第80話:「模擬戦闘:3」
第80話:「模擬戦闘:3」
ミヒャエル隊の兵士と、アーベル隊の兵士たちは、硝煙の中で衝突した。
といっても、模擬戦で、銃剣も木製であるとはいえ、全力で突き刺したら大けがをさせてしまうことになるので、お互いに手加減はしている。
エドゥアルドの前にあらわれたのは、背の高い、30代ほどに見える口ひげを持った男性兵士だった。
その男性兵士は、相手がエドゥアルド公爵であると気づいて躊躇したが、エドゥアルドは迷うことなく、声をあげながら銃剣で突きかかった。
白兵戦の勝敗は、自己申告制だ。
どちらかの身体に銃剣の切っ先が命中すれば、突かれた側はやられたことになる。
銃剣で狙うのは主に相手の急所、首や心臓の辺りだったが、多くは胴体に向かって攻撃することが多かった。
首は太い血管や気道などが集中していてもっとも確実に相手を倒すことのできる急所ではあったが、的が小さく、正確にそこを突き刺すのには相当な技量が必要となる。
戦っている最中は、相手の攻撃から自分の身を守る必要もあり、必然的に、もっとも攻撃を命中させやすい胴体を狙うことが多くなる。
それに、兵士たちは全員、身体に銃剣を受けるためになめした皮を身に着けている。
これは、木製の銃剣であっても強く突いたり切りつけたりすると怪我をする恐れがあるために、兵士たちが事前に身に着けていたものだ。
こういった事情もあって、兵士たちは互いに、相手の胴体を狙って銃剣で戦った。
銃剣を取りつけたマスケット銃を使用しての白兵戦には、銃剣術と呼ばれる、剣術や槍術とも異なる独特の戦技が用いられる。
相手の急所を突く、切るのはもちろん、相手の銃剣をいなしたり、攻撃を防いだり、銃のストックを棍棒の様に用いたり、様々な場面を想定した動き方を兵士たちは訓練で身に着けている。
エドゥアルドは剣術の鍛錬はよく積んでいたが、銃剣術はさほど得意ではなかった。
貴族であるエドゥアルドが、マスケット銃を使用して兵卒として戦うという状況は起きようがなく、エドゥアルドは日頃から自身が携帯することの多い剣で自分の身を守る鍛錬を熱心に行ってきている。
だから、エドゥアルドを攻撃することを躊躇い、防御に徹した相手の兵士は、エドゥアルドの攻撃をまったくよせつけなかった。
ペーターの部下たちは、よく訓練を積んでいるようだ。
(だが、1人くらいは! )
エドゥアルドは、そんな兵士にがむしゃらに向かって行く。
装填で手間取って足を引っ張った分を、ここで少しでも取り戻したかった。
だが、相手にエドゥアルドを攻撃することへの躊躇いがあるとはいえ、普段から銃剣術を鍛錬してきた兵士と、エドゥアルドには明らかに差があった。
エドゥアルドの武器が、普段から使い慣れた剣、あるいはサーベルであったら、エドゥアルドも十分に戦えただろうが、使い慣れない武器ではやはり満足な戦いはできない。
このままでは、模擬戦が終わるまで決着がつかない。
エドゥアルドがそう思い始めた時、突然、目の前にミヒャエル隊の別の兵士が割り込んできた。
その兵士は、他の兵士たちと比べてやや細身で、エドゥアルドよりもさらに身長が低い。
(こんな兵士、いたか? )
エドゥアルドがそういぶかしんでいる間に、その、割り込んできた小柄な兵士は、エドゥアルドと戦っていた兵士に向かって行く。
かけ声もなにもない、静かな攻撃だった。
だが、その小柄な兵士がくり出す突きはエドゥアルドのものとは比べ物にならないほどに速くて鋭く、そして、その体さばきも、戦い慣れているもののそれだった。
兵士は、小柄な兵士からの突きをどうにかいなしたが、その突きの鋭さに態勢を崩してよろめいた。
小柄な兵士はその隙を見逃さず、素早く横に回り込むように動いて、横合いから兵士の胴体をトン、と軽く小突く。
一瞬で、勝負あり、だった。
エドゥアルドは、小柄な兵士のことを憮然としながら見つめた。
助太刀などなくても勝てた、などとはとても言えなかったが、なんだか自分のことをかばいだてされているようで、[一兵卒として]戦い、兵士たちの気持ちを知りたかったエドゥアルドにとっては[余計なお世話]だった。
だが、エドゥアルドはあることに気がつき、怪訝そうな顔をする。
なんだか、その小柄な兵士の姿には、見覚えがある気がしたのだ。
「お前……、シャルロッテ、か……? 」
エドゥアルドが自身の近くで、エドゥアルドを守るようにひかえている小柄な兵士に向かってその確認すると、小柄な兵士、シャルロッテはチラリと、その左右で色の違う瞳でエドゥアルドの方を見て、エドゥアルドの問いかけを肯定した。
エドゥアルドは、憤りを覚えるような、嬉しいような、そんな気持ちだった。
シャルロッテはおそらく、今日の演習の最初からずっと、エドゥアルドを密かに警護するために兵士に変装して、ずっとエドゥアルドに危険が及ばないかを見張っていたのに違いないと、エドゥアルドにはわかった。
自分のことを心配して、シャルロッテはこんなことをしているのだろう。
その気持ちが嬉しくはあったが、エドゥアルドは過保護だとも思ってしまう。
「申し訳ありません、殿下。……しかし、この状況、殿下に害意を持つ者にとっては絶好の機会でありますので」
シャルロッテは複雑そうに自分を見つめるエドゥアルドの視線に気づき、エドゥアルドにそう言って謝罪する。
その言葉を聞くと、エドゥアルドは小さくため息をついた。
「いや。……悪かった。考えてみれば、僕の方こそ、軽率だったかもしれない」
エドゥアルドは少しも気づかなかったが、確かに、シャルロッテの言うとおりだった。
行軍訓練に続き、この、演習。
射撃戦から、白兵戦に。
その過程と、今、この乱戦状態はまさに、エドゥアルドを狙う者たちにとっては絶好の機会となるはずだった。
ルーシェの頑張りに触発されて、自分もなにかしなければとエドゥアルドは思った。
そして、そのために、目の前にある危険に気づかなかった。
今、エドゥアルドと共に演習を行っている兵士たちの中には、おそらくは確実に、エドゥアルドを亡き者とし、その公爵位を簒奪しようと目論んでいる、エーアリヒの息のかかった者たちがいるはずなのだ。
エドゥアルドの強い意向で急に始まってしまったことだったから、シャルロッテも正面から「それはいけません」と言い出すタイミングを失ってしまったのだろう。
それに、エドゥアルドの、兵卒のことを知りたいという気持ちを尊重したいとも思ったはずだ。
だからこうやって、男装して、密かにエドゥアルドのことを守っていたのだ。
「シャーリー。苦労をかけるが、僕の背中は任せるぞ」
「……かしこまりました、公爵殿下」
エドゥアルドの言葉に、シャルロッテは淡々とうなずく。
そして2人は、互いに背中合わせになりながら、目の前にあらわれたアーベル隊の兵士たちに向かって銃剣をかまえた。




