなそんな! お礼を言われるほどのことではございませんよ!」
私がお礼を言うと、レガートさんはぶんぶんと首を振りました。
「森牛と共に生きるわたしたちにとっての最大の喜びは、違いが分かる方に食べていただくことです。その点、勇者様と騎士様はもちろんの事、勇者様の使い魔も違いをよく分かっておいでのようだ」
「へえ、分かりますか」
「ええ、分かるのです」
私の目には行儀悪くお肉をがっついている子犬の姿にしか見えないのですが、違いが分かる人には分かるのかもしれません。
たぶんお世辞なんでしょうけど、私の舌も褒めてもらえて地味に嬉しいです。お父さんとお母さんに、たくさん美味しいものを食べさせてもらいましたから。まるで両親が認められたみたいな嬉しさがあります。
「わんわんだー!」
「わんわんがいるー!!」
『なんだ貴様ら。おい止めろ、我の食事の邪魔をするな! やめろ!』
気がつくと、ちょっと目を離した内に違いが分かる魔王は違いの分からない村の子どもたちに群がられていました。
わんわんだと連呼しながら、魔王の身体を引っ張ったり叩いたりしています。その子犬の正体が実は先代魔王と知ったら驚くでしょうね、きっと。
『バロール、傷つけたらダメですよ。あと喋るのもダメです』
『ぐぬぬぬ、分かっておる!』
「わんわんこっち向いてえー!」
「このしっぽはやーい!」
せめてもの抵抗なのか、髭を引っ張られても意地でも振り向かず、尻尾だけは捕まれまいと素早く振って子どもたちを翻弄する様子は異様な微笑ましさです。
なんだか村人たちの視線も優しい。大丈夫、それは噛んだり吠えたりしない、心優しい魔王ですよ、きっと。
「ところで勇者様は、これまでにも森牛をお食べになったことはございますか?」
「はい。前に一度だけ、旅に出るときのお祝いで食べました」
勇者として旅立つことが決まった日に、お父さんとお母さんが開いてくれたささやかで温かなパーティー。
何か食べたいものはないかと聞かれた私がリクエストしたのも、確か森牛でした。
あの日食べた森牛のステーキよりも、いま食べている料理のほうが美味しいような気もするし、でもやっぱり思い出の中の味こそが最高だったとも思えます。
そっか。あれから、もう二ヶ月も経つんですね。
思い出に浸って、ちょっぴりしんみりしてしまった私の横で、お祝い事の席で食べたという私の言葉が嬉しかったのか、そうですかそうですかとレガートさんは頷くように言いました。
「我が村の森牛を気に入っていただけて何よりですな! ささ、こちらは森牛のテールスープです。どうぞ」
「おおおー!!」
わああ、テールスープ!
なんですかそれは!
よく分からないけど、なんかおいしそう!!
いただきます!
ルージュ「これはまさしく神のスープです!!!」
女神『ルージュ。傾聴するのです。いいですか、神はスープなど飲みません』
魔王『ハハハハ! 飲めないの間違いであろう!? いやあ神のスープとやらは実にウマイなあ! まさに神の味だハハハ! ハハハハ! ハーッハッハッハ!』
女神『子どもたちよ。無垢なる子どもたちよ。聞こえていますね? その犬の皿を踏みなさい』
魔王『やめろ!! 食い物を粗末にするんじゃない!』
ルージュ「あの……すみませんでした」




