第83話:「模擬戦闘:6」
第83話:「模擬戦闘:6」
「殿下! 自分の剣を使ってください! 」
その時、地面に膝をついたままのミヒャエルが、額に冷や汗を浮かべながらエドゥアルドに向かって叫んだ。
エドゥアルドは、ミヒャエルの視線が、彼の腰にあるサーベルへと向けられていることに気づくと、なにも考えずにその柄に飛びついていた。
そのサーベルは、士官が指揮棒代わりに使い、時には自衛に用いるために装備しているものだった。
今日は演習で、ミヒャエルは木製の剣で指揮を取っていたから、抜かれることなくそのまま彼の腰にあったものだ。
エドゥアルドがミヒャエルのサーベルを手にし、引き抜くのと、その様子を見て舌打ちをした暗殺者が急いで踏み込んでくるのは、ほとんど同時だった。
エドゥアルドはミヒャエルのサーベルを手にしたことで武器を得ていたが、その体勢は暗殺者を迎えうつのに万全ではなかった。
サーベルを手に取るためにかがんだエドゥアルドはまだ立ちあがって体勢を整える途中で、それに対し、暗殺者は十分に体勢が整った状態で斬りかかって来た。
だが、エドゥアルドは右手でサーベルを振るうと、暗殺者が突き入れてきたナイフの切っ先を正確にサーベルでとらえ、ナイフの側面を叩いて打ち払う。
サーベルは、エドゥアルドが普段から鍛錬してきた、使い慣れた武器だった。
その柄はエドゥアルドの手に良くなじみ、まるで、剣先までエドゥアルドの神経が通っているように、身体の一部であるかのように使いこなすことができる。
暗殺者は、驚いたような顔をして飛び退った。
使い慣れない銃剣で戦っていた時のエドゥアルドの動きは未熟なもので、リーチの短いナイフでも圧倒できていた。
暗殺者はエドゥアルドの武芸の腕を低く見ており、サーベルを手にした途端、達人のような剣さばきを見せるとは想像もしていなかったのだ。
エドゥアルドは体勢を整えると、反撃に転じた。
鋭く風を切りながらサーベルを振るい、その切っ先で暗殺者を攻め立てる。
形勢は、逆転していた。
暗殺者はナイフでエドゥアルドの攻撃を受け止め、いなし、時には反撃を試みようとしたが、使い慣れている上にナイフよりもリーチが長く、暗殺者の間合いの外から攻撃を加えることのできるサーベルを手にしたエドゥアルドの方が優位に立っていた。
エドゥアルドの暗殺は、すでに失敗していた。
エドゥアルドが自身の力で身を守るのに十分な武器を手にし、形勢を逆転しただけではなく、エドゥアルドと切り結んでいる暗殺者の周囲を、事態に気づいた他の兵士たちが取り囲み始めていたからだ。
時間切れだった。
エドゥアルドは周囲に兵士たちが集まり、緊張した険しい表情で戦いの成り行きを注視していることに気がつくと、そこでようやく、暗殺者への攻撃をやめた。
逃げ場を失い、エドゥアルドにナイフを突き立てられる可能性も失った暗殺者は数歩距離をとって、顔に冷や汗を浮かべながらエドゥアルドと対峙する。
「投降しろ」
そんな暗殺者に、エドゥアルドはサーベルの切っ先を突きつけながら、命じる。
「もはや、貴様に勝ち目はない。大人しく武器を捨てて、投降すれば命は助ける。……もちろん、貴様に僕の命を狙うようにけしかけたのがどこの誰で、この陰謀がどこまで広まっているのか、洗いざらいしゃべってもらうことにはなるが」
荒くなった息を整えながらの言葉だったが、エドゥアルドの言葉には力がこもっていた。
ミヒャエルの献身がなければどうなっていたかはわからなかったが、ミヒャエルからサーベルを受け取ったエドゥアルドは自分自身の力で暗殺者を追い詰めたのだ。
「かまえ! 奴を決して逃がすな! 」
無言のまま、険しい表情でエドゥアルドが突きつけている切っ先を睨みつけていた暗殺者の背後で、アーベル中尉が暗殺者を取り囲むために集まって来た兵士たちに武器を向けるように命じる。
兵士たちは、木製の銃剣ではあったがその切っ先を一斉に暗殺者へと向け、隙間なく周囲を取り囲んで、じわじわと包囲網を狭め始めた。
もはや、暗殺者には、エドゥアルドを害することはもちろん、この場から逃げ出すことも不可能だった。
「ノルトハーフェン公爵が命じる。……投降しろ」
エドゥアルドは重ねて、暗殺者にそう命じる。
エドゥアルドの脳裏には、以前、狩りはじめの儀式の最中に自身の命を狙った、銃器職人の最期の光景がよぎっていた。
公国で密かに進んでいる陰謀の全容を解き明かし、エドゥアルドが危機を脱して公爵としての実権を取り戻すために是が非でも捕らえたかった銃器職人は、エドゥアルドの目の前で[始末]された。
それも、狡猾な簒奪者自身の手によって、だ。
今度も、同じようにせっかくの手がかりが失われては、たまらない。
エドゥアルドは周囲を見渡し、怪しい動きをしている者がいないかどうかを警戒したが、一見すると怪しい動きを見せている者は誰もいなかった。
心配するべきは、暗殺者が、彼自身の手で、自分自身に[始末]をつけようとすることだけだった。
エドゥアルドは、大柄な兵士との格闘戦を制し、ようやく近くにまで駆けつけてきたシャルロッテに軽く目配せをし、暗殺者が不審な動きを見せたらすぐにそれを阻止するように命じる。
言葉はともなわなかったが、シャルロッテはエドゥアルドのその命令を承知したのか、小さくうなずいた。
「へっ……。へへっ! へへへへへっ……っ! 」
エドゥアルドたちの様子を、顔に冷や汗を浮かべながら観察していた暗殺者だったが、突然、笑い始めた。
追い詰められて、気でも狂ったのか。
警戒するように暗殺者を取り囲んでいた兵士たちは怪訝そうにお互いに視線を交わし合い、エドゥアルドもいぶかしむような視線を暗殺者へと向ける。
笑っていた暗殺者が、突然動いたのはその次の瞬間だった。
彼は腰だめにナイフをかまえると、雪と泥の混じった地面を蹴り上げ、雄叫びをあげながらエドゥアルドめがけて突っ込んで来る。
この状況で、エドゥアルドの暗殺をまだあきらめていないのか。
エドゥアルドは、暗殺者との間にあった距離が失われ、その捨て身の刃が自身の身体へと食い込むのを防ぐために、咄嗟にサーベルを振るう他はなかった。




