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翡翠に溺れる空と雲  作者: 小屋隅 南斎


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第6話


「縹様の真っ直ぐさを皆も知っているだろう。それを利用されたに違いない。縹様の優しさに付け入られたんだ」

 水波はこの場にいる『ブルー』の家族達へ声を張り上げた。水面の人情に触れたからこそ、皆は今ここに立っているはずだ。

「『グリーン』のAIは、最初から縹様を殺すための罠だった。実際に縹様も『ブルー』も、AIによって敵に都合がいいように変わってしまった。縹様からあっしらへの最期のメッセージを、無駄にしたら駄目だ。皆で縹様の仇を討つため、『グリーン』と『レッド』を滅ぼそう」

 水波の切実な訴えに、純は陰で眉を寄せた。腕を組んだまま、静かに眼を飛ばす。彼女の体格も相俟って、それだけで威圧感に満ちていた。

「お前のこじつけだろう。家族に嘘をついていた先代の方を信じ、私を妨害しようというのか?」

「妨害などしていない」

「お前は『グリーン』と手を切れと言っているだろう」

 二人の語気が徐々に強くなり、部屋に緊張が走る。周りの少女達は、固唾を呑んで二人を見守っていた。

「それのどこが妨害なんだ。縹様を害した奴らに落とし前をつけさせるのは当然だ」

「私が『ブルー』を天下に伸し上げることが気に食わないと見える。だから戦力を削ごうとしているのだろう」

「何言ってんだ、そもそもAIになんか頼らなければいいじゃないか。皆の強さがあれば機械なんかいらないだろ」

「AIを使えば『ブルー』が手っ取り早く天下を取れるんだ、使わない手はない。みすみす捨てろと言う方が愚かだ」

「縹様を殺した奴らの力なんか借りて天下を取ったって意味ないだろうが」

「縹様を殺したなどとほざいてるのはお前だけだ」

 水波はそこで、はたと勢いを止めた。何かを確かめるように、改めて周りの顔を緩慢に見渡す。水波と同じように怒りに染まっている顔は、何処にもなかった。ただただ、数え切れない程の眼差しと目が合う。

「てめえら、すぐにでも『グリーン』に乗り込もうとは思わないのか?」

 水波は眉を寄せ、怒りを顕わにしながら問いかけた。

「縹様が殺されたんだぞ? 今すぐにでも仇を討たなければ——」

「だが、『グリーン』の仕業だと言っているのはお前一人だ」

 水波の言葉は、純の厳かな声に掻き消された。虚を衝かれたような顔を置き去りにして、純は視線を外した。

「お前ら」

 そしてこの場に集まる『ブルー』の少女達へと純は声を張り上げた。

「私についてこようという意思があるなら、この嘘つきを殺せ」

 純の怒りに満ちた冷たい視線、そして水波の怒りに満ちた熱い視線が絡み、火花を散らす。水波はたまらず声を荒げた。

「てめえらだって、『グリーン』の機械を壊した縹様の行動はおかしいってわかるだろ! 縹様の行動を無下にするな! 『グリーン』は縹様を殺したんだ、敵なんだ!」

 しかし、水波と同じような顔をする者は誰一人としていなかった。今日まで共に戦ってきた仲間達が敵を見るように表情を強張らせたのを見て、水波は愕然としてしまった。無類の強さを誇るAI達も、新しいリーダー候補も、皆水波を睨みつけている。『ブルー』のアジトの一室なのに、まるで敵地に放り出されたような心地だった。

「くそ……」

 水波は小さく悪態をつき、拳を強く握り締めた。そして、再び声を張り上げる。

「縹様のお人柄はてめえらが一番良く知ってるだろ! それを好き勝手利用されて殺されたんだ、憎くはないのか! 縹様のために立ち上がろうとは思わないのか!」

「家族に秘密を持っていた時点で、先代が裏切り者なのは明らかだ。『グリーン』の機械を壊したのだって、『グリーン』との関係を悪化させて私達にAIを好きに使わせないためだろう。皆を騙していた奴のために、私達が動く必要はない」

 握り締めた拳が震えた。水波は顔を歪ませ、純を鋭く睨みつけた。

「あっしのことは嘘つきでもなんでも好きに言っていい。だが、縹様のことだけは……!」

 水波の言葉は最後まで発せられることはなかった。近くにいた『ブルー』のメンバーが、急に拳を繰り出してきたからだ。水波は顔面へ向けて迫る重い一撃を、体ごと逆側に振って避けた。そして重心が前へと寄った襲撃者へ、すかさず懐に入って反撃をお見舞いする。

『ミナミは体格が小柄だからな。身軽な動きや素早い動き、それがお前のアドバンテージだ』

 水面の言葉を脳裏で思い起こす。戦術指南をしてくれたのも、彼女だった。水波の素早い接近、そして顎を狙った拳は見事に相手の脳を揺らし、襲撃した者はその場に倒れ込んだ。水波が息を整える暇もなく、別の少女の拳が襲い掛かる。水波は前へと大きく身体を倒してそれを避けた。そして、振り返ると同時に膝の力を使って立ち上がり、その勢いを拳に乗せて先程と同じく相手の顎を突き上げる。これも水面のしていた戦術を真似たものだ。

『体格で負ける相手に対して拳で打ち勝つには、拳にいかに重心を乗せるかが勝負になる。立ち上がった時の勢いを利用すれば、敵よりお前の方が早く拳を出せる。タイミングを見誤るなよ』

 喧嘩に対して彼女は真摯で、どう動くべきか、どう相手が動くか、常に研究を欠かさなかった。彼女に直接指導してもらうことも、彼女の背中を見て学ぶことも多かった。

 今度は二人掛かりで掴み掛かろうとしてきた仲間達を、水波は二人の間を身軽にすり抜けることで切り抜けた。そして二人を引き寄せ、二つの頭を力の限り打ち付ける。骨のぶつかるような鈍い音が響き、二人から力が抜ける。背後に気配を感じ、すぐさま二人の体を盾に隠れた。後ろからの渾身の蹴りは伸びた二人に阻まれ、水波まで届かなかった。相手の脚が床に着くまでの不安定な体勢を狙い、水波はすぐに盾の後ろから飛び出した。さらに横から繰り出された拳を躱し、そのまま片足だけで立つ少女へ素早く突っ込む。それを予想していたのか浮いていた脚でさらに蹴りを繰り出されたが、俊敏に避けて体を掴んだ。重心の移動を利用し、掴んだ少女を周りへ投げ飛ばす。水波へ襲い掛かろうと構えていた少女達は、飛んできた少女とともに床へとなだれ込んだ。周りにはまだまだ数え切れない程の敵がいる。水波は素早く構えなおし、すぐさま次の攻撃の手に備えた。

 四方八方から次々繰り出される拳、蹴り。それらは止むことがなかった。中には刃物や自身の獲物を持ち出す者もいた。水波はそれら全てに、一つ一つ対処していった。幸い襲ってきた者のほとんどが新参者で、水波一人でも彼女達を返り討ちにすることは容易だった。しかし如何せん数が多い。流石の水波でも終わりが見えない攻撃に、段々と息が上がって来た。もしこの場に集まっている全ての者が水波の敵にまわったとしたら、水波でもどうしようもない。さらにその中には故人のAI達や、幹部の中でも屈指の実力者達の姿もある。水波は横から掴み掛かってきた手を見向きもせずに捕らえると、自分のもとへ引っ張って強く捻じった。昔水面が実践していた姿を脳裏に描き、それを真似る。間髪入れずに反対側から振り下ろされたナイフの先を避け、引っ込められない内に急所を狙って上から叩いた。相手も『ブルー』の者だけあって取り落とすことはなかったが、彼女の意識が武器へ向いている間に水波は懐へと距離を詰めた。伸ばされたままの腕を掴み、逆側の手で逃げられなくなった顔を思い切り殴る。手を離すと、彼女はそのまま後ろへ倒れた。その背後にいた少女達は、伸びた仲間が邪魔で水波へ襲い掛かるタイミングを失ったようだった。好機を逃さず、倒れた少女の腹を踏みつけて距離を詰める。一人を肘でなぎ倒し、もう一人には二枚歯の先を腹にお見舞いした。休む暇もなく、背後から手が伸びる。水波は振り向きざまに体を倒して避けると、既に手を引っ込めて構えなおしている少女へと向き合った。彼女は中堅ながら動きに光るものがあると思っていた少女だった。まさかこうして対峙することになるとは思っていなかった。彼女の出方を窺い、慎重に隙を探る。すると、視界の隅で何かが動いた気がした。真正面で構えた少女、さらに横や後ろで控えている者達の気配にも注意しながら、動いたものの正体を横目で探る。その先にいたのは、純だった。彼女は少女達の奥で、真っ直ぐと水波へ銃口を向けていた。引き金には既に指がかけられている。まずい、と脳が警鐘を鳴らした。水波が仲間達の対処に追われ、純から完全に気が逸れる瞬間を待っていたのだろう。やはりこの場に集った者達をたった一人で相手にするなど、無茶だったのだ。

(あっしは縹様のように銃弾を避けることなんて、出来ない)

 ここにいたのが水面だったら、難無く窮地を脱していただろう。しかし水波にはそんな離れ業は無理だ。純の銃口は精確に水波の胸部を狙っていた。あの位置から撃てば他のメンバーも巻き添えになるだろうが、そんなのはお構いなしらしい。先代の水面ならば絶対にやらないであろう動きだった。

(撃たれる……!)

 水波は息を呑んだ。短い間に、水波の頭には様々な案が浮かんだ。例えば、今から純の元へ走って発砲前に銃を取り上げる。しかし周りを囲う何人もの少女達が阻み、すぐに近づくのは無理だ。時間を要する上に、敵に突っ込めばその分襲われ放題だ。例えば、駄目元で銃弾を避けてみる。しかし銃弾は目にも留まらぬ速さで発射される。常識で考えればそんなの無理だ。未だに水面がどうやって銃弾を避ける事が出来ていたのか、水波には見当もつかない。発砲音と同時に水波が右に避けたとして、この距離では精々当たり所が僅かに逸れるくらいが関の山だろう。例えば、周りにいる仲間を盾にする。貫通する可能性もあるが、それでも威力は大幅に削がれる。生き残る可能性は一番高い案だが——水面はこれを良しとはしないだろう。水波も頭の中ですぐに却下した。水面の意思に反するようなことは、水波も選択しない。水面は水波の憧れであり、目標なのだから。

 自身を狙う銃口を睨みつける。出来る選択肢は一つしかない。駄目元で、発砲音と同時に体を大きく傾ける。成功確率は低いだろう。水波は強張った顔で、伸ばされた純の腕の先を見据えた。息を殺す。発砲音からどれだけ早く動けるかが勝負の分かれ目だ。ほぼ負けが見えている状況だが、水波は決して諦めることなくタイミングを窺っていた。

 ——と、注視していた銃口が急に横に倒れていった。水波を捉えていた黒い穴は、すぐに視界から消えた……純は、銃の先を水波から変えていた。それが横から蹴りを食らわされたことによるものなのだと、水波は遅まきながら漸く認識した。純の横から健康的な長い脚を繰り出している少女は、サイドテールを大きく跳ね上げていた。その蹴りは伸ばし方も角度も完璧で、重心の移動も力の乗せ方も今まで見た中で一番上手く出来ていた。純へ突撃しながら蹴りを放ったらしく、青空の体は宙に浮いていた。純も水波を撃つために出来た隙を取り戻すように、すぐに青空へと銃を向けていた。そして、けたたましい発砲音が響く——が、すぐに青空の後方から音が響いた。青空に当たることなく、弾は部屋の壁にめり込んで煙のようなものをあげていた。それもそのはず、銃は純の手から離れ、宙を舞っていた。むしろ手から離れかけた状態で発砲出来たのは、純の反射神経の賜物だったと言えよう。そのまま投げ出された銃は床へと着地し、軽い音を立てて滑っていった。青空の蹴りは、純の右手の正中神経を精確に捉えていたようだ。純は忌まわし気に青空を睨んだ。青空は伸ばした脚を引っ込めて着地すると、すぐに構えなおした。純の威圧と殺気に満ちた視線を受け、ふんと鼻を鳴らす。

「ソ、ソラ……」

 水波は焦りを滲ませて彼女の名前を呼んだ。周りの者達も、純と青空へと視線を奪われている。青空は正面で睨む純から視線を逸らすことなく、構えを解くこともしなかった。青空の助けがなければ、水波は撃たれていただろう。それはつまり、青空は新リーダー候補である純の邪魔をしたことを意味する。彼女は長に背きこの場の全員を敵に回してまで、水波を助けてくれたのだ。水波は困惑を乗せて青空へと憂うように顔を向けた。青空はそんな水波の表情を一瞥すると、不敵に口角をあげた。

「何その顔? 強い方についていくのは当然じゃん」

 青空は全く憂慮のない様子で、当然のようにそう言い切った。彼女にとって、何かを考える基準はいかなる時も『強さ』である。そして青空は、純と水波の二人では水波の方が強いと見極めた。例え味方がいなくても、新しい長に背くとしても、自身がより強いと認めた方に迷いなくつく。いかにも青空らしいと水波は思った。水波にとっては九死に一生を得たようなものだが、しかしこのままでは青空もただでは済まない。

(……泥船に乗せてしまった)

 だがそうまでしても、水波にはやり遂げなければならないことがある。奇跡的に味方が増えた今、希望の芽が僅かに見えた気がした。その小さな息吹が、今は何よりも心強い。純と青空へと注目が集まる中、水波は改めて声を張り上げた。

「……やっぱりあっしは、ジュンの意見には賛同できない。あっしらは縹様の仇を討つべきだ」

 純と青空へ向かっていた視線が、一斉に水波へと集まる。

「手掛かりは少ないが、それでも縹様の遺したものを頼りに、どうにか殺した奴らにけじめをつけさせたい。それが恩人である縹様のために出来る、唯一のことだ。……同じ志を持つ者は、どうか力を貸して欲しい!」

 水波は部屋へ叫びを響かせた。それは純に歯向かうことを決めた、反乱軍発足の宣言のようなものだった。水波の言葉の向き先は、新しいリーダーの純ではない。この部屋に集う、『ブルー』の家族達だ。純の意向に従おうと水波に手を出したのは、ほとんどが新参者や中堅層だった。幹部の大半は、未だ成り行きを静観している。それはつまり、新リーダーに従うことを躊躇っているか、水波の話に信憑性があると感じているか、水面の意思に背くことはしたくないと考えているかだ。そんな『ブルー』の真の家族達に言葉が届くよう、水波は必死に声を張り上げた。『ブルー』は水面に憧れて集った者達の組織だ。水面の人となりに触れてきた仲間達ならば、きっとこの声が届くはずだった。

「ソラ!」

 水波は唯一の仲間の名前を呼んだ。青空は未だに純と構え合い、お互いに睨み合っていた。

「縹様に背く奴らは全員殺すぞ。AIも全部壊せ!」

「オッケー!」

 無茶苦茶を言ったはずなのに、青空はその顔に好戦的な笑みを浮かべた。彼女としては、思う存分暴れられるような無理難題の方が燃えるのだろう。青空へ言葉を投げながら、水波も青空と共に突き進むと腹をくくった。純の考えを変えるのは不可能だということが、身に染みてよくわかった。彼女が水面の仇を討つことなく『グリーン』に媚びを売り、そしてそれを止める水波達を殺そうと言うのなら——こちらももう殺すしかない。水波は決意を胸に宿し、手始めに目の前の『ブルー』の少女へと手を伸ばした。彼女もそれに気付き掴もうとしてきたところで、手を引っ込めて脇から懐へと滑り込む。狙いは彼女の腰に差さっている短刀だ。蹴りのフェイントを交え、さらに距離を詰める。相手の攻撃を避けると同時に、その短刀を掠め取った。背中から肘で凪倒し、その隙に短刀を逆手に持ち替える。水波へ襲い掛かろうとしていた別の少女へと短刀の先を振って牽制し、水波は地面を蹴って走り出した。向かうは純の元だ。早く青空の加勢に駆け付けた方がいいだろう。襲い掛かる拳や蹴り、短刀の先を躱し、時にはこちらからも切りつけながら、水波は少女達の波を掻き分けて漸く青空の元へ辿り着いた。純が動いたのはほぼ同時だった。彼女はその恵まれた体格から、大振りに拳を繰り出した。重い一撃を、青空はしなやかな動きで避ける。今度は青空から蹴りを繰り出そうとした時、純はその動きを待っていたかのように青空から離れた。そして向かう先は、転がった拳銃だった。彼女の手が、床へと伸ばされる。

「まずい!」

 水波は持っていた短刀を遠くなる背に力の限り投げつけた。純はそれすらも見越していたようで、一度手を引っ込めると逆の手を伸ばして拳銃を掴んだ。空ぶった短刀が、奥の床に突き刺さる。利き手ではないはずだが、純はそのまま持ち替えることなく銃の先を青空へと向けた。即座に引き金が引かれる。しかしその直前に、水波が伸ばした手が青空の振袖を掴んで引き寄せていた。発砲音と共に、仰向けに倒れゆく青空の頭上を銃弾が掠めて行った。すぐに二発目の発砲音が鳴り響く。青空は水波のもとへと倒れると、そのまま一回転してすぐに体勢を立て直した。銃弾は彼女には当たらなかった。利き手ではないことが幸いしたらしく、青空の素早い動きに照準が間に合わなかったようだ。純も仕留められなかった原因にすぐに思い当たったようで、右手へと持ち替えようとする素振りを見せた。その隙を逃さず、すぐに水波が距離を詰める。右手の指が銃のグリップを握りきる前に、一撃を入れなければならない。小柄な身体の俊敏さを活かして間合いに入ると、水波は手刀を作って即座に振り下ろした。正中神経を狙うのは難しい、橈骨神経を狙うべきだ。手刀の先は、純の手の甲だった。強い一撃を与えたが、純は銃を取り落とさなかった。打撃を受けた右手でそのまま銃を握り、そして銃口を目の前の水波へとあげる。しかし水波は怯むことなくさらに手を伸ばしていた。銃を直接奪い取ろうとする手つきだった。純はその手から逃れるように自身の手を動かしながら、再度引き金を引いた。水波は銃口から逃れるように大きく頭を避けていて、後方から着弾した音が聞こえてきた。水波はさらに銃へ向けて手を伸ばした。純の手は逃げるように上へと掲げられた。体格的に水波の腕の方が短く、どうしても届かない。垂れ下がる袖を意に介することなく、水波は力の限り指の先を伸ばした。しかし指先は空を切るだけだった。純は高く掲げた銃口の先を、水波の頭部へ向けていた。引き金を引きかけたところで、水波の後ろから青空が飛び出す。顎を狙って振り上げられた拳が狙った道筋に入る前に、純の持つ拳銃が青空へと向けられる。水波は青空を横へと突き飛ばした。間近で鼓膜が破れるかと思うような銃声が響き、青空のいた場所目掛けて床に穴が空いた。


 純と水波、青空が争っている間、集っている『ブルー』の者達は静かに成り行きを見守っていた。幹部達は皆どちらに着くか、その戦い様を見ながら見定めているようだった。一方で純につくことを決めた新参者や中堅層の者達は、目の前の戦いに手を出してよいのか分からず戸惑っているようだった。先代の水面は、自分の戦闘に横槍を入れられることを酷く嫌っていた。多勢に無勢では相手にとって卑怯であり、正々堂々と力比べで勝負したいという考えを持っていたためだ。水面のその方針に沿い、今までの『ブルー』では真剣勝負に手を出さないことが暗黙の了解となっていた。そのため純の場合はどのように行動するのが正解なのか、皆量りかねているのだろう。

 この場の者達が純と水波の戦いを固唾を呑んで見守る中、椛もまた、三人の戦闘を静かに傍観していた。周りの者達とは異なり、一人だけ動じている様子はない。椛は頭の中で、たまかの言葉を思い起こしていた。『『ブルー』内で揉め事が起こったとしたら、陰から力になりたいです』。椛の仕えるべき長は、そんなことを宣っていた。椛はもともと、二人の内どちらがより強いかを見定め、そして弱い方を密かに勝利に導こうと考えていた。『レッド』にとって、敵の長は弱ければ弱い程良い。ここで強い方を排除して弱い方を長に担ぎ上げておけば、その分『レッド』の勝率は上がる。つまりこの場では密かに純をサポートし、水波と青空を殺すことこそが本来の動きだった。……しかしたまかの言葉の意味するところは、違うのであろう。生前の林檎から、縹のことも託されてしまっている。先代の長も現在の長も、きっと縹のために動く者をサポートして欲しいと願っている。椛はホルスターに仕舞った銃へ伸ばしかけた手を、そっと戻した。代わりにスカートのポケットへと、さりげなく手を突っ込んだ。

 そもそも、水波の口から林檎の名が出てきたことが解せなかった。たまかからはそんな作戦を聞いてはいないし、たまかはそんなことを企てたりするような性格ではない。水波の口から、もっと情報を引き出す必要がある。そのためには、彼女をここで死なせるわけにはいかない。情報は『レッド』にとって何よりも重要であり、二度と手に入らなくなった時の損失は計り知れない。これは水波を生かすのに値する、正当な理由だ。椛はそう結論付けた。

 椛は遠くの碧や愛湖、露達を横目で盗み見た。さらに気になるのは、何も動きのないAI達だ。彼女達は周りの少女達同様、純達の戦闘を静観していた。彼女達はほぼ確実に純側につかなければならない状況だというのに、全く水波達を攻撃する素振りがなかった。ただただ戦闘する三人をその場から見ているだけだ。タイミングを見計らっているのかと思っていたが、どうやらそういう様子でもない。まるで劇を鑑賞するように、その横顔はどこか他人事のように見えた。純と共に戦う決定権が、自分達にないとでも言うかのように。

 椛は純達へと視線を戻しながら、スカートのポケットから手を出した。そっと手の中のものを地面へと撒く。周りは純達の戦闘に夢中になっていて、全く気付く様子はない。音もなく床に転がったものたちは、人知れず自分の出番を待つのだった。

 白熱する戦いに目を向けながら、椛は場に似つかぬ苦笑いを零した。水波の説明には憶測が多く、またそれを否定する純の言葉も似たようなものだった。結局勝敗を決するのは主張ではなく、最後に物言うのは拳の力であると二人共わかっているのだろう。いかにも『ブルー』らしい。例えば水波が主張を裏付ける証拠を事前に揃えてでもいたとすれば、話は大分スマートになっていた気がする。『ブルー』の者達は感情で突っ走ってばかりだからこうなるのだ。しかし皮肉にも、椛には水波の気持ちが手に取るようによくわかる。椛も『ブルー』に大切な人を殺された時、復讐しか考えられずに周りが見えていなかったからだ。だからこそ、水波の荒唐無稽に思える話も、作り話ではないという確信が椛にはあった。人は本当に大切な人を喪った時、誰かを陥れる嘘を企てる余裕なんて残っていないものだ。それにスパイとして水波を見てきたからこそ、彼女の不器用ながらも真っ直ぐなところを知っている。状況的にも彼女の性格的にも、『グリーン』と『レッド』によって水面が殺されたというのは水波による単なる嘘ではないだろう。少なくとも、彼女自身はそう信じているはずだ。そのように水波の話の信憑性を吟味する一方、この場でそのようなことを考えているのは恐らく自分くらいなのだろうとも周りを見渡せば察しがついた。『ブルー』にとって主張の正当性は些細なもの、喧嘩に勝った者の主張こそが正しい。勝てば官軍負ければ賊軍を地で行っている組織に、喧嘩の勝敗より優先して考えるものなど何もないのだ。椛も『ブルー』の一員らしく、思考を切り上げて新しい長の誕生を見届けることにしたのだった。


 青空が囮になるよう派手に動いたところを、水波が引き寄せて弾の軌道から逃した時だった。純の持つ拳銃のスライドストップレバーが跳ね上がった。ホールドオープン、弾切れだ。純は忌々し気に舌打ちを零した。銃を捨て、構えなおす。……水波にとってはチャンスだ。ここぞとばかりに間合いを詰める。顎を狙って拳を繰り出そうとしたところで、水波は遠くから殺気を感じ取った。それ以上純へ詰めることをやめ、すぐにその場で深く屈む。背後で奥の壁から、着弾した嫌な音が聞こえてきた。弾の軌道的に、集まっている『ブルー』の者達の方から撃たれている。純を警戒しつつ、水波は探るような目を『ブルー』の家族達へと向けた。その光景から、誰が撃ったかは明らかだった。水波へと真っ直ぐと向けられた銃口、昇る硝煙。銃を持つのは、碧だった。彼女の後ろから、愛湖と露が飛び出してきた。水波達のもとへと一直線に迫り来る。先頭を走る愛湖の顔は好戦的で、愉しそうに歪んでいた。

(今までずっと静かだったのに、なぜ急に……)

 水波は動揺を隠しつつ、すぐに迫り来る二人へと構え直した。AIとなっているこの三人は、死んでしまったとはいえ、水面と共に『ブルー』を立ち上げた初期メンバーだった。中でも愛湖や露は『ブルー』の前線で長いこと活躍をしていた。水波とは経験してきた場数が違うだろう。水波は横の純にも用心しつつ、迫る愛湖と露の攻撃を見切ることに集中した。もう数歩で間合いに入る、という時、突然愛湖がバランスを崩した。倒れ行く表情は驚きに満ちていて、何かの作戦というわけでもないらしかった。パタパタと宙を掴もうとした手も虚しく、彼女はその場にすってんと転んだ。露も何かを踏んだのか、後ろで僅かに体勢を崩した。隣に純が貼り付く水波に代わって、その勝機を逃さないとばかりに青空が二人のもとへと飛び出す。仰向けに倒れた愛湖の胸へ蹴りを落とそうとした時、銃声と共に青空を銃弾が掠めた。青空は即座に碧へと顔を向けた。碧の銃は青空へと向けられ、煙を吐いていた。青空の気が碧へと向いた隙を突き、愛湖の両手が下から伸びて青空の首をがっちりと掴んだ。そのまま床へ引き摺り倒し、自身はその勢いで起き上がる。愛湖は『ブルー』一の怪力の持ち主で、その力は水面さえも凌駕する。彼女は獲物を捕らえた獣のように嗤い、青空の首を力一杯絞め上げた。青空は苦しそうに抵抗するが、愛湖の手はびくともしない。水波はそれを見て、その顔に焦りを滲ませた。急いで青空に加勢しなければならない。このままでは彼女が絞め殺される。愛湖の隣にいた露はこの場は愛湖に任せることにしたらしく、すぐに矛先を水波へと変えていた。水波が駆け寄る隙を与えず、再び露が迫り来る。同時に、水波の隣で動く気配があった。純だ。水波は大きく身体を反らしてそれを避けると、今度は水波の方から純へと急速に接近した。続けざまに殴りかかってきた重い拳を避け、素早く後ろに回り込む。露との間に純を立たせ、露、そして碧の攻撃から身を守ろうと彼女の影へと潜んだ。

(早くソラを助けないと……)

 狼に捕らわれた鹿の命は短い。青空もかなりの握力を持っているはずだが、彼女がいかに剥ごうとしても愛湖の手は細い首をガッチリと掴んだままだった。水波が青空の身を案じていると、目の前で純の脚が床から浮いた。そして後ろの水波を蹴り飛ばすかのように繰り出される。水波は透かさず反応し、迫る脚を大きく避けた。その結果露との間に障害がなくなってしまい、露は機と見るや即座に水波へと距離を詰めてきた。華麗な動きで繰り出される拳と蹴りを避け、流す。露もがたいの良い方ではない分、水波と同様に素早く身軽な動きを得意としている。そのため露より早い一撃を出すことが出来ず、防御一辺倒になってしまう。水波はきっちりと露の攻撃を防ぎ切った後、再度青空を一瞥した。彼女は愛湖に首を絞められたままだ。明らかに抵抗する力が弱まっている。早く彼女のもとに向かって、愛湖から離さなければならない。よそ見は許さないとばかりに露の拳が飛んできて、水波は体を振った。露の奥で、純も構え直したのが見えた。そちらにも目を配りながら、露の隙を窺い続ける。

 俄かに『ブルー』の者達の方が騒がしくなり、何やら大きな音が聞こえてきた。同時に怒気を孕む声も聞こえてきたが、言葉になっておらず何を言っているのかはわからない。水波は敵を警戒しながらも、そちらへと視線を向けた。これ以上敵が増えた場合、一度に襲い掛かられれば水波でも対処しきれないだろう。そんな懸念に冷や汗が滲んだが、しかし飛び込んできた光景は予想とは異なるものだった。青空と水波へ銃を向けていたはずの碧が、自身を囲む少女達へと突き付ける先を変えていた。碧と対峙しているのは、『ブルー』の幹部の少女達だった。全部で三人、水波よりも古株で、水面に似て面倒見のいい先輩達だった。彼女達は碧へと同時に襲い掛かった。銃を奪おうと距離を詰める。碧はステップを踏むように後方に避けると、彼女達へと躊躇いなく発砲した。幹部の一人の腕へ当たったが、彼女はそれで止まりはしなかった。再び皆で同時に碧へと仕掛ける。碧は大きく体を捻って彼女達を避けた。碧は『ブルー』の中でも独特な動きで戦闘をする。『バレーボール』という会社時代のスポーツの動きを取り入れているのだと、以前水面が言っていた。加えて彼女は洞察力に長けていて、敵の行動を読むのが上手い。しかし碧へ立ち向かった三人も、それは承知の上だろう。彼女達は攻撃を避けられても、果敢に次の手を繰り出し続けていた。碧は難無く避けると、隙を見て再び銃を伸ばして発砲した。腕から血を流す少女に再び弾が当たり、今度は胴から鮮血が溢れる。太い帯が真っ赤に染まり、彼女は顔を歪めた。碧は一人を集中的に狙い、相手取る人数を確実に減らそうとしているのだろう。彼女らしい戦い方だ。

(……あっしらに加勢してくれたのか)

 碧の相手を担ってくれた三人は、怪我をすることも厭わず碧に立ち向かってくれた。碧を壊そうとしているということは、純に背き水波についていくことを決めてくれたのだろう。きっと、水面の人徳のお陰だ。周りが敵ばかりに見えていた水波にとって、一筋の光明が差したような心地だった。彼女達は水波という仲間を信じ、水面の仇を討つため出来ることをしようと立ち上がってくれたのだろう。やはり水面の見る目に狂いはなかったのだ。家族である水波や水面を見捨てず、共に立ち上がってくれた彼女達の思い。水波は強く胸を打たれ、そして不思議と力が湧いて来るのを感じた。

 露、純、そして遠くの碧からの銃撃と警戒する相手が多かったが、銃弾が飛んでこないとなると大分水波も動きやすくなる。余裕が出来たことによりさらに室内を見渡せば、別の『ブルー』の少女達も他のAIを四人がかりで押さえ付けてくれているのが見えた。AIである故人の少女は、手にピンを挿したままの手榴弾を握っていた。未然に防いでくれたらしい。そこから離れたところでも、故人のAIへ向けて短刀で切りつける少女の姿があった。さらに距離を空けて、青空を助けるために愛湖へ襲い掛かる少女達の姿もあった。気付けば多くの『ブルー』の仲間達が動き出してくれていた。それに対して純派の少女達も黙っておらず、邪魔をしようと碧達に加勢しようとしていたが、水波についた少女達の多くが幹部格であり、数人がかりでも難しい戦いを強いられているようだった。あちこちで激しい戦闘が起こり、短刀が空を切り、銃声が鳴った。部屋の中は最早乱闘の様相を呈していた。純派の方が人数は多いようだが、水波派の方が実力のある者がいる分押しているようだった。

(縹様の仇を討ちたいと思ってくれる者達が、こんなにもいるのだな)

 目の前の光景は、水波の心に光を灯してくれた。一人ではないと思うと、無限に力が漲り、胸に温かさが満ちる。水波のたった一人の家族である水面が、何よりも大切にしていた絆。それが今、この部屋で形を成しているように思えた。

 銃弾を気にしなくていい今、露とこの場で戦うことに拘る必要はない。水波は膠着状態の隙をついて、素早く場を離れた。向かうは先程床に投げて突き刺さったままの短刀のもとだ。露もすぐに追いかけてきたが、水波の方が短刀に手が届くのが早かった。深く突き刺さった短刀を、水波は片手で引き抜いた。大きく振り回しながら振り返り、向かってきていた露へと構える。露は短刀を手にした相手にも臆さず、まるで映画の主人公のようなフォームで颯爽と切り込んできた。水波はそれを身軽に避け、前のめりになった露の背後から短刀を突き刺したが、あっけなく躱されてしまった。攻撃に転じた隙を突かれ、露の素早い拳が飛んでくる。水波はそれを大振りに避けた。露の更なる攻撃に備え、すぐに構えなおそうとして——奥で純の右手が振り上げられているのが視界に入った。水波は息を呑んだ。純の手から離れこちらへと飛んでくるのは、手榴弾だった。ピンは外されている。水波は舌打ちを零す暇もなく、露の懐へと瞬く間に詰め寄った。隙を突いてその襟を掴むことに成功し、そのまま自身のもとへと引き摺り倒す。彼女は引っ張られ、その場に伏せた水波の上へと倒れ込んだ。視界の隅で、急いで離れていく純の背中が小さく見えた。そして、爆音と衝撃、爆風。閉じた瞼の裏で耳鳴りと大きな揺れ、そして全身を支配する圧迫感に耐える。やがて衝撃が止んだ頃、水波はそろそろと目を開いた。煙が目に染みて一度閉じた後、すぐに涙を散らす。そして素早く状況を確認した。辺りは黒く焦げて、床は陥没していた。近くに人影はない。水波は周りへの警戒を緩め、次に自身の体を点検し始めた。……爆風の衝撃は感じたが、内臓は損傷していないようだ。上に覆い被せた露の体を盾にしたため、破片による外傷もない。室内で使用するということは攻撃手榴弾だろうと睨んでいたが、水波の推測は当たっていた。その結果、なんとか無傷で切り抜けることが出来た。隠し持てる程小型の爆弾であったことも幸いしたのかもしれない。水波は慎重な動きで体を起こした。上に乗る体が、ずる、と滑り落ちる。彼女は動く様子はなく、重みが増していた。水波は上体を起こすと、動かない露の体を見下ろした。薄群青色の制服はズタズタに裂けていて、覗く肌は真っ赤に染まっていた。その大部分は黒く煤けていて、露わになっていた肌は焦げて漆黒と化していた。伏せた頭の下で、血が垂れて溜まっている。内臓損傷が激しいらしい。さらに視線を先へと移せば、彼女の右脚は途中から千切れて部屋の隅の方へと飛んでいた。肉が抉れて骨が見えている。爆風で千切れたのだろう。これ以上確かめるまでもなく、彼女は事切れていた。彼女は機械のはずなのに、その死体は人間のものとなんら変わりなく見えた。

(……アキラ様はジュン側の人間だっただろうに)

 水波を殺すため、露ごと巻き込むつもりで手榴弾を投げたのだろう。まるで『レッド』のような蛮行だ。彼女は水面の方針に真っ向から反するつもりらしい。水波は露の死体をそっと床に横たえた。露の血で赤く染まった制服を揺らし、立ち上がる。二本の足をしっかりと地につけ、水波はその小柄な体をピンと伸ばした。晴れてきた煙の中、純を探して視線を動かす。

 胸部を撃ち抜かれた碧の死体。同じく胸部と、そして腹部に銃弾を埋め込んだ愛湖の死体。『ブルー』の新参者や中堅層たちの、折り重なる青痣だらけの死体。共に立ち上がってくれていた者達の、変わり果てた姿。広い部屋の床一面に、数多の死体が転がっていた。それらの中で、故人のAI達の顔を全員分確認出来た。彼女達はかなり手強かったはずだが、幹部格の者達が力を合わせて壊してくれたようだった。生き残り立っている者達は、無防備な水波を見ても攻撃する素振りはない。全員、その顔は晴れやかだ。純派は既に全滅したようだった。

 そして『ブルー』の少女四人がかりで床に取り押さえられている、純の姿を見つけた。水波は二枚歯を響かせ、ゆっくりと彼女のもとへと近づいていった。純は枷を振り解こうと身を捩ってはいたが、この場を脱することは不可能だとも内心理解しているようだった。床に縫い付けられた彼女の前にやってくると、水波は足を止めた。その隣に青空がやってきて、静かに並んだ。彼女の首には、くっきりと指の痕が赤く残っていた。

「アキラ様を殺すとは、どういう料簡だ?」

 水波は怒りを顕わにして、足元の彼女へと尋ねた。純はふんと鼻を鳴らした。

「お前を殺せるならそれでいいだろう。アキラ様は復活出来るのだから」

「自分の仲間を自らの手で殺めるなど、赦されるわけがないだろう」

 水波は拳を握り締めた。しかし殴りつけることは辛うじて堪え、水波は純の背中へと言葉を投げた。

「……最後は一対一で戦おう」

「……あぁ?」

「正々堂々勝負して、どちらがより強いか決めるべきだ」

 水波は押さえつけている四人へ、顎を振って離れるように指示を出した。四人は水波へ頷きを返し、純から手を離していった。解放された純は俯せのまま、水波を訝し気に見上げていた。このまま殺されて終わりだと思っていたらしい。

「何を企んでやがる?」

「企んでなんかいない。家族達が納得してついてくるには、証明が必要だろう」

「はっ。私についてきてた使えない奴ら、全員殺してから言うことか?」

 真剣な面持ちで答えた水波に、純は嘲笑を漏らした。あるいは自嘲だったのかもしれない。水波は表情を変えないまま続けた。

「てめえの方が強ければ、ここにいる奴らだって皆てめえにつくだろう」

 『ブルー』では、力こそが全てなのだから。純は死んでいない。ならばまだ、家族達が誰についていくかは未知数のままだ。

「新しい大将を決めよう。今ここで、正々堂々と」

 その言葉に、純は口を閉じた。そしてゆっくりと上体を起こし、水波を睨みつけながら立ち上がった。水面のようなやり方に甘さを感じ、今度こそ叩き潰そうと考えたのかもしれない。あるいは味方が全滅した今、選択肢は他にない状況だと理解し、背水の陣で戦おうと覚悟を決めたのかもしれない。心中はわからないが、その瞳は激しい闘志に燃えていた。水波も純を鋭い目で見上げた。彼女のやり方や方針は、水波にとって許せるものではなかった。ここまで考えが違うのならば、もう共存の道は途絶えた。純を殺すしか他にない。ならば水面に顔向け出来る形で、正々堂々と決着をつけるべきだ。真に強い者ならば、いかなる時でも勝てる。そしてそういう者こそ、『ブルー』の大将に相応しい。勝てる確証があるわけではないが、きっと水面ならこうしているだろう。水面と違って水波は無敵ではないが、それでも彼女の跡を継ぐのなら彼女の流儀に従いたかった。『ブルー』を立ち上げここまで導いてきたのは、他の誰でもない彼女なのだから。二人は目の前の憎き敵を射殺さんばかりに睨んだ。周りの『ブルー』の少女達は、水波の言いつけ通り誰も手を出そうとはしなかった。全員、二人を静かに見定めている。

 どちらから殴りかかったのかは定かではない。あるいは同時だったかもしれない。それを合図にして、純と水波は拳を振り、蹴りを入れ、掴み掛かり、怒涛の勢いで激しく鬩ぎ合った。まるで世界に目の前の相手しかいないかのように、二人はお互いだけを睨み続けていた。新リーダーの座、そして命を懸けた、共に決して負けられない戦いだった。純の恵まれた体格から繰り出される重い拳、リーチの長く安定感のある蹴り。それらを素早く身軽に避けながら、水波は俊敏な動きで懐に入った。純は『ブルー』の中でも屈指の強さを誇る。もしかすると彼女は水波よりも強いのかもしれない。しかし稽古をつけてくれていた水面に比べたらまだまだだと水波は感じた。仲間への姿勢も、戦闘技能も。水面の代わりを務めるには、何もかもが足りない。戦っていると、それが自ずと見えてくるような気がする。純へ距離を詰めながら、水波は目を細めた。素早く伸ばした手で、純の御太鼓を掴む。力の限り押すと、彼女のがたいの良い体が傾いた。重心が不安定になる。透かさず水波は純の脚を崩した。さらにバランスを失った自分より大きな体へ、体全体を使って体重をかけて押し倒す。純も水波の行動を察し、瞬時に水波の振袖を掴むと自分のもとへと引き摺り込んだ。純の逞しい腕は水波よりも力が強く、落ちながら形勢が逆転する。純は水波を下敷きにして、俯せで倒れ込んだ。体重を掛けて水波の背中を押し潰しながら、床と対面している水波の首へと腕をまわした。そして引っ張り上げるように、力の限り絞め上げた。がたいの良い体に乗り上げられた小柄な体は固定され、絞め上げられた頭だけが持ち上がって大きく反る。水波は仰いだ顔に苦悶の表情を浮かべた。もともと体格的には水波が不利だ。そのアドバンテージを活かした動きをされれば、純の方に分がある。水波は耐え難い苦しみに支配された。酸素が足りなくなってきた頭が、微かにぼんやりとし始める。

『相手に捕まった時は、逆に密着出来る利点を活かすんだ』

 まだ水波が『ブルー』に入ったばかりの頃、水面についていき殴り込みに参加した水波は、無様に相手に捕まってしまった。水面達は相手組織を難無く壊滅させて水波を助けてくれたのだが、水波は迷惑を掛けてしまったとかなり落ち込んだものだった。肩を落とす水波へ、水面は慰めながらも優しくアドバイスをしてくれた。

『向こうから懐に入れてくれたことに感謝するくらいの気概でいい。こっそり敵の持つ武器を奪って反撃に出るんだ。タイミングが大事だ、相手が油断した一瞬をつけ』

 水波はその穏やかな声を聞きながら、水面が敵に捕まったことなんてあるのだろうかと考えていた。いつも決まって敵を床に転がしている彼女が捕まるところなんて、全く想像がつかなかった。もしかすると水面に使いどころがないからこそ、水波へ伝授してくれたのかもしれない。水波は自分の失態への悔しさを堪え、「はい」と力の限り返事をした。水面のアドバイスを胸に、今度こそ負けないという決意が漲っていた。その時の水面の満足そうな顔を、昨日のことのように思い出せる。

(……今だ)

 息苦しさに朦朧としてきた頭を叱責しながら、痺れた手を無理やり伸ばし、純のスカートのポケットへそっと這わせていた。流石に中の物を掴んで抜けば彼女にもバレる。純が勝ちを確信したタイミング、彼女に隙が生まれたほんの一瞬。水波はポケットの中のものを勢いよく掻っ攫った。感触からして折り畳みナイフだ。引き抜くと同時に即座に刃を起こし、振り下ろす勢いを乗せて純の体へ突き刺した。狙うは急所の一つ、月影だ。首を回らすことが出来ないためどこに刺したのか見ることすら叶わないが、この状態を想定した鍛錬は水面に言われて何度も行ってきた。精確に刺す事が出来たであろうという確信があった。水波はナイフの柄から手を離し、僅かに怯んだ相手を振り解くと思い切り突き飛ばした。瞬時に立ち上がって体勢を整える。床に腰をついた純へ、今度は水波が乗りかかった。当然抵抗され、藻掻かれる。掴み掛かってくる手を避けながら、先程刺したナイフへ肘を突き出した水波は、体重をかけてそれを食いこませた。痛みから純の動きが僅かに鈍る。その隙をついて、水波は純の顎へ一撃を食らわせた。脳を揺らす位置、これも水面に教わった。基礎であり要でもあるとして、拾われて間もない頃に初めて教わった時から、鍛錬を積み重ねた今に至るまで何度も水面にみてもらった。その甲斐あって急所を精確に捉えたらしく、純の動きが完全に止まった。チャンスを見逃してはならない。水波は短く息を吸い、拳を振り上げた。そして渾身の一撃を純の頬へと叩き込んだ。彼女の頭が暴力的なまでに大きく振れる。すぐに頬が赤く腫れあがったが、それを確認するまでもなく今度は逆の頬へと一撃を入れた。顔が忙しなく反対を向く。彼女はまだ抵抗出来るだけの力が残っているらしく、水波を押しのけて起き上がろうとした。しかし水波はそれをねじ伏せるかのように、三発目をその顔へ抉るように叩き込んだ。起き上がりかけていた体から力が抜け、彼女の鼻から血が流れて床に垂れていった。

(『ブルー』の掟に逆らった罰だ)

 彼女は家族を蔑ろにし、仲間を見捨て、水面を貶めた。何より自分の利益だけに頓着し、『ブルー』と水面の恩も忘れて彼女の遺志を踏み躙ったことが許せなかった。青紫になり始めた頬を、水波は止まることなく殴り付けた。右手で殴り、左手で殴り、息つく暇さえ与えず再度右手を叩き込む。鮮血が辺りに飛び散った。

(縹様がここにいたら、絶対にてめえを許してなんかないぞ)

 ゴミ同然だった水波を拾ってくれたように、水面は守りたいと思った人を守り、救うことに躊躇のない人だった。彼女は守りたい人達を家族のように大切にしていた。その相手は水波だけではない。『ブルー』の仲間達、道すがら出会った罪のない人々、そして仲間達の大切にする人々まで多岐に渡る。そう、命を持たない機械までも、彼女は守りたい人として大切にしていた。その真っ直ぐで曇りない純真な心のもと、『ブルー』は闇を払ってきたのだ。水面が大将の座を去ったからと言って、その在り方に背くのは間違っている。それをこの拳で証明するのだ。水波は何度も何度も純を殴り続けた。横たわる純の体から力が抜け、彼女の顔面と自身の拳が真っ赤に染まっても殴るのを止めなかった。『勝ちを確信したタイミングが、一番隙を生む』。水面がよく言っていた言葉だった。先程はそれを利用したが、自身にとってもそれが弱点になることはわかっている。だから水波は拳を振り上げ続けた。骨の砕けるような鈍い音、床一面に広がる真っ赤な血。この拳の痛みがリーダーが背負うべき痛みなのだと、水波は酸素の戻って来た頭でぼんやりと考えた。そして殴り続けながら、水面ならこの状況でどうしているだろうかと思案した。かつての仲間を、殺したフリをして止めを刺さずにどこかに捨て置いたら——それは甘えだろうか。本気で命を奪う気で襲ってきていた純に対する、侮辱となるだろうか。復讐鬼を生み出し、自滅の道を歩んでしまうだろうか。悪い組織を壊滅させる一方で誰よりも命を尊んでいた水面なら……一体何と言うだろうか。

 頭の酸素の量のせいか殴り続ける単調な行為のせいか、水波はなんだか現実から切り離されたような心地だった。雑念が頭になく、感覚が研ぎ澄まされているのを感じた。だからだったのだろう、遠くで何やら殺気と動く気配を感じ取った。背後、右奥だ。水波は考えるよりも先に、純の横へと倒れ込んで伏せた。純の上から乗っていた重しが消える。純は顔を痣と血だらけにしながらも、しぶとくチャンスを待ち続けていたらしい。常人なら既に意識を手放していてもおかしくないような様相のまま、水波と入れ替わりで素早く起き上がった。同時に、部屋に耳を劈く発砲音が鳴り響く。横に伏せた水波へ乗ることで形勢逆転を狙ったらしい純は——そのまま銃弾に貫かれた。位置的に肝臓を撃ち抜かれたらしく、夥しい量の血が辺りへ飛び散った。純の血をべっとりと浴びた水波へ、遅れて純の体がのしかかる。水波に衝撃とずっしりとした重さが降ってきた後、上の覆い被さった体は起き上がろうとはしなかった。寸でのところで意識を失うことを堪えていた彼女は、いよいよ大量失血で意識を手放したようだ。水波は純の重い体を跳ねのけると、急いで血に塗れた小柄な体を起こした。先程嫌な気配がした方へと即座に構えるが、既に発砲した者は『ブルー』の家族達によって取り押さえられていた。拳銃を奪われた少女は周りの少女達に何度も殴られており、純とは比べ物にならないほど早く意識を手放していた。彼女は床に転がっていながらもどうやら死んではいなかったようで、純のサポートをしようと隙を狙っていたらしかった。しかし彼女の撃った銃弾は水波に見切られ、挙句の果てに起死回生に出た純を貫いてしまった。あそこまで刺され殴られ持ち堪えていた純の精神には感服するが、手を出されたことによって全てが無意味となってしまった。水波は構えを解き、横たわる純の体を見下ろした。彼女は血だまりを作って俯せに倒れたままだった。刺さったままのナイフが、彼女の体と床に隙間を作っている。水波は警戒しながら彼女の体を乱暴にひっくり返した。膝をついて純の口元を確認する。彼女は既に、息をしていなかった。

 水波は踏み締めるようにゆっくりと立ち上がった。そして、この場の『ブルー』の家族達へと振り返った。全ての顔が、一人立つ勝者へと向けられていた。歓迎するような柔らかな表情、そして信頼の眼差し。少女達は、自分達の新しいリーダーとして水波を見つめていた。それらを水波はどこか夢心地で見渡した。自分が水面と同じ立場に立ったのだという実感は、なかなか湧かなかった。しかし自分へ向けられる信頼の眼差しには応えなければならないと思った。自分についてきてくれることを決めた表情を守らなければならないと思った。それは力になる一方で、背負うにはあまりにも重いように感じる。それでも目の前の仲間達と共に在りたいと、水波はそう思った。……水面のように、支え合って。

 やっとスタートラインに立てた。水波は気を引き締めて、自分へと向けられた無数の瞳を見つめ返した。皆、勝者の一言を待っていた。血が滴り落ちる拳を緩く握り、全ての期待と歓迎を受け止め、水波は口を開いた。張り上げた声は、この世界の隅々まで響き渡ったような気がした。

「皆で、縹様の仇を討とう」

 願うことはただ一つ。溢れる水面への想いは、その一言に全て籠められた。水波の声に、全ての声が応えた。部屋には少女達の張り上げた声が満ちた。この場にいる皆も同じ気持ちなのだと伝わるような熱量だった。どの顔もやる気と決意に溢れ、今は亡き前大将を慕い続けているのがよくわかるものだった。

「まずは『グリーン』だ。一人残らず滅ぼして、縹様への手向けにするぞ」

 死の直前にわざわざ『グリーン』の機械を壊したこと。『グリーン』へ大金を送り、不自然な程『グリーン』の虜になっていたこと。家族達にも内緒で敵のAIを保持していたこと。商品が『ブルー』や水面を根幹から変えてしまったことからも、『グリーン』はどう見ても怪しかった。林檎のAIが関わっているため間違いなく『レッド』も介入してはいるのだが、恐らく主導は『グリーン』だ。AIを売りつけてきた当初から、違和感のある部分が多すぎた。

「皆、『グリーン』に殴り込みに行くぞ。機械は全て壊し、『グリーン』の人間は全て殺せ!」

 水波の宣言は、獣の咆哮のようだった。抑え切れない『グリーン』への怒りと憎しみを湛え、水面の顔を脳裏に浮かべながら大きく叫ぶ。それに負けない程の数多の雄叫びが部屋を支配した。志を共にした仲間達となら、きっと水面の仇を討てる。大事なものを奪った忌々しい『グリーン』へ向けて、新生した『ブルー』はいつまでもその声を響かせたのだった。




 『グリーン』はネットばかりやっている者達の集まりであり、彼女達は籠ってばかりで全く体を鍛えていない。貧弱な体つき、動けばすぐに貧血になりそうな病的な白さ。普段から抗争には無関心のため、戦闘のノウハウもない。そのため彼女達を殺すのは赤子の手をひねるよりも容易いと思っていた。

『グリーン』のアジトに突撃したところ、既にもぬけの殻だった。『ブルー』は街中で『グリーン』が操作できそうな機械を手あたり次第に壊しながら、『グリーン』のメンバーを血眼で探し回った。やがて『ブルー』の傘下の組織の者が『グリーン』の者を一人見つけ出して差し出してきたため、『ブルー』は彼女を拷問して『グリーン』の新しい拠点の場所を訊き出した。そしてすぐにその『グリーン』の小さなビルへ、水波率いる武装した『ブルー』の者達が荒々しく殴り込んでいった。用心の欠片もなく開く自動ドア、あっけなく破壊されたセキュリティゲート。抗争慣れしていないことが端々から窺えた。水波達は建物の中を破壊しながら上階へと向かった。深緑色の制服を見つけると、問答無用で捕まえて襲った。予想通り彼女達は抵抗すら出来ず、あっという間にボロボロの死体と成り果てた。『ブルー』の少女達は恨みをこれでもかと込めて、死んでもなお殴り蹴り打ち続けていた。人だけではなく、置いてあるパソコンやタブレットの類も全て破壊した。飛び散る破片も拉げた筐体も、見飽きる程沢山作った。一階二階、そして三階のフロアも破壊し尽くしたという頃、水波の胸の中で微かな違和感が顔を覗かせていた。周りの少女達はバールや短刀、銃などで辺りを破壊しながら廊下を進んでいる。

(おかしい。『グリーン』はもともと人数が少ないが、それにしても人がいなさすぎじゃないか……)

 これまで『ブルー』が発見した『グリーン』の少女は、僅か二名だ。二人とも二階におり、今や原形がわからぬ程の惨状で捨てられている。しかし拠点に籠ってばかりと思われる『グリーン』のメンバーが、こんなにいないはずがないのだ。

(そもそもあっしらが殺したのは、本当に『人間』だったのか……?)

 『グリーン』は故人そっくりのAIを作れる。彼女達はまるで生き返ったかのような、人間か機械か判別がつかない程の精巧な体を持っている。それだけの技術を有しているのだ、水波達が殺してきた二名の少女達も、生身の人間だったという保証はない。

「……」

「ミナミ?」

 気付けば水波は廊下に取り残されていたようで、少し前を歩いていた青空が不思議そうに振り返った。他の者達は、四階を目指して既に階段を昇り始めていた。水波は強張った顔をあげ、立ち止まったまま辺りを隅々まで見回した。崩れた壁や拉げた扉、奥の割れた窓。そして見える範囲の機械は全て破壊されており、生き残っているものはない。視線を上へあげると、隅についている監視カメラが視界に入った。随分高性能のもののようで、物々しいレンズが階段へと向けられている。稼働を示す点灯、調節するように僅かに動かされるカメラ。……誰かが監視カメラを見ている? 上の階にいるのならば、悠長に見ている暇などなくすぐに逃げようとするはずだ。水波ははっとして、仲間達へと腹から力一杯叫んだ。

「てめえら、戻れ!」

 不思議そうに振り返った先頭の少女、直後その奥で大きな爆発が起こった。轟音、衝撃、揺れる建物。爆風は階段を上がろうとしていた者達を巻き込み、雪山の吹雪のように煙と破片が飛んでくる。離れていた水波も、押し寄せる風圧に耐え切れずに咄嗟に腕で頭を守った。衝撃が過ぎると、すぐに顔をあげる。僅かに晴れ出した煙の奥、階段に立っている者は一人もいなかった。上から覆い重なるように血みどろの死体が横たわっていた。階段の下の方にいた者達は、廊下に避難して無事ながらも怪我を負って血を流していた。青空や水波を含む廊下にいて離れていた者達も、皆その顔を引き攣らせていた。

「くそっ、罠だったか。出るぞ!」

 煤けた袖を舞わせ、一人の少女が叫んで廊下を駆け出した。他の少女達もそれに続き、その脚力で向かいのエレベーターまで一直線に向かっていった。

「この建物が拠点ってのもきっとデマだ!」

 他の少女も叫び、廊下を走っていく。突然の爆発、そして罠の渦中にいるかもしれないという焦りと怒りで混乱しているのだろう。パニックになったように逃げていく『ブルー』の少女達へ、水波は止めるように煙の先へと手を伸ばした。

「待て、『グリーン』の手が入りそうな機械は使うな……!」

 その叫びも虚しく、少女達の入ったエレベーターの扉が閉まった。一階へ行くようボタンを押したはずのエレベーターは、中の少女達を連れて上へとあがっていった。点灯は最上階の五階で止まり、直後上階から轟音が響いた。大きく揺れる床に、廊下にいた水波達も体勢を崩す。エレベーターに乗った者達の生存は絶望的だろうと、嫌でも感じるような威力だった。

「私達も早く出よう」

 残った『ブルー』の少女の一人がそう言い、半壊した階段へと顔を向ける。黒く焦げて一部は崩れて瓦礫となり、死体も折り重なっていて足の踏み場のないような悲惨な状態だった。さらに先程の爆弾のような罠が仕掛けられている可能性も高いが、他に降りられる道はない。十人程に減った少女達は、僅かな足場を探しながら慎重に階段を降り始めた。水波もその後に続こうとして、ふと足を止めた。隣の青空も気付いたらしく、すんすんと鼻を動かしていた。

「異臭がするね。……毒ガスの類っぽい」

「……てめえら、早く出るぞ。この建物自体が『グリーン』の罠だ」

 『ブルー』の少女達は水波に頷き、崩れた地帯を荒業でまるごと飛び降り出した。離れた一つ下の踊り場へ怪我無く着地すると、彼女達は急いで階段を降り始めた。

(こうなると拷問した奴も機械か。わざと嘘の情報を掴ませたな)

 いくつもの二枚歯の音がけたたましく鳴り響いた。『ブルー』の少女達は一階目指して階段を駆け降りて行った。水波も殿を務めつつ後に続く。異臭は段々と強くなっているように感じられた。

(くそ。最初の爆発はともかく、エレベーターはあっしの指示が早ければ防げたのに)

 『ブルー』が長を失いまだ統率が取れていないことも、相手は想定していたのだろう。抗争慣れしていないと思っていたが、想像以上にこちらの行動を読んでいる。……いや、違う。

(『レッド』と手を組んでいるんだったな。こちらの状況を読んだ策、いかにも朱宮っぽいやり方だ)

 なんとか一階に辿りつくと、少女達は出口目指して一目散に駆けて行った。破壊されて拉げたセキュリティゲートを通り過ぎると、その奥の自動ドアが見えて来る。薄群青色の少女達は、エントランスへと集った。しかし自動ドアは、一向に開くことが無かった。

「閉じ込められたか……!」

 水波は閉じたままの透明な壁へと指を這わせた。ステンレスサッシ、そしてそこに埋め込まれた強化ガラス。自動ドアが頑丈だからこそ、この建物を罠に選んだのだろう。

(ガスの方を止めるか? いや、二階の窓を突き破ってそこから飛び降りるか……)

 まるで水波の考えを読んでいたかのように、辺りが急に暗闇に包まれた。自動ドアの前に集っているため、少女達のいる場所は外からの明かりでまだお互いを視認することが出来た。しかし建物の奥を振り返れば、そこは闇そのものだった。どうやら建物の照明が消されたらしい。

(建物の中全部か? まずい、ガスの出所を探るのも二階に行くのも時間を取られる)

 鼻につく異臭に焦りが滲む。どのように行動すれば、ここにいる仲間達を生きて外に出すことが出来るのか。家族の命を背負う者として、長は判断を間違えてはいけない。水面なら、即決して的確な指示を出しているだろう。水波の顔に冷や汗が滲む。険しい顔で悩みながら、縋るように建物の外へと視線を投げた。

 その時、自動ドアの向こうに深緑色が動いた気がした。目を凝らす。

「……!」

 遠くに『グリーン』の少女が立っていた。彼女はスマートフォンを構え、そのレンズの先をこちらへと向けていた。一人なのに、なにやら常に口を動かしている。そしてその顔に、水波は見覚えがあった。確か動画共有プラットフォームでいくつもの動画や配信を上げている、ネットの有名人だ。そこまでネットに詳しくない水波でも知っているくらい彼女は有名で、彼女のチャンネルの登録者数も凄まじい数だったと記憶している。ということは、彼女は今まさに配信をしているのかもしれない。建物に閉じ込められた水波達『ブルー』の無様な姿が、世界中に放送されているということだ。

「ふざけた真似を……」

 怒りが込み上げたが、同時に水波はあることに気が付いた。

(……だが、あいつを拷問出来れば、今度こそ『グリーン』の本当の拠点を知ることが出来るんじゃないか?)

 なら、水波の取る行動は一択だ。水波は自動ドアを思い切り殴りつけた。重い音が響き、ドアが揺れる。しかし強化ガラスはビクともしなかった。

「てめえら、力を貸せ。こいつを壊してここから出るぞ」

 水波は後ろの少女達に向かって声を張り上げた。異臭が強くなっているためか、叫ぶために息を大きく吸うと違和感があった。水波の言葉に、少女達も自動ドアに向けて攻撃を始めた。殴りや蹴り、体当たりはもちろん、バールや短刀で打ち付け、銃で撃つ者もいた。しかし銃弾すらも貫通しなかった。防弾ガラスか何かなのか、いずれにせよ『ブルー』を嵌めるために細工をしていることは確実だった。やはりこの用意周到さは、林檎を彷彿とさせる。息苦しさが強くなってきたが、それでも『ブルー』の少女達は懸命にドアを攻撃し続けた。無傷で聳え立っていたドアにもやがて亀裂が入り、衝撃が加えられる度に段々とその数を増やしていった。無数の細かい亀裂は、まるで水面に浮かぶ白波のようだった。しかし緻密な亀裂が広がるだけで、なかなか割れない。一番奥にいた少女が、その場に倒れた。彼女は動くことはなかった。『ブルー』の少女達は、苦しみの中ドアを叩き続けた。また一人、少女が倒れて動かなくなった。

(ここで終わるわけにはいかない)

 水面の仇を討つまでは。水波は亀裂の入った扉を力の限り叩いた。横の青空が全力で殴りつけたのも同時だった。その衝撃に、不落だった壁が一気に瓦解した。細やかな破片が、煌びやかに崩れ落ちていく。外の空気が流れ込み、息苦しさが少し和らいだ気がした。隔てるものが跡形もなく消えて、穏やかな風が『ブルー』の少女達の髪と制服を靡かせる。木々の揺れる音が耳に入り、異臭が薄く散っていく。こうして、『グリーン』の目論見は失敗に終わったのだった。

 水波はすぐに二枚歯を響かせて駆け出した。目指すはこちらにカメラを向けている『グリーン』の少女だ。少女は迫って来た水波に慌てた様子だったが、逃げ出すのが余りにも遅すぎた。いかにも抗争慣れしていない、のっそりとした動きだ。水波はすぐに彼女を追い越し、前へ回り込んだ。青空達も水波についてきて、『グリーン』の少女の背中側に広がった。『ブルー』に囲まれた『グリーン』の少女は、慌てながらもスマートフォンのカメラの位置を水波に合わせて調整していた。

「やば~、囲まれました……」

 『グリーン』の少女は怯えた様子ながらも実況を続けていた。やはり配信していたらしい。水波は目の前の少女へ眼を飛ばして真正面から睨み付けた。「おい」と声を荒げると、彼女はびくりと大きく肩を震わせた。手に持ったカメラがブレる。

「よくも閉じ込めやがったな。それを配信とは、えらく悪趣味じゃねえか。あぁ?」

 水波が殺気を漂わせながら詰め寄ると、『グリーン』の少女は一歩後ろに下がりながら、「ええ!?」と大声を上げた。

「閉じ込めたって何の話っすか!? つか、私の仕事場に殴り込んできたの、そっちでしょーが!」

「……、うん?」

 『グリーン』の少女は震えながらも、怒りを滲ませてやけくそ気味に反論した。なんだか話が合わない。

「仕事場……?」

「そう、今あんたら『ブルー』が滅茶苦茶にした建物だよ!」

 『グリーン』の少女は水波達が脱出してきたばかりの建物を指差した。『グリーン』の拠点ではないが、どうやら『グリーン』の使っている建物ではあったらしい。

「監視カメラの映像で見たんだからね、再起不能なまでに壊されたパソコン、それからあまりにも惨いやり方で殺されたAI達! 『ブルー』のしたことは同接中の四万人が証言してくれるんだから! いきなり殴り込んできてあの殺しっぷり、横暴にもほどがあるでしょ!」

 彼女は膝を震わせていたが、それでも矢継ぎ早に叫んだ。実況を止めてはならないという配信者魂が透けて見えた。水波は『グリーン』の少女の言葉に怒りを湛え、拳を握り締めた。

「いきなり……? 縹様を殺しておいて、何を……」

「そっちこそ何言ってんの! 縹は私らの大事な機械を壊したし、死んだのだって勝手に死んだだけだし、それで殴り込みに来たんなら私達完全な被害者なんですけど!?」

 一々神経を逆なでするようなことを言う。水波はいよいよ堪えていた怒りを抑えきれなくなった。拷問してアジトの場所を訊き出そうという当初の考えは霧散し、目の前の忌々しい口を塞ぐことだけしか頭になくなる。

(勝手に死んだだけ……?)

 そんなわけがないだろう。そもそも無敵を誇る彼女が死んだこと自体、おかしいのだ。

(殺しておいて、よくもぬけぬけと……!)

「あんた達がAIにひっどい拷問したのも知ってんだからね! 死体の映像、もうネットに広まってるんだから! 機械を破壊して、メンバーを捕まえて拷問して、建物も襲撃して……あんた達のやってること、ネットでなんて言われてるか知ってる!? この世から消えるべき邪悪——」

「それはてめえらだろうがっ!」

 水波は『グリーン』の御託を掻き消すように叫ぶと、拳を振り上げた。カメラを向けられていようがもう構わなかった。水面を殺しておいて、のうのうと被害者ぶるのが許せなかった。一番大切な人を奪っておいて、どの口が言うのだろうか。こんな奴らにたった一人の家族が殺されてしまったのだと思うと、頭がカッと熱くなった。彼女を物言わぬ死体にする気で拳を振り下ろした、その時。

「待ってください!」

 叫び声が乱入した。水波の知っている声だった。水波は拳を宙でピタリと止め、忌々し気に舌打ちを零した。そして、声の方へと振り向き睨み付ける。そこには純白の制服に身を包む『レッド』の長、そしてその後方に白黒のフリルの塊に身を包む『ラビット』の長が立っていた。二人は水波達へと駆け寄ってきた。『グリーン』の少女の持つカメラが、透かさず新たに登場した人物達へと向けられる。

「あれは……っ、新しい『レッド』の長、と……、『ラビット』の人?」

 『グリーン』の少女にとっても二人の登場は予想外だったらしく、実況の声が自信を無くして萎んでいく。水波は『グリーン』の少女に構うことなく、たまかを睨みつけたままだった。

「……何しに来た」

 地の底から湧き出たような低い声。怒りの籠った声にたまかは顔を強張らせたが、気丈に口を開いた。

「ネットで水波さん達が配信されているのを見つけたんです。だから、急いできました」

「配信、見てくれていたんですか!?」

 水波に向けられた言葉にいち早く反応したのは、『グリーン』の少女だった。彼女は助けを見つけた遭難者のように、顔を明るく晴らした。たまかはその表情に僅かに戸惑いを乗せて、『グリーン』の少女へと顔を向けた。

「よ、良かったです~……! 『レッド』の助けが無ければ死んでいました……! 悪逆非道な『ブルー』を、やっつけちゃってください! 四万人が応援していますよ!」

「え」

「え……?」

 たまかと『グリーン』の少女は、お互いにぽかんとしながら見つめ合った。姫月がそれを見て、冷笑を零す。

「誰が『ブルー』を殺しに来たって言ったんだよ」

「え、でも……つか、あんた誰ですか?」

「どうでもいいでしょ、そんなこと。それよりも、配信やめたら。真面目な話すんのに、カメラいらないでしょ」

 姫月の黒いレースに包まれた手が伸びる。その指が届く前に、『グリーン』の少女はサッとスマートフォンを引っ込めた。それでもカメラは姫月へ向けたままだ。

「死んでも離しませんよ」

 強情に言ってのける『グリーン』の少女に、姫月は肩を竦めた。カメラを取り上げることは早々に諦めたらしく、姫月は静かに手を引っ込めた。

「水波さん。配信、見ていました」

 たまかは水波へと曇りない瞳を真っ直ぐと向けた。そして、悲しそうに眉を下げる。

「破壊と殺害、あれじゃまるで蹂躙です。……落ち着いてください。水面さんを殺したのは、本当に『グリーン』なのですか?」

 あまりにも白々しい。水波は拳をさらにきつく握り締めた。

「『グリーン』とてめえらだろ。それにあっしらを罠に掛けておいて、何が蹂躙だ」

「……罠……?」

 たまかは困惑を乗せて、姫月へと振り向いた。姫月もピンと来ていないようで、不思議そうな顔をしていた。

(『ラビット』の大将のこの反応……まさか爆発から先の映像は配信されていないのか……?)

 『グリーン』が仕掛けた部分が恣意的に伏せられて配信されているのだとしたら、『グリーン』が意図的に配信内容を選定していたことになる。自分達に都合の悪いところを全てカットしたのだろう。やはり全ては仕組まれていたのだ。そしてそんなことを考えるのは、恐らく『レッド』だ。虚仮にされた怒り、そして死んだ家族達の恨みをなみなみとその目に湛え、水波はたまかを睨みつけた。たまかは一瞬怯んだが、それでも勇敢に再度口を開いた。

「『グリーン』が水面さんを殺したという証拠は、見つかったのですか?」

「そんなものいらねえ。『グリーン』とてめえらが殺したに違いないんだ」

「……そんな」

 林檎のAIが『ブルー』にいて、水面が『グリーン』の機械を壊した事実がある以上、そうとしか考えられないのだ。水面は意味もなく家族に秘密を持ったり、物に危害を加えたりする人間ではない。事実を並べれば、『グリーン』と『レッド』が関与しているのは明らかだった。どこまでも白を切るたまかを見ていると、殺意が湧いた。目の前の悲しそうな顔も、全て演技なのだ。純粋そうに見えて実は全て計算されていたのだと思うと、吐き気がした。

(……となると、『ラビット』も信用ならないな。そもそもこいつらはなんで一緒に行動してるんだ)

 たまかの横の姫月へと視線を移す。共にいるが、『ラビット』と『レッド』は敵対関係のはずだ。いつの間にか裏で手を組んでいたのだろうか。いずれにせよ、『グリーン』も『レッド』も敵に回っている今、『ラビット』もこの隙をついて『ブルー』を攻めようと考える可能性は大いにある。水面は信頼していた『グリーン』に殺された。もうどの組織にも気を許さない方がいい。

「水波さん。きっと何か、大きな誤解があります」

 たまかの切実な声に、水波はたまかへと視線を戻した。彼女は水波へ訴えかけるように真っ直ぐと言葉を掛けた。

「『レッド』は水面さんの死に関与していません。本当なんです」

 そんなはずがない。林檎のAIは確かに水面と共に『ブルー』にいた。『グリーン』が勝手に操作したのだとしても、林檎の姿が消えれば『レッド』は嫌でも気が付くはずなのだ。つまり最初からグルでないと、辻褄が合わない。

(縹様も朱宮もあれは汎用AIだって言っていたが、そんなはずないんだ)

 水波は確かにあの時林檎に名前を呼ばれた。汎用AIが水波の名前を知っているはずがないし、その後に言われた言葉だって汎用AIにしては違和感のあるものだった。加えて、先程の『グリーン』のやり口。こちらの行動を読んだような罠、冷酷非道で容赦のない仕打ちには覚えがある。『レッド』の助言が入っていることは間違いない。

「演技はもういい。それよりも、もう一度言う。何しに来たんだ」

 水波は水面の仇を睨みつけた。憎しみの籠った目に、たまかは悲痛そうに視線を下げた。しかし長らしい顔付きに戻すと、毅然と言い放った。

「『グリーン』の方を助けに来ました。殺されかねませんでしたから」

 いかにもたまからしい理由だと思った。彼女は誰も傷つかない世界を目指している。誰かが危機に瀕していたら、なりふり構わず駆け付けるのだろう。たまかは声を落とし、「それから……」と続けた。

「水波さん達が……怪我をしていないか。診に来ました」

 そう、彼女はそういう人間なのだ。例え敵意を向けられている相手に対しても、傷つかないことを願って体が動いてしまうような人間。水波は憎しみに染まった目を一瞬だけ緩めた。誰かが傷つくことが何よりも許せない彼女。そんな彼女が果たして本当に、水面を害する計画を立てるのだろうか。そんな疑問が一瞬頭に過り——すぐに追い遣った。これも全て演技なのだ。騙されてはいけない。現に水面は殺されてしまった。この状況が何よりも答えを物語っているではないか。

「口では何とでも言えるな。どうせ仲間の『グリーン』に協力しに来たんだろ」

 水波は敵意を込めてたまかを射貫いた。たまかは眉尻を下げた。悲しそうな顔。そんな顔をしても無駄だと言うのに。

「しょ、正気ですか……?」

 ずっと大人しかった『グリーン』の少女の声が割って入った。彼女が引きつった顔で問いかけた先は、たまかだった。

「『ブルー』を診るって、冗談ですよね? 『グリーン』は機械を壊されメンバーを拷問され建物を襲撃され、『ブルー』に一方的に虐げられている状況なのですよ? ……『レッド』はそんな『ブルー』を助けるんですか?」

 まるで悪者の味方をすることを責めるような口調だった。たまかはその言葉に、両手を振って否定して見せた。

「ああ、いえ……そうではありません。今の私は、『不可侵の医師団』としてこの場に立っているんです。『不可侵の医師団』は、どの組織にも分け隔てなく治療を行う医療集団です。相手が誰であろうと治療し、助けます。『レッド』が『ブルー』につくというわけではありません」

「なる……ほど? じゃあ『レッド』は『ブルー』側ではないんですね?」

 たまかと『グリーン』の少女の会話を黙って聞いているのも馬鹿らしくなってきた。水波は『グリーン』の少女へと密かに視線を向けた。抗争慣れしていない分、彼女もたまかも隙だらけだ。二人で会話をしている間に不意を突けば、簡単に殺せる。ここには『ブルー』の仲間達がいるのだから、三人を皆殺しにすることなど造作もない。水波は陰で拳を握り締めた。

「ねえ、『ブルー』のあんた」

 まるでそれを見計らったかのように、水波へ声が掛けられた。この場の全ての視線は、声の主である姫月へと向けられた。姫月は水波へ淡く笑みを浮かべながら、メッシュの入った長い白髪をくるくると指へ巻きつけていた。

「『ブルー』が『グリーン』を襲ったことは事実だったわけだけどさ。理由もなしにそんなことしてたら、流石に『レッド』も『ラビット』も『グリーン』の味方をせざるを得なくなっちゃうよ。何せ『グリーン』は、うちらに高性能な商品を提供してくれている大切なビジネスパートナーなんだから」

「……」

 水波の殺気立つ眼光を物ともせず、姫月は口角をあげたまま水波の言葉を待っていた。

「……理由はある。『グリーン』が縹様を殺したから、あっしらは仇を討ちに来た」

「ふうん。『グリーン』が縹を殺したって言う証拠は?」

「……」

「さっきないって言ってたよね。これじゃでっち上げだって言われてもしょうがないよ」

 肩を竦めて見せる姫月へ、水波は怒りを隠そうともせずに語気を強くした。

「でっち上げだと? 随分と余裕こいているようだが、ここには『ブルー』の仲間達が集っていることを忘れるなよ。てめえらなんかすぐに囲んで殺せるぞ」

 彼女がすべきは『ブルー』を腹立たせることではなく、命乞いなのだ。しかし水波の脅し文句にも、彼女は全く動じていなかった。後ろに控える『ブルー』の面々を一瞥した後、姫月はにんまりと水波へ笑みを向けた。

「いいの? これ、配信されてるんだよ? うちとたまかが殺されて、『レッド』と『ラビット』が黙ってるわけないじゃん。いよいよ『グリーン』と『レッド』と『ラビット』が手を組んで、『ブルー』はすぐに滅ぼされちゃうよ?」

「例え三組織が手を組もうが、あっしらには関係ない。全員殺せるだけの力があるからな」

「ふうん。でもさ、三組織が手を組んだら、『レッド』も『ラビット』も全力で『グリーン』を守ることになるよ? 縹の仇を討つには不都合なんじゃないの?」

「……」

 『ブルー』は圧倒的な力を誇るため、三組織が結託しても負ける事はないように思う。しかし先程の建物での犠牲を思い起こすと、一筋縄ではいかないであろうこともまた身に染みてよくわかった。特に今は水波が新しい大将としてついたばかりで、『ブルー』はまとまりを欠いている状態だ。そんな中『レッド』の狡猾な策に加えて、『ラビット』の狂気ゆえの奇抜で突飛な攻撃にまで無傷で対処できるとは思えない。それは『グリーン』を滅ぼすこと、そして水面の仇を討つことが遠のくことを意味する。それは水波としては一番避けたい事態だ。

 水波は『グリーン』の少女が持つスマートフォンへと視線を投げた。物言わぬままこちらを見つめる、カメラレンズ。

(『グリーン』が『ブルー』を滅ぼそうとする意思があると確定しただけでも、収穫はあったか)

 水波は姫月へ視線を戻し、そして最後にたまかへと向けた。たまかは相変わらず曇りない眼で真っ直ぐと水波を見つめていた。悲しそうに下がったままの眉。水波はすぐに視線を逸らした。そして、家族達へと振り返る。

「……この場は手を引こう。あっしらがまず相手にすべきは、『グリーン』だ。他の組織に構うのは後だ」

 何か言いたげな顔も見えたが、絶対服従の『ブルー』では長の言うことは絶対だ。水波に続いて、囲んでいた者達はぞろぞろと引き上げていった。アジトに戻るため、『ブルー』の少女達は二枚歯を鳴らして離れていく。『グリーン』の少女、そしてたまかと姫月は去っていく水波達の御太鼓を突っ立ったまま眺めているのだろうか。水波は最後まで振り返ることなく、その場を後にした。行きよりも減った人数、煤けて破れた制服達。それらを眺めながら『グリーン』にされた仕打ちを思い起こし、水波は益々水面殺しの犯人の確信を強めたのだった。




 翌日。『ブルー』に、予想だにしない来客がやってきた。一人は深緑色の制服に身を包む、『グリーン』の少女。いつも足を運んでいたやよゐではなく、見知らぬ顔だった。そして彼女の隣には、死んだはずの水面が立っていた。高い背丈、健康的な長い脚、明るい瑠璃色のインナーカラーが特徴的な紺色のセミロング。精悍な顔立ち、豹のように研ぎ澄まされた目。間違い様がなかった。応対した『ブルー』の少女が慌ただしく水波へと来訪を告げ、駆け付けた水波は思わずその場で呆然と立ち尽くしてしまった。『ブルー』の少女達も噂を聞き付け、アジトにいたほとんどの者がその場に集っていた。数多の視線に囲まれながら、『グリーン』の少女は水波の前で微笑みを湛えていた。彼女は名乗ることも挨拶をすることもなく、開口一番謝罪の言葉を口にした。

「この度は申し訳ございません。……我々が何か、『ブルー』を誤解させて怒らせてしまったのかもしれません」

 水波の視線は未だに隣の水面へ釘付けになっていて、その言葉は頭に入ってきていなかった。

「機械の破壊、メンバーの拷問、建物の襲撃……我々は眠れない日々を過ごしております。そこで我々は、『ブルー』の方々に矛先を収めて頂きたく、こちらをお連れ致しました。お代も勿論頂戴致しません。『ブルー』の皆さんが今最も欲しているであろうお方……縹様のAIです」

 水面の姿をした少女が水波へと顔を向け、目が合った。彼女は見慣れた表情を水波へと返した。

「このAIは縹様の姿で、縹様と同じ思考をし、縹様と同じ言葉を投げます。勿論、縹様の強さも完全に再現しております。『ブルー』の圧倒的な戦力になることは勿論、『ブルー』を発足された彼女が戻って来たとあらば、皆さまの団結もより強固なものとなるでしょう」

 喪ってしまった何よりも大切な人が目の前に蘇っているのは、あまりにも衝撃的な光景だった。もう見ることは叶わないと思っていた、憧れの家族が今ここに間違いなく立っている。同時にそれをいともたやすく、そしてあっけなく実現させる『グリーン』への得体の知れない恐怖と嫌悪が巻き起こる。周りの『ブルー』の少女達がざわめいた。相変わらず固まったままの水波に気付き、『グリーン』の少女はおっとりと頬に手を当てて首を傾げた。

「……あら……。……もしかして、お気に召しませんでした?」

「……ふざけているのか?」

 水波は水面からやっとのことで視線を外すと、『グリーン』の少女を睨みつけた。声の端々が怒りで震えていた。

「もしやこのために縹様を殺したのか?」

「……滅相もございません。我々は、縹様を殺してなどおりませんゆえ……」

 『グリーン』の少女はにっこりと笑みを浮かべて否定した。それから水面を見上げ、再度水波へと顔を戻した。

「……それとも、縹様は不要でした?」

「……ッ!」

 そんなわけがない。水面が死んで、また会いたいと思わなかった瞬間などない。夢にも見た。気付けば水面のことを考えてしまう。会いたくて会いたくてしょうがない。また『ブルー』に戻って来てほしくて仕方がない。一緒に鍛錬もしたいし、豪快な笑みと共に笑い合いたい。凛とした声で名前を呼んで欲しいし、家族に向ける柔らかな表情もずっと見ていたい。真っ直ぐな曇りない瞳が恋しい。共に戦い、彼女の強さを肌で感じたい。もう二度と叶わないのだと頭ではわかっていても、彼女を求める気持ちは胸に抱えきれない程膨らんでいる。

 水波は、大切な人を喪った経験がなかった。だから機械にしてまで故人に拘る理由がよくわからなかったし、AI達を仲間として迎え入れることにあまり共感は出来なかった。しかし、今なら故人のAIを求めていた『ブルー』の仲間達の気持ちがわかる気がした。皮肉にも、今になって水面の言葉が胸にすとんと落ちた気がする。何よりも、自分の命よりも大切な人が、目の前に帰ってくる。無類の強さを誇り、生前と同じ声と表情で笑みを向けてくれる。そんな夢のようなことが現実になるのだとしたら、その奇跡に縋り付かないわけがないのだ。守り切れなかった彼女がまた蘇って、今度こそ守れるのだとしたら。絶対に手放したくないという気持ちになってしまうのも、痛い程良く分かった。

 しかし、目の前にいるのは機械なのだ。彼女は水面本人ではない、そこを決して忘れてはならない。水面は機械も仲間なのだと言って歓迎していた。しかし、そのせいで水面は死んでしまった。例え夢のような奇跡が目の前にあるのだとしても、それが現実でないのならば、手を伸ばすべきではない。それが、何よりも大切で恋焦がれたものだったとしてもだ。

 何かを叫びかけて黙り込んでしまった水波へ、『グリーン』の少女は返事を待つように口を閉じていた。しかし水波が力無く項垂れてしまったのを見て、その口角をあげた。

「もしかして、縹様がお邪魔だったんですか? ああ……成程。縹様を殺したのは、もしや……」

 水波は驚愕に染まった顔を跳ね上げた。目の前に現れた微笑みは、まるで妖怪のように不気味に映った。

「な、……何を言っているんだ」

 声が震えた。あまりにも荒唐無稽な戯言。動揺して言葉がつっかえた。

「我々に罪を擦り付けようと言うのでしょうか。まさか我々の機械を壊したのも、実は貴方……」

「——いい加減にしろ!」

 水波の怒声が辺りに響いた。自分で思っていたより何倍も大きな声が出てしまった。

「これ以上、縹様とあっしらを侮辱するな!」

 水波は『グリーン』の少女の胸倉を掴んで引き寄せた。怒りに染まった顔を、食いつかんばかりに近づける。『グリーン』の少女は、最後まで恐怖を表情に滲ませなかった。……恐らく、これは機械だ。水波は短刀を素早く鞘から抜くと、躊躇いなく彼女の胸に突き刺した。鮮血が吹き出し、水波の制服を汚していく。少女の胸から刃を抜くと、彼女を地面へと乱暴に捨てた。彼女は苦しそうに呻いていたが、反撃の意思はないようだった。このままにしておけば、大量出血で死ぬだろう。返り血で赤く染まった水波は、ゆっくりと顔を上げた。たった一人の家族と同じ顔の機械が視界に現れる。水波は密かに眉根を寄せた。水面は無敵であり、その強さを再現したAIならば勝てるかどうか怪しい。それに何より、機械と分かっていても、自分は彼女に刃を突き立てることが出来るだろうか。水波は息苦しさを感じて吐息を漏らした。水面はそんな水波をじっと見つめていた。『グリーン』の少女が横で殺されたというのに、全く動じていない。それよりも彼女は、頭の中で何かを考えているようだった。

(しかし、あっしは縹様のAIは買わない。……ここで処分しなければ……)

 頭では分かっているのに、いつまでも手が出なかった。一秒でも長く焦がれた顔を見ていたいと思ってしまう。毎日隣で見ていた顔が突然いなくなるなんて、どうしても心が受け入れられない。今はこうして目の前にいるのだ。殺さなくてはいけないのに、……目が離せない。

 水面は突然、真面目な顔で掌を差し出した。何かを求めるように伸ばされたしっかりした骨格の手を、水波は面食らったように見下ろした。

「ドス。貸せ」

「……は……」

 突然の言葉に、水波は戸惑ったように水面の顔と握った短刀を見比べた。

「ど……どうしてですか」

「いいから。貸せ」

「て……敵に貸すことは……出来ません」

 水波はたどたどしくもなんとか断った。目の前の水面の姿をした少女は、『グリーン』の作ったAIだ。当然『グリーン』側の可能性を考慮しなければならない。

「敵……?」

 水面は驚いたように繰り返した後、ぽりぽりと頬を掻いた。

「ミナミに敵なんて言われる日が来るなんて……なんか新鮮だな。まあ、いい。……じゃあ」

 差し出された掌が一瞬引っ込んだと思いきや、次の瞬間水波の手首が取られていた。衝撃を感じたと思った瞬間、すでに掌から短刀が消えていた。流れるように掻っ攫った短刀を見せつけ、水面はにやりと笑った。

「……奪うだけだ」

 水波は即座に構えた。無敵の水面に武器まで取られては、勝ち目がよりなくなってしまったも同然だ。次の手に備えるため、水波は水面の動きを見極めながらいつでも攻撃を受けられるように警戒した。しかし水面は攻撃に転じることなく、短刀を逆手に持ち替えただけだった。

「しっかし、ミナミが新しい長になったのか。なら『ブルー』は安泰だな」

 『グリーン』の少女の血に塗れた短刀を見下ろしながら、水面は僅かに哀愁を伴った微笑みを浮かべた。それから、視線だけを水波へと向ける。

「お前はあたしを殺せないだろうからな。……ま、『ブルー』をよろしくな。新リーダー」

 水面は短刀を持つ手を掲げたかと思うと、勢いよく自身の胸へと突き刺した。水波はその光景に、頭が真っ白になった。長身がぐらりと揺れて倒れる。血をぶちまけて床に転がると、彼女は自分で短刀を引き抜いた。夥しい量の血が辺りに広がる。止まることを知らずに溢れ続ける鮮血を、水波は呆然と見下ろしていた。止血をしたいと、助けたいと思ってしまう心を必死に押しとどめる。焦がれる程に求め、再び見る事の叶った大好きな瞳が閉じていくのを、水波は動けずにただただ見ていることしか出来なかった。……これでいいはずだった。『グリーン』の作ったAIなど壊すべきなのだ。しかし大好きな家族が死ぬのを一度ならず二度までも目にしなければいけないのは、胸が張り裂けそうな程に痛みを伴うものだった。間違っていてもこの奇跡に縋るべきだったのではないかと、そう思ってしまう程に深い喪失感が胸を抉った。

(……いや。これでいいんだ)

 間違った存在は、消えるべきだ。これが正しい形なのだ。今回の水面の死に顔は実際の時ほど凄惨なものではなかったが、やはり毎日隣で見ていた顔が青白くなっていく姿は耐えられるものではなかった。彼女の端整な顔は、死んでもなお美しかった。水波はくしゃりと顔を歪めたあと、二つの機械の死体から顔をあげた。

「……処理を頼む」

 周りの『ブルー』の少女に片付けを任せようとして——水波は思わず目を見開いた。数多の集った家族達の顔。自分へ向けられる視線の数々。それらが変化していることに気が付いたからだった。猜疑、嫌悪、怒り、失望。それらの感情が混じったものが確かにあって、水波は心の中で酷く狼狽えた。

(まさか……さっきの『グリーン』の奴の言葉を信じたのか?)

 荒唐無稽、あまりにも突拍子もない出鱈目だった。しかし、そう感じなかった者が一定数いたらしい。水波が水面を殺し、『グリーン』に罪を擦り付けて長の座を奪った。そんな有り得ない絵空事を、どうしたら本気にすることが出来よう。もともと水波に不満があったか、あるいは何か疑念を抱いていたりしたのだろうか。水波は動揺のまま、思わず水面の死体へと視線を下げた。縋るように見てしまったが、彼女は既に事切れている。

(縹様のAIを断ったことに反発する者もいたのかもしれないな)

 こちらはまだ気持ちはわかる。水面を強く求める気持ちは、水波にも痛い程よく理解出来るからだ。それに『グリーン』が水面を殺したという確固たる証拠のない今、『グリーン』やAIへの敵意には懐疑的で、水面のAIは買うべきだと思った者もいたのかもしれない。

(なかなか……一つだった『ブルー』に戻れない)

 水面が中心となり、固い絆で結ばれていた『ブルー』。今や綻びが増え、幾重にも亀裂が走った状態となってしまった。また家族達が離れていってしまう。水波は瞳を伏せ、死体に背を向けた。二枚歯を響かせ、『ブルー』の少女達が割れて出来た道を歩いて行く。その顔には、暗く影が差していたのだった。




 ***

 ■Side W




 たまかは目の前の光景に、開いた口が塞がらなかった。『グリーン』から話があるため時間を貰いたいと連絡があり、水面関連の話が聞けることを期待して承諾したのが昨日のこと。目の前には、見慣れた人物が立っていた。スタイルのいい長身、すらりと長い脚。太い帯が特徴的な薄群青色の制服。明るい瑠璃色のインナーカラーが艶めく、紺色のセミロングヘアー。キリッとした形の良い細い眉、獲物を狙う豹のように研ぎ澄まされた目。その精悍な美しい顔立ちは、先日死んだはずの水面のものだった。水面は微笑みを浮かべて、たまかを見下ろしていた。

「……」

 たまかは言葉を失い、ただただ水面を見上げていた。水面の横には、深緑色の制服に身を包んだやよゐの姿があった。彼女は乾いた笑みを浮かべ、なんだかいたたまれなさそうに視線を彷徨わせていた。たまかの後ろに控えている林檎、そして桜や灯、茜も言葉を失っているようで、辺りには気まずい沈黙が流れていた。

「その……実は、新しいAIの売り込みに来たんです」

 嫌な空気を吹き飛ばすように切り出したのは、来客の方だった。やよゐはいつもの調子に切り替え、意気揚々とハキハキとした声を響かせた。そして、右手を広げて横の人物を示す。やよゐはにんまりと怪しく口角をあげた。

「『ブルー』の縹のAIです」

 紹介された水面は、表情を変えることなく僅かに頭を動かしただけだった。明るい瑠璃色のインナーカラーが零れ、照明に艶めいていた。……紹介されずとも、ここにいる全員が知っている。たまかは頭を殴られたかのような衝撃を感じた。やはりやよゐは——水面のAIを売りに来たのだ。

「言わずと知れた、『ブルー』の前総大将様です。このAIがあれば『ブルー』の行動は筒抜けも同然です、『レッド』に多大なる貢献を齎してくれるでしょう。貴重な情報も得られるでしょうし、強力な用心棒を手に入れることにもなります。あの『ブルー』さえも通さない用心棒など、この方以外におりませんよ」

 やよゐは忍び笑いを漏らした。隣の水面は興味なさそうに腕を組んでいる。たまかは陰で掌を強く握り締めた。

(水面さんが死んだばかりだと言うのに……まるで彼女の命を、商品の一つみたいに……!)

 彼女の尊厳や命の重さは、AIの前ではただのゴミ同然だった。目の前にいる複製がいれば、まるで彼女が死んだ事実はなかったかのように扱われる。たまかが必死に救おうとしていた命はもう散ってしまったというのに、それさえもどうでもいいと言われているかのようだ。今や彼女は勢力争いの一つの道具と成り果ててしまった。彼女の立場と情報があれば、死んでしまった実際の彼女に価値はもうない。

(違う。……こんなの、間違っています)

 たまかは彼女の仲間想いなところが好きだった。何に対しても真っ直ぐに突き進むところが好きだった。彼女の命が存在する理由、彼女が生きている意味は、政治的な存在価値ではなく、そういう彼女の人柄にこそあった。たまかの守りたかった命は、そのような温かいものだった。命を沢山救い、別れを山ほど経験してきたたまかは、命の重さを知っている。失ったらもう二度と戻らない、だからこそ尊び一緒の一時を大切に噛みしめる。それが命だ。『グリーン』は、それらを踏み躙り、命を道具へと変えた。たまかがずっと好きになれない根幹は、きっとここにあったのだろう。死人と再び会えると触れ回っていたが、実際は消えた命の価値を奪い、利用しようとしているだけだった。水面を思うと、たまかの胸に激しい怒りが渦巻いた。彼女は機械でさえ、生きている人間同様に大切な命として扱っていた。そんな彼女の死や命を軽々しく扱うなど、彼女に対してあまりにも失礼だ。

「どういうことですか? 他組織のAIは売らず、どの組織にも平等に接するという話では……」

 黙り続けているたまかに代わり、後ろで控えていた桜が困惑と共に尋ねた。やよゐはその質問に、苦い顔で小さくため息を漏らした。

「最初はそうしようと思っていました。ですが、『ブルー』が突然『グリーン』を襲い始めたじゃないですか。我々も、ただ黙っているわけにはいかなくなったのです」

 「つまり……」と続けて、やよゐは小さく息を吸った。はっきりとその声を響かせる。

「我々も、何処かに助けを求めるべきだと考えたのです。……縹のAIを提供する見返りに、我々に協力して頂けませんか。好き放題に暴れている『ブルー』を討ち滅ぼして、この国のヒーローになりましょう」

 『グリーン』は完全に『ブルー』と敵対する道を選んだということらしい。となれば、彼女達は敵対組織である『レッド』や『ラビット』と目的を共にするということになる。『レッド』に協力を依頼するのは、自然な流れなのかもしれなかった。しかも水面のAIは、『レッド』が喉から手が出る程欲している『ブルー』の情報を全て持っている。『レッド』からすれば、『グリーン』の要請を受け入れてもなお余りある程、魅力的な申し出となる。

「今、ネットを中心に”『ブルー』は弱い者いじめをする話の通じない暴虐非道な組織”という世論に傾いています。『レッド』が被害者である我々を助けてくれれば、そちらさんを支持する者も大勢増えるでしょう」

 やよゐは、たまか達へと僅かに身を乗り出した。声を落として、囁く。

「……この組織は、弱者を見捨てるような方達の集いではないですよね」

 まるで、断ればこちらが悪者になるような言い様だった。現に『レッド』が断れば、『グリーン』はそのように周りに触れ回るのだろう。

(やよゐさん、技術を人のために役立てることを願っている、平和主義なお方かと思っておりましたが……。そういえば最初に訪ねてきた時も、他二組織が既に導入していることを盾に購入を迫ってきていたんでしたね)

 最初に過剰な程警戒していたのは、やよゐのその狡猾さを見たからでもあったのを忘れていた。やよゐは話せば話す程、たまかと同じように平和を愛しているように見えていた。あまりにも乖離があったため、すっかり最初のイメージが頭から抜け落ちてしまっていた。しかし彼女は、もともとこういう手を使ってくる人物だった。それを最悪な形で思い出す羽目になってしまった。たまかが顔を強張らせたのを見て、やよゐは水面を示すように彼女へと視線を投げた。

「『レッド』にとって、メリットしかない取引ですよ? もともと『ブルー』は敵対組織で滅ぼす相手だったでしょうし、人を傷つけてまわる乱暴者はいなくなり、その上で強力な情報源を手に入れられ、さらには皆から感謝されるスターにもなれるんです! 勿論、購入後のAIの使い道に口を出したりはしません。修理するのはこちらなので、自爆要員や憂さ晴らしに使って頂いても——」

(いい加減に……!)

「お引き取り下さい」

 たまかが叫び出しそうになった時、部屋に毅然とした声が響き渡った。短いながらも、その語気は強かった。やよゐの言葉に被せるように発せられた声に、やよゐも水面も驚いて呆けた顔を向けていた。たまかもゆっくりと声の主を振り返った。視界に現れた林檎は、珍しくその顔から笑みを消していた。真っ直ぐとやよゐを見つめる視線は鋭い。周りの『レッド』の少女達は、そんな林檎の様子に大層驚いているようだった。彼女が口を挟んで誰かの言葉を遮るなど、滅多にないのだろう。

「我々は縹のAIに頼る程落ちぶれてなどおりません。必要な情報は全て我々の手で収集致します。ですから、あなた方に味方するメリットなど何一つございません。……縹がいれば、こちらが首を縦に振るとでも?」

 林檎は冷たい視線をやよゐへと投げた。常に淡々としている彼女には珍しく、その瞳には何かしらの感情が透けているように見えた。桜も灯も茜も、そしてたまかも、そんな彼女を目を丸くして見つめていた。いつも優雅な振舞いを崩さない彼女が、端々に感情を滲ませている。たまかの頭の後ろで、やよゐと水面も驚いたように固まっていた。水面が表情を戻すと同時に林檎を映す瞳を細めた時、横のやよゐが顔を引き攣らせながらも声を張り上げた。

「いいんですか、縹という有用な駒をみすみす逃してしまって。……もし取引を断るのなら、そちらさんは『ブルー』と同じ道を辿り、地に落ちることになりますよ」

 語勢を強めて問いかけた後、やよゐの瞳は前リーダーから現リーダーへと向けられた。答えを求める視線は鋭い。その顔はどう答えるのが賢い選択かわかっているだろうなと訴えかけているように見えた。ずっと口を結んでいたたまかは、その視線を受けて重い口を開いた。威圧するような視線に怯むことなく、毅然と彼女に立ち向かう。

「……『レッド』はその取引をお断りします。水面さんのAIを購入することはありませんし、『ブルー』を滅ぼすことに手を貸すことも出来ません」

 たまかの凛とした声は、部屋に響いた。本当は言いたいことは山ほどあったが、せっかく林檎が介入したお陰で感情的になることを避けられたのだ。最後まで『長』として振舞い通すべきだろう。やよゐはぐ、と歯ぎしりをした。

「本当にいいんですか? 縹のAIなんて情報の宝庫、今後手に入れるチャンスは二度とありませんよ」

「はい。『レッド』は何があろうと水面さんのAIは買いません」

 きっぱりと言い放つ。たまかの真っ直ぐな視線には、意思の強さが表れていた。

「……」

 たまかの顔は既に決断を終えているもので、何を言っても響かないであろうことが一目瞭然だった。だからなのか、やよゐはそれ以上反論することをやめて、小さくため息を漏らした。

「まあ……そうですよね」

 しゅんと肩を落として呟かれた小さな声は、誰かに向けたものではないようだった。その後気を取り直すように顔をあげると、やよゐはたまかへと不本意そうにしながらも口を開いた。

「気が変わりましたら、またご連絡をください。縹のAIは、『レッド』のためにしばらくとっておきますから」

 やよゐは最後にそう言い残すと、御座なりに一礼した。『レッド』を後にしようと、肩から垂れたレース布を翻して背を向ける。勿論見送りはない。隣の水面が、やよゐの横顔を見てにやりと口端を歪めた。

「水を掛けられた後にこれか、お前も大変だな」

「帰りますよ」

 やよゐは唇を尖らせ、水面に窘めるように言葉を投げた。水面は肩を竦め、さっさと歩き始めた深緑色の背中に続こうとした。たまか達に背を向けるほんの一瞬、水面は密かに林檎へと視線を投げた。林檎も水面へと視線を向けていた。二人の目が合う。水面はすぐに背を向けてしまい、やよゐに続いて部屋を出て行った。その御太鼓の結ばれた背中を、林檎はいつまでも見つめていた。その顔には、何の感情も浮かんでいない。しかし水面の姿を追い掛ける瞳は、何か言いたげに細められていたのだった。

「縹のAIですか……正直、少し興味はありましたが……」

 来客が去って静寂を取り戻した部屋で、桜がそう口を開いた。そして、たまかへと顔を向ける。

「たまかさんは絶対に断るだろうと思っておりました」

「……」

「たまかさんはAIに否定的でしたからね。あの扱い方は、たまかさんの意に反するでしょう」

 たまかは僅かに眉を下げた。

「良くない選択でしたか?」

「いえ。決断が早いようには思いましたが、手を貸さずに正解だったかと思います。それに、きちんと『レッド』のリーダーらしく断れていたかと」

 桜は労うように称えたあと、苦笑を漏らした。

「いつたまかさんが怒り出すかと内心気が気でなかったのですが、朱宮さまがフォローしてくださったお陰で面目を保てましたね」

 桜のキラキラとした尊敬の眼差しの先を追い、たまかは林檎の横顔を眺めた。彼女はやよゐ達が去った方へと向け続けていた顔を、桜とたまかの方へとあげた。その顔に感情は浮かんでいなかった。大きな双眸が見上げるのを、たまかは読むことの出来ない彼女の心の内を考えながら見つめ返した。

(林檎さんがあそこで口を挟んでくれたのは、私がやよゐさんに食って掛かりそうだったから……)

 実際、たまかが叫び出す寸でのところだった。状況的に考えれば、桜の言うようにたまかのフォローをしてくれたのだと考えられる。それこそ『レッド』の長に辛辣な言葉を浴びせられて追い返されたとなれば、『グリーン』はそれをネットで声高に叫んでいただろう。『グリーン』との今後の関係性が崩壊するのに加え、周りからどんな目で見られていたかわからない。

(ですが、先程の林檎さん……様子が普段と違ったような……)

 いつも余裕があり冷静で落ち着いている彼女が、コントロール出来ない程の感情を滲ませているように感じられた。しかし水面のAIがぞんざいに扱われて、林檎が感情を高ぶらせる理由はないはずなのだ。林檎にとって水面は敵対組織の長であり、学生時代に仲が良かった記憶もない。つまりAIにとって、水面は憎き敵のはずだ。水面のAIを取引条件に使われたとしても、何も思う所などないだろう。

「……」

(あれも演技の一部でしょうか? それとも……もしかして何か、重要なものを見落としているのでしょうか)

 残る違和感、しかしその正体はわからなかった。たまかは頭を捻っていた思考を切り上げ、こちらを見上げる人形のような顔へと微笑んだ。

「ありがとうございました、林檎さん。私の代わりに声をあげてくれて」

「……」

 林檎は淡く笑みを浮かべて、たまかへの返事と代えた。彼女はすぐにたまかから顔を逸らすと、既に消えた来客の影を追うように、二人の去った方へと顔を向けた。感情の見えない横顔、しかし彼女は頭の中で何やらいろいろと考えているようだった。

「……さて。『グリーン』も動き出したようですし、少々情勢が変わりそうですね」

 桜の言葉に、たまかはそちらへと顔を向けた。

「我々にしたように、『グリーン』は数多の組織に協力を要請するでしょう。『ブルー』と敵対している組織ならば、断る理由もありません。それに今は『ブルー』に厳しい目が向けられていますから、『ブルー』ともともと敵対していなくても協力する組織は多いかもしれません。加えて『グリーン』はAIという強力な商品を抱えていますし、それを目当てにする組織も多いでしょう。『ブルー』はますます孤立を深めるでしょうし、他の組織と違ってAIを使えないデメリットも響いてくるかもしれません」

 桜の言葉に、茜がたまかへと問うように顔を向けた。

「協力を断ったんだし……『レッド』はこのまま静観といくのか?」

 たまかは返事に窮し、視線を下げた。

(水面さんの死の真相がわからない以上、どう動くのが正しいのでしょうか……)

 『グリーン』とAIに対して、たまかはいい感情を持っていない。しかし『ブルー』の言っていることに信憑性もなく、『グリーン』が悪いことをしていると決めつけるわけにもいかない。水面を失った『ブルー』を滅ぼすことも、逆に肩入れすることも、今の暴走する『ブルー』を見ていると難しいように思う。一方で『グリーン』と敵対するとなると、故人のAIを手放さなければならなくなり、桜や灯を見ている限り内部の同意を得るのは厳しそうである。

「そうですね……今は動くことは難しいでしょう」

 今たまかに出来ることは、『ブルー』と『グリーン』の衝突で出た怪我人を治療することだけだ。水面の死の真相が不明な以上、どちらが正しいのか部外者にはわからない。しかし、どうにももやもやとした思いが胸に燻る。大切な友人の命が軽んじられ、道具に変えられてもどうすることも出来ない。もどかしさと無力さ、悔しさと不甲斐なさ。たまかは暗く沈んだ顔を伏せた。

「まあ、何もしなくても『グリーン』は『ブルー』が潰すだろうし、『ブルー』はこのまま自滅しそうだし、結局息を潜めているのが一番なのかもな。私らが気にするべきは、AIのメンテナンスのあてくらいか」

「あの……、『グリーン』と敵対はしませんよね」

 ずっと黙っていた灯が、堪え切れなかったようにたまかへと尋ねた。いつも穏やかな顔は、今は眉尻を下げている。恐らく灯の頭に浮かんでいるのは、梅なのだろう。

「……」

 桜もそっと林檎へと視線を向けた。二人の顔は、大切なものを失うのではないかという不安と焦りが覗いていた。あるいは彼女達は、内心では『グリーン』に手を差し伸べた方がいいとすら思っているのかもしれない。

 たまかは何も言えず、視線を下げることしか出来なかった。そんなたまかを、林檎は静かに見つめていたのだった。




 定例三者会談の日がやってきた。三組織の長が集まるはずがないとわかっていながらも、たまかは健気に会場へと足を運んだ。当然、『ブルー』の薄群青色の制服はその場に現れなかった。水波のあの様子では、今後はもう三者会談が実現する日は来ないかもしれない。それを察している姫月も、わざわざ足を運んだりはしないだろう。人けのないだだっ広い部屋の入口に立ち尽くし、たまかは一人悲し気に俯いた。水面と姫月と少しずつ歩んで実現させてきた、平和への道。苦心して積み上げてきたものが、あっけなく崩れて絶たれてしまったように感じた。

(もう三組織で顔を合わせて話し合いをするなんて、出来ないのでしょうか……)

 誰も傷つかない、平和な世界が遠のいていく。大事な友人を喪い、やって来たことも無に帰し、『ブルー』を中心として大規模な抗争が勃発しようとしている。それでも、たまかに出来ることは何もない。たまかは自分の無力感に打ちひしがれ、思わず顔を歪めた。

 その時、開け放したままだった扉の奥で高い音が鳴った。エレベーターの到着音だ。たまかは顔をあげて、ショートカットの髪先を揺らして振り返った。厚い靴底の音が廊下に響いている。やがて姿を現したのは、黒白のフリルに身を包んだ兎だった。いつものレースを垂らしたミニハットを揺らし、桃色と紫色のメッシュの入ったツインテールの先を靡かせている。星と月のフェイスペイントの上の双眸が、たまかを捉えた。姫月はたまかの後ろまでのんびりとやってくると、足を止めた。そして、「よっ」という軽い掛け声と共に、レースに包まれた右手を掲げた。まるで教室で友達がいるのを見つけた時のような、気軽な挨拶。いつも通りの彼女に、たまかは固まっていた表情を緩めた。力が抜けるのと同時に、なんだか酷く安堵した。たまかと同様、揃わないと知りながらもこの場に来てくれたことが、この上なく嬉しかった。

「始めようか。どうせ『ブルー』の奴は来ないでしょ」

 姫月は突っ立ったままのたまかを追い越し、三つの椅子が囲むテーブルへと向かった。その内の一つへ、パニエにより膨らんだスカートを潰して座る。たまかを待つように視線を向けられ、たまかもテーブルへ走り寄って隣の椅子へと座った。残った一つは、空席だ。前回までは水面が座っていた席だった。

「実は、『グリーン』が水面のAIを売りにきたんだ」

 開口一番姫月はそう言いながら、両手を組んで顎を乗せた。レース越しにラメ入りのマニキュアが照明に輝いていた。

「『レッド』にも来ました。……断りましたが」

「うん。うちも頭に来たから、コップの中の水ぶちまけちゃった」

 そういえば水面のAIが水を掛けられたと言っていた。どうやら『ラビット』での出来事だったらしい。

「もし誰かが水面を殺してたとしたら、これも狙いの一つだったんだろうね。腹立つなあ」

 姫月は誰も座る者のいない椅子へと吸い寄せられるように視線を向けた。たまかも釣られてそちらへと顔を向ける。水面はいつも長い脚を組み、胸を張りながらその席に座っていた。ぎこちなさを残しながらも姫月へ言葉を掛け、そして自信に溢れた笑みをたまかへと向けていた。彼女は共に同じ方向を向き、理想の未来の実現に向けていつも協力的だった。今は誰もいない。ポツンと置かれている椅子は、なんだか寂しく見えた。

「んー……。あいつの馬鹿でかい声がないと、やっぱり静かだね」

 普段通りの言葉に反してその声は苦しくなる程切なげで、今にも泣いてしまうのではないかと心配になるようなものだった。たまかがこっそりと姫月を窺うと、彼女は座る人のいない椅子を寂し気に見つめていた。いつも通りに見えて、親友を二人とも喪ってしまった彼女は最早縋るものが何もない状態なのだろう。その横顔はよく見ると、かなり窶れていた。

「誰がやったか知らないけど、水面を返せよ」

 その声は、消え入りそうな程小さかった。たまかは何も言えず、膝の上の拳を握り締めた。こんな彼女の想いを嘲笑うように、周りは水面の偽物を作って売り込もうとしている。しかしそれでも、姫月は水面のAIを断ったのだ。彼女は強いなと、たまかは胸が締め付けられた。

「ああ、ごめん」

 姫月ははっとしたようにたまかへと顔を戻し、長の顔付きへと変えた。そして三者会談らしく、情報の開示を始める。

「水面の死んだ件でわかったことだけど、残念ながら特にはなかった。『グリーン』は着々と協力関係の組織を増やしているけど、水面のAIを断ってからはうちには声を掛けてきてない。『ブルー』の方はうちに仕掛けてくる頻度が増えて、死者も先週とは桁違い。休戦日も無視だし、殺すだけじゃなくて金も奪っていってるみたい。んで、その空気に当てられたのか知らないけど、『ラビット』の皆も嫌に好戦的でね……『ブルー』に比べたら可愛いものだけど、かなり暴れ散らかしてる。うちの言うことも焼け石に水だね」

 姫月は疲れたようにため息を零し、テーブルについていた肘を引っ込めた。そして、真剣な表情でたまかへと問う。

「そっちは? ……何か水面のことで、分かったことはあった?」

 期待の滲む声に、たまかは沈んだ表情で小さく首を横へと振った。情報収集については、『レッド』の得意分野である。しかし水面の件については、ほぼ成果がない状態だった。

「『グリーン』がSNSで『ブルー』に機械を壊されたと言っていること以外、ほとんど何もわかったことはありません。まず、水面さんの死体が見つかった建物は、『グリーン』の所有する建物でした。ただ水面さんが普段からあそこへ通っていたという情報は見つかっていません。また、水面さんが『グリーン』とのトラブルを抱えていたという話もありませんでした。これは不確かな情報なのですが、『グリーン』が大金を手にしたという情報があるので……『グリーン』がどこかの組織と手を組んだ可能性は無きにしも非ず、というところです。ただ、水面さんを絞め上げられる程に戦闘に長けている人物を、どの組織からも探し出せてはいません」

「うーん……やっぱり突然機械を壊し出した理由と、水面を殺せる程の人物が誰なのかってところが引っ掛かるね。たまかは実際に壊れた機械を見たんだよね? 『グリーン』の自作自演の可能性はありそう?」

「……どうでしょう。水面さんの死体が見つかった建物は『ブルー』が警戒を強めていて、近づくことも出来ないんです。あの時一瞬だけ見た感じでは、機械を見ただけでは壊した人物の特定は難しそうでした。水面さんの死体も全身を見ることは出来なかったので、手にしていたものがあったのかも不明です」

「となると、『グリーン』が嘘をついてる可能性も考えた方が良さそうだね」

 たまかは険しい顔で小さく頷いてみせた。

「そうですね……。ただいくら『グリーン』が偽りの状況をでっち上げようが、『グリーン』の方に水面さんを殺すだけの力はないはずです。それに機械を壊したのが水面さんじゃなかったとしても、『グリーン』の所有する建物にいたことは事実なので、水面さんから何かしらの行動を起こしたのには違いないんですよね」

「水面が『グリーン』を襲撃しようとしていたってことはないんだよね?」

「そうですね、そういう兆候は見られませんでした。『ブルー』の方から話を聞くことは出来ていないので、内々でそういう話があったのなら別ですが……」

 AIに肯定的だった水面が、『グリーン』を潰そうと動いていたとは考えにくい。『グリーン』を傘下にしたり乗っ取ったりしようと動いていたのなら、周りに他のメンバーの死体がなく水面ただ一人だけ死んでいた理由がわからない。

「ううん……。『ブルー』は『グリーン』を完全に敵視して暴れ回ってるけど、その辺りの真相はわかってやってそう?」

「そうは見えないですね。ただ、『グリーン』と『レッド』が殺したと完全に決めつけているようなので、そこには何かしらの根拠がありそうです。完全に『レッド』を敵視しているため、詳しいところは探れていませんが……」

 姫月は黒いレースに包まれた手を顎にあて、悩まし気に唸った。

「水面の謎の行動、殺した犯人は不明。手掛かりもなし」

 沈黙を挟み、声量を下げる。

「こういう時、林檎なら……」

 姫月は長い睫毛を震わせて瞳を僅かに伏せ、今は亡き友人の名前を口にした。彼女が生きていれば、謎の多い水面の死にどのように立ち向かっていただろうか。姫月はふと顔をあげた。そしてたまかへと問いかける。

「ねぇ……林檎のAIは水面の死について、何て言ってるの?」

「え?」

 たまかは突然の問いに、目を瞬かせた。それから、彼女の様子を思い起こしながら答える。

「基本的に私の顔を立てるのに徹してくださっているので、林檎さんから何かアクションを起こしたりはしていません。いろいろと考えてはいるようですが、情報が少なすぎて林檎さんでも真相に辿り着けていない感じがあります」

 そして言いにくそうに視線を泳がせた後、おずおずと続ける。

「……あの林檎さんは『グリーン』の作ったAIですから、姫月さんや水面さんと仲が良かった情報はインプットされていません。水面さんが死んだことについても、因縁の敵対組織の長が死んだとしか思っていないはずです。ですから、この件に関してもドライな感情しか持っていないと思いますよ」

「……うん」

 姫月は力無く答えた。「それでも」、と続ける。

「水面を殺したのが誰かは、情勢を掌握する上でも重要な情報だ。例えAIでも、林檎ならどうにかして真相に辿り着くはず。本来の林檎と熱量は全然違うだろうけど……」

 姫月は机の上で、レースに包まれた手を握り締めた。

「やっぱりAIはAIだね。林檎が生きてここにいたとしたら、何がなんでも水面の死を究明していたはずなのに。顔には出さないけど、うちらのことが大好きで仕方なかったんだから。……うん、あいつならきっと……」

 小さな声で何やらぶつぶつと呟くと、姫月は握った拳にさらに力を込めた。

「林檎のAIがやらないって言うなら、うちが……」

 姫月の目は、どこか遠くを見ているようだった。全く解明されることのない、水面の死。このままでは姫月が何か無理をしてしまうのではないかと、たまかは気が気でなかった。

「たまか。林檎のAIにも、水面の死について訊いてみてほしい。所詮AIはAIだろうけど、生前と同じ思考をするんなら、あいつが考えることには何かヒントがあるはずだ」

 林檎の頭脳を信頼しているのだろう。彼女ならば真相に辿り着けると、姫月は確信しているようだった。共に過ごしてきた日々が、それを証明しているのかもしれない。姫月の言葉に、たまかは彼女を心配しながらもぎこちなく頷いてみせた。

 『ブルー』も『グリーン』もこの国の情勢も、そして『ラビット』までも、水面の死をきっかけに今や目まぐるしく動き始めている。そんな中、一人停滞することを選んだ『レッド』。

(このままで……いいのでしょうか)

 こうしている間にまた大切なものを失ってしまうのではないかという、言い様のない恐怖が胸に渦巻く。かと言って、『レッド』が動くにはあまりにも情報が不足している。たまかに今出来ることは、何もない。友人の死を前に、ただ情勢を見守ることだけしか出来ない。

(水面さん……)

 たまかは空席へと密かに視線を向け、眉尻を下げたのだった。




 姫月の去った、定例三者会談の会場。人けのないしんと静まり返ったエレベーターホールに、高い音が鳴り響いた。開いた扉から現れたのは、薄群青色の制服。アイボリーのふわふわとしたハーフアップショートカットヘアーを揺らし、長身が現れる。いつものにこやかな笑みは、少しばかり疲れが滲んでいた。

「やっほー、たまかさん」

 心なしかその声には覇気がないように聞こえた。それでもたまかを思って笑い掛けてくれる姿に、たまかはほっと胸を撫で下ろした。

「椛さん。……無事でよかったです」

「うん、まあいろいろあったけど元気だよ」

 二枚歯を響かせ、椛はたまかの正面へと来て足を止めた。暴走している『ブルー』は、『グリーン』以外にも手あたり次第に他組織を襲っているようだった。内部も統制を欠いているようで、『ブルー』は日々多大な死傷者が出ているようだった。椛の安否を案じていたため、こうして姿を見せに来てくれただけでも非常に嬉しかった。……そして、彼女がこの場に現れたことは重要な意味を持っている。

「水面さんが亡くなって……『ブルー』は混乱を極めていることでしょう。協力関係にあった組織まで含めて、手あたり次第に殺してまわっていると聞きましたよ」

「うん、なんだか皆、怒りのままに動いている感じ。……どこから話そうかな」

 椛は笑みを消して、悩まし気に視線を逸らした。『レッド』は最大限に警戒されていて、『ブルー』の情報を探るのに大分苦労している有様だ。しかしなかなか掴めずにいる『ブルー』の内部情報を、目の前の彼女は全て握っている。『レッド』にとっての情報の宝庫、そして『ブルー』を探る唯一の希望が椛なのだ。林檎はまさにこのような時のために彼女をスパイに遣わしたのだろう。

「まず、縹が突然……本当に突然、死んだって連絡が入ったんだ。何処かに襲撃に行くとか、誰かと会うみたいな話も全くなかった。手強い相手とトラブルになったって話もなかったし、何の前触れもなく本当に急な出来事だった。私は死体を確認出来ていないんだけど……たぶんその情報は真実だと思う」

「死体は私が見ました。水面さんが死んだのは、間違いありません」

「そっか、たまかさんが……なら確定だね。死体を見た人達が明らかに錯乱してたから、工作の可能性は低いと思ってたんだけどね」

 椛は付け足して、話を続けた。

「その後、水波が新しいリーダーについた。水波はたまかさんも知ってるよね。水波は縹が『グリーン』と『レッド』に殺されたって主張していて、縹の仇を討つことしか頭にないみたいだった。怒りに支配された彼女主導のもと、『ブルー』は『グリーン』のアジトを襲撃しに行ったんだけど。……どうやら、嵌められたらしいんだよね」

「嵌められた?」

「そう。たまかさんも現れたって聞いたけど、知らない? 囮の建物に誘い出されて、罠を使って殺されたの。表向きはそうは見えていないけど、『グリーン』も『ブルー』への殺意に溢れているみたい。縹が『グリーン』の機械を壊したことが発端とか言われているけど、縹が何で『グリーン』の機械を壊したのか、正直私達も分かっていない状況だよ」

 椛は苦い顔で肩を竦めた。『ブルー』は怒りのままに暴れ散らかしているが、状況を全て理解した上で行動しているわけではないらしい。

「それで、翌日に『グリーン』から和解の申し入れがあったの。縹のAIを提供するから、矛を収めて欲しいって」

「……」

 『グリーン』が『ブルー』を訪れたという情報は、たまかの耳にも入っていた。たまかはその時の『ブルー』の者達の胸中を考え、表情を曇らせた。

「水波はそれを断ったんだ。あの子は『グリーン』と『レッド』が縹を殺したって信じているからね、和解なんて出来るわけがない。それからはどの組織も信用ならないって言って、手当たり次第に殺しまわってる。怒りを発散しているのもあるんだろうけど、目的は全部『グリーン』を滅ぼすため。実は『ブルー』のお金や武器がごっそり消えててさ。『グリーン』の管理システムを使ってたから何かされたんだと思うんだけど、お陰で他から調達しないといけない状況なんだよね。で、協力関係の組織からも物資を奪ったり襲ったりしたから、今やどこも『グリーン』についちゃって、食糧の取引先さえも失ってる状況なの。『ブルー』はもうほとんど孤立してると言ってもいい。でも有り余る強さがあるから、それでいろいろと殺して奪って脅してなんとかやっていってる感じだね。現状の説明はこんなとこかな」

 椛は一度息をつくと、遠い目をして再び口を開いた。

「『ブルー』は何よりも『グリーン』を滅ぼすことを第一に掲げているんだけど、なかなか『グリーン』の新しい拠点が見つからなくて。どうやら今までとは違うビルに移ったみたいなんだ。『グリーン』の奴を見かけたら拷問して訊き出せってお触れが出てるんだけど、メンバーも全然見つからないし。だから今はとにかく、縹の仇を討つのに備えて他を殺して奪ってまわってる。……なかなか『グリーン』を滅ぼせなくて苛立ちが募っているのか、内部もかなりゴタゴタだよ。水波は縹の精神を引き継いだリーダーで強さも申し分ないけど、縹が突然死んだ不自然さが疑惑を呼んだり、いつまで経っても仇を討てない体たらくに嫌気が差したりしている子もいるみたい。AIを完全否定しているから、故人のAIに依存していた子も離れていったしね。小さな跡目争いを経て水波がリーダーになったんだけど、まだまだ分裂や反乱は起きそうだね」

 いつも調子のいい顔にも疲れが滲むのもわかる気がした。大分苦労しているらしい。

「そうだ。……『グリーン』は『レッド』にも縹のAIを売り込んだんだよね。縹は機械を壊した理由について、何か言ってた?」

 予想外の質問に、たまかは目を丸くした。

「え……『レッド』にも売りに来たこと、知っていたんですか?」

(『ブルー』は情報に敏感な組織ではないのに……どこから耳にしたのでしょう)

 椛は何でもないように頷いた。

「うん。『レッド』と『ラビット』が縹のAIを買ったって、皆怒り狂ってるよ。それでさらに二組織への敵視を強めてる」

 たまかはその言葉に顔を青くして、首を振った。

「え、それは誤解です。『グリーン』が売り込みに来たのは本当ですが、『レッド』も『ラビット』も水面さんのAIを買ってなどいません」

「あ……そうなんだ。まあ、たまかさんが買うわけないだろうなとは思ってたんだよね」

 椛は『ブルー』に残してきた顔を思い浮かべるように、眉間に皺を寄せた。

「ただ、『ブルー』は二組織が縹を買ったと思いこんでるよ。それこそもう修復は不可能だろうってくらい憎んでる」

「……」

 誤解が誤解を呼び、『ブルー』の『レッド』への憎しみは今や天よりも高く積み上がっている。自分達の尊敬する大将のAIを政治利用のために死後即座に買いつけるなど、情を大事にする『ブルー』からしたら人でなし以外の何者でもないだろう。もしかするとこのために殺したとすら思われているかもしれない。もともと『レッド』と『グリーン』が殺したと確信しているような素振りだったため、認知バイアスがかかった彼女達には『レッド』の行動は全て敵対行為に見えているのだろう。対話で解決できる段階は、もうとっくに過ぎているのかもしれない。

「『レッド』は水面さんを殺していないというところから、誤解を解かなければいけませんね」

 部外者は深入りするべきではないと姫月は話していたが、そうも言っていられない気がする。このままでは、何をしても全てが裏目に出てしまう。たまかの言葉には、焦りが滲んでいた。

「……やっぱり、『レッド』は縹殺しに関与していないよね?」

 椛がたまかの言葉に反応し、念を押すように尋ねた。椛にまで疑われるとは思っていなかったたまかは、その言葉を即座に否定した。

「『レッド』は一切関与していません。水面さんを殺すなんて、ありえません……!」

「うん、そうだよね。……やっぱりおかしいな」

 椛は訝し気な様子で眉を顰めた。首を傾げたたまかへ、椛は険しい顔で口を開いた。

「水波は、『ブルー』のアジトで朱宮さまのAIと会ったって言ってるんだ」

「……え?」

 たまかはぽかんとしたまま、椛と見つめ合った。彼女の顔は真剣で、冗談を言っているような様子ではない。

「林檎さんの、……AI?」

「そう、縹の部屋で会ったらしい。縹が朱宮さまのAIを隠していたって水波は主張してるんだ。実際にその目で見た、って」

 予想だにしなかった言葉に、たまかは困惑を隠せなかった。

「いつですか?」

「会ったのは縹が死ぬ数日前みたい。朱宮さまのAIが殺したと思ってるみたいだから、縹が死んだ日もアジトにいたことになるね」

「そ……それはおかしいです。林檎さんのAIはずっと『レッド』にいましたし、私が水面さんの死体を確認した日も『レッド』で私を迎えてくれました。長時間留守にしていたような話は聞いていません」

「うーん……? じゃあ、水波が嘘をついている? でも、そんな風には見えなかったけどなあ……」

 不可解だと言うように、椛は小さく唸った。

(林檎さんが……? 一体どういうことなんでしょう)

 『レッド』が水面を殺したと水波が思いこんでいるのは、『ブルー』内部で林檎を見たからなのだろう。恐らく、たまかが林檎に水面を殺しに行かせたと思っている。……水波の話が本当ならば、だが。

(『レッド』を犯人に仕立て上げたいが故の出任せの可能性もありますが……水波さんの様子を思い返すと、とても嘘のようには思えません。……水波さんの見間違いでしょうか?)

 林檎が『ブルー』のアジトまで出かけていたとしたら『レッド』を長時間留守にすることになるため、流石に誰かが不在に気が付くはずだ。しかし、そんな報告は聞いていない。

「あり得るとするなら……朱宮さまのAIが二人存在する場合かな。そうすれば『レッド』の主張と水波の主張が同時に成り立つ。可能性はありそう?」

「限りなく低いと思います。『グリーン』は死者の所属していた組織の許可なくAIを作りませんし、許可した覚えも作ったという報告も聞いていません。『ラビット』は外見だけ似せたAIを作らせていたようですが、『ラビット』が絶好のおもちゃを『ブルー』に譲るとも思えません。そもそも中身が汎用AIならば、水面さんを殺すことなど出来はしません」

「その線がないとなると、水波の出任せか、もしくは見間違いだね。嘘をついていそうには見えないから、見間違い説が濃厚かも」

「……見間違い……」

 なんだか引っ掛かる。見間違い一つで、あんなに憎悪を向けられるものなのだろうか。殺気だった彼女の顔を思い起こす。たまかは眉間に皺を寄せ、さらに尋ねた。

「水面さんの部屋を調べてみたりはしたんですか?」

「うん、誰も気にしていなかったから、私がそれとなく誘導して皆で見てみたよ。勿論だけど、朱宮さまのAIなんていなかった。部屋の中も見てみたけど、朱宮さまがいたような痕跡は見つからなかったね。部屋は荒らされた様子もなかったし、手掛かりや縹が遺したようなものもなかった。綺麗な状態だったよ」

「……ほかに林檎さんのAIを見た方はいらっしゃらないのですか?」

「そうだね、水波以外誰も見たって子はいない」

「……うーん……」

 水波が『レッド』のせいだと決めつけていた理由はわかったが、林檎のAIがいたなどやはり信じられない。証拠が全く出て来ないことからしても、出任せか見間違いのように思えてしまう。

(ですが……)

 たまかにはそう切り捨てることは出来なかった。水波と顔を合わせた時に身に染みて感じた、彼女の抱えきれない程の感情の熱量。そもそもたまかには、水面と一緒で彼女は嘘が得意でないように見えていた。出任せを言って周りを嵌めるような姑息な頭脳戦をする印象もない。水波と接して交流を深めてきたからこそ、たまかにはどうしても嘘や勘違いとして片付けることが出来なかった。深まる謎に、たまかは別の角度から探ることにした。

「では……水面さんが亡くなった時、周りに林檎さんの姿はなかった、ということでしょうか? それなら、水波さんの話がおかしいと皆さんも気が付いたのでは?」

「いや……それが、縹が死んだところを誰も見てないんだ」

「え」

 たまかは目を丸くして声を漏らした。椛は今にもため息を漏らしそうな様子で話を続けた。それも彼女の頭を悩ましている要因の一つなのだろう。

「縹は死体として発見された建物に、誰にも告げることなく、一人で向かったみたいなんだ。だから、死んだ時に居合わせた人間は誰もいない」

「一人で? いつも皆で一緒に行動する、『ブルー』がですか?」

「うん。最近は抗争への参加頻度が減っていたとはいえ、縹が一人でどこかに乗り込むなんてかなり珍しいことなんだけどね。縹の姿が見えないって言うんで『ブルー』の皆で探し回って、ようやく死体が見つかったって状況だったの。だから縹が何で死んだのか、どうやって死んだのか、誰一人知らないんだ」

 予想していた状況と大分異なるようだ。たまかは暴れ狂っている『ブルー』の少女達を脳裏に過らせながら、肩を落とした。

「『ブルー』の皆さんも、ほとんど何の手掛かりもない状態だったんですね……」

「そう、だから水波の話しか有力な証言がない状況なんだよね。『グリーン』と『レッド』が縹を殺したって言われたら、皆信じるしかない。まあ違っていたとしても大将が言うことが絶対みたいな文化だから、『ブルー』の奴らには真実なんて関係ないんだろうけどね……」

 椛は苦笑を浮かべた。たまかの頭に浮かんだのは、水面の仇を取ろうと必死になっている水波の顔だった。

(それでも……水波さんはきっと、水面さんを殺した本当の犯人を知りたいはずです)

 彼女は何が何でも水面の仇を討ちたいはずだ。水波にとって水面は、誰よりも尊敬し崇拝する人物だったのだから。たまかが水波の部屋に泊めて貰った時、彼女は大事な宝物を披露するかのように水面について話していた。例え水面の見ていないところでも、彼女はその忠義心を貫き通していた。水面のことを心から尊敬していることが伝わる、柔らかな表情を思い起こす。

(ですがこのままでは……水波さんは水面さんを殺した人物を誤解したままです)

 少ない手掛かり、そして強い憎しみに突き動かされるまま突っ走る水波。このままでは『ブルー』が『レッド』は関与していないと気付く時は来ないのかもしれない。彼女に水面を殺したと思われるのは辛く、また彼女が真犯人に辿り着くことがないかもしれないことも悲しかった。

「……林檎さんと見間違えたものが何なのか、そして水面さんが死んだ状況についてわかれば、誤解が解けるでしょうか」

「どうだろうね。どちらも証言が無さすぎて、特定は難しいと思う。そもそも『ブルー』にその辺りを探る気がないからね」

 椛は肩を竦め、両手をあげてみせた。それから顔を曇らせたたまかに気付き、励ますように明るい声を響かせた。

「私の方で、引き続き探ってみるよ。もう一度縹の部屋を調査して、水波からも話が聞けそうなら聞いておくね」

 椛は笑みを作って、「大丈夫、何か手掛かりが出てきたら伝えるよ」と優しく言葉を掛けた。肩を落としていたたまかも、その声にぎこちなく笑みを浮かべた。仲間の励ましに、小さく頷く。

「……引き留めすぎちゃったかな。たまかさん、帰りのエレベーターを呼んでもいい?」

 椛は話を切り上げると、二枚歯を鳴らしてボタンのもとへと向かった。その御太鼓へ、たまかは「はい」と返事を投げた。ボタンが押され、淡く点灯する。

「……椛さん」

 たまかが名前を呼ぶと、長身が振り返った。ふわふわとしたアイボリーカラーの向こうから、いつもの悠然とした微笑みが現れる。

「『ブルー』は混乱の最中にあります、どうか身の安全に気を付けてください。……『レッド』に戻ってくるのも、一つの選択肢だと思います」

 たまかは心配するように、椛を見上げた。椛はその言葉に、小さく笑い声を響かせた。

「心配してくれてありがと。でも、私は『ブルー』に残って情報を探るよ。私しか出来ないことだし、こういう時のためにいたようなものだしね。朱宮さまはこういう状況を見越して私を『ブルー』に送ったんだ。朱宮さまの帰還指示なしでは帰れないよ」

 冗談めかして明るく笑う。高い音が辺りに響き、エレベーターの扉が開いた。椛はいつものように率先してかごの中に入り、扉を押さえながらボタンを押した。たまかへと振り返り、空いている手で袂を揺らして中を示す。

「じゃあ、たまかさん。また一週間後。今後三者会談が廃止されるなら、また別に落ち合える場所を探そう」

「……はい。ですが、廃止にはさせないつもりです。来週も、必ずこちらに来ます」

「うん、わかった。またね」

 椛は屈託ない笑みを浮かべた。たまかが三者会談の開催に拘り続けるのも、彼女の想定内だったのだろう。たまかはかごの中へ入り、椛へと振り返った。振袖が離れ、扉が閉まっていく。椛はにこやかにたまかへと手を振った。やがて扉が閉まり、彼女の姿はその奥に完全に消えていった。




「林檎さん」

 『レッド』へ帰ったたまかは、真っ先に執務室へと足を運んでいた。もともと林檎の書斎だったこの部屋は、今は臨時的に林檎とたまかの二人の部屋となっている。書類の確認をしていたらしい林檎は、デスクに向かっていた顔をあげた。そこに感情は浮かんでいない。見上げる大きな双眸へ、たまかはぎこちなく問いかけた。

「林檎さんは、『ブルー』に行ったりはしていませんよね」

「……」

 突然の問いにも驚くようなことはせず、林檎は無表情のまま口を開いた。

「そうですね、わたしは基本的に『レッド』を留守には致しません。それは『レッド』の皆さんが証明してくださると思います」

「そうですよね……」

 わかり切った回答だった。たまかは予想通りの言葉を受け、再び質問を投げた。

「水面さん殺しの件……林檎さんはどう考えていますか」

 林檎は一度瞬きを挟んだあと、表情を変えることなく落ち着いた声で問いに答えた。

「入手できる情報が少なすぎて、何とも言えません。縹が『グリーン』の機械を壊した際に、何かしらの事故にあった可能性が一番高いと思います。たまかさんには、違うお考えがあるのでしょうか」

 じっとたまかを捉える瞳、感情の浮かばない顔。たまかは小さく首を横に振ってみせた。

「いえ……私も似たような考えでした。……林檎さんは、水面さんが亡くなってしまったこと……どのように捉えていますか」

 先程よりも長い沈黙が流れた。たまかの問いの意味を量り兼ねているのかもしれなかった。

「……最強の名を欲しいがままにしていた敵対長の陥落は、『レッド』にとって喜ばしいことではないでしょうか」

 淡々とした言葉に、感情は微塵も浮かんでいない。人形のような顔には、悲しみも怒りも見えなかった。たまかは思わず悲しさを表情に滲ませた。

「そう、ですよね」

 目の前の彼女はAIで、記憶には人の手が入っている。例え唯一の友人が死んだとしても、今の彼女には何の感情も浮かばないだろう。本来の林檎であれば、決してそんなはずはないというのに。

「……」

 模倣して作られた存在は、やはりただの偽物だ。そっくりの外見で、本物と全く違う感情を抱く。林檎の姿で水面の死に無関心であるなど、死んだ林檎に対する侮辱であるように感じられた。

「変な質問をしてしまってすみません。何か水面さんの死についてわかったことがあれば、すぐに共有して頂けませんか」

 たまかは俯いていた顔をあげ、明るさを取り繕って林檎へそう声を掛けた。林檎は「わかりました」と言って素直に頷いた。突然の不明な問いに対する怒りも疑問も湧いておらず、いつも通りのように見えた。それにほっとして、彼女へと背を向ける。

「たまかさん」

 部屋を後にしようとした時、たまかは後ろから呼び止められた。林檎を振り返ると、彼女はやはり感情の浮かばない顔をたまかへと向けていた。

「……珈琲を淹れて頂けませんか」

「へ」

「わたしのために」

 突然の依頼に、たまかは目を瞬かせた。混乱した頭のまま口を開く。

「えっと……珈琲、ですか? 紅茶ではなく……?」

「はい、珈琲です。お願いできませんか。急に飲みたくなってしまって」

「か、構いませんが……」

 たまかは疑問で頭を埋め尽くしながらも、なんとか承諾を返した。

(ど、どうして突然……? 林檎さんは基本的に私を長として立ててくださっていたので、雑用を任せられるなんて初めてです。しかも珈琲? 林檎さんはいつも紅茶を嗜んでいるイメージでしたが……)

 しかしたまかはもともとしがない一般人のため、身の回りのことを任されるのに抵抗はない。『不可侵の医師団』でも自分の分のついでに周りの人の分もお茶を淹れることはよくあることだ。たまかは早速珈琲を淹れて来ようと足を踏み出し、そしてすぐに足を止めて振り返った。

「お砂糖の量はどうしますか?」

「ブラックでお願いします」

 この返答にも違和感があった。本来の林檎は甘いもの好きのはずだ。しかし一部の者しか知らないため、その情報もAIにはプログラミングされていないのだろう。たまかは頷き、今度こそ部屋を後にした。扉を閉めて給湯室へと廊下を進みながら、たまかは怪訝そうに眉を寄せていた。

(林檎さんらしからぬ行動です。どうして珈琲なんてお願いしたのでしょう……)

 むむ、と顔を顰める。

(林檎さんは合理主義な方なので、彼女のすることには何かしらの意味があるはずです。ですが、突然珈琲を淹れてもらうことに意味なんて……)

 本当に単に飲みたくなっただけかもしれないが、それならばわざわざたまかに頼まないような気もする。たまかが頭を捻りながら進んでいると、廊下の奥からこちらへと歩いてくる人影があった。『レッド』の紅色の制服に身を包むのは、桜と梅だった。二人は何やら話しながら廊下を歩いていて、そして向かいからやってくるたまかに気付くと小さく礼をした。すれ違う前に、双方とも足を止める。

「戻られていたのですね。おかえりなさいませ」

 桜の真面目な声に、たまかは挨拶を返した。それから、先程の疑問を桜にも尋ねてみることにした。

「あの、つかぬことをお聞きするのですが……林檎さんは生前に、桜さんに珈琲を淹れるよう頼んでいたりしましたか?」

「珈琲……ですか? いえ……朱宮さまは口にするものに最大限注意を払っていましたから、飲まれる時は御自分で淹れていらっしゃいましたね」

 桜の同意を求める視線に、梅もこくこくと頷いた。珈琲を飲むこと自体は生前もあったようだ。

「その時は、お砂糖の量はどうでした?」

「ブラックでしたね。ミルクも砂糖も入れていらっしゃいませんでした」

(本当は甘いものがお好きだったはずですが……ブラックで飲まれていたんですね)

 理由はわからないが、わざわざ好みとは逆に作って飲んでいたらしい。眠気覚ましとしてでも利用していたのだろうか。そんなことを考えていると、桜が僅かに不服さを滲ませて身を乗り出した。

「もしかして、たまかさんに珈琲を淹れるよう朱宮さまがお願いされたのですか?」

「あ……はい」

「わたくしが代わりましょうか?」

 たまかの返事に食い気味に尋ね、桜はさらに身を乗り出した。真剣な表情は少し圧があった。

「いえ、私は手が空いていますし、それに桜さんはどこかに向かうところでしたよね……?」

「……」

 任務のことを思い出したらしい桜は、口を閉じてすごすごと体を元に戻した。そのふくれっ面は、明らかに不満そうだ。自分が林檎から一度も任されたことのないことをたまかが任されていて、羨ましいと同時に悔しいのだろう。

「そうだ、たまかさん。帰ったばかりということは、『グリーン』の投稿についてまだ知らなかったりする?」

 無念そうに拳を握ってふるふると肩を揺らす桜を放って、梅が明るい声で話題を変えた。

「『グリーン』の投稿、ですか?」

「知らないみたいだね。ほら、これだよ」

 梅は制服のスカートのポケットからスマートフォンを取り出し、数回タップするとたまかへと画面を見せた。たまかは顔を近づけて覗き込んだ。

 表示されているのはSNSのようで、投稿者は『グリーン』のようだった。最新の投稿はつい先ほどのようだが、インプレッションやリアクション数は既に数千に上っている。その投稿には、何やら短い動画が添付されているようだった。サムネイルから見るに、画質はあまり良く無さそうだ。

「『縹の死因が判明しました』……、えっ!?」

 たまかは投稿された文を声に出して読みながら、思わず叫んでしまった。『レッド』がどんなに探っても手掛かりが得られなかったというのに、『グリーン』は既に解明を終えていたらしい。しかも『ブルー』よりも先に水面の死の真相に辿り着くとは思ってもいなかった。

「『監視カメラを解析しました』、『縹が機械を壊した際にショートし、不活性ガス消火設備が作動』、『酸素濃度の低下で死亡したようです』、『全て写っておりました』……」

 たまかは心ここにあらずのまま読み上げた後、添付されている動画をタップしてみた。再生が始まる。画質が悪いのは監視カメラの映像のためのようで、水面が死んだ日の日付が隅に表示されていた。画面には部屋が映し出されている。先日『グリーン』が投稿していた、水面が機械を壊している画像と同じ画角だった。映り込む大きな機械、そして筐体越しに見える水面の頭。他には床や机が見えているが、彼女の他には人は誰もいないようだ。水面の頭が激しく揺れており、時折宙を舞う振りの端が筐体の横から見えていた。彼女は機械を殴っているようだ。数回程筐体が揺れたあと、火花が散った。それでも彼女は殴り続けている。やがて画面一面がもくもくとしたものに覆われた。一気に何も見えなくなる。煙は徐々に晴れていき、再び部屋の中が映し出される。その時には既に、筐体越しに見えていた水面の頭は消えていた。筐体の奥に倒れているのかもしれない。破壊された筐体だけが静かにカメラに映り込んでいる……そして動画は再生を終えた。

「……」

 たまかは思わず黙り込んだ。衝撃的な内容だった。死ぬ瞬間は写っていないとはいえ、人が死んだ時の映像を見るのはやはり神経が疲弊する。

(……水面さんはやはり、事故死だったのですね)

 機械は人間の目の届かないところまでも詳らかに記録する。こういう時、機械の有用性が身に染みてわかる。

「たまかさんは縹の死体を見たんだよね? この映像に信憑性はありそう?」

 梅は画面から目を離せないままのたまかへと鋭く尋ねた。たまかはぎこちなく頷いた。

「そうですね……酸素濃度の低下で死亡したのなら窒息死でしょうし、死体の状況とは一致しています」

 『グリーン』の説明と死体から推測した死因に大きな相違はない。つまり水面は『グリーン』の機械を壊しに行って、そのせいで事故に巻き込まれて死んだということだ。『グリーン』の投稿はもう一つあり、『縹は我々を襲った天罰によって亡くなりました。さらに『ブルー』は『グリーン』を虐殺しようとしています。どうか皆さまの力を貸してください』と書かれていた。自分達の無実を証明し、助けを求めるための投稿のようだった。

(映像という動かぬ証拠が出てきた以上、『ブルー』も考えを改めてくれるでしょうか)

 水面が事故死ならば、『グリーン』も『レッド』も水面の死に関わっていないことになる。水波の誤解を解く最大の鍵となるかもしれない。しかしその一方で、水面の死に顔を脳裏に描いたたまかは、陰で顔を曇らせた。

(……ですがそれにしては、死に顔が凄惨過ぎるような気も……。作動時には警告音があったはずですが、逃げる素振りが全くないのも気になります。それほど機械に深い恨みがあったのでしょうか)

 しかし目の前に映像という動かぬ証拠がある。思い過ごしかもしれないと、たまかは変に勘ぐるような思考を振り払った。

「たまかさん」

 梅に名前を呼ばれ、画面から顔をあげる。彼女は真剣な表情でたまかを見つめていた。

「『ブルー』は『レッド』の仕業だと決めつけていたけど、事実無根だったことが公になった訳だし……『グリーン』を助けて『ブルー』に攻め入ってもいいんじゃないかな?」

「へ……」

「だって、『ブルー』は『グリーン』と『レッド』にいちゃもんをつけて好き勝手に暴れてたってことだよ? 野放しにしたら危険だし、報復するべきところだと思う。それに……」

 梅は悲しそうに眉尻を下げた。

「このまま『グリーン』を見捨てたら、きっとAIの提供もしてくれなくなるよ。あたしも勿論そうだし……有用な仲間達や、抗争の要となっている朱宮さまだってここにいられなくなる。それに縹のAIだって、早くしないと処分されちゃう」

 ……処分。要は殺されるということだろう。たまかの胸がちくりと痛んだ。

「たまかさんは『ブルー』の皆を傷つけたくないって言うけど……このままじゃあたし達は死んじゃうよ。……たまかさん、よく考えて。『グリーン』を助けること、そして『ブルー』を討ち滅ぼすことはあたしや朱宮さま、AIの皆、そして縹を助けることに繋がるんだ。有用性を抜きにしても、たまかさんは縹のことも助けたいんだよね?」

 梅の言葉が熱を帯びる。その横で、桜はどこかぽかんとして彼女を見つめていた。

「たまかさんが本当に傷つけたくない人は誰なのか、よく考えて欲しいの」

 『ブルー』の者達をとるか、『レッド』の故人と水面をとるか。まるでそう言われているようで、たまかは返事に窮した。梅は視線を下げて、小さくぽつりと吐露した。

「灯と離れたくない」

 それ以上、梅と視線が合うことはなかった。漏れた呟きは彼女の本心なのだろう。彼女の中には、焦りがあるのかもしれない。『グリーン』の命令一つで稼働を停止させられるかもしれないし、帰還を余儀なくされるかもしれない。そうなれば、彼女にとって大事な人達と傍にいることは叶わなくなる。たまかも悲痛な面持ちで、か細い返事を返した。

「よく、考えておきます……」

 俯いたまま、梅は小さく頷いた。横の桜はたまかと目が合うと、綺麗に一礼をした。梅を連れて、廊下を歩きだす。二人の背中を見送ったあと、たまかは給湯室へと入った。狭い空間で一人珈琲の準備をしながら、先程の情報を頭で整理した。『グリーン』の投稿、水面の死に顔、そして梅の訴え。

「……」

 梅の危惧することもわかる。『レッド』は『グリーン』の要請を断った。今の状況では、『グリーン』がAIの提供を打ち切る可能性は大いにある。それでもたまかは、どうしても『ブルー』を攻めようとは思えなかった。どんな理由があろうとも、この手で誰かを殺すことを命令するわけにはいかない。尊い命を助けるために、たまかは『不可侵の医師団』に所属した。命を自ら摘み取ることなど、絶対にあってはならない。それはたまかの信念であり、決して譲れない根幹を成す部分だ。

 梅の不安を取り除くためには、『グリーン』を支援するという方向性で進めるべきだろう。そうすれば、誰かを傷つけることなく『グリーン』との関係を維持できる。しかし『レッド』を目の仇にしている『ブルー』に、その行動がどのように映ってしまうのかもまた明白だった。そうなれば『ブルー』の暴走はより苛烈を極めるだろうし、『レッド』への誤解もより深まってしまうことになる。梅の不安も理解出来るが、やはり『レッド』が今動くのはリスクが大き過ぎるように思えた。

 考え事をしていると、珈琲を淹れ終わるのはあっという間だった。黒い水面はたまかの顔を映して揺れている。珈琲の芳しい香りが部屋に満ち、忙しかった心がなんだか安らぐ気がした。トレイにソーサーを乗せ、その上にカップを乗せる。たまかはそれを持ち上げようとして、林檎がたまかへ珈琲を淹れるように頼んだ理由が、まだ不明であったことを思い出した。トレイの取っ手へ伸ばしかけた手が止まる。たまかは湯気越しに、珈琲の入ったカップをじっと見下ろした。

(林檎さんは私が毒を混ぜる事がないと信頼してくれているからこそ、任せてくれたのでしょう。それを伝えたかった、とか……)

 信頼してもらえているのは嬉しいが、それをたまかに伝えても何かが変わるわけではない。これは違うような気がする。水面越しに自分と睨めっこをしながら、たまかは考えを否定した。

(直前に話していた内容が関係しているのでしょうか。確か、水面さんの死についてどう思っているかと訊いたあとでしたね)

 彼女は『レッド』にとって喜ばしいことだ、と回答していた。水面や姫月と仲が良かったという記憶のない彼女にとって、その回答は違和感のないものであるようにたまかには思えた。そしてその後、たまかの様子を見ていた林檎は、急に珈琲が飲みたくなったと言い出したのだ。

(……私が林檎さんの回答に凹んでいたから、林檎さんは珈琲を淹れて欲しいと声を掛けたのでしょうね)

 学生時代の記憶のない林檎にとって違和感のない回答ではあるが、本人なら絶対に言わないであろう言葉にたまかは深い悲しみを感じていた。きっと彼女はそんなたまかを見かねて声を掛けた。……珈琲を淹れて欲しい、と。

「……?」

 たまかは不可解な表情をした顔を天へと向けた。白い湯気が消えていき、その向こうに給湯室の白い天井が見えていた。

(全然わかりませんね。えっと、その後は……お砂糖の量をお伺いして、ブラックでと頼まれました。この返答も……もともと林檎さんは甘いもの好きのはずですが、『グリーン』が戦場で掴めるような情報ではありませんから、インプットされていないことに違和感はありません。生前もブラックで飲んでいたようですし……)

 そこで、たまかははたと動きを止めた。見上げたままだった顔を、ゆっくりと戻す。

(考えてみれば……林檎さんの情報って、一体『どこまで』インプットされているのでしょう)

 AIは『グリーン』が一つ一つ情報をプログラミングして作っている。つまり『グリーン』が知り得る情報しかインプットされてはいないはずだ。『グリーン』が知り得る情報とは、戦場で収集出来る範囲のものだろう。故人の再現度が高すぎるとは思っていたが、それは『グリーン』の努力の結晶なのだと思っていた。しかし戦場で得られる情報だけで、口調や仕草、思考や言葉を完璧にトレースすることなど……果たして、出来るのだろうか。彼女達は、一体どこからあの再現性を可能にするような膨大な情報を仕入れていたのだろうか。

(林檎さんが甘いものが好きという情報は付き合いの長い姫月さんが言っていましたし、実際にいちごミルクを飲んでいたのも見たので間違いはないはずです。そしてその情報は、恐らく水面さんと姫月さん、私と……後は知っていたとしても、桜さんのように傍にいたごく一部の人しか知らない情報でしょう)

 林檎は生前、自身の情報を落とさないように振舞っていた。彼女は口にするものを警戒していたと桜は言っていたし、彼女の好みを知っている者は恐らく『レッド』でもいない。

「……」

 たまかは横へと視線を這わせ、ごくりと唾を呑んだ。トレイの横で止めたままだった手を、棚へと伸ばす。中から取り出したのは、スティックシュガーの入った新品の袋だった。封を切り、何本か取り出してトレイの横へと置く。念のため何か仕込んだ痕跡がないか確認した後、たまかはスティックシュガーの先を破いた。

「……」

 漆黒の水面へ、中身を注ぎ入れる。ザーという音とともに、いくつもの細かい白が投入されていった。たまかは空の包みを置き、続けて二本目を破った。同じ様にカップの中に傾けた後、さらに三本目の先を破った。

(林檎さんが甘いもの好きという情報は、極一部の人しか知らない情報です。『グリーン』が手に入れようがない情報。当然、AIにもインプットされていないであろう情報です)

 生前、ブラックで飲んでいたのならなおさらだ。たまかは三本目も四本目も一粒残らずカップの中へと投入した。ティースプーンを取り出し、これも念のために一度洗って拭いてからカップの中へと入れる。ザク、という感触は、最早珈琲ではない別の何かに思えた。ティースプーンをまわし、中をかき混ぜる。しかしいつまで経ってもジャリジャリという音は消えなかった。

「……出来ました」

 たまかはティースプーンをカップから持ち上げた。結局、底に沈む砂糖の欠片は溶け切らなかった。相変わらず漆黒が広がっているが、林檎ならばすぐにブラックではないと見抜くだろう。

(でも、きっと……林檎さんは私がこうすると見越して、珈琲を淹れるよう言ったはずなんです)

 たまかはトレイに手を掛けた。湯気の量が少なくなったのを見るに、あまりもたもたしていると珈琲が冷めてしまう。珈琲と言うには甘すぎる何かを運び、たまかは執務室へと戻っていった。

 林檎はたまかが部屋を出た時のままの体勢でデスクに向かっていた。たまかが声を掛けて執務室へ入ると、彼女はいつもの上品で完璧な微笑みを浮かべて歓迎した。たまかはデスクへと向かい、トレイからソーサーを持ち上げて林檎の前へと置いた。林檎はカップの中を一目見ると、その笑みを満足気に深くした。

「ありがとうございます。いただきます」

 林檎はカップに細い指を掛け、ソーサーから浮かせた。そのまま口元に運び、唇をつける。彼女の小さな喉が上下するのを、たまかはそわそわとして見下ろしていた。

「……」

 カップの中で、漆黒の波が揺れる。林檎はたまかを見上げ、微笑んだ。

「美味しいです。ありがとうございます」

(……!)

 林檎はそれ以上何も口にすることなく、再びカップへと口をつけて珈琲を飲んだ。最早甘すぎて珈琲の味がするのか疑問だが、彼女は優雅にたまかの淹れた珈琲を飲み続けた。

(この林檎さんには……『甘いものが好き』という情報がインプットされています。『グリーン』が知りようもない情報が)

 上品に珈琲を飲む林檎を見下ろしながら、たまかは顔を強張らせていた。

(それなのに、なぜ林檎さんはブラックでと頼んだのでしょう。絶対に気が付いているはずなのに、味についての言及もしません。……『グリーン』が知りようのない情報がインプットされているということを、私に言葉で伝えることが出来ない? 一体どうしてでしょう……?)

 だがこんな回りくどい方法で密かに伝えてきたということは、きっと何か重大な意味を持つはずだ。

「たまかさん、ご馳走様でした。非常に美味しかったです」

 気付けばカップの中は空になっていて、溶け切っていなかった欠片がこんもりと残っていた。林檎は完璧な微笑みを貼り付け、たまかへと礼を述べた。……演技なのか本音なのか全くわからない。

「いえ……喜んで頂けて嬉しいです」

「良ければ、他のものについても考えてみてくださると僥倖です」

 たまかは目を丸くした。林檎は笑みを崩さないままだ。

「紅茶や緑茶や烏龍茶、玉露やほうじ茶……『レッド』には沢山の茶葉を取り揃えておりますので」

 続いた言葉にたまかははっとして、「あ……はい」と曖昧に頷いた。

(他のもの……)

 たまかが思考の海に沈みかけた時、デスクの向こうで林檎が立ちあがった。

「後片付けはわたしが致しますから大丈夫です。『グリーン』が新たな投稿をしたことにより、『ブルー』も動き出すことでしょう。たまかさんをこれ以上拘束するわけにはいきません」

 林檎はたまかへ微笑み、両手を差し出した。たまかはその申し出に甘えることにし、手にしたままだったトレイを彼女へと渡した。挨拶をして一礼すると、たまかは林檎へと背を向けた。部屋を出て、扉を閉める。ドアノブから手を離し、たまかは重厚なアンティーク調の扉を見上げた。

(林檎さんが真に求める世界は、『平和な世界』でした)

 扉越しにいる少女のことを思い、目を細める。

(今の彼女に、その情報はインプットされているのでしょうか)

 たまかは足を踏み出し、カーペットの上を歩いていった。その顔は様々なことを勘案しているように、どこか重々しい表情をしていたのだった。




 ***

 ■Side B




「んなわけねえだろうがよ!」

 スマートフォンが激しく床に叩きつけられ、欠けた破片が飛んで行った。亀裂の入った画面には、『グリーン』の投稿が映し出されている。その上から二枚歯が振り下ろされ、液晶が粉々に砕けて散っていった。

「ふざけやがって……!」

 水波はスマートフォンを踏む足に思い切り力を込めた。ミシ、という嫌な音が下から低く響く。画面は既に何も映しておらず、暗闇だけが広がっていた。

「嘘ばっかり。それに釣られる奴らもゴミばっかりだ」

 隣で青空が悪態をつく。アジトの一室に集った数人の少女達は、『グリーン』の最新の投稿を確認していた。水面が天罰で死んだという文章、そして監視カメラの映像。リプライ欄には夥しい数の『グリーン』への同情と『ブルー』を責める言葉が並んでいる。部屋の者は皆、憤りを隠せずに顔を真っ赤に染め上げていた。

「映像まででっち上げやがって!」

 水波は血が滲みそうな勢いで唇をきつく噛んだ。どこまで水面を侮辱すれば気が済むのだろう。全身を抑えきれない怒りが支配する。

(天罰ってなんだよ。揃いもそろって、縹様を悪者に仕立てあげようとしやがって。縹様は理由もなく機械を壊しに行くような人じゃないって言うのに……)

 水面は仲間が悲しむようなことは決してしない。いつも真っ直ぐに突っ走るため、いやがらせや愉悦で機械を壊したりするような人でもない。それなのに、何も知らない奴らが好き放題に水面を口汚く非難している。反吐が出そうだった。

「でもこの映像、なんで朱宮が写ってないんすかね……」

 『ブルー』のメンバーの一人から漏れた困惑交じりの言葉に、その隣に立っていた少女が素早く反応した。胸倉に掴み掛かり、顔に渾身の一撃を叩き込む。鈍い音が響き、殴られた少女は壁へ吹っ飛ばされた。打ち付けられた体が、ずるずると下がっていく。

「まさかお前、大将の言う事信じてないのかよ!?」

「や、ち、ちがうっす……」

 赤く腫れた頬を庇いながら、殴られた少女は腰をついて弱々しく否定した。……『ブルー』の者は、ここのところ皆殺気立っている。常にピリピリとしていて、些細なことでもすぐに流血沙汰となっていた。

「監視カメラの映像から朱宮の姿だけ消したのかもよ? 『グリーン』の子達、いかにもそういうの得意そうだもの。どうかな、そう思わない?」

 横から椛が宥めるように揉めかけていた二人へと言葉を投げる。仲裁された二人はそれ以上争うことなく、渋々と口を閉じた。椛の言う通り、『グリーン』が映像に細工をして公開したであろうことは想像に難くなかった。水波は握り締めた拳を、抑えきれない怒りを込めて壁へと激しく打ち付けた。項垂れた下で、顔を歪める。

(『グリーン』の奴らに今すぐにでも復讐したいのに、こそこそと隠れてやがるし……くそ)

 『グリーン』のアジトに乗り込んで皆殺しにするはずが、『グリーン』側もそれを読んでいたらしくなかなか新しいアジトを見つけることが出来ないでいた。さらに『グリーン』のメンバー達は無闇に出歩かないようにしているらしく、街中でも全く姿を見ることがない。その上で悪質なSNSの投稿だけは続けているのだからたちが悪い。先日偽の建物に誘い出された件といい、今回の偽映像の件といい、『グリーン』は水面下で着実に『ブルー』へ攻撃を仕掛けにきている。しかし世間はネットの情報を鵜吞みにして、『ブルー』にばかり厳しい目を向けている。今や『ブルー』と協力関係にある組織は、一つもなくなってしまっていた。『グリーン』のシステムを通じて奪われた武器や金を補充するため、手あたり次第に襲撃して巻き上げ、さらに傘下の組織からも強奪を繰り返していたのも良くなかったらしい。しかしそうまでしても、準備を万全にしておかなければならなかったのだ。水面の敵討ちこそが、今の『ブルー』や水波の悲願でありすべてなのだから。味方を失ってまで敵討ちの準備を進めてきたが、殺しに行く相手が一向に姿を現さないまま時が経ち続け、最早『ブルー』の者達は発散出来ない膨大な怒りを押しとどめることが出来なくなっていた。日々募るばかりの憎しみと焦燥感。……これでは水面に顔向けできない。

「失礼します」

 突然部屋の扉が開け放たれ、闖入者が声を張り上げた。部屋の者達の視線が集まる。『ブルー』の制服に身を包む少女は息を切らし、その顔に焦りを滲ませて大きく叫んだ。

「『レッド』が仕掛けてきたと連絡がありました。死者は六名、場所は『レッド』の縄張りの中心部です。近くの傘下の組織に向かうのを待ち伏せされて一斉攻撃されたようで、死体が蜂の巣になってたって……!」

「! ……いよいよ『レッド』も動き出したか」

 水波はその目を鋭くした。『レッド』が水面殺しに関与した時点で、こうなることは予測出来たことだ。他の組織から武器を奪っておいたのは、この時のためでもあった。『誰も傷つかない世界』など、単なる戯言だ。『レッド』は虎視眈々と、この時を待っていたのだ。

「……その情報、どこできいたの?」

 何やら訝しむように尋ねた椛の声を掻き消すように、けたたましい二枚歯の音が迫って来た。開け放たれたままの扉の向こうに、すぐに別の顔が姿を現した。『ブルー』のメンバーの一人だ。彼女も同様に、息を切らして顔を青くしていた。

「『ラビット』が『金を返せ』と訳の分からないことを言って、縹様の外見を真似たAIをめった刺しにしてるっす。中身は汎用AIみたいですが、酷い拷問をされてます」

「んだと? 相変わらず悪趣味な奴らだな……!」

 まるで死んだ人間には何をしてもいいと言うかのようだ。自分達が心から尊敬する長を、どの組織も侮辱し尊厳を破壊しつくしている。彼女の圧倒的強さが意味を成さなくなった途端にこれだ。

(恥を知れ……! 縹様の強さの前では何も出来なかった奴らめ……!)

 水波は怒りに震えながら、部屋の仲間達へ声を荒げて叫んだ。

「一人残らず殺しに行くぞ!」

 仲間達も同じ気持ちのようで、水波の後に続いて咆哮を上げた。もし自分達が拷問されていたとしたら、生前の水面ならばなりふり構わずに助けに来てくれていただろう。自分達も同じようにするのは、当たり前だ。

 しかし、『レッド』と『ラビット』、三大組織の二つが同時に暴れているとなると、水波はどちらかにしか向かうことは出来ない。『レッド』の方は仲間が助けを求めているだろうし、『ラビット』の方は大切な前長の面子を潰した落とし前をつけさせなければならない。どちらも無視は出来ない、二手に分かれることが必要だ。

「ソラ」

 水波は青空へと声を掛けた。青空は弧を描くサイドテールを跳ねて振り向いた。

「『レッド』の方、任せてもいいか」

「いいけど、暴れてきていいんだよね? 他の奴らの分残しておけないけど?」

「それでいい」

 水波は表情を変えずに頷いた。近頃水面はなぜか『レッド』に無闇に手を出さなくなっていたが、向こうがやる気ならばこちらも全力で叩きのめすだけだ。青空ならば容赦なく蹂躙してくれるだろう。彼女は気合も充分、力も申し分ない。大事な場面を任せるなら、彼女こそ相応しい。

 部屋の中にいる者達の名前を呼んでいき、半数程をこちらに引き連れていくことにした。残りは青空へと割り振る。『ブルー』はお互いの事をよく知っているため、得意な戦闘スタイルや最近の調子なども熟知している。彼女達をどちらに振り分けた方がより力を発揮して戦えるか、仲間達と共に戦ってきた水波ならきかずともわかる。

「ミナミ様!」

 武器を取りに行こうとした時、開け放たれた扉の向こうにさらに新しい顔が現れた。彼女の薄群青色の制服は血で汚れていて、所々切り傷のようなものも出来ていた。しかし先刻駆け付けた少女達とは違い、その顔は晴れやかだ。

「任されていた範囲の組織、全部潰してきました。武器も食糧も沢山増やすことが出来ましたよ。中には『グリーン』のAIを導入し始めた連中もいて、あほらしいことを並べ立てていたのでAI共々全員殺してきました」

 一仕事終えたらしい彼女は、満足気に笑みを浮かべた。それから部屋の者達のただならぬ様子に気付いたようで、訝し気な顔つきへと変えた。

「なんかありました?」

「お手柄だ、丁度武器が必要な用事が出来たところだ。てめえらも一緒にくるか」

 戦場から帰ったばかりのはずの少女は揚々と頷き、休む暇もなく仲間達へ知らせに戻っていった。『グリーン』の小細工で消えた分の武器も、頼りになる仲間達によって元通りだ。例え武器を奪われようが、金を奪われようが、冷たい目で見られようが、暴力は全てを解決する。圧倒的な強さは全てをなぎ倒し、そして弱い者は搾取され踏み躙られるだけなのだ。

(縹様は守りたいものを守るため、そして正義を執行するために強さを極められていた)

 水波達も、同じやり方で正義の鉄槌を下す。水面を不当に蔑み仲間達を陥れ殺した者達へ、『ブルー』はその強さで立ち向かうのだ。

(縹様の仇を討つまで、あっしらは止まれない)

 『レッド』も『ラビット』も含め、全てを力でねじ伏せていくのだ。利害に関係なく水波を拾ってくれた水面のように、他の何も考えず、ただ水面の仇を討つことだけに向かって一直線に突っ走る。皆の大切な家族を殺した報いを、必ずや受けさせるのだ。

「行くぞ! 縹様の敵は、全員殺す!」

 家族を傷つける邪悪を屠るため、薄群青色の制服達は部屋を飛び出した。二枚歯の音が幾重にも重なり、廊下に高らかに鳴り響く。どの顔も大切な家族を脳裏に描き、怒りに染まり、殺気に満ちていた。皆同じ表情で、同じ方向を向いている。『ブルー』の周りが敵だらけになっても皆の闘志が折れないのは、隣に同じ思いの仲間がいてくれるからだ。そんな家族達の先陣を切って、水波は廊下を突き進んでいった。胸に宿す、熱い決意の炎。真っ直ぐと前を向く、強い想いを閉じ込めた瞳。いつだってその瞼の裏に映るのは、喪ってしまったたった一人の大好きな家族の顔なのだった。

 ■Side B END




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