第70話:「アイントプフ:1」
第70話:「アイントプフ:1」
エーアリヒに命じられて、エドゥアルドに対する包囲網を形成している兵士たちを、エドゥアルドの味方に変えることができないか。
翌日の昼食の席で、「さっきからもじもじとしているが、なにか言いたいことがあるのか? 」とエドゥアルドから問いかけられ、昨夜思い浮かんだアイデアを口にしたルーシェに、エドゥアルドもシャルロッテも呆れたような表情を向けた。
そんなことができれば、なにも苦労はない。
そう言いたそうな顔だった。
「ルーシェ。そんなことができるなら、僕はとっくにエーアリヒを捕らえているはずだ」
実際、エドゥアルドは表情に出すだけでなく、言葉でも呆れたようにそう言った。
そんなことは、ルーシェにだってわかっている。
だが、他にいい方法など思いつかなかったし、それができなければ、ルーシェは自分たちの居場所を失ってしまうことになる。
それに、兵士たちだって、ちゃんとエドゥアルドのことを知れば、裏切ろうなどとは思わなくなるはずだと、ルーシェは思う。
エドゥアルドは以前、ルーシェに約束してくれたことがある。
スラム街で暮らしているような貧しい人々も救うことができる、そういう国を作りたいと。
それは、青臭い理想論だと、一刀両断に斬り捨ててしまえるような、そんな約束に過ぎない。
だが、現実はそううまくはいかないと理解しつつも、そうなればいいのになと、ルーシェは思う。
もう、スラム街で自分のように辛い暮らしをする人に増えて欲しくないのだ。
「兵隊さんたちが裏切ったりするのは、それはきっと、公爵さまのことをよく知らないからなんです!
公爵さまは立派なお方です! ルーたちを助けてくださいましたし、わたしたちみたいな平民のことまで気にかけてくださいました!
兵隊さんたちも公爵さまのことをよく知れば、きっと、裏切ろうなんて思わなくなるはずです! 」
身振りを交えながら力説するルーシェに、シャルロッテは小さくため息をつき、たしなめるように言う。
「ルーシェ。気持ちはよくわかりましたが、しかし、兵士たちに公爵殿下のことをよく知ってもらうには、なにをすればよいのか、考えはあるのですか? 」
「そ、それは……」
ルーシェは言い淀み、思わず目を伏せて押し黙る。
それが、問題なのだ。
兵士たちにエドゥアルドの人柄を知ってもらうために、なにをすればいいのか。
ルーシェにとって大切な居場所を奪わないで欲しいという願いを知ってもらうためには、どうすればいいのか。
エドゥアルドもシャルロッテも、ルーシェのことを、呆れつつも、優しそうな視線で眺めている。
ルーシェの言っていることは未熟で、なんの成算もないことだったが、それでも、ルーシェが一生懸命に考えてくれていることを嬉しく思っている様子だった。
役に立ちたい。
ルーシェは、2人の視線を肌で感じながら、強くそう願い、両手をぎゅっと握りしめる。
その瞬間、ルーシェの脳裏には、昨夜、雪のちらつく中で寒そうに任務についている兵士たちの姿が思い浮かんでいた。
寒さの中で震える辛さは、ルーシェはよく知っている。
だが、同時に、その寒さの中で触れるふとした暖かさの嬉しさ、心地よさも知っている。
カイに、オスカー。
ルーシェにその暖かさを教えてくれた2匹は、今もルーシェにとって大切な家族だった。
「とにかく、これは、お前みたいなメイドが考えるようなことじゃない」
黙ったまま考え込んでいるルーシェを眺めながら、食後のコーヒーを飲んでいたエドゥアルドが、カップをソーサーの上に戻しながらそう言う。
ルーシェは顔をあげないまま、思わず、ムッとしていた。
ルーシェは自分のことを高く評価したことなどなかったが、エドゥアルドのこういう言い方はいつも、気に入らない。
お前なんかに、なにができる。
そんなふうに言われているように思えるのだ。
それは、ルーシェには、なんの知恵も力もない。
スラム育ちで読み書きや計算もまともにはできないし、身体も華奢で、エドゥアルドを敵から守るのにはなんの役にも立たないだろう。
だが、ルーシェはエドゥアルドたちの役に立ちたいのだ。
自分と、大切な家族の居場所を守り、エドゥアルドたちから受けた恩を返したいと思う。
それなのに、エドゥアルドは、「お前なんかどうせ役立たずなんだから、なにもしなくてもいい」などと言う。
ルーシェは顔をあげると、カッ、と双眸を見開いてエドゥアルドのことを睨みつけた。
そして、ツカツカと、ブーツを鳴らしながらエドゥアルドの目の前まで接近し、バン、と両手でテーブルを叩く。
その突然の行動に、エドゥアルドは驚き、若干身を引いている。
シャルロッテも、ルーシェのその行動に呆気にとられ、ルーシェをしかることも忘れてきょとんとしている。
「兵隊さんたちに、差し入れをしましょう! 」
エドゥアルドを真っ直ぐに見つめながら、ルーシェは気合の入った声でそう言った。
「兵隊さんたちは、夜の寒い時でも、頑張ってお仕事をしています! そこに、公爵さまからって、なにか、暖かいものを差し入れるんです! お夜食です! そうすれば兵隊さんたちもみんな、公爵さまがいい人だって、わかるはずです! 」
「えっ……ぁっ……ぉう? そ、そううまくいくのか? 」
「わかりません! でも、やってみましょう! なにもやらないよりは、ずっとマシなはずです! 」
ルーシェの、見たこともないような剣幕にたじたじとなっているエドゥアルドに、ルーシェはたたみかけるように、身体を乗り出すようにしながら迫る。
小型犬が必死に吠えかかっているような光景だった。
「えっと……、シャーリー? どんな差し入れが、いいと思う? 」
絶対に、このままでは引き下がらない。
そんな決意のこもったルーシェの視線に気圧されたエドゥアルドは、助けを求めるようにシャルロッテの方を振り返る。
エドゥアルドのそばにひかえていたシャルロッテは、自身もルーシェの剣幕に戸惑いながらも少し考え、それからこう答えた。
「アイントプフなら、どうにか作れるかと……」




