第2話 私の姫君
その瞬間、時が止まったような気がした。
「ようやく見つけた。私の姫君」
優しげに微笑んだ彼は、リメリィーアルデをまっすぐに見つめ、そこに立っている。
ピンクからローズブラウンにグラデーションを描く不思議な外ハネの髪。若草色の瞳。
顔立ちは文句のつけようがないほど整い、図書館に通う他の客たちすらも惹きつける。
色こそ少し違えど、その姿はまさに、彼女が今朝夢に見た、花神と同じ。
一歩、こちらに近付く彼の瞳は熱っぽい。
分からないはずの状況の中で、彼女の心臓がどくんと跳ねた。
「いきなりなんですか、あなた。私の弟に」
だが、リメリィーアルデが口を開くより先に、デイヴィッツが不審げな眼差しを向けてきた。
敢えて弟と強調した彼は、二人の間に入ろうと足を向ける。
デイヴィッツは、王女であった過去を隠し、男と偽って生活するリメリィーアルデを守ろうとしているのだろう。
つり目がちの鋭い視線が、青年に向く。
「……これは失礼。ようやく探し人を見つけたもので、気が急いでしまいました。私は聖花騎士団所属のルルディエ・ラングと申します。そちらの方に大切なお話があり、参りました。黒髪のあなたは引っ込んでいてもらえますか?」
「なに?」
「危害を加えるつもりはありません。この方は大切なお人。良いですね?」
そう語る彼の口調は穏やかだが、どこか有無を言わせない圧があった。
傍から見れば見目の良い男三人が対峙している状況。しかし、実際はひとりの少女を巡り、二人が対峙している。
ルルディエと名乗る青年の真意は分からないが、いきなり現れた彼の言葉を、そう易々と信じるわけにはいかない。
リメリィーアルデの故郷であるエレリア王国だった土地は、ここプレジット王国から二つ国を挟んだ先にある。戦勝国は国も民も奪って行ったが、生死不明の王女を探す動きは見られなかった。今さら、王家の生き残りを狩りに来るとは考えにくい。
だがこの青年が放つ威圧感。只者とは思えなくて。
「何が目的だ」
背中を伝う嫌な汗を隠し、デイヴィッツは問いかける。
敵意をむき出しにした彼に、ルルディエは微笑んだ。
「だから話があるのですよ。お兄さんを気取っているあなたにではなく、こちらの方にね。しかしあまり時間もないので、一旦強行させていただきます。この方をあなたの傍に置くのは危険だ」
「……!」
彼が見せた笑顔は、とても爽やかなものだった。
だがそこに譲らない意志を見た途端、ボフンと白い煙が上がる。
「な、なんだこれは!」
ただの煙幕だ。
来館者たちから悲鳴が上がり、バタバタと言う足音がそこかしこで聞こえて来る。
「さて、一緒に来ていただけますか? 姫」
そんな中、ルルディエの甘やかな声が、咳き込むリメリィーアルデの傍に届いた。
若草色の瞳が微笑みを見せると同時に、彼女の意識はどこかへ飛んで行った。
「……ようやく見つけた。もう二度とあなたを手放したりはしない。今度こそ、必ず守り抜きますからね。私のリメリィーアルデ様」
陽だまりのような温かさを感じ、目を覚ます。
いつの間にか気を失っていたのだと気付くのに、そう時間はかからなかった。
ここは、どこか大きな屋敷の一室だ。白を基調とし、洗練された雰囲気がある。
そしてリメリィーアルデの目の前には、優美に微笑むルルディエ。
ソファに座った彼の膝の上でお姫様抱っこをされたまま、リメリィーアルデは眠っていた。
「お目覚めですか?」
ウィッグの奥に隠していたストレートの長い金髪が、驚きと共に揺れる。
いつの間にか、男の子と騙るための道具を奪われていたようだ。
「え。あの……」
だがこの状況は一体、何であろうか。
なぜ彼はここにいてリメリィーアルデを知っているのか。本当に何も分からない。
「おっと。これは無礼を致しました。しかし万が一、あの男が取り戻しに来ては敵わないと、一番近くに置きたくなってしまったのです」
「……」
「まずは本来の姿にお着替えください、リメリィーアルデ様。あなたに男装など似合いませんよ。駄々を捏ねられるようなら、私がお手伝いしてあげますから」
すると、呆気に取られたまま目を瞬く彼女に、ルルディエはあたりまえの如く微笑んだ。
どうやら彼はリメリィーアルデの男装だけでなく、その正体にも気付いていたらしい。
意表を突かれ目を丸くする彼女に、ルルディエは笑みを深くした。
「おや、お手伝いを希望ですか?」
「ひぇっ?」
ぐいと身を寄せて来るその眼差しは、冗談とも本気ともつけがたい。
危機感に頬を染めた彼女は、急いで彼の膝から降りると、頭を振った。
「い、いえ、ひとりで着替えられます。でもその前にひとつだけ、あなたは一体、誰なのです?」
そして最も聞きたいことを問いかける。
微笑みを湛えたまま、彼ははっきりと口にした。
「私は元エレリア王国の少年騎士団に所属していた伯爵家の末弟。そして、かつて闇に堕ちた花神の力を継ぐ存在として、あなたを守る者ですよ、リメリィーアルデ様」
「……!」
「あなたが、花神の力を継ぐ存在……!?」
メイドの手伝いを受けて隣室で着替えを済ませたリメリィーアルデは、改めてルルディエと向き直っていた。
ペールグレーのスーツから、ローズピンクを基調としたドレスに着替えた彼女は、どこか落ち着かない様子でもじもじしている。
ランタンスリーブから三段フリルと華やかなレース。ドレープを描いた裾に繊細な刺繍。久々となる本来の姿に、若干照れが混じっているのだろう。
それでも話を聞くことにした彼女は、ルルディエの正体に驚くばかりだ。
「ええ。あなたなら花神の神話はご存じでしょう? 大切な自身の姫を失くし、花神は闇に堕ちる。その寸前、彼は自らの使命だけは果たそうと力を放った。その力は姫と同じ魂を持つ人間が現れるまで、脈々と受け継がれてきたのです」
「では、本当に……」
「ええ。私は花神の力と記憶を継ぐ、神の代理人と言ったところでしょうか」
用意された紅茶をコクと含み、ルルディエは些末な事象を語るように告げる。
神話は、古代の人々が紡いだ物語ではなく、現実に起きたことの記録だ。だからこそ神話研究家たちは神話を紐解き、この壊れかけた世界を救う手立てを探してきた。
だから、花神の力を継ぐ存在が現れること自体は、決して不思議なことではない。
そうと分かっているのに、信じられなくて。
そして何より、彼がリメリィーアルデを「守るべき存在」と認識しているということは。
「もうお分かりですね、リメリィーアルデ様。あなたはかつて人と神との橋渡しに選ばれた姫。その生まれ変わりです。そしてこの世界に残された、数少ない希望なのですよ」




