表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/85

女神は見た! 湯煙温泉宿殺人事件 その8

前回のあらすじ


事件解決に向け、女神とオットーさんが暗躍を始めました。そして……


※注意

このエピソードには一部、BLを含むけっこうキツイ性的な表現や、どうしようもない変態が含まれております。

もし苦手な方は、恐れ入りますが第24部「マツコベ村に行きました。」までスキップしてください。

 私が事件の解決を知ったのは、その翌朝のことでした。

 あの後私たちは女神の言葉に後押しされるように解散し、それぞれの部屋に戻って眠りにつきました。

 夜更かしと精神的な疲れ、そして柔らかなお布団の抜群の寝心地からか泥のように眠った私が目を覚ましたのは太陽が高く高く昇った後のことでした。

 ホワイトタブをすっぽりと包んだ昨晩の嵐がまるで嘘のように空は晴れ渡っていて、豪雨の後に独特な澄み切った空気が気分を覚ましてくれました。

 そしてその時にはもう既に、女神の言う通り、今回の事件は全てが綺麗さっぱり木っ端微塵に解決していたのです。

 だからこれは、後日談とも言うべきお話になります。


 私が目を覚ましたとき、部屋にはとっくに目を覚ましていたアグニがいました。

 アグニは私が起きたことに気付くと、おはよう! 食事を頼んでくる! と言ってツーマさんを呼びに部屋を出て行きました。ちょうどお昼の時間帯だったそうで、私は朝食を食べ損ねたことを深く後悔しました。

 寝ぼけた頭でぼーっとしながら、戻ってきたアグニを迎えて暫くして、オットーさんとツーマさんの二人が揃って部屋を訪れました。

 私は一瞬ぎょっとしました。なぜならオットーさんとツーマさんの様子は仲睦まじい夫婦そのものだったからです。


「勇者様。このたびは本当に、ありがとうございました!」


 軽く混乱していると、そんな風に頭を下げるのは食事を置いたツーマさん。

 その表情は晴れ晴れとしていて、まさに今生に憂いなし、といった様子でした。

 とても昨晩、夫の不貞を目撃して夫を殴り倒した人物とは思えませんでした。


「私からもお礼を言わせてください。ルージュさん、本当にありがとうございました」


 重ねてお礼を言うのはオットーさん。ただしこちらは、まるで悪戯が成功した時の子どもみたいな悪い笑顔です。

 私はいえいえなんて答えながら、どういうことなのか説明してくれるんでしょうね、と目力を込めてオットーさんを睨みました。

 オットーさんは冷や汗をかいてたじろぎながらも、ごほんと一つ咳払いをして、言いました。


「あれからツーマには、記憶喪失が嘘だということをきちんとお話しました」


  @


 オットーさんはツーマさんを連れて部屋へ戻ったあと、深々と土下座してこう言ったそうです。


「すまない! 本当は覚えているんだ!」


 と。

 オットーさんは自分が大浴場で何をしていたのか、そしてその後ツーマさんに何をされたかも全て覚えていることをツーマさんだけに告白しました。

 蘇生したオットーさんは私と相談して、ツーマさんの罪を問わないためにわざとああいう嘘をついた、ということも話したそうです。まぁ、実際の相談相手は女神であって私は関与してないんですけども。

 最初は呆然としていたツーマさんですが、やがて不安や恐怖、それに怒りなどの様々な感情が蘇ってきて、つい衝動的に陶磁器の壷を振り上げたところでオットーさんが叫びました。


「あれは私の本意じゃない! やらされたんだ!」

「白々しいことを言わないでくれる!」

「本当だ! なぜなら、あのときの温泉には……!」


 そうしてオットーさんの口から告げられた真実は、ツーマさんにとって驚くべきものでした。


  @


「まさか勇者様の残り湯に、入った人を(・・・・・)性的に興奮させる(・・・・・・・・)効能があるだなんて……私、知らなかったんです」

「…………」


 ツーマさんはしんみりとした顔をして、そんな爆弾発言をぶち込んできました。


 いやあ……。

 えっ……?

 私も、知りませんでしたが……?


 なんですか、その、人を、性的に興奮させる? ひどい効能の温泉があったものですね。

 人のせいにしようとするオットーさんの気持ちは分からないでもないですが、それならもっとマシな嘘をですね、


「やはりそうだったか!」

「えっ、アグニ!?」


 突然背後から起こった声に、私は狼狽しました。

 いまアグニ、やはりと言いました?


「どういうことですか!?」

「うむ! 実はオレも薄々そうなのではないかと疑っていたのだ。

 オレが昨晩風呂に入った後のことを覚えているだろうか。入浴中は別段変わったことはなかったのだが、風呂から上がってルージュ殿の顔を見てからこう、心の奥底から沸き上がる感情があった。ムラムラとした感情だ。これはいかん、ルージュ殿に仕える騎士としてあるまじきと自制していたのだが、結果的にはルージュ殿に不審な思いをさせてしまった。すまない!」

「えっ? えっ!?」


 そ、そういえば確かにお風呂上がりのアグニはちょっとこう、様子がおかしかった気がします。


「その時オレはふと思い出したのだ。ルージュ殿の残り湯の効果についてだ。

 町中の足湯にルージュ殿の濃密な魔力が溶け込んだ結果、異様な疲労回復効果が現れたのを覚えているだろうか。実際にオレも体験したが凄い効果だった。そしてこう思った。

 足を浸けただけでこうなるのならば、ルージュ殿が全身、しかものぼせるほどに長湯した温泉ではいったいどうなるのか、と」


 そんな勇者エキスがたっぷり染みたオールドウッドの温泉に浸かった結果、長旅で疲れていたアグニの体調は完全に回復。その上男性のとある機能まで活発化され、理性的な活動に影響を及ぼしてしまうほどの絶大な効果が発揮されてしまったのだとか。

 あの時のアグニの様子はどうもおかしいと思いましたが、まさか私の顔もまともに見られないような精神状態にあったと聞いて、私は身震いしました。

 あのど変態のアグニが私なんかに欲情してしまうって、いったいどれほどの効き目だったっていうんですか!

 もしアグニが自制に失敗していたらと思うと、私はぞっとしました。

 アグニの命と私の勇者人生が全て水の泡です!


「オレは騎士としてそういった衝動を運動で発散させる術を知っていたし、ギリギリのところでルージュ殿に迷惑をかけずに済んだのだが、そうすると男二人で大浴場へ向かったオットーさんとフレードさんは……ハッ! そうか! ははあなるほど! どうやら今回の事件の真相がオレにも読めてきたぞルージュ殿! そういうことだったのか!」

「やめてよ! それ以上はやめてよ!」


 本当にやめてよ! 察されたオットーさんがいたたまれないよ!

 それに、なに!? それじゃあ、私の残り湯で人が見境なく発情するっていうのは言い逃れでも嘘でもなく、本当に本当だってこと!?

 冗談じゃないよ! 私どんな評判の勇者になっちゃうの!?

 そんな真相絶対にイヤだよ!!!


「勇者様、私も最初はオットーの言葉に半信半疑だったのです。ですがそこに女神さまが現れてこうお告げになりました。『オットーを信じなさい。彼の言う事はすべて事実です。オットーは勇者の残り湯を浴び、前後不覚の酩酊状態に陥った挙げ句に昨晩の凶行に及ばざるを得なくなった言わば被害者。すべては悪い夢だったのです』と」

「女神さまああああああああああ!」


 ちょっとナニ告げちゃってくれてるんですかああああ!

 ダメですよそんなの! 女神が後押ししたら完全に信じちゃうじゃないですか! 言い逃れできないじゃないですか!

 はい終わった! 私の勇者人生終わりました!

 町中ですれ違ったお子さんに「ママーあの勇者さまの残り湯触ったら発情しちゃうってホントー?」「シッ目を合わせちゃいけません」ってやられる未来が確定しました!

 もう私、表を歩けません! いやああああああ!


『落ち着くのです勇者ルージュよ。確かに昨晩のあなたの残り湯に特別な効能があったことは事実ですが、それは特殊な条件が重なってのこと。今回のようなことは二度と起こることはないでしょう』

『うっうっ、ほんとうですか、めがみさま?』


 私はぐすんぐすんとむせび泣きながら聞きました。


『ええ。条件は二つ。一つはこの町の温泉に浸かることです。この一帯に沸き出る温泉は魔力媒介として極めて適した特徴を持つからです。それともう一つですが』

『はい』

『湯の中であなたが性的に興奮』

「いやああああああああああ!」

「ルージュ殿!?」


 私は耳を閉じてのたうち回りました。

 もうしません! 絶対しません!

 だから、だからもう許してえ!!



「そういう訳ですので、私はオットーを許すことができましたし、オットーも私を許してくれました。昨晩は本当に色々なことがありましたが、私たちはこれからも夫婦として、この宿を守る主人と女将としてやっていけると思います。

 オットーを生き返らせてくれた勇者様には、感謝してもし足りません。勇者様、重ね重ね、本当にありがとうございました」

「ぐすんぐすん。はい」


 布団にすっぽり包まって丸まって泣く私にそう言い残して、ツーマさんとオットーさんは部屋を後にしていきました。

 最後にオットーさんはアグニに金袋を手渡していきました。


「オットーさん、これは?」


 そう聞いたアグニに、オットーさんはこう答えました。


「これは私とツーマ二人の蓄えです。ルージュさんと女神様には大変お世話になりました。聞けばルージュさんは大変お金に苦しんでいるとか。僅かではありますが、貴方がたの旅費の足しにしてください」


 その金袋は小さなものでしたが、中には銀貨がびっしりと詰まっていて、それは昨日アグニが鉱山で稼いできた額を軽く上回るような凄い金額でした。


「では、勇者ルージュさんの旅路に幸福があらんことを」


  @


 オットーさんたちが退室して暫くして、フレードさんが部屋を訪れました。


「勇者ちゃん、いるかい?」

「あ、フレードさん」


 私は布団から頭だけを出した亀の子スタイルで出迎えました。

 昨夜のように悲壮な覚悟を秘めたフレードさんはもうおらず、さっぱりとした清々しい表情をしていました。

 まだちょっとめそめそしている私を見て、フレードさんは少しだけ眉を上げましたが、優しげな笑みを浮かべて私の前に座りました。


「ツーマから誤られたよ。罪を着せようとしてすまないって。さっきオットーとツーマにすれ違ったけど、どっちも幸せそうだった。勇者ちゃんは俺なんかよりもずっとうまく、オットー達を助けてくれたんだな」

「フレードさん、買いかぶりすぎです」

「またまた! 謙遜すんなって! 俺は本当に感謝してるんだぜ! ありがとう、勇者ちゃん。勇者って称号は伊達じゃねえって思い知らされたわ。いや、それにしたって蘇生は反則だろ! ははは!」


 フレードさんはけらけらと笑いました。

 我ながら単純だと思うのですが、そんなフレードさんの邪気のない笑顔に元気づけられて、私も笑いました。どんな女神にも治せない、卑猥な勇者というフレーズに傷つけられた心の傷が癒えるのを感じます。


「俺、この町を出ることにしたよ」


 ふいに、フレードさんはそんなことを言いました。

 うっすらと微笑みを浮かべて、まっすぐに私の目を見つめて。


「理由を聞いてもいいですか?」

「今回の件は全部まるく収まった。それは確かだし嬉しいけど、だからって俺の責任が消えてなくなった訳じゃねえ。今回は勇者ちゃんがいてくれたから助かったけど、もし次また同じことが起きたら? 薄い可能性だってことは分かってる。でも昨晩はそんな万が一が起きちまったんだ。だから次の万が一が起きないうちに、俺はこの町を出て行くよ、勇者ちゃん」


 フレードさんの声からはとても静かで、だからこそ揺ぎない覚悟を感じます。


「実は暫く前からさ、とある就職口からずっと歓迎するって誘われてたんだよね。ほら、俺ってば商人の息子な訳だけど、三男坊だからさ。家の手伝いしてたってどうせ跡目は継げないんだし、いい機会かなって思っててさ。だから……そんな顔するなよ、勇者ちゃん」


 フレードさんは私の頭をぽんぽんとあやすように撫でてくれました。

 灰色のもやもやとした魔力の層をもとのもせずに、優しく優しく撫でてくれました。

 フレードさん、本当にいい人だなあ。なんだか泣けます。


「俺の思惑なんか悠に飛び越えていく君を見て気付かされたんだ。俺は色々なものに縛られ続けていたのかもしれないって。だからこれは君のせいなんじゃなくて、君のおかげなんだ。俺の旅立ちをどうか、君に祝福してほしいんだ。頼むよ、勇者ちゃん」

「フレードさん……。フレードさんは、新しい景色を見つけに行くんですね」

「新しい景色? 初めて聞く言葉だけど……うん。気に入った! 俺はきっと、新しい景色を見に行くんだ!」

「はい、はい……私、祈ってます! フレードさんは絶対幸せになれます! 不自然なまでに女神さまに愛されてる私が言うんだから、間違いありません!」

「ははは! ありがとうな!」


 フレードさんは最後に私の頭をひと撫でして、部屋を後にしていきました。

 最後にフレードさんはアグニに金袋を手渡していきました。


「フレードさん、これは?」


 そう聞いたアグニに、フレードさんはこう答えました。


「俺からのお礼。こう見えて結構蓄えあるんだよね。次の就職先がまた結構な大口でさ、俺は暫く金には困らないだろうから、勇者ちゃんに。聞いたよ、お金に困ってるんだろ? 遠慮なく受け取ってくれよ!」


 その金袋はそれなりの大きさで、中には銀貨がびっしりと詰まっていました。さしものアグニもぎょっとするような金額でした。


「それじゃ! 勇者ちゃんの見つける新しい景色が、どうか素晴らしいものでありますように」


  @


 フレードさんが退室してまた暫くして、今度はダーディさんが部屋を訪れました。


「なんとなくダーディさんも来るような気がしていました」

「ハハハ! 流石は勇者殿ですな」


 流石に私でもオットーさん、ツーマさん、フレードさんと来たら次はダーディさんの番だと分かります。

 座椅子に正座で迎えた私の前に、ダーディさんも正座で座りました。

 そして徐に床に手をついて、突然深々と頭を下げるダーディさん。


「この度は、本当にありがとうございました」

「そんな、やめてください」

「これは失礼。困らせるつもりではなかったのですが」


 すっと頭を上げるダーディさん。ここでもオンオフですか。なんだか謝り慣れてる感じがしてちょっとヤですね。


「勇者殿には本当によくして頂きました。感謝の言葉もありません。オットーの命、ツーマさんの心、フレードの罪、そしてこの宿、オールドウッド。この老骨の大切なものを、全て守ってくださった。こんな形でしか感謝の気持ちを表すことができない我が身を呪いたいくらいです」


 そう言ってダーディさんは懐から金袋を取り出して、アグニに手渡しました。正直なところ、またかと思いました。

 ちょっと小さめの金袋でした。

 小、中ときて小だったことに不謹慎ながら少しがっかりしたことは否めませんが、緩んだ袋の口から溢れた色を見て驚きました。

 ちょっと小振りな金袋には、金貨がびっしりと詰まっていました。私もアグニも思わず黄金魚のようにパクパクと口を開閉するような、とてつもない額です。


「さ、流石にこんなには貰えません!」

「いいえ、是非貴女に受け取ってほしいのです」

「でも!」


 言い募る私に、ダーディさんはまあまあと抑えるように言いました。


「実は今朝、私の長年の夢が叶ったのです」


 あまりにも唐突に話が変わりました。


「妻と死別してから、実は私はとある人物に対し、私の妾になってくれないかと粉をかけていたのです。その人はとても謙虚でかたくなで、中々首を縦に振ってはくれませんでした。ですが今朝、唐突にその人物が、首を縦に振ってくれたのです」


 訂正します。

 ぜんっぜん、話が変わっていませんでした。

 それどころか、知らず知らずのうちに世にも恐ろしい話題に足を踏み入れていました。

 新しい妾? いったい誰のことですかねー? 誰だろうなー? ワカラナイナー?


「その人には私とともに、隣町の邸宅に移り住んで頂く事になりました。この歳にして、私は新しい幸せを掴むことができそうなのです」


 じっとダーディさんが私の目を見ています。

 ピュアっピュアな感謝の感情で見てきます。


「すべて、貴女のおかげなのです」


 止めてよ!!!

 フレードさん! 新しいお妾さんってそれフレードさんでしょ!?

 ちょっと待ってよ! 新しい就職口ってそういうこと!? 早まっちゃダメだよ!! まだ間に合うよ!

 新しい景色を、見に行くんじゃなかったの!?


「先ほどその人が私の部屋を訪れて、兼ねてからの話を受けると言った時、続けてこう言っていました。

 『幸せにしてほしい。新しい景色を見せてほしい』と」



 フレードさああああああああああんっ!!!



  @


 こうしてホワイトタブの温泉宿、オールドウッドで起こった殺人事件は幕を閉じました。

 一人の人間の死から始まった今回の事件は、オットーさんとツーマさん、そしてフレードさんとダーディさんがそれぞれ結ばれるという、これ以上なく幸せでハッピーで文句のつけどころもない大団円となったのです。


『そして今回の事件解決を経て、わたくし達はついでに多大な資金を獲得しました。これだけあれば従者のアグニを鉱山などで肉体労働に従事させることなく、いかなる都市のいかなる宿に何泊したとしても旅費が尽きることなどないでしょう。どうですかルージュ! あなたの望む理想的な人界観光は、わたくし女神トーラによって約束されたのです!』

『女神さまお願いちょっと黙ってて』


 机に突っ伏して消沈している私の前には三つの金袋が鎮座しています。

 これは真実は金で買えると豪語する金欠名探偵の喧伝によるもので、つまるところ、女神の仕業でした。

 どうりで皆さん、揃いも揃って金欠金欠と言ってくると思いましたよ!

 まぁ、オットーさんとツーマさんについては、アグニが大声で安かったんだとか叫んでいたので今更だったかもしれませんけど……。


『いったいどうしたと言うのですか。オットーは浮気を事故のせいにして隠し通せてハッピー。ツーマは殺人の罪をなかったことにできてハッピー。フレードは友を守り、新たな人生を手に入れてハッピー。ダーディは長年言い寄っていた妾を手に入れてハッピー。ルージュはがっぽり儲かってハッピー。アグニは金欠故にルージュを泣かせずに済んでハッピー。大団円ではないですか。誰一人不幸になっていません。完全勝利です』

『それでもこのやってしまった感が私の胸に突き刺さるんですよお!』


 あとこの金額の大きさが重たすぎます! 精神的に!!


「アグニい。どうしよう」

「どうしようとは、何がだ?」

「これですよこれえ」


 机に突っ伏したまま、つんつんと金袋をつつきました。じゃらりじゃらりとした濃厚な音が心を揺さぶります。万人を魅了するというカネの魔力です。


「ルージュ殿。これはルージュ殿に対する彼らなりの礼だ。礼とは受け取るのが礼儀だ」

「あああううう」

「ううむ。ルージュ殿が何を苦しんでいるのか、オレにはよく分からないのだが……」


 そしてアグニはこう言いました。



「持っているのが辛いのならば、いっそ使ってしまったらどうだろうか?」



 そして。

 私たちはその日温泉宿オールドウッドをチェックアウトした後、続けてホワイトタブに七日七晩滞在し続けました。

 王都への旅とか国王陛下が待っているだとか、知ったことじゃありませんでした。

 なぜなら私の手元には遺すのも心苦しいお金が山ほどあって、目の前には憧れ続けていたホワイトタブの高級宿が山ほど並んでいたからです。

 私たちは名だたる名物宿をハシゴして、極上の料理と極楽の温泉、そして最高のサービスを大いに楽しみました。


「あはははは! あはははは! 美味しいです! 楽しいです女神さま!」

『そうでしょう! そうでしょう! お金で買える幸せもあるのですよルージュ! 覚えておくのですよルージュ! 世の中、金です!』

「はい! お金って大事ですね女神さま! 人界さいこう!」

「ルージュ殿! ルージュ殿! ちょっと声が大きいのではないだろうか!?」


 最初の頃は渋い顔をしていたアグニでしたが、二日目辺りからは私と一緒に笑い転げていました。アグニは鶏肉料理が大好物みたいでした。


「「ワーッハッハッハ! ワーッハッハッハ!」」


 私の心の中に芽生えていた罪悪感は気付けば霧散していました。

 そうそう。気がつくと、魔王がまた念話に顔を出してくれるようになりました!


『人間という種の最底辺を並べて見せられた気分だ。もう我は並大抵の事では驚かないだろう』


 その一言に私はちょっと冷静になりましたが、バロットエッグのちょっと珍しい雛料理を与えると、ウマイウマイと機嫌を直してくれました。よかったよかった。

 そんなこんなで夢のような七日間はあっという間に過ぎてゆき、日に日に目減りしていく金袋の中身に戦々恐々とし始めた頃、私とアグニは旅に戻る覚悟を決めました。

 厩にすっかり放置してしまっていたアグニの意識の高い系の馬、デルタ(と、命名しました)がすっかりスネていることに気がついたのもこの日の夜でした。

 デルタの機嫌を直すために、高級飼葉と私との混浴(足湯)のダブルコンボを要したのも、今となっては良い思い出です。


  @


 こうして私たちは湯煙と観光の町、ホワイトタブを後にしました。

 辛い事も悲しい事もありましたが、楽しい思い出もたくさん作ることができました。今となっては、私はアグニにワガママを言ってよかったと心から思えるようになりました。


 そうそう。

 これは後日談だと初めに言いましたが、後日談の後日談があるとするならば、それはこんな話になるでしょう。


 ホワイトタブを出ると決めた日、私たちは最初にお世話になった温泉宿、オールドウッドに挨拶に行きました。

 オットーさんとツーマさんは笑顔で出迎えてくれました。


「名残惜しいです。このままずっと滞在していただければいいのに」

「勇者の旅が辛くなったら、いつでも戻ってきてくださいね! 私達はその日まで、この宿を守り続けていきますから!」

「はい! いつか必ず、また泊まりにきますね!」


 私はオットーさんとツーマさんと、力強くそう約束しました。


「ところでオットーさん。最近、ホワイトタブの町でこんな噂が立っているのですが……」


 私はオットーさんを手招きして二人きりになると、ちょっと声を潜めてこんな事を聞きました。


「ああ。それはもしかして、夜に露出狂が出るというものですか?」

「ええ。それも男性の」


 そう。

 私が他の宿に泊まっている間、他の宿泊客たちの間で、こんな噂が立っているのです。

 なんでもその男は全裸に首輪という退廃的な格好をしていて、しかも妙齢の女性に首輪につけた紐を握らせているらしい。

 その変態はホワイトタブの山中に現れ、誰かに目撃された瞬間、山犬のような身のこなしで山の中へと逃げていくのだとか。


「いやはや。実に恐ろしい噂話ですねえ」

「いやオットーさんですよね。あと明らかにツーマさんを巻き込んでますよね」


 オットーさんの首元には、不自然な赤い痕が残っていました。

 私とオットーさんは暫く見つめ合い、やがてオットーさんがぽつりと言いました。


「……実はあの事件をきっかけに、私は気付いてしまったのです」

「何にでしょうか」

「一糸まとわぬ姿を誰かに見せつけるのが、とても素晴らしいということにです」

「はい」


 分かる。

 だけど分かるようで、分からない。

 あの日開眼した私とオットーさんが開眼させたそれは、似て非なる性癖と呼べました。


「もうこれ以上ツーマに隠し事はできない。そう決めた私は、覚悟を抱いてツーマに打ち明けました。ツーマは、私を理解してくれました」

「はい」

「ルージュさん。妻が夫の性癖に理解を示してくれるというのは、とても幸福なことでした」


 オットーさんの目は潤んでいました。

 それは幸福の証でした。


「ルージュさんにもいつか、そんな相手が現れることを祈っています」

「はい。オットーさんもどうか、身体にはお気をつけて」

「ええ! ホワイトタブの男は、寒さには決して負けませんよ!」


 そして私とオットーさんはガシっと、固く力強く握手をして、そして別れました。

 私とオットーさんはこの日、誰よりも深く分かり合いました。

 私はアグニと並んで町中へと続く坂道を下りながら、ふとオールドウッドの宿を見上げました。


 オールドウッド。

 どれほどに立派な大樹でも、いつかはやがて必ず朽ちる時が来る。

 まだ倒れるほどではなかったとしても、突然の嵐に打ち倒されてしまう日もあるでしょう。

 しかし、決して古木とは朽ち果てるだけの存在ではありません。

 朽ちて倒れた古木は、瑞々しい次の芽生えの支えとなるのです。

 あの日、あの時、あの宿で。私とオットーさんは身が朽ち果てるような苦しみを経て、そして次なる芽生え、新たなる萌芽を手にしました。

 それが今後、果たしてどのような意味を持つ事になるのか。それはまだ分かりません。

 ですが私は、この胸の中に生まれた一筋の光を大切に守っていこうと思います。

 大丈夫。

 私は一人じゃない。

 私には仲間がいる。

 いつでもこの場所、あの宿に戻れば、私を出迎えてくれる人がいる。

 私を理解してくれる人がいる。


 私は人界にまた一つ、私の心を支えてくれる大切なものが増えたのを感じながら、ホワイトタブの町を後にしました。

 次の町でもきっと、新しい景色が、新しい出会いがあると信じて。

女神は見た! 湯煙温泉宿殺人事件編、完結っ!!!


ありがとうございました!

ありがとうございました!

大変申し訳ございませんでした!!!


前回のリエリア編がアグニ回だとしたら、次は女神回だよなと思いこの話の執筆を決めました。

こんな方向に迷走することになろうとは、実は思ってはいましたが、ちょっぴり覚悟が足りていませんでした。

更新が遅くなったこと、重ねてお詫び申し上げます。


次回は王都までの道のりを語る最後の小話。森牛編です。

ここまでかなり影が薄い魔王の回となる予定ですので、お楽しみに。


そう言えば、先日ひとつ新規で短編を投稿しました。13000字程度の読み切りですので、よろしければそちらもどうぞ。

感想等々お待ちしております。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ