第93話:「家庭教師:2」
第93話:「家庭教師:2」
エドゥアルドの見識を広め、将来、公国を統治する役に立ててもらう。
それは建前に過ぎず、実際には別の、悪い企みがあることは、ルーシェからすれば明らかなことだったし、エドゥアルドもそれを知っているはずだった。
それなのに、エドゥアルドはあっさりと、新しい家庭教師を受け入れることを決めてしまった。
ルーシェは不思議で、心配でたまらなかったが、もちろんエドゥアルドには彼なりの事情がある。
エドゥアルドは、[良き公爵]になろうと志している。
だからこそ、日々の鍛錬も勉学も休むことはなかったし、エドゥアルドなりのやり方でその見識を広めようとしている。
だが、エドゥアルドは若い。
そして、その若さ、経験のなさを、誰よりも自分自身がよく認識している。
そして、エドゥアルドは、そんな自分の状況を主観的にではなく、客観的に見ることができる人物だった。
だからこそ、他の貴族のように驕り高ぶらず、ルーシェのようなどこの誰とも知れないようなスラム街出身の少女にも公正に接し、兵卒たちにも視線を向けて、自分が指揮することになる人々がどんな人々なのかを知ろうとする。
エドゥアルドは、人並み以上の才覚が自分にあると信じて、その才覚を磨くために努力をし続けている。
その一方で、彼は、自分になにが足りていないのか、不足しているのかも、よく知っているのだ。
つまりは、エドゥアルドは、コンラートの[それらしい理屈]に、言いくるめられてしまったのだった。
自分には、才能があると信じている。
だが、自分は若く、経験がない。
コンラートに改めてそのことを指摘され、そしてエドゥアルド自身そのことを常々自覚していたために、咄嗟にコンラートの言葉に反論することができず、言葉に詰まって、これが罠だと知りながらうなずいてしまったのだ。
それに、エドゥアルドには、謙虚というか、素直なところがあった。
それは、自分に落ち度があればそれを正面から認め、謝罪し、行いを改めるという美徳にもつながっていたが、その一方で、コンラートの言葉を一度「もっともだ」と思ってしまった瞬間、それにあえて反論しようという気持ちを起こらなくさせてしまってもいた。
エドゥアルドは若く、純粋過ぎたのだ。
コンラートが[たやすいものだ]と余裕の笑みで退出し、まだ驚いていて状況がのみ込めていない様子のルーシェがコンラートを案内するために出て行った後、エドゥアルドは1人、頭を抱えていたが、すでに[後の祭り]だった。
公爵ほどの人間になると、前言を簡単にひるがえすことはできないし、エドゥアルドの真面目な性格がそれを許さなかった。
────────────────────────────────────────
元々、エドゥアルドの下をコンラートが訪れた時点で、すべての段取りは整えられていたのだろう。
コンラートとのやり取りがあったその翌日には、エーアリヒが推薦する新しい家庭教師が、シュペルリング・ヴィラを訪れていた。
それは、エドゥアルドが想像していたよりも、ずっと若い家庭教師だった。
「お初にお目にかかります。公爵殿下。エーアリヒ準伯爵の推薦にて御前に参りました。私、ヴィルヘルム・プロフェートと申します」
ルーシェの案内でエドゥアルドの待つ応接室へと案内されたその新しい家庭教師は、出迎えたエドゥアルドとシャルロッテに向かってそう挨拶すると、優雅な動きで一礼して見せた。
エドゥアルドたちは、家庭教師というからには、それなりの年齢の、中年の男性が来るのだと思っていた。
だが、ヴィルヘルムと名乗ったその男性は、若々しく、どう見ても20代の青年にしか見えない。
常に柔和な笑みを浮かべた、優男といった印象の人物だった。
オールバックにした濃い茶色の髪に、灰色がかった瞳、細身の長身に整った顔立ち。
劇場などで役者になれば相当な数のファンがつきそうな、ハンサムだった。
(でも、公爵さまの方が断然、カッコいいのです! )
ルーシェは正直に言うと、このヴィルヘルムという優男の姿を見て一瞬ドキッとしてしまったのだが、すぐに油断のない視線を向けていた。
ルーシェをスラム街から救い出し、居場所を作ってくれたのはエドゥアルドたちで、ルーシェが忠義を誓っているのはエドゥアルドただ1人だ。
そのエドゥアルドにとって[敵]かもしれない人間なのだから、優しそうな柔和な微笑みを浮かべたハンサムが相手であろうと、ルーシェは警戒心全開だった。
それに、見た目は優しそうだったが、ヴィルヘルムは[怪しい人間]だった。
彼が、エーアリヒによって推薦されて来たというのもあるが、そもそも、その来歴がほとんど不明の、謎の人物なのだ。
家庭教師としてやって来るのにあたり、エーアリヒからはヴィルヘルムについての履歴書のようなものが提出されているのが、それによると、ヴィルヘルムはタウゼント帝国の帝都にある、帝国でもっとも大きく、実力も権威もある大学を、若くして優秀な成績で卒業しているとのことだった。
公爵の家庭教師としてふさわしい経歴だったが、しかし、はっきりとしているのはそれだけに過ぎない。
ヴィルヘルムがどこの出身で、どの家に生まれ、そんなふうに育って来たのか、一切わからないのだ。
そもそも、タウゼント帝国の出身なのかどうかさえ、わからない。
ヴィルヘルムの経歴は、ほとんど空白のまま提出されていた。
そうなると、当然、ヴィルヘルムの優れた学歴も怪しまざるを得ない。
ルーシェにとってヴィルヘルムは、すべてが謎で、すべてが怪しい、そんな人物だった。
「役目、大儀。……これから、よろしく頼む」
柔和な笑みを崩さないヴィルヘルムに、エドゥアルドは言葉少なに、憮然とした表情で返答する。
まんまとコンラートに丸め込まれてしまった自分が情けないやら、悔しいやら、といった様子だった。
「ははっ。誠心誠意、私の学んできたことを、公爵殿下のお役に立てて参る所存です」
ヴィルヘルムは静かにうなずくと、そんな、うわべだけとしか思えない言葉を述べて、再びエドゥアルドに向かって優雅に一礼して見せる。
そんなヴィルヘルムのことを、ルーシェはじっと、睨んでいる。
(絶対に、その正体を暴いてやります! )
エドゥアルドがあまりにもあっさりコンラートに言いくるめられてしまったことがルーシェには意外で、ショックでもあったが、それはエドゥアルドの純粋さ、真面目さのあらわれでもある。
ルーシェは、そんなエドゥアルドのために、少しでも役に立とうと決意していた。




