第71話:「アイントプフ:2」
第71話:「アイントプフ:2」
アイントプフは、ノルトハーフェン公国だけでなく、タウゼント帝国の全体でよく食べられているスープだった。
ベーコンやソーセージ、ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、豆類などを入れて煮込んで作る家庭料理で、各家庭にそれぞれの味があると言われている。
ルーシェにとっても、思い出のある料理だ。
母親であるウェンディが、その日手に入ったありあわせの材料でよく作ってくれた、ルーシェにとって母親の数少ない記憶だった。
特別な料理ではない。
レストランや、名のある貴族や富豪の家ではまず出てくることのない、素朴で質素な料理とされている。
兵士たちも日常的に食べているはずのものだった。
だが、夜食として兵士たちに用意するには、ぴったりの料理だと思われた。
大人数分作るためには材料はたくさん必要だったが、基本的に材料を切って煮込むだけなので調理は簡単。
そしてなにより、暖かい。
「それです! シャーリーお姉さま! 」
ルーシェは、瞳を輝かせながら、嬉しそうにぴょん、ぴょん、と飛び跳ねた。
とにかく、やれることが見つかったのだ。
ルーシェにはそれがなによりも嬉しいことだった。
エドゥアルドもシャルロッテも、この、唐突に決まった作戦に反対しなかった。
実際のところ手詰まりであったし、その中でようやくやれそうなことが見つかったということもあるし、なにより、ルーシェの勢いに圧倒されて、深く考える時間がなかったからだった。
ルーシェの行動は素早かった。
エドゥアルドの沈黙を[許可]と受け取ったルーシェは、すぐさまマーリアに相談しに向かった。
マーリアはメイド長であり、本来であればシュペルリング・ヴィラで働く使用人たちを統括する立場にあるはずだったが、あまり働く人間を増やしたくなかったという理由から、料理人として厨房を預かっている。
兵士たちのために夜食を作って差し入れをするためには、誰よりもまず、マーリアの協力が必要不可欠だった。
ルーシェにだって、料理のための材料を準備することくらいはできるし、なんなら煮炊きするくらいはできるのだが、それを美味しく仕上げるのは、からっきしなのだ。
突然、厨房に姿を見せるなり、兵士たちのために夜食を作りたいなどと言いだしたルーシェのことをマーリアは最初驚いたように見ていたが、すぐに夜食づくりを了承してくれた。
それはもちろん、ルーシェの言っていることに納得したからではなく、「エドゥアルドに許可を得ている」というルーシェの説明があったためだった。
それに、ルーシェが自分で材料の準備はすると申し出たから、マーリアにとっての負担はさほど増えはしないというのもある。
アイントプフは切った材料をそのまま煮込むだけの料理で、味つけなどはうまく調整しなければだが、下ごしらえさえできていれば調理は簡単なのだ。
ルーシェは、はりきっていた。
自分にもできることがある、役に立てるのだということが、嬉しいのだ。
だから、アイントプフを兵士たちの夜食として差し入れることも、今日から始めるつもりだった。
ルーシェはマーリアの協力をとりつけると、そのまま食糧庫へと向かった。
スラム街でその日暮らしをしていたルーシェにとって、シュペルリング・ヴィラの食糧庫はまさに宝の山のような場所だった。
ひと冬を容易に超すことができるだけのたくさんの材料が、しかも種類豊富に積み上げられている。
それだけの食べ物があるというだけでもう、ルーシェは心強く、幸せな気分になってくる。
ルーシェは、山積みにされた材料の中から、ジャガイモやニンジン、タマネギなど、アイントプフには欠かせない基本的な材料を見つくろって厨房へと運び込んだ。
それから、数種類ある豆類の中からレンズマメを選んで、厨房へと運び込んだ。
後は肉類が欲しいところだったが、ルーシェはそれを選ぶ前に、再びエドゥアルドのところに戻らなければならなかった。
食糧庫にあるハムやベーコン、ソーセージなどは、ルーシェたち使用人も食べることはあったが、基本的に館の主であるエドゥアルドのためのものだからだ。
兵士たちに夜食を作るということをエドゥアルドが了承している(とルーシェが思っている)としても、それを使うにはエドゥアルドの許可がいる。
自身の世話を途中で放り出すように厨房へ行ってしまったルーシェが、また勢いよく駆け戻って来たのにエドゥアルドは驚いている様子だったが、ルーシェは躊躇なく彼に食糧庫に蓄えられた公爵用のソーセージの使用許可を求めた。
エドゥアルドは終始戸惑ったままで、ルーシェの勢いに気圧されている様子だったが、それでもルーシェに許可を出してくれた。
兵士たちに差し入れるアイントプフは、タウゼント帝国になじみ深いありふれた料理だったが、しかし、特別なものでなくてはならなかった。
兵士たちが、その差し入れが公爵からの心づくしのものだと理解できなくてはならないのだ。
またまた、大急ぎで厨房にとって返したルーシェは、マーリアに頼み込んで一番上等なソーセージを教えてもらい、それをアイントプフの具材に加えた。
シュペルリング・ヴィラの夜間の警備に当たる兵士たちの数は、30名ほど。
その全員に差し入れることのできる量となると、比較的簡単なスープであるアイントプフでも、かなり手間だ。
加えて、ルーシェが日頃行っている仕事がなくなるわけではない。
それらもいつも通りすべてこなしたうえで、ルーシェは兵士たちへの差し入れを作らなければならなかった。
ルーシェは、黙々とジャガイモの皮をむき、ニンジンやタマネギの下ごしらえをし、食べやすい大きさに切って大鍋の中に放り込んでいった。
そしてそこに、マーリアに教えてもらった一番上等なソーセージを、少しもったいないかなという気持ちを抑えつつ、惜しみなく投入する。
後は煮込んで、味を調えるだけだったが、それはマーリアがやってくれる。
ルーシェは、アイントプフの出来栄えと、それを差し入れられて喜んでくれる兵士たちの顔を思い浮かべて期待しながら、慌ただしく自分のいつもの仕事に戻って行った。




