女神は見た! 湯煙温泉宿殺人事件 その2
前回のあらすじ
憧れだった初めての温泉は、なんと混浴でした。
※注意
このエピソードには一部、BLを含むけっこうキツイ性的な表現や、どうしようもない変態が含まれております。
もし苦手な方は、恐れ入りますが第24部「マツコベ村に行きました。」までスキップしてください。
「こ、混浴ですか?」
憧れのホワイトタブ、初めての温泉はまさかの混浴でした。
「ええ、当宿では敷地面積の都合から個室風呂はございませんので、混浴の大浴場のみご提供させていただいております。組合発行のパンフレットにもその旨記載されているはずですが……」
ご存知なかったのですか? というツーマさんの問いかけに、私は神妙に頷き返しました。
お二人は恋人ではないのですか? というオットーさんの問いかけに、私は神妙に首を横に振りました。
やがてツーマさんがアグニを見ました。オットーさんもアグニを見ました。そして私もアグニを見ました。
嫌がる私の首根っこを掴み、どれだけ頼んでも離してくれずに、ずりずりと無理矢理この宿、混浴温泉オールドウッドに引きずり込んだ張本人であるアグニを見ました。
三対のジト目がアグニを射抜きました。
そして当のアグニはといえば、残像を残す勢いで首を横に振り、脂汗をまき散らしていました。見苦しいですよアグニ。観念してください。
「違う! 親愛なる国王陛下と女神トーラに誓う! 知らなかったんだ! 宿泊費だけを見てこの宿を選んだ! 本当だ! ルージュ殿、信じてくれ! この宿は安かったんだ!」
アグニの告白は胸に迫りました。
私はそれを真剣な面持ちで、オットー夫妻はすごく複雑そうな面持ちで受け止めました。
「女神さま」
『この男は本当のことを言っています』
人界の守護者、女神トーラ審問官による判決はシロでした。
「おめでとうございますアグニ。あなたの疑いは晴れました。私は信じていましたよ。なにせあなたは私のような乳臭い小娘には女神さまに誓って欲情なんてしないと誓えるようなドーナツ状の幅広い守備範囲を持つことで有名なゴードグレイス聖王国が誇る近衛騎士さまですものね」
「いや。そこまで女神に誓った覚えはないのだが……」
「アグニさん。大丈夫です! 性癖は人それぞれですよ!」
「王国の近衛騎士っていったいどういう集まりなの……?」
脂汗を垂れ流すアグニを慰めたのはオットーさんでした。男が光るナイスフォローでした。無用なお気遣い痛み入ります。
「さて、ではどうしましょうか」
「順当に順番に入浴しよう。ルージュ殿、君が先に入ってくれ」
まあそうなりますよね。
この世の中にはレディーファーストという言葉もございますし、イケメン騎士さまに違わぬ紳士的な態度と捉えられなくもありません。
ですが。
「女神さま」
『この男はルージュの残り湯に強い興味を示しています。より正確に言えばルージュの残り湯に付与されるであろう疲労回復効果に強い期待感を抱いています。この男は肉体労働を終え、強く心地よい疲労感を感じています。強い自制は働いていますが、魔が差せば、飲むでしょう』
人界の守護者、女神トーラ審問官は一切の容赦というものをしませんでした。
私はじっとアグニを見つめました。
「アグニ」
「……」
曲がらないことで有名なあのアグニが、すっと目をそらしました。
「女神さまはこう仰られました」
「……なんと」
「アグニは飲みかねないと」
「分かった。オレが先に入ろう」
三対の軽蔑の眼差しが、とぼとぼと浴場へと向かうアグニの背中に突き刺さりました。
やがて魔王がぽつりと言いました。
『人界の男どもは本当にどうしようもない連中ばかりだな』
一概に否定できませんでした。
@
オールドウッドの誇る大浴場は、全面檜張りの超広々空間でした。
男湯と女湯にかけるスペースを全ツッパした結果なのでしょう。レイラインの領主さまのお屋敷でも大きなお風呂に入れてもらいましたが、流石ホワイトタブと言いますか、色々と桁が違います。
二十人は裕に浸かれる大浴槽になみなみと引かれた温泉は、透明ではなく白く濁っています。だが、それがいい! この白濁はお肌にいい証! 効能の証明! そう、パンフレットには記載されていました。
広い大浴場を見渡しますが、私以外には誰もいません。無人の浴場にたった一人降り立った私ことルージュはいま、身を纏うもの全てを脱ぎ捨てて両の拳を天高く突き上げ、この世の自由を謳歌していました。
「おおおおおお貸し切りだー!」
私のテンションはうなぎ上りでした。その勢いは留まるところを知りませんでした。きっとどれだけ自制心の高い人間であっても、この開放感の前には素っ裸になって拳を振り上げる以外の選択肢はありません。オールドウッドの誇る大浴場、それも一番風呂を独り占めにするということは、つまりそういうことでした。
アグニを浴場に送り出してオットーさんたちと別れたあと、私はすぐにアグニに追いついてこう言いました。
「アグニ、やっぱり私が先に入ります」
アグニはきょとんとした顔をしていました。
「いいのか?」
「実は私、一番風呂って凄く憧れてたんです」
そんなことを言った私ですが、実際のところ方便でした。
憧れのホワイトタブで入る温泉。ましてや一番風呂だなんて贅沢すぎて鼻血モノであるのは間違いありませんが、実際の所、私の残り湯に浸かるぐらいでアグニが元気になってくれるならそれでいいやと思った次第です。
事の始まりは私のワガママでした。アグニは路銀が残り少ないことを知っていながらも、私のワガママに付き合うために宿を吟味し、鉱山で岩盤掘りなんていう肉体労働にまで従事してくれたのです。その結果、私の残り湯の疲労回復効果にすがりたいと思ってしまうほど疲れてしまったと言うのであれば、それはそれで私の責任のような気もします。
よくよく考えれば長い付き合いですし、思い返せば革袋経由での間接キスやたらいと手ぬぐいの使い回しなんて回数を数えるのもバカバカしいレベルです。旅では水は貴重品でしたからね。それを今さら残り湯くらいでうだうだ言うのは逆にアグニに失礼というものでしょう。
しかし。
「飲むのだけはダメですよ。それだけはアウトです。許容できません」
私にも譲れない思いというものがありましたので、そこだけは強調して言いました。
「分かっている。そんな真似は絶対にしない。国王陛下と女神トーラ、そして何よりも君に誓う」
アグニもその辺を分かっているのでしょう。いつになく真剣な表情で、私の残り湯を決して飲まないことを誓いました。宣誓の内容を考えれば、異様なやり取りと言えなくもありませんでした。
私は念を押しました。
「絶対ですよ」
「ああ! 絶対に飲まない」
「飲んだら分かりますからね。女神さまが」
「ああ! 女神様にも誓う!」
「もし飲んだら勇者辞めますからね」
「ああ! 人界のためにもそんな真似はしない!」
「王都でも言いふらしますからね」
「頼むからもう行ってくれ」
アグニは半泣きでした。
@
そんな訳で、顔を覆って落ち込むアグニを尻目に、私が貴重な一番風呂を頂戴いたしました。
私はパンフレットで読んだ入浴マナーに従い、がっしがっしと体を磨きながら、鏡に映った自分の肌を眺めていました。
自分で言うのもなんですが、私はかなり色白なほうだと思います。
というのも、エイピアにいた頃は一日の大半を酒場の中で過ごしていましたから、あまり日を浴びない生活だったというのが大きいのでしょう。
そんな私がこうして旅に出て、日がな一日太陽の日差しを浴びるような生活にシフトしたものですから、日焼けや肌のシミなどは避けられないだろうなぁと密かに諦めておりました。
ところが、意外にもそうはなりませんでした。確かに肌は全体的にほんのり焼けてきた気もしますが、まだまだ健康的なレベルです。それに目立つようなシミもありません。うん。我ながら綺麗な肌です。
「これも女神さまのご加護ですかねー」
なんとなく上機嫌になって言いました。
『フッフッフ。感謝するのですよルージュ。わたくしの祝福は紫外線対策も完璧です!』
女神の言う事はよく分かりませんでしたが、たぶん肯定的なことを言ったのでしょう。こればかりは感謝感謝です。
それにしても。
「せっかくならこっちにも祝福してくれればいいのに……」
私は鏡の前で、泡だらけになった手のひらでお胸を寄せて言いました。
自分の名誉のために言いますが、ないことはないんですよ。こうして寄せればとちゃんと谷間もできますし、馬の上では分かるくらいには揺れてもくれるんです。ただ、女性としてはツーマさんみたいなどたぷんとしたお胸さまには憧れと殺意の感情を抱くことを避けられないのです。抗い難い本能なのです。言わば宿命なのです。
私は背も低いので、将来性にも期待薄なのが辛いところです。たくさん食べてもお腹につきそうで怖い。
『それっぽい幻影を作って見せることなら可能ですが?』
「やめてください。ひとしきり楽しんだ後にきっと闇落ちします」
『おまえらもう少し会話を選べ』
和気あいあいとしたガールズトークに、憮然とした魔王の声が横やりを入れました。
そうそう。魔王についても少し語らなければなりませんね。
いま現在、というか女神と魔王に目をつけられて以来、私たち三人は一心同体と言えるでしょう。
女神はあくまでも自由意志で私に付き纏っているようですが、魔王の方はそうはいきません。本来、歴代魔王の魂の継承が完了した時点で私の魂と自我も彼らに混じり合ってしまうところを、女神の加護によって守られているに過ぎません。つまり、深い所では既に結びついてしまっているのです。
もし女神の加護がなかった場合、私は今頃魔王たちの怒りと悲しみ、憎しみといった感情に囚われて「ニンゲン、殺すべし!」とか叫んで暴れ回っていたことでしょう。危ないところでした。
さて。こうなりますと、私にいわゆるプライベートはありません。アグニに許した寝顔どころか、着替えもおトイレも全部魔王同伴です。語り口から考えて、どう考えても魔王は男性なのがより辛いところでした。
しかもあるきっかけで、魔王や竜王のような明らかに人型をしていないと思っていた魔族も、実はただ変身していただけの人型魔族だと知りました。オムアン湖の湖畔でその事実に気付いたのは既にナマ着替えとか色々披露してしまった後のことでして、つまりもう手遅れでした。
この心折れそうになる事実を、私は「魔王は犬」という自己暗示によって切り抜けることに成功しました。というか、その決意をするに至ったエイピアでの『行ってらっしゃいパーティー』の時点で既に見せていた諸々のことを考えれば、開き直らざるをえませんでした。所々で魔王に対する扱いが雑になってしまうのも、言わば魔王は魔王である前に私にとって犬だからです。だからこそ色々と許せているのです。ギリッギリの妥協点なのです。
魔王もその辺を理解してくれているようで、私が雑な扱いをしてもそれほど怒ったりはしませんし、日常生活における私のちょっとデリケートな部分については一切の不干渉の態度を貫いています。こういう所だけを見ると、女神より圧倒的に魔王大人だなって思います。
ですので、こういった場所では私は遠慮なく素っ裸になりますし、魔王も無遠慮に実体化したり茶化したりしません。精神体での視覚情報も極力切ろうとする紳士的な意思みたいなものも伝わってきています。ありがたいことです。尤も、もし魔王がこれらの気遣いを一つでも忘れた瞬間、私はあらゆる手段を駆使して魔界ごとこの黒歴史を葬り去る覚悟です。
とはいえ、私たちの暗黙のルールで念話だけは切らないことにしています。なんとなく、魔王を完全にハブるのはイヤだった、と言うのは私の甘さでしょうか。
そんなこんなを考えながら、私は綺麗なお湯を頭から被りました。体は洗い、お湯で流しました。いよいよ本番です!
そして。
「はふう……あっ……あああ……」
満を持して肩まで浸かった初めての温泉は、まさに天にも昇る心地よさでした。
手足の先からじんじんと癒し成分が侵入してきます。申し訳程度の筋肉が勝手にビクンビクンしてるのが分かります。私けっこう疲れてたんだなー。
足湯の心地よさもハンパではありませんでしたが、全身で浸かる温泉はまた格別でした。全身くまなく暖かいという限りない贅沢。なんか、このまま足腰から溶けてしまいそう……。
私は果たして今晩、この天国から立ち上がることができるのでしょうか。そんな事を考えながら、二の腕から指先にかけてお湯を塗り籠むように動かしてみました。こうすると、なんとなく色々なものがお肌に浸透するような気がします。
「あれ?」
ふと指先を見ると、普段あれほどだらしなくだだ漏れになっている魔力がちっとも漏れていないことを確認しました。
これはアレでしょうか。いま私が極度のリラックス状態に陥っているからでしょうか。それとも、足湯の時みたく温泉に溶けまくっているのでしょうか。
領主さまのお屋敷だったり、手ぬぐいで体を拭っている時にはこのようなことにはならないので、ホワイトタブの温泉って所に何か関係があるのかもしれませんね。
ま、今の私にはどうでもいいことですけどね! 難しいことなんて考えてられませんよまったく。あー。ホワイトタブに立ち寄ってよかったー。アグニにワガママ言ってよかったー。
アグニかー。今ごろアグニは、私が温泉から上がるのを、じっと待ってるんだろうなー。
あー。
そういえば私、残り湯は絶対飲むなとは言いましたけど。
入浴中に入ってくるな、とは別に言いませんでしたね。アグニに。
……。
「……うっ」
いやいやいや。
何考えてるんですか私は。
あのアグニが覗きとかありえないですって。
むしろそんな発想をした自分自身に驚きです。赤面モノです。実際顔が熱いです。
そもそも、言質を取ったのだって時間をずらして入るのが大前提での話だったじゃないですか。
それを念押ししなかったからって覗きに走るとか、幼馴染みのコリンじゃあるまいし、よりにもよってアグ二がそんな事するはずがありません。
普通に考えて。
でも。
さっきのアグニ、ちょっと泣いてたような……。
ちょっと念押しが過ぎましたかね? 別に信用していないとかそういう訳じゃなかったんですが、もしかしたら少し言い過ぎたかもしれません。
もし。
もし怒ったアグニが「残り湯じゃなければいいんだな?」とか開き直って言い出したりしたらどうしましょう。
恨みから来る反骨精神を迸るパトスに乗せて覗きを慣行しようとしてたらどうしましょう。
自暴自棄気味に大浴場の引き戸を開けるアグニの姿が妙にリアルに想像できてしまって、私はそれをかき消すように頭上の湯煙を払いました。思いのほか強い突風が吹き荒れました。
いやいやいやいや。
まさかそんな。
あのアグニですよ? 真面目と正義と素直と犬と変態を足して煮込んだようなイケメン騎士さまが、たかだか八つ当たりで覗きを慣行しようとかますますもってあり得ません。
そもそもですよ。
ああ見えてアグニは紳士です。
イケメンだし優しいし、ちょっと犬っぽいところや特殊な性癖とかに目をつむればアグニは理想の騎士さまと言えるでしょう。
それにアグニは、人が嫌だと言ったことは絶対にしません。こちらが気を遣ってしまうくらいに気遣われたりもします。覗きなどという最低愚劣で人を傷つけるような行為の対極にいるような人です。その一点については、私にだって保証できます。
そうですとも! それにアグニは私みたいな小娘にはまったく興味のないドーナツ型ストライクゾーンを持つ変態だったじゃないですか! だったらなおさら!
なおさら……。
あれ。もしかして私がそういったことの対象外だからこそ、むしろなんの気兼ねもなく乱入してくる可能性が魔素レベルで存在している……?
アグニの目的が極度の疲れから来るただの疲労回復にあるとしたら、もし何の下心もないが故に、親戚の子どもか何かと川遊びするぐらいの気軽さで、残り湯を飲むのがダメなら煮出し汁に一緒に浸かればいいじゃない的なコペルニクス的転回を許してしまったのだとしたら……?
すべては疲れた体を完璧な状態まで癒したいというアグニの正義感と使命感から来る汚れ一つな綺麗な欲求が、残り湯がダメなら一緒に入ってしまおうという大胆な行いを決意させてしまったとしたら……?
もしそれに対して、あのアグニが何の後ろめたさも罪悪感も感じず、それを実行に移す上で心の中になんの障害も感じなかったとしたら……?
……。
あり得る……。
他でもない、アグニならあり得ると思えてしまう……。
無防備にすやすや眠る私を日常的にガン無視しているアグニなら、そのくらい、やりかねない。
覗き目的とか八つ当たり目的とか、そんな理由とは比べ物にならないくらい、なんというか、現実味がある……。
だとしたら。
私以外に人っ子一人いない、このオールドウッドの大浴場。
身を隠すものは白く濁った温泉だけ。
逃げ場は無し。
そして肝心の私と言えば、温泉のあまりの心地よさに腰砕け状態と来ています。
もし今アグニが来たら、逃げ出せない。
もしかして、マズくないですか?
「……はっ……」
ひっ!?
じ、自分の声にびっくりしました。
今の私の声ですか?
いったいどこから出したんですかね!?
「う……」
急に、猛烈な恥ずかしさがこみ上げてきました。
私はいま、何を考えたんでしょう……。
頭の中がぐるぐるとしてきました。
ここに留まっていてはいけないような気がします。
今すぐに湯から出て、体を冷まさないと……。
「……」
冷まさないといけないのに、体が動いてくれません。
もし湯から上がった時、そこにアグニがいたら?
そう思うと、怖くて動けませんでした。
全部見られる?
それだけは……避けないと。
でも、いないかもしれない。
でも、いるかもしれない。
「……」
私は肩まで湯に浸かったまま、ただじっとたった一つの出入り口を見つめていました。そこには人の影も気配もありませんでしたが、私の心臓はいつまでも激しい音を刻んでいました。
そこに誰かが現れる前に、私はここを出ないといけないのに、私は立ち上がることもできないまま、ただ呆然としていました。
留まれば留まるほど、取り返しが付かなくなっていくかもしれないのに。
出なければならないのに、出られない。
羞恥と恐怖の二律背反が、湯の快楽と混ぜこぜになって私に新しい何かを教えようとしていました。
頭の中にある開けちゃいけない扉がガンガンと音を立てて叩かれている感覚がありました。
あれ。おかしいですね。
恥ずかしくて怖いのに、私、なんでこんなにも興奮しているんでしょう?
そう。それはまるで初めて女神の曲を聞いたときのような、今まで感じたこともないような音と光に包まれる感覚でした。
私の世界が広がる感覚が……。あれ? あれえ? これ、広げてしまっていいものでしたっけ?
「はぁっ……」
きっと温泉のせいで、体が芯から熱くなっていました。
色々なことを考えていたはずの頭の中は、煮詰まったようにドロドロでした。
熱い息を吐き出すたびに、湯の快感に震えた背筋から甘い痺れが走りました。
甘い痺れは途絶えることなく、それどころか疼痛となって、私の心を揺さぶりました。
私はいま、いったいどんな顔をしてしまっているのでしょうか?
いつまでも引き戸の扉から目が離せませんでした。
開かないで、開かないでと、こんなにも祈っているのに、私の頭の中にあるもう一つの扉は壊れんばかりに叩かれ続けていました。
心のどこかで誰かが「開けちゃダメだー!」と叫んでいました。
どちらの扉にも、鍵なんてかかっていませんでした。
世界には私しかいませんでした。
いままで聞いた事もないような甘さを含んだ自分の声と、体の熱だけが現実でした。
足も腰も、心さえもが私の言う事を聞いてくれない中で、ただ一つ、私の両手だけはこれ以上なく自由でした。
やがて、扉が静かに開く音が頭に響きました。
胸のドキドキは最高潮に達しました。
まるで取り返しのつかない坂道の向こうへ転がり落ちようとする私を祝福するかのように、扉の向こう側から差し込んだ暗い光は私の羞恥も恐怖も緊張もあっという間に塗り潰してしまい、そしてやがて――
「……んっ……」
@
部屋に戻った私を迎えたのは、あぐらをかいて偽聖剣の点検をするアグニでした。
「長湯だったなルージュ殿。温泉はどうだっ……大丈夫か?」
アグニは、ゆでだこのような有様になっているであろう、私の顔を見て驚いて言いました。
少し気だるい気分だった私は、たった一言でだけ答えました。
「ちょっとのぼせただけです」
アグニの顔が、ちょっと直視できませんでした。
新しい扉はいつ開くか分からない。それは筆者にも決して分からない。
あれえ? なんで私は濡れ場なんか書いてるんでしょう。おかしいなあ、事件回を書く予定だったのに。
というかこの文体で需要なんてあるのか?
次回くらいで容疑者が揃うハズ。やっぱりその5まで行きそうだなぁ……。