5話 運転席で
次の日から本格的な授業が始まる、何てことはなく。お買い物に行くことになった。私の師匠となったビレムと、執事兼、護衛のカリスト君。私たちは車に乗っていて、カリスト君は蒸気機関に魔法で熱を通らせている。プロの機関加熱士ではないけど、魔導士の家で働くことはあって魔力に乱れはない。
デザインは運転席と後ろの席までの距離が長い、リムジン。そして運転席と後ろの席の間には蒸気機関があって、カリスト君はじっと蒸気機関を眺めながら魔力を送っている。距離は二十分もかからないので、彼の魔力が切れることはないはず。
車の運転はこの町に来てからメイド長に教えてもらってて、たまにこうやって私が動かすこともあった。ただ普段は他のメイドたちとビレムから頼まれて遠くへ大きな買い物を行く時にワゴン車のような、また同じく蒸気機関で動く車に乗ることが多かったら、リムジンを運転するのはこれが二回目。車じゃないけど、蒸気機関で動く小さなバイクは子供でも乗れて、私も昔からそれを乗って家から寄宿学校を往復していた。町中に給水機があるので、そこで水を汲んで、水筒をいっぱいにすれば三十分は進められる。魔力で水を沸騰しながら運転しないといけないんだけど、要は足を動かして自転車をこぐのではなく、魔力を使って水筒を沸騰させるだけだから、慣れればそこまで難しくない。ただ車となると、色々気を付けることが多いから、やはり隣でカリスト君のように誰かが機関加熱士の役割をしてくれる方がずっと運転に集中しやすい。確かプロのドライバー出ない限り機関加熱士を同伴しない運転は法律にも反しているはず。学校で学んだ。
カリスト君の年齢は二十代半ばくらいで、体格がよく、執事と言ってるけど実際は屋敷内ではほぼ力仕事を担当している。髪の毛は短く、外出しているからと執事が着る燕尾服に蝶ネクタイではない、動きやすい服装を着ているため、ただのごろつきのようにも見える。顔立ちは整っているんだけど、それに似合わない自信のなさが彼の言動からうかがえる。
私も今はメイド服ではない普段着を着ていて、季節は夏に迫っているため、簡素で薄い生地のワンピースの上にカーディガンというシンプルな服装でありながら彼との雰囲気は正反対。長い髪は結って頭の後ろに冠のようにぐるっと回して纏めている。自分でやったのではなく、リンテンにしてもらえた。彼女はすごく不思議そうにしていた。使用人が使えている主人の、魔導士の弟子になるなんて、普通じゃあり得ないって。私もそう思う。隠すことでもないので話したんだけど、羨ましがれることはなく、ただただ不思議と言った感じの反応が返ってくるなんて予想外だった。彼女の性格ならそうなるのかと納得。そして今に至ると。
「お前、何をやったらご主人様の弟子になるんだよ。俺、これからお前のこと敬わないと行けなかったりするのか?」
シリンダーが引っ切り無しに動く銅色の蒸気機関をじっと眺めていることに飽きたんだろうか、カリスト君が話しかけてきた。ビレムとの距離も遠く、蒸気機関からするぷしゅぷしゅって音のせいで彼には届かないはず。車はゆったりとしたスピードで進むよう、安全運転を心がけながら滑らかな石畳の道を進ませるためアクセルを踏む。
「運転中は話しかけない方がいいと思うんですけど。」
「お前運転うまいだろう。知ってるぞ。全然余裕だろう。違ったら返事しなくていいからな。」
バレてるし。そこまで余裕じゃないけど、会話くらいは集中力を乱すこともなくできると思う。交通量も少ないし。
「わかりました、話します。それで、何が知りたいんですか?確かにお師匠様の弟子にはなってますけど、今まで通りメイドであることに変わりはありませんから、別に敬ったりしなくてもいいと思います。」
養子になるならともかく、弟子になったくらいで扱いが急によくなったりはしない。
「それで、何をして弟子になったんだ?何があった?」
「特に何も。ご主人様から聞いてないんですか?」
淡々とした口調で聞き返す。
「聞いてないんだよな、これが。昨日の今日だろう。何か重大な発表があったら夕食の時じゃないか?」
「そんなに重大な事なんでしょうか。」
「重大なことだろう。平民が、それも使用人がお貴族様の弟子になるなんて、普通のことじゃない。全く、何があったんだよ。まさか、お前貴族の隠し子とかじゃないんだろうな。ほら、その髪の色とか。」
それはどうなんだろう。平民の中でも私のような髪の色を持つ人はいる。そんなに見てはないけど、確かにいるにはいるのだ。
「母方の祖母も私と同じ髪の色ですし、母と姉はクリーム色の髪ですし。二人とも平民です。上京してきて、父方の祖父が経営していた商会で働くようになって、父と出会って、結婚したんです。私が生まれ育った家族は私と似たような顔つきで、生まれた時からずっと一緒です。ちゃんと血は繋がっていると思います。」
寄宿学校での教員や同じ生徒の中でも色んな髪色を持つ人たちがいたことを覚えている。髪を染めることは、私が知る限りは出来ないことだから、彼らもきっと遺伝なんだろう。寄宿学校に貴族は通ってなかった。というか、貴族は、私が知る限りだと家庭教師を雇うのが一般的で、学校には通わない。必要な科目にあたり教師を一人雇う。平民はいくらお金があっても、貴族のように家庭教師を何人も雇うことは出来ない。だから寄宿学校にいた子供たちは皆平民だった。彼女たちの中には赤い髪とか、薄紅色の髪とか、紫色の髪とか普通にあって、私の銀髪はそこまで目立たなかった。
私が今住んでいる屋敷のメイドと執事たちの中にも、薄水色の髪のメイドとか、水色の髪の執事がいる。質問をした当の本人、カリスト君も少し明るい栗色の髪で、例えるならオランウータン。と言ったら彼は怒るかな。そう言う感じはしないけど、あえて言わないでおく。
「そう言われても俺は見たことないぞ、お前の家族。屋敷の誰も見たことないだろう?俺は貴族で銀髪の人、何人か見たことあるんだぞ。平民ではお前が初めてだがな。」
カリスト君が言う通りではある。というより、この町は私が住んでいた町ではないので、私の家族を知っている人なんてこの町ではビレム以外はいないのでは。滅多に王都から離れなかったし。
「もしそうだとしてもです。ここに来てからもう一年も過ぎていますよ。一年間ちゃんと使用人として働いていたの、見ていたんでしょう?貴族の隠し子に使用人の仕事を一年もさせると思いますか?」
「さあな。俺は貴族じゃないからな。どんな家がどのような繋がりがあるのかなんて、本人たちの事情だろう。」
「あの、なんで私を貴族の隠し子にしたがるんでしょうか。少し癖はあっても普通の、ハルシュテルで喫茶店をしているオーナーの娘なんですからね。」
カリスト君が疑問を持つのは、それなりの判断材料が彼の中に揃っているからなんだと思う。多分だけど、寄宿学校で学んだ礼儀作法や喋り方、人前で堂々とする練習などは、普通の庶民では身に着けることが難しいもので、その落差に何かがあると勘ぐってしまうのも仕方がないのかも。
「それにさ、魔導士の弟子なんて、普通になろうとして出来るもんじゃないだろう。それもご主人様なんて、ただの魔導士じゃねぇ。偉大な魔導士様で、俺らみたいな一般人も名前くらいは聞いたことがあるくらいだ。ここに就職した時に、ワクワクしていたんだよ。そんなご主人様の下で働けるとか、普通に拍が付くだろう?周りに自慢も出来るからな。」
カリスト君にそう言うモチベーションがあったのは今初めて聞いた。一年間何を話していたのか思い返してみると、一対一で直接会話をしたことは数えるしかなくて、それも入ってきたばかりのころで、何かと力を使うことで困っていたら助けてもらえて、その際に少し話したくらい。
「私も実のところ、今のご主人様が魔導士だと聞いて、運が良ければ取り入れたのではないかと思ったんです。それが本当に叶うなんて思いませんでしたけど。」
気が付くとそう自分が過去に抱いていた思惑を彼にそう話していた。過ぎたことだけど、普段はこういうのは他人に話さないようにしているのに。彼の素直過ぎる雰囲気に幾分か感化されたかも知れない。
「それで実現してしまったんだから、大したもんだよ。俺はここで働く前に、この町にある平民のための職業訓練校を通っていたんだよ。教えるのも教わるのもみんな平民だ。お貴族様から何かを教わるなんて、考えられなかった。知識って大事ななものなんだよ。おいそれと貴族が平民に与えるものじゃない。例え同じ飯を食って、同じ場所で暮らしていて、同じ空気を吸っていても、見ている世界が違う。そう言うもんだろう。見ている世界が違うと、教えたり教えられたりするのは、そう簡単に出来るもんじゃないんだよ。」
カリスト君も彼なりに色々と考えていることが伝わった。知識は大事、か。確かに知識は重要だ。知識は情報ではない。知るという事はそれにどうかかわればいいか、どのように扱えばいいのか、それらを同時にわかるという事でもある。だから知識は力だ。極端な話、法律の抜け穴を知っている人間は自分の知識を利用して人より多くを得られる。つまり、持ってる知識が違うというのは、持ってる力が違うという事。住む世界が違うというのはそう言うことを指しているんだろう。
「結構詳しいんですね。経験から来るものなんですか?」
「まあ、そんなところ。」
「どんなことを経験したんでしょう。聞いてよろしいんでしょうか。」
青い石畳の敷かれた横断歩道の前に車を止めると、子供たちが車の前を走って通る。時期的に夏休みに入って間もない頃で、子供たちも無邪気な顔で町中を走り回っている。横断歩道の前では三十秒くらい止めておくのが規則。その間にちらっと後ろの席に座っているビレムを見ると彼は本を新聞を読んでて、顔が見えない。
「なんでそんな畏まってるんだ。仕事仲間だろう。」
カリスト君からの言葉に視線を彼の方へと移す。ブレーキを踏んでいる間は彼も蒸気機関を温めることなくて、私と目が合った。
「そうですね。それで、何があったんですか?」
「色々あったがな。別に面白い話でも何でもねぇ。」
「あまり話したくないなら言わなくてもいいですよ。」
そう言いながら私は目的地までの経路を思い返す。町は最初からそう計画されたみたいに区画が道単位で層を造っていて、大通りに一番賑わう大きな建物が並ぶ商店街、そのすぐ後ろに公園とか、学校とか、ダンスホールとか、ジムとか、公会堂みたいな施設があって、その後ろは住宅街。商店街の反対側には一回川や運河などを挟んで橋を通ると工場区画が出てくる。そのすぐ後ろに色んな種類と客層の違う劇場を含む娯楽施設が並んでおり、その後ろには衛兵詰め所とか、騎士団の建物とかがあって、私たちが住んでいる貴族屋敷が並ぶ道はそれを進んだ先にある。
これらの重なったレイヤーは直線状ではなく、また直角で曲がったりするため、大まかな形と都市内の区画が敷かれた仕組みを理解したところで迷わないという保証はない。だから迷わないために気を張っている。実際に迷っておらず、隣やビレムから違う道を進んでいるという指摘は飛んでこなかった。その代わりに心の迷いから帰ってきたカリスト君からの言葉が飛んで来る。
「話したくないとか、そう言うんじゃないが。こういうところで言いたくないっつか。それよりもう行ってもいいんじゃないか。三十秒とっくに過ぎてるだろう。後ろがつっかえているぜ。」
言われてみてバックミラーをチェックするとワゴン車が一台止まっている。ブレーキから足を離してアクセルを踏む。カリスト君も水を魔法で沸騰させる作業に戻る。
「キッチンで二人でお茶でも飲みながら話すようなものなんでしょうか。」
「いや、それはやめとく。」
「何でですか?」
「気もないのに二人きりって、他の人にいらぬ勘違いを抱かせてしまうだろう。」
告白もしてないのに振られるとは、まさにこういうことを言っている。
「私の年齢知ってます?」
「まあ、そのうち結婚出来る年齢なんだろう。違うか?」
この国での結婚は十五歳から。なので彼の指摘は別に間違ってはない。
「年齢差もありますよね。」
「俺、なんか告白もしてないのに振られているようなことになってないか。」
それは私のセリフ。
「まあ、いいや。誰も聞いちゃいないだろうし、話すよ。別に大した話じゃないがな。俺の父親も執事だったんだ。ここではない、別の貴族の屋敷で働いていた。その屋敷には調度俺と同い年くらいの女の子がいたんだよ。ご令嬢様ってわけだ。互いに大体八歳か九歳くらい。歳も近かったから俺たちはすぐに仲良くなった。貴族のご令嬢様だって、子供の頃はそこまで変わらない。言葉遣いだって今のお前と大差なかった。それで親しくなって、好きになったんだよ。そっちも俺を意識していたんだろうよ。だけど、まあ、当然なことに、叶えられなかった。親父に俺たちの思いがバレた時、こっぴどく怒られちまった。遊び相手が欲しかったお嬢様だったのによ。俺と二度と会うことは出来なくなったんだよ。こういうのを経験すると、貴族様と俺たちとでは住む世界が違うんだなと、つくづく実感しちまうんだ。それが、お前は貴族の弟子になっちまったんだからよ。自覚しろってんだ。まあ、羨ましいとかじゃないからな。嫌な気にさせてんなら謝るが。」
そうやって経験している立場から言われると、言葉の重さが違う。ちらっとカリスト君の横顔を見ると哀愁が漂っているような印象を受けた。
「大丈夫ですよ。面白い話でしたし、対価として嫌味くらいは言われても別にいいかと。」
興味の引かれる話だったし、彼に仕事仲間として信頼されているのを実感できたから。
「お前な、平民ってそんな言葉遣いしないんだぞ。距離感が遠いっつか。まあいいや。だからご主人様もお前を弟子にしちゃったのかもな。」
しばらく沈黙が流れる。私がアクセルやブレーキを的確に踏みながら車を進ませている間に、カリスト君はじっと丸い蒸気機関を見つめて、加熱する部位に魔法で的確に熱を通している。沸騰した水蒸気の音だけが静かに車の中に木霊していた。当然だけど、少し暑い。水蒸気は車の両隣に付いているブラスを通って、真上に煙を放出しているので、湿った空気になることはないんだけど。そう思ってると急に少し涼しくなった。
「今のって。」
多分、ビレムの魔法。
「ああ、ご主人様が涼しくしてくれてんな。」
ちらっとカリスト君を見やると、彼は汗を拭いて、笑顔を浮かんでいる。流れていく町の景色は優美な曲線を描いていた。ヴロベールもハルシュテルと同じく、どの建物にも丸いドームがあって、水路と繋がってて、水の影が時折視界を青く染めている。ゆらゆらと揺らぐ水の影が顔を通るたびに、まるで車が水の中を泳いでいるような錯覚に陥りそうになる。正面へと視線を固定したまま思い浮かんだ質問をそのまま彼に投げかける。
「子供の頃から貴族の屋敷内で生活していたんですか?」
「近くに家があったんだよ。普通の、貴族の屋敷と比べのがおこがましいほど狭い家だったがな、住み心地は悪くなかった。兄弟がたくさんいて、母親は家で毎日俺たちの面倒を見ていた。そんな家だったんだ。」
そうすぐ答えてくれるカリスト君。
「姉妹はいなかったんですか?」
「まあな。いたら良かったと思わなくもないが、経験したこともないのに、願ってもせんないことだがな。」
「兄弟さんたちは今何してるんですか?」
するとカリスト君は軽くため息をついた。何かあったんだろうか。
「六人兄弟で、三人は死んでる。弟は道路の整備、つっても壊れたタイルがないか見て回る地味な仕事やってて、兄はレストランで働いてる。まあ、ぶっちゃけウェイターだな。俺が一番出世してる。」
三人も死んでるってどういうこと。
「あの、なにか事故でもあったんでしょうか。」
「いんや、全員決闘して負けちまった。夢をかけて命がけで決闘する、馬鹿馬鹿しいだろう?まあ、夢を持った男なんぞ、そうやって目を離したらすぐ死んじまうもんだろう。目を離さなくても死んじゃう時は死んじまうがな。お前のうちはどうだったんだ。」
決闘が当たり前なこの世界だと、そう言うのは割と普通なのかな。さすがに人口の5割が決闘で亡くなるとか、文明としてどうんだろうと、懐疑的な気持ちになりそうなんだけど。彼の兄弟たちが特別なケースなだけなのかな。今更だけど、カリスト君みたいに男兄弟だらけの庶民とこうやって話したのはこれが初めて。
錬金薬で前世の記憶を取り戻したせいで、好奇心が止まることを知らない。前世の世界と比較してしまって、世界の違いを知りたいという欲求に駆られてしまう。
「私にも兄が二人いますけど、別に死んでないです。」
「じゃあ、夢を見なかったんだろうよ。」
お金持ちになりたくて命懸けで何かする必要でもあるんだろうか。単純にこの国というか、大陸全体で決闘は合法なので、それで決闘して死んじゃってるとか。
「そう言うカリストさんは夢を見なかったんですね。」
「夢よりさ、俺は心を捧げる相手が欲しいんだよ。お前のためならなんだってしてやる、一緒に死ぬまで生きてやる。俺がそう言う気持ちをずっと抱いて生きていられる、そんな相手がな。」
それって男でもいいってことなのかな。
「恋愛ではなく友情とかではだめなんですか?」
するとカリスト君は声を出して笑う。
「俺は、わがままとか言われたら、聞いてあげたいんだよ。男同士でそう言うのはしないだろう、普通。お前も告白くらいはされたことあるだろう?ほら、子供って顔さえよければ付き合っちゃえみたいなノリあるだろう?学校とかでさ。」
そう言われても、私は男じゃないのでそこまで詳しいわけじゃない。
「全寮制の女子校に通ってましたよ?だから恋愛経験もありませんし、男の子がどんなことを考えて生きているのかなんて、そこまで詳しく聞く機会なんてありませんでしたから。」
「そりゃ初耳だな。にしては俺たち執事ともよく話してるよな。男の子の友達もいなかったのか?学校の教師とか?」
残念ながら我が学校では教員も全員女性で、用務員さんとかも女性で、一人も男性はいなかった。単純に学校のブランドだと思う。安心して通えますから、この学校にお金たくさん使っても勿体ないとかじゃないですよ、みたいな。
「もしかして私に興味があるんですか?」
「まあ、仕事仲間としてな。それに、俺だけ話すのは不公平だろう。」
「それもそうですね。」
例え自分で話したことだとしても、一方的に人から話を聞くのは不公平。それは、納得できる論理ではある。
「それでよ、お前結構大人しい性格だろう。男の子とかに幻想を抱かせるタイプじゃないのか?ほら、実は何も考えちゃいないガキなのに、男の子はそう言うの見てたらよ、顔がいいからとなんかあるんじゃないかと、勘違いしちゃってよ。全寮制の学校つってもよ、喫茶店とか言って座ってたら話しかけられるもんだろう?そんでナンパされてうまく断れなくて結局居座って一緒にお茶を飲むまでが定番なんだろう?」
その定番とかどこから来ているんだろう。彼の経験談なんだろうか。私は一度も経験したことがない。
「学校の中に閉鎖された生活をしていたんです。何もかも足りていて、まるでそこだけで完結されているような世界と言ったら伝わります?」
「お前、なんかあれだよな。貴族じゃないにせよ、完全に俺らと住む世界が違う。やっぱ自覚ないんだわな。まあ、別に嫌いじゃないがな。どこにどんな形で生きてたって、人間、慣れればそれが自分の世界ってもんだろう?」
カリスト君の培ってきた価値観は考察や教育ではなく経験から来るもので、理にかなっている。
「はい。カフェテリアとか、大きな図書室とか、サロンとか、散策コースとか、プールとか、そう言うのに慣れてないと言ったら嘘になりますし、それを手放してここに来て、住む世界が変わってしまって、最初は結構止まっていたんですけど、何とか今は慣れてて。」
「その前までは女子としか話してなかったのか。」
「はい。寮の皆とも話し合う仲で、上級生の中に姉と姉の友達がいて、そう言う交友関係で満足していましたよ。兄たちとはたまに話してましたけど。」
「それってあれだろう。異性に偏見とか持つようになるんじゃないのか。何事も慣れないと勘違いしてしまうもんだろう。ずっと女子同士で群れて、男の子の気持ちがわかんないんじゃ、後で結婚とかどうすんだ。それとも女子と結婚するのか?」
言い方。貴族の家で仕えているのにそんな雑な言い方していいのかな。さすがにビレムの前では礼儀正しくしているのを毎回毎回見ているので、彼が公私混同をしないことはわかっているんだけど。
「女性とか男性とか、幾分か違いはありますけど、結局は同じ人間ですし、こうやって話し合って、互いの経験を語り合って、それで互いのことをよく理解できるようになれば、私はそれでいいと思うんですけど。違います?」
「違うわけじゃないが。執事学校っつうか、職業訓練校が一つの場所に集まっててよ。色んな女子がいたわけだ。自分はあれがしたいこれがしたいって、そんな思いなんぞ誰もしちゃおらん。特に女子はな、自分がしたいのじゃなく、自分でもやれそうなものしかやんない。まあ、したいものをしようとしたら、俺の兄貴たちみたいに死んじまうのはわかりきったことだからよ。そんで同い年くらいの人間ってのがどんな生き方をしてるのか見ちゃうだろう?そう言うのを見てたら、まあ、頑張らなくちゃなって思うわけだ。」
本当に一体カリスト君の兄たちに何があったんだろう。
「そう言う経験が大事なのは何となく伝わってきました。確かに自分以外の人がどのように生きているのか、どのように考えているのかを接し続けてたら、いつの間にか自分なりの考え方が出来上がりますし。」
「夜とかにな。考えるだろう?」
私は前を見て運転しながら頷く。
「学校では嫌でも自分の気持ちとか、今考えていることとか、そう言うのを話さずに黙っていることは難しくて。そう言う雰囲気でもありませんでしたし。そんなことしたら変な目で見られますから、聞かれることにはちゃんと答えて、自分からも興味を持っているふりをする。確かにそう言うことには慣れています。」
物理的な距離だけじゃなく、周りとの心の距離もかなり近かったんだと思う。プライバシーは大分少なかったけど、悪い感じではなかった。そもそも隠すようなものなんてそんなにない。余程馬鹿なことをしなければそれで済むし、そこそこ馬鹿なことをしでかしても、みんな馬鹿なんだからそれくらい普通ってことになったりするし。
いじめとか、嫌がらせとか、喧嘩することもなく。溜まっていることがあったらすぐに口にして、解消できないほどのわだかまりなんて、大人からの影響からある程度離れている状態で、不足しているのがなく、ストレスが少ないとそうもなる。ただ事故が起こることは時々あって、特に魔法の扱いとか。どこまで出来るか、どのような力なのか、興味の尽きない力。私が使えるのはいわゆる生活魔法というもので、ほんの小さな子供の頃からたたき込まれる。最初は肌の汚れを取る魔法から始めて、徐々に扱いが難しいけど生活には必要な魔法、例えば刃物を鋭くする魔法とか、物を熱くする魔法とかを学ぶようになる。簡単な術式の暗記とそれに魔力を通すだけのことだけど、暗記した術式を想起しながら魔力を通すと言うのは、言うは易く行うは難し 。それなりに練習が必要なのである。だからカリスト君のように簡単に水を沸騰させる魔法でも、通らせる魔力量の調整とか、魔力が作用する範囲の指定とかちゃんと頭の中に術式を浮かべながら魔力を通し続けないといけない。
そう言うことを失敗することのなく出来るようにと、学校で教えてくれたりしてて、私は魔法の授業が楽しかったけど、苦手にするクラスメイトが事故を起こすことは多々あることだった。そう言う時にはちゃんと気を使ってあげないといけない。どうでもよくても、気を使うふりをして、どうでもいい話でも、興味のあるふりをして。ただ頷いてるとみんな最後まで話して満足するから。
「全寮制の女子校では何を話すんだ?」
「まあ、色々話します。身の回りのこととか、今考えることとか、見て読んで感じたこととか、そう言うのを報告しあって。それで、相手の話とかどうでもよくても、聞いているふりとかして、多分相手も私の話とかを聞いているふりして過ごしている場面とか、結構あったと思います。」
思い出してクスって笑う。結局人って互いにとってどうでもいい話とか長々と語ってしまうことがあるんだなって、それに今更気が付いた自分が可笑しくて。
「そんなことをするくらいならなんも話さない方がいいだろう?全部を語るよりよ、自分である程度は飲み込まないと。」
「やはりそう言う違いはありますよね。人によっても違いますし、立場によっても違いますし。」
「まあな。」
「あの、話変わりますけど、カリストさんって、まだ結婚していませんよね。理由は?」
自分の性格のことを他人にとやかく言われたいわけではないので話題を強引に変えることに。
「おい、話変わりすぎだろう。結婚って。俺まだそんな年取ってないぞ。」
「もうすぐ私が結婚できる年齢って言ったの、カリストさんですよね。」
「それは話の流れからだよ。」
その話の流れって、カリスト君が作ったものだし、別に私から任意で変えてもいいのでは。不快じゃなければ。
「気を悪くしたならごめんなさい。」
「俺ら仲間だろう。そんな謝るなよ。」
カリスト君って、その仲間って単語を信頼しすぎな気がする。
「わかりました。それで、えっと、カリストさんは、二十代半ばですし、その年で結婚するのは普通のことですよね。私の両親もそれくらいの年齢で結婚して、一番上の兄はその時に出来ていますし。」
「いや、まあ、別に今じゃなくていいだろう。」
「気になる人はいないんですか?」
「いないわけじゃないが。」
つまり付き合いたい相手がいると。
「うちのメイドの中にいます?」
「なんでそう思うんだよ。」
別に当てずっぽうというわけではない。だからと彼がメイドの誰かに熱い視線を送ることを実際に見たわけでもないんだけど。
「屋敷からあんまり出ませんよね。異性と出会う機会なんて少ないでしょうし。人は手に届く範囲にいるものに思いを寄せやすいものです。」
「でもまあ、仕事仲間だからさ。気まずくなるんじゃないのか。」
今のは認めたね。
「それはどうでしょうね。人にもよるし、仕事の種類にもよると思います。別にご主人様が屋敷内での恋愛を禁止しているわけじゃないんですよね。ならいいんじゃないですか?」
「まあ、それはそうだが。でも、まあ、あれだ。距離なんてそんな簡単に縮まるもんじゃないだろう。」
「相手にもよりますね。どんな人なんですか?」
「まあ、明るくて、元気な人だよ。」
私は少し暗い方だし、年齢差もあるので当然あり得ないとして。メイドの中に明るい人は三人いるけど、一人は中年女性で結婚して子供もいる。残り二人のうち誰か。でも確か、彼女には付き合っている人がいて、別に彼女自身もそれを隠そうとしていなかったはず。なら残りは一人。
「リンテンさんですね。彼女のこと、気になっているんですか?」
横目でカリスト君の顔を見ると赤くなっている。図星だ。
「好きなんですね、リンテンさんのこと。」
「お前な、話題を変えるにしても選び方というもんがあるだろう。」
「私、リンテンさんとルームメイトですし、リンテンさんの気持ちとか聞けますよ。」
「なんだ、お前、前はこんなことしていなかったんだろう。もっと、こう、俺らの話とかを聞く方だったろう。一体何があった。性格って急に変わるものなのか。」
「さて、人は変わるものなんです。」
「おい、いくら何でも一夜で変わり過ぎだろう。俺たち同じ食卓で毎日食事してるんだぞ。」
確かにこのような変化があったら、無視できないかも。こういう時は誤魔化すに限る。
「ちょっと話が大分それてしまいましたけど、最初の質問に答えますと、私は貴族の隠し子じゃありませんし、私がご主人様の弟子になったのは、ご主人様と私の間での契約みたいなものですので、全部を話すわけにはいきません。そうですね、知識に関することなのです。カリストさんも言いましたよね。知識は大事なものだって。ご主人様に自分が学んだことをお披露目する機会が昨日ありまして、その知識を買って頂いたようなのです。」
「どこで何を学んだんだ?」
「それを言う必要はありますか?」
「まあ、そんなもんか。」
カリスト君は自分を納得させるためか、そう呟いた。
そしてそれが車の中での最後の言葉で、調度その時に私たちは目的地にたどり着いた。