第6話
■Side B
「んなわけねえだろうがよ!」
スマートフォンが激しく床に叩きつけられ、欠けた破片が飛んで行った。亀裂の入った画面には、『グリーン』の投稿が映し出されている。その上から二枚歯が振り下ろされ、液晶が粉々に砕けて散っていった。
「ふざけやがって……!」
水波はスマートフォンを踏む足に思い切り力を込めた。ミシ、という嫌な音が下から低く響いた。画面は既に何も映しておらず、暗闇だけが広がっていた。
「嘘ばっかり。それに釣られる奴らもゴミばっかりだ」
隣で青空が悪態をつく。アジトの一室に集った『ブルー』の者達は、『グリーン』の最新の投稿を確認していた。水面が天罰で死んだという文章、そして監視カメラの映像。部屋の者は皆、憤りを隠せずに顔を真っ赤に染め上げていた。
「映像まででっち上げやがって!」
水波は唇を血が滲みそうな勢いできつく噛んだ。どこまで水面を侮辱すれば気が済むのだろう。全身を抑えきれない怒りが支配する。
(天罰ってなんだよ。揃いもそろって、縹様を悪者に仕立てあげようとしやがって。縹様は理由もなく機械を壊しに行くような人じゃないって言うのに……)
水面は仲間が悲しむようなことは決してしない。いつも真っ直ぐに突っ走るため、いやがらせで機械を壊したりするような人でもない。それなのに、何も知らない奴らが好き放題に水面を口汚く非難している。反吐が出そうだった。
「でもこの映像、なんで朱宮が写ってないんすかね……」
『ブルー』のメンバーから漏れた困惑交じりの言葉に、その隣に立っていた少女が素早く反応した。胸倉に掴み掛かり、顔に渾身の一撃を叩き込む。鈍い音が響き、殴られた少女は壁へ吹っ飛ばされた。打ち付けられた体が、ずるずると下がっていく。
「まさかお前、大将の言う事信じてないのかよ!?」
「や、ち、ちがうっす……」
赤く腫れた頬を庇いながら、殴られた少女は腰をついて弱々しく弁明した。……『ブルー』の者は、ここのところ皆殺気立っている。常にピリピリとしていて、些細なことでもすぐに流血沙汰となっていた。
「監視カメラの映像から朱宮の姿だけ消したのかもよ? 『グリーン』の子達、いかにもそういうの得意そうだもの。どうかな、そう思わない?」
横から椛が宥めるように、揉めかけていた二人へと言葉を投げる。仲裁された二人はそれ以上争うことなく、静かに口を閉じた。椛の言う通り、『グリーン』が映像に細工をして公開したであろうことは想像に難くなかった。水波は握り締めた拳を、壁へと激しく打ち付けた。項垂れた下で、顔を歪める。
(『グリーン』の奴らに今すぐにでも復讐したいのに、こそこそと隠れてやがるし……くそ)
『グリーン』のアジトに乗り込んで皆殺しにしようとしていたが、『グリーン』側もそれを読んでいたらしくなかなかアジトを見つけられることが出来ないでいた。さらに『グリーン』のメンバー達も無闇に出歩かないようにしているらしく、全く姿を見ることがない。その上で悪質なSNSの投稿だけは続けているのだからたちが悪い。先日偽の建物に誘い出された件といい、今回の偽映像の件といい、『グリーン』は水面下で着実に『ブルー』へ攻撃を仕掛けにきている。しかし世間はネットの情報を鵜吞みにして、『ブルー』にばかり厳しい目を向けている。今や『ブルー』と協力関係にある組織は一つもなくなってしまった。『グリーン』のシステムを通じて奪われた武器や金を補充するため、手あたり次第に組織を襲撃して巻き上げ、傘下の組織から強奪を繰り返したのも良くなかったらしい。しかしどうしても『グリーン』に敵討ちをしにいく準備をしておかなければならなかったのだ。『グリーン』の皆殺しこそが、今の『ブルー』や水波の悲願なのだから。味方を失ってまで敵討ちの準備を進めてきたが、殺しに行く相手が姿を現さないまま時が経ち続け、最早『ブルー』の者達は膨大な怒りを押しとどめることが出来なくなっていた。募るばかりの焦燥感。……これでは水面に顔向けできない。
「失礼します」
突然部屋の扉が開け放たれ、闖入者が声を張り上げた。部屋の者達の視線が集まる。『ブルー』の制服に身を包む少女は息を切らし、その顔に焦りを滲ませて大きく叫んだ。
「『レッド』が仕掛けてきたと連絡がありました。死者は六名、場所は『レッド』の縄張りの中心部です。近くの傘下の組織に向かう奴らを待ち伏せして一斉攻撃されたようで、死体が蜂の巣になってたって……!」
「! ……いよいよ『レッド』も動き出したか」
水波はその目を鋭くした。『レッド』が水面殺しに関与した時点で、こうなることは予測出来たことだ。他の組織から武器を奪っておいたのは、この時のためでもあった。『誰も傷つかない世界』など、単なる戯言だ。『レッド』は虎視眈々と、この時を待っていたのだ。
「……その情報、どこできいたの?」
何やら訝しむように尋ねた椛の声を掻き消すように、けたたましい二枚歯の音が迫って来た。開け放たれたままの扉の向こうに、すぐに別の顔が姿を現した。『ブルー』のメンバーの一人だ。彼女も同様に、息を切らして顔を青くしていた。
「『ラビット』が『金を返せ』と訳の分からないことを言って、縹様の外見のAIをめった刺しにしてるっす。中身は汎用AIみたいですが、酷い拷問をされてます」
「んだと? 相変わらず悪趣味な奴らだな……!」
まるで死んだ人間には何をしてもいいと言うかのようだ。自分達が心から尊敬する長を、どの組織も侮辱し尊厳を破壊しつくしている。彼女の圧倒的強さが意味を成さなくなった途端にこれだ。
(恥を知れ……! 縹様の強さの前では何も出来なかった奴らめ……!)
水波は怒りに震えながら、部屋の仲間達へ声を荒げて叫んだ。
「一人残らず殺しに行くぞ!」
仲間達も同じ気持ちのようで、水波の後に続いて咆哮を上げた。もし自分達が拷問されていたとしたら、生前の水面ならばなりふり構わずに助けに来てくれていただろう。自分達も、尊敬する長を助けにいくのは当たり前だ。
しかし、『レッド』と『ラビット』、三大組織の二つが同時に暴れているとなると、水波はどちらかにしか向かうことは出来ない。『レッド』の方は仲間が助けを求めているだろうし、『ラビット』の方は大切な前長の面子を潰した落とし前をつけさせなければならない。どちらも無視は出来ない、二手に分かれることが必要だ。
「ソラ」
水波は青空へと声を掛けた。青空は弧を描くサイドテールを跳ねて振り向いた。
「『レッド』の方、任せてもいいか」
「いいけど、暴れてきていいんだよね? 他の奴らの分残しておけないけど?」
「それでいい」
水波は表情を変えずに頷いた。近頃水面はなぜか『レッド』に無闇に手を出さなくなっていたが、向こうがやる気ならばこちらも全力で叩きのめすだけだ。青空ならば容赦なく蹂躙してくれるだろう。彼女は気合も充分、力も申し分ない。大事な場面を任せるなら、彼女こそ相応しい。
部屋の中にいる者達の名前を呼んでいき、半数程をこちらに引き連れていくことにした。残りは青空へと割り振る。『ブルー』はお互いの事をよく知っているため、得意な戦闘スタイルや最近の調子なども熟知している。彼女達をどちらに振り分けた方がより力を発揮して戦えるか、仲間達と共に戦ってきた水波ならきかずともわかる。
「ミナミ様!」
武器を取りに行こうとした時、開け放たれた扉の向こうに新しい顔がさらに現れた。彼女の薄群青色の制服は血で汚れていて、所々切り傷のようなものも出来ていた。しかし先刻の少女達とは違い、その顔は晴れやかだ。
「任されていた範囲の組織、全部潰してきました。武器も食糧も沢山増やすことが出来ましたよ。中には『グリーン』のAIを導入し始めた連中もいて、あほらしいことを並べ立てていたのでAI共々全員殺してきました」
一仕事終えたらしい彼女は、満足気に笑みを浮かべた。それから部屋の者達のただならぬ様子に気付いたようで、訝し気な顔つきへと変えた。
「なんかありました?」
「お手柄だ、丁度武器が必要な用事が出来たところだ。てめえらも一緒にくるか」
戦場から帰ったばかりのはずの少女は揚々と頷き、休む暇もなく仲間達へ知らせに戻っていった。『グリーン』の小細工で消えた分の武器も、頼りになる仲間達によって元通りだ。例え武器を奪われようが、金を奪われようが、冷たい目で見られようが、暴力は全てを解決する。圧倒的な強さは全てをなぎ倒し、そして弱い者は搾取され踏み躙られるだけなのだ。
(縹様は守りたいものを守るため、そして正義を執行するために強さを極められていた)
水波達も、同じやり方で正義の鉄槌を下す。水面を不当に蔑み仲間達を陥れ殺した者達へ、『ブルー』はその強さで立ち向かうのだ。
(縹様の仇を討つまで、あっしらは止まらないぞ)
『レッド』も『ラビット』も含め、全てを力で倒していくのだ。利害に関係なく水波を拾ってくれた水面のように、他の何も考えず、ただ水面の仇を討つことだけに向かって一直線に突っ走る。皆の大切な家族を殺した報いを、必ず受けさせるのだ。
「行くぞ! 縹様の敵は、全員殺す!」
家族を殺す悪者共の元へ行くため、薄群青色の制服達は部屋を飛び出した。二枚歯の音が数多も重なり、廊下に鳴り響く。どの顔も大切な家族を脳裏に描き、怒りに染まり殺気に満ちていた。『ブルー』の味方が消えて周りが敵だらけになっても皆の闘志が折れないのは、隣に同じ思いの仲間がいてくれるからだ。水波は先陣を切って、廊下を突き進んだ。胸を満たす、決意の炎。いつだってその瞼の裏に映るのは、喪ってしまったたった一人の大好きな家族の顔なのだった。
■Side B END
***
■Side W
「たまか、『ブルー』が襲ってきたみたいだ。向こうは計八人、リーダーは蘇生騒動の時に前線にいた青空。場所は『レッド』のアジトにも近いから、ここまで乗り込んでくる可能性もある。任務で現場付近にいた六人が捕まり、四人は既に死亡している。残る二人も集団暴行を受けていて、殺されるのも時間の問題だ」
「なんてこと……! すぐに向かいましょう」
報告に来た茜の言葉に、たまかはすぐさま椅子から立ち上がった。
「今日は休戦日なのに……!」
定例会議で決められた、どの組織も戦を仕掛けない日。もう『ブルー』にとって、そんな平和協定はなかったも同然の扱いなのだろう。いよいよ獣のように暴れるだけの段階に入ってしまっているらしい。たまかは悲し気に眉を下げながらも、素早くサイドポーチへと手を伸ばした。医療器具が詰まっているのが布越しにもわかる、膨らんだ感触。きちんとポーチが腰についていることを確認すると、たまかはすぐさま走り出した。後ろから茜もついてくる。
「閃光手榴弾を多めに持っていこう、倉庫によっていくぞ。……たまかも来い。早く治療したいのは分かるけど、あんたが殺されちゃ元も子もない」
「は、はい……!」
後ろから投げられた言葉に、たまかはもどかしい気持ちを抑えて肯定を返した。廊下を駆け抜けてエレベーターに乗り込むと、一度倉庫のある階で降りる。閃光手榴弾、ピアノ線、針、麻酔薬と思われる複数のミニボトルなどを倉庫で調達し、その内一部はたまかへも渡された。茜はさらに拳銃の弾もポケットに突っ込んだ。……先程のミニボトルの中身も、毒薬が混ざっているのだろう。たまかの手前人を傷つける道具を大っぴらに持っていきはしないが、『レッド』の者達はいつでも『ブルー』に対処できるよう準備している。攻撃してはならないというたまかの命が解除されれば、すぐにでも『ブルー』の者達を殺せるように。
『『ラビット』との抗争が勃発しました。場所は……』
茜の持つ小型無線機から、『レッド』のメンバーの報告が小さく聞こえてきた。『グリーン』への警戒が強い『レッド』では、無暗にハイテク機器に頼らずに小型無線機も使用してメンバー間の連絡に役立てている。内容によってスマートフォンやタブレットによるメッセージや電話と使い分けており、機密性や緊急性が高いものは無線機を介することが多い。しかし最近は無線機での報告が多く、情勢が混沌を極めていることが窺えた。報告が終わったと思いきや、すぐさま別の声が新たな報告を始める。
『『ブルー』が『レッド』の者を次々と殺し、アジトに接近しています。付近の方は離れ、アジトの位置が特定されないよう……、っ』
『おいお前、こそこそしてんな!』
報告は荒々しい怒声に掻き消された。『ブルー』の者に見つかったようだ。無線機の向こうで鈍い殴打音、何かを引き摺るような音、二枚歯の高い音、そしてドサリという重い物が落ちる低い音が聞こえてきた。通信を切る余裕すら与えられなかったらしく、生々しい音と呻き声が全て垂れ流されていた。何度も何度も執拗に繰り返される殴打音、段々と覇気のなくなっていく呻吟。無線機の向こうで、一つの命が奪われようとしている。たまかはいてもたってもいられず、倉庫を飛び出した。準備を終えた茜も、すぐにたまかを追い駆ける。二人はエレベーターに乗り込み、一階へ向かった。扉が開く頃には、無線機の向こうは何も音を拾わなくなっていた。
「たまか」
エレベーターから出たところで、茜がたまかを呼んだ。足を止めぬまま、後方を一瞥する。
「はい」
「向こうが本気で暴れたら、私達も全員殺されるのは目に見えてる。……傷つけずに解決するのは、もう難しいかもしれない」
『ブルー』には圧倒的な力があり、『レッド』は今まで策と情報を駆使して彼女達に対抗してきた。林檎が長を務めていた時代、『ブルー』の者達を殺す方針に切り替えざるを得なかったのは、こちらも殺さないと皆殺しにされてしまうのが明らかだったからだ。『ブルー』が本気で暴れたら、『レッド』に成す術はない。『ブルー』を傷つけないようにしている間に、こちらが全員殺されてしまう。それを防ぐには、こちらも『ブルー』を攻撃し排除するより他にない。
「……」
たまかは唇を噛んだ。たまかには誰かを傷つけることも、それを誰かに命令することも、決して出来はしない。それを選ぶのなら自分が犠牲になる道を選ぶほど——たまかにとって、譲れない信念だ。しかしこちらが殺さなければ、暴走する『ブルー』は『レッド』を皆殺しにしていくだろう。今までは策と情報を駆使して『ブルー』に対抗してきたが、それが通用しない段階に入ってしまったとしたら……最悪の事態を覚悟しなければならないのかもしれない。
(……それでも……)
たまかは廊下を駆け抜けながら、苦悶の表情を浮かべた。そしてそれを振り払うように、その目で前を見据えた。全力で駆ける足は、止まらないままだ。
(傷つける以外の方法が……あるはずなんです。それを考え抜くのが、『レッド』に私がいる意味なんです)
エントランスに出ると、外から差し込む光が二人を包み込んだ。そのままアジトを出て、敷地を一直線に門目掛けて走っていく。門の前にはたまかが来ることを見越して数人の少女達が待機していた。紅色の制服に身を包む少女達は、自分達の長の姿が現れたことにより表情を引き締めた。
「たまかさん、西方約三百メートルまで『ブルー』の者達が接近しているようです。死者も増えています、治療が間に合う者はいないかと」
集っていた者の中には、桜の姿もあった。彼女はたまかの横へとつき、足を止めないまま端的にそう報告をした。
「……わかりました。アジトに乗り込まれたら多大な死傷者が出るでしょう、私達で食い止めましょう。足元に糸を張って、閃光手榴弾が起爆する仕掛けを設置しましょう」
合流した『レッド』の者達と共に門を潜り抜ける。桜は一度躊躇ってから、たまかへと口を開いた。
「……低致死性兵器を使用するより、アジトの門の近くに爆弾を仕掛けておいて全滅させるべきだと思います。加えて、アジトを目指しているのならば通る道も予測出来ますから、狙撃部隊も配置するべきかと。『ブルー』の間合いに一たび入ってしまえば、こちらは手も足も出せずに一方的に蹂躙されるだけです。たまかさんの意に反するのはわかっておりますが、早め早めに割り切って……」
桜は道の先へと顔を向けたまま口を動かしていたが、ピタリと言葉を止めた。その視界に、薄群青色が見えたからだった。頭の中で計算していたよりも、大分早いご登場だった。『レッド』の者を手当たり次第殺しながらも、有り余る体力で道中も全力で走ってきたらしい。罠を仕掛けられることを見越して警戒していたのだろう。向こうも紅色の制服の集団を見つけ、すぐに駆けてきた。まるでスプリングボックを狩るチーターのような駿足と気迫。その先頭を務めていたのは、たまかの見知った顔だった。
(……青空さん)
青空はその目に怒りを宿し、真っ直ぐとこちらを睨んでいた。猛スピードで迫り来る『ブルー』の集団に、たまか達は一斉に足を止めるしかなかった。見つかってしまえば、もうこちらに仕掛ける余地など残ってはいない。彼女達は体術に優れ、急所も熟知している。腕力も強く、攻撃を避けるしなやかさも兼ね備えている。彼女達は手の届く範囲に現れた獲物を絶対に逃しはしないのだ。獰猛な肉食獣のような、今にも食らいつきそうな瞳が迫ってくるのを見て、たまかは大きく口を開けた。
「青空さん」
鋭く名前を呼ぶ。辺りに響いた声に、青空はピタリと足を止めた。何やら言いたげな様子のたまかを見て、突撃しようとしていた仲間達の前に腕を真っ直ぐと伸ばす。後方に手を出すなと指示を出したのだろう。『ブルー』の者達は青空の後ろで足を止め、憎らし気に『レッド』の面々を睨みつけていた。さながら檻の中のライオンだ。鋭い眼光を突き付ける青空へ、たまかは強張った顔で対峙していた。嫌な静けさの中、場の注目が白い制服へと集まる。
「『レッド』の者達を殺していると聞きました」
「そうだよ、流石に耳が早いね」
青空は嘲笑を漏らした。腰に手を当てると、他方の手を誇らし気に広げる。広げられた手は血に染まって真っ赤だ。今はたおやかに見えるその手は、人を殴り殺すだけの力を秘めている。
「……私は嫌いじゃないよ」
青空はにやりと口端をあげた。突然の言葉に、たまかは意味がわからず怪訝な顔をした。
「結局全てを決めるのは暴力だ。わかりやすくていいじゃない。虚言を並べているよりよっぽどいい」
「……何の話ですか?」
「でもね、残念だけどお前達は勝てない。なぜなら弱いから。時期を見極めても、回りくどく罠を仕掛けても、全てが無意味。弱い者は強い者に食い散らかされるだけなの。まだわかんないの?」
青空は挑発的な笑みを浮かべた。しかし弱い者への侮蔑に溢れていた表情は、すぐに消えた。声が落ちる。
「お前のこと、ただの弱い奴じゃないんだって思ってたけど……きっと勘違いだったんだ。やっぱり弱い奴は弱い奴、それ以上でも以下でもないね」
その暗い声には、失望と落胆が混じっているように聞こえた。たまかは顔を強張らせたまま、気丈に声を張り上げた。
「……何の話なのかわかりませんが、これ以上『レッド』の方々を傷つけないでください」
「そっちが殺しといて黙っていろって? ちょっと抗争を舐めすぎじゃない?」
言葉を失ったたまかへ、青空は視線を鋭くし、低く構えた。
「家族を殺した恨みはきっちりと晴らさせてもらうよ。勿論縹様を殺した仇もね。お前の命で償いな」
青空は短く息を吸った。たまかは戸惑いを乗せて、一歩身を乗り出した。
「殺したって、一体どういう——」
たまかの言葉は最後まで言い終わることはなかった。青空の体が消えたと思った次の瞬間には、既に彼女はたまかの横を通り過ぎていた。そのままたまかの後ろにいた少女の顎へ、青空の拳が振り上げられた。少女の頭が大きく揺れ、まるで糸の切れた操り人形のように体が躍った。カクンと後ろへ垂れる頭、白目を剝く瞳、地面へ倒れる体。たまかの横で、少女は意識を失って仰向けに崩れた。勢い良く振り下ろされた二枚歯が彼女の顔を抉るのと、銃を構えかけた桜の手を手刀が強打したのは同時だった。神経をやられ動かなくなった手、そこから落ちかけた銃を、青空の手が流れるように掠め取っていく。そのまま銃口を横へ伸ばすと、青空は相手を見ずに迷わず発砲した。大きな銃声が辺りに響く。銃口の先にいた『レッド』の少女は、眉間に穴を空けた。その手には、銃を握っていた。あと一歩が間に合わなかった少女は、夥しい量の血を垂らしながら後ろへと倒れて行った。見開いたままの瞳を見下ろし、たまかは顔を真っ青にした。上手く息が吸えなかった。
『レッド』の少女達は、次々に銃や刃物を取り出した。この状況では、やらなければやられるだけだ。『傷つけるな』というたまかの命は、既に意味を成していない。しかし即座に『ブルー』の者達が目の前に現れ、『レッド』は武器をあげることすら出来ずにその拳の餌食になっていった。『ブルー』は体術を得意とする者達の集まりだ。近接戦闘で敵うわけがない。
「弱い奴は声をあげる時間さえ与えられない。『傷つけないでください』ってお願いすれば解決するとでも思ったの?」
青空は健康的に引き締まった足を曲げると、垂直に高くあげた。二枚歯から血が滴り落ちて、下の少女を赤く汚していた。そしてその先は、再び少女の顔へと振り下ろされた。踏み抜く勢いで落とされた足の下で、骨の砕けるような鈍い音が聞こえた。短い呻き声、跳ねる体。鼻から血が垂れていき、潰れた目は酷く窪んでいた。その痛々しい顔を踏み躙って血を広げながら、青空はたまかへ嗤笑を向けた。
「どう? 仲間達が殺されて、ようやく弱さに気が付けた?」
青空は力を込め、ついに踏み潰した。血管の切れるような音が小さく聞こえ、眼球が飛び出て転がっていった。
「あんたの番もすぐだよ。たまか」
青空は始終歪な笑みを浮かべていた。異常な昂り、狂気的な凶暴性。目の前の敵がそうさせるのか、『ブルー』の置かれた環境がそうさせるのか、はたまた人を殺した高揚感がそうさせるのか。今の彼女はまともでないように見えた。倒れた二人の少女は血だらけで、片や絶命し、片や苦痛に息も絶え絶えに喘いでいる。早く治療をと急く心のまま、たまかは足を踏み出しかけた。しかしここで下手に動くと自分も殺されるであろうことは目に見えていた。寸でのところで思い留まる。『レッド』の者達のためにも、長が死ぬわけにはいかない。倒れた二人の惨状にどうすることも出来ないまま、たまかは目視で怪我を確認して頭の中で治療の算段を立てた。同時に、次は自分がそうなるのだという恐怖も湧き上がった。それは周りの『レッド』の少女達も同様だ。彼女達は息を殺して『ブルー』を窺っているが、その顔はどれも強張っていた。青空の指示一つで『ブルー』の少女達はすぐにでも目の前の相手を殺せる。武器を無力化されて目の前で睨まれている今、『レッド』の少女達に成す術はない。
たまかの陰で、桜の手がピクリと動いた。目にも留まらぬ速さで場が動く。桜がデリンジャーの銃口を青空へと向けた時には、青空の左手に握られたナイフが彼女の首へと当てられていた。桜は銃の先を伸ばしたままの状態で動きを止め、鋭い刃先のあたった喉をごくりと鳴らした。同時に、青空の右手は銃口をたまかへと向けていた。たまかは強張った顔で、自身へ向けられた黒い穴を見つめた。隙を突いた桜の起死回生の一手は、あっけなく防がれて終わった。今やたまかの命と桜の命は、青空の手の内にある。彼女が一たび手を動かせば、二人の命は消えるのだ。しんとした静けさが満ちていた。誰も動けない。息を吸う事すら難しい程の緊張感が、辺りを支配していた。
「死ぬ前に一つ教えろ」
引き金を引く前に、意外にも青空は言葉を投げた。彼女はその瞳に憎しみを宿し、たまかを射貫いた。
「……どうやって縹様を殺したの」
周りの『ブルー』の少女達も『レッド』の少女達も、息を潜めて成り行きを窺っている。
「……」
桜の喉に当てられた刃先が、彼女の柔らかい肌に僅かに埋められた。桜の顔が僅かに歪み、首に赤い線が一筋できる。咄嗟にたまかは口を開いた。
「殺していません。水面さんも、誰も」
はっきりと声が響く。青空の憎しみに満ちた瞳に、たまかは曇りない眼で真っ直ぐと対峙した。その答えに、青空は怪訝そうに眉を顰めた。桜の喉に当てられた刃は、次の言葉を待つようにその動きを止めている。
「私は誰も殺していないんです。……何か、勘違いをしていませんか」
誰も傷つけないことを徹底してきたたまかだからこそ、胸を張ってそう言い切ることが出来た。青空はその言葉に、白けたように不機嫌を貼り付けた。
「別に誤魔化さなくていいだろ。虚言はいらない。お前が殺す気になったこと自体は、さっきも言ったように歓迎してるんだ」
青空は「ただ……」と小さく続けた。過去を思い出しているのか、青空の目はどこか遠くを見つめていた。
「……最強である縹様を殺した方法を知りたかったんだ。初めて会った時、私は縹様と一対一でやり合った。自分は誰よりも強いと思っていたのに、縹様には手も足も出なかった。あんなに強い縹様を殺せる奴なんて、誰もいないと思ってたんだ」
暗い表情には、寂しさや悔しさが滲んでいる気がした。何よりも水面が誰かの手によって殺されたことが、未だに信じられないのかもしれない。いつも活力に満ちている彼女の初めて見る姿に、たまかの心も痛んだ。彼女を想うなら、なおさら誤解を解かなくてはならない。たまかは青空に向かって、畳み掛けるように繰り返した。
「殺していません」
凛とした声。曇りなき大きな眼は、真実を訴えるように真っ直ぐと見つめている。青空はますます不快そうに顔を曇らせた。
「だから、虚言はいらないってば」
「殺していないんです。私達は、誰も」
「……」
青空の瞳は、氷の如く冷たく冷え切っていた。彼女の左手の筋が、僅かに浮き上がる。同じ言葉を重ねるたまかに、ついに業を煮やしたようだった。それを見て、たまかは力の限り叫んだ。腹の奥から、留めていた思いを全て吐き出すように。
「私も!」
空高く響いた声に、動こうとしていた刃先が止まった。桜の首は繋がったままだ。たまかは眉尻を下げ、悲痛な面持ちを浮かべた。声を落とす。
「……私も、水面さんがどうやって死んだのか、どうして死ぬことになったのか、何もわからないんです。私は敵対組織の長で部外者、……ですが本当は私も、水面さんの無念を晴らしたいんです。真実を白日の下に晒して、少しでも彼女の力になりたいんです。水面さんの命を救えなかった私に今出来ることを……全うしたいんです」
自分でも見て見ぬ振りをしてきた、本当の気持ちだった。切実に訴える声は掠れていた。たまかは小さく項垂れて、その顔に影を落とした。……部外者とか、敵だとか、情勢だとか。しがらみのせいで、身動きが取れなくなっていたけれど。でも、本当は——
(沢山助けてくれた水面さんの、力になりたいです。……友達として)
彼女の無念を晴らしたい、彼女の力になりたい。『ブルー』も『レッド』も、誰からも賛同しては貰えないだろうけれど。たまかの胸の奥深くの願いは、気付いてみればこんなにも大きく膨らんでいる。彼女には沢山守ってもらい、沢山優しい言葉を貰い、沢山力を貰ってきたから。
(私……やっぱり、水面さんの死の真相を突き止めたいです)
『ブルー』のすべきことで、敵対長が深入りするようなことではないとわかっている。それでも、水面はたまかにとって大切な友人となっていたから。彼女のためにたまかが今出来ることは、それだけだから。たまかは小さく顔をあげた。依然桜の喉を捉えたままのナイフ、たまかに向けられたままの銃口。その先の、静かに怒りを湛えている青空の顔。たまかと、同じ気持ちを持つ少女。
(それに何より、青空さんや水波さんが、水面さんの死の真相を誤解したままでいいはずがありません。彼女達は、こんなにも深く水面さんを想っているのですから)
たまかは顔付きを変えた。その瞳には決意が宿っている。小さな口は、小さく深呼吸を挟んだ。そして、声を響かせる。
「取引を、しましょう」
青空の左手が、ぴくりと動いた。桜の顔が反射的に強張る。しかし刃は彼女の首を斬り落としはしなかった。場にピリピリとした嫌な空気が流れる。ナイフを動かす代わりに、青空の口からは窘めるように叱責が漏れた。
「口で何を言っても無駄だってば。取引がしたいのなら、力でねじ伏せてから言え」
それが『ブルー』のやり方だ。しかしたまかは視線を逸らさないまま、決然と続けた。
「私なりの『力』は、情報なんです。もしこれ以上誰かを傷つけたら、貴方達は水面さんの仇を一生取ることが出来なくなりますよ」
虚言など聞く気はないとでも言うかのような顔が、僅かに歪んだのが見えた。
「まだ御託を並べる気?」
「違います、取引です。私達を生かしておけば、青空さん達は水面さんの死の真相に近づくことが出来ます。ここで命を見逃してくれさえすれば、私達は自分達の潔白を証明し、『ブルー』の苦手分野を担って真相を突き止めてみせましょう。逆に今ここで殺してしまえば、『レッド』の持つ情報を永遠に失い、水面さん殺しの真犯人を逃すことになってしまいます。……気付いてください、私達も貴方達の味方なんです」
「お前は縹様を殺しておいて、こうして口から出まかせばっかり言う。朱宮と同じだよ。『レッド』なんて信じられない」
「青空さん……まさか本当に、私が水面さんを殺したと思ってるんですか?」
取り付く島もない青空に、たまかは眉を寄せ、唇を僅かに尖らせた。
「本当の本当にですか? 腕力は微塵もない私が、あの水面さんを?」
「……」
「強さを崇拝する貴方が? 赤子の手さえ捻る事の出来ない私が、あの無敵の水面さんに勝ったと? 本気でそう思っているのですか?」
たまかは詰るように言葉を浴びせた。青空はたまかを睨みながらも、押し黙っていた。彼女もきっと、心の中に違和感を持っている。強さに重きを置く彼女だからこそ、その疑問は頭から抜けないはずだ。
「私は水面さんを殺していませんし、『ブルー』の方に危害を加えたりもしていません。私の腕っぷしでは水面さんを殺せっこないって、誰よりも青空さんがわかっているんじゃないですか?」
「……お前が直接やり合った訳じゃないのはわかってるから、腕力は関係ないよ。それに縹様を現場で殺したのは、お前じゃなくて……」
青空はその先を濁したが、たまかが声を響かせて後を続けた。
「林檎さん、そう思っているのですよね。でも、違うんです。林檎さんは『レッド』にいて、水面さん殺しに関与できるはずがないんです」
青空、周りの『ブルー』の面々、そして『レッド』の面々、全ての顔が驚愕に染まった。動揺の見える青空、耳を疑うように固まる桜や茜。場の視線は、全てたまかへと集まっていた。痛い程の視線を浴びながらも、たまかは毅然として青空へと対峙していた。
「なんとでも言える……」
青空は小さく漏らしたあと、唇を噛んだ。目の前の敵を睨みつける。
「隠す気がなくなったんなら都合がいい。お前が朱宮のAIを『ブルー』に寄越したんでしょ」
「いいえ。そもそも林檎さんが『ブルー』にいたという話がおかしいんです。彼女は『レッド』にいたのですから」
青空の顔に、怒りが滲む。
「ミナミが嘘をついているっていうの?」
たまかは声を落とし、一度視線を逸らした。
「いえ……恐らく水波さんも本当のことを言っています。ですから、何かがおかしいんです。水面さんの死には、誰かの思惑が深く絡んでいるはずなんです」
青空は今にも舌打ちをしそうな程に顔を歪めた。白々しい嘘をついていると思ったのかもしれない。たまかは表情を変えなかった。
「青空さん、先程貴方は『レッド』が『ブルー』の方を殺したと言いましたよね? それは、本当に信頼できる情報なのですか?」
「仲間が言ってたんだ、間違いないよ」
「他の組織が関渉出来る余地はありませんでしたか? 私達は『ブルー』に手を出してなどいないんです」
「……仲間を疑えって言うの? ならお前達を疑うよ。『ブルー』の者なら当然ね」
青空はそう吐き捨てた。『ブルー』は仲間を第一に考える組織だ。敵対組織の長の言うことと仲間の言うことを天秤に掛けたらどちらに傾くかなど、火を見るよりも明らかだ。
「……」
たまかは考えるように視線を落とした。向けられたままの銃口など見えていないかのように、言葉を続ける。
「別に仲間が裏切っているとは限りません。例えばメールでやり取りしているのなら、仲間のスマホがハッキングされて知らない内に送られた可能性もあります。もしくは電話ならば、現場で他の組織の者が脅したり成りすましたりして話していた可能性もあります。『ブルー』の仲間の繋がりの強さを、利用している者がいるのかもしれません」
「そういうことが誰よりも得意なのは、お前らでしょうが」
苦い顔をする青空へ、たまかは首を横へ振ってみせた。
「『レッド』は関与していません。だって今回は私達と衝突するように仕向けているんですよ。私達だって、自分達の首を絞めるような真似はしません」
『ブルー』の強さをその身を以って知っているからこそ、ブラフだとしても『レッド』は『ブルー』と正面衝突するような状況は作らない。
「『ブルー』は真っ直ぐに突き進むやり方を好みますから、このような手段を取られると太刀打ちできないでしょう。『ブルー』の自慢である腕力が通用しないですからね。本来ならばこういう策を仕掛けて翻弄するやり方は、『レッド』の手口だったのでしょうけど……」
しかしたまか達『レッド』は一切関与していない。従来の『レッド』のやり方を用いて、『ブルー』を破滅へ追い遣ろうとしている組織がいる。たまかは目を細めた。
「……青空さん。『レッド』と一時休戦とはいきませんか。大丈夫です、これは取引ですから仲間を裏切ったことにはなりません。それに『ブルー』側にもメリットがある話です」
たまかは長としての振舞いを解き、悲し気に瞳を揺らして続けた。
「せめて水面さんの死の真相がわかるまで、手を取り合うことは出来ないでしょうか。でないと……このままでは、『ブルー』は破滅に追い遣られるかもしれませんよ」
その言葉に、青空は怒りを湛えてたまかを睨んだ。
「舐めないで。私達は誰が相手だろうと勝てる」
これは強がりではなく、心の底からそう信じているのだろう。たまかは眉を下げながら、真摯に訴えた。
「そもそも今私達を殺そうとしていることが、悪意に踊らされている証拠なのです。私達は水面さんもメンバーの方も殺していません。貴方達が真に討つべき仇は、別にいるんです」
「またそれ? いい加減飽きた」
青空はため息を漏らした。彼女は考えを変える気はないらしい。何を言っても信じては貰えないようだった。
「……」
たまかは必死に言葉を紡いでいた口を、いよいよ閉じた。彼女に説得に耳を傾けてもらうことは、どうやっても難しいのかもしれない。
(この強情さ……何か理由があるのかもしれません)
『ブルー』と『レッド』は因縁の関係であり、勿論手を取り合うのが難しいことは百も承知だ。ただ、青空を見ているとそれだけが原因でもないように思える。
(ですがこのまま撃たれては、水面さんの無念を晴らすことも、青空さん達が真犯人に迫ることも出来なくなってしまいます。桜さんや茜さんの命もないでしょう。それは避けなければなりません)
こうしている今も、銃口がたまかを捉えている。引き金に掛かった指は、青空が少し力を込めればすぐに引かれてしまう。しかし、たまかはここで死ぬ訳にはいかないのだ。自分は水面のために、死の真相を究明したいのだと気付いたから。水面のために出来ることを果たすまで、彼女のもとには行けない。
(先程の青空さんの疑問……。彼女の中にある、小さな違和感。あれが恐らく、突破口のはずです)
たまかは唾を呑んだ。そして銃口の奥の彼女に向かって、慎重に切り出した。
「……青空さん。引き金を引く前に、一つ訊かせてください」
青空は銃口を突き付けたまま、何も返事をしなかった。引き金に掛かった指は、動くことなくそのままだ。
「青空さんは、水面さんがどうやって殺されたと考えていますか?」
「……」
彼女の目が、僅かに細められた。
「先程言っていましたよね、水面さんを殺せる人なんて誰もいないと思っていたって。私もそこが引っ掛かっているんです。あの無敵の水面さん相手に敵う人なんているとはとても思えません。ならば、水面さんはどうやって殺されたと思っていますか?」
今のたまかには情報がほとんどない。例え『ブルー』も同じような状況だとしても、少なくとも青空の方が真相に迫っているはずだ。
「……」
青空の顔から怒りが消え、視線が逸らされる。そこには僅かな狼狽が滲んでいる気がした。彼女の中ではたまかは水面の仇となっている。そんな相手に自分の考えを言ったところで、利用されるだけなのは目に見えているだろう。しかし彼女は問答無用で引き金を引くことなく、悩む素振りを見せた。
(やはり青空さんも……どこかおかしいと思っているんでしょうね。『レッド』が水面さんを殺したことについて)
恐らく無意識にだが、彼女は心の奥底で疑問を感じている。彼女はたまかと関わってきて、たまかの人となりを知ってしまっているからだ。そしてたまかの腕力の弱さ、水面の強さも。だからたまかをすぐには殺さないで、こうして話を聞いている。自分でも気づかない内に、たまかから水面の死について何か糸口が掴めるかもしれないと期待してしまっているのだろう。その無意識の迷いは、たまかにとっては一縷の望みだった。たまかは彼女が口を開くのを、辛抱強く待った。この場にいる『レッド』の者達も『ブルー』の者達も、息を殺してたまか達の会話の行く末を見守っている。双方、すぐに拳を出せるように、そして引き金を引けるように構えたままだ。ボタンの掛け違いが一つあれば、ここはすぐにでも血だまりとなる。
「……生きてた頃みたいに、朱宮が頭をこねくり回して殺したんでしょ」
長い沈黙を経て、青空は声を落としてそう答えた。その顔はまだたまかを敵と見做していることが窺えた。たまかはさらに質問を投げた。
「例え林檎さんでも、本当に水面さんを殺せると思いますか? 罠を仕掛けられたとしても、不意を突かれたとしても、水面さんならどれも避けられるのではないですか?」
水面は銃弾さえも避けるとして有名だったのだ。そのずば抜けた危機察知能力と身体能力は、死に際にも有効だったはずだ。
「……」
青空は黙りこくって視線を下げた。その表情は、どこか苦しそうにも見えた。
「水面さんの強さは……青空さんが誰よりも知っているのではないですか」
たまかの言葉に、青空はぐっと唇を噛んだ。視線が泳ぐ。彼女はやはり、林檎が殺したという話に無理があると心の何処かで思ってしまっている。それは彼女が、水面の強さを真に理解しているからこそだ。
「どうでしょう。水面さんと直に戦ったことのある青空さんから見て……彼女は林檎さんの罠に陥り、不意を突かれて殺されてしまうような人物ですか?」
「…………」
青空は眉をハの字にして、ほとほと困り果てたように視線を泳がせた。沈黙が答えを物語っているようだった。それでも口を開き、強情に反論する。
「でも、実際に縹様は死んでるんだ。ミナミが朱宮がやったって言ってるんだから、私はそれを信じないと」
(成程……なかなか考えを変えてもらえないのは、水波さんへの信頼からでしたか)
たまかは二人の関係を詳しくきいたことはないが、彼女達がよく共に行動しているのを目撃している。頻繁にコンビを組んでいるイメージがあり、二人の仲はとても良さそうに見えた。それこそ、家族のように。
「林檎さんの犯行を否定したからと言って、水波さんを否定することにはなりませんよ」
たまかは言葉尻を柔らかくした。優しく諭すように告げると、青空はふるふると頭を横へ振った。
「今、『ブルー』は混乱していて、あいつの周りには真の家族じゃない奴らも沢山いる。私まであいつの言葉を疑い出したら、あいつは味方が一人もいないように思っちゃうかもしれない」
小さく漏らした後、青空は再びたまかを睨みつけた。
「私は何を言われようが、ミナミの言葉を信じるよ」
彼女の鋭い瞳からは、強い意思が窺えた。
「それに朱宮なら私達の理解を超えるのは得意じゃない。縹様は意識の外からの攻撃も、どんな罠さえも全部避けられる。そんな縹様を殺せる人物がいるなら、むしろ朱宮くらいしかいないよ。そして朱宮に指示を出せるのも一人、お前しかいない」
「……」
林檎が水面を殺したと青空が思いこんでいる根幹には、水波への想いがある。彼女の中の違和感を見て見ぬ振りする程の、熱い想いが。……今の時点での説得は、難しそうだ。たまかはついに説得を諦め、別の角度から探ることにした。
「……では、もう一つ訊いてもいいですか。水波さんは林檎さんの仕業だと主張している他にも、『グリーン』のことも敵視していましたよね? 水波さんが何故そのように思っているのか、青空さんは知っていますか?」
「『何故』? 一目瞭然じゃない。縹様が『グリーン』の機械を壊したからだよ」
青空は眉を吊り上げ、口早に説いた。
「縹様は理由もなく他組織の機械を壊すような人じゃない。『グリーン』に敵対する意思がはっきりとあったからこそ壊したんだ。殺される直前の私達への最期のメッセージを、私達は絶対に無下にするわけにはいかない」
(成程……『ブルー』の皆さんは、そのように思っているのですね)
こちらにも強い信念が窺えた。水面を想うからこそ、彼女達は自分達の考えに固執してしまっている。勿論それが真実であれば、真っ直ぐに突っ走る彼女達に揺るぎない力を与えてくれるだろう。しかしそこに他者の悪意が紛れていた場合、彼女達は破滅へ向かってしまうことになる。自分達の尊敬する長への想いが強ければ強い程闇へ向かうことになるとは、なんたる皮肉なのだろう。……いや、そうなるよう仕向けている者がいる限り、それは誰かにとっての予定調和だ。
「『ブルー』にいた朱宮のAI、そして縹様の死に際の行動。『グリーン』と『レッド』が縹様を殺すよう動いていたのは明らかだよ。『ラビット』とか他の敵対組織の奴らに変な動きはなかった。そんな中でこんなにあからさまに怪しい奴らがいるんだ。口先だけで言いくるめようったって、無駄なんだから」
語気は熱を帯びていた。彼女達も、少ない手掛かりから必死に真相に辿り着こうとしている。敬愛する、大好きな長のために。たまかはそっと口を閉じた。
「……最強の縹様が誰かに殺されるなんて、全く想像もしていなかった」
続いた青空の声はか細く、普段の彼女とは真逆のしおらしさに満ちていた。その瞳には、寂しさが滲んでいる気がした。
「世界一強いあの人が誰かに殺されるなんてこと、あっちゃいけなかった。だってそれは、強さが全てを決めることが否定されたってことだもん」
青空は誰よりも強さを崇拝している。水面の死は、彼女の中の神話が崩れたことを意味しているのだろう。
「縹様は凄く優しくて、なんでも受け入れてくれて、絶対に誰にも負けなかった。ミナミもいつも横にくっついて、メキメキと強くなって、いつも幸せそうだった。『ブルー』の皆も共に力をつけて、一緒に困難を乗り越えて、いつも勝利に喜んでた。……全部壊れちゃったんだ。姑息な手を使った奴に、全部奪われた」
銃身を握る手に、力が込められた。
「もうどうしたらいいのかわかんないけど、家族を守らなきゃってことだけはわかるよ。だから『グリーン』も『レッド』も、この手で、この力で復讐してやるの。弱い奴は無力なんだって、思い知らせてやらなきゃ」
強さが全てを決める世界を、取り戻すために。そして水面の仇を彼女の流儀で取り、遺された水波達と支え合って前へ進むために。『ブルー』はただ暴れているだけではないのかもしれない。その想いが強すぎて、自分達でも制御が出来なくなってきているのだ。
「……」
彼女達も、暗闇の中を必死に藻掻いているのだろう。ならばたまかが出来ることは、彼女達へ正しい道を灯してやることだ。たまかは結んでいた口を開いた。
「青空さん。私達の言葉が信じられないことはわかりました……それでも、『レッド』が『ブルー』の方を殺したという情報が本当かどうか、確認してから殺しても遅くはないと思います。青空さん達の強さがあれば、殺すのを少し後にすることくらい、造作もないのではないですか」
青空はその言葉に、下げていた視線をたまかへと戻した。
「……別に私達にとってそこは重要じゃないから確認なんていらない。もし『レッド』が『ブルー』に手を出したという情報が嘘だったのだとしたら、事実だったと後からでっち上げるだけだよ。抗争って、そういうものでしょ。例え今回が嘘だったとしても、縹様を殺した罪はあるんだから」
たまかは悲し気に眉を下げた後、その口を静かに閉じた。たまかの言葉は、ついに彼女の心に届くことはなかった。……あとは引き金を引かれて終わりだ。
(こんな結末……水面さんだって、望んでいないはずなのに)
青空に撃たれてこの命は終わる。そう思うと、最後にどうしてもやりたいことが頭を支配した。
「……あの」
「まだ何かあるの?」
おずおずと口を開くと、青空は呆れたように応じた。諦めが悪いとは思われているようだが、すぐに銃弾が飛んでくる気配はなかった。そんな青空へ、たまかは真面目な顔ではっきりと告げた。声を張り上げる。
「診させてください」
「……あ?」
「倒れている方を、診させてください」
たまかは真っ直ぐと訴えた。凛と響いた声に、視界の隅で桜や茜が僅かに苦い顔をしたような気がした。青空は眉間に皺を寄せたまま、口を半開きにしていた。たまかの足元には、先程青空に顔を抉られた少女が横たわっている。応急処置を受けることもなく、放置されたままだ。たまかは心の片隅で、ずっと彼女を案じていた。このままたまかが殺されてしまえば、彼女が『不可侵の医師団』に連れられるまで長い時間を要することになる。可能性は低いが、今ならばまだ治療が間に合うかもしれないのだ。希望があるのならば、彼女の治療をしないまま死ぬことは出来ない。たまかは青空の顔を、決意に満ちた表情でじっと窺った。
「……」
固まっていた青空は、なんだか力が抜けたようにため息を漏らした。
「……お前、確か初めて会った時もそんな感じだったな……」
彼女は渋い顔でそう漏らした。以前たまかが『ブルー』に連れ去られそうになった時、『ブルー』に殺されて倒れていた少女を診させて欲しいと水面にお願いしたことがあった。その時のことを思い出しているのだろう。たまかとしては当時も今も当然の言葉を口にしただけなのだが、彼女はたまかを見つめて小さく肩を竦めた。
「お前はずっと変わらないな」
その表情から、恐らく褒められてはいないのであろうことが窺えた。対するたまかは真剣な表情を崩さず、青空の答えをじっと待っていた。
「……」
青空は自分が放ったはずの言葉に、小さく眉を跳ね上げた。何か思うところがあったのか、そのまま黙り込む。眉を寄せた顔は、何かを真剣に考えているようだった。それを見つめるたまかは、青空の許可を今か今かと待っていた。倒れている少女が怪我を負ってから大分時間が経っている。なるべく早く治療に取り掛かりたい。勿論桜や茜達『レッド』のメンバーをここから逃す方法も考えなくてはならないのだが、今は怪我人の風前の灯と化した命が消えてしまうことが何よりも気がかりだった。
彼女の結ばれた口は、いつまでも開くことはなかった。その代わり、ずっとたまかを捉えて離さなかった銃口が、ついに下へと逸れた。そのまま銃が下ろされる。たまかはそれをぽかんとして見つめていた。桜の首に当てられたナイフはそのままだが、そちらも今すぐ切り落とすような動きはなかった。
「……」
青空は、真っ直ぐとたまかを見つめていた。その瞳は力強く、曇りのない澄んだものだった。
「……『レッド』の奴らは、動くな。少しでも動けば、たまかを殺す」
青空は周りの者達へ声を張り上げたあと、桜の首から刃先を離した。一直線に伸びた赤を首に残し、桜は小さく息を漏らした。武器を持った両手を下げ切った青空は、たまかを見下ろして目を細めた。
「お前は縹様を一度救った」
たまかは未だ状況が掴めないまま、青空を見上げていた。そんなたまかを瞳に映し、青空は毅然として声を響かせた。
「その後状況が変わったり、他の組織から買収されたりした可能性は充分ある。それでも——」
青空は厳かに続けた。
「『ブルー』は受けた恩には報いる」
広がる空の下、静けさが辺りを包む。青空は仲間達へと視線を流した。
「ここは一度撤退しよう。……『レッド』が仲間に手を出したという情報が本当なのか、確認するぞ」
——彼女の中の違和感が、無視できない大きさまで膨れ上がった。ここで殺す判断を、覆す程に。彼女はたまかの人となりを知っていて、それが未だ変わっていないと気付いたからこそ、たまかが水面を殺したと断定することが出来なくなったのかもしれない。たまかは誰かを傷つけたり出来るような人間ではないと、彼女はその身を以って知っている。水波を信じる気持ちとの板挟みとなって、無意識に結論を先送りしたのだろう。青空はたまかへ視線を戻すと、怒りを込めて睨み付けた。
「借りを返しただけだ、勘違いするなよ。縹様の流儀に従ったまでだ。さっきお前が自分で言っていたように、私達はお前達をいつでも殺せるんだから」
たまかは青空の言葉を理解するにつれ、顔を明るく晴らした。嬉しそうに目尻を下げる。
「……ありがとうございます。わかっています、『取引に応じてくださった』んですよね」
「そんなんじゃない」
たまかの言葉を即座に否定し、青空は忌々しそうに吐き捨てた。しかし下げた武器はそのままだ。
青空は仲間達へと、「行くぞ」と号令をかけた。『ブルー』の少女達はその顔に戸惑いや不服さを滲ませつつも、彼女の言葉に従った。去り際に青空は『レッド』の少女達、そしてたまかへ向けて鋭い眼光を放った。憎しみの籠った、殺気立つ瞳。彼女の言う通り、『レッド』を信じて見逃したという訳ではないのだろう。たまかが林檎のAIを使って水面を殺したという話を信じきれない以上に、水波のことを信じる気持ちが強いのだろう。青空は二枚歯を響かせ、瞬時に姿を消してこの場を去った。気付けば小さくなっていた背中に、『ブルー』の少女達も続いていく。通りの向こうに薄群青色は消え、けたたましい音も過ぎ去った。この場には紅色の制服のみが残されたのだった。
たまかは即座に怪我をして倒れている少女の容態を確認し始めた。怪我の目視、そして呼吸の確認。
「桜さん、首の傷は後程診ますね」
手首を取って脈拍を診ながら、横に立っている桜へ言葉を投げた。「いえ……」という曖昧な返事に、容態の確認に必死になっていたたまかは思わず顔をあげた。桜は苦い顔を貼り付けていた。困惑の混じった視線は、しゃがんだたまかを真っ直ぐ見下ろしている。
「これくらいの傷、自分で……」
「いけません。治療しますので、少々お待ちください」
言葉を遮り有無を言わせずに念を押すと、たまかは怪我をした少女の確認へとすぐに戻った。その丸まった背中を見下ろしながら、桜はやはり呆れた顔で、小さくため息を漏らした。
「……全てが理解出来ませんでした。恩があるからと敵をここで見逃す『ブルー』も、自分の窮地に他の人間の治療を懇願するリーダーも」
ほとほと困り果てた顔で口を動かしながらも、桜は倒れているもう一人の少女の死亡確認を始めていた。周りの少女達は、万が一敵が戻ってきた時に備えて警戒を強めている。
「根拠がないまま話を進める『ブルー』も、敵対組織の力になりたい、味方だと言う貴女も……なにもかもが無茶苦茶でした」
桜は手際よく確認を進めながら、意味が分からないという表情を滲ませていた。
「ですが……ここに立っている者達は、『ブルー』と対峙して無事に終わりました。……たまかさんはいつもそうです。理屈では説明できないのに、なぜか良い結果へと導いている」
桜は確認を終えてたまかを振り返った。たまかは顔を曇らせていて、力無く首を横に振った。
「そんなことはありません。……亡くなられていました。私は守る事が出来なかった」
たまかの下で横たわる少女は、眼球の消えた窪みから血管が覗く凄惨な顔のまま息をすることはなかった。桜もその顔に影を落とし、自身の確認した少女を一瞥した。
「こちらも死亡を確認いたしました。……死亡者計二名です」
たまかは今にも泣きそうな顔で、膝の上の拳をきゅっと握った。桜は言葉尻を柔らかくして、おずおずと声をかけた。
「むしろ『ブルー』と正面から対峙して、死亡者が二名で済んだことの方が奇跡ですよ。たまかさんは充分に責任を果たしたと思います」
これは単なる励ましではなく、事実だ。しかしたまかにはその言葉は全く響いておらず、暗い顔のまま肩を落としていた。死者を悼むような静寂が満ちた。
「……犠牲者を……」
やがてたまかは俯いた下で、ぽつりとか細い声を漏らした。
「これ以上、出してはいけません」
顔をあげたたまかは、悲しみを振り払って前を向いていた。たまかはいつだって心を折ることなく、前へと進む。いつも隣で見ている桜は、たまかのそんなところも知っている。
「お二人に報いるためにも、これ以上死者を出さないようにしなければなりません。こうしてはいられません、動かなければ」
「そうですね」
桜は真面目な顔で頷いてみせた。そして決意に満ちた表情を見つめ、自身の長の名前を呼んだ。
「先程の話は、本気なのでしょうか。縹の死の真実を突き止める、というのは」
その言葉に、たまかは一瞬悪い事が露呈した時のような顔をした。
「そして……朱宮さまが『ブルー』にいた、という話は」
場の視線が、全てたまかへと注がれていた。たまかは唇を小さく噛んだあと、ゆっくりと頷いた。
「……全て本当です。まず、林檎さんの件についてですが……『ブルー』の新しいリーダーとなった水波さんが、『ブルー』で林檎さんを目撃したと主張しているらしいのです」
「十中八九出鱈目だろうな」
横から茜がぼそりと口を挟む。しかしたまかは首を横へ振ってみせた。
「いえ……私は水波さんが嘘をついているとは考えていません。ですが一方で、林檎さんのAIが『レッド』を長時間離れていないことは皆さんが証言しています。ですから、この話には何か裏があると思っています」
それから、ちらりと桜の顔を窺ってから続ける。
「それも含めて……私は水面さんの死について、真相を探りたいと思っています。勿論一筋縄ではいかないでしょう。情報も足りないですし、『ブルー』が提供してくれるとも思えません。かえって怪しい動きをされていると目を付けられるでしょうし、『グリーン』や『ラビット』からは『レッド』が『ブルー』側についたようにみえてしまうかもしれません。敵を増やし、真実に辿り着ける可能性もごく僅かです。……それでも」
たまかは拳を握り締めた。
「それでも……水面さんの命を救えなかった私に今出来ることは、水面さんの死を究明することだけです。私は水面さんのために、そして『ブルー』の皆さんのために……真実を突き止めたいと思っています。それが私の本心です」
『レッド』の長として悪手も悪手であることはたまかにもわかっている。今『レッド』が行動を起こせば、確実に『ブルー』や『グリーン』を刺激する。情報も非常に少なく、真実に辿りつけずに時間や労力を無駄に終わるであろうことも目に見えている。現状は静観の構えを見せるのが正しいのだろう。……それでも、間違った方向に突き進む青空や水波をこれ以上見ていられなかった。彼女達の大きな想いが、水面のために身を結んでほしいと思ってしまった。たまかも彼女達と交流を深め、彼女達の想いを知っているから。友人と呼ぶには、あまりにも立場が邪魔をするが……それでも、じっとしているばかりではいられないのだ。水面だって、きっとあの世でそう願っている。
「……」
桜と茜は、どちらからともなく顔を見合わせた。二人の視線は、すぐに自分達の長へと戻っていった。桜が真面目な顔のまま口を開く。彼女の発言は薄々予想出来ていたが、たまかは固唾を飲んでそれを見つめていた。
「『レッド』を壊滅させるように『ブルー』を扇動した者達がいる可能性があるのなら……わたくし達も真実を探った方がよろしいでしょう。そのような組織があるのならば落とし前をつけさせるべきですし、また縹殺しに何か裏があるのならば『ブルー』と敵対する上で使える情報として探っておくべきだと思います」
桜の口から発せられた言葉は、予想に反してたまかの望みを否定するものではなかった。桜の返事に顔を晴らしていくたまかとは対照的に、桜はその表情を苦いものに変えた。
「何より……こうなったらたまかさんは止まらないじゃないですか」
どちらかというとこちらが本音のようだった。しかし彼女はたまかを止めることなく、その強い想いに応えてくれるようだった。言っても聞かないというのもあるのだろうが、それよりも彼女の言うように『レッド』にもメリットがあることを加味した上での結論なのだろう。例えそれがリスクと労力に釣り合わないとしても、合理的判断をする『レッド』の面々に提示出来る最低限のメリットは用意できると判断したらしい。
「あ、ありがとうございます」
桜も茜も『レッド』のメンバーも、今は静観して潜むのが最善手だとわかっているだろう。敵対組織に与するのに準じるような行為にも拘らず、彼女達は咎めることなく協力してくれるようだった。たまかへの理解と歩み寄りは、今までの『レッド』ならば決して選択しない決断を実現させた。たまかは平和の世界へ一歩近づいた気がして、胸に温かなものが満ちるのを感じた。
「それに、朱宮さまを利用するなんて許せませんからね」
桜は唇を尖らせてそう続けたあと、茜へと顔を向けた。茜も「全くだ」と同調して不満そうに肩を竦めてみせた。二人の林檎への不変なる忠誠心が垣間見えた。
「ちなみに……この件はAI達には内密にした方がよろしいですか? ……そのために朱宮さまの件を誰にも告げていなかったのですよね?」
桜はたまかへと淡々とした声で尋ねた。流石、既に意図を汲んでいる。たまかは深い頷きを返した。
「はい。林檎さんを疑っているわけではありませんが……『グリーン』に情報が渡ってしまうのを避けたいのです。極力口外せずに進めていきたいと思っています」
「承知いたしました。その警戒は然るべきものだと思います」
桜は真面目な顔で頷いた。たまかも気を引き締めて、声を響かせる。
「『レッド』に帰ったら、会議を開きましょう。皆で……水面さんの死について、真相を探るんです」
AIの力を借りることなく、人の手で。敵対組織である『ブルー』の前長のために、『レッド』はその頭脳を使うのだ。
(水面さんのために……全力を尽くします)
彼女の命を救えなかったからこそ、せめて彼女の無念を晴らしたい。たまかは自分の気持ちに、漸く正直になることを決めた。暗闇を精一杯藻掻く青空や水波の顔。たまかの願いについてきてくれる桜や茜、灯の顔。親友を喪ったが立場上悲しみを表に出せない姫月の顔。そしてもう二度と会うことは叶わない、水面の顔。脳裏に次々と浮かんだ顔、そして彼女達の想いを胸に、たまかは決意を表すように拳を握り締めた。
『レッド』の少女達は、犠牲となった仲間を運んでアジトへ帰っていった。その顔は悲しみに沈んでおらず、どの顔も壁に立ち向かう強い意志に溢れていたのだった。
***
長の帰還した『レッド』では、臨時の会議が開かれた。AIの参加は認められず、一部の幹部だけの極秘のものとして開催された。そこでたまかは『レッド』の面々へと情報を共有し、水面の死の真相を探っていくことを宣言した。「『レッド』を壊滅させるように『ブルー』を扇動した者達がいる可能性」、そして「『ブルー』と敵対していく上で弱点になり得る重要な情報」。桜の説明したこれらのメリットにより、『レッド』の少女達は反対する声をあげなかった。『レッド』の長として、勿論たまかもそれらを重要̪視してはいる。しかしたまかのこの宣言は、偏に水面のために出来ることをしたいという想いでなされたものだった。『レッド』の少女達はそれに気付いているのかいないのか、誰もそこには触れずに話を進めていた。合理主義の彼女達は、『レッド』と敵対する組織に関する情報が増えるという目的以外のことにはあまり頓着しないのだろう。
反対とはいかないまでも、現状は静観が最善手だろうという認識は全員持っているようだった。それでもたまかの方針に従ったのは、水面の死の件に林檎の名前が出てきたからなのだろう。自分達の前リーダーの、完全無欠なAI。生前と同じ口調、仕草、思考、発言をする機械。きっと全員心のどこかに、『グリーンのAIは怪しい』という疑惑が芽生えていた。故人と再びいられる喜び、利益に掻き消されていた現実に、向き合わなければならない時が来た。『レッド』の面々は、そう悟ったのだろう。合理主義な彼女達は、たまかの強い意思の宿る瞳に心揺らいだ訳ではないのだろうから。
たまかは停車した車の助手席から降りて、扉を閉めた。運転席からは桜が出てきて、同じく扉を閉める。二人は辺りを警戒した後、奥に見える建物へと顔を向けた。緑豊かな長閑な景色の中で、寂れた建物がぽつんと立っている。先日見た光景と同じだった。
「あの建物が縹の死体があった場所ですか」
「はい」
桜の厳かな声に、たまかも顔を険しくして頷いた。水面の死体が発見されてから大分経っているせいか、辺りに薄群青色の制服姿は見当たらなかった。『ブルー』の者に見つかってしまえば、間違いなく追い出されるだろう。それは避けたい。二人は車を離れると、草木に忍びながらこそこそと建物へと近づいていった。建物の近くにも人影はなく、たまか達の他には誰もいないようだった。二人は身を隠すのをやめた後も警戒を怠らず、自動ドアのもとへと慎重に歩みを進めていった。
「それにしても、辺鄙なところですね。こんなところに、本当に縹が一人で来たのでしょうか」
桜は辺りをぐるりと見渡した。近くには森林が広がっていて、他の建物は一切見当たらない。人の手が入っていないこの場所は、『ブルー』の縄張りからはかなりの距離がある。
「水面さんの死体がここで発見されましたし、監視カメラの映像に映っていた部屋もこの建物のものでした。彼女がここへ来たことは間違いないと思います」
二人は破壊されたままのドアを潜って中へと入った。二人とも小柄なため、剥き出しのガラスの破片に気を付けながらもすんなりと通ることが出来た。建物の中へ入った二人は暫し耳を澄ませたが、室外機か電気設備か何かの小さな稼働音以外は何も聞こえなかった。桜はわざと大きく音を鳴らして地面を蹴った。やはり奥から物音はしなかった。中にも人はいないようだ。
「この自動ドア……」
桜は自身が潜ってきたドアを振り返り、歪に割れている縁を見渡した。
「縹が侵入する際に破壊したのでしょうか。確かこの建物の所有者は『グリーン』でしたよね」
「そうですね、状況的に水面さんは不法侵入したと考えるべきでしょう。その後『グリーン』の機械を壊していますから」
二人は無人の受付カウンターを通り過ぎ、扉の並んだ廊下を進んで行った。
「……水面さんは、一体どうやってこんな場所に『グリーン』の機械があることを知ったのでしょう」
たまかの疑問に、桜は辺りへ警戒する視線を向けながら答えた。
「縹が死んでいる結果から見ると、誰かに誘き寄せられた可能性もありますね。そうでなければ、『グリーン』の者を縛りあげて暴力を振るい、口を割らせたとかでしょうか」
一面真っ白の階段室に入り、たまかを先頭にして二人は階段を上がっていった。
「そもそも縹がなぜ『グリーン』の機械を壊したのかがわからないと、その辺りもよくわかりませんね」
「……そうですね。水面さんはAIに賛成派で、『グリーン』とも良好な関係を築いていました。突然『グリーン』の機械を破壊するなんて、何かがあったとしか考えられないのですが……やはり情報が足りません」
二人は三階で階段室を出て、狭い廊下へ足を踏み出した。たまかの頭に、水面の死体を見つけた時の光景がフラッシュバックした。たまかは暗い顔で小さく首を振り、奥の部屋へと進んで行った。桜もそれに続く。記憶の中で青空が立っていた位置まで来て、たまかは扉の方へとぎこちなく顔を向けた。破壊された電子セキュリティロック。開け放たれた扉。奥に見える大きく拉げた巨大な機械。デスク、キャビネット、ラック……。水面の死体は、別の場所に運ばれたようで既に消えていた。
「……」
たまかは沈痛な面持ちで、思わず瞳を伏せた。今はなくても、ここに横たわっていた凄惨な表情の死体が脳裏で蘇った。
(ですが……何か一つでも情報を持ち帰らねばなりません)
それが彼女のために出来る、唯一のことだから。たまかは伏せた瞳を、そろそろと開いた。血が飛び散っているわけでもないため、何も知らない人が見ればただのオフィススペースだと感じるだろう。そんな何の変哲も無い光景が、たまかの視界に広がっていた。
「……ここに縹の死体が?」
後ろから桜が声を掛ける。たまかは頷いて部屋へと足を踏み入れた。
「はい、この部屋に倒れていました。恐らくあれが『グリーン』の投稿に使われていた監視カメラです」
たまかは天井の隅に取り付けられた監視カメラを見上げた。桜も後ろで同じ様に見上げる。
「映像では、水面さんはこの機械を壊していたようでしたね」
たまかは鎮座する大きな機械へ近寄った。黒い筐体は大きく拉げていて、素人目にももう動くことは難しそうだった。
「監視カメラの映像と『グリーン』の説明によると、一人で機械を壊していたところ、不活性ガス消火設備が作動して倒れてしまったとのことでした」
「不活性ガス消火設備……」
桜が天井を見上げる。たまかも続いて大きく仰いだ。
「あれですかね」
二人の視線の先には、円型の小型機械が二つ設置されていた。
「そうですね。恐らく二酸化炭素が使われていたのだと思います。死体の状況とも乖離はありません」
「成程……この大きな筐体がサーバー機器だとすると、消化設備に不活性ガスを使用するのに何ら違和感はありませんね」
桜は拉げた黒い筐体へと視線を向けた。精密機器を水損や汚損させることなく消化できるため、サーバールームには普通水や泡を使わない不活性ガス消火設備が設置される。
「ですが、映像では水面さんが逃げる様子がなかったのが気になっています。二酸化炭素を使用しているのなら、ガスの噴出の前にしつこく警報が鳴るはずです。万が一の事故や誤作動があっては、死人が出てしまいますから。それなのに、煙が満ちるまで水面さんは機械に向かったままでした」
『グリーン』の投稿に添えられていた映像を思い起こしながら、たまかは眉間に皺を寄せた。
「警報が耳に入っていても、機械の破壊を優先したい理由があったのかもしれません。もしくは何等かの原因があって警報が作動しなかったか、でしょうか」
桜はそう言うと、再度天井を見上げた。消火設備、そして埋め込まれているスピーカーに視線を向けた後、何かを探るように部屋を見渡した。
「この部屋には緊急停止ボタンがないようですね。……サーバールームではなく、もともとはただのオフィススペースのように見えますから、その方が自然ではありますが……」
「そもそもオフィススペースに見えるこの部屋に、不活性ガス消火設備がある方がおかしいのかもしれないですね。大事な機器をここに置く時に、『グリーン』が突貫工事で消火設備を導入したのかもしれません。その際に警報が鳴るはずのスピーカーに不具合が発生していた、という可能性はあります」
たまかは天井を見上げていた目を細めた。
「『グリーン』の映像が真実だった場合、ですが」
たまかの言葉に、桜はたまかへと顔を向けた。眉を顰める。
「勿論映像が偽の可能性はありますが……少ない情報そのものを疑い始めると、いよいよ推理材料がなくなってしまいますよ」
桜はそう言ったものの、すぐに視線を逸らした。
「まあ、確かに映像の改竄は『グリーン』の得意とするところであるようには見えます。ですがその場合は、『グリーン』は『ブルー』へ明確な敵意があるということになりますよ」
「そうですね。『グリーン』は『ブルー』に一方的に殴り込まれた被害者だと言われていますから、本来ならば『グリーン』が映像に手を加える意味はありません。ですが『ブルー』側は『グリーン』からも水面下で攻撃を受けている、と捉えているようです。そちらの主張がもし本当であれば、『ブルー』を陥れる一環として映像に細工をしていることも充分考えられます」
「それは『ブルー』のでっち上げた言い分だと思いますが……。……まあ、そうですね。『ブルー』に敵意を持つ何かしらの組織の思惑が絡んでいる以上、確かに『グリーン』も疑ってかかるべきではあります」
桜はやはり敵対組織である『ブルー』の言うことは信じられないらしく、渋々とした口調だった。
たまかは拉げた大きな機械へと顔を近づけた。よく見るとケーブルが無数に伸びていて、その内の何本かは切断され、被覆も破れていた。水面が機械を壊した時に、千切ったのかもしれない。
「……気になっていることは、もう一つあるんです」
機械を隅々まで睨みながら、たまかはそう続けた。後ろの桜は、たまかの話に耳を傾けながら水面の死体が横たわっていた床へと視線を這わせていた。辺りには血だまりも、罠が仕掛けられていたような跡もない。
「水面さんの死に顔が……とても凄惨で……。……私は沢山の人の死に顔を見てきましたが、あんな表情は滅多に見ません……」
たまかは彼女の顔を脳裏に蘇らせ、悲し気に眉を寄せた。彼女の最期を想像し、胸が締め付けられるような痛みが襲った。
「滅多に見ない……? たまかさんは先程、『グリーン』の説明と死体の状況に相違はないと仰っていましたよね? 窒息死は珍しいものではないでしょう」
桜は一歩横へずれ、床を見渡しながら後ろのたまかへ声を投げた。たまかは機械へ視線を向けたまま、しゅんとして肩を落とした。
「そうなんですが、今まで亡くなられた窒息死の患者さんとは表情が違っていて……。顔色や唇にチアノーゼが出ているようでしたから、『グリーン』の説明がある前から窒息死の可能性が高いとは思っていました。ただ水面さんを見ることが出来たのは一瞬なので、詳しく診ることが出来ていないのも事実です。溢血点の確認や、死斑の確認が出来ればよかったのですが……」
たまかはそこではたと動きを止めると、後ろの桜を振り返った。顔を強張らせる。
「……いえ、待ってください。確か一瞬だけ見えた、水面さんの足……」
小柄な背中が用心深く調べている床、そこに横たわっていた死体を思い起こす。
「……何か、痕があったような。ですが死斑とも違いました。赤紫色というよりも明るめ、中央は灰黄色、どちらかといえば火傷に近いような……」
さらにその形状も特徴的だった。あれは死斑ではない。数え切れない程死斑を見てきたたまかだからこそ、言い切れる。
「……」
たまかは険しい顔で、床の一点を見つめた。彼女の足が投げ出されていた場所。今は床が広がるばかりだ。
「抗争中に負った傷の可能性も充分にあります。ですがもしあれが死に際に出来た傷だとしたら、二酸化炭素での窒息死でそんな傷が出来るはずは……」
たまかが現場に駆け付けて水面の死体を見ていなければ、見逃していた痕跡。たまかはごくりと唾を呑み込んだ。
「……『グリーン』の映像は、一旦白紙に戻して考えてみた方がいいかもしれません」
その言葉に、床を調べていた桜が反射的に顔をあげた。丸まっていた背中が伸びる。
「ですが朱宮さま……」
「へ」
「……、……あ」
言いかけていた言葉がぴたりと止まる。顔をあげた桜と振り返ったままのたまかは、お互いに言葉を失って見つめ合った。ぽかんとした顔が二つ、静寂の中相対していた。
「あっ……、あっ?」
桜は素っ頓狂な声をあげ、明らかに狼狽えていた。視線が荒振り、口をパクパクと動かす。それから、思い切り眉が寄った。数秒前をなかったことにしたいという切実な思いが透けていた。潤み出す瞳は、今にも泣き出しそうだった。
「いやっ、これはっ、……信じられない……!」
愕然とした声。見たことのない程の動揺とともに、彼女は忌々しそうに歯軋りをした。
「まさか他の人と朱宮さまを間違うとは……! あってはならない失態、朱宮さまに対しての冒涜。もう腹を切るしかない……!」
「な、何を言っているんですか……?」
自分への怒りからなのか恥ずかしさからなのか顔を赤くし肩を震わせる桜へ、たまかは「落ち着いてください」と宥めるように声を掛けた。彼女は自分のしたことが信じられないように思い詰めていて、本当に切腹を始めそうな迫力があった。
(……珍しいですね。桜さんに林檎さんに間違われて呼ばれるなんて、初めてです……)
素で間違えたらしい。ぷるぷると震える桜へ、たまかは落ち着かせながらも驚きを滲ませてそんなことを思っていた。
「呼び間違いなんて誰にでもありますよ。桜さんは林檎さんといる時間が長かったですし、口をついて出てしまうのも自然なことだと思います」
穏やかにフォローを入れると、今にも泣きそうだった怒り顔が少し緩んだ。
「いえっ、今のは、その……。……呼び間違えてしまいすみませんでした」
落ち着きを取り戻してきた桜は、へこんだように肩を落とした。
「こんなこと、絶対あってはならないのですが……。……少し弛んでいるのかもしれません」
気落ちした声で、桜はしゅんとしてそう言った。呼び間違えるくらい、たまかだって経験がある。予想外に深刻に捉えている桜へ、たまかは軽く両手を振った。
「そんなことないと思いますよ。『ブルー』の件に意識がいっていただけだと思います」
「いえ、……」
もにょもにょと桜の口が言いにくそうに動く。
「なんだか、その……朱宮さまが、お傍にいる気がしてしまって」
「……え?」
たまかはぱちくりと瞬いた。恥ずかしさを隠す言い訳にしては、彼女の顔は真摯に反省中のように見えた。
「傍に……? ……桜さんは最近林檎さんのAIと一緒にいることが多いですから、それでですかね?」
「そう、かもしれません……」
曖昧な返事が返ってくる。逸れた視線は、否定を表しているように見えた。桜はもじもじと体を縮めていたが、やがてこほんと咳払いを挟んだ。
「……申し訳ございません、話の腰を折ってしまいました。縹の死因について、監視カメラの情報なしで考えてみる、という話でしたでしょうか」
いつもの真面目な声が戻ってきた。桜は床の確認を終えて立ち上がり、まだ少しそわそわとしながらもたまかの元へと近寄った。無理矢理戻って来た話題に、たまかは遅れて頷きを返した。
「ええと、そうでしたね」
たまかの横に並んだ桜は、隣へ怪訝な顔を向けた。
「縹の足の怪我は抗争で出来た傷で、『グリーン』の監視カメラには何ら問題はない、という線の方が現実的だと思いますが、どうでしょう」
「勿論その可能性もあります。ただ、水面さんは最近抗争に参加する頻度が減ってきていたようでした。怪我を負う機会も当然減っていたはずです。その線も追いつつ、別の角度からも考えてみませんか」




