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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ひと知れず咲く花に、名前はいらない。

炎を纏ったお嬢様

作者: でんぱ

 

 今日もまた、ドロッセルお嬢様の苛烈な怒声が屋敷中に響き渡った。

 不憫にも、庭園の木々でただ朝露に喉を潤していただけの小鳥たちが、驚き、一斉に飛び立つ。

 震源地は三階のダイニングルーム。粗相をしでかしたのは、年のころがおそらく十五か十六ほどの使用人の少女だった。両目に涙を浮かべながら、まるで身体を折りたたむように深々と頭を下げている。

 畏まるにしても行き過ぎた仕草にも思えるが、仕える主人がまだ齢十二の、それも車椅子に座った少女なのだから、仕方がない。

 こうでもしなければ、主人の目線より下に頭を下げることができない。

「なぜこんな簡単なこともできないの? あなたは私に恥をかかせる気なの? それとも、私を貶めようと企んでいるのかしら?」

「も、申し訳ございません」

「あなたという人間がどれほど無知で、どれほど無能なのか。それを私は存じませんけれど、少なくともこの屋敷に仕えている間は無知も無能も許しません。分かりますか?」

「――申し訳、ございません」

「謝罪の言葉が聞きたいわけではありません。私の質問に答えなさい。まさか、それすら分からないほどに無能なのかしら?」

「――――もうしわけ、ございません」

 使用人は、深く頭を下げたまま、ぽろぽろと大粒の涙をこぼしていた。

 年下の少女に叱られて涙を流すなど、みっともない者だと思う者もいるのかもしれない。

 だが、このお嬢様に仕えた使用人で、彼女に泣かされたことのない者など、いったいどれほどいただろうか。

「ですから――」

 声音に孕む怒気の含有量が増加しかけたところで、それを止める声が上がった。

「ドロッセルお嬢様、それくらいで勘弁して差し上げてください」

「なぜ止めるの、ゲデヒトニス」

 背中に鉄骨でも入っているのではないかと思われるほど、背筋の伸びた使用人が口をさしはさんだ。

「聡明でいらっしゃるお嬢様には思いもよらないことかもしれませんが、人は普通、一度聞いただけで物事を覚えることはできません」

「それは、努力が足りないのではないかしら」

「いいえ、違います。聞いて覚え、見て覚え、自分でやって覚えて、それぞれ二回繰り返して、やっと初めて身につくのです」

「では、やはり努力不足でしょう。あらかじめ勉強しておけば、二度目の機会を待たずとも一度目で身につくはずです。であれば、手間も半分で済むはずなのですから」

「お嬢様は大切なことをお忘れです。皆が皆、読み書きができるわけではありません」

 ゲデヒトニスがそこまで言って、ようやくドロッセルははっとした様子で口元に手を当てる。

「学ぶ時間が十分に与えられていない状況での粗相を、努力不足と責めるのは酷と言うものでございます」

「……そうね。失念していたわ」

「それに、いま叱責されているそちらのユミルテミルは、食事のマナーについては不見識ですが、料理の腕は一級品なのです」

 ゲデヒトニスが言うと、ドロッセルは彼女を一瞥してから、まだ投げつけられていなかった匙を手に取り手元の皿の料理を一口すくって口へ運んだ。

「……このポタージュを作ったのはあなた?」

「――はい」

 ぴくりと肩を震わせ、怯えた声で少女は答える。

「なるほど。こちらはよく丁寧に作られていて、私の好みにも配慮されています。これからも励みなさい」

 その言葉に、頭をさげていた使用人は、いっそう涙をあふれさせながら、こくりと頷いた。


 屋敷での苛烈な振舞とは裏腹に、社交界でのドロッセルの評判は上々だった。

 幼いころから一流の淑女となるべくあらゆる知識とマナーを叩きこまれていた彼女は、持ち前の要領の良さと頭の良さで、若くしてウォルト家の名代として年上の貴族たちと対等以上に渡り合っていた。

 ただ優秀なだけではない。目を引く容姿と、年齢からすればやや幼い趣味の衣装も相まって、特に奥様方からは『まるでお人形のようだ』と大の評判であった。

 この国の貴族に、ウォルト家のドロッセル嬢の名を知らぬものはいなかった。

 社交界で、彼女の話題が出ない日はなかった。

 皆が口を揃えて言った。彼女はいずれ、この国を背負って立つほどたいそう立派な淑女になるであろう、と。

 だからこそ、そのあとに続くため息交じりの言葉も、自然、大きく広がる。

 ――ほんとう、足さえ悪くなければどれほどよかったことか、と。


「さっきは助かったわ、ゲデヒトニス。それでこそ、私直属の使用人よ」

 恐縮です、と言って、ゲデヒトニスは恭しく頭を下げる。

 いまは、朝食と朝のお勉強を終え、庭園を回っているところだった。

 車椅子を押すゲデヒトニスは、虫がドロッセルへ寄らぬよう、しかし花の香りをきちんと楽しめるよう、最適な距離を保ちつつ歩く。

「使用人が皆、あなたほど優秀であったらと思うのは贅沢なのかしら」

「私は、特別優秀というわけではありません」

「過ぎた謙遜は、人を傷つけるナイフになるわよ?」

 静かに答えるゲデヒトニスに、軽い意趣返しと言わんばかりにドロッセルは口元に笑みを浮かべて言う。

「事実です。私は今年で十九です。ほかの使用人たちに比べ、ただ、歳を重ねただけにすぎません」

「いいえ、やはり謙遜よ。お父様に仕えているあなたの倍は生きている使用人たちだって、あなたより優秀な人は誰一人いないわ」

 ゲデヒトニスは、彼女の言葉をそれ以上否定することなく、恐縮です、と言って再び頭を下げた。

 ウォルト家に仕える使用人は、延べ五十人を超える。

 さきほど叱責を受けていたような見習いと言っていい年若い者から、先々代の当主の代から仕えていたという老齢のベテランまで様々だ。

 しかし、ドロッセルに当てがわれる使用人は、全て歳若い女性ばかり。自然、未熟な使用人が多くなる。

 それは、友人の少ない娘の、よき話し相手に、あるいはよき理解者になってくれればという現当主である父なりの気遣いであった。

 だが、当の本人はそんな親心などまるで及びもつかず、ただ憤慨していた。なぜこうも未熟な使用人ばかりが自分に当てがわれるのかと、不満でしかないようだった。

「ドロッセルお嬢様は、ご友人がほしいと思ったことはないのですか?」

「友人? どうしたの、急に」

 そんな当主の意を汲んでゲデヒトニスが問いかけると、ドロッセルは車椅子の上で器用に身体をねじって背後のゲデヒトニスを見上げる。

「ふと、気になりまして。お気に障ったのでしたら申し訳ありません」

「構わないわ。友人ね、考えたこともなかったわ」

「理由をお聞きしても?」

「社交界で、同世代の子女とお話する機会は何度かあったのだけれど、まるで話が噛み合わないの。私が話題を振っても、彼女たちはみな揃って、小首をかしげて愛想笑いをするだけ。とてもではないけれどお友達になどなれないと思ったわ」

「それは、お嬢様が難しいお話をするからです。貴族だからといって、なにも、お喋りが全て政治のお話である必要などないのです。珍しい本のお話や、異国へ旅をしたお話、おいしいお菓子のお話、他愛のない話を聞くだけでも楽しいものですよ」

 思いのほかに食い下がってくるゲデヒトニスに、ドロッセルは少しずつ不機嫌になる。

「ゲデヒトニスは、そんなに私にお友達を作ってほしいの?」

「ドロッセルお嬢様は非常に優秀です。ですが、たまにはリラックスして息を抜くことも覚えていただきたく思います」

「そのために、お友達が必要だと?」

 ゲデヒトニスはこくりと頷く。

「そのために、延々とくだらない話を続ける連中に、話を合わせろと?」

「可能であれば」

 ドロッセルは、フンと挑発的に鼻を鳴らす。

「お断りよ。私は、お友達になるなら、少なくとも対等の人間を選びたいの」

「差し出がましいことを申しました」

「それに、そんな面倒で回りくどいことしてなくても、ただお友達を作るだけであれば、もっと確実で、ずっと素敵な方法があるじゃない」

「それは?」

「簡単よ。ゲデヒトニス、私とお友達になりなさい」

「それは、主人としてのご命令ですか?」

 ドロッセルは逡巡したあと、少しだけ笑って、首を振る。

 その様子を見たゲデヒトニスは、ゆっくりと、息を吐きだす。

 そして、深く、深く、頭を下げる。

「申し訳ございません、お嬢様。どうかご容赦いただければと思います」

 ゲデヒトニスがそう言うと、ドロッセルは、燃え上がりそうな瞳で彼女を睨みつけた。


 ゲデヒトニスは、中流の商家の一人娘として、この国に生まれた。

 彼女の父は、娘だからといって安易に家庭に入れるのではなく、ゆくゆくは自分の跡を継いでもらいたいと考えていた。そのため、時間を見つけては、読み書きや簡単な算術、他国の文化などを教えていた。

 持って生まれた特性なのだろう。彼女は、とても器用にあらゆる知識と技術を吸収し、十二、三のころには、父に付き添い商談にも顔を出すようになっていた。それは、家庭教師を何人も付けているような上流貴族の子女たちとも十分に肩を並べられるほど優れた才覚だった。

 転機が訪れたのは、彼女が十四のころだ。

 隣国同士で、戦争が起こった。

 元来平和主義者だった彼女の父は、商売としての採算を度外視して、両国の戦争被害者へ分け隔てなく積極的に支援を行った。食料や医薬品などの不足しがちな物資を遠国から取り寄せ、生活に困窮していた難民たちへも頻繁に手を差し伸べていた。

 それが命取りとなった。

 手を差し伸べた難民の中に、スパイがいた。

 それを知った一方の国から、彼女の父に打診があった。その人物を引き渡せ、と。

 正体を知られたスパイが敵国に引き渡されたとしてどうなるかなど、火を見るより明らかだ。

 彼は、その打診を拒絶した。

 彼の判断は、この国を戦火に巻き込む寸前まで追い込むほどに危ういものであった。

 戦後、彼の責任を問う司法の場が開かれた。結果として彼が直接法に裁かれることはなかったが、それとは別に、商家としての彼の立場は非常に苦しいものとなった。

 彼はすべてを失い、家族の生活は一気に困窮した。

 苦渋の決断として、彼はたった一人の愛娘をウォルト家の使用人として送り出すことを決めた。

 そのころのウォルト家は、時流を見誤った父と違い、戦争を機になお発言力を増していた。一人の父親としては忸怩たる思いであっただろう。


 商家の娘から使用人へと、十四になって生活が一変したゲデヒトニスであったが、彼女は新しい環境に柔軟に順応していた。

 もともとの教養もあり、加えて物覚えも良かった彼女は、若くして一流の使用人としてウォルト家で頭角を現していた。

 父の無念や家の凋落に思うところがないわけではなかったが、自分に職を与えてくれ、さらに家族の負債を肩代わりしてくれたウォルト家に対しては、多大な恩こそあれ、逆恨みのような気持ちは一切なかった。

 ウォルト家に仕えてからしばらくして、ゲデヒトニスは、当時まだ七歳だったドロッセルお嬢様の側仕えのお役目を賜った。

「ゲデヒトニスと申します。本日から、お嬢様のお側で仕えさせていただくこととなりました。以後、よろしくお願いいたします」

「うん、よろしくね。私はね、ドロッセルって言うの。仲良くしてね」

 そのころのドロッセルは、まだ足も良く、そしてわんぱくであったため、両親たちもたいそう手を焼いていた。やんちゃ盛りで危なっかしい娘に対し、信頼できる使用人をそばに置いておきたいと常々考えていたのだが、ドロッセルが両親以外の大人にひどく人見知りをしたため頭を悩ませていたそうだ。

 そこで、ゲデヒトニスに白羽の矢が立った。

 ゲデヒトニスが読み書きをできたこともあり、彼女はドロッセルの家庭教師も兼任することとなった。

 好奇心が旺盛なドロッセルは、物知りな彼女にすぐに懐いた。なにか気になることを見つけては、「ねえ、ゲデヒトニス?」と問いかけた。そして、ゲデヒトニスはそれらの全てに、優しく、丁寧に答えていた。

 二人は、まるで仲の良い姉妹のように、朝から晩までずっと一緒に過ごすようになった。


 ドロッセルは、ゲデヒトニスから見ても非常に優秀なお嬢様だった。

 ただ物覚えが良いだけではなく、応用力があり、努力家でもあった。

 ゲデヒトニスが一から十を教えると、次の日には二十にも三十にも、理解を深めていた。

 そしてなにより、それだけの才能を持ちながら、心根が優しく、素直でよい子だった。

 貴族社会で暮らす者にとって、その素質はなによりも代えがたい才能だと言っていい。

 お嬢様は将来、必ずこの国の貴族社会を背負って立つ淑女になる。ゲデヒトニスは確信にも近い予感を覚えていた。

 その予感が崩れ、ドロッセルが今のような苛烈な性格へと変貌したのは、ゲデヒトニスがウォルト家に仕えてちょうど二年ほど経った頃のことだった。


 その日は、とても風の強い秋の日だった。

 ゲデヒトニスは十六歳になり、ドロッセルは九歳になっていた。

 当時の社交界で流行になっていた押し花の栞を作るため、庭園へ花を摘みに行った帰り。

 屋敷の玄関の前で、ゲデヒトニスの髪を結んでいた青いリボンが、風にさらわれて飛ばされてしまった。

「あっ」

 咄嗟に手を伸ばしたが、指の隙間をすべるように、リボンは空へと舞い上がっていった。

 行方を目で追うと、それは、庭園の隅に立っていた一本の銀杏の木の枝へと引っかかった。

 ドロッセルは、しっかり者の使用人の珍しい失敗を目にしてくすくすと笑っていたが、想定外に動揺していたゲデヒトニスの様子を見て、不安げな顔で声をかけた。

「どうしたの、ゲデヒトニス?」

「その、申し訳ありません。むかし、父から誕生日にいただいていた物でしたので、少々取り乱してしまいました」

「ゲデヒトニスの大切な物なの?」

 何気ないドロッセルの問いかけに返したこの時の言葉を、ゲデヒトニスは一生後悔することになる。

「はい」

「じゃあ、取りに行きましょう」

「いえ、あんなに高いところに引っかかってしまっては私たちでは取ることはできません。二週間後には庭師がやってきますので、その日まで待ちましょう」

「そんなに待っていたら、また風が吹いてどこか知らないところへ飛ばされてしまうかもしれないわ」

「そうなったとしたら、それは仕方のないことです」

「ちょっと待ってて、ゲデヒトニス。わたし、木登り得意だから取ってきてあげるわね」

 言って、ドロッセルは木のほうへ向かって駆けだそうとした。

「お待ちください、お嬢様。でしたら、私が登ります。すぐにはしごを取ってきますので、絶対に危ないことはせずにお待ちくださいね」

 ゲデヒトニスが踵を返し庭師の物置小屋へ向かい、はしごを手に銀杏の木のもとへとたどり着くと、ドロッセルはすでに遥か頭上で小さな手を精いっぱいにリボンへと伸ばしていたところだった。

「お嬢様!!」

「待ってて、ゲデヒトニス。もう少しで、手が、届くから」

「おやめください、お嬢様!! お戻りください!! ゆっくり、いますぐ!!」

「待って、もう少しだから、ほら――」

 ドロッセルの指先がリボンに触れたところで、彼女の足を支えていた小枝が、音を立てて折れた。

 支えを失った彼女の身体は、無情にもゲデヒトニスの手が届く前に、地面へと叩きつけられた。

「お嬢様ッ!!!!」

 ゲデヒトニスが彼女を抱き起すと、声にならないうめき声をあげ、苦悶の表情に玉のような汗を浮かべながら、手に握ったリボンを差し出した。

 ゲデヒトニスは、後悔に悲鳴を上げそうになる。

 そして、視線を彼女の下半身へと移すと、細く、傷ひとつなかった足の膝から下が、本来あってはいけない方向へとゆがんでしまっていた。

「誰か!! 誰かいませんか!! お医者様を!! いますぐ、お医者様を!! 誰か!!」

 騒ぎを聞きつけ、少しずつ人が集まってくる。

 ほどなくして、医者がやってきて、家中総出でドロッセルの介抱が始まった。

 そして、顔を青ざめさせた当主が登場し、娘の様子を見るなり、大声でゲデヒトニスを怒鳴りつけた。

「どうしてこのようなことに!! お前は、いったいドロッセルの何を見ていたのだ!!」

 当然の罵倒に、ゲデヒトニスはただ、頭を下げるしかない。

「申し訳ございません」

「これでは、なんのためにお前をドロッセルの側に付けていたのかわからないではないか!!」

「申し訳ございません」

「もう貴様なぞ顔も見たくない!! 即刻、この家を出ていけ!!」

「待って、お父様」

 介抱する医者らの隙間から顔をのぞかせたドロッセルが、苦悶の表情を噛み殺しながら口をさしはさむ。

「ゲデヒトニスは悪くないわ。これは、私がひとりでやったことだから」

「だとしても、それを止めるのが使用人の役目だ」

「それも違うわ。ゲデヒトニスは、()()()()()()()()()()()()()()()()の。彼女には、私の忘れ物を取りに行ってもらうように命じていたから」

「……お、お嬢様」

 ゲデヒトニスはふるふると首を振る。

「――本当なのか?」

 ちがう、と否定しようとしたところで、

「ねえ、そうでしょう、ゲデヒトニス?」

 否応を許さぬ声音で、ドロッセルが念を押した。

 主人がそれを命じれば、ゲデヒトニスに否定することはできなかった。

「…………」

「まあ、いい。だが、娘から目を離して怪我を負わせてしまった事実は変わらん。処分は追って下す。それまで、自室で謹慎していろ」

「……かしこまりました」

 ゲデヒトニスは、自責の念に押しつぶされそうになりながら、ふらふらとした足取りで自室へと戻っていった。

 それから一か月後、謹慎から開けたゲデヒトニスが目にしたのは――、

「お久しぶりね、ゲデヒトニス。謹慎が開けたのであれば、今日からまたよろしくお願いするわね」

 車椅子に座り、自分にも他人にも厳しく接するように性格を変えてしまったドロッセルお嬢様であった。


「ご容赦ください、というのはどういう意味?」燃え上がりそうな瞳のまま、ドロッセルは、いまなお頭を下げ続けていたゲデヒトニスへと問いかける。「私なんかとは、お友達になれないと。そういう理解でいいのかしら?」

「その理解で、間違いありません」

「当然、理由を聞かせてもらえるのよね?」

「ドロッセルお嬢様がおっしゃるように、ご友人というものは対等な関係でこそ成り立つものです。貴族と、使用人とで、対等な関係というものは成り立ちえません」

「これは、政治や権力の話ではないのよ? 私は、友人の質こそ気にすれど、立場なんて気にしないわ」

「それでも、やはり私がドロッセルお嬢様のご友人になるということについては、ご容赦いただければと思います」

「それは、ほかにも理由があるということ?」

「…………」

「答えなさい」

「…………」

「答えなさい。これは、主人としての命令です」

「……ドロッセルお嬢様は、足を悪くしていらっしゃいます」

 ゲデヒトニスが、感情を押し殺したような声で答える。

「そうね。確かに私は足が不自由よ。でも、それが、私と友人になることを拒絶することになんの関係があるの?」

「お嬢様が常日頃の生活を送るためには、必ず補助をする者が必要になります。それは、何年も、何十年も、四六時中常に支え続ける必要があるとても大変な役目です。そして、それをすべき人間は私であるべきだと、私は考えます」

「…………」

「繰り返しになりますが、友人という関係は対等でなければないとお嬢様はおっしゃいました。私もそのご意見に賛同いたします。仮に、私がお嬢様の友人となれば、お嬢様の生活を支えるうちに、私はきっとどこかで必ず、不平を言うことになるでしょう。私は、私がそうなることを許せません」

「……つまり、あなたは、足の悪い私の生活を支え続けるために、友人になることを拒否する、と。そういうことでいのかしら?」

「はい」

 ギリッと。歯が砕けそうになるほどに、ドロッセルは奥歯を噛みしめる。

「そう、あなたの言うことは分かったわ。あなたの意思を尊重しましょう」

「恐縮です」

 そして、ドロッセルとゲデヒトニスはふたたび庭園を回り始める。

 その日は、それ以降、お互いに一言も口を利くことはなかった。

 そして、ゲデヒトニスのもとに『ドロッセルの側仕えの任を解く』という連絡があったのは、その日の晩であった。


 ドロッセルの側仕えには、ユミルテミルが就くことになった。恐縮しきってガチガチになってしまった彼女は粗相の数が普段の倍以上になってしまっていたが、不思議なことに、その日以来、ドロッセルの怒声が響くことはなくなった。そして同時に、食事や社交界などを除き、自室から外へ出ることも少なくなった。

 ゲデヒトニスはユミルテミルの穴を埋めるように調理係へ配置された。調理係はもともとは給仕係も兼任していたはずなのだが、ゲデヒトニスにはそれも認められなかったため、ドロッセルと顔を合わせる機会はほとんどなくなった。

 まれに、屋敷の中ですれ違い顔を合わせる機会があったが、その際もドロッセルはまるでゲデヒトニスを避けるように、目も合わさず、言葉を交わすこともなかった。

 ゲデヒトニスは、まるで魂をどこかに落としてしまったかのように、何事にも無関心になってしまった。

 無論、彼女は調理係の仕事を一流にこなしていた。だが、彼女のことを不気味に思った料理長はいつしか、ただ芋を切るだけの仕事を与え続けた。それでも、彼女は一切不平を言わず、ただ、芋を切り続けた。


 そんな生活がしばらく続き、季節が二度移ろった頃。

 ユミルテミルがひとり、ゲデヒトニスの部屋を訪れた。

「その、ゲデヒトニス様、お嬢様がお呼びです」

 その報せを聞いたゲデヒトニスは、思わず大声を出した。

「側仕えのあなたが、なぜお嬢様のお側を離れているのですか!!」

「お、お嬢様のご命令でしたので。申し訳ございません」

「お嬢様はどちらですか!?」

「その、自室に――」

 ユミルテミルがすべてを言い終わる前に、ゲデヒトニスは駆けだしていた。

 そして、飛び込む様にドロッセルの私室へ入ると、部屋の真ん中で、車椅子に座ったドロッセルがひとりおかしそうに笑っていた。

「どうしたのゲデヒトニス。そんなに血相を変えて。もしかして、また私がなにか無茶をしているんじゃないかって心配したのかしら?」

「……いえ、その、申し訳ありません。勝手な思い込みで少々取り乱してしまいました」

 そう言って、ゲデヒトニスが頭を下げ立ち去ろうとすると、その背中にドロッセルが声をかけた。

「どこへ行くの?」

「自室へ戻ります。私がそばにいると、お嬢様の気分を害してしまうかと思いますので」

「忘れたの? 私は、あなたをここへ呼び出したはずよ」

 言われ、ゲデヒトニスは先ほどのユミルテミルの言葉を思い出す。思わず取り乱してしまったが、確かにお嬢様に呼び出されていたような気がする。

「その、私に何か御用でしょうか?」

「ええ。ちょっとした用事があって呼んだのよ。私、すこしおなかが空いたみたい。何かお願いできるかしら?」

「でしたら、アフタヌーンティーをご準備いたします」

「それはいいわね。せっかくだし、あなたも一緒に付き合ってくださる?」

 ゲデヒトニスは困惑する。

 かつて、側仕えをしていた頃ですら、アフタヌーンティーをご一緒したことなどない。それが、顔も合わせられなくなるほどにお嬢様の気分を害してしまった今になって、何故そのような誘いを受けるのか想像もつかなかった。

「それは、かまいませんが……」

「なら、決まりね。()()()()()()()()()()()、少し待っていてくれるかしら」

「えっ」

 言って、ドロッセルは腕だけの力で体を起こし、車椅子から降り、立ち上がる。

 そして、ぷるぷると震える足を、ゆっくりゲデヒトニスへと向かって踏み出す。

 ゲデヒトニスは、手で口元を覆う。

 一歩。一歩。ゆっくりと、だけど確実に。よろけそうになっても決して手をつくことなく、そしてまた一歩、踏み出す。

 信じられない光景だった。

 お嬢様の負った怪我は、決して軽いものではない。リハビリをすれば再び歩くことができる可能性はあるとお医者様は言っていた。だが、それはほとんど気休めのようなものだったはずだ。

 彼女がここに至るまでに乗り越えた苦難に、ゲデヒトニスは思いを馳せる。

 五歩――。

 六歩――。

 七歩――。

 八歩――。

 手を伸ばせば、ゲデヒトニスに触れられるというところまで来て、ドロッセルはバランスを崩してよろめいた。

 その手を、ゲデヒトニスが取る。身体を抱くように、引き寄せる。

「お嬢様……」

 ゲデヒトニスの目からは、涙がとめどなく溢れていた。

「分かったでしょう、ゲデヒトニス。私には、私の世話をする使用人なんて、必要なんてないの」

 額に玉の汗を浮かべながら、ドロッセルは言う。

「だから、改めてもう一度聞くわ。ねえ、ゲデヒトニス。私と、お友達にならない?」

 ゲデヒトニスは涙を拭う。

 そして、ぐしゃぐしゃになった顔で歪な笑顔を浮かべ、言う。

「アフタヌーンティーをしようというお話でしたね。すぐにご準備いたします。なにか、食べたいお菓子はありますか、ドロッセル?」




 ―了―



お気づきの方も多いかと思いますが、タイトルと一部のキャラクター名については、とあるアニメ作品をオマージュさせていただいています。

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