第三章「三人一泊温泉旅行」
刻印の事件から数日後、茜は無事芸能界に復帰した。関係者には体調不良ということにして仕事を休んでいた茜は、失いかけた信用を取り戻すべく、精力的に仕事をした。もともと人を惹きつけるオーラをもっていた茜は、すぐに信用を取り戻し、グラビアだけでなく、バラエティーやドラマにも出演するようになり、あっという間にトップアイドルまで上り詰めた。事件以後も陵人と茜は途切れることなく関係を持ち続けた。といっても男と女の関係ではない。茜は告白こそしなかったが、正直身も心も陵人に捧げるつもりでいた。しかし陵人がそれを拒んだ。決して茜のことが嫌なわけではなかった。いつもの陵人ならとっくに手を出しているが、茜に関しては違った。陵人自身そんな気持ちに自分がなってしまったことに戸惑っていた。そんな陵人を見るのが駿は面白くてたまらなかった。
駿はなんとか二人の間を取り持ってやろうと積極的に動いた。それまではメールや電話でしか連絡を取っていなかった陵人に二人で飲みに行って来いと散々促したが、なかなか陵人が動かないため、業を煮やした駿はまず、自分も加わった三人で飲みに行こうと提案した。茜は当然行くと返事をし、陵人も三人ならと了承した。事件から数日後、三人は集まることになった。場所はもちろんNYXである。久しぶりに陵人に会う茜は明らかに緊張していた。前の晩はドキドキして眠れなかったほどだ。一方陵人も同様に緊張していた。(この俺が女相手に緊張!?)陵人は心のモヤモヤを振り払うようにこの数日の間に二桁の怪異を退治して回った。
そして当日、最初に待ち合わせ場所に到着したのは陵人だった。喫煙スペースでタバコを吸いながら待っていると、そこに茜が現れた。「久しぶり。でもないか・・。」おどけた顔を見せる茜に陵人の心臓は鼓動を強くする。「そうだな。元気そうでよかった。とりあえず座れ。」そういって茜を隣に座らせ、『擬立』を唱えた。「ありがと!ホント便利な術よね。私たちには持ってこい!」「駿だけなら使わないんだけどな。さすがにお前と駿が街中で一緒にいたらまずいだろ。」「そうだね。」久しぶりに陵人の笑顔をみた茜は自分の気持ちをあらためて思った。(私は陵人が好きだ・・!)茜の笑顔を見て陵人も何か暖かく、そして熱いものを感じていたが、それが何なのか良く分からず、若干の戸惑いを覚えたが、不思議と心地良く感じられた。そのためか、陵人は特に考え込むことなく、茜と接することができた。
しばらくお互いの近況を話していると、15分ほど遅れて駿が到着した。「わりー、待たせたな!」「いつものことだ。さっさと行くぞ。」陵人が立ち上がると、茜は陵人の袖を引っ張り、「ねー、一応私初対面なんだけど・・。」「なんだそうなのか?てっきり仕事で会ってるのかと思った。」「そんな話はしてねーだろ、陵人。」「そういやそうだな。でも今さら自己紹介が必要か?お互いトップスター同士。周りの人間はみんなお前たちのこと知ってるぞ。」「そりゃそーだけど。でも今私別人に見えてるんでしょ?」「それなら心配ない。駿にはお前が牧村 茜だってちゃんと認識できている。」「そうなの!?」「うん。ちゃんと見えてるよ。茜ちゃん!」「そうなんだ。えっと、初めまして!よろしくお願いします!」茜が深々と頭を下げる。「こちらこそ。気は使わなくていいよ。陵人と同じように接してくれればいい。もちろん敬語もいらない。」陵人とはまた違った魅力をもった駿に、茜は好印象だった。「ありがと!じゃーいこっか!」「うん!」そうして三人はNYXに向けて歩き出した。
NXYではいつものように碓水が陵人達を待っていてくれた。「いらっしゃい。陵人。駿。それに、牧村 茜ちゃん。」初めて碓水に会う茜は天使のようなその容姿と声に女ながらドキドキしてしまった。「は、初めまして。牧村 茜です。」これまた深々と頭を下げた。「碓水 美影です。こないだは大変だったわね。今日はゆっくりしていって。」「はい!ありがとうございます!」三人はいつもの部屋に行き、酒と料理を適当にオーダーした。「ねぇ!美影さんてメチャメチャ綺麗だね!私女同士なのに思わずうっとりしちゃった!」興奮気味に話す茜に駿がかぶせていく。「だろ!?美人だし、優しいし、料理も最高に美味いんだよ!」「そうなんだー!楽しみー!」二人で盛り上がっていると、陵人がため息混じりに付け足す。「お前らはあの人の恐ろしさを知らないからな・・」「そりゃそうだろ!俺らはNYXのマスターで美人の美影さんしか知らないんだから。」駿が笑っていると、「美影さんと陵人ってどういう関係なの?」茜が興味深深の様子で聞いてくる。「一言で言えば母親みたいなもんだな。ガキの頃から師匠と一緒に面倒を見てくれてる。」「えぇ!?美影さんていくつ!?」「正確には知らんけど40過ぎなのは間違いないな。」「うそーー!?陵人とそんな変わらないと思ってた・・。」「まぁ年齢聞かなきゃわかんないよな。俺も最初に聞いたときは信じられなかった。」駿が大きく頷いている。「俺がガキの頃はまだ阿頼耶式総長だったからな。あの顔でいったい何人の能力者を血祭りに上げたかわからん。」「そ、そうなんだ・・。」茜が若干ビビッているところに碓水が酒と料理を持って現れた。「なーに陵人。自分のことを棚に上げてよく言うじゃない。やってることはあなたの方が凄いと思うけど?」「伝説の『鬼女』には敵わないよ。」「時の番人の一人がよく言うわよ。」「好きでやってるわけじゃないからね。」「最強の能力者が聞いて呆れるは。」二人の静かな戦いに二人はただただじっとしていた。迂闊に動いたらまずいと本能的に感じたからだ。そんな二人の様子に気付いた碓水が二人に笑顔を向ける。「ごめんなさい。この子ったら昔からこうなのよ。いつものことだから気にしないで。」そういって碓水は部屋を出ていった。緊迫した空間からやっと開放された二人は一斉にため息をついた。
「なんかすごい迫力だったね・・。」「史上最恐の親子喧嘩だな。」二人は苦笑いを浮かべていると、「くだらねーこと言ってんじゃねー。」と陵人に一蹴されてしまった。「さ、さて、じゃー飲みますか!」「う、うん!乾杯しよー!」「まったく・・。」陵人は呆れながらもグラスを高々と上げた。この日から三人は時間が合えばこうして集まるようになった。陵人と茜の進展はなかったが、陵人はなんとなくこのままでもいいと感じていた。茜はチャンスとタイミングさえあればと思いつつ、もう少しこの関係でもいいのかなっと感じていた。そんな二人の様子を感じ取った駿も、あえて気を使わず、二人の友人として接していた。
そんな関係がしばらく続き、11月も終わりに挿しかかろうとしていたある日、いつものように三人で飲んでいると、「ねぇ、私陵人の家に行ってみたい!駿君はいったことあるんでしょ!?」「何回かね。」「私も行きたい!!ねー陵人―!」甘えた声で陵人の袖を引っ張って見せる。最初こそダメだと突っぱねていた陵人だったが、こういうことに関しては茜の方が数倍上手である。あっという間に落とされ、宅飲みを決定させられてしまった。たじたじになる陵人を見て駿は腹を抱えて笑った。日時まで設定されてしまった陵人はもはやどうすることも出来ず、「好きにしてくれ。」と捨て台詞をはくしかなった。
数日後、陵人の自宅マンションに荷物が届いた。中には大量の日本酒が入っていた。送り主は神崎 修一郎。「これが届いたってことはぼちぼちか・・。」修一郎が陵人のもとを訪れる時は、その数日前にいつもこうして大量の酒が送られてくるのだ。そしてその酒を二人で飲むというのが最近のパターンだった。それから三日後、修一郎が来ないまま、陵人のマンションで宅飲みが開催された。陵人の住むマンションは都心に近い住宅街にある高級マンションである。閑静な街中にそびえる高層マンションの最上階に陵人の部屋はあった。2LDKの間取りだが、一部屋一部屋が以上に広く、部屋を分割すれば、4Lにも5Lにもなる広さである。当然ながら陵人はそこに一人で住んでいる。「すっごーーい!!」初めて陵人の部屋に入った茜は感嘆の声を上げた。「相変わらず何にもない部屋だなー。無駄に広い。」「嫌なら帰れ。おい、コラ茜!走り回るな!」そんな陵人の言葉が虚しく響きわたるほど茜ははしゃぎまくっていた。茜も駿も超売れっ子芸能人だが、ここまでリッチな生活はまだ出来ていない。茜も一応都内のマンションに住んではいるが、間取りは1LDKだし、部屋もそんなに広いわけじゃない。まして普通の家庭に育った茜はこんな広い部屋には入ったことすらない。完全に子どもに返っていた。「すごいね陵人!!ここ家賃いくら!?」「家賃なんてねーよ。買ったんだから。」「そーなの!?すっごーい!!」茜は目をキラキラさせながら陵人に熱い視線を送っている。「わかったからあんまりはしゃぐんじゃねー。お前が触ると危ないものも置いてあんだから。」陵人に〔危ない〕といわれたとたん茜は条件反射で警戒体制に入った。実際陵人の部屋には怪異を封印した瓶やら得体の知れない箱やらがいくつも存在する。「そ、そーなの・・??」「普通にしてれば問題はない。とにかく走り回るな!」「わ、わかった!」
そんな二人をよそに駿は慣れた様子ですでに飲み会の準備に取り掛かっている。グラスを準備し、買い込んできたお菓子やらなんやらを広げている。「陵人―。今日はなんか作ってんのか?」「ん?あぁ。冷蔵庫にいろいろ用意してある。あともう何品か作るつもりだ。茜!女なら手伝え!駿は冷蔵庫の刺身やらサラダを頼む。」「あいよ!」「私も頑張るー!!」三人は手分けして飲み会の準備を始めた。陵人は幼い頃から修一郎と二人で暮らしていたため、料理の腕前はかなりのものである。修一郎は料理がからっきしダメだった。そのため陵人が上手くなるしかなかったのだ。美影にしごかれたおかげで、プロ級の腕前である。鮮やかな手つきで酒に合うイタリアン、フレンチ、中華、和食の料理を次々に作っていく。茜はというと、これまた料理はまったくできない。包丁を持たせれば自分の指を切り落とそうとし、鍋を見ていろといわれれば、噴出すまでただじっと見ているだけ。しまいには盛り付ける皿を用意しろと言われ、高級な食器を数枚廃棄処分にした。
「お前はもういいから座ってろ!」陵人に怒鳴られ、茜は泣きそうになりながら席についた。「気にしなくていいよ。陵人が出来過ぎるんだよ。」駿がフォローに入るが、「こいつが出来なさ過ぎるんだ!」陵人が一蹴する。茜は陵人にいいところを見せられなかったのと、怒られたことにテンションが激落ちしていた。(はーー・・。せっかく陵人の家にこれたのに。やっちゃったなー・・。)そんな茜をよそに陵人のスペシャル料理が完成し、テーブルにズラッと並べられた。酒もビール、焼酎、日本酒、ワイン、シャンパン、カクテルとあらゆる種類の酒が用意され、もはや宅飲みのレベルをとうに超え、高級レストランのバイキングのようである。目の前に並んだ料理の数々を見て、茜の激落ちしたテンションはグングン上がっていき、すっかり通常時ちょい上くらいまで戻っていた。
「さて、じゃあ乾杯しよっか!」駿の一声で二人もグラスを持ち、「じゃあ、カンパーーイ!!」盛大に飲み会がスタートした。陵人の部屋にはテレビゲームはおろかトランプの類も一切なく、50インチの液晶テレビがドカンと置いてあるだけ。三人はテレビを見ながらこの芸人はこうだのあのアイドルはふぬだの芸能界の裏側を暴露しながら大いに盛り上がった。茜はそれほど酒が強くはないが、それなりに飲める。駿も普通に比べたらかなりいける口だが、陵人はまさに笊だ。長い付き合いの駿ですら、陵人が酔ったところを見た事が無い。「お前能力で酔わないようにしてんじゃないのか!?」駿が突っ込むが、「好きな酒を飲むのにそんなバカなことするわけねーだろ。師匠と美影さんに鍛えられたんだよ。まー元々強かったけどな。」「そういやお前のお師匠さんも半端ないんだったな。」駿が苦笑いをしていると、「ねー、陵人のお師匠さんにも会ってみたいー!」茜がトロトロの声で陵人におねだりする。「俺ですら年に数回しか会わねーんだよ。でも三日前に酒が送られてきてたから、もうぼちぼち来るとは思うんだけどな。」「そーなんだー!今日来てくれないかなーー!?」「そんな都合良くいかねーよ!」陵人は笑いながら答えたが、(もしかしたら・・。)そんな予感がしていた。その時、(ピンポーン)。インターホンが鳴った。三人は目を合わせ、「もしかして・・!?」陵人の部屋に人が尋ねてくることなんて滅多にない。「マジで誰だ・・!?」陵人が用心しながら玄関先に行く。二人も玄関先を窺っていた。陵人が玄関の扉を開けると、「やぁ、久しぶり。」そこには20代後半から30代前半くらいで、180センチ近い身長にスマート体型、白シャツに黒のデニム姿、縁無しのメガネをかけたいかにも優しそうな青年が立っていた。
「なんだ。お師匠さんではないみたいだね。」「うん。お師匠さんならもっとおじさんだろーし。大学のお友達とかかな??」そんなことを茜と駿が話していると、「師匠。来るなら前もって言ってくださいといつも言っているでしょう。酒を送ってくるだけじゃわかりませんよ。」「えぇーー!?お師匠さん!?」茜と駿がきれーにハモる。「いやーすまんすまん。なかなかタイミングが難しくてね。連絡しようしようと思いながら気付くといつも家の前にいるんだよ。」そう笑いながら答えたこの男こそ、陵人の師匠であり、MAINDS特別顧問の神崎 修一郎だった。「それより、お客さんのようだね。また日を改めた方がいいかな?」陵人が返事を返す前に奥で様子を窺っていた二人が飛び出してきた。「始めまして!俺陵人の友達で立石 駿っていいます!」「私、牧村 茜です!あの、よかった一緒に飲みませんか!?」「ちょっ、お前ら何言って・・」「いいんですか??」「もちろんです!どうぞどうぞ!」「じゃあ、遠慮なくお邪魔させてもらいますね」修一郎の笑顔が光る。陵人のとき同様、駿と茜はこの笑顔に一発で虜にされた。陵人のキラースマイルは修一郎から受け継がれたものらしい。「マ、マジかよ・・?」一人玄関に取り残された陵人はしばらく呆然と立ち尽くしていた。
陵人が我に返り、リビングに戻ると、三人はすでに酒を酌み交わしていた。「君が駿君か。陵人から話は聞いているよ。仲良くしていただいてるそーで。ありがとう。」「いえ、世話になってるのは俺の方ですよ。陵人にはいつも助けてもらってます。」「茜さんだったかな?もしかして『天翼の刻印』の子かい?」「はい、そーです!陵人に命を助けてもらいました。」「そーかそーか。大変だったようだね。美影から話を聞いたよ。」「そーだったんですか!」なごみムードの三人に陵人は呆れて言葉が出なかった。「陵人。何をそんなところでボーっとしてるんだい?早く座りなさい。」「あなたは酒が飲めればお構いなしですか!?」「何を言うんだ。君が普段お世話になっている友人に挨拶をするのは師匠として当然のことじゃないか!」「よく言いますよ。まったく。」「まったく君はすぐにすねるんだから。いい加減大人になりなさい。」「そーだよ陵人!」茜が面白そうにかぶせてくる。「てめーにだけは言われたくねー!」「まーまー。ほれ、陵人。」駿が陵人にグラスを渡す。「じゃー、陵人のお師匠さんが加わったところで、もう一度乾杯しますかー!」「賛成――!」「いやー恐縮です」まんざらでもない修一郎の顔を見て、陵人はため息しかでなかった。「かんぱーーい!!」飲み会第二幕が開幕された。
「あのー、陵人の小さい頃ってどんな子どもだったんですか?」茜がここぞとばかりに切り込んだ。「そーだなー。まぁあまり可愛げがあったとは言えないね。妙に大人びたところがあったから。「やっぱり・・。」二人は大きく頷いた。「お前らそのリアクションはどういう意味だ!?」「そのままの意味だよ。」駿が笑いながら答える。「陵人はもともと私の友人の子だったんだ。」「そうだったんですか。ということは、陵人のご両親も能力者だったってことですか?」今度は駿が質問する。「いや、二人ともごくごく普通の人だったよ。そーだな。ちょうど君たち三人のような関係だった。」「俺たちみたい・・?もとは依頼人だったってことですか?」「その通り。二人は別々の依頼で私のところにきて、事件を通して親睦を深めていった。そして、依頼人同士の二人が結ばれたってことだね。」「つまり、その流れで行くとお前たち二人が結ばれるってことだな。」陵人が楽しそうに笑う。(私は陵人がいい!!)と喉まででかかった言葉を茜はなんとか飲み込んだ。「それが陵人が五歳の時だ。もともと凄まじい才能があることには気付いていたんだよ。二人にその事を話したら、もしこの先何か困ったことが起きた時には、陵人を頼むと言われていてね。二人が事故で亡くなって、私は迷わず彼を引き取ることにした。」「陵人はその時のことあんまり覚えてないんでしょ?」茜が以前陵人が話してくれたことを思い出し、聞いてみた。「あぁ。うっすら両親の顔を覚えてる程度だ。師匠に引き取られてからが俺の人生の始まりみたいなもんだから。事実普通の生活から飛び出して能力者として歩み始めたわけだし。」「五歳にして二度目の人生を歩み出したわけか。」駿が感慨深げに言葉を漏らす。「そーだね。大変だったと思うよ。私が言うのもなんだけど、厳しい毎日だったからね。」「そーなの陵人??」「修行はメチャメチャだったな。いくら才能があったとはいえ五歳のガキが一から能力者として生きていかなきゃならないわけだし。何度死に掛けたかわからん。こんな顔して容赦ない人だからな。」「私より美影の方が厳しかっただろ?」「美影さんは能力の修行というより人生の修行の方が多かったですよ。炊事、洗濯に始まり礼節に身だしなみ。」「そうだったね。」修一郎が笑っていると、「笑いごとじゃないですよ。師匠が何もしないから俺がやらされたんじゃないですか。」「だって家事全般はどーしても苦手だったんだよー。」二人のやりとりに駿も茜も胸の中を掻き乱すものと同時に、何か温かいものを感じた。実際、こうやって笑いながら話しているのが嘘のような壮絶な日々だったはずである。幼くして両親を失った陵人。親友を同時に亡くし、その子どもを引き取り能力者として育てた修一郎。お互いのつらい境遇を理解し、支え合ってきたからこそ、本当の親子以上の絆がある。そう二人は感じることができた。それは奇しくも自分自身が怪異という普通ではありえなかったモノに遭遇し、それを乗り越えてきたからである。人の痛みを感じることが出来るのは、痛みを知っているからである。痛みを乗り越えて初めて、人は他人の心に触れることが出来る。駿も茜も人の痛みに触れることが出来る人間に成長していた。
「そうだ!私の友人が温泉旅館の支配人をしているんだけど、最近リニューアルオープンしたらしいんだ。私の紹介で行けば格安で泊めてくれるはずだから、今度三人で行ってくるといい。少し遠いが、すごくいい所だよ。」「温泉!?行きたーい!!ねーねー行こうよ陵人―!」
茜のおねだり攻撃が始まった。「あのなー。俺はともかくお前らはスーパースターなんだぞ!スター同士が温泉宿にお忍びで宿泊なんて世間に知れてみろ!大スクープになるじゃねーか!だいいちお前らが二人同じ日に休みが取れんのか?お互い超忙しーってのに!」「んとー、スクープに関しては陵人の能力でなんとかなるじゃない!?スケジュールもなんとかなるんじゃないかな!?実際明日二人とも休みだしさ!」「そうだな!俺もなんとかなると思うぞ!」茜と駿はすでに行く気満々である。「お前らなー・・。」
「陵人が『陽神』を使えばいいじゃないか。そうすればスケジュールに関係なく行けるだろ?」「ちょっ、師匠!軽はずみなことを言わないで下さい!今までこれだけは使わないようにしてきたんですから!」「いいじゃないか!たまには自分の為に能力を使ったって。」修一郎はニコニコと悪びれた様子もなく笑っている。「あのー・・。その『陽神』っていうのは??」「な、なんでもない!忘れろ!」明らかに動揺している陵人に茜も駿も喰いついた。
「『陽神』というのはね、念を練り上げてその人と全く同じコピーを作ることができる術だよ。そのコピー自体に意志を持たせることによって、本物と同じように行動させることが出来るんだ。」「師匠!!いい加減にして下さい!」「もう言っちゃったし。」「もう聞いちゃったし!」三人のニヤニヤした顔に陵人は思わず後ずさった。「待て待て!誰も使うとは言ってないぞ!」「いいじゃないか陵人。三人で温泉!楽しいと思うよー!」「師匠・・!!」「てかなんでそんなすばらしい能力を今まで隠してたんだ!?」「そーよそーよ!」駿と茜が陵人に詰め寄る。「言えるわけねーだろ。この術は普通の人間にとっては反則技みたいなもんだぞ!そんなしょっちゅう使ってたら人間が腐っちまうからな。」「じゃあたまにならいいのよね!?ねー、お願い!私どうしても三人で温泉に行きたいの!」「まわりの人間を騙すことになるんだぞ!?」「大丈夫!心の中でちゃんとごめんなさいするから!」「そーいう問題じゃねー!」二人のやり取りを見ながら駿と修一郎は嬉しそうに笑っている。ふと目が合った二人は、小さく乾杯した。茜は甘えに甘えぬいた。人生でここまで甘えたことはないというぐらいに甘え尽くした。結果陵人は落ちた。宅飲みを決定させられた時と全く同じ状況である。あっという間に日時を決められ、二人は集合時間の打ち合わせに入っていた。
「なんてことだ・・。」陵人はすっかりテンションが落ちていた。温泉に行きたくないということではない。むしろ楽しみでさえあったが、今まで自分が遊びに行く為に能力を使ったことなど一度もなかった。陵人自身がそれを禁じていた。事実、能力の制約の一つに、自分自身の治癒に関する術は使えないというものがある。陵人は能力者として自分のためだけに能力を使うことを恥と感じていた。今回は見事にその禁を破ることになる。うなだれる陵人に修一郎の言葉が届く。
「陵人。今回は君自身のためではなく、この二人のために術を使うんだ。制約を破るわけじゃない。」「しかし・・。」「陵人。君はもう少し肩の力を抜いて生きる必要があるね。彼らのおかげで大分丸くなってきたようだけど。まだ力が入り過ぎている。もう少し気楽になりなさい。」「はぁ・・。」「そうだよ陵人!人生楽しまないとー!!」「お前は楽しみ過ぎなんだよ!」
このあとも四人の飲み会は続いた。最初に潰れたのはやはり茜だった。早々にベッドに寝かされ、気持ち良さそうに眠っている。次に駿がダウンした。バケモノ二人を相手に健闘したほうだろう。そしてやはり陵人と修一郎が残った。「これでいつもの感じになりましたね。」陵人がほっと漏らす。「いやーなかなか楽しい子たちだね。いい友人にめぐり合えたじゃないか。」「えぇ。俺もそう思います。」普段本人たちの前では決して出さないが、陵人は心から二人に会えてよかったと感じていた。高校、大学を出ている陵人は、それなりに知り合いも多い。しかし、その中に陵人の正体を知っている者は一人もいない。無理に隠していたわけではないが、自分から話そうとも思わなかった。それでいいと思っていた。10年前、駿に出会うまでは。
「彼と出会ってから君はまた一段といい顔になったからね。私も美影も嬉しかったよ。自分から友人について話しをする君がとても新鮮だった。」「そういえばそうでしたね。」「大事にしなさい。」「はい。」「それで、茜さんとはどうなんだい?まんざらでもないんだろ?」「い、いきなり何を言うんですか!?」「君もいい年なんだから、そろそろ真面目な恋愛をしてもいいだろう。」「50過ぎて独身の師匠には言われたくないですね。」「私は恋愛は真面目にしてきたよ。」「そうは見えませんが・・。」「私のことはいいんだよ!孫の顔だってみたいじゃないか。」「何爺くさいこといってんですか。」「温泉旅行は私からのプレゼントだ。有効に使うんだよ!」「そんなこと言って、どーせ仕事絡みなんでしょ?」「君のそういう鋭いところはあまり好きになれないなー。」「図星ですか・・。で、俺に何をしろと?」「うん。その友人というのが、能力者ではないんだけど良質な『核』を持っていてね。昔から手助けをしてあげているんだけど、最近どーもあまりよろしくないものがうろついているようなんだ。もちろん人間じゃない。」「怪異ですか?」「怪異には違いないんだけど、どーも能力者の影を感じるんだよ。もろもろ調べてきてもらえるかな?」「師匠が行けばいいんじゃないんですか?」「そうしたいのはやまやまなんだけど、私もいろいろと忙しくてね。最近暁の活動が活発なのは知っているだろう。やつらの動向から目が離せないんだ。」「何か掴めたんですか?」「いや、有力なものはまだね。君の出番がくる前になんとかしたいとは思っているんだけど・・。」「俺もそう願ってますよ。」「とにかく頼むよ。君にかかればそう難しい案件じゃないどろうから、パパッと終わらせて、露天風呂と豪華な料理とめくるめく夜を楽しんできなさい。」「はいはい。」その日、夜明け前に修一郎は去っていった。陵人は食器を流しに入れ、ゴミを片付けてから、シャワーを浴びた。湯上りにもう一杯飲もうとビールを取り出し、グラスも使わずそのまま勢いよく流しこんだ。「旅行かー。まぁ、悪くないな。」そう呟いた陵人の顔には優しい笑みがこぼれていた。
朝になって茜が起きてきた。「おはよー。私いつ寝た?全然覚えてないー。」飲み過ぎたせいでダルそーな身体を揺らしながら陵人にもたれてくる。「お前とりあえず風呂入ってこい。うちの風呂は二日酔いに効くんだ。」「ホントにー?じゃあ行ってくるー。覗いてもいいよー!」ケタケタ笑いながら茜は浴室に向かってフラフラと歩き出し、途中ですっ転んだ。「いったーいもー!!」「お前まだ酔っ払ってんのか?」陵人が抱きかかえて起こしてやると、茜はそのまま陵人に抱きついた。「そんなことないよー!ちょっとふらついただけー!ついでだしお風呂まで連れてってー。」「まったく・・。」怪我でもされたら面倒だと陵人はお姫様抱っこで茜を浴室まで連れていった。「陵人~脱がして~!」「いい加減にしろ!さっさと入って来い!」「えーー!ケチケチ陵人―!」茜はぶつくさいいながら浴槽に浸かった。するとみるみるうちに身体から酒の毒素が抜かれていき、完全に素面の状態まで戻った。途端に茜に後悔と羞恥心が襲ってきた。(ま、またやっちゃったー・・。)茜は正気に戻ってからも、しばらく浴室から出ることが出来なかった。その数時間後、駿が起きてきた。明らかに二日酔いだった。昨晩バケモノ二人を相手にしていたのだから当然だ。起きると明らかにへこんでいる茜が目に入った。(また何かやらかしたな・・。)しかし今は自分も余裕がない。「陵人、風呂湧いてるか?」「あぁ。タオルも置いてあるから入ってこい。上がったらブランチにするぞ。」「おぉー。」頼りない返事をしてフラフラと浴室に向かう。普段ならしばらく食い物はいらないところだが、陵人の浴室効果をすでに何度か体験している駿は、陵人の作るブランチが楽しみだった。30分程で駿が浴室から出てくると、「あぁーさっぱりしたー!相変わらず凄い効果だな!腹減ったー!で、茜ちゃんは何をやらかしたの?」茜から朝の出来事を聞いた駿は腹がよじれるほど笑い転げたあと、(先が楽しみだなー。)そんなことを考えながら、陵人の作ったスペシャルブランチを堪能した。
「さて、腹もいっぱいになったことだし、温泉の打ち合わせでもするか!」「そ、そーだね!日にちは昨日話した日で大丈夫かな?」茜が元気を振り絞って話に参加する。「俺聞いてねーぞ。」「お前やる気なかったからな!ちょうど一週間後だよ!」「そんな急なのか!?」「だって休み関係ねーって言うからよー。」「そりゃそうだけど・・。」「じゃあ日にちは決まりね!陵人の車で行くんでしょ?」「あ、あぁ。」「よし!時間は早い方がいいよね?7時集合くらいかな?」「いいんじゃない!」「じゃあ来週の朝7時に陵人の家集合ねー!」茜と駿(ほぼ茜)によってものの5分で予定が決定された。(こいつらどんだけ行きたいんだ・・。こっちは仕事絡みだってのに!)だが仕事のことは言わないでおこうと陵人は思った。どうせ行くなら楽しい方がいい。そんな気持ちにさせたのはやはり二人が陵人にとってかけがえの無い存在だからである。予定が決まった後は、三人でDVDを見ながらまったり過ごした。夜から仕事が入っていた陵人は、二人を車で送って行き、そのまま依頼人のもとに向かった。それからメールや電話で連絡を取り合いながら、あっという間に一週間が過ぎた。
朝7時。珍しく駿も遅刻をすることなく、全員が陵人の家に集合していた。「お前こういうイベントの時は遅刻しないって小学生か!」陵人の突っ込みもまったく気にせず、すでにウキウキ状態の駿。茜はというとなんと集合30分前からスタンバっていた。「よし、とりあえず『陽神』をかけるぞ。茜。そこに立て。」「ここでいい?」「あぁ。力を抜いてじっとしてろ。」茜の肩に左手を置き、右手を茜の横に出し集中する。「『陽神』」左手から抽出された茜の念が、右手から徐々に練りだされていき、人型に形成されていく。あっという間にその念の塊は茜になっていった。「す、すげーな!」真正面で見ていた駿は素直に驚いた。陵人の術はいくつもみてきたが、これほど分かりやすい術は初めて目にしたのだ。茜はすでに言葉を失っている。練成が完了し、茜のコピーが目を開いた。どこからどうみても茜そのものだった。「明日の夜には戻る。頼んだぞ。」陵人が茜のコピーに告げると、「わかりました。お気を付けて。」茜のコピーが茜の声で返事をする。「あ、あの、よろしくね。」茜が茜のコピーに話しかけた。「任せておいて!」茜のコピーは満面の笑みを浮かべて返答する。「茜。コピーに携帯やら私物を渡せ。」「え!?なんで!?」「こいつは今から明日の夜までお前になるんだぞ。東京で仕事をしているはずの人間が地方で携帯を使ったおかしいだろうが。それに一文無しでこいつを東京で過ごさせるつもりか?」「あ、そっか!でもお財布も携帯もないんじゃちょっと不安なんだけど・・。」「安心しろ。とりあえす今回の旅費はすべて俺が出しといてやる。常に三人一緒にいれば携帯も必要ないだろ?運転も俺がするし、免許も必要ない。何かあったら俺がなんとでもしてやる。」陵人にそう言われて茜は私物をコピーに預けた。続けて陵人は駿のコピーを作りだした。これまたどっからどうみても駿そのものだった。駿もコピーに私物を預け、陵人は本物の二人に『擬立』をかけた。全ての準備が整い、いよいよ三人の温泉旅行がはじまった。
都心のマンションから車で6時間。三人は目的地である宿、「月心館」に到着した。創業150年を超える老舗であるが、最近になって老朽化した建物を抜本的に改装し、現代的な要素と昔ながらの雰囲気が見事に融合されたその造りは、外観から訪れた者たちを圧倒する。その造りが功を奏し、改装後の客層は若い年代の客達が多く訪れるようになった。支配人が修一郎の友人ということだが、陵人は初めての場所である。「すごーい!!綺麗なとこだねー!」茜が長旅の疲れも忘れてはしゃいだ声を上げる。「雰囲気あるなー。なんか吸い込まれそうだ・・。」駿も感嘆の声を漏らす。11月の終わりであり、周りが山々に囲まれているため気温は都心に比べてかなり低い。まだ雪景色ではないが、冬の足音がすぐそこまで聞こえてくるような情緒溢れる雰囲気をかもし出している。二人は入り口ですでにテンションが上がっていた。しかし、陵人だけが不思議な違和感を感じていた。修一郎の依頼でやってきた陵人はまだ何かわからない胸騒ぎを覚えた。(やはり、何かあるな・・。)「陵人―、どうしたの??」考えこんでいる様子の陵人に茜が声をかける。「ん?いや、なんでもない。見惚れてただけだ。さ、行こう。」二人に依頼の件は内緒にしてある。気付かれないようことに当たらなければならない。陵人は深く息を吸い、「月心館」に足を踏み入れた。
外観の雰囲気とは一風変わって、内装はモダンな暖かい雰囲気を残しながらも、ソファーやシャンデリアといった現代的な雰囲気が随所に取り入れられていた。三人はフロントに行き、受付を行っていると、一人の男性が声をかけてきた。「この度は遠方からようこそお出でくださいました。私当旅館の支配人をさせていただいております田所と申します。」年の頃は50代半ば、中肉中背の人のよさそうな男である。「お世話になります。」三人は同時にお辞儀をし、挨拶をした。「ところで、修さんの息子さんというのは?」「私です。父がいつもお世話になっているそうで。」「いえいえ、お世話になっているのは私の方ですよ。彼から連絡があって、息子が行くからよろしくと言われましてね。これは日頃の感謝を込めてしっかりと御もてなししなければと思いまして。」「ありがとうございます。」「それでは、客室のほうにご案内させていただきます。鳥居君、頼むよ。」「かしこまりました。それでは客室にご案内させていただきます。」仲居の鳥居が三人を客室に案内する。茜と駿が鳥居のあとについて行くのを見計らって、陵人は田所に話かけた。「後ほど伺います。詳しい依頼内容はそこで。」「わかりました。それでは後ほど支配人室で。」「はい。あ、それと、二人には今回の依頼の件は話していないので・・。」「かしこまりました。それでは・・。」田所は温かみのある笑顔を残して仕事に戻っていった。「陵人―、おいてくよー!」「今行く。」すでにエレベーターに乗っている二人の元へ陵人は早歩きで向かっていった。
「月心館」はその名にもあるように、「月」をモチーフにした旅館であり、客室の一つ一つに月に関連する名が付けられている。三人が泊まる部屋は「十六夜の間」である。15畳の居間と8畳の床の間の二部屋から成るこの客室は、日当たりも良く、置かれている家具の一つ一つに高級感が漂っている。正面には優雅な自然で見溢れており、下を流れる川のせせらぎが心の隅々まで洗い流していくような気持ちがした。テラスには専用の露天風呂まで付いており、隅々まで満足のいく部屋だった。「なんかもう凄い、綺麗としか言えないね・・。」「まったくだ・・。」茜と駿は自らのそのボキャブラリーの無さに少々へこんでしまったが、すぐに切り替え、おもいっきり堪能することにした。陵人もこの部屋が気に入り、速攻で依頼内容を片付け、三人でのんびりしたいと思った。とりあえず腰を下ろし、鳥居が入れてくれたお茶をすすりながら、館内の案内や注意事項、食事の時間などの説明を聞いた。「それではごゆっくりどうぞ。」鳥居が客室を出ていくとすぐに陵人は立ち上がって。「さて、お前ら温泉にでも入ってこいよ。俺は支配人と話しがあるから。」「えぇー、陵人も一緒に行こうよー!」早速茜がだだをこねる。「師匠からの伝言があるんだ。さっさと済ませてのんびりした方がいいだろ?」「まーそうだな。じゃあ一足先に風呂行ってくるかー!茜ちゃんどうする?」駿が立ち上がると、「じゃあ私も行くー。早く帰ってきてね、陵人。」「あぁ。一応念のためにこれを渡しておく。もしもの時の連絡手段だ。」そういって陵人は二人にビー玉ほどの大きさで、淡い青色をした綺麗な水晶を渡した。「綺麗・・。」おもわず言葉を失うほど神秘的な光を放っていた。「俺の念を込めてある。もし何かあったら、その水晶を握って心の中で俺を呼べ。すぐに駆けつける。」「了解―!」二人は声を揃えて返事をし、三人は別行動をとることになった。
二人と別れた陵人は、田所が待つ支配人室へと向かった。ノックをすると「どうぞ。」と中から田所の声がした。「失礼します。」「お待ちしておりました。わざわざご足労いたただき申し訳ございません。」田所が丁寧に頭を下げる。「いえ。早速なんですが、依頼内容を詳しくお話していただけますか?父からはあまり話を聞いてないものですから。」無駄話をする気がない陵人はすぐに本題に話をもっていった。「はい。修さんから聞いていると思いますが、私は昔からいろいろと厄介なものが見えたり、絡まれたりする性質で。この旅館を継いだ時にもいろいろと引き入れてしまったようなんです。それを修さんに助けていただいて、この旅館の中にはそういった類の物が入ってこれないようにしていただいたんです。それからはこの旅館内には不可解な現象はなくなりました。それが、ちょうど三ヶ月前のことでしょうか。改築工事が終わって、営業を再開したころです。おかげさまで若い方々にもお越しいただけるようになりまして、それなりに起動に乗っていたんですが、どういうわけかお客様のトラブルが頻繁に起こるようになってしまったんです。」「客のトラブル?クレームということですか?」「いえ、それが・・。お客様同士のトラブルといいますか・・。」「客同士?どういうことでしょう?」「はい。ある若いカップルのお客様がお泊りになった時のことでございます。男性の方が他のお客様と、その・・、浮気をしてしまったらしいのです。それを女性の方に見つかってしまって・・。」「はぁ。しかしそんなことは良く聞く話じゃないんですか?」「はい。それだけならば当方としても差ほど気に留めなかったのですが。それ以降、同じようなことが何件も続いておりまして。若い方だけでなく、年配の方や家族連れの方まであらゆる年代で。しかも、これが一番気にかかることなのですが、相手方は全く身に覚えがないということなのです。どちらか一方は認められているのですが、もう一方は頑なに否定されるのです。それも毎回。これはおかしいと思いまして、修さんに連絡しまして、あなたに来ていただいたということなんです。当方としましても、これ以上よからぬ噂が立ちますと、イメージにも関わりますので。」ここまで話すと田所は大きなため息を吐いた。「そうですか。確かに不可解ですね。これまでに何件そういったことが起きてるんですか?」「私どもが確認しているだけでも、この三ヶ月で10件以上です。ことがことですので、口外しないお客様もいらっしゃるでしょうから、正確な数はわからないのですが。」「そうですか。」陵人が考え込んでいると、「それともう一つ不可解なことがありまして・・。」「なんでしょう?」「ちょうどそういったことが起こるようになってからだと思うのですが、この旅館の周辺を得体の知れない物がうろつくようになったんです。」「得体の知れない物?人間ではないということですか?」「はい。私も人間と怪異との区別は付きます。確かめようと何度か調べてみたんですが、いっこうに姿をみせないのです。ただ怪しい気配だけがするといいますか。」(そういえば師匠もそんなことを言ってたな。)「わかりました。調べてみます。」「よろしくお願いしたします。」陵人は支配人室を出ると、ひとまずロビーに向かい、ソファーに腰を下ろした。田所の話から、恐らく変身系の『能力者』が絡んでいるのは間違いない。しかし、情報が少なすぎる。陵人はどうしたものかと頭を抱えていた。「変身系の能力者・・。不特定多数の被害者・・。辺りをうろつく怪異・・。」「何一人でブツブツ言ってんの??」風呂上りの茜が不思議そうに陵人を見ていた。「ん?あぁ。もう出てきたのか?どうだった?」「もう最高―!大浴場はすんごい広くて、露天風呂も気持ちよかったよー!陵人はお話もう終わったの?」「あぁ。今さっきな。駿はまだか?」「ここにいるよ!」反対方向から缶ビール片手に駿が歩いてくる。「ずるーい!もう飲んでるー!」「風呂上りはやっぱりビールだなー!美味すぎる!」「私も飲みたいーー!陵人買ってー!」「まったくお前らは・・。」茜に金を渡し陵人は深いため息をつく。茜は嬉しそうに売店に走っていった。「それで、今回はどんな依頼なんだ?」駿が唐突に切り出した。「お前・・。気付いてたのか?」「当たり前だ。何年の付き合いだと思ってんだ?馬鹿たれ。」「そうだな・・。すまん。茜が戻ってきたら話そう。」陵人はこみ上げてくる嬉しさで顔がほころぶ。
そんな三人を遠くから見ていた影が、ニヤリと笑っていた。
茜が戻ってきてから、三人は部屋に戻り、陵人は二人に今回の依頼の件を話した。まず二人は何故黙っていたんだと憤慨した。陵人は素直に謝り、それから二人も協力するといいだした。「それはダメだ。今回も恐らく『能力者』が絡んでるのは間違いない。しかもどんな能力かまだわからん。」「変身系の能力なんでしょ?」「あくまで仮説だ。」「でもどうするんだ?今日中に片付けるんだろ?」「あぁ。それはそうなんだけどな。」「まったく思いつかないと?」「そういうことだ。よし!とりあえず俺も風呂入ってくる!」「そうしろ。せっかくだからこの部屋の露天に入れよ陵人!」「お、いいなそれ!そうするか!」「ちょっ、ちょっと待ってよ!私がいるの忘れてない?」茜が動揺していると、「なんなら一緒に入るか??」陵人はニヤニヤしながら服を脱ぎ始める。「ば、馬鹿言わないで!てか向こうで脱いでよー!」顔を真っ赤にしながら陵人に背を向ける。「いいじゃねーか。お前の裸は見たことあるんだそ!」「あれは仕事だったじゃない!」「なんだお前らそういう関係!?」駿はわざとらしく驚いてみせる。「駿君まで馬鹿言わないで!早く入ってきなよ!」「はいはい。」陵人は楽しそうに風呂に入っていった。
露天風呂の景色は最高だった。まだ紅葉が残っており、色とりどりの葉が見事なコントラストを描いていた。陵人は景色に酔いしれながら、今回の件を考え、そして一つの結論をだした。
20分ほどゆっくりと風呂に浸かった陵人は風呂上りのビールを美味そうに飲むと、「せっかくだからこの辺りを少し散歩するか!」「いいねー!まだ紅葉も残ってるし!」「賛成―!!」三人は旅館のすぐ横に広がる森に出かけることにした。旅館のすぐ横に広がる広大な森は遊歩道として整備されおり、月心館の一つの名所になっている。森も奥まで入っていくことができ、野鳥やリス、野うさぎをいった動物が多く生息しているため、写真や動物自然関係の人間たちもよく足を踏み入れていた。平のためか今日はそれほど人がいない。三人は動物や自然を満喫しつつ、今日の夕食はなんだの夜は何して遊ぶだのとはしゃいでいた。そんな三人の様子を先ほどの影が遠くから窺っていた。当然陵人はその影の存在に気付いていたが、あえて気付かないふりをして、逆に様子を窺っていた。(一つ・・、じゃないな。二つか・・。)陵人は木を観察するように見せ掛け、気付かれないように『追捜』を唱えた。慎重に影の様子を窺うと、陵人の術に全く気付く様子はなく、こちらの様子を窺っている。(よし。これでこっちはOKだな。)陵人は目的を果たすと、再び三人の時間を楽しんだ。
1時間ほど散策し、三人は旅館に戻ることにした。時刻は午後4時を回ったところ。夕食は6時半からということだったため、まだ若干の余裕がある。「さて、夕食まで時間もあるし、もっかい風呂入っとくかな。こんどは大浴場にするか。お前らどうする?」陵人が二人に尋ねると、「俺は付き合うよ!」「じゃ私この部屋の露天風呂に入るー!」「よし!じゃあ行くか。」
陵人と駿は二人で大浴場に向かった。一人残った茜は、しばらくぼけーっとしたあと、「よし!誰もいないし、ここで脱いじゃおー!」着替えを準備し、服を脱ごうとしたそのとき、部屋のドアが開き、陵人が戻ってきた。今まさに服を脱ごうと思っていた茜は驚いた。「ビックリしたー!何?忘れ物?」茜の問いに陵人は答えない。どこか様子が変である。真っ直ぐ茜を見つめながら、少しずつ近づいてくる。「何?どうしたの??」陵人は茜のすぐ目の前までくると、「茜。」そっと茜を抱きしめた。「えぇ!?ちょっ、陵人!?」突然のことに驚きながらも茜の鼓動は早くなる。「ずっと、二人になりたいと思ってたんだ。茜。」「何、急に・・!?」「ずっとお前が好きだった。」突然の告白に茜は言葉を失う。「茜。一緒に風呂に入らないか?お前にも俺を見て欲しい。」「ダ、ダメだよ!駿君は!?」「駿には事情を話してある。しばらく帰ってこないよ。」「そ、そうなんだ。でも、急にそんなこと言われても・・。恥ずかしいよ・・。」茜が顔を赤らめる。「いいじゃないか。お前の裸はもう見てるんだぞ?」「だから、あれは仕方なく・・。」茜が困惑していると、陵人は茜の服に手をかけた。「大丈夫。素直になれよ。」「ちょっ、陵人・・。ダメだって・・。」そんな言葉に耳を貸さず、陵人は茜の上着をゆっくりと持ち上げはじめた。「おい。」ふいに言葉をかけられた陵人は驚いて振り向くと、その瞬間強烈な一撃が顔面に叩きこまれ、吹っ飛んでしまった。「俺のものに気安く触るんじゃねー。」そこには陵人と駿が立っていた。
「遅いよ陵人―!」茜がほっぺをぷんぷんに膨らましながらご立腹の表情を見せる。「わりー。完全に油断した状態じゃねーと意味がないからな。」そう言って優しく茜の頭を撫でてやった。茜は「俺のもの」という陵人の言葉が嬉しくて、怒りなどはじめからなかった。陵人に撫でられてすっかりいい気分になっていた。「さて、お前は少し下がってろ。」優しかった陵人の表情が一瞬で凍りつくような表情へと変化した。「いつまで寝てやがる。立てコラ。こんなもんじゃ済まさねーぞ。テメーにはまだ聞きたいことがあるんだからな。」ドスの効いた陵人の声に駿と茜はただただ黙って息を潜めていた。「く、くそ!なんでだ!?いつ分かった!?」さっきまで陵人だったその男は術が解けてもはや完全な別人になっていた。いや、本来の姿に戻っていた。中肉中背、脂ぎったその顔は陵人の一撃で大きく腫れ上がっていたが、それを差し引いても陵人とは似ても似つかない顔。一言で言えば不細工な男であった。「ロビーで二人と合流した時だ。お前ずっと俺たちの様子を窺ってたろ?気付かないとでも思ったか?豚野郎!」陵人の罵声が響きわたる。「くそ!でもお前たちはさっき大浴場に向かったはずだ!俺の使い魔からは何の報告もなかったのに・・!」「そりゃあいつらのことか?」陵人が窓に視線をやると、二匹のコウモリを大きくしたような姿の使い魔がグルグル巻きで吊るされていた。「お、お前たち!?」「さっき森に行ったときに布石を打っておいたんだよ。お前が部屋に入ると同時に捕縛しておいた。あれは、『坩堝の住人』だな?壷に封印された怪異は開放された際、開放した者と主従の契約を結ぶことが出来る。どこで見つけた?いや、誰に貰った!?」「お、お前には関係ないだろ・・!」その言葉が吐かれたと同時に陵人は『枯渇』を唱えた。標的の周りの空気や水分を飛ばし、息はおろか、身体の水分まで奪っていく術である。「口の利き方に気をつけろよ。生きたまま地獄に落としてやることだってできるんだぞ。」今まで見たこともない陵人に茜は恐怖で身体が震えていた。(これが、本当の陵人・・?)「わ、わかっ・・止めてっ・・!」男は悶え苦しみながら陵人に懇願している。陵人は術を解き、質問を続ける。「どこから手に入れた?」男は苦しみながら、「あ、暁って連中にもらったんだ・・。」「やはりそうか・・。暁の連中にその能力も開花してもらったのか?」「そ、そうだ。あ、ある日突然お前は能力者の素質があるからって・・。」「なぜこの旅館に目をつけた?」「さ、最初は客としてきたんだ。そ、そしたら若い客が結構来てて、俺の能力を使えるのはここしかないって思ったんだ。それで・・。」「能力を使って女とやりまくってたってのか?」「だ、だって・・、俺みたいな不細工じゃ誰も相手してくれないだろ!?幸せなやつは痛い目に合えばいいんだ!今までいい思いしてきたんだろ!俺にも少しくらいいい思いさせてくれたっていいだろ!」男はすがるように陵人に視線をぶつけてきた。陵人は変わらず冷たい視線を、茜は軽蔑に満ちた目で男を見ている。駿は同情にも似た表情で男を見つめていた。「調子に乗ってんじゃねーよ変態やろー。何もかも人のせいか!?あ?テメーで何の努力もせずにネチネチしやがって!そんなやつに女が寄ってくるわけねーだろーが!お前が醜いのは外見じゃねー。心だ!だから暁に目を付けられたんだ。」「いいさ、暁には感謝してる。こんあすばらしい能力をくれたんだからな。俺を警察にでも突き出す気か?無駄だね。なんて言って話すんだ?能力者なんて言ったって誰が信用する?俺を裁くことは出来ないんだよ!!」「不法侵入してるじゃない。」茜がぼそっと呟く。「警察に行ったところでこの能力で簡単に出てこられるんだよ!さー、どうする?」男は自信を取り戻したのか、高らかに吠える。「殺す。」「え?」「殺すといったんだ。俺は自分のものを傷つけられるのが一番嫌いなんだよ。テメーみたいなカス野郎は切り刻んでそこの使い魔どもの餌にしてやる。おいしく食べてもらえ。」この世のものとは思えないほど残酷な笑顔を浮かべる陵人に、男は言葉を失った。(殺される・・!)周りの空気が張り詰めるほどの殺気を放ちながら、ゆっくり近づいてくる恐怖!男は絶望のどん底に落ち、後悔と恐怖の波が全身をさらっていくような感覚に襲われ、そのまま気を失ってしまった。「チッ、根性ねーな。この程度で気絶かよ。」陵人はつまらなそうに吐き捨てる。畳に転がった男を端に移し、陵人は携帯で誰かを呼んでいる。電話を切ると、二人に視線を送る。「これで終了だ。なんとか夕飯前に片付いたな。」しかし二人は黙ったままだった。陵人の殺気に当てられ、言葉を失っていたのだ。陵人を見る二人の視線には明らかに「恐怖」が込められていた。(当然だな。やはり二人を巻き込むんじゃなかった・・。)陵人は後悔しながらも、『息吹』を唱え、部屋の澱んだ空気を浄化した。空間が浄化されたことでなんとか動けるようになった二人は、大きくため息を吐いてその場にへたれこんだ。「大丈夫か?」「な、なんとか・・。」「しんどかったー。」「悪かった。結局巻き込んじまったな。」沈んだ陵人の表情を見て駿が切り出す。「気にするな。俺たちはその何倍も思えに助けられてるんだ。」「そうだよ。ちょっとビックリしただけ。」駿も茜もいつもの暖かい笑顔で陵人を見つめている。そんな二人に申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいになった陵人は、二人に最高の笑顔をプレゼントした。
(いつもの陵人だ・・。)二人はようやく安堵することができた。
しばらくして阿頼耶式の人間が男の身柄を引き取りにきた。先ほど陵人が話していたのは阿頼耶式だったようだ。手短に事件の内容を話し、男と使い魔を引き渡す。去り際に阿頼耶式の男が陵人に向かって話し出した。「陵人様、総長からの伝言です。いい加減戻ってこい・・と。」陵人は鼻で笑いながら「うっせー。そう伝えろ。」阿頼耶式の男も笑みを浮かべ、「承知しました。」そう言って去っていった。それから陵人は田所に会いに行き、事件の詳細を伝えた。「ありがとうございました。さすが修さんの息子さんだ。今日は精一杯のサービスをさせていただきます。料理でもお酒でもなんなりとお申し付け下さい。」「ありがとうございます。」部屋に戻ると時間は午後5時を回ったところだった。三人は食事の前に風呂に入ろうということになり、今度は三人一緒に大浴場に向かった。風呂に入り、さっぱりした三人が部屋に戻ると、ちょうど夕食の準備が始まるところだった。豪勢な舟盛、季節の野菜をふんだんに使った天ぷらや煮物の創作料理、村上牛のしゃぶしゃぶ、その他にもとても食べきれないような量の超豪華な料理がずらりと並び、酒もビール、日本酒、焼酎と様々な種類の酒が用意された。
全ての料理が揃うと、田所が部屋に入ってきた。「本日は本当にありがとうございました。このようなことしかできませんが、ごゆっくりお楽しみください。」そういって丁寧にお辞儀をして出ていった。「さて、それじゃー始めますか!」駿の一声で二人ともグラスを持ち、「せーの!カンパーーイ!!」盛大に宴会がスタートした。超豪華な料理と地酒に舌鼓を打ちながらいつものようにたわいも無い話をしながら馬鹿騒ぎをする三人。会話自体はいつも通りなのだが、旅行、温泉というフレーズが三人のテンションを上げに上げていた。「もう食えねー!」「私もお腹破裂しそうー!」二人はお腹をさすりながら満足そうな顔を浮かべている。「茜、フロントに連絡してつまみになりそうな料理以外片してもらえ。」「はーい!」苦しそうにハイハイしながら内線電話まで這っていく。「あ、食事終わったんで、片付けお願いします!」すぐに仲居の鳥居がやってきて、料理を片付けていく。陵人はついでに酒のお替りを頼んだ。「お前まだ飲むのか!?」「酒自体はそんな飲んでないだろーが!」「私ちょっと休憩―。」「おい、食ってすぐ寝たら仕事に関わるぞ!」「大丈夫、大丈夫!私どんだけ食べても太らない体質だからー!」余裕しゃくしゃくで寝転ぶ茜。「まったく・・。どこら辺がアイドルなんだ??」「この辺とかー、この辺ーー!」自らの胸を揉みしだき、足を高々と上げ美脚を露にしてみせる。「やめんか!!」「へへぇー☆」タバコを吹かしながらいつものように微笑ましく二人のやり取りを眺めている駿。(まったくこいつらは・・。)そんなやり取りをしていると、鳥居がお替りの酒を持って現れた。慌てて茜は座り直す。「そろそろお布団の用意をさせていただいてもよろしいでしょうか?」「あ、はい!お願いします。」「かしこまりました。お布団はどのように敷いたらよろしいでしょうか?」「二つは床の間で、もう一つはその辺りに置いておいてください。」陵人が返答すると、「ちょっと待って!その一つってもしかして私!?」「もしかしなくてもお前だ。」「私一人で寝るの!?やーだー!川の字で寝ようよー!」「馬鹿言うな。」「やーーだーー!こんな広いとこで一人で寝るのやーだー!」「ダーまとわり付くな!!」「あの、全部床の間でいいです。」二人を他所に駿が鳥居にゴーサインをだす。「おいコラ駿!お前何言って・・!」「いいじゃねーか陵人!せっかく三人で来てんだから仲良く寝ようぜ!」駿はニヤニヤしながら親指をビシっと立てる。「やったーー!!」茜は飛び上がって喜ぶ。鳥居は満面の笑みを浮かべ、「かしこまりました。それではご用意させていただきます。」そういって部屋を出ていった。「川のっ字、川のっ字―!!」茜はまだ踊っている。「まったく・・。少しは女としての自覚を持て。」呆れた表情を浮かべる陵人だが、普段の陵人ならこんなことは絶対に言わない。元来陵人は無類の女好き。むしろ同じ布団で寝ようと言い出してもおかしくないのだ。しかし茜に関しては違った。どうしても過剰に反応してしまう。ほとんどお父さんみたいだが、そうではないことに気付いているのは駿だけである。正確に言えば、碓水、修一郎、天美にいたるまで二人の仲を知っている誰もがそのことに気付いている。わかってないのは当人だけだ。
それから再び飲み直し、順番に部屋の露天に入っていった。時間は夜中の1時。朝からはしゃぎまくり、能力者と対決した二人は思っていたより早く眠気がきた。明日もあるので、今日はそろそろ布団に入ろうということになり、何故かくじ引きで寝る場所を決めることになった。結果は陵人を真ん中に、左に茜、右に駿という並びになった。布団に入り、少しだけ話をしてから三人は眠りについた。駿と茜は疲れからか一瞬で眠りについた。両サイドから寝息が聞こえる陵人はなんとも言えない幸せな気分だった。そして、暁のことを考えていた。(あいつら、そろそろ片付けなきゃいけねーな・・。)その時、寝返りをうった茜の顔が目の前にきた。(可愛いな・・。)超人気グラビアアイドルの無防備な寝顔をこんな至近距離で拝めるとはなんて贅沢なことだろう。ファンにばれたら確実に抹殺されてしまう。そんなことを考えて一人で笑っていると、茜が陵人の手を掴んできた。思わずドキッとした陵人だが、茜は完全に眠っている。無意識に掴んだだけだった。陵人はその手を払わず、そっとその手を握り返して眠りについた。幸せな気分のまま・・。
朝方、ふと目を覚ました茜は、陵人が自分の手を握っていることに気付くと、(夢かな・・。それでもいいや・・。)今度は茜が陵人の手を握り返し、再び眠りに付いた。幸せな気分のまま・・・。
翌朝、目覚めた三人は朝風呂を浴びに再度大浴場に向かった。昨夜の酒をお湯に流し、これまた超豪華な朝食を食べてから、三人はフロントでチェックアウトを行った。「お代は結構でございます。」そう田所が申しでたが、また利用させてもらいたいからと陵人は代金を払おうとした。「いえ、実は修さんからすでに振り込まれているのですよ。」「そうだったんですか。それじゃあ、お世話になりました。」三人は丁寧にお礼を言って旅館を後にした。
後日修一郎に確認したが、料金など振り込んでいないということだった。東京に着き、二人のコピーの位置を確認してから、とりあえず自宅に送って行った。コピーが帰ってきたら、額を合わせることでコピーの記憶を取り込むことが出来ると説明し、陵人は自宅マンションに戻っていった。
また少し三人の絆が深まった満足感と、ちょっぴり焦燥感にかられながら・・。そして、陵人と茜の距離もまたちょびっとだけ短くなった旅行だった。