夜明けを待つ 02
「——だが、それでは何も解決しないだろう!」
「ならどうするというのだ? まさか貴様の粗末な案を使うというのではなかろうな?」
「何だと!!」
議論の紛糾する会議室に、ぱん、と音が響く。
「そこまで。皆興奮しすぎだ。一旦休憩にしよう」
椅子から立ち上がっていた面々の視線が、一番奥の席に座る若い男へと向けられた。
「しかし、グレイ様!」
「卿、落ち着いてくれ。この街を守りたいという気持ちは皆同じだ。敵を見誤ってはいけない。僕らにとっての敵は今ここはいない。そうだろう?」
「……は、その通りでございます」
目を伏せて肯定する男に一つ頷き、彼は会議に参加している面々を見渡す。
「僕たちにはまだまだやることが山積みなんだ。休憩して、頭を整理して、そうしたらまた午後も頼むよ」
解散、と手を叩けば参加者はそれぞれに退室していく。最後の一人が礼をして出ていくのを見送ったところで、グレイはべたりと机に伏せた。
「……疲れたな」
がんがんと鳴るような頭痛に顔を顰めて、彼はため息をつく。
街の運営のため、これが必要なことだとは分かっている。分かってはいるが、一人で癖の強い面々を纏めるのは中々骨が折れる。相談できる相手すらいない今の状況は、グレイにとって目隠しをされたままで歯抜けの吊り橋を歩かされているような気分だった。せめて父が生きていれば、この不安も収まったのだろうか。
この街を最初に形作ったグレイの父は、数年前に紛争に巻き込まれて命を落としている。本来ならそのまま街が瓦解してもおかしくなかっただろう。実際、そういう例も珍しくはない。だが父の生前からその手伝いをしていたグレイが跡を継ぎ、街は今でもこうして続いている。あるいは、こういった状況を見越して父は彼に仕事を手伝わせていたのかもしれない。
今日も昼食は街に出掛けよう。当然屋敷の中でも作ってもらうことはできるが、外を歩いて気晴らしをしなければそろそろ胃に穴があきそうだ。
またため息をつきつつ、椅子から立ち上がって歩き出し——後ろに続く足音が聞こえないことに首を傾げて振り返った。
「シード?」
「っ、はい」
椅子の後ろに立っていた護衛の男が、グレイの呼び掛けでびくりと肩を震わせる。ぼんやりとしていたのを見るに、どうやら何か考え事をしていたらしい。いつも真面目な彼にしては珍しいこともあるものだ。
「外に出るから来て欲しかったんだけど、」
「問題ありません。同行いたします」
遮る勢いで返し、シードは彼の傍らへとやってくる。
「その」
「うん?」
「グレイ様は……昼食は何を召し上がる予定でございますか」
内容だけ見れば何気ない問いかけ。しかし、そのような世間話を不要と断じる彼らしくない問いかけ。もしや何か護衛の仕事に関係するのだろうかとグレイは疑問を抱く。
「これから決めようと思っていたところだけど、どうかした?」
「……いえ」
す、と目を逸らしたシードがそれきりで沈黙する。煮え切らない態度に内心首を傾げつつ、今日の昼食へと意識を戻した。
しかしその日以降、護衛の男は何ということもない質問をしてくるようになった。ある時、会話の中でたまに挟まる不自然な沈黙が、どうにか質問を捻り出そうという思考に使われていることに気づいたとき、グレイは一つの結論を出す。
どうやらシードは、仕事を抜きにした交流の必要性を理解しつつあるらしい、と。
***
窓から差し込む朝日を受けて、ちゅんちゅん、と鳥の置物が囀り始める。
「……ぅ……おき……ます…………ちゃんと、おきますから……」
緩慢な仕草で寝台から起き上がった彼女は、殆ど閉じたままの目を擦って欠伸を噛み殺した。
「きょうは……あさから……そうじと……しこみの……てつだい……」
回りきっていない頭で今日の予定を反芻しながら、身支度を始める。着替えをし、まかないとして昨日貰った軽食を食べながら髪を結わえる。
顔を洗って身嗜みを整える頃には、彼女の意識はすっかりと微睡みから浮上していた。
必要なものだけが入った革のバッグを肩にかけ、玄関で振り返る。
「行ってきます」
挨拶と共に柔らかく微笑んで、彼女は部屋を出ていく。
扉が開いて閉じた後、誰もいない部屋には静寂だけが満ちていた。
***
広場にある掲示板の前は、いつも以上に賑わっていた。
「……何かあったんでしょうか」
店の前の掃除をしながら、彼女は人だかりを見つめる。物々しい雰囲気は、明らかに喜ばしい類の報せではないことを表していた。
「北がまた怪しい動きをしてるってさ。まったく懲りない連中だよ」
「リダさん」
「おはよう。朝からありがとね」
ふあ、と欠伸をして、夫と共に店を切り盛りしている女性はちらりと人だかりに目をやった。
「あいつらが来なくても、ここはもう何十年も内輪揉めでめちゃくちゃだってのにね。ニア、あんたもいざという時のために、いつでも逃げられるようちゃんと準備しとくんだよ」
「お店はこれからどうするつもりなんですか?」
「やるよ。皆が不安な時ほど美味い飯が必要だからね。でも、もっと状況が悪くなったら逃げる。逃げて、また新しいところで店をやる。あたしら夫婦は今までもそうやって来た」
「そう……ですか」
別れを惜しむこともない、きっぱりとした言葉。それでも、今の時代には仕方のないことなのだろう。生きるために生活を投げ出すことは、あまりにも当然のことになってしまったから。
思わず目を伏せた彼女の頭に、ぽんと手が載せられる。
「なーに、辛気臭い顔して。あんたらしくない」
「……すみません」
「こらこら、謝んないの。むしろあたしらの方が申し訳ないよ。店で働いてるあんたはすごく楽しそうだからね。三年前、この街に来たばっかりの頃とは大違いじゃない」
「う、それは……オリスさんの料理を食べたら誰だって笑顔になります」
「そりゃもちろん、あたしの旦那だからね!」
互いに顔を見合せて、二人の女は笑う。仕入れから戻ってきた店主が声をかけるまで、彼女たちの楽しげな話し声は続いていた。
***
ある夜のこと。
それに最初に気づいたのは、街の出入口の警備をしていた傭兵の一人だった。
「……なぁ」
「何だ?」
「…………何か、聞こえる気が、」
次の瞬間、男は呻き声を上げて崩れ落ちる。その足に深く刺さった矢を見つけたもう一人の傭兵は、すぐさま仲間を抱えて外壁の内側に身を隠しながら叫んだ。
「敵襲だ!」
闇夜の向こう、一斉に点けられた松明の炎がその存在を誇示するように揺れていた。
***
「……」
5つの死体を見下ろしつつ、シードは軽く剣についた血を袖口で拭った。
「シード、終わったかい?」
「はい」
扉の向こうからかけられた声に答える。静かに開いたそこから顔を覗かせたグレイは、特に躊躇う様子もなく死体の傍にしゃがみこみ、闇に溶け込むような黒い仮面を剥ぎ取った。
「この顔立ちは……北じゃなく西の人間だね」
「剣筋からも間違いないかと」
暗殺者たちの死体を見下ろして、彼は主の言葉に追従した。肩を竦めつつ立ち上がったグレイは呼び鈴を鳴らす。やって来た侍従にいくつかのことを命じ、二人は部屋の中へと戻った。
執務用の椅子に腰を下ろし、グレイがため息をつく。
「他の街も北の動きは分かっているだろうに、今こんな動きをするのには違和感がある、かな」
「北に警戒が向いている隙に他を襲おうというのでは?」
「そう考えることもできなくはないけど、確率は低い。そもそもの大前提は生き残ることだ。たとえ他の街からどれだけ物資を奪おうと、それで兵力を損耗しては意味がない。むしろ、他の街が残っていればそれだけ自分たちに割かれる兵力が減るということにもなる。それなのに動いたということは、確実に北の侵攻を乗り越える算段があるということなんじゃないかな」
「……内通」
「うん、とりあえずはその線で考えていくつもりだよ」
まあ他の街なんて内通というほど内部でもないけど。そうぼやいた彼がため息をついたところで、扉がこつこつと叩かれた。
「私だ。開けるぞ」
返答を待たずに扉が開かれ、訪問者は遠慮なく部屋へと入ってくる。
一人の女だ。眼帯に覆われていない方の目には鋭い光が宿っている。盛りは過ぎているが、それでも引き締まった肉体にはまるで隙がなく、指先は自然に腰の剣に添えられていた。
この街を拠点とし、実質的に衛兵としての役割を担っている傭兵団の長——フレイア。その風格は歴戦の兵士そのものだった。
「待ってたよ。早かったね」
「この街の長からの通達だ。私とて弁えるべきところは弁える。……ところで部屋の外に死体が転がっているが、いつからこの屋敷はこんなに物騒になったんだ?」
「ああ、ごめん。今は緊急事態だからさ、後で片付けるよ」
「その呑気さだけは父親から受け継いで欲しくなかったものだが、緊急事態という点には同意しようか」
「というと?」
椅子に腰を下ろしながら、フレイアは眉をひそめて忌々しげに鼻を鳴らす。
「敵襲だ。今は門を閉じて応戦しているところだが、芳しいとは言えん。既に街の中に入り込んだ者がいないとも限らんしな」
「やっぱりか」
うーん、と唸ってしばらく考え込んだグレイは、やがて一つ頷いて顔を上げた。
「決めた。まずは他の代表たちの安否確認と、屋敷への避難を。彼らが居なくなれば今までの安定が揺らぐ可能性が高い。それから、傭兵団でこの街の人間だと確認ができる人たちも避難を望む人はこちらで受け入れる」
「確認ができないものは?」
「受け入れない。疑わしい人間を屋敷に入れるわけにはいかないから。でも、もしそれでも保護を望む人がいれば集会所に連れて行ってくれ。あそこなら、ここの次に安全だ」
「いいだろう」
ひとつ頷いて、フレイアが立ち上がる。そのまま出ていこうと扉に手をかけた彼女は、ふと振り返って彼を見た。
「シード、手伝え。貴様はこんなところで遊ばせておくには惜しい駒だ」
「……しかし」
先程グレイを狙う暗殺者を退けたばかりだ。新手が来ないとも限らないというのに、主の傍を離れてよいものか。しかし、彼の視線を受けたグレイは首を振った。
「大丈夫だと思うよ、シード。さっきの暗殺者は全員死んでるから、他の潜伏者がいたとしてもここの状況は分からない。居たとしても数はそう残っていないはずだから、下手に動くこともできないだろう。僕は屋敷から離れないから、何かあったら戻ってきてくれ」
「……了解いたしました。行って参ります」
「暗殺者共をうまく仕留めたようだな。よくやった」
廊下を歩きながらわしわしと後頭部を撫でられ、シードはその手を払う。
「子供扱いはしていない。息子扱いはしているが」
「……」
「そう拗ねるな。身分を除けば、私にとってはお前もグレイも似たようなものなんだ」
おどけたように言う女に、昔から頭の上がらないシードは息を吐いた。




