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私は貴方のことを愛している-侯爵令嬢の憂い-

作者: NN

 私はいつものようにアイリスの花を持ってあの人の元へと向かった。


 あの人——ハーティス・レオナルド様はキリッとした眉にスッと伸びた鼻、均整の取れた顔立ちが印象的な寡黙な侯爵令息。

 レオナルド様は滅多に口を開かない。開いたとしても事務事項ばかりだ。

 けれど私は知っている。彼は思っていることをなかなか言葉にできない口下手な人であることを。


 だからこそ私は一日に起きた色々な出来事を彼に届ける。彼は確かに言葉を返してくれないけれど、目元はとても優しくて真摯に私の話を聞いてくれる優しい人。

 だから私は毎日彼の元へ向かうのだ。ごくまれに顔を綻ばせる彼の顔を見たいがために。


「レオナルド様。昨日の夜はリオナ様とヤハル様が一緒に踊っておりました。二人ともとても美しくて見入ってしまいましたわ。対して私は一人ぼっちなんですよ。とても寂しい女なんです。慰めてくれませんか?」


 そう私が言うと、彼はとても大きな掌で私の頭を撫でてくれた。

 彼は、精一杯私のことを慰めようとしてくれているようだった。


「それと……今日はリオナ様の主催するお茶会に呼ばれましたのよ?私のような者があれほど高貴な方のお茶会に呼ばれるなんて思っても見なくてとっても驚いてしまいましたわ」


 私が嬉々として言うと、彼はふっと再度顔を和らげた。

 それが嬉しくて私もまだまだ尽きない話題を振り続けるけれど、いつの間にか正午の鐘が鼓膜を震わせたのを感じて私はそこを立ち去ることにした。

 もし今日離れてしまっても明日会える。だって約束してるから。


 毎日ここで。絶対にここで会おうって。



 私が自宅の庭でゆっくりしていると、よくなじんだハスキーな声が耳に入ってきた。


「サマーサ」


 一瞬自分の名前を呼ばれたことに気づかずに私は硬直してしまう。そうそう私の名前はファンタスト・サマーサ。

 最近記憶力が落ちてしまった気がする。十代という若さで、もう老化が始まってしまったのだろうか。


 ……それにしても。


 私は眼前の親友——タリスト・アルファの顔をじっと見つめた。

 ここ数日のアルファの顔はすごい疲れたやつれているように見える。顔の皺も心なしか増えたように感じる。

 そんなに悩んでいることがあるなら相談してくれればいいのに。


 親友の頼みごとなら絶対支えになってあげたい。私では力足らずかもしれないけれど。


「アルファ大丈夫?」

「え?何が?」


 その声色は少しの疲労を含んでいて、より不安になる。私にできることは何かないだろうか。


「あ、その、悩み事でもある?」

「え?悩み事?そうね……サマーサ、貴方があの男のところに行かなくなって欲しいってことくらいかな」

「それは無理よ」


 あの男とはレオナルド様のこと。

 どうしてこんなに邪険にするのかわからないけれど、アルファはレオナルド様のことが嫌いらしい。

 私としては、私が恋慕を抱いている人を親友が嫌っているだなんて少し悲しいけれど、人間なのだからウマが合わないということは少なからずあるものだから。


 生理的に受け付けない。相容れない相手というものが人間少しはいるかもしれないから敢えて何も言わないでいる。

 でもアルファの場合は明確な嫌悪感を持っているようで、私が聞いても教えてくれないから困惑するしかなくて。

 それも二人の秘密事項ならば仕方がない。どういう関係なのかは正直気になるけれど。


「……まあ、言っても無駄だってことはわかってる」

「うん。たとえアルファがレオナルド様のことを嫌っていたとしても私はあの人が好きだから」


 私がきっぱりそう言うと、アルファは怪訝そうな顔を向けてきた。

 その表情はどこか寂しそうで。私はどうすればいいか迷ってしまう。


「そう……。それならいいの。貴方がそこまであの男のことを愛しているというのなら。でも私は貴方に忠告し続ける。いつか正気に戻ってくれるって信じてね」

「私は正気よ」


 私は少しムッとして返してしまった。

 レオナルド様のことを悪く言われていくら親友といえどいい気はしない。

 でもアルファは全然悪びれた様子はなくて至って真剣に私の瞳を凝視してくる。それからアルファは一度ため息をついてからいつもの柔和な眼差しを向けてきてくれた。


 これがいつものアルファ。心配性で優しくて。とても頼りになる私の親友。

 レオナルド様とは別の意味で私は彼女が大好きだ。それを彼女はわかってくれているだろうか。

 わからないけれど伝わってくれていたらいいと思う。レオナルド様のことになると熱くなってしまう私だけど。いつも迷惑ばかりかけてしまう私だけど。


「ねえ、アルファ?」

「なに?」

「私はまだ学院に登校しては駄目なの?」

「だーめ!絶対駄目だよ」

「私見ての通りピンピンしてるわよ」

「駄目。サマーサの病気が治るまではね」


 そう言ってアルファは私の頭を撫でた。その感触がとても心地よくて私は思わず目を細める。


 ——病気。


 そう私は病気なのだ。でもそれがどんな病気なのかわからない。

 両親も教えてくれないのだ。多分私を不安にさせたくないのだろう。

 私はそこまでヤワじゃないんだけど。


 でもそんな両親の好意を無下にはできないから私は素直に家で安静にしていることが多い。

 だけどレオナルド様に会うときだけは別だ。学院の近くにある丘の頂上。

 レオナルド様は昼休みの時間に必ずそこにいる。だからその時間はメイドに頼み、家をこっそり抜けだす。


 一日の中で唯一レオナルド様と会話ができる時間。そのひと時はとても幸福で。ずっと浸っていたくなる。


 レオナルド様はとても忙しい人だし、きっとお昼休みくらい一人でゆっくり過ごしたいだろう。

 それでも会いに行ってしまうのは私の浅ましい願いで、もしかしたらレオナルド様は嫌々私に対応しているのかもしれない。

 それでも私はあの人に会いにいく。


 明日も。絶対。


 ---


 私の親友ファンタスト・サマーサの時間は一年前から退行したまま止まっている。


 その原因は間違いなく——サマーサの夫であるハーティス・レオナルドが亡くなったからだ。

 レオナルドは確かに端正な顔立ちをしていたし、性格も悪くなかった。友人も多いようだったし、妙な噂も立っていない傍目から見ればこれ以上なく素晴らしい人物。


 だけど私は知っていた。レオナルドは持病を持っていることを。

 そのことを偶然知ってしまったのは中等部でのこと。

 廊下ですれ違ったときにレオナルドのポケットから白い錠剤が敷き詰められたケースが落ちたのだ。


 そのときレオナルドは相当急いでいたようで、そのことに全く気づくことなく走り去ってしまった。

 

 すぐに返そうとも思ったが、その時の私は好奇心の方が勝ってしまった。

 そして錠剤を家に持ち帰り、それとなく薬に詳しい母に聞いてみた。

 すると、その薬は——心臓の弱い人が飲む薬だと言っていた。私は悪いことを知ってしまったようで、なんともいえない気持ちになったことを覚えている。


 そして丁度その頃だ。

 私の親友ファンタスト・サマーサがハーティス・レオナルドに恋慕を抱いていると打ち明けてきたのは。


 つい最近レオナルドの秘密を知ってしまった私は即座に反対してしまった。「やめておけ」と。

 するとサマーサはとても悲しそうな顔をした。親友にそんな顔をさせてしまったことを私は凄く後悔した。

 サマーサは昔からほわほわしてて、どこか抜けている。だけど、それも含めてとても優しい女の子だった。


 怪我をしているひとを見つけたらすぐに走り出して行ってしまう。そんな優しい女の子だった。

 だから傷ついて欲しくなかった。

 だって自分の好きな人が病気だなんて知りたくないじゃないか。

 しかも聞くところによると、相当重い持病を持つ患者が服用する薬らしい。まず長生きすることはできないだろう。直感的にそうわかった。


 だけどサマーサはレオナルドのことが好きらしい。

 一目惚れだったそうだ。


 一目惚れほど厄介なものはない。だって恋という感情に相手のすべてが美化されてしまうのだから。

 だから私は応援はしないにしろこの成り行きを見守ることにした。親友の恋をすぐに否定したくはない。


 それからサマーサは私から見てもわかるくらい努力していた。

 レオナルド好みの容姿を研究し、元々高かった学力を更に押し上げた。

 レオナルドは知的な女性を好むと噂されていたからだ。確証性のない情報でもサマーサにとっては藁にもすがりたい思いだったらしい。


 そしてサマーサはレオナルドと婚約することになった。事がトントン拍子に進み過ぎて私が面を食らったほどだ。

 でもそれも別に不思議には思わなかった。

 サマーサの家は侯爵令息と比べても遜色ないほど格式のある家だったし、何よりサマーサの美貌を全面的に押し出せば落とさない男はないと確信していたからだ。


 親友補正を抜きにしてもサマーサはとても美しい女性だと思う。

 サマーサは自分を過小評価しがちだから、平凡な容姿だと思っているのかも。それは残念なことだけど、その謙虚な性格がサマーサの良いところでもある。

 私は勝手な性格をしているとよく言われるけれど、サマーサとは喧嘩をしたことがない。どこか抜けているあの子にどうしても怒りを覚えることができないのだ。


 サマーサは高等部を卒業後、レオナルドと結婚し一緒に暮らし始めたらしく、会う度に嬉しそうに顔を綻ばせていた。そんなサマーサを見て、私も嬉しくなった。

 でも同時に中等部で知ってしまった懸念材料がどうしても気にかかった。


 だから私はサマーサが用事で出かけるという日に敢えて家に向かった。

 勿論レオナルドと話をするためだ。


「今サマーサは出かけてるよ?」


 レオナルドはそう断りを入れてくるけれど、


「知ってますよ。だからここに来たんですから」


 と私は返した。


 レオナルドはカップをコトリと四角机に置いた。静寂の中で響くその音が不穏な空気をまざまざを感じさせた。

 レオナルドも何故私がわざわざサマーサがいないときに訪ねてきたのか測りかねているようだった。

 困惑するのも無理もない。だけど私には余裕がなかった。

 サマーサが幸せそうに日々の報告をしてくれる度に焦燥感が私を襲った。

 ずっと私はサマーサを見てきたから。そんな醜い独占欲もあったのかもしれない。


 世間話なども一切せずに私は本題を切り出した。


「レオナルド様は貴方は恐らく持病をお持ちですね?」


 私が回り道することなく、直球的な言葉を投げると、レオナルドは驚愕の表情をその整った顔面に浮かべた。

 その後訪れた無言の静寂は嫌でも問いかけに対する回答が事実であることを示していた。


「どこでそれを。俺は誰にも告げていなかった筈なのだが」

「中等部でレオナルド様の薬を偶然拾ったんです」

「……ああ、あのときか。あの日は薬を飲みにトイレに行ったのだが、他の生徒が来てしまった焦っていたからな」

「そうですか」


 私の素っ気ない返事にレオナルドは不思議な顔をした。

 多分「訊いてきたくせにそれだけか?」ということなのだろう。だけど私にはレオナルドがそのときどのような状態だったのかなどどうでもいいことだ。


 今、私がすべきことは——


「レオナルド様、貴方は持病を持っている、ということで合っていますよね?」

「ああ、いかにも俺は生まれたときから心臓が弱い」

「それで貴方は——」


 私は一度溢れ出しそうだった唾を飲み込んだ。

 焦燥と緊張でおかしくなりそうだ。それでも親友のためにこれだけは問いたださなければならない。


「彼女を——サマーサを愛すことができますか?これは私の予測なのでもし違ったらごめんなさい。レオナルド様、貴方の命はもう長くないのではないですか?」


 今度もやはりレオナルドは答えなかった。つまりは肯定に他ならなかった。

 でも今回は無言を貫いたわけでなく、私がここを訪れてから最も感情をあらわにした表情を浮かべて勢いよく口を開いた。


「それでも!それでも私は彼女を愛している!」

「どこを、ですか?」


 意地悪な質問だったと思う。それでも私は訊かずにはいられなかった。

 レオナルドがどれだけサマーサのことを本気で思っているのか確かめたかったのだ。


「全てだ。最初は確かに彼女の容姿に魅せられただけだったのだと思う。だがそれからは違った。何度も会ってお茶をして街にも繰り出して。彼女はいつでも笑顔を絶やさなかった。落ち着いた笑顔で俺のことを見てくれた。俺の周囲にいるのは誰もが打算的な人間で、いつも息苦しさを感じていた。でも彼女にはそれを感じなかった。安心できる優しさがあったんだ」

「サマーサはレオナルド様に一目惚れだったそうです」

「ああ、それは俺が彼女に自分の気持ちを告げたとき話してくれた。だから俺たちは一目惚れ同士だったというわけだ」

「それは……打算的ではないんですか?」


 また私は意地悪を言った。本当に性格の悪い女だと思う。

 媚を売って令息たちに群がっている連中は死ぬほど嫌いだと思っていた。けれど、親友のため、なんて最もらしい言い訳を振りかざしてその夫に遠回しに別れろというような言葉を並べている自分は方向が違ったとしても最低な女には違いなかった。

 

 結局のところ私は認めたくなかったのだ。絶対に不幸になってしまうことを知っているのに、みすみすそれを容認することなんて。これまで傍観者でいたくせに。


「ああ。そうかもな。お互い一目惚れで近づいていくのも打算的というのかもしれないな。そう言われるとどうしようもない」

「すみません」

「いや、いいんだ。だけど俺はそれを運命だと感じたんだ。お互い一目惚れで、それから会うようになってどんどん好きな気持ちが膨らんでいく。今では結婚してお互いに愛し合っている。政略結婚がはびこるこの世の中でこれほど幸せなことはない」


 そう言ったレオナルド様はとても嬉しそうだった。心から幸せを感じているようだった。

 ならばこれ以上私は口を挟むことではないのだろう。もしかすると明日終わってしまうかもしれない幸福をわざわざ壊しに来る私は邪魔者以外の何者でもないのだから。


 だけど——


「これだけは約束してください」

「なんだ……?」

「その調子ならばサマーサに病気のことを告げていないんですよね」


 そう私が言うとレオナルドはバツが悪そうに目を逸らした。今のレオナルドには一番指摘されたくなかったところだろうから。


「なら、そのまま隠し通してください。病気のことは絶対にサマーサに言わないでください。そのためのサポートは全力で勤めさせてもらいます」


 しばしレオナルドは無言で思考する動作を見せた。私の意図がどうなのか測りかねているのだろうか。


「私は彼女を、サマーサを不幸にはしたくないんです。私の一番の親友を」


 そうして私とレオナルドの秘密の会合は幕を閉じた。


 それから数日後、レオナルドから了承の意を含んだ手紙を寄越され、サマーサの両親にも話をつけにいったことは言うまでもない。

 


 レオナルドはあれから——数ヶ月もしないうちに亡くなった。



 そして現在。私はあのときのことを後悔しているしのかもしれないし、していないのかもしれない。

 あのときもしレオナルドにきちんと自分のことを話すよう促していたとしたらレオナルドは正直に打ち明けたことだろう。


 多分私がいなかったとしてもいつかはバレることだったのだから。

 そのときサマーサはどうだっただろうか。サマーサは普段は寛容だけれど、そのぶん急なことには打たれ弱い。

 私はそれを知っていた。サマーサと一番長く過ごしたのは私だと勝手に錯覚するほどには彼女と親しくなったつもりだったし、実際そうだったのだろうと思う。

 もしかしたら婚約破棄をしてしまうかもしれない。悲しみのあまりいけないことに走ってしまうかもしれない。


 それが私には一番怖かった。

 サマーサがどんどん弱っていくのもそうだけど、そうなったとき彼女が私に何も相談してくれないんじゃと考えてしまうのだった。

 最後に私が考えるのは自分のこと。自分の利益のこと。


 最低だ。本当に最低だ。私には親友を名乗る資格もない。


 今の幻覚のレオナルドと毎日会話をしに丘の上の墓地へと向かう彼女——サマーサを見ていると、やはり私の選択は間違っていたのだと思い知らされているようだった。しかもサマーサは毎回アイリスの花を持っていっている。アイリスはレオナルドが好んでいた花で、二人の家にも飾ってあったことを覚えている。


 レオナルドの病気を隠すことでサマーサの心の傷は深く深く、私なんかでは手の届かないくらい深く傷ついてしまった。

 それは私のせい。私があんな余計なことをしたせい。


 それでも私は心の片隅のどこかでこうも思ってる。


 これは一種の愛の形なんじゃないかって。

 死んでも幻覚で見ることができるくらいに愛し合える関係など、砂漠で目的の砂つぶを発見するくらい無理難題なことで。


 それは私の欺瞞で、自己保護欲が働いているせいなのだと思う。



 それでも私は今日も彼女——サマーサに告げる。


「あの男のところに行かなくなって欲しい」って。

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