貴祥16歳 桔月-3
土の日樫木は時間の少し前に北条家にやって来た。
樫木は俺の前に座り出されたお茶にも手を出せず、落ち着かない様子で自分から切り出せずにいた。
仕方ないので俺から声を掛ける。
「時間通りでまずは合格だな。俺が部屋を出た後詰め寄られたようだが大丈夫だったのか?」
「はい、生徒会長は家庭教師にはなれないのは分かりきったことですし、僕はせっかくの機会を失いたくはなかったので、何を言われてもお断りしたので」
それについては晄が調べて来ていた。樫木は舞姫の傍で勤めることが出来ないか調べていたらしい。
「意外だな。優しそうだから強く言われたら譲るかと思っていたが」
「僕は初等部の時体調不良で行けなくなった上席の方の席がたまたま回ってきたことがありまして、間近で次期舞姫の舞を見ることが出来たのです。
僕はその舞に惹かれ傍に仕えられないか周りに聞いて回っていたのですが上手く見つけられませんでした。
この機会を失えば綾様のお傍に仕えられない気がしますので、誰にも譲るつもりはありません」
おどおどした様子は鳴りを潜め、はっきりとした口調で言った。
「教えるのは次期舞姫ではなく綾だ。そのことは分かっているだろう」
「今は次期舞姫と綾様は一緒ですが、家庭教師をしている間に綾様の人となりに触れれば分かってくると思います」
「樫木は次期舞姫に仕えたいのか?それとも綾なのか?」
「それはまだ分かりません」
正直に話していて好ましい。樫木が自分でもよく分かっていないことを聞いているのは分かっている。
それでも教えるのは綾で、決して舞姫ではないことは意識していてもらわないと困る。
舞姫は完璧な人間だと思っている人間がいるが、綾は決して完璧な人間ではない。
舞姫なのにそんなこともできないのかと責めるようなことを言ってもらっては困る。
「なら、家庭教師をしている間に考えるといい。綾の家庭教師は土の日の16時から休憩を挟んで2時間頼みたい。
給料は月に10万珀。この金額は家庭教師をしている間に知った綾のことや北条家のことを外部に話さないことも含める。服装は普段の着ているものを着てくればいい」
「そ、そんなに頂けるのですか?」
「中等部の者に渡す金額としては大きいが正当な金額だ。綾が望み、成績もきちんと一定以上保てているなら、高等部に入学したとき教えることも難しくなるので増額もある」
「高等部になってまでしていても構わないものでしょうか?」
樫木がそう聞くのも当然だろう。
高等部になれば婚約できるようになる。今でさえ年が近い男性が傍に居るのは好ましくはないのだから、高等部になればなおさらだ。
「もちろん綾が望み樫木が対だった場合に限る。
樫木がどうなりたいかはまだ分からないだろうが、今の所綾の対に一番近い位置にいる。
頑張ればなんとかなるものでもないが、対の可能性も忘れずにいてくれ」
樫木はみるみる顔を赤くして、ばっと立ち上がり一息に「そんな!僕が綾様の対だなんてあるわけないです」と言い、
すとんと座り「僕のようなものがそんな、はずない……」と呟く。
「可能性だけなら樫木でも十分にある。対かどうかはまだ綾も幼くはっきり分からないだろう。その可能性を忘れず真摯に対応して欲しい」
「僕が、僕が綾様の対なはずがないと思います。今は綾様の家庭教師をきちんとできるかを考えたいです」
へぇ~、こんな風に言われても綾の対であるはずだと言わず、無いとまで言うのか。
仕事はきちんとすると言うのも好ましい。
「では綾を呼ぶので、どこが分からないのかなどこれからの勉強方法を相談して決めて欲しい」
「畏まりました」
崎守を通して侍女に綾を呼んでくるように言う。すぐに唯と共に綾がやって来た。
「樫木さん家庭教師を受けてくださったのですね。ありがとうございます。嬉しいわ」
「頼りないですが頑張りますので、綾様の分からないことを教えて頂けますか?」
綾は僕の横に腰掛け前のめりで話しかける。
「樫木さんのお名前は?」
「僕ですか?僕は京一と申します」
「では京一先生と呼んでもいいですか?私のことは生徒ですから綾と呼んでください」
樫木のことになると綾には驚かされることばかりだ。
綾が名前を呼んでもいいと言っているのは家族や玲以外で葵ぐらいしかいないんだぞ。
それを会ったばかりの人間に呼んでいいと言うとは。もう対だと言ってもいいぐらいなんじゃないのか。
樫木はさぁーと顔を白くしてぶんぶんと首を振った。
「とんでもありません綾様を呼び捨てになどできません。それに先生などおこがましいです」
「先生は先生でしょう。それに教わるほうが様付けはおかしいと思います」
綾が拗ねた様に言うが、樫木も受け入れられないと埒が明かない。
「面倒くさい。さん付けか京一と呼び捨てにすればいいだろう。綾のこともさん付けで我慢しろ」
「先生に呼び捨てはいけないと思うわ。では京一さんで」
「いえ呼び捨てして頂いて構いません。そのほうが落ち着きます」
「そう?じゃあ京一よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします綾さん」
2人共言い合っても仕方がないと思ったのかすぐに受け入れた。
まるで見合いのように呼び方から決めなくてもいいだろうに。
「俺はもう行くから唯2人をきちんと見ていろ。京一進捗状況は毎回崎守に報告するように。
あと夕食は毎回出すので食べて帰るといい。今日の分も用意してある」
「「畏まりました」」
京一と唯が揃って返事をしたので、2人を残して部屋を後にする。
崎守に京一の家僕を付けるよう言っておく。その家僕に作法を京一にそれとなく教えるようにも言う。
崎守は身近で見ていたので綾の対の可能性をよく分かってすぐに対応する。
執務室に寄ると気になっていたのか晄が居た。
「どうでした?」
俺は長椅子にどかりと座りこむ。
「綾は大分京一のことを気に入っているな。すぐに名を聞いて京一先生と呼びたいと綾と呼んで欲しいとまで言った。
お互い譲らず、おれが言って京一と綾さんで呼ぶことに決まったが、もう京一が対だろう」
「間違いなさそうですね。ただ、玲が言わないぐらいですからそっとしておいた方がいいのでしょう。そうなると京一に対してどう対応すべきか悩みますね」
俺のが移ったのか呼び捨てにしているが、この際どうでもいいか。
「そうだなぁ。家庭教師の状況を唯から確認するのと、なるべく俺たちも会うようにしよう。
お茶会終わりには葵も会えるだろう。玲を会わせるかは様子を見てからにした方がいいな」
「会ったほうがいいですか?」
晄は少し面倒くさそうにしている。
「綾の対かもしれないんだぞ。対ならずっと交流があることになる。婚約できる時には仲間内のような雰囲気があるほうがいいだろう」
「仕方ありません綾様のためです。おかしくない程度に会うようにしましょう」
やれやれと立ち上がりさっさと晄は部屋を出て行ってしまった。
自分の対では無いので仕方ない所もあるが、もう少しに気かけてくれてもいいと思うぞ。
俺もちょっと綾達に当てられた気がして、自室に戻り勉強に励み先ほどのことを忘れる。
後で唯に報告させれば、京一が思っていたよりも綾は出来なかったようで、驚きながらもきつい言葉は一切出ず、どう進めていくかきちんと話せたようだ。
家僕は晄が馨の時にしたように崎守が数人付けてみて、相性が良いものを選んでから作法を身に付けさせることになった。
後日地方から戻られた凛様と穂高様に報告すると、とりあえず対が見つかったかもしれないことを喜ばれた。
ただ凛様は対が見つかるのが綾に抜かれたと拗ねてしまったし、穂高様はまだ早いと嘆かれなかなか解放してくれずすっかり疲れてしまった。




