断酒をもう飲めないと思うか、もう飲まなくて良いんだ、と捉えるか
2007年12月6日
三鷹駅のすぐ近くにある『井の頭病院』に外来受診しました。私自身がアルコール専門外来を探し出したのではなく、私の職業が病院勤務だったことから勤めている職場のケースワーカーの命令に従ったのです。
拒否できなかった理由は連続欠勤、無断欠勤、連続休暇、言い方はなんでもいい、仕事よりも飲酒を選んだ結果でした。
アルコール依存症に陥ったとしても自分から「俺、どうもアル中みたいだから専門病院に行ってくるよ!」という人はまずいません。私の出会ったアルコール依存症者の中では1名のみです。
アルコール依存症が『否認の病』と言われる由縁です。
アルコール専門病院を受診するとまず言われるのが「通院にするの?入院でいくの?どちらを選ぶの?」と聞かれます。
当然ですが、酒を飲み過ぎたくらいで入院生活を選ぶ人はいません。ですから「通院でお願いします」になる。ところが通院では居住空間が自宅になるので、いつでもアルコールに手を出せてしまうことになる。
実際にやってみてください。通院でアルコール依存症を治療しながら自宅で過ごす。節酒はできるかもしれません、短い期間に過ぎませんが、一生涯酒を口にしない断酒は無理でしょう。
アルコール依存症者は死を迎える3日前まで絶対にアルコールを飲んではいけないのです。
6年間の断酒に成功しました。 今日をもって今夜から節酒、適量を飲むように致します。そう宣言して1ヶ月後、アルコール専門病院に帰っていった人が複数名います。
アルコール依存症者は適量に酒を嗜む事ができないのです。だからアル中なのです。
適量が無いのならば、残る手段はたった一つのみ「飲めない」「永久に飲めない」
こう伝えると自分の嗜好を奪われた感覚に陥ります。ですから書き方を変えますね。
「もう飲まなくてもいいんですよ。アルコールに金を払う必要性が永久に無くなったのです。酒税をあなたは永久に払わなくて良い立場になれたのです。おめでとうございます。」
書き方の違いで同じ行為がこうも違うのです。
要はあなたの身に起こっていることを最悪ととらえるか、絶好のチャンスととらえるか?
私は後者を選択しました。厳密に言えば選んだのではなく、断酒以外に道が閉ざされたのです。




