第94話:「ルーシェ、がんばる!:1」
第94話:「ルーシェ、がんばる!:1」
ヴィルヘルムはエドゥアルドへの挨拶を済ませると、さっそく、エドゥアルドへの授業を行いたがった。
まずはエドゥアルドの現在の学力のほどを知り、今後の授業内容を取り決めたいということらしかった。
だが、エドゥアルドは、ヴィルヘルムはやって来たばかりで疲れているだろうから、などと理由をつけて、それを断った。
エドゥアルドは、あっさりとコンラートに丸め込まれてしまったことを後悔していた。
その場の[もっともらしい理屈]に言いくるめられてしまったのは事実だったが、考えてみれば、そんなものはうわべだけの言葉に過ぎず、コンラートがエドゥアルドのことを思って言った言葉ではないのは明らかだった。
家庭教師ともなれば、必然的に、エドゥアルドとの距離は近いものとなる。
授業が行われている最中は、2人きり、といった状況が生まれやすく、加えて、エドゥアルドに近い位置から、様々な情報を探り出すこともできるだろう。
エドゥアルドにとっては、百害あって一利もない。
だが、一度受け入れてしまった以上、今さら追い返すわけにもいかなかった。
貴族というのは、とかく、体面というものを気にしなければならない存在だった。
エドゥアルドがノルトハーフェン公爵としての名前だけでなく、しっかりと実権まで保有していれば、前言を翻してヴィルヘルムを追い返すことだってできただろう。
しかし、実権を持たず、そして、エーアリヒの世間からの評判が、優秀で忠実な摂政としてすこぶる良いことを考えると、そんな無茶はしたくてもできないのだ。
エドゥアルドにできるのは、せいぜい、時間を稼ぐことでしかない。
ヴィルヘルムはエドゥアルドの言い分を残念がったものの、素直に引き下がった。
その本心は、定かではない。
だが、エドゥアルドにはそれは、[チャンスなら、これからいくらでもある]という、ヴィルヘルムの余裕のように思えてならなかった。
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ルーシェは、はりきっていた。
エドゥアルドがあっさりと家庭教師を受け入れてしまったことには驚かされたが、それはきっと、エドゥアルドには、ルーシェには想像もつかないような深慮遠謀があるからに違いないと、そう思い直したルーシェは、同時に、(これは、お手柄を立てるチャンスです! )とも思っていた。
はっきりとした証拠も、根拠もなにもない。
だが、白か、黒かで言えば、ヴィルヘルムは明らかに黒。
真っ黒に違いないのだ。
ということは、これから探せば、ヴィルヘルムがエーアリヒの進めている簒奪の陰謀に関与しているという証拠が、出てくるのに決まっている。
もし、ルーシェがその証拠を見つけることができれば。
大手柄に違いない。
きっと、たくさん、たくさん、ルーシェはほめてもらうことができるだろう。
シャルロッテやマーリア、ゲオルクに、頭をなでてもらえるかもしれない。
それどころか、エドゥアルドが以前、ルーシェに青いリボンを買ってくれたように、また、なにか素敵なプレゼントをもらうことだってできるかもしれない。
そう考えるだけで、ルーシェはやる気に満ち溢れてきてしまう。
だって、だって、毎日鏡を見つめながら、エドゥアルドからプレゼントされたリボンを自身の髪に結ぶだけで、ふわふわとしたような、幸せな心地になることができるのだ。
そんな幸せがもっと増えたのなら、どんなに素敵な毎日になるだろう!
(ふっふっふ! 絶対に、公爵さまやシャーリーお姉さまたちに、ほめてもらうんです! )
浅学であるルーシェは、[取らぬ狸の皮算用]などということわざは当然、知らない。
そういうわけで、ルーシェは今現在、エドゥアルドとの対面を終え、シュペルリング・ヴィラの中に居室として与えられた部屋に、シャルロッテに案内されて向かっていくヴィルヘルムの後をつけていた。
ヴィルヘルムを監視し、その正体をつかむためだ。
実を言うと、ルーシェには今、いくつかこなさなければならないお仕事があるのだが、それはとりあえずないものとして、ルーシェは行動している。
(お手柄さえ立ててしまえば、こっちのもんです! ゆーせんじゅんい? ですっ! )
というのが、ルーシェの魂胆だ。
こういう仕事はシャルロッテの方が適任だろうとは思うものの、シャルロッテはただのメイドではなく、エドゥアルドの身辺を警護するボディガードとしての役割もあるから、ずっとヴィルヘルムの行動を監視していることは難しい。
だから、ルーシェがこうやって、ヴィルヘルムのことを監視していることにしたのだ。
ルーシェの思った通り、シャルロッテはヴィルヘルムを案内し終わると、すぐに仕事へと戻って行った。
先日の演習の結果、シュペルリング・ヴィラを警護している兵士たちの中には、ミヒャエル少尉のようにエドゥアルドを身を挺して守ろうとしてくれるような人もいることがわかったが、同時に、あの暗殺者のような不届き者がまだ潜んでいる可能性も残されている。
だから、シャルロッテは長時間にわたってエドゥアルドの近くを離れることができないのだ。
表情こそなにごともないかのようにすましてはいるものの、いつもより早歩きのシャルロッテが、エドゥアルドのもとへと戻っていく。
そして、シャルロッテが十分に遠くまで行った後、ルーシェは隠れていた物陰から出て、身をかがめながらそっと忍び足でヴィルヘルムの部屋へと向かった。
どこからどう見ても挙動不審で、むしろルーシェの方が[公爵家に潜入して来たスパイ]っぽかったが、なぁに、誰にも見られなければいい。
ルーシェは「すっ」「すすすっ」と自分で小さく声に出しながらヴィルヘルムの部屋の扉へと接近し、扉にそっと耳をつけて、中の様子をうかがった。
部屋の中の音は、ほとんど聞こえてこない。
さすが公爵家の屋敷、造りがしっかりとしていて、防音性能も高い様子だった。
だが、ルーシェは[キュピーン]と、怪しく双眸を光らせる。
(中の様子がわからないということは、なにか悪いことをしてもバレないということ。……つまり、今、この部屋の中では、悪いことが行われているかもです! )
そんな確証はなにもないのだが、お手柄に目がくらんでいるルーシェは、そう自分に都合よく断定していた。
しかし、どんなに聴覚に集中しても、部屋の中の様子はよくわからない。
となれば、やることは1つだ。
ルーシェは、ヴィルヘルムの正体を暴き、陰謀の決定的な証拠をつかむために、扉をそっと、ほんの少しだけ開き、部屋の中をのぞき見ることにした。




