第77話:「サンドイッチ」
第77話:「サンドイッチ」
行軍訓練を終えた部隊がシュペルリング・ヴィラの近くにまで帰ってきて、臨時の演習場として借りている農地で休息に入ったのは、正午になる少し前のことだった。
朝早く、部隊がシュペルリング・ヴィラを出発するころは、外にいるだけで凍えてくるくらいに寒かったが、日が高く上った今の寒さはだいぶ和らいでいる。
よく晴れた空から太陽の日差しがしっかりと届き、気温も上がってきているうえに、何時間も歩き続けて身体も暖まっているのだから、兵士たちも今はほとんど寒さを感じていない様子だった。
兵士たちはそれぞれの小隊で集まり、小銃を傘の骨のような形に立てて重ね、それぞれが背負って来た背嚢を雪の上に置いて簡易的なイスとして休息していた。
背嚢は防水性のある素材で作られており、中には兵士たちの替えの衣服や戦闘では直接必要にならない生活用品、テントの材料や毛布などが詰め込まれていてけっこうぎっしりしているので、こういう時に自身の尻をぬらさずに座るためにイス代わりに使うにはちょうど良かった。
装備を背負って行軍するのはなかなか体力を使うことだったが、兵士たちの訓練はこれで終わりではない。
休憩が終われば、兵士たちは再び隊列を組み、2手にわかれて、今度は敵と交戦することを想定した模擬戦闘に臨まなければならない。
ペーターの指示で、この休憩時間に兵士たちには昼食をとるように、という命令が下されていた。
もともとこの休憩時間はそのために予定されていたもので、兵士たちはそれぞれの昼食を準備するために調理器具を取り出し、火を起こして、雪のきれいな部分を集めるなどしてお湯を沸かし始めている。
兵士たちには、この訓練のために携行糧食としてクラッカーやチーズ、ベーコンブロック、ドライフルーツなどが配られている。
これを、ナイフなどで切り分けながら食べるのだが、それだけだと喉が渇くし、行軍訓練のおかげで身体が暖まっているとはいえじっと休んでいるとすぐに寒さが忍び寄ってくるため、暖かいお茶でも飲まなければいられないのだ。
ルーシェとマーリアを乗せ、ゲオルクが操縦する荷馬車が到着したのは、そろそろお湯が沸いてきて、兵士たちが食事を始めようかと背嚢の中から食料を取り出し始めていた時だった。
シュペルリング・ヴィラからエドゥアルドの使用人たちがやって来ることを聞かされていなかった兵士たちは、いったい何事かと戸惑うような視線をルーシェたちへと送ったが、ルーシェたちはまったくそれを意に介さずに停車した馬車から降りると、手に大きなカゴを持って兵士たちの集団へと近づいていく。
最初は怪訝そうにしていた兵士たちだったが、ルーシェたちがカゴの中身が何であるのかを伝えると、一斉に嬉しそうな歓声をあげた。
ルーシェたちが兵士たちのために、昼食としてサンドイッチを持ってきてくれたからだった。
兵士たちにはすでに携行糧食がきちんと、十分な量が支給されていたが、口の中がパサパサになる保存食よりも、今朝焼いたばかりで柔らかく風味も豊かな食感のパンで作られたサンドイッチの方がやはり魅力的だった。
そしてなにより、[公爵家からの差し入れ]が美味であるということを、兵士たちはすでに知っている。
ルーシェたちが夜食として差し入れるアイントプフの味は兵士たちの間で評判が高く、自然と、サンドイッチの味にも兵士たちは期待を抱いてしまうようだった。
実際、サンドイッチの味は、兵士たちの期待を裏切らなかった。
ルーシェたちが、エドゥアルドたちが行軍している間に作ったサンドイッチは、具をパンで挟んだだけの簡単な料理ではあったが[公爵家の差し入れ]に兵士たちが期待するだけの美味しさを備えており、兵士たちはサンドイッチをルーシェたちから受け取るなり、待ちきれないとばかりにかじりつき、いつの間にか行列ができてしまっているほどだった。
ルーシェたちは、集まって来る兵士たちににこにこと笑顔でサンドイッチを配っていく。
100人以上もの人間のために差し入れをするためには、事前にしっかりと準備をして、かなり大変だったはずだが、ルーシェたちはそんな苦労を少しも感じさせなかった。
だが、エドゥアルドは、少し不機嫌だった。
(これでは、[一兵卒]のことを学べないじゃないか)
ルーシェたちが自分に内緒でこの差し入れを企画し、実行に移したということも少し気に入らなかったし、エドゥアルドがわざわざこの訓練に参加している理由である、一兵卒の動き方や感情を知るという目的のためには、この差し入れは余計なことであるように思えるのだ。
エドゥアルド自身が、普段、兵士たちが食べているものと同じものを食べ、同じ行動をしなければ、兵士たちの[実際]はわからないのではないかと、そう思える。
しかし、そんなエドゥアルドの前にも、ルーシェがにこにことメイドスマイルを見せながらサンドイッチを運んでくる。
「どうぞ、公爵さま! 他のみなさまも! 」
ルーシェにそう言われると、エドゥアルドと同じ小隊に所属する兵士たちは喜んでサンドイッチを受け取り、お茶をいれると嬉しそうに頬張った。
エドゥアルドも、その様子を見て小さくため息をついたものの、素直にサンドイッチをルーシェから受け取る。
自分に黙ってこういう気づかいをしてくれたことが[余計なお世話]に思えはするものの、ルーシェたちは良かれと思ってやっているのだし、そもそも、兵士たちがみな喜んで差し入れのサンドイッチを食べている以上、エドゥアルドだけがそれを突っぱねて携行糧食を食べるわけにもいかない。
なにより、何時間も歩いてきたおかげで、エドゥアルドは腹ペコだった。
とにかく食べ物であればなんでもいい、そんな気持ちなのだ。
「どうでしょうか!? 公爵さまっ! 作るの、ルーシェもお手伝いしたんです! 」
サンドイッチを手に取って口にくわえるエドゥアルドのことを、ルーシェは期待に目を輝かせながら見つめている。
[頑張ったのをほめて欲しい! ]という、真っすぐな視線だった。
(お子様め……)
エドゥアルドはそう内心で呆れつつ、悪い気持ちはしなかった。
ルーシェがこうやってほめてもらいたいと期待しているのは、エドゥアルドに喜んでもらいたいとルーシェが思っているからでもあるのだ。
純粋に好意を向けられて、気分を害するようなひねくれた性格は、エドゥアルドはしていない。
しかし、エドゥアルドはサンドイッチを一口かじり、咀嚼すると、顔をしかめた。
それから、ルーシェのことをジロリ、と睨みつける。
「こっ、公爵、さま……? 」
エドゥアルドに睨まれたルーシェは、笑顔を引きつらせ、(なにか、マズかったのでしょうか!? )と、額に冷や汗を浮かべる。
そんなルーシェに、エドゥアルドは口の中のものをきちんと飲み込んでから、呆れを隠さずに言う。
「ルーシェ。お前、マスタードだけぬったサンドイッチを僕に渡しただろう? 」
「はっ、はわっ!? 」
エドゥアルドにそう言われて、ルーシェは慌てふためき、それから、「申し訳ございませんっ、公爵さまっ! 」と、ツインテールを激しく揺らしながら頭を下げる。
マスタードをぬったパンとバターをぬったパンを使うところ、マスタードをぬったパンだけで具を挟んでしまったようだった。
「まァ、いいさ。……いつもより腹が減っているから、なんでも美味い」
エドゥアルドは別に、ルーシェをしかりつけようとは思わなかった。
なんというか、ルーシェがちょっとしたドジをしでかすことは、エドゥアルドにとってはもう慣れっこなのだ。
今さらわざわざ怒るなんて、ばからしいとも思えるし、ルーシェはわざとやっているわけではないのだから、このくらいのミスはむしろかわいいものだった。
そして、ルーシェの頑張りは、エドゥアルドだけでなく、兵士たちにも認められている様子だった。
「ぅぅぅーっ、わたしったら、また……っ! 」
ルーシェはドジをしてしまった恥ずかしさで赤面してあわあわとしていたが、そんなルーシェの様子を見て、兵士たちはにこにこと笑っている。
(……こいつの、こういうところは、うらやましいかもな……)
マスタード味のサンドイッチを頬張りながら、エドゥアルドは少しだけ、誰とでも打ち解けることのできる、身分による垣根を持たないルーシェのことがうらやましかった。




