第82話:「模擬戦闘:5」
第82話:「模擬戦闘:5」
エドゥアルドは、一方的に攻め立てられていた。
刃を持たない木製の銃剣では、どうしても防戦一方になってしまう。
木製の銃剣にも、まったく殺傷力がないわけではない。
全力で相手へ向かって踏み込み、自身の渾身の力と体重を乗せて相手に向かって突き入れれば、かなりの苦痛を与え、いくらかのダメージを与えることもできるし、当たり所が悪ければ相手に重傷を与えることさえできる。
だが、実際にそれを行うことは難しかった。
刃がついていない以上、暗殺者はエドゥアルドの突き入れる銃剣を素手でつかんで封じてしまうことができる。
もしそうなれば、エドゥアルドは身動きを封じられるか、銃剣を捨てて、丸腰で暗殺者と対峙しなければならなくなるからだ。
だから、エドゥアルドは受け身にならざるを得なかった。
エドゥアルドの銃剣をつかもうとする暗殺者の手をうまくかわしながら、いつ、ナイフで斬りかかって来られてもそれを打ち払えるように、細心の注意を払わなければならない。
自分が、圧倒的に有利な立場にある。
暗殺者はそのことを自覚し、エドゥアルドを値踏みするような視線で見すえ、不敵な笑みを浮かべている。
「シエアッ!! 」
そして、暗殺者はそう奇声を発すると、エドゥアルドをもてあそぶようにナイフトリックを交えながら、連続してエドゥアルドに猛攻を加えた。
暗殺者が見せるナイフトリックは、自身の技量を誇示するためだけではなかった。
ナイフの行方に注意しなければならないエドゥアルドの視線を上下左右に振り回し、その意識を散らして、隙を作りだそうという意図も含まれている。
実際、エドゥアルドは、暗殺者の作戦に陥った。
ナイフの行方を追うために上下左右に視線を激しく動かしていたエドゥアルドの注意はナイフにだけ振り向けられ、自身の手にしている銃剣や、自分自身の身体の姿勢からは遠ざかった。
その瞬間、暗殺者は突然、ナイフを持っていない方の手でエドゥアルドの銃剣をつかむと、思い切り自身の方へと引きよせた。
「っ!! 」
暗殺者のナイフの動きに集中していたエドゥアルドは、あっさりと銃剣をつかまれた上に、暗殺者に引きよせられる力に逆らえず、前のめりに姿勢を崩す。
そして、その眼前には、暗殺者がかまえたナイフの鋭い切っ先が待ち構えていた。
エドゥアルドは、間一髪、暗殺者のナイフをもろに受けることを回避した。
咄嗟に銃剣を手放し、暗殺者に向かって前のめりに倒れる自身の身体を無理やり右にひねって、地面に倒れこむようにしながら、どうにか自身の身体にナイフの一撃を受けるのを避けることに成功した。
地面に倒れこんだエドゥアルドはそのまま、全身が雪と泥にまみれるのにもかまわずにゴロゴロと転がって、できるだけ暗殺者から距離をとろうとする。
エドゥアルドのかぶっていた三角帽が脱げ、エドゥアルドは頭からブーツの先まで雪と泥で汚れることになった。
エドゥアルドは武器を失い、完全に丸腰となっていた。
そして、エドゥアルドが次に視線をあげ、体勢を立て直すために立ちあがろうとした時には、すでに暗殺者はすぐ近くにまで肉薄してきている。
「ここまでだな! 小僧! 」
暗殺者は勝ち誇り、ナイフに切られることを覚悟して唇を引き結んだエドゥアルドに向かって、その凶刃を振り下ろした。
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暗殺者が振り下ろしたナイフは、しかし、エドゥアルドを切り裂くことはなかった。
エドゥアルドの目の前に、別の誰かが立ちはだかり、身をていして暗殺者のナイフを受け、エドゥアルドを守ったからだ。
エドゥアルドは最初、その人物が、シャルロッテであると思った。
だが、すぐにそうではないと気づく。
目の前で自分をかばってくれたその人物の髪がシャルロッテの髪の色ではなく、金髪だったからだ。
それは、エドゥアルドを警護するべく派遣されて来た歩兵中隊の若手の士官、ミヒャエル少尉だった。
ミヒャエル少尉は、ただエドゥアルドと暗殺者の間に割って入ったわけではなかった。
エドゥアルドを暗殺者の凶刃から守り、そして、自身の命を守るために、利き手ではない方の左腕の外側を暗殺者の方に向けながら、盾のようにしていた。
暗殺者のナイフは、ミヒャエルの左腕を深く切り裂いた。
冬用の厚手の軍服がいともたやすく切断され、鋭く研がれたナイフはミヒャエルの皮膚を、肉を切り裂き、骨にまで達する傷を負わせる。
ミヒャエルはその痛みにうめき、顔をしかめつつ、その場に膝をついた。
暗殺者の渾身の力での斬撃を受けたことと、切られた痛みで立ち続けていることができなかったようだ。
しかし、暗殺者はミヒャエルに追撃を加えるようなことはしなかった。
彼の目標はあくまでエドゥアルドであり、手傷を負って膝をついたミヒャエルになどかまっていられないからだ。
暗殺者にとって、これは、またとない絶好のチャンスだった。
模擬戦闘の乱戦の中で、エドゥアルドは丸腰で、丸腰のエドゥアルドを守る者は少ない。
いや、一度はミヒャエルに邪魔されたものの、エドゥアルドを守る者は誰もいないという状況が再び出来上がっている。
エドゥアルドの首に、簒奪者たちがいったいいくらの金を積んでいるのかはわからないし、知りたくもなかった。
だが、一生遊んで暮らせる程度の金額はあるはずだ。
暗殺者は飛び退って体勢を立て直し、膝をついたミヒャエルの横をすり抜けてエドゥアルドへと攻撃するべく、素早く側面へと回り込む。
エドゥアルドはすでに体勢を立て直していたが、やはり、丸腰であることには変わりがなかった。
地面に放り出されたままのエドゥアルドの銃剣までは距離があって、とても暗殺者が斬りかかってくるまでに手は届かない。
エドゥアルドはまだ、この危機を脱したわけではなかった。




