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2話 屋敷


 屋敷は大通りと面していて、庭からはひっきりなしに行きかう車と様々な身分の人たちのそれぞれ違った歩みが見える。屋敷の中の壁は滑らかな白い石で、その上を装飾されたパイプが通っている。すべての建物に設置されているパイプ。水がないと蒸気機関は動かせないから。洗濯機も、掃除機も、その他もろもろの家事用品は蒸気機関で動かせる。すると空気中に水分が溜まるので、空気中の水分を魔法で搾り取って、それを排水口に流す。それはこんな大きな屋敷の中でも例外ではなく、むしろより多くの水を使って、より多くの家事用品を回していた。


 屋根は黒と青の太さの違う細い線が走っていて、設計されたパターンというより白い石に元からある模様のように見えた。ドーム状の屋根は三つに分けられていて、真ん中は透明、正面から見て左側は赤く、右側は緑色。屋敷の中にはたくさんの調度品が所々に設置されている。まるで生きているように息をしているような動きをする幻獣の彫刻、貴族の乗る豪華な魔道回路で動く車の模型。亡くなった奥さんの写真を含む家族写真や、使用人たちの集合写真などが飾られた、写真だらけの部屋もある。演劇のポスターや様々な物を題材にした絵画は見ているだけで心を揺さぶる力強さがあった。絵画の読み方はちゃんと知っている。鑑賞している人が自分を絵画に描かれた状況へ投影する、投影型の絵画は私も結構好きで前に画集を買って。


船などの乗り物を描いたものがそれにあたる。自分がまるでそれに乗っているかのように  宮廷魔導士として実績を上げたことでもらったトロフィーとか。


 大きな机が中央に鎮座していて、円形で壁が全て本棚の大きな書斎は、二階の高さで窓はなく天井が透明なドーム。用途のわからない、透明だったり、光ってたり、常に動いているキューブだったり、不思議な魔道具がたくさん並んでいる研究室。ガラスでできた小さな植物園には風船みたいな聞かんが付いてて空を飛ぶ植物とか、派手な色をした幾何学模様を描いている名前を知らない大きなお花とか、枝が透明で、葉っぱは青紫色のツルとか、なぜか季節が変わっても死なない可愛いカイコとかが飛んでいる。


 一階は一つの部屋から別の部屋へ行く時には廊下を通らなければならないんだけど、二階は部屋と部屋が扉で繋がれていて、使用人は廊下からしか通ることを許されない。単純にカチャカチャしても廊下側にある扉以外は開けられないので、何かの魔法的な仕組みがあるのだろう。


 私が与えられた部屋は思ったよりずっと広くて、まるでご令嬢様が住んでも良さそうな雰囲気までしていた。ただ一人でそこに住めるわけではなく、一人ルームメイトの先輩メイドと一緒に暮らすことに。簡素だけど優美な曲線を描く白い木製テーブルが部屋の真ん中に置かれてあって、テーブルの周りには青いクッションのついた椅子が二つ。衣装棚と化粧台、本棚とまた座り心地の良さそうな椅子とそこそこ広い落ち着いた深い茶色の木製の机まである。本棚の中にはメイドとしての心得とか、礼儀作法に関する本などが並んであって、町の歴史や町の案内などを書いた本が並んであった。


 屋敷には屋敷の主人はもちろん、私を含めて八人のメイドと四人の執事、そして一匹の幻獣。五、六歳くらいの子供のような背丈と、羽を広げたら横になった大きな大人の男性くらいの大きさを持つ、群青色の鳥の使い魔さんがいる。私はその中でも一番下っ端で、誰からの命令であろうと逆らえない。と言っても酷い目に遭うこともなければ、人間関係でもめたこともなく、平和に過ぎていく毎日。


 ご主人様を見かける時はきちんとカーテシーをして、ご主人様からは笑顔で挨拶を返される。動作に気品があって、いつも温和で、使用人にもちゃんと優しい。たまに事務的なことを皆の前で語る時とかはそれなりに威厳もあって、見ているうちに自然と敬意を抱いた。困ったことがあるからと直接相談できる相手じゃないけど、困ったことをメイド長に言うとちゃんとご主人様の元にまでその話が上がって、ちゃんと対策もしてくれる。私じゃないけど、若い執事さんが車で事故を起こした時とか、ちゃんと対応してくれて、それから彼は車を運転しなくなった。禁止されたわけじゃなく、もう自信がないとのこと。



 そんな執事さんをご主人様はちゃんと励ましてくれて、暖かい言葉をかけてくれて。そんなご主人様だからこそ、使用人たちも洗練されていて、皆有能で様々なことが出来て、私も彼らから色々学ばされた。ただの仕事だけじゃなくて、話し方とか、貴族社会の仕組みとか、日常で一般的に使われる魔法のうまい使い方とか、コンディションの管理法とか、はたまたは医療に関する知識や、町の歴史、うまく音を出さずに歩くコツなども教わっている。


 一日、また一日と過ぎて行って、あっという間に季節が巡り、私もそれなりに順応出来て、働くことにも慣れてきた。お祭りの日に屋敷の一番上の階でみんなで花火を見て、魔法で雪を溶かして、また魔法で冷たい水を集めて排水口に捨てようとしたら、ご主人様が窓から魔法を使ってそれで氷の彫像を造って。そして庭園に舞う花に目を奪われる。


 庭園は一方はお花畑、一方は果樹園。果物は勝手にとって食べても何も言われない。むしろ屋敷に住んでいるなら食べずにいると遠慮した方が失礼だと言われるくらいで。徐々に軽口まで叩き合うようになって、皆からもちゃんと信頼されるようになって。自分だけのための仕事じゃないって、わかっていたつもりだったんだけど、そうでもなかったことがわかって。


 これは仕事に少し疲れて休んでいた時にメイド長から貰った言葉。


 「私たちはご主人様一人のために働いているんじゃないのよ。私たちはね、ご主人様の立場でいる人間が住むに適した環境を、わが国で多大な貢献をしてくださった人のために適した環境を、私たちの力で整っているの。自分が働いている分にはね、その相応しい報酬がなければならないの。そうしないと、なぜ自分はこんなにも、世界のために頑張ったのに、世界は自分のために何もしてくれないのかって、それに悲しみ抱いて、やがて憎しみに変わる場合もあるの。役職だけじゃないの。人が背負うものは、人によって違う。私たちは多くを背負わなくてもいい、でもご主人様はそうではなかった。ご主人様が堕落するような人ではないにせよ、そう言う環境を私たちの手で作ることにはちゃんと意味があるわ。だからね、リーナちゃん、疲れたら休んで、休んだらまた仕事に取り掛かるのよ。私たちの仕事は、決してただの召使いじゃないことを、忘れないでね。」


 自分よりはるかに大人な人間にそう言われると、真剣にならざるを得ない。その言葉をきっかけに私はただ日課をこなすだけじゃなく、自分から頑張るようになった。


 朝起きたら洗浄魔法を自分にかけて、部屋着からメイド服に着替えて、食堂に集合してメイド長からその日にやるべきことを言い聞かされる。と言ってもほぼ決まっているようなもので、屋敷に誰かが訪問するとか、逆にご主人様がどこかへ出かけることとかがない限りほぼ変わりはない。


 朝食を取って、お茶を飲んで、皿洗いをして、その日の仕事を始める。屋根裏にある倉庫まで行ってから水路を通って何か物が届いてないか確認することだけが一番下っ端の私がするべきこと。それからは他のメイドたちや執事たちと共に掃除と洗濯。調度品を磨いて、自分たちの服とご主人様の服を魔道回路で動く洗濯機で別々に洗って。


 力仕事を任されることはあまりないけど、だからと簡単な仕事だけしていればいいというわけではない。カーペットをめくって床を磨いて、部屋と廊下にある調度品と飾りの埃を取って、カーテンは三日に一回は洗濯。寝具は二日に一回洗濯、ご主人様の服は一度着れば洗濯。私たちが着る服は汚れが目に見えるようになる度に洗濯。長くても三日以上持たない。洗浄魔法で何とか出来る気もするけど、そうはいかないみたいで、そもそも服そのものがエンチャントされているせいで、専用の洗剤を使わないといけないらしい。


 お料理は、まだ私の技術が比較的に下手なので学びながら下準備の手伝い。レシピはそこまで複雑ではないけど、こう料理しようという青写真がないと作れないものばかりで。例えば牛肉や鹿肉を長時間煮込んで、柔らかくするのは基本だとして、煮込んだスープの量が少ない場合はその肉だけ取り出して手で千切ってから、魚醬とバターで炒めた野菜と一緒に、蓮華の葉っぱで巻いてから蒸して、ソースをつけて食べる、ブブリエ・フォーリスという料理がある。私が一番好きな料理で、レストランへ行くと決まって食べていたものなんだけど、この屋敷でも良く食べる。


 ただ実際にやるとなると、それなりに準備が必要で、例えば煮込む時の水はなるべく少なめで、少し焦げそうになった時にまた水を入れるということを繰り返す。そしてどのような香辛料で味付けをするのかを決めなくてはならない。どれくらい肉を煮込んで、どれくらい野菜を炒めて、葉っぱをどれくらいの時間をかけて蒸すかも考えないといけない。これは出される料理の一つに過ぎなくて、他にも色んな料理があって、盛り付けにも気を配る必要がある。


 それらのプロセスをオペレーションで監督する立場にいる人がいてくれないと、私一人では難しい。だから最初のうちは言われるままに下準備をして、お鍋を運んで、お皿を洗って。最近になってからは先輩メイドたちとの二人や三人がかりで一つの料理を造れるようになったけど、そうなる前はたくさん失敗して、包丁で指を切ったことも一度や二度じゃない。


 ただ少し多めで作るので、少なくとも一人当たり一皿くらいの量は食べられる。


 確かにこんな長々と準備して一人分の料理だけ作るのは勿体ないし、ご主人様がお代わりを欲しいという場合は余分に作らなかったら、あれで全部です、なんていうのもあれだし。だからそれなりの量を造っておいて、ご主人様がもういらないって言ったら捨てるより私たちで処理した方がいいよねという。これが実は引っ越しする前の実家での生活より食卓が豪華だったりする。


 庭の手入れはほぼ執事さんたちの担当ではあるけど、例えば肥料を運んだりする力仕事とか。それ以外はメイドも全部やってて、草をむしったり、良く虫目当てに来てくれる鳥さんたちが居座る、小さな鳥の家を掃除したり。鳥の家は高いところにあるので、背の高い執事さんが梯子を上ってするけど、それより低いところに設置された、鳥さんたちのためのブラスの給水機とかは私たちが掃除をする。


 使い魔さんをお風呂に入れて洗ってあげるのもメイドの仕事。幻獣で知能も高くて魔法も使えるけど、鳥は手がないから、自分の羽根を自分で綺麗にするにも限界があるみたいで。だから洗ってあげるとと気持ちよさそうにしている。


 「そこですわ。そこが痒かったんですの。」

 なんて言われたらやる気も出て来るもの。


 これは当番が日によって変わるので、私の当番になる時には私一人がやらなきゃいけない。そこまで難しいことではないし、少しだけ緊張するだけ。大きい鳥さんだから、爪も 口ばしも大きくて鋭いので、いくらお嬢様みたいな声で言葉を話せて、優しくて、時折羽根を伸ばして私の頭を撫でてくれるとは言っても、単純に本能的な恐怖を感じる。毎回それを押し殺して、心を無にするように頑張っている。そのうち慣れるといいんだけど。


 カーペットは月一回、洗剤が入った水に沈めてから専用の、カーペットの水を絞る機械に入れて力を込めて絞る。これが結構疲れる。仕事は朝八時から始まり、午後四時ころまでやったら終わる。それからは貴族家で働いているメイドとしての最低の礼儀作法を先輩のメイドたちから習ったりして過ごす。夕食を食べてからはお茶を飲んで、朝起きていると同じく体を洗浄魔法で綺麗にし、それからは自由時間。


 本を読んだり、他の先輩メイドたちやルームメイトの先輩メイドさんと軽い雑談をしたり、雑誌をあさったり、カタログを見たり、新聞で演劇の評論を読んだり。そうしているうちに眠くなったら眠りにつく。最初は本当に毎日疲れて、ご主人様から錬金薬をもらったことすらある。直接ではなく使い魔さんを通してのことだったんだけど。


 休日もちゃんとあって、演劇を見に劇場へ向かったりする。私の給料は前払いに実家へと送られたため、今の私は自分で使えるお金なんて殆どない状態だけど、メイド長がそんな私を気遣ってお小遣いをくれるので、そのお金で貧乏人向けの、下品な話が飛び交う小さな劇場へ一人で行っては少し硬い椅子に座って、何も考えずに笑って、泣いて、時間が流れることも忘れてしまう。劇場では演劇だけではなく、一人でジョークを語り続けるスタンドアップコメディー、様々な楽曲と共に歌を歌う簡易的なコンサート、曲芸も行われて、周りの人からの反応も良く聞こえる。時折、笑い声が聞こえるとつられて笑ってしまう。チケットの値段は安いのに公演はずっと見ごたえがあって、前の席に座ったら一度だけ指名されたこともある。


 「そこの銀髪の嬢ちゃん。嬢ちゃんは学生?それともどこかで働いている?」

 スタンドアップコメディーでは客にそうやって質問をして客を軽く揶揄ったり、客と自分を比較して冗談を言ったりもする。

 「とある貴族の屋敷でメイドとして働いています。」

 「おお、本物のメイドさん?あ、でも、嬢ちゃんいくつ?そう言う年齢じゃないよね?」

 「そう言う年齢ってどういう意味ですか?」

 笑い声が聞こえる。

 「それを俺が言っちゃだめだろ。それとも言った方がいい?これ言ったら俺はどうなる?客の中に衛兵さんとかいない?それとも見逃してくれる?俺は何もやってないからな。道化が客で遊ぶのは普通のことだから。皆証言してくれよ。俺は悪い奴じゃない。」

 今度は周りだけではなく私も笑う。

 「嬢ちゃんは一人で来てる?」

 「はい。」

 「隣にいる人は知らない人?」

 「知らないです。」

 「隣の奥さん、娘さんとかじゃないの?それとも孫?」

 笑い声と共に彼女からの返事。

 「あたしはそんな年齢じゃないって。」

 「いやはや、失礼。それでね、メイドと付き合ったことがあるんだよ、実は。俺じゃなく俺の友達だけど。俺がメイドと付き合えるわけがない。口で生きている人間は口で奉仕するべきだろ?でもメイドと付き合うと奉仕されるわけじゃん。違う?嬢ちゃんは付き合うとご奉仕しちゃう?しない?俺も実は普段は冗談とか言わない。普段はこんな顔だから。」

 そう言って急に強張った渋い表情になるコメディアンさん。そして皆笑って、私も笑う。そう言う時間。


 戻る時には行きつけの古本屋があるので、そこで本を読んだり、すごく安ければ古本を買ったりもする。悪くない生活だと思う。何も期待できなくとも、何もなしえなくとも、それが私の人生なら、受け入れるだけ。


 家族の写真をたまに取り出してみては、近いうちには戻れそうにない事実にため息をする。寄宿学校の時と変わらないと、ここが今は自分の居場所であると自分に言い聞かせて。


 今日もそうやって時間が過ぎて、夕食の後のお茶を飲みながら、ルームメイトの先輩メイドであるリンテンさんと雑談をしていた。


 「リーナちゃんの髪の毛って、見事な銀色なのよね。大きくなったら貴族様に見初められるんじゃない?手入れはちゃんとしているのよね。」


 銀髪の人は全くないわけではないけどそう多くないため、希少価値を買われることはあるにはあると思う。と言っても貴族に嫁ぐなんて夢を見ることはないけど。私はこの年齢にして現実主義者なのだ。寄宿学校での成績はいい方だった。売られると同時に退学届けを出しているためもう戻ることは出来ないけど。


 「それなりにはしています。メイド長から髪に使える油とかもらえるじゃないですか。」

 「でもほら、私って、結構髪短いじゃん。」


 彼女は長い髪の毛は管理するのが面倒だと肩まで伸びる度に切っている。調度肩の上までの長さ。町中で見かけるメイドもみんな肩の上までの長さで、例外は私だけだったりして。さすがにそれはないと信じたい。誰かにとやかく言われることはないけど、一人だけ人と違うって、当然周りの目とか気になるわけで。だからとバッサリ切ってしまうと、まるで意味もわからず流されたみたいで抵抗感を覚えてしまう。


 「長い髪の毛って、冬の時は暖かいんですよ。」

 「そうなんだ。」

 「手入れもそこまで難しいわけじゃありませんから。もしよかったら教えましょうか。」

 「別に大丈夫。これからも伸ばすつもりはないからね。」

 彼女が言うからにはそうなんだろう。なら仕方がない。

 「髪の長さは印象を決めたりしますし、長い髪は落ち着いている印象をもたらすことが多いと思います。」

 「そう言うのってさ、自分がどう見られるかを計算してから意図的にイメージを造るってことだよね。ちょっとズルしている感じしない?」

 確かにそうかもしれないけど。

 「短い髪形に強いこだわりでもあるんでしょうか。」

 「まあ、リーナちゃんに何回も言ったけどさ、私ってずっとおばあちゃんと住んでたから、リーナちゃんが来る前までずっとおばあちゃん子で、おばあちゃんの髪の毛が短いから、私もメイドなら髪の毛が短いのがいいのかなって勝手に思い込んでしまったかも。うちのメイドたちってリーナちゃんみたいに髪の長い子いないでしょう?」

 この町での流行りか何かだと思ってたけど、メイドとしての心構えにも含まれてたのかな。

 「じゃあ、髪型を変えるべきなのは私の方なんでしょうか。」

 だから思ったことを聞いてみると。

 「別にそんなことはないからね。別にそう言う規則があるわけじゃないからさ。理不尽でしょう?人の髪型をどうこう言うのって。」

 確かに色んな規則があった寄宿学校でも髪型のことで何かを言われたことはない。

 「私は自分の髪型を狙ってこうしようって思ってこうしているわけじゃないですけど、逆に消去法で、短くするとどこをどう短くすればいいのかがわからなくて。ただ伸ばして、伸ばしすぎたのかって思ったら切ってしまうみたいな感じで。」

 「それであんな、お店に飾られた高いお人形さんみたいな感じになるってどうよ。」

 確かに昔からそう言う話はちょくちょく聞いたけど、別に顔立ちで人生が劇的に変わるものじゃないって実感しているところでそう言われても。

 「リンテンさんも髪を伸ばしたらお人形さんみたいになるかもしれませんし。」

 「ないない、それはないから。」

 そこまで否定しなくてもいいのでは。

 「えっと、リンテンさんって結構綺麗な顔立ちだと思うんですけど。」

 「どうだろう。普通じゃない?リーナちゃんはさ、顔もちっちゃくて、目も大きくて、鼻も私みたいに大きすぎないから。ほら見て、この私の、この両目の間にあるこの部分、これ高すぎじゃん。」

 眉間から鼻へと続く部分を指差しながら力説するリンテンさん。そんな細かいところなんて気にしなくてもいいと思うけど。全体的に見れば整っているし。

 「それはどうも。でも、そういうリンテンさんは、えっと、体つきが何というか、まあ、いいんですから。私はまだこんな感じですし。」

 リンテンさんは私より四つ年上の人で、お胸もお尻もそれなりに大きい方である。私も同年代の子たちと比べたら普通ではあるけど、グラマラスな体型のリンテンさんと比べたら明確な差があるわけで。それでいて毎日の仕事で腰も引き締まっていて、少し羨ましい気持ちもあるし、まるで咲いた花を見る時のように純粋に彼女を美しいと思う気持ちもある。

 「どうかしら。貴族様はおしとやかで線の細い女性が好きと聞くわよ。この前読んだ新聞でも描かれてあったんだもの。腰をこう、ぎゅって絞ってて。」

 それはコルセットつけているからそう見えるだけなのでは?と、言うこともできるけど、笑みを浮かべて無難な回答をするだけにする。

 「それは大変ですね。」

 「でもリーナは本とかたくさん読んだんでしょう?物知りだし。将来に何かなろうとすればさ、貴族様のお嫁さんとか、普通にあり得るんじゃない?ほら、偉い人って頭使いそうだしさ。」

 「寄宿学校の時に暇つぶしに図書室に入り浸っていただけです。貴族が持つ知識や教養は、何て言うか、ただの知識と教養ではないはずです。もっとこう、自分の地位にふさわしい物の考え方とか、そう言うのを子供の頃から訓練されるんじゃないでしょうか。」

 寄宿学校の教員の一人が男爵令嬢で、立ち居振る舞いが周りと違って優雅で、近寄りがたい雰囲気があったのを覚えている。言葉遣いはそこまで変わらないのに、話の進め方に迷いがなく常に堂々としていたことを覚えている。それは物の見方が違うからではのもので、無理に真似しようとしても出来るものではないと思う。

 「そう?なんでそう言うの知ってるのか気になるけど、あれかな。商人の娘さんだったから、貴族様のことを知る機会もあったり?」

 「そもそも貴族は平民と婚姻を結んだら身分を失ってしまうんじゃないですか?」

 「でもあれって、長子じゃないと問題ないとかじゃなかったっけ。前に演劇で見た話しだとそうだったよ。」

 演劇で嘘の事実を広めるのは法律で禁止されているので、リンテンさんがそう言う話を見たというのならそれであってるはず。

 「なんか色々ややこしいですよね、法律とか身分とか。やっぱりそう言うの気にせずに生きたいです。むしろリンテンさんと結婚したい。結婚しましょう。」

 「ええ、迷っちゃうな。どうしよっかな。」

 「本気にしてます?」

 「ひどい、私の心を弄んで。」

 リンテンさんがそう言ってくすくすと笑うと私もふふっと笑う。こういうたわいのない時間が好きで、だから家族と離れ離れになっても、寄宿学校へはもう戻れなくても大丈夫。 

 「でも、まあ、未来のことは早めに決めておいた方がいいのかな。いつかこの屋敷から出ていく時が来るのは確実じゃん?うちの実家は町の外で農場やっててさ、戻るたびに旦那さんいつ連れて来るのとか言われるわけよ。」

 「農家、悪くないと思うんですけど。牛さんとか鶏さんとか可愛いですし。」

 するとリンテンさんはふふっと柔らかく笑って笑みを浮かべながら私を見つめた。

 「リーナちゃんってあまり子供っぽいところないと思ったけど、そう言うところもあるんだね。」

 そう聞いた途端に顔が赤くなるのを感じる。

 「別に動物が好きなのって普通のことだと思うんですけど。それより、あの、リンテンさんは農作業とかはしたく感じでしょうか。」

 「まだ町の中で暮らしたいかなって。しつこいのはわかってるけどさ。別に町の外へ行ったところで戻れなくなるわけでもないし、そこまで離れてもないんだけど。なんか、迷っちゃうんだよね。そもそも結婚相手がいないってこともある。」

 「結婚したくないわけではないんですよね。」

 リンテンさんは肩をすくめる。

 「でも良さそうな人と出会う機会ってあんまりないんでしょう?下手に実家に言ったら農村から適当なお見合い相手とか見繕ってもらえそうだし。私もそのうちどうにか決めないといけないってわかってはいるんだけどさ。ほら、ご主人様って、あの年齢だし。ご主人様が死んだら私たちはもう解散だよ。」

 「誰かに聞かれたら怒られそうな話ですね。」

 「何ともならないわよ。ご主人様がそれくらいで叱るわけないでしょう?」

 私は苦笑をして、お茶を飲み干し、ガラスの窓に映る自分の顔を眺めた。瞳孔の周りの部分だけが金色で、外側は薄紫色の、結構珍しい瞳。母は紫色の瞳で、父は青い瞳なのに、なんで私だけこうなんだろう。しかも姉と母はクリーム色の髪なのに私はそれよりずっと色の薄い銀髪。

 その珍しい瞳を見つめ返していたら、思わずため息をついてしまう。将来のこととか、あまり考えたくない。未来より今。

 考えるだけで滅入ってしまうのだ。

 そう思っているとドアをノックする音がして、リンテンさんが返事をする。

 「はい、います。」

 「入るわよ。」

 そう言って私たちの部屋へ入ったのはメイド長のアシェッテさん。もう少しで老齢にかかる彼女は、リンテンさんの祖母でもある。きっとリンテンさんに何か家族ならではの用事があるのだろう。そう思っていたら彼女は私の方を見て言う。

 「アヴェリーナ? ご主人様のお呼びよ。」

 「私、ですか?」

 リンテンさんじゃなく?

 「そう、早くご主人様の研究室へ行って。きっと何か大事な用のはずだわ。お茶を入れていくのよ。わかった?」

 「はい、わかりました。リンテンさん、行ってきます。」

 「うん、行ってらっしゃい。緊張しすぎないでね。」

 リンテンさんに目配せをして部屋を出て、台所へ行ってお茶を入れ、お盆の上にティーポットとティーカップを載せ、廊下を歩き二階への階段を上がり、また廊下を進んで研究室へとたどり着く。ノックをして、入れと返事が返ってきたのでドアノブを回して入ってからカーテシーをする。本格的なものではなく、メイドならではの軽いものだけど、その分頭を深く下げないといけない。

 「夜分遅くに失礼いたします。」

 そう言ってから頭を上げると彼と目があう。使い魔のニーシャさんは部屋のどこにもいない。ご主人様がいる机の前にティーカップを置いて、ティーポットからお茶を注いだ。お茶の香りが部屋に漂う。


 一度面接を見る時に顔を通してから一対一で直接面談をするのはこれが二度目となる。ご主人様の人柄は少しはわかっているつもりだけど、やはり直接見てみると、私みたいなただの小娘の目線で測れるようなお方ではないことくらいわかる。


 重苦しい雰囲気でもなく、何か粗相をしていたから呼ばれたというわけではないみたい。ご主人様の顔も普段と様子が変わらず。思いつめた顔でもなく。ただ何か少し浮ついているようにも見えるけど、ただの気のせいかも知れない。調子に乗らない、礼儀正しくするように気を付けなければ。



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