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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

TS転生してアイドルになったけどユニットが終わってる

TS転生してアイドルになったけどユニットが終わってる FROM RED

作者: 御嬢桜マコ

freaks結成当時の話です(あずさ視点)。

結構長いので時間がある時にお読みください。






「『#コイセヨヲトメ』の皆さん、リハ入りまーす」

「じゃあみんな、行こうか」


 ーーメンバーたちを見回すも、返事はない。


 ピリピリした空気なのは昔からだけど、誰一人として返事を返してくれないのは今週に入ってからだ。


 ステステ、クイーンダム、エンドレス。


 強力なライバルたちの出現に焦る気持ちはわかる。

 そしてそのストレスを、グループを引っ張るセンターである私にぶつけたくなる気持ちも。


 事実、センターが私に変わってから、私たちのグループ、恋音は急速に失速している。責任の一端は、確かに私にあるのだろう。


 でも、傷付かないかは、また別の話だ。


「......はぁ」


 だめだなぁ。

 これからステージに出るのに、ため息なんて。


 それでもやっぱり、考えてしまうのだ。


 ーー私、なんでアイドルなんてやってるんだろう。

 



◯ ◯ ◯ ◯ ◯




 小さい頃から、(あずさ)は、ぼんやりした子供だった。

 

 得意なこともない。趣味もない。叶えたい夢だなんて欠片も無い。学校から帰って来たら、やることといえば後は寝るだけ。寝て、ご飯になったら起きて、また寝る。

 あまりにも寝てばかりいるから、お母さんにジャイアントパンダなんて呼ばれたこともあった。


 アイドルになんて、なるつもりはなかった。


 親に騙されて連れて行かれたオーディションで、何の間違いか、受かってしまわなければ。


 毎日くたくたになるまでレッスン。レッスン室はいつも汗と熱気でもわっとしていて、女の子たちは、トップアイドルという限られた椅子を巡って争い合う。

 女の子が一度は夢見るアイドルという職業は、女の子が思うより、ずっと泥臭くて、殺伐としている。


 ずっとアイドルに憧れていたという先輩、あの有名なアイドルのように輝きたいと目をキラキラさせていた同期の子、そんな人たちが心折られて次々と退所していく中、私が残っていたのは極々下らない理由。

 

 ーー別に、他にやることもないし。


 悔しさから涙を流す彼女たちを目にする度、私は、何故か責められているような気分になった。

 

「あずさ。次のセンターは、貴女よ」


 そんな私が、まさかセンターを継ぐことになるなんて。

 何度も何度も無理だと言った。何度も何度も断った。そんな私に、先輩は申し訳なさそうな顔でーー。


「貴女しかいないの」


 と言った。

 本当かどうかは分からない。でも、人気投票の順位は私が一番高かったから、「実力で選んだ」と言われて仕舞えば反論は難しい。それが卒業する2期生の総意だと言われたら、結局は受け入れるしか無かった。


 面白く無いのは3期生の先輩方だ。


 2期生が卒業する。次は自分達が引っ張って行く番だ。

 当然のようにそう考えていたのに、選ばれたのは4期生の(あずさ)。彼女たちに取っては後輩だ。自分達の頭越しにそんなことを決められれば、面白く無いに決まってる。


 表立って反発されることは無かったけど、細かな嫌がらせは毎日だった。


 今もーー。


 フォーメーションの変更が必要な場面。

 左回りに回り込んで、後ろからセンターに入る必要があるのに、中央が割れるタイミングが少し遅かった。 


 必然、私が入るタイミングもワンテンポ遅れてしまう。


 左右のメンバーどちらも遅かったから、見る人には私だけが遅れているように見える。練習の時は当然のように出来ていた所だから、多分意図的なミス。

 私にミスをさせるための。


「おっけーでーす。本番もよろしくお願いしまーす」


 おっけーじゃないんだけどなあ。

 袖へと掃けながら、ため息をつく。


「あずさ」

「マネージャーさん......」


 舞台裏で待ち構えていたのは、厳しい顔をしたマネージャーさんだった。


「ちょっと」

「............はい」


 怒られるのかな、嫌だなあ。

 連行されて行く私の背中に、クスクスという笑い声が追いかけて来た。




◯ ◯ ◯ ◯ ◯




「さっきのは何?」

「さっきの?」

「サビの前」

 

 苛立たしげに腕を組んで、二の腕を人差し指で淡々と叩くマネージャーさん。サビ前......というのは、さっきのフォーメーション変更のことだろう。


「あれは......あずさは、悪くなくて............」

「そんなこと、分かってるわよ」


 ばっさりと切り捨てられる。

 わかってるなら、あの子達の方を注意してくれればいいのに。そんなこと、怖くて口に出せないけど。


「貴女、これからどうやってグループをまとめて行くつもり?」

「どうやって......?」

「イマイチ小粒な3期生のこれからに期待するか、ある程度の結果を出してる貴女に一点賭けするか。先代が選んだのは貴女だった。その信頼に、貴女はどうやって応えて行くつもりなの?」


 そんなこと、急に言われても。

 アイドルだってよく分からないままに続けている状態なのに、グループのことなんて......。


 トントントン......と、マネージャーさんが腕を叩いている間、私は何も言うことができずにいた。


「ねえ。貴女、なんでアイドルやってるの?」

「えっと、それは、ファンの人たちのために......」

「ハッ」


 は、鼻で笑われた......。


「貴女、ファンの顔とか覚えないタイプでしょう」

「うっーー」


 正直、覚えてなかった。何人かは見たら思い出すかもしれないけど。

 そもそも私は、なんで私みたいなのが好かれているのかも分からないのだ。元々、学校でもそんなに目立つタイプでは無かったし。アイドルになるまで、告白されたことだってない。アイドルになってからは何回かされたけど......そんなの、アイドルなら誰でもよかったに決まってる。


 ひたむきな所が応援したくなるとか、アイドルに真剣だとか、ファンの人たちはよくそう言ってくれるけど、正直ピンとは来ない。他にしたいことがないから、取り敢えずやってるだけ。

 私にとって、アイドルなんてその程度だ。


 本当に、なんでこんな私を推してくれるんだろう。

 本当の私を知ったら、みんな幻滅するはず。


「はぁ、もういいわ」


 ほら、マネージャーさんにも、呆れられてしまった。


「これ」


 失望を隠そうともしない目で、渡されたのは......。


「異動、届け?」

「事務所主導で新しいユニットを作るんですって。本当は3期生の誰かに渡すつもりだったんだけど、やめた。貴女にする」

「はぁ......」

「一応、選択権は貴女にあるけど、どうする?」


 私たちの所属する事務所ーーヒロインズでは、所属するアイドル達が自由にユニットを組み、お互いに高め合う。

 事務所主導というのは、かなり珍しい。


「あ、はい。じゃあ行きます」


 でもそれなら、事務所がしっかり管理してくれるなら、メンバー同士で揉めたりもなさそう。今みたいにギスギスしないで済むかもしれない。

 紙とペンを受け取って、名前と所属、番号を書いていく。


「悩まないのね......」

「悩むことなんですか?」

「貴女、二年間恋音にいたんでしょう? もっと......はぁ、もう、いいわ」


 記入した紙を差し出せば、疲れたように目頭を抑えながら受け取ってもらえた。


「顔合わせは今週末、明日の本番が終わったら、それまではオフでいいわ。部屋は事務所の304だから、忘れないように」

「はい」

「じゃあ、そういうことだから」


 ヒールを鳴らしながら去っていくマネージャーさんの後ろ姿をぼんやりと眺めていると、その歩みが止まった。


「そうそう、新しいユニットの名前だけど」

 

 目を眇めて、言葉をためる。


「freaks、ですって」


 貴女にピッタリね。

 そう言われた気がしたのは、私の被害妄想なのかな。




◯ ◯ ◯ ◯ ◯




 日曜日。私は件の304の前にいた。


「ううっ、なんだか緊張するなぁ」


 時刻は集合時間の5分前を過ぎている。

 もうみんな、中で待っているかもしれない。


「どうしよう、どうしよう......」


 怖い人達だったら、嫌われてしまったら。

 ネガティブな思考ばかりが先行して、動くことができない。


 と、そこにーー。


「だーかーら! 仕方ねえだろ! 事務所の命令なんだからさあ!」


 スマホを耳に当てた女の子が通りかかる。


「はいはい。わかったわかった。後でかけ直すから。一回切るな」


 ダボっとした黒のパーカーにジーンズという、一見すると男の子みたいなファッションに、気の強そうな吊り目。

 ショートカットに整えられた髪の毛は、襟足だけが少し長めで、毛先の部分がピンクと紫の中間のような色で染められている。


 年は、多分、私より下。中学生くらいなんじゃないかな。ちっちゃくて、可愛いのに、抱き締めることは許さない。そんなどこか野良猫みたいな雰囲気を感じさせる少女だった。


 ーー今までに見たことのないタイプ。


「入んねえ......ん、ですか?」


 ぼけっと見ていると、携帯をポケットにしまった女の子が私の前で首を傾げた。

 やばい、ジロジロ見過ぎてたかも。


「あ、ごめんなさい。入ります」

「ん」


 扉を開けて中に入れば、すぐ後ろをさっきの子がついて来ている気配がした。

 そっか、この子もユニットの子なんだ。


「失礼します」


 小声で呟く私の後ろを、無言でついてくる。

 ちらっと振り返ると、その表情は電話で話していた時に比べて心なしか硬い気がした。もしかしたら、この子も緊張してるのかもしれない。


 なんとなく気まずい雰囲気の私たちが部屋に入ると、そこには既に先客が。


 ーーくけー。くこー。


 まるで鳥の鳴き声みたいな、ちょっと間抜けな息遣い。

 四人がけのテーブルの一角に突っ伏して、規則正しく体を膨らませたり縮めたりする金髪の女の人。


 もしかして、この人もアイドルなのかな......?


 でも、それにしては、髪はボサボサだし、年季の入ったジャージはよれよれ。机の上にはお酒の空き缶が散乱していて、アイドルというにはちょっと......その、不潔だ。

 freaksのマネージャーさんなのかもしれない。


 とにかく、起こして話を聞こう。

 関係ない人ってことはないはず。


「あの、すみませーー」


 ーージリリリリリリリリリリリリリリリリ!!


「んあ?」


 わっ、びっくりした。


「ん、んんっ......んう............あー、もう時間か」


 突如鳴り出したアラームを、ポケットに手を突っ込んで止めた女の人。

 しばらく動かずにじっとしていたかと思うと、ノロノロと立ち上がって、大きく伸びをした。

  

「んっ、んんんんんっーーふぅ」


 「黄山」と白いテープで書かれた窮屈そうなジャージが持ち上がり、綺麗な縦長のおへそがちらりと覗く。 

 うわぁーー。


「むねでっか。こしほっそ」


 あ、あずさもそれ思った......。

 この子と私が「女の子」なら、この人はまさに、「女の人」。ボンキュッボンとか、七頭身? とか、スタイルがいいことを示す表現は色々あるけど、この人はそれだけじゃない。醸し出す雰囲気というか、オーラというか、そういう言葉には言い表しにくい部分にまで色気があって......言葉を選ばずにいうなら、すっごいえっちな感じ。


「ここで飲んで寝れば絶対に遅刻しない! 昨日飲んでて、あー遅刻するなーって思ってたら唐突に思いついたんだよね! 唐突に! なあ、やっぱうち天才じゃね?」


 ーーな!?


 と、無駄に色っぽい涙黒子のある瞳で、バチリとウインクを決める女の人。正直、返答に困る。 

 仕方がないから、話を逸らすことにした。


「えっと、アイドルさん......ですか?」

「そ。一応だけど。うちは黄山龍虎(きやま りゅうこ)

「あ、俺は紫莉音(むらさき りおん)です」


 龍虎さんに、莉音ちゃん。

 二人が新しい仲間。  


「赤井あずさです。よろしくお願いします!」


 これから、このメンバーで頑張っていくんだ。


「............うん。よし! 新しいユニットの子達が可愛い子で良かった! じゃあうち、ガン◯ムの新台見に行かなくちゃだから、もう行くね。おつかれー」


 ーーは?


「え、顔合わせみたいな......」

「大丈夫大丈夫! 二人の顔は覚えたから! そいじゃ!」


 慣れた手つきで酒缶をビニール袋に放り込んで、さっさと部屋を出て行ってしまう龍虎さん。廊下から、ゴミ袋を振り回すガチャガチャという音と、ドタドタと走り去っていく様子が聞こえる。

 ゆにこぉぉぉおおおん! という奇声が、反響してこの部屋にまで届いた。


「パチカスじゃん」

「『ぱちかす』ってなに?」

「......いや、なんでもない」


 ーー? 

 よく分からないけど、かなり変わってる人なのかもしれない。これから上手くやっていけるといいんだけど。


「えっと......で、俺たちで全員なんですかね? 他のメンバーとかマネージャーさんとか、来る気配ないですけど」


 スマホで時間を確認しながら首を傾げる莉音ちゃん。

 丁寧な口調だけど、表情は微妙に硬いし、壁がある......ような気がする。これからユニットの仲間として活動するんだし、それじゃあダメだよね。


 ここは年上として、勇気を出して私から距離を詰めないと!


「莉音ちゃん。取り敢えず、敬語とかやめよう?」

「え? あ、うん」

「大丈夫。あずさそういうの気にしないよ?」


 おかしいな。できる限り優しそうに話しかけてるんだけど、なんだか微妙そう。

 もしかしたら、私が居た恋音のように、先輩と後輩の上下関係が厳しいユニットの出身なのかもしれない。急激な変化に戸惑っているのかも。でもfreaksは今のところ三人しかいないみたいだし、折角だから仲良くしたい。

 アットホームな雰囲気のユニットを目指すんだ。うん。


 そう決意する私を、ジトッとした目で見ながらーー。


「一応言っとくけど、俺、16だからな。あずさとそんな変わんないと思うぞ」


 ーーえ?


「ええええええええええ!?」


 中学生くらいじゃないの!?


「こ、こんなにちっちゃくて可愛いのに!?」

「......別に好きでこんなナリしてる訳じゃねーっての」

 

 不貞腐れたように唇を尖らせる莉音ちゃん。

 その仕草はちょっぴり反抗期が混じった中学生にしか見えない。これで高校生なんて............。


「まあいいや。別に今に始まったことじゃないし。それより俺も、他のメンバーとかマネージャーのこととか事務所に問い合わせてくるから、もう行くわ」

「えっ? どういうこと?」

「事務所が呼びつけといて、何も接触なしってのは明らかにおかしいからな。なんかの手違いかもしれないだろ?」


 た、確かに。

 少なくともマネージャーさんがいないのは、何か変な気がする。


「じゃあ、あずさも一緒にーー」

「あー。いや、入れ違いになるかもしれないし、お前はここで待っててくれるか?」

「あ、うん」

「ほんじゃま、すぐ戻るわー」


 そう言って踵を返した莉音ちゃんがいなくなり、部屋には私一人が残される。


「............なんか、すごかったなぁ」


 二人とも、恋音にはいないタイプのアイドルだった。


 まずは龍虎さん。

 抜群のスタイルに、日本人とは思えないほど金髪が良く似合う美女。顔のパーツがはっきりしてたから、もしかしたら外国の血が混じってるのかもしれない。だから、あんなに自由な感じなのかも。大人の女の人って感じで......ああいう人は、恋愛経験豊富なんだろうなあ。


 そして莉音ちゃん。

 猫みたいにぱっちりした瞳に、毛先だけがピンク色の黒髪。雰囲気的に、最初は結構ヤンチャな子なのかなって思ったけど、ちょっとツンツンしてるだけで、きちんと礼儀正しい良い子だった。まだ少し話しただけだけど、莉音ちゃんとなら、きっと仲良くなれる気がする。

 

「莉音ちゃん、まだかなぁ」


 最近はずっと暗い気持ちだったから、久しぶりに、わくわくしてる。




◯ ◯ ◯ ◯ ◯




 ーーって、思ってたのに。


「まだかな、莉音ちゃん。それとももしかして、私のこと忘れてる?」


 長い秒針で半周。30分。

 待っているのに、未だに戻って来てくれない。


「『すぐ戻る』って言ってたよね? あれ? あずさの勘違い?」


 それとも、嘘だった? なんで?


「............もしかしてあずさ、嫌われた?」


 自分の行いを、よくよく思い返してみる。


 そういえばーー。


『こんなにちっちゃくて可愛いのに!?』

『別に好きでこんなナリしてるわけじゃねーっての』


 身長が小さいこと、気にしてた?


 それともーー。


『莉音ちゃん、敬語とかやめよう?』

『いや、俺16だから』


 一つしか歳が変わらないのに、上から目線に......。


 ..................あ。ああ。あああ。

 

「失敗した。失敗した。失敗した。失敗した」


 敬語とかやめよう? って、私は何を言ってるんだ。一つしか変わらないなら、同学年の可能性もあるのに。もしかしたら芸歴とか、あずさよりずっと長いのかもしれない。


 それをあずさは、思いっきり年下に接する態度で......。


「失敗した。失敗した。失敗した。失敗した」


 絶対に、失礼な奴だと思われた。

 調子に乗ってると思われた。

 もし仮に、運良く思われてなかったとしても、上から目線な奴だと思っていたに違いない。


「ああ、もう。何で私は、あんなこと......」


 頭を埋めて、ダンゴムシにみたいにまるまる。

 この体勢が一番落ち着くのはきっと、あずさの前世がダンゴムシだからに違いない。ごめんなさい。ダンゴムシのくせに調子に乗って。ごめんなさい。


 ああ、もう。消えて無くなりたい。




◯ ◯ ◯ ◯ ◯




 アイドルでいることに意味はない。


 現実逃避とか、無価値な自分じゃなくなるためとか、やってる理由は色々あるけど、それらは別に、アイドルである必要はない。だからステージに立って大きな歓声を浴びると、本当に私がここに居ていいのかと怖くなる時もある。


 ーーでも、こうやって練習している時間は、結構好きだ。


 嫌な人間関係も、恥ずかしい失敗も、全て忘れるくらい、いっぱいいっぱいな状態になれるから。


「............ふう」

 

 スマホを確認するまでもなく、プレイリストからランダムに選ばれた曲が再生される。それが終わればまた、次の曲を。そしてまた、次の曲。

 そして私は、ただ愚直にそれを踊り続ける。


「ーーいや、いつまでやってるんだ、お前は。休め」

「ひょわあっ!?」


 ーーなに!? だれ!?


「連絡先聞き忘れたから一応戻ってきてみたら、ずっと練習してるし。区切りがついたところで話しかけようと思ってたら1時間以上休憩なしって......なんなの、お前。マゾ?」

「莉音ちゃん......」


 うわ、全然気づかなかった。

 びっくりして変な声も出しちゃったし。恥ずかしい。てゆうか、戻って来たんだ。


「ちょっとは休めよ。体壊すぞ」


 そう言ってペットボトルを手渡してくれる。優しい。もしかして私、嫌われてなかった?


「ありがとう」

「おう」


 お水を飲んでる間、無言の時間が続く。

 莉音ちゃんはじっと私を見ているだけで何も言ってくれなくて、少しだけ気まずい。


 どうしよう。何で遅れたの?とか、聞いても良いのかな? でも、問い詰めてるみたいに思われるかもしれないし......それ以前に、さっき失礼な態度をとったことを謝った方が......でも、勘違いだったら藪蛇になりそうだし。


 そんな感じで、私が何も言えないでいると。


「......お前もしかして、俺がいなくなってからずっと練習してたのか?」

「え? ずっとではないけど......四時間くらい?」

「まじかよ」


 少し引いたような声色の莉音ちゃん。言われてみれば、お腹が減って来たような気がする。

 そろそろご飯の時間だし、帰ろうかな。


「そんなにアイドルが好きなのか?」

 

 体が硬直する。

 

「そうじゃないけど......」


 失敗した。

 急に聞かれたから、思ってることがそのまま口から出てしまった。どうしよう、ここから誤魔化せるかな。


 それともーー。


「これくらいしかすることがないから」


 結局、私は正直に言うことにした。


 心臓がバクバクいってるのは、運動した後だからなのかな。それとも......。やめた方がいいとか言われたら、私はどうするんだろう。アイドルをやってるのに、アイドルが好きじゃないなんて。他の人から見たら、きっと、アイドルを冒涜してるようにも見えるに違いない。

 

「ほーん?」


 そんな私に返ってきたのは、少しだけ不思議そうな、でもやっぱりなんでもなさそうな、ちょっと間抜けな鳴き声だった。


「まあいいや」


 まあいいや、って。まあいいや、って。


「取り敢えず、これ、書いてもらってもいいか?」


 私なりに勇気を出した告白はあっさりと流され、差し出されたのは、一枚の紙。

 なんだか最近もこんなことあった気がする。あの時は移動届だったけど......。


「えっと、ユニットの結成届?」

「そう。で、ここ」


 その紙はどうやら記入済みで、書いた覚えの無い私の名前と、龍虎さんの名前、莉音ちゃんの名前が書いてある。

 結局、メンバーは三人だけだったのかな?


 それよりも問題は、莉音ちゃんの指したところでーー。


「リーダー!? あずさが!?」

「そう」

「ムリムリムリ! あずさじゃ無理だよ!」


 前のユニットでもそれが原因で揉めたのに!


「いや、本当は俺がやるつもりだったんだけどさ......」


 困ったように頭を掻きながら、指差したのはマネージャーの欄。


「俺、マネージャーもやるからさ」




◯ ◯ ◯ ◯ ◯

 



 freaksとしての活動は、私が想像するよりずっとスロースタートな滑り出しだった。


 龍虎さんも莉音ちゃんも、二人とも人気投票の順位が高い人気アイドルで、そんな人達を集めて事務所主導のユニットを作るなんて言われてたから、忙しくなるのかな......って、漠然と考えていたんだけど。


『ごめん! 今日も自主練!』


 ユニットのスケジュールが書かれるはずのホワイトボードには、ここ数日変わらない文言が日付や概要の欄を突っ切ってデカデカと書かれている。


 とめ、はね、はらいが強調された豪快な字は実に莉音ちゃんらしいけど......。そう、莉音ちゃんらしい。あの文字は、莉音ちゃんが書いたもの。直接書いたところを見たわけじゃないけど、あの時の結成届けに書かれていた莉音ちゃんの筆跡と同じ。

 つまり、このユニットの予定を決めているのは莉音ちゃんなのだ。


 はっきり言って、この状況はかなりおかしい。


 事務所主導で始められたユニットのスケジュールを管理しているのが、事務所の人間ではなく、そこに所属するアイドルなのだ。


 それだけじゃないーー。


「ごめん! 遅れた! もう練習始めてる?」


 ドアを開けて、勢いよく入ってきた莉音ちゃん。

 その姿は学生服だが......彼女が最近、学校に行けてないことは知っている。


「......また朝から事務所にいたの?」

「んー、まあな」


 制服から練習着に着替えながら、何でもないことのようにそう言うけど。


「出席日数は何とかなってるから」

「でもテストとか......」

「俺、これでも成績良いんだよねー」


 これでも......なんて。

 莉音ちゃんの頭が良いことなんて、まだ少ししか一緒にいない私にだってわかるよ。だって。


 マネージャーとアイドルを兼任するなんて、凡人にはとてもできることじゃない。それも、事務所が全く力になってくれていない、今の状況で。


『あずさ先輩のグループ、活動前から活動休止ってマジですか笑笑笑笑』


 スマートフォンに届いた、かつてのグループメンバーからの連絡を思い出す。同じような内容は、今週に入ってもう何件目かもわからない。それだけ、この事務所で大きな話になっているのだろう。


 活動開始前から頓挫した事務所主導のアイドル計画。5人グループのはずが、3人しか集まらなかったメンバー。


 当初、「各人気グループから『尖った』メンバーを集めて最強のアイドルグループを作る」という明確なコンセプトがあった事務所の計画は、所属するアイドルとマネージャーによる移籍拒否という形であっさりとその目論見を外れた。


 その後偉い人たちが揉めて、取り敢えず代わりのメンバーを集めるまでは正式なグループとして発表せず、活動も行わないと決定したらしいけど、そこに異を唱えたのが莉音ちゃん。


 ............らしい。


『俺がこの世で一番嫌いな言葉は停滞なんだよ! てめえらのゴタゴタが片付くの待ってたらババアになるわ! マネージャーがいないなら、俺がなる!』


 そう一方的に怒鳴りつけた後、白紙のユニット結成届を引っつかんでここまで戻ってきたんだとか。

 ......流石に誇張されてるとは思うけどね。


 でも、実際に莉音ちゃんがマネージャーとアイドルを兼任してる今を鑑みると、それに近いことはやったのかもしれない。


「なんかもう............すごいなぁ」

「お? なんか言った?」


 体操着に着替える莉音ちゃんを眺めていると、思わず口に出てしまったようだ。

 

「ううん。なんでもない」

「そか。なら、練習始めるか」

「......うん」


 ーーでも、本当に。


 すごいよ。莉音ちゃんは。

 私より年下で、こんなに小さいのに。たった一人で大人の人達が決めたことに逆らって。目標に向かって立って突き進む姿は、まるで漫画か何かに出てくるヒーローみたいだ。


 私には絶対にできない。アイドルだけで一杯一杯なのに、その上、マネージャーまで。怖い大人の男の人とだって、たくさん話さないといけないのに。


 それを、莉音ちゃんは............。


 あんなに白くて、細い、握りしめたら折れてしまいそうな、か弱い女の子の、綺麗な首筋でーー。


「あのパチカスは今日もいないし、折角だしデュエット曲でもやるか?」

「あ、うん」


 しゃがみ込んでラジカセの準備をする莉音ちゃんをぼけっと見つめながら、何となく返事をする。


 男の子みたいに大きく股を広げて座る莉音ちゃんは、いつも思うけど、どこか無防備だ。まるで、本来女の子が成長の上で獲得する「危機感」というやつを、そのまま抜き去ってしまったみたいに。


 気づいているのだろうか。ラジカセを覗き込む度に、その飾り気の無い下着の紐が見えてしまっていることに。

 着替える時だって、男の人が急に入ってくるかもしれないのに、いつも更衣室を使わないでその場で着替えてるし。

 そういうこと、誰も教えてくれなかったのかな?



 

 ーー私が、教えてあげた方が、いいのかな?




「あ、ごめん。電話だ。ちょっと待ってな」

「あ、うん」


 機敏な動きで立ち上がって、スマホを耳にあてる莉音ちゃん。


「はい。ヒロインズ所属freaks担当マネージャー、紫でございます」


 その姿は、とても高校生とは思えないほど、堂々としていてーー。


「......はい。はい、私がお取り継ぎしています。......ええ、問題ございません。はい」


 携帯を耳に当てたまま、さっきは欠片も使う気を見せなかった、更衣室の扉の向こうに消えていく。


「............ふふっ」


 なんだか、休暇中に職場から電話がかかってきたお父さんみたいだ。そう思うと、扉越しに聞こえてくる、「はい、はい」と相槌を打つ声も、やっぱりどこか既視感がある。


「本当、すごいなぁ」


 そうだよね。


「あんなにしっかりした莉音ちゃんに、私が何かを教えるなんて、烏滸がましいよね」


 だって、ほらーー。


「あずさ、行くぞ!」


 私の手を掴んで走り出す莉音ちゃんは。きっと。



「仕事だ!!」



 先頭に立って道を切り開く、そういう人なんだ。

 

「えっと、どんな?」

「雑誌の撮影で欠員が出たらしい。今すぐ代理で出れるアイドルを探してるんだと! ダメ元で営業の電話かけまくった成果がようやく出てきたぜ!」

「す、すごいね」

「いいや。こっからだね」


 後ろからでも分かる、自信満々な口調の莉音ちゃん。やっぱりかっこいい。


 ......あれ? でも、雑誌の撮影って、きっとどこかのスタジオでやるんだよね? 一体そこまで、どうやっていくつもりなんだろう? 電車とかかな?


「よし。よし! まずは一つずつ。一つずつ!」


 上機嫌に階段を駆け降りる姿は、一見すると勢いだけで、何も考えていないようにも見える。

 でも、莉音ちゃんだしなぁ。

 

 私が口に出して訪ねるべきか、それとも黙ってついていくべきかにもウジウジして迷っている間にも、莉音ちゃんは階段を駆け降りて、そして駐輪場へーー。


 沢山の自転車や原付が並べられている中、一台だけ周りからは浮いた、銀色の大型バイクの前で止まる。側面についた排気口? が大きくて、なんとなくいかついけど......もしかして。


「ほら、ヘルメット。一個しかないから、お客様用だ」


 ほ、本当に?


「いや、あの......これ、どこに乗れば?」

「後ろんとこ。普通に跨いでくれれば良いから」


 手慣れた様子で、鍵を差し込みながら、エンジンをかける莉音ちゃん。こんなに大きい感じなのにきちんと足がついているのは、そういう車種なのか、それとも莉音ちゃんの足が長いからか。


「でも、ええ......」

「いやー、16になってから速攻で免許取っといて良かったわ」


 法律的に二人乗りに問題はないのかとか、バイクとか普通に怖いから乗りたくないとか、そもそも事務所に送迎をお願いするわけにはいかないのかとか、


「実は前世からの夢だったんだよね。美少女を後ろに乗せて走るの」


 そんな疑問は、莉音ちゃんの自信満々な不敵な笑みを見ていると消えてしまってーー。


「じゃあ、しっかり捕まってな」

「うん!」


 走り出す。

 警察の人に見つかったらどうなるんだろう、とか。事故が起きたら二人一緒に死んじゃうのかな、とか。お母さんが見たら怒りそうだな、とか。そんな考えは風と共に流れていって、次第に、ヘルメットの中の莉音ちゃんの匂いと、風に靡く莉音ちゃんの髪。腕の中の、柔らかな腰の感触で頭が一杯になっていく。






 なんだかすごく、ドキドキする。

 今なら、アイドルだって上手くやれるかもしれない。そんな気がした。




◯ ◯ ◯ ◯ ◯




「っし! 到着!」


 やがて私たち二人を乗せたバイクは、見覚えのあるスタジオの駐輪場に入り、止まった。

 ちょっとだけ残念。まあでも、帰りも乗れるなら。


「ノーヘル運転......一年未満の二人乗り......だがしかし、俺は賭けに勝った............」


 バイクのハンドルに突っ伏した莉音ちゃんは、心臓を抑えながら、なにやらぶつぶつと呟いている。

 もしかして、莉音ちゃんもドキドキしてくれたのかな? だったら、嬉しいな。


「よ、よし。行こう。早く行こう。すぐ行こう。どっかで通報......いや、お客さまをお待たせるわけには行かない!」

「うん」


 そうだ。せっかく莉音ちゃんが頑張って取ってきてくれた仕事なんだ。私も協力しないと。

 受付の人と莉音ちゃんが何か話をした後、エレベターターに乗る。やっぱり見覚えがある。


 前に少年誌? のグラビアをやらせてもらった時に、来た所だ......多分。


「やっべ! 言い忘れてた! 今日グラビアの撮影なんだけど......その、水着とか、大丈夫か?」


 こちらを心配そうに、上目遣いで見つめてくる莉音ちゃん。


「ふふっ」

「え、何で笑うんだ......?」

「私も一応、アイドルなんだよ? それくらい、やったことあるよ」

「そ、そっか............あずさは、平気なんだな」


 ーーえ?


「ああ、いや。なんでもない」

「そう?」


 最後。何か言ってたような気がしたけど。

 気のせいなのかな?


「ここの、Bスタジオだって。なんでも有名なカメラマンらしいんだけど、恋音のメンバーがキャンセル入れたとかでーー」

「え?」


 私が元いたグループだ。


「向こうは企画も兼ねてる、選べる立場のカメラマンだから、撮影がきついんだと」


 小声でそう耳打ちしてくる。

 そ、そうだったんだ。私がここで撮った時は至って普通の撮影だったけど、それってもしかして、運が良かったのかな。


「気合いで! 乗り切ろうな!」

「うん!」

「うっし! じゃあ挨拶から!」


 2回のノックの後、扉の前でお互いに目で確認して、うなづき合う。

 私たちヒロインズ所属のアイドルがユニットを結成した時に、一番初めに練習すること。それは挨拶。養成段階で厳しく教えてられるそれを疎かにする人もいるけど、私と莉音ちゃんは、歌や踊りの前に、まず挨拶を合わせる練習をした。


「「freaksです! よろしくお願いします!!」」


 礼は言葉の後。

 私は頭を下げようとしてーー。


「あら、あずさちゃんじゃなあい?」

「あ......」


 いつもの人だ。な、名前、なんだっけ?


「いやあねえ、権田よ。権田。権ちゃん、あずさちゃんって呼び合う仲だったじゃなあいぃ?」


 あ、そうだ。権田さんだ。

 いかついスキンヘッドに、レフカメラが小さく見えるほど筋骨隆々な肢体。特徴的な口調と二丁目に居そうな外見がどうしても先行していつも名前が頭から飛んじゃうのに、毎回教えてくれる、優しい人だ。


「知り合いか?」

「あ、うん」


 小声で問いかけてくる莉音ちゃんに、小さく返す。権ちゃんと呼んだ覚えはない気がするけど。


「なあにぃ? あずさちゃん、今日来られないんじゃあなかったの?」

「あ、実は......恋音から移籍になって............」

「あらあ、そうなの? 大変ねぇ」


 なにやら深刻な顔の権田さんは、莉音ちゃんの方をチラリと見た後、顔を近づけて来る。

 

「あの子、大丈夫なの?」


 ............なんのことだろう?

 あと、内緒話をする時に、そんな風にわかりやすくジェスチャーをした後だと、逆に目立つ気がする。


「新しいマネージャーなんでしょ? ちょっと若すぎない?」

「あ、えっと......莉音ちゃんは............」


 今度は私が視線を送ると、話題が自分のことだと気づいたのか、ポケットの財布から簡素な名刺を取り出して、頭を下げる莉音ちゃん。


「freaksのアイドル兼マネージャーやってます。紫莉音です」

「あらぁ」


 ふっふっふ、うちの莉音ちゃんはしっかり者なんだよ? 権田さんも驚いたに違いない。


「道理で可愛いと思ったわあ」

  

 うんうん。莉音ちゃんは可愛いよね。


「そうだ! ならせっかくだし、二人で写真撮ってみるのはどーぉ?」

「「え?」」




◯ ◯ ◯ ◯ ◯




『うちの作品に、勇者と魔王、二人のヒロインに迫られる感じのラブコメがあるの。ちょうどこの前その衣装が届いたから、二人ともそれ着てみてみない?』


 権田さんの提案からスタイリストさんにお化粧や髪の毛をやってもらって、早速衣装を身につける。

 スタイリングの間に読ませてもらった漫画は、異世界から来たちょっとエッチなヒロイン二人と平凡な男の子が同居する、よくある感じのラブコメストーリーで、衣装も相応に布面積は少ない感じ。


 私の勇者の方のキャラクターは、これ心臓しか守れなくない? って感じの鎧と、羽のついたサークレット? 短パン。まあ水着より布面積は多いし、こんなもんかなーって思う。けど、


「うーん、ちょっと表情固いかなー? もうちょっと笑ってー?」

「ぅ、ウス!」

「なぁに? そのお返事。ちょっと緊張しすぎよー? リラックス、リラックスー」


 ーーまさか莉音ちゃんが、こういうの苦手だったなんて。


「いやだってこれ普通に痴女じゃん。おかしいじゃん。二次元ではいいかも知れないけど、三次元でこれいたらヤバいじゃん」


 私の隣で、早口で呟く莉音ちゃん。


 その格好を一言で表すならーーなんだろう。

 魔王というより、サキュバス......かな?


 全体的にエナメルっぽい光沢のある黒い衣装で、上半身は良くあるビキニタイプの黒い水着。下は私と似たような形の黒いショートパンツで、ガーターベルトが伸びてブーツのようなストッキングのようなものに繋がっている。

 それで、後は謎のツノとハート型のしっぽ。ツノは髪と同じ色のカチューシャから。尻尾はズボンと繋がっていた。


「気合い。気合いだ。こんなん気合いで解決できる。気持ちの問題だ。恥ずかしいと思うことが恥ずかしい。自意識過剰なんだよ、ハワイのビーチには上裸で泳いでる奴だっていたし」

「............ふふっ」


 莉音ちゃんの呟きに、思わず笑ってしまった。

 ハワイって......そこまで行かなくとも、水着とかと比べても布面積は大きいんだから、そこまで恥ずかしがらなくてもいいのに。アイドルの衣装とか、これくらいの露出度の奴も結構あるし。


 意外だなぁ。普段は全然そんなこと気にしてなそうで、そこら辺で普通に着替えてるのに。まさか、こんなに恥ずかしがるなんて。


「お、いーわねー、あずさちゃん! 柔らかい! そんな感じよぉー!」

「はーい!」


 権田さんに返す余裕もある。私の方は、なんだかいつもよりリラックス出来ている気がする。

 そうだ! こんな機会滅多にない。こんな時こそ、私が年上として、莉音ちゃんをサポートしないと。


「莉音ちゃん、笑顔だよ、笑顔。にー」

「お、おう。にー」


 う、うーん? なんか硬いなぁ。


「に、にー」


 ていうか莉音ちゃん、正面から見ると結構胸が大きい。私がBだから......Cか、もしかしてDある? 


「あ、あずさ?」

「うわぁ」


 その格好で童顔な莉音ちゃんに上目遣いされると、なんだか犯罪臭がすごいなあ。

 そういえば、漫画では勇者が貧乳キャラで、魔王が小さくて巨乳なキャラだったような......まさか、それでこの配役? 確かに合ってるけど、少し複雑。


 莉音ちゃんは普段、制服もジャージもパーカーも、なんとなくダボっとした大きめのサイズで着てるから、体型のラインが分かりにくかったのかも。


 こうして見ると、ウエストのラインとかくびれててすごく綺麗だし、深く呼吸した時に少しだけ浮き出る腹筋とか、なんだかすごく触り心地よさそう。

 ほら。


「んひゃあ!?」


 ーーやっぱり。滑らかで、ほどよい弾力。見た通りだった。


「お、おおお、おい! なにすんだ!」

「あ、ごめんね? 嫌だった?」


 コリコリした感触が楽しくて、無意識に揉んじゃってた......いや、お腹の方をね?


「い、嫌では......ないけどさ」

「なぁら結構!」


 唇を尖らせながらの小声に反応したのは、権田さんだった。


「じゃあ、あずさちゃん、莉音ちゃんに覆い被さる感じでおねがーい!」

「あ、はい」

「ええ!?」


 こんな感じかな?


「ちょっ、当たってる! 当たってる!」

「あ、ごめん。ちょっと離れるね」


 莉音ちゃん、スキンシップとかも苦手だったのかな。


「嫌じゃ無い! 嫌じゃ無いけど! ないけど!」


 真っ赤な顔なのは、怒ってる......というよりは、照れてるのか。そんな顔をされると、私まで変な気分になってくるから、出来れば普通にして欲しいんだけど。


「よし! 二人とも!」


 カメラを置いた権田さんが、雑誌を手に近付いて来る。


「時間かかっちゃったし、もうこの際、原作再現で誤魔化すわ! この扉絵のポーズ、取れる?」


 そこには、『どっちを選ぶ?』の煽り文句と、二人のヒロインが膝立ちになって、切なそうな表情で抱き合う様子がーー。


「うおおおおおおお!?」


 大声で飛び退いたのは、莉音ちゃんだ。


「ち、ちょっと時間もらっていいですか? 本気出すんで。そしたら行けると思うんで」

 

 言い訳がましくそう言いながら、お手洗いの方に逃げていく。早い。


「あらー......今からでも、もう少し露出抑えめなやつに変えた方がいいかしら?」


 その消えていった方を眺めながら、悩ましげなため息をつく権田さん。


「あの、すみません。莉音ちゃん、普段はすっごくしっかりしてるんですけど、こういうの苦手みたいで」


 ーーこの台詞。私、少し先輩っぽくない?


「いいわいいわ。時間は空いてるって聞いてたし、長期戦も覚悟の上よ。ワタシたちも少し、休憩にしましょうか」

「はい。わかりました」


 権田さんが撮った写真をチェックしてる間、私は他のスタッフさんに羽織るものを渡されて、椅子を用意してもらって、お水をもらって......私達のせいで待たせているのになんだか申し訳なくなってくるけど、この人たちもこれが仕事なんだ。


 でも、やっぱり慣れない。

 

 なんとなく携帯を見ていると、恋音で唯一仲良くしてくれていた後輩の子から連絡が来ていた。


『先輩、新しいグループはどうですか? 紫莉音、結構曲者な感じしますけど、上手く行ってます?』


 新しいグループが活動休止になった時も、他の元メンバーが茶化すような文面で送って来た中、真剣に私を心配してくれた優しい子だ。逆に言うと、前のグループで上手く行ってたのなんて、この子くらいなんだけど。


 ーーそれにしても、莉音ちゃんが曲者って、どう言う意味なんだろう?


『どう言う意味?』


 っと。

 あ、直ぐ既読ついた。


『endless時代から言われてますけど、めちゃくちゃあざといじゃないですか。裏で絶対アレなタイプだと思います。先輩は何か酷いことされてませんか?』


 あざとい? 莉音ちゃんが?


『それ、人違いじゃ無い?』

『......先輩、endlessのライブ見たことないんですか? 私達のライバル筆頭だったのに』

『言われてみれば、見たことないかも』


 数字としては意識してたけど、自分の練習で一杯一杯で、他のグループのライブ見たりとかは無かったからなあ。

 

「それにしても、莉音ちゃん遅いな」


 後輩の子はあざといとか言ってたけど、私にはそうは思えない。私の知ってる莉音ちゃんは、可愛くて、しっかりしてて、真面目で、裏で悪口を言うなんて絶対無くて、むしろ............責任を感じて、一人で泣いてるような。


「もしかして!?」

 

 ーー見に行かないと!


「あずさちゃん!? どこいくのぉ!?」

「直ぐに戻ります!」


 走る。トイレに向かって。

 もしも責任を感じているなら、私が先輩として、慰めてあげないと。莉音ちゃんはすごい。私一人だったら、きっと何もできずにずっとあの部屋にいた。

 大人達が決定するのを待つとか、動かない理由だけを正当化して、ぬるま湯に浸ってた。


 そんな状況を、たった一人で変えた莉音ちゃん。


 莉音ちゃんが、もし傷ついてるなら。もし、私にも出来ることがあるならーー。


 扉を開く。


「莉音ちゃん!」


 やっぱり。洗面台に突っ伏してる。


「莉音ちゃん、大丈夫。二人で頑張ろう?」

「............ル。............いい」

「え?」


 私は真っ赤に充血した目で鏡を見て、ぶつぶつ言っている莉音ちゃんに、近づいて。






「ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い」


 ーーえ?


「ニャーはアイドル! うちゅーいちかわいいアイドルニャ!!」

 

 振り返った。


「あずさ! おまたせニャ!」


 その姿は、さっきまでとは、纏う空気感も、表情も、何から何まで違う。


「こっからは、バッチしキメるニャ!」


 バチりと、片目を閉じてポーズを決める。

 それは今まで見た誰よりも自然なウインクで、さっきまではそこにあった恥ずかしさや、照れくささ、初々しさは無い。要約するなら、隙がない。


 頭のてっぺんから爪先まで、演出しきっている。


「いっくにゃー!」

「あ......」


 楽しげに跳ねるように、莉音ちゃんが走って行く。

 私は思わずその背中に手を伸ばして、


「......本当、すごいなぁ」


 下ろした。

 弱点も、障害も、全て私の想像もつかない方法で乗り越えて行く。今まで私が見た誰よりも、人を惹きつける力を持った女の子。


 でも、さ。ちょっと、隙がなさすぎるよ。


「私だって、莉音ちゃんの助けになりたいのに」










 ...........嫌な奴だ。私。


「改めないと」


 このままだと、きっと莉音ちゃんに見捨てられる。

 その前に私の価値を示すんだ。

 

 


◯ ◯ ◯ ◯ ◯




 freaksが始まってから一ヶ月。

 天は二物を与えず、という有名な(ことわざ)を鼻で笑うかのように、莉音ちゃんはアイドルとマネージャーという二足の草鞋を履きこなしている。


 あの雑誌の撮影以降、少しずつ仕事は増えきてるし、この前は久しぶりにライブもやった。前までは『自主練!』と大きく書かれているだけだったホワイトボードも、今では『ライブ』『営業』など細かく書き分けられている。

 

 ーー私だって、前までとは変わった。


 今までは特に理由もなく、ただ惰性でアイドルを続けていたけど、今は違う。『マネージャーとしての莉音ちゃんの期待に応えたい』『アイドルとしての莉音ちゃんの隣に立ちたい』という明確な目標ができた今は、少なくとも前よりは真剣にアイドルに向き合ってると思う。


 実際、頑張って名前を覚えた昔からのファンの人たちからは、良くなったと褒められることも多い。


 これも全部、莉音ちゃんと出会えたから。莉音ちゃんのおかげ。だから私は頑張れる。


 ただ一つ、不満があるとすれば......。


「ーーあずさ! 龍虎さんは!?」


 バン! と大きな音を立てて、焦った様子の莉音ちゃんがドアから顔を覗かせた。

 これから私たち二人で練習の予定だったけど、明らかにそれどころではなさそうな雰囲気。


 ホワイトボードには、『12:00〜 撮影(龍虎さん)』の文字。そして、今の時間は11時半。


 ーーああ、またか。


「今日はまだ見てないよ」

「ほんっと、あの人は......ごめん! 先やってて!」


 大慌てで引き返して行く。

 きっとまた、寝坊した龍虎さんを起こしに行って、そのまま送迎しに行くのだろう。もう3回目だ。いくら朝が弱いにしても、この短期間に遅刻3回は多すぎだと思う。

 

 莉音ちゃんも莉音ちゃんで、毎回律儀に迎えに行ってあげてるし。私は交通費だけもらって一人で現地に向かうこともあったのに。なんで龍虎さんばっかり。絶対私の方が莉音ちゃんのために頑張ってるのに。


「はぁーあ」


 最初の頃の、莉音ちゃんと二人だけだった時は良かったなあ。


 サボった龍虎さんの代打を二人で交代交代でやって。たまに私と莉音ちゃんの二人で一つのお仕事をして。メンバー同士でギスギスすることも、リーダーとしてのプレッシャーを背負わされることもなく、毎日が楽しかった。

 最近の龍虎さんは金欠らしく、莉音ちゃんが引っ張っていけば一応は真面目にお仕事をこなすらしい。


 グループ的には、それはきっと良いことなんだけど......なんだか少し、寂しい。


 マネージャーとして、龍虎さんの面倒も見なきゃいけないことも勿論分かるんだけど、それでもやっぱり、私との時間は大切にして欲しいっていうか、私だって色々やってもらいたいっていうか......私の方が先にユニットで仲良くなったんだし。


『23:00〜 テレビ番組ゲスト(俺・あずさ)』

 

 ホワイトボードには、今日の夜からの予定。久しぶりになる二人だけの仕事が書かれている。


「がんばるぞ」


 ひっそりと拳を握った。

 実は、今回私たちがゲスト出演する番組は、私が元いたユニット「#コイセヨヲトメ」の持ち番組なのだ。ユニット内で持ち回りだったから、私も何度か出たことがある。月に一度、同じ事務所のアイドルの子をゲストに呼んでトークをするコーナーがあって、今回私たちはそのゲストとして呼ばれた形だ。


 正直、前のユニットのメンバーと上手くいっていたとは言い難い私だけど、番組の雰囲気は私がいた時からそこまで大きく変わってないと思うし、ここで活躍して、莉音ちゃんに良いところを見せるんだ。

  



◯ ◯ ◯ ◯ ◯




 夜。スタジオに向かう私は、莉音ちゃんの運転する車の助手席にいた。前に初めて受けた雑誌の取材以来、莉音ちゃんは事務所の軽自動車を借りて送迎に使うようになったから、あれ以来バイクに乗せてもらう機会はない。少し残念。


 でも、こうやってお話ししながらお仕事に向かえるのは嬉しいな。最近はずっと、龍虎さんに取られちゃってて一緒にいれなかったし。


 あんなお仕事をしたとか、練習を頑張ったとか、学校が大変だとか、そんな取り止めもない話が出来ることがすごく嬉しい。

 あらかたの話題も出し終わって、今は私たちがこれから出演する番組、「#ガチコイ!」の雰囲気とかを話しているところだ。


 どお? 莉音ちゃん。私だって、お仕事で役に立てることもあるんだよ?


「それでね。この時期はいつも、メンバーの隠し芸みたいなのを披露することになっててね。私たちゲストは基本的にそれにリアクションするだけでいいと思うんだけどね」

「すまん、ちょっと駐車してるから」


 あっ、あっ、あっーー。


「ごめんなさい。静かにしてます」

「いや、大袈裟か」


 バックモニターと睨めっこしながらも口元に軽い笑みを浮かべる莉音ちゃん。恥ずかしくて、顔が熱くなった。

 運転に集中していたのに、ちょっと一方的に話しかけ過ぎていたかもしれない。久しぶりの二人きりだったからって、少し舞い上がっちゃってたかも。


「降りるぞ」

「うん」

 

 車を降りて、鍵をくるくる回しながら歩く莉音ちゃんに続く。恋音時代には何度も使っていたスタジオだけど、もう懐かしい感じがする。

 それだけ、莉音ちゃんと過ごす毎日が刺激的だったということかもしれない。


 数歩先を歩く莉音ちゃんの白くてほっそりしたうなじの辺りをぼけっと見つめていると、振り返った莉音ちゃんと視線がばっちり合う。


「そういやさ」

「あ、うん」


 反射的に目を逸らしてしまったあと、後悔。今のは絶対に感じ悪かった。慌てて目線を合わせ直したけど、やっぱり何だか落ち着かなくて、胸の辺りまで下げてしまう。


 この前のコスプレ撮影でちょっとだけ触っちゃった胸の感触を思い出して、私は慌てて斜め上の方向を見た。


 そんな挙動不審気味な私を少し首を傾げただけでスルーする莉音ちゃんは、やっぱり少し鈍いと思う。


「こういう時って、やっぱり俺らから挨拶とか行った方が良いんかな? あずさが前いた時はどうだった?」

「......うーん、どうだろう」


 ヒロインズでは基本的に、メンバーの芸歴を問わず、結成が後のグループが後輩として先輩を敬う立場にある。

 だからこういう風に先輩にあたるグループと一緒に仕事をすることになった時、私たちの方から挨拶しに行くことが暗黙の了解なんだけど......。


「本番前にスタジオで顔合わせをやるし、多分行かなくても良いと思う。この時間だとみんな、ロビーでくつろいでるだろうし」


 ここはネット番組とかを撮影する用の小さなスタジオだし、キー局にあるような楽屋なんてものはない。

 私が恋音にいた時も、他のグループと顔を合わせるのはスタジオに入ってからで、わざわざロビーまで探しにきて挨拶しに来たグループなんて居なかったと思う。偶々近くにある自販機を使いに来て、結果的に遭遇するとかはあったけど。


「うーん」


 腕につけた時計を見ながら莉音ちゃんが唸る。


「でもそうなると、ちょっと時間余るんだよな。それに、あずさの前のメンバーも気になるし」


 苦手だった先輩もいるだろうし、正直面倒くさいけど、莉音ちゃんが私に興味を持ってくれているのは嬉しい。それに、今日は私と唯一親しくしてくれていた後輩の子がいるはずだ。その子に会っておくのは良いかもしれない。


「じゃあ、行ってみる?」


 裏口に近い非常階段を使って一階に向かう。

 莉音ちゃんはロビーの場所がわからないだろうから、さり気なく手を引く。これが大義名分というやつだ。


 一つ階段を下ると、ロビーの方から女の子たちの姦しい声が聞こえてきた。一階の非常ドアは開けっぱなしにしてあるから声は入ってくるけど、それにしても大きな声だ。


 静謐な空気に満ちた階段の中を、ギャハハという品のない笑い声が木霊する。


「賑やかだな」


 莉音ちゃんが呟く。


「あの、いつもはもっとお淑やかだから」


 なんとなく恥ずかしくなって、私は言い訳がましく弁解した。元メンバーには酷いかもしれないけど、あまり一緒に思われたくはない。特に、莉音ちゃんの前では。


 早くも回れ右をしたくなるけど、もうここまで来てしまったのだ。せめて一言か二言は交わしてから下がろう。


 ーー私が一歩前に足を踏み出した、その時だった。

 

『いっそ私たちもグループ名変えませんか? ハッシュタグ赤井あずさざまあ! とかに』











 ーーえ?


『うわー、露骨すぎー』

『freaksよりマシでしょ。ほうれい線出てるババアとぶりっ子とナルシストとか名は体を表しすぎ』

『えー。きもんすたーのが良くね? 可愛いじゃん』

『キモいモンスターの略だろうがそれ。どこをどうとっても可愛くねぇよ』


 またギャハハが階段を通り抜けていった。

 吹き抜ける風を伴って、私の指先を冷やす。


 血管を氷が流れているような感覚だった。


 影で悪口を言われているとか、そんなことはグループにいた頃からあった。最初は傷ついたこともあったけど、その内に慣れたし、今更彼女たちに何を言われようと平気だと思っていた。莉音ちゃんにその場面を見られたのは少し、いや、かなり嫌だけど。


 ショックだったのは、いや、怖いと思ったのはーー。


『マジでキモいですよね、あずさ先輩って。この前もライバルのライブも一切目を通してないとかしょうもない嘘ついてましたもん』

『うっわ、いかにも言いそう』

『周りに影響されない私、かっこいいアピール?』


 グループを抜けた後にも何度も連絡をくれていたあの子が、優しげな言葉をかけて心配してくれていた後輩の子が、率先して会話を回していることだった。


『あー、いかにも思ってそうですよね。ていうかその癖あの人、紫莉音の悪口はめちゃくちゃ言ってましたけどね。やっぱアイツ、裏では相当終わってるらしいですよ』


 言ってない! そんなこと、絶対に言ってないのに!


 わからなかった。そんな嘘をついて、あの子に何の得があるのか。なんのために、こんなことをするのか。私のことが嫌いなら、どうしてあんなに毎日甲斐甲斐しく連絡をくれたのか。どうして優しい言葉をかけたのか。そんなふうに私を騙して、何がしたいのか。


 分からないけど、とにかく、莉音ちゃんに対して早く弁解しなきゃいけないと思った。

 ショックだったけど、私が悪口を言われるのはいつものことだ。でも、莉音ちゃんに私が影でそういうことを言うような女だと思われたくはなかった。


 もし私も、目の前の彼女たちと同類だと思われたら、これから生きていける自信がない。


 私はとにかく莉音ちゃんに潔白を証明しようと、口を開こうとしてーー。


『いやあれ、ぶりっ子にしても限度あるでしょ。20代でニャーはキツすぎ。罰ゲームかよ』

『まだ16らしいですよ』

『......じゃあセーフか?』

『ばーか、アウトだよ』




『『『ギャハハハハハハハ!!』』』




 その汚い笑い声を聞いた瞬間、頭の中が白に支配された。


『あいつ絶対学校でいじめられてるよね』

『絶対そう......あー、なるほどね』

『なに?』

『いや、だからあんなに媚びてんだなーって。キモいオタクにチヤホヤされて舞い上がっちゃったんだろ』

『うっわ! 絶対それじゃん!』


 ーー嘲笑うな! 莉音ちゃんを!


 衝動のままに大声を出そうとした。


「あっ............うっあ......」


 でも、出なかった。


 まるでトンネルに入った時のような耳鳴りがした。視界が明滅して、頭が怒りで埋め尽くされて真っ白だった。

 

 私を突き動かそうと急かすのが怒りなら、それを邪魔しているのが恐怖と、混乱だった。


 莉音ちゃんを馬鹿にされた怒り。私が莉音ちゃんの悪口を言っていたという、根も歯もない嘘をつかれた怒り。理解できないことに対する恐怖。騙されていた怒り。大きな悪意を向けられる恐怖。一度として真っ向から対立したことはない集団に、立ち向かわなければならないという恐怖。

 

 さっきとは真逆に、全身を流れる血流がマグマのように沸騰しているような気がする。こんなにも大きな感情を抱いたのは初めてだった。

 今までは、アイドルに対する後ろめたさから、正面衝突は避けて大人しく譲ってきたからだ。


「あっ......あうあっ............」


 ーーこの大きな感情の、吐き出し方がわからない。




「いや、赤ちゃんか。お前は」


 ポン。と、頭を叩かれる。

 見上げると、呆れたような目でため息をつく莉音ちゃんがいた。


「お前、絶対一人っ子だろ」


 ーーなんで?


 そう聞きたかったけど、結局うまく声が出なくて、唸り声だけになってしまう。けど、それを察したように莉音ちゃんは答えてくれた。


「兄弟喧嘩とか、したことなさそうだからさ」


 お姉ちゃんはいる。でも年はかなり離れてて、私が中学生の頃には既に自立していたから、普段はほとんど会っていない。もちろん、喧嘩なんてしたことはなかった。


「ほら。少し落ち着け」


 呆れたような目のまま、莉音ちゃんは私の手を握った。

 でも、今の私にはその目が何故だかすごく怖くて、まるで失望されたかのように感じて、私は莉音ちゃんの両腕を強く握って詰め寄った。


「りぉっ、ちゃっ! わたしっ! いってないっ!」

「いや興奮しすぎだって。血管切れるぞ?」


 しゃくりあげるように主張する私を、半笑いで受け止める莉音ちゃん。でも、私が望んでいる言葉はそれじゃなかった。


「いってないっ! いってないから!」

「......なにを?」

「りおんちゃんのわるぐちなんて、いってないからっ!」

「あー。いや、別に俺は気にしてないぞ?」


 それは、あずさのこと、信じてないってことーー??





「いってないのっっっ!!!!!」





 今までで生きてきて、こんなに大きな声は初めて出した。アイドルとしてお腹から声を出して歌う時とは違う、喉から出てくる頭が痛くなるような声で、変な出し方をしたせいで、喉に切れたような痛みがジンジンと走った。


 莉音ちゃんは耳を庇うように一瞬身をすくめた後......困ったような目で私を引っ張った。


「取り敢えず、移動するぞ」


 ーーああ、今度こそ絶対に、失望された。




◯ ◯ ◯ ◯ ◯




「番組、出れそうか?」


 空いてた会議室に入った後、莉音ちゃんが聞いてくる。

 正直、自信はなかった。でも、これ以上莉音ちゃんに迷惑をかけたくなかった私は、無言で頷いた。


「そんな......泣いてるのに、か?」


 私はもう一度頷く。

 早めにきたから、番組が始まるまではまだ時間がある。だからそれまでに、いつも通りに戻れば......。


「時間はある。顔は......メイクで誤魔化せばなんとかなるか? でも俺、苦手なんだよな。台本......内容は、恋音のメンバーの隠し芸? を見るだけ? これならまぁ......。いやでも、接触は最低限に。あんま揉めると仕事に影響が出るかもしれんし......」


 時計と台本を交互に比べながら、莉音ちゃんが唸る。


「くっそ。ああでも、むかつくなあ......」

「ごめんなさい」

「ん?」

「迷惑をかけて、ごめんなさい」


 情けなかった。最初は、私の経験で莉音ちゃんを助けられればなんて考えていた気もする。それなのに、結局私は、迷惑をかけただけだった。

 

「頑張る。頑張るからーー」


 嫌いにならないで。なんて、私は何を言おうとしているのだろう。こんな女、嫌われて当然だというのに。


 莉音ちゃんは、そんな私を黙って見つめていたかと思うと、ふと我に帰ったように、小さく呟いた。




「何やってんだろう、俺」




 肩を引っ張られる。

 莉音ちゃんの、紫色の双眸が顔いっぱいに近づいた。整った顔が目前に迫って、こんな状況だというのに心臓がドキドキ鳴ってしまう。


「ごめんな、あずさ。俺のせいで泣かせて」


 ハンカチを優しく当てて、涙を拭ってくれる。

 即座に否定の言葉が出てこなかったのは、その優しい顔に、思わず見惚れてしまったからだ。


「なあ、あずさ」


 悪戯を企む猫のような、ニンマリとした孤を口元に浮かべている莉音ちゃん。


「ちょっとだけ、アイツらに復讐してやろうぜ」


 その手元から、まるで魔法みたいにハンカチが消えた。




◯ ◯ ◯ ◯ ◯




「お久しぶりですー、あずさ先輩」

「おお! ニャーがあずさの言ってた後輩かニャ?」


 私に声をかけようとした後輩を遮って、莉音ちゃんが前に立つ。

 結局、私が悪口を言っていたという誤解が上手く解けたかどうかは分からない。それなのに、迷わず前に立って私を庇ってくれる莉音ちゃん。こんな時だと言うのに、思わず胸が高鳴ってしまう。


「あ! 莉音さん、はじめましてー! 今はまだ打ち合わせなんで、スイッチ切っちゃって大丈夫ですよ?」

「スイッチ? にゃんのことかわかんにゃいけど、後輩ちゃん、面白いにゃー!」

「いやだから、顔合わせくらいは普通にーー」


 イラついたような後輩の子に対して、あくまでもアイドルモードでひらひらと受け流す。

 少し空気が悪くなりかけたところを遮ったのは、私の次にリーダーとなった三期生の先輩だった。


「まあいいじゃん。うちらは今日だけなんだし」


 すかさずもう一人の先輩が合いの手を入れる。


「そうねー。まあうちらは今日だけだもんね。でもあずさはどうなん? 正直疲れない?」


 そんな世間話に見せかけて刺しにくる先輩にも、莉音ちゃんは動じない。


「あずさとニャーは仲良しだニャー! にゃー? あずさ」

「う、うんっ!」


 もちろん、私は深く頷いた。

 いつものかっこいい莉音ちゃんもいいけど......いや、いつものかっこいい莉音ちゃんがいるからこそ、アイドルモードの莉音ちゃんがより可愛く見える。なんというギャップ。


 そして、そのギャップを楽しめるのは、同じグループの私だけ。優越感を感じる............龍虎さんもいたんだった。


 しかし、先輩達にとってはその答えは面白くなかったようでーー。


「いやでも、なかなか大変そうじゃん? マネージャーだってまだ決まってないんでしょ? いくら名目上は問題児を集めたグループとはいえ、事務所も酷いわよねー」

「ニャーがやってるから大丈夫にゃ」

「......マネージャーの時もそれでやってて、よくグループ回せてるわね?」


 ある意味徹底した態度をとる莉音ちゃんに、呆れと嘲笑をブレンドした声を発する先輩。

 

「いや、営業の時はちゃんとしてるに決まってるニャ」


 それに対して、莉音ちゃんは冷徹だった。


「社会人なめてるニャ? ニャーはこれでも、上下関係に関してはしっかりしてるんだよ」


 真顔で答えた後、わざとらしい笑顔と猫撫で声で、


「間違えた。してるんだ、にゃあ」


 と、言い直す。多分語尾にはハートがついてた。可愛い。


 ーーそう思ったのは、あずさだけだったのかもしれないけど。


 少なくとも、先輩達の額には青筋が浮いていた。

 まあ仕方ない。今の莉音ちゃんの発言には、明らかに「つまりお前らは下だ!」という副音声がついていた。鈍い私にもそう聞こえたんだ。先輩達だって、きっとそれは分かっているはず。


 バチバチと、両者の間に見えない火花が散った。

 

「あんたねえーー!!」


 顔を赤くした先輩が莉音ちゃんに詰め寄った、その時。


「みんな、もう集まってる?」


 スタジオのドアが開いた。

 先頭のディレクターさんに続いて、司会の芸人さん、恋音のマネージャーさんが続く。


 剣呑な雰囲気を察したマネージャーが、不機嫌そうに眉根を寄せた。その顔で恋音脱退のきっかけとなったやり取りがフラッシュバックした私は、なんとなく気まずくなって顔を逸らす。


「何事?」

「「なんでもないでーす」にゃ」


 先輩と莉音ちゃんが声を合わせる。

 さっきまでいがみ合ってたとは思えない連携。流石はアイドル。裏でギスギスしていても表には見せない。


「......まあいいわ。ディレクターさん、お願いします」

「はい。それじゃあ、打ち合わせを始めます」

「ーーその件について、少し良いですかにゃ?」


 相手は敬うべき目上。しかし打ち合わせの場は裏か表かで言ったら表の場面。アイドルとしてキャラを作りつつ、尊敬を示すーーゆえに猫敬語。なのかな? 


「この隠し芸ってやつ、せっかくだからニャーも披露して良いですかニャ?」


 営業全開の満面の笑顔で、しかし目だけは笑っていない莉音ちゃんが手を上げた。




◯ ◯ ◯ ◯ ◯




「あなたが選んだのは、ずばり、ハートの8ですね?」


 後輩の子が、私に尋ねる。


「はい。そうです」

 

 ちょっとだけ、「失敗すれば良いのにな」と思って、あるいは嘘を吐こうかとも思ったけど、今は本番中。私は素直に認めて、拍手をした。

 

「おー!」

「すごーい!」


 司会をやってくれてるお笑い芸人の人と、先輩がすかさず拍手で盛り上げる。後輩の子は、少し得意げな顔をした。

 今は番組の撮影中。企画は台本通りの「恋音メンバーの3人がゲスト(あずさたち)に芸を見せる」というもので、今は最初の先輩のけん玉、後輩の子のマジックが終わったところだ。


 そしてこの後、急遽、莉音ちゃんもマジックを披露することになった。


 同じ演目を被せられた後輩の子は当然いい顔をしなかったけど、ディレクターさんが許可を出しちゃったし、なにより、この子のマジックが隠し芸の域を超えたレベルにあるのはグループとそのファン共通の認識だ。


 ーーどうせ二番煎じ。


 そう思ったからこそ、最後には了承したのだろう。


 莉音ちゃんも一応、芸人さんとディレクターさん、カメラさんと個別に打ち合わせをしていたみたいだったけど......莉音ちゃんがマジックをやると決めたのはついさっき。

 長い時間をかけて準備が出来たとは思えない。


「えー、というわけで、急遽! freaksの莉音ちゃんもマジックを披露してくれることになりました!」

「えー、たのしみー」

「さっきの打ち合わせで、急に自分もやりたいって言い出してたもんねー。なんかすごそー」


 さりげなくハードルを上げてプレッシャーをかける先輩にまた怒りを抱きつつ、莉音ちゃんの方を見た。


 その不敵な笑顔に、思わず息を呑む。


「まあ、ニャーのテクニックがさっきのしょーもない手品より優れていることは保障するニャ」

「はあっ!?」

「言うじゃないですか」


 そのあまりにもな言い草に驚く先輩と、余裕そうに口元に笑みを浮かべつつも、目が全く笑っていない後輩。


「そこまで言うなら、見せてもらいましょうか」

「ふっふっふ、乞うご期待にゃ」


 莉音ちゃんはまず、三つのコップ(スタジオに常備してある、普通の紙コップに見える)を取り出すと、右端のコップに1円玉を入れ、シャッフルを始めた。


「そーんにゃこといーったらわからにゃーいー」


 変な音調で歌いながら、コインの入ったコップを真ん中に、そしてもう一度右に入れ替える。


「さーあ、どーこにゃ?」


 楽しげに笑う。

 ............少なくとも私から見て、コインは右のカップだ。


「「これ」」


 同じように思ったのか、先輩達は同時に右のカップを差した。


「ーーちょっ、先輩」

「ぶっぶー! にゃ!」


 それを見て後輩の子が慌てた様子で声を出すが、その前に、莉音ちゃんが指差されたカップを横に倒した。


 中にコインはーーない。


「おお!」


 芸人さんが声を上げる。

 莉音ちゃんが順々にコップを倒していくと、コインは反対側ーー左のコップに入っていた。


 すごい。どうやったんだろう。左のコップには一度も触れてなかったのに。


「もう、先輩。素直に見たままを指差して、当たるわけないじゃないですか」


 後輩の子が呆れたように言う。


「私が当てたかったのになぁ」


 不貞腐れたように1円玉を掴むと、一回に二回とひっくり返し、ピン、と弾いた後に元に戻した。


 彼女には、今の答えが分かっていたのだろうか?


「ふーん、じゃあもう一回やってみるにゃ?」

「いいんですか? 私、当てちゃいますけど」

「やれるもんならやってみにゃ」


 後輩の子も莉音ちゃんも、お互いに笑顔。いわゆるポーカーフェイスで、今の段階でどちらの腕が優っているのか、少なくとも私にはわからない。


 でもあの子は、前にテレビでマジックをやっていた時、大体のマジックは一度見ればタネが分かると自慢げに話していた覚えがある。

 その時の話を信じるなら......。

 

 莉音ちゃんがもう一度コップを倒していく。

 コインはさっきと同じまま。つまり、左のコップだ。


「そーんにゃこといーったらわからにゃーいー」


 またもや変な歌を歌いながらカップをシャッフルする莉音ちゃん。私から見てコインは左にあるけど......きっと、違うんだろうな。


「左......いやでも、さっきは反対から出てきたし......?」

「あんた、どれが正解かわかった?」


 果たして、後輩の子はーー。


「左であってると思いますよ」


 こともなげにそう言った。

 全員が注目する中、莉音ちゃんが左のカップを倒す。


 果たして、中にはーー。


「ぶっぶー! にゃ!」


 はいって、ないーー。


「ちょっとあんた、外してんじゃない」

「じゃあ、コインは?」


 左、右、真ん中。

 順にカップを倒す。1円玉が入っていたのは、1番最後のカップ。つまり、真ん中だった。


「あっちゃー、外しちゃったかにゃー? まあ、落ち込むことはないにゃ。次は頑張るにゃ」


 後輩の子の肩に優しく手を置く莉音ちゃん。

 震えるその耳に顔を近づけて、



「まあもう、このマジックはやらないけどにゃ」



 いやらしい顔でそう言った。


「ニャハッ......ニャハハ! ニャーッハッハッハッハ!!」


 得意げな高笑いを響かせる。


 こうして莉音ちゃんは後輩の子の面子を叩き潰し、「ちっちゃな復讐」を完遂させたーー。





















 ーーはずだった。

 

「にゃはははーー」

「ふっ」


 笑い声が、混じる。


「はははーー」

「プッ、ふふっ」


 重なり、


「ははっーー?」

「アハっ!」


 そして、入れ替わる。




「ーーギャハハハハハハハ!!」




 人を下に見て、嘲笑う。

 莉音ちゃんの楽しげな笑い声とは似ても似つかない、その攻撃的な笑いは、さっきロビーで聞いた時と同じーー。


「あー、もう。勘弁してください。笑いすぎてお腹壊しちゃいますよ」


 後輩の子のものだった。


「......おまえ、なにがおかしいにゃ」

「いやだって、へったくそで不完全な......『しょーもない』手品を二回も見せられたんですもん。そりゃあ笑っちゃいますよ」


 笑いすぎで涙すら出ているのか、それともそういう演技なのか、目頭を指で拭い息を引き攣らせながら後輩が言う。


「そのへったくそで不完全でしょーもない手品に騙された三流女がよく言うにゃ」


 莉音ちゃんの言う通りだ。

 後輩の子が何を言おうが、さっきのコイン当てゲームで外していたことには変わりない。莉音ちゃんの実力の方が上なのは、もう証明されているはず......。




「年号」




 その一言に、莉音ちゃんの肩が跳ねた。


「気づかないと思いました?」

「な、なんのことかにゃ?」


 顔は笑顔のまま変わらないが、その真っ白な肌に、一筋の汗が伝った......ように見える。


「最初に入れたコインと後に出てきたこのコイン、別の物ですよね?」

「ーーッッ!?」

「まさか、コインを入れるふりをしてすり替えたことに、私が気づいていないとでも思いましたか?」

「な、なんの話にゃ?」




 演技......だよね?


 絵に描いたような動揺を隠してシラを切ろうとする態度は、なんというか......あまり莉音ちゃんらしくない。


 いつもの莉音ちゃんなら、「ちぇっ、バレたか」とか言ってサラッと水に流して、即座に次のネタを用意しようとする姿の方が楽に想像できる。事実、営業の電話で良い返事が貰えなくても、ため息ひとつでリカバリーする割り切りの良さが私の知ってる莉音ちゃんだった。


 失敗を誤魔化すようなタイプではないし、断言はできないけど、今の莉音ちゃんからは嘘をついているようなわざとらしさを感じる......気が、した。けど。


「そっ、そんにゃこと言って......しょ、証拠はあるにゃあ!? 証拠は!?」


 当の莉音ちゃんは、もはやポーカーフェイスも崩れ、早口で捲し立てている。

 まるで刑事ドラマに出てくる悪役のようなセリフと、慌てた様子は、明らかに図星を突かれた反応だ。


 証拠なんて、そもそも撮影でカメラ回ってるんだからいくらでもあるだろうに、そんなことにすら頭が回っていないのか。普段の利発そうな莉音ちゃんとはかけ離れている。


「馬鹿ですか、あなた? 今、撮影中ですよ?」

「......あっ」


 ーーわからない。本当に忘れてたの?


 もしかして、アイドルモードの莉音ちゃんはIQが下がるとかあるのかな? にゃーにゃー言ってる莉音ちゃんはいつもと比べて色々違うし......羞恥心とか。

 そういえば、ライブの後に疲れて寝ちゃって、寝ぼけて男子トイレに入ろうとしてたこともあった気がする。


 理性とかパーソナルスペースとかが無くなるのと一緒に、知能も失っちゃうとか?


「チェックしてみましょうよ」


 後輩の子の口元に、攻撃的な笑みが宿る。


「にゃっ、にゃはははは......やめた方がいいんじゃないかにゃー、にゃーんて......」

「いいじゃん! 見てみようよ!」

「マジックの種明かしとかマジ盛り上がるじゃーん」


 控えめに拒否する莉音ちゃんの言葉も、先輩達の勢いにかき消されてしまった。芸人さんは困ったようにディレクターさんの方を見て、ディレクターさんは確認するように恋音のマネージャーさんに視線を送る。

 

「はぁ............いいわよ。ながして」

 

 長いため息の後、マネージャーさんは許可を出した。


 急に、心臓がバクバクしだした。

 もしあの後輩の子の言っていることが本当で、莉音ちゃんのマジックが見破られていたなら......これからやることは、その秘密を暴くということだ。


「......嫌。それは、嫌」


 急に脱退を勧められたあの時には出なかった言葉が、思わず口からこぼれた。まるで見たくないものを避けるように、無意識に片目を覆っている。


 ーーきっとカメラには完璧な莉音ちゃんが写っていて、後輩の子は間違っているんだ。


 そう言い聞かせるけど、心は休まらない。


「では見てみましょうか」

「流します。3......2......1......」


 まるであらかじめ用意していたかのようなスムーズな段取りで映像の準備が整い、全員の視線がスタジオに天吊りされているテレビに集まった。


 そして、結果はーー。


「あ、ほんまや! 三十七年が元年になっとる!」


 確かに、違うコインだった。


「まあ、あらかじめ確認してたので、私にはわかっていたことなんですけどね」

「おー、やるじゃーん」

「あったまいー」


 画面に映るのは、1円玉を手の中で転がしている後輩の子の姿。それを指差しながら自慢げに鼻を膨らませる彼女を、先輩達がわざとらしく褒め称えていた。


 莉音ちゃんは......悔しそうに唇の端を噛んでいた。


 悔しそうな莉音ちゃんも可愛い。

 可愛い。けど............。


「............今は、見たくなかったな」


 莉音ちゃんはすごいんだ。


 ちっちゃくて、可愛くて、外見はまるで中学生。なのに内面はすっごく大人っぽくて、いつでも頼りになって、なにより、すっごくかっこいい。

 

 後輩のあの子なんかより。先輩より。恋音時代は絶対に思えたマネージャーだって、アイドルをやりながらでは仕事をこなせなかっただろう。



「それで? あなたご自慢のテクニックとやらは、一体いつ見せてくれるんですかぁー?」



 そんな莉音ちゃんが、馬鹿にされていた。


 後輩の子が、嘲笑いながら莉音ちゃんを煽る。たいしたことないねー。ねー。なんて、先輩たちがそれに追随した。

 そこまで言われても、俯いた莉音ちゃんは、目を強く閉じて、「だ、だめだ。まだ笑うな。堪えるんだ」と唇の端を強く噛むだけで、何も言い返さない。




 ーー悔しかった。




 私の大好きな莉音ちゃんが。友達でも仲間でも、アイドルでも心動かされなかった私が、ドキドキ出来たハジメテの人。なんでも出来て、漫画やアニメに出てくる主人公みたいに思ってた。


 それが、あんな人たちに馬鹿にされている。



「「「ギャハハハハハハハ!!」」」



 ーーもう、限界だった。






「うるさい!! ばーか!!!!!!!」






 笑い声が止む。

 ディレクターさんも、芸人さんも、先輩も、後輩の子も......莉音ちゃんも。全員が驚いた顔であずさの方に振り返っていた。


「............あ、あずさ?」


 静まり返ったスタジオに、マネージャーさんの、呆けたような声が響く。口をポッカリ開けた、どこか間の抜けた表情。いつも厳しかったマネージャーさんのそんな顔、初めて見たな、なんて一瞬頭の片隅で思うも、その他の大部分を支配しているのは真っ白な怒りだった。



「ばーか!!! ばーか!!! ばーか!!!」



 こういう時、なんて言えば良いのか分からなかった。だから、ひたすら繰り返した。


「せ、先輩......どうしちゃったんですか?」


 信じられないものを見たような目で、怯えすら含んだ声で、後輩の子が呟く。

 そうだ。この子にも言わなきゃいけないことがあった。


「あなたなんかより、莉音ちゃんの方が絶対すごいし!」

「ほ、本当にどうしたんですか? 先輩ってそんなにムキになるタイプじゃなかったですよね?」

「うるさい! ばーか! あほ! あほ!!!」


 新たなレパートリーが増えた。

 それをすぐに後輩の子にぶつけながら、私は叫ぶ。


「莉音ちゃんの方がすごい! 莉音ちゃんの方がかっこいい! 莉音ちゃんの方が可愛い!」

「いや、あずさ......ええ............?」


 驚いて素に戻ってしまったのか、いつもの感じの雰囲気に困惑をにじませながら、莉音ちゃんが首を捻る。

 そんな何気ない動作すら可愛くて、抱きしめたくて、それをみんなにも認めて欲しくて、ぶつけた。




「莉音ちゃんが本気出したら、あなたなんか赤子の手をひねられるから!!!」




 大きな感情の発露に流れ出た涙を強引に拭って、息を整える。未だどこか上の空な後輩の子をキッと睨みつけた。


「紫莉音の方が。紫莉音の方が............」


 私の方をぼんやりと見つめながら、言われたことを咀嚼するように何回か繰り返していた。


「そ、そんな負け惜しみ......」

「そっ! そうだし! お前んとこのは失敗したんだよ!」

「ーーいえ。いいでしょう」


 ギャーギャー騒ぎ出した先輩たちを、片手で静止する。


「先輩がそこまでいうなら続きを見せてもらいましょうか? 私より可愛い紫莉音さん?」

「えぇ............いや。続きはやるつもりだったけど。マジで? これ、絶対に失敗できないじゃん」


 独り言のように呟く莉音ちゃんに、後輩の子は、今まで見た中で一番の笑顔を浮かべると、明るい声で宣言した。




「いいえ、絶対に失敗させます」




 二人の視線が交わる。

 しばらく見つめ合った後、先に逸らしたのは莉音ちゃんだった。


「まあ、今更やることは変わらないか」


 深く息をついた後、両手で顔を覆う。


「ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い。ニャーはアイドル。宇宙一可愛い」


 3回唱えると、そこには。


「ほんじゃま、やらせてもらうかにゃ」

「やれるもんなら......と、いうやつですね」


 笑顔で。しかし、決して目だけは笑っていない二人が視線を交わし合った。

 それを見ていたディレクターさんと芸人さんがちらりとマネージャーさんの方に視線を送る。彼女が軽く頷くのを見て、またカメラを回し始めたようだ。


「それで? 今度は何を見せてくれるんですか?」

「まあ見てるにゃ」

 

 莉音ちゃんはテーブルに着くと、さっきの焼き直しのように紙コップを並べ始める。


「あれ? もうそのマジックはやらないんじゃなかったんでしたっけ?」

「黙って見てるにゃ」


 嫌らしく尋ねる後輩の子をサラッと流しながら、右のコップの中に1円玉を入れる。さっき出てきた、元年のやつだ。


「無駄ですよ。そのマジックはさっき見ました」

「結果が同じになるとは限らないにゃ」

「......ふーん?」


 1円玉を右のコップに入れると、2回、3回と入れ替える。


「そーんにゃこといーったらわからにゃーいー」

「......それ、絶対に言わないとなんですか?」

「魔法の呪文というやつにゃ」


 コップから手を離した。

 私から見て、1円玉は左、だけど......。


「さぁ、どーこにゃ」

「ーー入ってない、でしょう?」


 後輩の子は、どれも指ささなかった。


「さっきあなたはコインを入れるふりをして、別のカップにスペアのコインを入れました。それが見破られたら、次に取れる行動は一つですーー入れるふりをして入れない」


 それを聞いている莉音ちゃんは無表情。動揺は見えない。そうと見せかけて、実は左のカップに入ってる......とかなのかな?

 

「全てのカップに、何も入っていない。それが答えです」










「ぶっぶー!!! にゃ!!!」

「ッッーー!?」


 莉音ちゃんが右と真ん中のカップを同時に倒す。その二つは空だった。

 そして、残る一つに手をかけーー。


「......なら、そこにコインが入ってるんですか? そんな見たままの結果をマジックとはーー」

「それもぶっぶー! にゃ!」


 倒す。






 中に入っていたのはーー時計、だった。






「ん!? ............それ、僕のやん!!」


 一拍置いた後、司会席から声が上がる。

 見ると、左手の袖を捲った芸人さんが、驚いた顔で時計を指差していた。


「え......まじで?」

「どゆこと?」


 先輩達が声を上げる中、莉音ちゃんは時計を丁寧に持ち上げると、芸人さんの方へと向かう。


「やっぱり! これ僕のや! どうなっとるん!?」

「にゃはははは! びっくりしたかにゃ?」

「いや、したけど! え!? なんで!?」

「そんなことよりーーはい」


 興奮しっぱなしの芸人さんに、両手を差し出した。


「ニャーの1円。返すにゃ」

「............? いやいやいや! もってないって!」

「ほんとかにゃ?」


 わざとらしく首を傾げて、芸人さんのポケットを漁る莉音ちゃん。果たしてそこからはー。


「う、うそやん!?」


 カメラが思いっきりアップにした莉音ちゃんの指先には、光る1円玉が握られていた。

 すごい......けど、一体どうやったんだろう? 打ち合わせの時に、協力してもらうよう頼んだ? でも、芸人さんのリアクションを見る限り、本当に驚いてるように見える。いやでも、あの人もプロだし、演技で驚いてるのかもーー?


 とにかく、何をどうやったのか、私にはわからなかった。

 そしてそれは、眉根を寄せて親指の爪を噛んでいる後輩にも同じだったようでーー。


「年号は......元年。最初に入れたやつと同じ」


 爪を噛んだまま、深く考え込むように俯く。

 そんな後輩の子に、莉音ちゃんは言った。


「そもそも、さっきのは別に失敗じゃないにゃ」

「......どういう意味ですか?」

「あれは、右のカップの1円玉を、この場にいる誰かの1円玉と交換して他のカップに転送する、そういうマジックにゃ。財布を調べれば、この場にいる誰かの財布から三十七年の1円玉が出てくるはずにゃ」

「でも、そんなこと、最初は言ってませんでしたよね?」

「これから起こることを全て説明する手品師がどこにいるにゃ? 今回だって、1円玉じゃなくて時計と変えたにゃ」

 

 笑顔が崩れ、イライラした空気を出す後輩の子に、アルカイックスマイルで応える莉音ちゃん。

 二人が睨み合う外で、声を上げたのは先輩だった。


「............うそ、だろ」

「え、マジ!?」


 その手の中には、財布と......三十七年の1円玉があった。


「絶対に偶然です!!!」

「さて、でも何人の人がそう思うかにゃ?」


 後輩の子が先輩に詰め寄る。


「最初、財布に何枚1円玉を入れてましたか?」

「いやっ、そんなん覚えてないって......」

「くっ......でも、先輩の財布の1円玉と入れ替えることは絶対に不可能です。映像をまた確認すれば、細かい違いがあるはずーー」


 苦し紛れに言うがーー。


「じゃあ、時計の方はどう説明するにゃ?」


 そう。そっちのタネは未だ割れてない。

 後輩の子は、また爪を噛みながら、しばし考えた後、


「打ち合わせの時に、あらかじめ時計とコインを交換してもらったんでしょう。わかっていれば、単純な仕掛けです」


 そう言った。

 その一種のタブーに触れる発言に、スタジオの空気が凍る。


 例えマジックの番組で出演者とマジシャンの共謀が疑われたとしても、他の出演者はそれを指摘してはいけない。そうでないと、催眠術などの一部のパフォーマンスは成り立たなくなってしまうからだ。

 それは、暗黙の了解でありながらも共通の認識だ。


「くだらない仕掛けですよ。別に私だって、あれくらいできます」


 それを躊躇なく破り捨てた後輩の発言に、全員の視線が時計の持ち主である芸人さんに集まった。 


「え......。い、いややなぁ。僕、そんなことしてないって」

「まあ、それはそう言うでしょうね? だって、紫莉音にそう頼まれたんですから」

「ち、ちょっとーー」


 先輩が嗜めるが、止まらない。


「いや、だから僕、そんなことしてないってーー」

「じゃあ、やってみるかにゃ?」


 危ない雰囲気も漂いかけた瞬間、挑むように問いかけたのは莉音ちゃんだった。「復讐してやろうぜ」といったあの時のように口元が三日月に跳ね上がっている。


「いや、だから、あらかじめ準備が必要だってーー」

「そっちじゃなくて、『取られる方を』だよ」


 ピン、と、コインを投げて、


「俺がこのコインをお前の時計と入れ替えてやるって言ってるの」


 キメ顔でそう言った。


「ーーじゃなくて。いってる、にゃ!」


 言い直した。


「......いいでしょう。やってみてください」

「にゃほほほほほほ!」


 その後に続いた声はとても小さくて、聞き取れなかったけど、ずっと莉音ちゃんを見ていた私にはわかった。

 なにより、莉音ちゃんの顔には、はっきりとこう書いてあった。


『かかったな。まぬけ』


 ーーと。

 もしかしたら、語尾は「にゃ」だったかもしれないけど。


「んじゃ。ちょっとここに立つにゃ」


 ズボンのお尻の部分を押しながら、後輩の子を、カメラの前に移動させる。最後に軽く叩いた後、コインをカメラの前に映して見せた。


「さっきの1円玉にゃ」


 後輩の子に密着しながら、腕の裾をまくる。


「右利きかにゃ? 左利きかにゃ?」

「右ですよ」


 時計は左についている。


「ほんじゃ、どこに移動させるかにゃー?」


 くるくると後輩の子の周りを一周しながら、莉音ちゃんはズボンのポケットや上着の内ポケットを叩いていくーーんだけど、さっきから妙に、お尻のポケットを触る回数が多い気がする。気のせいだとは思うけど。

 そういえば、莉音ちゃんは、私や他のアイドルの子の胸やお尻を気にすることが普段から微妙に多かった気がする。


 もしそう言うことに興味があるのならーー私のだけで、満足してもらわないと。


「よし! 決めたにゃ」

「準備はもう終わり?」


 莉音ちゃんは頷くと、後輩の子の左手に、コインを握らせた。それに合わせて、カメラも左手をアップにする。


「強く握ってるにゃ」


 後輩の子の左手を、左手で強く握ってーー。


「そーんにゃこーとーいーったら」


 あ、今............。


「ちょっーー!」

「今絶対取った!」


 しかし、はっきり言って、それはあずさ達の角度からはバレバレだった。やっぱり先輩方も見えていたようで、口々に声を上げる。


「わかってますよ、先輩」


 後輩の子はしたり顔で言うと、莉音ちゃんの左手を押さえつけた。今まさに、時計の止め金を外そうとしている、左手を。


「コインを握らせるふりをしながら取る。あらかじめ時計を掌の方に寄せてたら誰だって警戒しますし、流石に分かりやすすぎますって」


 勝ち誇った顔の後輩の子だが............私たちには、何のことを言っているのかわからなかった。


「にゃはは、流石に二つは欲張りすぎたかにゃ?」

「二つ......?」


 だって、私たちに見えていたのは。


「いや、時計じゃない!」

「スマホ! スマホ!」

「スマホ............?」

「さっき取ってたのよ! 後ろのポケットから!」


 先輩二人が声を上げ、顔色を変えた後輩の子が慌てて後ろのポケットを確認する。


「ーーない」


 顔を上げた後輩の子が莉音ちゃんに向き直るとーーその手には、ピンクのケースに入ったスマートフォンが握られていた。

 それを莉音ちゃんは、後輩の子に差し出そうとしてーー。

 

「あ、ごめん。通知見えちったにゃ。わざとじゃないにゃ」

「ーーえ?」


 それはもう、明らかに勝ち誇った、まるで肉食獣のような好戦的な笑顔で、莉音ちゃんは言った。


「安心するにゃ。うちの事務所は別に、恋愛は禁止されてにゃいからにゃ」


 その言葉を聞いた後輩の子の顔が、明らかに血の気がひいて青ざめた。聞かれたことを恐れるように、私たち出演席の方に素早く視線を巡らす。


「うっわ、これ絶対没じゃん」


 芸人さんが小さな声で呟いたのが聞こえた。

 私もそう思う。この番組は生放送じゃないし、流石にここは切られると思う。いくら規則の上で恋愛は禁止されていないとはいえ、彼氏がいるなんて思われたらアイドルとしてはかなり致命的だ。


 でも、例え映像に残らなかったとしても、こちらに向けて綺麗にばっちりウインクを決める莉音ちゃんのかっこよさを、私は生涯忘れないと思う。


「どうだ? ちょっとはスッキリしただろ?」


 正直、どうでもよかった。


 私が嫌だったのは、莉音ちゃんの悪口を言われたことと、私が莉音ちゃんの悪口を言ったという嘘を吹き込まれたことだけだったから。

 こんなことをするより、一言「俺は信じてるぞ」とそう言ってくれた方が、私はずっと嬉しかった。


 でも、莉音ちゃんが、私のために、私を思って、私だけを見て、私だけのために動いてくれたのは、莉音ちゃんには絶対に言えないけど、少し......いや、かなりーー。













 興奮した。

 



◯ ◯ ◯ ◯ ◯




「莉音ちゃん、かっこよかったなあ」


 ベッドに寝転がりながら、(あずさ)は動画を見ていた。

 流しているのはこの前私たちが出た恋音の番組で、案の定ガッツリ編集されてはいたけど、それでも、莉音ちゃんと後輩の子のマジック対決はやっぱり話題になった。


『まあ、負けず嫌いを絵に書いた性格の二人が合わんことは何となくわかってたけどね』

『化け猫VS腹黒VSダークライ』

『ライアーゲーム(ガチ)』


 などなど、お互いのファンによるものと思われるちょっとした誹謗中傷のコメントも含めて、コメント欄は普段の数倍の盛り上がりだった。私も『愛が重い幼女(17)』なんて、ちょっとネタにされてたのは見なかったことにした。

 だけど、1番コメントがついてたのはーー。


『地獄のステ◯ッチを生で見にきました』

『ここが地獄ですか?』

『恋音のリーダーが号泣したと聞いて』


 最後の、リーダーによる某青いエイリアンのモノマネだろう。


「もちろん、リーダーさんはこれより凄いのを見せてくれるんですよね?」


 という莉音ちゃんからのプレッシャーや、


「先輩、私の仇をとってください」


 という後輩の子の無茶振りに追い詰められ、雰囲気最悪のスタジオの中、最終的に半泣きになりながら「ぼくす◯ぃっち!」をやらされた先輩。本来ならカットするべきシーンなんだろうけど、他が酷すぎたせいか、編集さんの目を通過してネットの海に放流されてしまった。


 気の強いことで知られている先輩の涙目になった姿はちょっとした話題を呼び、某有名動画投稿サイトにそのシーンだけを切り抜いて転載された「地獄のスティ◯チ」という動画は、昨日の時点で100万再生を超えていた。私は見てないけど、ネットニュースにもなっていたらしい。


 私は絶対にモノマネ以外の特技を作ろうと心に誓った。



 ーーまあ、そんなことはどうでもよくて。


 

 私が見るのはやっぱり、莉音ちゃんのシーンだ。最近は莉音ちゃんの出てたライブとかイベントの映像をチェックしてたけど、やっぱり私の......私だけのために頑張ってくれたこの番組は特別だ。

 テレビで見る用のディスク。スマホで見る用の動画と、PCに保存する用のメモリとその予備。もう既に四つに分けて保存してある。


「こうなってくると、私的莉音ちゃんベストシーンコレクションが欲しくなるなあ」


 写真を撮らせてもらって、私だけのアルバム......いや、パソコンなら動画と写真を一緒に保存できるし......そうだ! いっそのこと、写真は印刷して部屋に貼り付けるのはどうだろう。この部屋全部を莉音ちゃんのコレクションルームにするんだ。きっと......いや、絶対に楽しい。


「あれ? 今日仕事あったっけ?」


 そんな妄想をしていると、私の携帯が莉音ちゃんの前のグループのデビュー曲『endless』を奏で始めた。

 登録してる人なんて全然いないから、いつも莉音ちゃんが仕事でかけてくれる時しか鳴らないんだけど......。


「............龍虎さん? なんだろう、珍しいな」


 黄山龍虎。金髪ナイスバディーなお姉さんだけど、莉音ちゃんにいつも迷惑をかけているお邪魔女。

 同じグループだけど、彼女から電話がかかって来るのは初めてかもしれない。まあ多分、仕事関係のお話。


 ーー私は特に何も警戒することなく、それを手に取って。


『あずさか?』

「はい。そうですけど......」

『莉音が倒れて、救急車で運ばれたらしい』











「..................えっ?」


 目の前が真っ暗になった。




◯ ◯ ◯ ◯ ◯




「莉音ちゃん、莉音ちゃん、莉音ちゃん............!!」


 走る。

 

 莉音ちゃんが運ばれたのは、うちの近くにある総合病院だった。7分もバスを待てなかった私は、自分の足で走ることにしたんだけど......これなら、バスを使ってもそんなに変わらなかったかもしれない。


 でも走って1分か2分でも早く莉音ちゃんに会えるならそれでいい。とにかく今は、一刻も早く莉音ちゃんの無事をこの目で確かめたかった。


 しばらく走っていると、ようやく、病院の駐車場が見えてきた。


 結構広い駐車場で車も走っているけど、轢かれるから危ないなんて考えは頭に浮かばない。入り口までの直線距離をダッシュで走り抜け、中に入る。

 病室の番号は龍虎さんに教えてもらっていた。


 エレベーターを待つ時間も惜しいから、階段を使う。


「莉音ちゃん、莉音ちゃん............」


 その病室のドアを、開けようとして。



『なんでここまで無理をしたんですか!?』



 知らない女の人の声に、思わず立ち止まる。


「あれ?」

 

 おかしいな。

 他の空いてる部屋を見る限り、この階の部屋は全室個室のはずだ。部屋の番号も、龍虎さんに教えてもらった場所で合ってる。ここは、莉音ちゃんの部屋のはず。


「龍虎さんが部屋の番号を間違えたとか......?」


 もしそうだったら、本当にイライラするんだけど。


『過労になるまで体を酷使して! どうしてなにも、相談してくれなかったんですか? 莉音さんから見て、私ってそんなに頼りないですか?』


 しかし、聞こえて来たその名前に、体が止まる。


『......じゃ............ない。俺が............だけで......』


 そして、もう一人。

 可愛らしい声には似合わない男の子みたいな口調。

 

 今では冗談じゃなく四六時中......それこそ寝る前も聞いてる声だったから、壁越しだろうと直ぐにわかった。


「莉音ちゃん............?」


 誰か来てるのかな?

 ただのお見舞いにしては、只事じゃなさそうな雰囲気だ。


「入って良いのかな......?」


 迷惑に思われたらどうしよう。そもそも私は今日連絡なしで来てしまったわけだし......でも、莉音ちゃんの顔は見たいし、お話もしたい。

 

「ごめんなさい。莉音ちゃん」


 迷った私は、病室のドアを少しだけ開けて、中の様子を伺うことにした。取り込んでいるようだったら、待合室で時間を潰して、また後で来れば良い。これはそう、それを判断するため。決して下世話な目的ではない。

 あとは、同じグループの仲間として、莉音ちゃんと女の人がどんな関係なのかも確認しなければいけなかった。


 中を覗くと、スーツ姿の女の人に抱きしめられている莉音ちゃんの姿がーー。





 







 抱きしめられている!!!????


「!!!?!?!!!!???!!?」


 なんで!? どういう関係!?


「だって、もうマネージャーとは別のグループだし......」

「それでも私は、あなたの担当です」

「だから、それはもう昔の話で、」

「今でも私は、あなたの担当なんです!」


 不貞腐れたような態度で目を逸らす莉音ちゃんと、そんな莉音ちゃんをさらに強く抱きしめるスーツ姿の女性。


 マネージャー......ってことは、莉音ちゃんの前のグループ、endlessのマネージャーさんなのかな?


 どういうこと? なんであんなに仲良さげなの?


 私とマネージャーさんなんていつも、


『あずさ、出れる?』

『はい』


 くらいのやり取りしかしてなかったのに。

 それとも、endlessみたいな人数の少ないグループではあの距離感が普通なの?


「でも、桜ノ宮の担当でもあるわけじゃん」


 莉音ちゃんは、拗ねたように唇を尖らせて、プイと顔を逸らした。


「ーーは? え?」


 そんな顔をする莉音ちゃんが信じられなくて、私は思わず目を擦って確かめた。けど、何も変わらなかった。

 相変わらず莉音ちゃんは、不貞腐れたような態度で目の前の女の人と目を合わせようとしていない。首から下は、抱き合っているというのに。


「なんで今桜ノ宮さんが出てくるんですか?」

「別に。でもマネージャーの担当はendlessだろ。freaksの担当じゃない」


 その様子が、まるで年相応の女の子が甘えているように見えて......頭を振って否定する。

 年相応の女の子、というのは、私の中の莉音ちゃんとは一番遠い言葉だった。


「じゃあ私と莉音さんは、何の関係もないと?」

「......別に、そうは言ってないけど」

「じゃあ相談してください。頼ってください。今困ってるのは、明らかに莉音さんの方でしょう?」

「でも......」

「ーー迷惑をかけるとか、そういうのは無しですよ」


 何事かを言いかけた莉音ちゃんを遮って、その人は莉音ちゃんのほっぺを抑えて無理矢理に目線を合わせる。

 顔が近い。前後の会話を切り取って仕舞えば、まるでこれからキスするかのような距離だった。


「言ったでしょう? 私があなたの助けになりたいんです。それが私の、やりたいことなんです」


 その距離のまま、見つめ合う二人。

 そこから、少し経って......。


「すごく、勝手なこと言ってもいいか?」


 俯いた莉音ちゃんは、まるで蚊の鳴くような小さな声で呟いた。



「また、マネージャーやってくれないか?」



 と。




◯ ◯ ◯ ◯ ◯




 そこから、私がどうやって帰ったかはわからない。

 

 気がつけば私は、家のベッドにいた。お見舞いは結局できなかった。あの後も二人は親しげにしていて、その中に入っていく勇気は私には無かった。


 莉音ちゃんは、アイドルとマネージャーという二つの仕事を軽々とこなしているように見えた。でもきっと、それは私の勘違いだったのだろう。本当は、私が想像するより、ずっと大変な思いをしていたのだ。


「当たり前だよね」


 馬鹿だった。

 私は呑気に「莉音ちゃんすごいすごい」とそのおかしな状況を受け入れていたけど、あの人は違った。


 だから選ばれた。


「死にたい......」


 恥ずかしかった。

 莉音ちゃんの苦労に気づかず呑気に過ごしていたことが。隣に立ちたいとか言ってたくせに、私はずっとマネージャーをやってもらうつもりで......面倒を見てもらうつもりでいた。端的に言って、頭が悪かった。


 死にたい。もう、本当に死にたい。

 

 そのくせ、彼女の大切な存在になれるかのように頭の中では盛り上がって......そもそも莉音ちゃんにとっての私なんて、苦労を生み出す存在程度にしか思われていなかったとしてもおかしくないというのに。


 羨ましかった。

 私の知らない莉音ちゃんを知っているであろう、endlessの人たちが。莉音ちゃんに頼られているあのマネージャーさんが。

 私がなりたかった、莉音ちゃんの隣という居場所には、もうとっくに別の人が立っていたのだ。


「こんなの、あんまりだよ......」


 苦しくて、胸が痛かった。

 私に出せるものならなんでもあげる。だから、あの場所を代わって欲しかった。私だって、出会うのがもっと早かったら、今頃あの病室で莉音ちゃんと抱き合ってたかもしれないのに。


 でも現実には、あの時莉音ちゃんと抱き合ってたのはあの人で、頼られていたのもあの人だった。


 死にたい。いや、人生をやり直したい。


 こんなことになるなら、メンバーの子が恋愛相談をしてきた時、もっと真剣になって一緒に考えてあげれば良かった。ファンの人が私を応援してくれる理由を熱心に教えてくれていた時、もっとちゃんと聞いておけば良かった。


 どうやって好きな人にアピールすればいいのかも、自分のどこが魅力なのかも分からない私では、きっと、いつまで経っても「その他」の一人なんだろう。


「お見舞い......行けなかったな」


 莉音ちゃんとのメッセージを開きながら、呟く。

 何か言った方がいいだろうか。でも、なんて?


『死にたい』


 頭の中に浮かぶのは、後悔と羞恥だけ。

 もちろんそんな勇気なんてないけど、メッセージに衝動的にその四文字を打ち込んでしまう程度には、参っていた。


『体調は大丈夫ですか?』

『死にたい』

『迷惑をかけてごめんなさい』

『死にます』


 消しては書き直し、消しては書き直し......結局、送信はせずに、投げ出した。


「寝よ」


 夢くらい、楽しい夢がみれたらいいな。


「いや......違うか」


 きっと今までが、楽しい夢だったんだ。




◯ ◯ ◯ ◯ ◯

 



「な、なに......? うるさ。なにごと?」


 ものすごいチャイムの音で目が覚める。

 リンリンリンリン、と。私が起きてからもチャイムを連打する音は止まらない。やがて扉を開けた振動が伝わり、


「え、なに? なに?」


 誰かが、すごい勢いで階段を駆け上がっている。お姉ちゃんかな? それにしては、慌ててるみたいだけど。


 ーーバン!


 と、音を立てて、扉が開いた。


「あずさ!!」

「え、莉音ちゃん? なんで?」

「この馬鹿!!」

「え? え?」


 大きな声で私を罵倒した後ーー莉音ちゃんは、突然のことに固まっている私を、強く抱きしめた。

 まるで、彼女のマネージャーさんにそうしていたように。

 

「え? なに? なんで? え?」


 なに? これは夢?

 私の願望を、神様が叶えてくれたの? お賽銭してないのに? お正月の分?


「心配させんな! 電話かけても出ないし、マジで死んだのかと思って本当、気が気じゃなかったんだからな!」


 でもこの匂い、感触は、確かに現実だ。

 一体、どうして私は、莉音ちゃんに抱きしめられているんだろう。電話? 多分寝てたから気づかなかったのだと思うけど、電話がかかってきてたの?


 携帯を確認して......驚く。


「え? なにこれ?」


 なに? この、通知の量。しかも、全部莉音ちゃんだ。大丈夫? とか、返事しろ、とか。すごく焦っていることが伝わってくるけど......一体、どうして。


「............あ」


 そして、気づく。

 

『死にます』


 最後に打って消していなかったメッセージを、寝てる間に送信してしまっていたことに。


「どうして、こんなこと言ったんだよ。心配したんだぞ」


 私を強く抱きしめる莉音ちゃんは、すごい汗をかいていた。服も、病院の患者さんが着る病衣のままで、よほど急いでここまで来たのだろう。外を見れば、すごく暗い。時間は深夜の3時だった。


「......なんで?」


 どうしてこんなこと、してくれたの?


「何ではこっちのセリフだ! なんで、しっ......こんなこと、言ったんだよ!」


 それはーー。


「間違って、送っちゃって......」

「なんだそれ!? ああ、もう! こっちは本当に心配したんだからな」


 莉音ちゃんは私をもっと強く抱きしめた。

 気持ちよかった。柔らかかった。私の顔のすぐ下には莉音ちゃんの頭があって、髪の毛の隙間から、優しくて甘い匂いがした。そこにほのかに混じる汗の匂いも、私のためにこんなに走ってくれたのかと思ったら、むしろ興奮した。


「ありがとう、莉音ちゃん」


 ーー抱きしめてもらう方法を、教えてくれて。


 痛いのは嫌いだし、少しだけ緊張するけど......でも私、莉音ちゃんのために頑張るよ。だから、もっと教えて。


 私は抱きしめられた状態のまま、頑張って手を伸ばす。体ごと傾けて、なんとか机の上のペン立てに刺してあったハサミを手に取ると、勢いよく太ももに振り下ろした。


「え? は?」


 莉音ちゃんが驚いている。

 思ったよりも、血は出なかった。手首のほうがよかったかもしれない。


「いやお前、なにして......え?」


 私は莉音ちゃんに言った。


「やっぱり死にたかったかもしれない」






ここから後二万文字あります。






















































































嘘です。

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なんだ…続き(2万字)はないのか… 突如芸能界ものってないかな、と思い立って探したらあんまりないんですねー こちら3つ読ませていただきましたが楽しく読めました。 フリークスは意外とおとなしいキャラ達…
[一言] 前作まで一気見しました、 めっちゃ面白かったです でもタグに?がついてるおかげで(私の除外リストのせいですが)検索に引っ掛からなかったのですよね、 この内容なら余裕でガールズラブ、百合タグ…
[良い点] あと二万文字書いて。書け(豹変)。 もうこのシリーズ出ないと思ってたから、本当に嬉しいです。 最高でした。
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