夜明けを待つ 01
光のない暗き夜を、たった一つの星を探して独り彷徨う。
朝など来なくていい。夜に終わりなんていらない。
この目に最初に映るのが星の光でないのなら、このまま夜に閉じ込められていたい。
それなのに、残酷なほどいつも通りに陽は昇る。
夜が終わる。
星のいない朝が来る。
そんな夢を、もうずっと見ている。
***
その大草原にある国々は、『西部』とのみ呼ばれていた。
理由は二つ。
一つ目は、そこが大陸の西に位置していること。
二つ目は、そこに生まれる小国たちは個々の国として区別するには寿命が短すぎたこと。
ある程度の人々が集まれば街が、国ができる。国が複数になれば貧富や武力、思想の差が生まれる。そうして出た杭は打たれる。打たれた末に弱くなった国は、食い尽くされ滅びる。
『西部の地図を作る』というのが徒労の例えとして通用してしまうほどに、昔から平穏とはかけ離れた土地——それが大陸西部だった。
そんな西部に、とある小国があった。
大陸全土を巻き込んだ魔術戦争が終わる頃に興った国、キーバル。
他の地域であれば街と形容されるような、城壁に囲まれた小さな国。傭兵団に守られ、それぞれの分野の代表たちが合議制で政をしているその国。
それが、故郷を失った彼女が暮らすことを選んだ場所だった。
***
「——あれ?」
ふと窓から外を見て、首を傾げた。
この街の中心である小さな広場の片隅に、見慣れない人物がいる。
若い男だ。少しくたびれているが質のいい服に身を包んでいるのを見るに、中流か上流階級の人間だろう。転がっていたらしい簡素な木箱に腰を下ろし、背を丸めて俯いている。
その姿にどこか既視感を覚え、彼女は男を見つめたまま暫し考え込む。
「ニアちゃーん!」
「あ、今行きます!」
馴染みの客から声がかかり、彼女は今が仕事中だと思い出した。くるりと身を翻し、昼時で賑わう店内に意識を戻す。
彼女の働くこの店は、広場に面した料理店だ。店の手伝いとして雇われている彼女は、注文をとるために呼ばれたテーブルへと向かう。
「はい、何にしますか?」
「いつもので頼むわ! あ、飲み物は酒じゃない方でな。かみさんにどやされちまう」
「ふふ、わかりました」
「そうだ、聞いてくれよニアちゃん! さっきさぁ、あいてっ!」
向かいの店で大工をやっている髭の男が話を続けようとしたところで、その隣で鍛冶屋をやっている白髪混じりの男が肩を叩いた。
「馬鹿、ニアちゃんは忙しいんだからおめーの話で引き留めてちゃ悪ぃだろ」
「おお、そうだった! すまん、ニアちゃん!」
「ふふ、またの機会に聞かせてくださいね!」
気心の知れたやり取りに微笑ましさを感じつつ、彼女は注文を伝えに厨房へと向かう。そうしてようやっと昼時を乗り越えたとき、広場にいた男のことは彼女の中で随分と小さくなっていた——そう、次の日に同じ場所に同じように座っている姿を見るまでは。
***
「うーん……」
どこか落ち込んで元気がなさそうな様子を遠目に眺めて、彼女は眉根を寄せて小さく唸る。そうして窓の外を見ていれば、向かいの席に誰かが座った。
「ニアさん休憩中っすよね? 何見てるんすか?」
「あ、ロロさん。こんにちは」
自分で運んできた料理を机に置いて、店の常連の一人である青年は「こんちわっす」と返す。そのまま彼女の視線を追った彼は、「あー」と困ったように耳を掻いた。
「……あの男、気になるんすか?」
「昨日もあそこに座ってたから気になって。もしかして、傭兵団で対応に困ってるような人なんですか?」
キーバルの傭兵団は、普段はこの街の治安維持もしてくれている。西部は街を出れば魔物に遭遇することもざらにあるような場所だが、彼らがいることで小さな街にしてはかなり治安がよいのだ。
傭兵団に所属している彼は、頬をぽりぽりと掻いて言葉を言い淀む。
「ああいや……いやまあ部分的にそうっすかね。ただ座ってるだけなんで害は何も無いんすけど、あの格好でしょ。お偉いさんなら護衛の一人くらい連れて出てきてほしいんすよね」
「じゃあ、彼があそこにいる理由が分かれば、傭兵団の皆さんも対処しやすいですよね?」
「そうっすけど……え、ニアさん?」
信じられないものを見るような目ににっこりと笑って、彼女は席を立つ。
「リダさーん、私ちょっとだけ出てきますー!」
「い、いやいや、ちょ、」
「おいおいさっきからニアちゃん独り占めして随分と楽しそうにお話ししてんじゃねえか。羨ましいやつめ、このこのぉ」
「んなこと言ってる場合じゃないんすよ!」
立ち上がって止めようとした青年が、同じ傭兵団の先輩に肩を組まれて座らせられる。聞こえてくるじゃれ合いのような言葉の応酬にはにかみつつ、彼女は店を出た。
そして四半刻後、極めて申し訳なさそうな表情の男を伴って戻ってきた彼女に、二人の傭兵はぽかんと口を開いたのだった。
***
カラン、と店の扉にかかった鐘が鳴る。
振り返った彼女は、入ってきた人物を見て微笑んだ。
「こんにちは、グレイさん」
「えと……うん、こんにちは」
躊躇いがちに挨拶を返した男は、先日よりも地味な服に身を包んでいる。
「その、本当に僕みたいなものがまた来てしまってよかったかな。迷惑になってないかい?」
「まさか! お客さんは皆大歓迎です。どうぞ寛いでいかれて……と、そちらの方は?」
続いて入ってきたもう一人の男に気付き、彼女は首を傾げる。精悍な表情と鍛え上げられた肉体は、柔和な印象のグレイとは正反対だ。腰に佩いた剣でおおよその予想はついたが、それでも礼儀として彼女はそう問いかけた。
「僕の護衛をしてくれているシードだよ。この前君に言われた通り、確かに館の近くでも一人でいるのは危ないから着いてきてもらったんだ」
「そうだったんですね。こんにちは、シードさん。このお店で働いているニアと申します」
歓迎の意を込め、にっこりと笑みを浮かべて頭を下げる。対する仏頂面の男は、険しい顔で彼女を一瞥してその横を通り過ぎていった。
「グレイ様、こちらへ」
「シード、挨拶をされているんだからせめて返さないと駄目だろう?」
「必要ありません」
「まったく君は……ごめん、ニアさん。彼は誰にもこうなんだ。気にしなくていい」
「ええ、気にしていませんよ。空いている席であればお好きな席にお座りください。ご注文が決まったら呼んでくださいね」
変わらぬ笑みを浮かべたまま、彼女は他の仕事のために奥へと戻ろうとする。その片手首が掴まれて引き留められた。振り返れば、眉間に皺を寄せてこちらを睨む男がいる。
「おいお前、どこに行こうとしている。注文が決まるまで待つのが当然だろう」
「いい加減にしろ、シード! その手を離すんだ!」
我慢の限界といった様子で椅子から立ち上がり、グレイが叫ぶ。昼時を過ぎて比較的閑散とした店内にその声が響き、先程から聞き耳を立てていたまばらな客たちがびくりと肩を震わせた。
「僕たちは普通の客の一組として来ている。彼女が特別僕らを優先する理由なんてどこにもない。これ以上横暴に振る舞うつもりなら、僕は君を護衛から下ろすよ」
「ですが俺は、」
「言い訳は聞かない。どんな考えがあろうとも、他人にとっては目に見える行動が真実だ。君はもっと周囲に気を配るようにしろ」
沈黙した護衛を見下ろしてため息をつき、男は席の隣に立ったままの彼女に目をやる。
「本当に申し訳ない、ニアさん。店の空気も悪くしてしまったね。今すぐ出るよ」
「でもこのお店の料理は美味しいですよ?」
「……え?」
思わずといった様子で聞き返した男は、不思議そうな彼女の顔を見てぽかんと口を開ける。
「私はあの鶏肉の香草焼きがおすすめですね。それから、」
「い、いや待ってくれ。君はこんなことをした僕たちをまだ客として扱うつもりなのかい?」
「気にしてませんよ」
遮って問いかける男に、彼女は二人を出迎えたときと変わらぬ笑みを浮かべた。
「料理を注文してくれる人は皆お客さんです。お客さんであれば、もてなすのが私の仕事なんですよ。注文はゆっくりと決めてください。料理は逃げませんから」
そう締めくくり、くるりと背を向けて店内を見渡した彼女は、ぱんと手を合わせる。
「さて! ここにいる皆さんは幸運ですよ。今日はカップケーキの日ですからね!」
よく通る彼女の声に、店にいる客たちが目を輝かせる。
甘味は貴重品だ。それゆえに品書きには載っていないが、この店ではたまにこうして予告無く振る舞われることがあるのだ。
空気が変わったのを見計らったように、厨房の方から利発とした女が顔を覗かせる。
「ニア、お茶の用意が出来てるよ! 手伝いな!」
「はーい、リダさん! 皆さん、少し待っていてくださいね!」
軽やかな足取りで厨房へと戻っていく彼女を、客たちは楽しげに言葉を交わしながら親のようににこにこと見守る。おずおずと椅子に腰を下ろしたグレイも、再び店に戻ってきた温かな雰囲気にほっと息をつく。
ただ一つの視線が、その背を険しい顔で見つめていた。
***
店主夫婦に挨拶をして、彼女は裏口から店を出る。
とっぷりと日が暮れた路地裏は、夜の静寂に包まれている。ぐっと伸びをした両手を下ろし、彼女はおもむろに暗がりへと目をやった。
「護衛のお仕事はよろしいんですか?」
しばらくの沈黙ののち、暗がりから一人の男が歩み出てくる。相変わらず眉間に皺を寄せているシードは、片手を剣の柄に触れさせたまま剣呑な目で彼女を見た。
「……グレイ様は既に館に戻られている。あそこであれば、俺が常にそばに居る必要はない」
「そうですか。ところで、何か私にご用ですか?」
「何故、俺がここに居ると知っていた」
「お客さんから聞きました。変な男が店の外に立っていると。特徴を聞いたらシードさんだったので、気にする必要は無いと伝えましたが」
変な男、とぼそりと反芻してシードは僅かに渋面になる。昼間よりも人間みのある仕草に、彼女は口元に手を当ててくすくすと笑った。笑われていることに気付き、男の眉間の皺が深くなる。それでも怒ることはなく、律儀に彼女が笑い終わるのを待ってからシードはようやく口を開いた。
「一体、何のつもりだ」
言葉少なな問い。だが、その意味を読み取った彼女は微笑む。
「強いて言うのなら、ちょうど見えるところに困っていそうな人がいたから声をかけただけです」
「そんなもの、」
「分かりますよ。あなたは自分の主が心配なんでしょう? だから、昼間もあえて私にきつく当たることでその目的を見極めようとした。いえ、あるいは遠ざけようとした。こんな面倒な従者のいる男に近寄りたくない、と思わせようとした。合っていますか?」
「……」
これ以上ないほどに図星を突かれたシードは黙り込んだ。警戒の眼差しに、彼女は眉を下げて笑う。
「分かるんです。私もかつては——とある方に仕えていましたから」
目を閉じた彼女は、そっと胸に手を当てる。束の間そうして記憶に意識を委ねていた彼女は、小さく息を吐いて瞼を上げた。幽かな月明かりを受けた若葉色の瞳は、凪いだ水面のように穏やかだ。
「……お前の主は」
「もう居ません。今の時代では、そう珍しいことでもありませんが」
薄々想像していた返答に、しかしシードは思わず口を噤む。彼が次の言葉を見つける前に、彼女が口を開いた。
「私の願いはただ、この穏やかな日々ができる限り長く続くことだけです。お客さんにも、せめてお店にいる間だけは平穏に過ごしてもらいたいんです。平穏というものは、人々が思っている以上に簡単に壊れてしまうものですから。……いかがでしょう? これで少しは、あなたの疑念を晴らせたのならいいのですが」
軽く首を傾げた彼女を、男はじっと見つめる。しばらくそうしていた彼は、やがて一つため息をつくと剣の柄から手を離し、深々と頭を下げた。
「昼間の件について、謝罪する」
「……ええと、さすがに今の話を丸ごと信じられてしまうと、あなたの純真さを心配してしまうんですが」
「お前は疑わたいのか疑われたくないのかどっちだ」
「もちろん疑われたくはないですけれど……さすがに素直過ぎませんか?」
頬に手を当てて困惑げに問いかける女に、シードは誤魔化すように咳払いをして少しだけ顔を上げる。その表情はひどく決まり悪そうだ。
「……お前の話を全て信じたわけではない。だが、昼間のあれはさすがに横暴が過ぎた。グレイ様に聞いた話のみの思い込みで動いてしまっていた。その点について、謝罪する」
「ああ、そういうことですか。安心しました」
謝罪をお受けします、と告げれば男はようやく下げていた頭を上げた。
「差し出がましいとは存じますが、忠言を差し上げます」
彼女がそう声をかければ、帰路に着こうと背を向けていたシードが振り返った。
「主と従は何よりも信頼関係が重要です。そのためには、言葉を交わし互いに理解することが何よりです。グレイさんと話してください。あなたが何を考えてそう動いているのか伝えなさい。彼が何を考えてそう動いているのか聞き、可能なら理解しなさい。信頼関係がなっていなければ、いざというときに足を掬われますよ」
「…………ああ」
歯切れ悪く一言返して、男はとぼとぼと路地を去っていく。遠のいていく背中を見送った彼女は、小さく肩をすくめる。
「あの様子じゃ、普通に会話するまでにも随分とかかりそうですね……」
次に彼らが店にやってきた時にも様子が変わっていなければ、こちらからグレイの方にも働きかけてみるべきだろうか。そんなことをつらつらと考えつつ、彼女は帰路についた。




