第72話:「アイントプフ:3」
第72話:「アイントプフ:3」
兵士たちのための夜食を作ったその日の夜。
普段なら、1日の仕事を終え、私服に着替えて自室で休んでいるはずの時間に、ルーシェは仕事着であるメイド服に着替えていた。
マーリアが完成させておいてくれたアイントプフを、兵士たちのところへと持っていくためだ。
ルーシェは、アイントプフを持ち運べる大きさの鍋に持てる重さだけ移して右手に持ち、兵士たちにそれをふるまうためのカップを入れたかごを左手に持ち、明かりが持てないのでカイにランプをくわえてもらって同行してもらい、シュペルリング・ヴィラの中を巡った。
寒さに震えている兵士たちに暖かいアイントプフを差し入れ、中身がなくなれば厨房にとって返して鍋の中身と新しいカップを用意し、その時間に警備についている兵士たち全員にいきわたるように。
兵士たちの反応は、だいたい、同じだった。
差し入れを持って来たルーシェとカイにまず驚き、次いでルーシェたちが差し入れに来たことを知って喜び、それから、アイントプフを口にしてまた驚く。
アイントプフは、タウゼント帝国ではありふれた料理だった。
だから、その素朴な料理が差し入れであると知った時には、兵士たちは特に感想を持ったりしなかった。
だが、一口、それを口にした時、彼らはみな驚きをあらわにする。
なぜなら、そのアイントプフは、兵士たちが普段口にしているものとは段違いに美味しかったのだ。
マーリアのおかげだった。
マーリアは頼まれてもいないのにアイントプフを美味しくするために彼女の知識と技術をフル活用し、アイントプフを兵士たちが誰も口にしたことのないようなごちそうへと変貌させた。
煮込み具合や塩加減に注意しているだけでなく、マーリアが毎日丁寧に煮出して作っている、様々な具材から取った出汁を使ってあるのだ。
しかも、材料の中には、このノルトハーフェン公国の統治者であり、タウゼント帝国の中でも5本の指に入る大貴族であるエドゥアルドのために用意されていた、特上のソーセージが使われている。
それが、[普通のアイントプフ]と同じであるはずがなかった。
アイントプフの味は、兵士たちの間でたちどころに評判となった。
兵士たちは交代で警備についているのだが、差し入れを始めた翌日の夜間警備についた兵士たちは先に差し入れのアイントプフにありつくことのできた兵士たちからその味の良さを聞いていたようで、どこかソワソワとした様子でルーシェが差し入れを持ってくるのを待っていた。
兵士たちはアイントプフの味をもちろん一番の楽しみとしていたが、同時に、ルーシェとカイが差し入れに[来てくれること]それ自体も楽しみにしている様子だった。
軍隊生活というのは、基本的に男ばかりと関わることになる。
異性と接する機会は稀なことであり、兵士たちはたとえちんちくりんのルーシェとであっても、言葉を交わすのが楽しいらしかった。
恋愛対象というわけではなく、少し年の離れた妹や、姪っ子といった感じの距離感だった。
年配の兵士たちの中には、故郷に残してきている子供のことをルーシェに重ねて、故郷に思いをはせるような者もいた。
それに、ルーシェと共に姿をあらわすカイも、兵士たちには人気であるようだった。
カイは大人しい性格の落ち着いた犬で、しかも、両手がふさがっているルーシェのために口にランプをくわえて道を照らしてくれるという、お利口さんだった。
犬好きな兵士たちは多く、差し入れのアイントプフを楽しんでいる間、アイントプフを配るルーシェの隣でお行儀よく座って待っているカイのことをなでたり、時折ポケットからエサなどを与えたりしていた。
カイは愛想よく兵士たちになでられ、どこで誰に仕込まれたのかお手などの芸をしてみせ、舌で兵士の手をぺろぺろとなめたり、与えられたエサを美味しそうに頬張ったりしていた。
カイがかわいがられているのはルーシェとしても嬉しかったが、少し食べ過ぎで、これから太らないかと心配になって来るほどだ。
アイントプフの差し入れは、ルーシェが期待していたよりもずっと、兵士たちに好評で、ルーシェは嬉しかった。
兵士たちは、ルーシェとカイの前ではその感情を素直にあらわすことが多かった。
それは、幼さを残しているルーシェや、動物のカイに対しては、気安いというのもあるらしかった。
兵士たちはシュペルリング・ヴィラには任務のために来ている。
館の主であり、公国の領主であり、護衛対象であるエドゥアルドにははばかるところが大きかっただろうし、シャルロッテやマーリア、ゲオルクなどに対しては、[大人]に対する態度を見せなければならない。
その点、[子供]であるルーシェや、[動物]であるカイには、リラックスして接することができるようだった。
ルーシェは、自分が子ども扱いされていることに、内心で不満ではあった。
これでも、立派に自立した、自分の力で働いて生きている、1人の人間であるつもりだからだ。
だが、いいこともあった。
兵士たちはルーシェたちに対しては割と簡単に本音を話してくれるのだ。
相手が子供だと思って、油断しているのかもしれない。
ルーシェはその兵士たちの気安さを、最大限に利用するつもりだった。
兵士たちによろこんでもらえるのはルーシェにとって嬉しいことだったし、寒い中任務についている兵士たちのために、という気持ちでこの差し入れを始めている。
しかし、ルーシェにとっての最優先事項はエドゥアルドたちを守ることで、この差し入れは、兵士たちにエドゥアルドのことを良く思ってもらい、裏切りに加担したくなくなってもらうようにしたいという、そういう打算も大きく働いている。
この際、ルーシェは、兵士たちが自分にはあまり警戒せずに話してくれるのを利用して、少しでも陰謀についてのことを、できれば誰が裏切り者なのかまで探り出したかった。
兵士たちへの差し入れのための下ごしらえが加わったおかげで、ルーシェの日々の仕事はさらに増えて、正直に言うと大変だった。
だが、ルーシェは踏ん張って、毎日ジャガイモの皮むきやニンジンやタマネギのカットなどを続け、そして、夜間にシュペルリング・ヴィラを巡っての差し入れを続けた。




