第66話:「包囲網:1」
第66話:「包囲網:1」
摂政、エーアリヒの差し金で、シュペルリング・ヴィラにはエドゥアルドを警護するためという名目で、大勢の兵士たちが派遣されてくることになった。
それは、エーアリヒが作り出した包囲網で、エドゥアルドは自身が窮地に追い込まれることを承知していながらも、それを受け入れざるを得なかった。
エーアリヒが陰謀を企んでいると知っているエドゥアルドたちからすれば、送られてくる兵士たちがエドゥアルドを監視するためのものであることはわかりきったことだ。
だが、陰謀の存在を知らない人々から見れば、エーアリヒは摂政として、この国の統治を代行する者としての責務を果たしているだけに過ぎないのだ。
エドゥアルドの命は、狙われている。
狩りはじめの儀式の際にその光景は多くの人々に目撃されており、エドゥアルドの暗殺を目論んだ刺客がその場で裁きを受ける姿も、見られている。
そして、刺客が死んでしまった以上、エドゥアルド暗殺の陰謀の背景にどんな人々がいるのかは、誰もわからない。
人々からすると、エーアリヒがエドゥアルドの身辺の警護を強化することは当然の措置であるとしか思えなかった。
もしそんな[当たり前]のことをエドゥアルドが拒否するとしたら、人々は想像を膨らませ、あれこれとありもしない空想を思い描き、それら事実無根の妄想が[真実]として人々の間でささやかれることになるだろう。
公国におけるエーアリヒの評判は、かなり良い。
その行政手腕は優秀と言って良く、エーアリヒの統治は順調に進められていたし、人々もそのことに満足している。
エドゥアルドがそのエーアリヒの申し出を無下に断るとすれば、それは[エドゥアルドのわがまま]と受け取られかねない。
それでは、ただでさえ薄弱なエドゥアルドの立場がさらに弱まってしまう。
だから、エドゥアルドはエーアリヒの要求を飲む他はなかった。
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エーアリヒが送り込んできた警護の兵士たちが姿をあらわしたのは、エドゥアルドが警護の兵士をシュペルリング・ヴィラに受け入れることに承諾した、その翌日のことだった。
すでに、エーアリヒの根回しは済んでいたのだろう。
警護の兵士たちは行軍縦隊を組み、マスケット銃を手に、背嚢を背負って、ドラムの音に合わせて軍靴を鳴らしながら、隊旗を先頭にかかげてシュペルリング・ヴィラへと続く街道を行進してきて、昼前に館へと到着した。
シュペルリング・ヴィラに到着した兵士たちは近くに野営地とできる場所を確保すると、様々な物資を満載して隊列の後に続いて来た馬車から荷物をおろし、いくつもの大きなテントを張り始める。
どうやら、じっくり腰をすえて、当面の間その場所に駐留するつもりである様子だった。
その中から、2名の士官が作業を離れ、エドゥアルドに挨拶をするためにやって来た。
1人は、恰幅の良い太り気味の男性で、大尉の階級章をつけた中年男性。
いつも酒に酔っているのかと思われるような赤鼻に赤ら顔、貴族が身に着けることの多いいくつものロールが段になって重ねられた重そうな銀髪のカツラを身に着けている。
ペーター・ツー・フレッサーという名で、彼はノルトハーフェン公国に仕える準男爵。
エドゥアルドの警護部隊の隊長だった。
もう1人は、20歳前後に見える、少尉の階級を持つ若い青年士官だった。
まったく悪人には見えない好青年で、帝国貴族らしいとされている金髪をオールバックにし、碧眼を持つ。
ミヒャエル・フォン・オルドナンツはノルトハーフェン公国に仕える準男爵家の出身で、まだ爵位を継承していない、少尉に任官したばかりの若手だった。
野営地の設営作業を残りの士官であり副隊長である中尉に任せてエドゥアルドの前に参上した2人は、かしこまった様子で頭を下げた。
「警護の任務、ご苦労。……これから、よろしく頼む」
公爵はその2人をねぎらうように声をかけたが、その内心は決して穏やかなものではなかっただろう。
自身の立場、命さえも脅かそうとする相手の、その手先が目の前にいるのだ。
2人がエドゥアルドに忠誠など誓っておらず、陰謀に加担しているかどうかは、実際のところは断言することはできない。
もし、エドゥアルドが「お前は裏切り者か? 」などとたずねたとしても「はい」と素直に答える者などいないだろうし、エドゥアルドたちの側でも、2人が裏切っているという具体的な証拠を持っているわけでもない。
2人は、裏切っている、[かもしれない]。
それだけだ。
だが、その可能性があるというだけでも、エドゥアルドたちにとっては警戒する理由となったし、状況証拠だけで言えば完全に[クロ]だ。
疑心暗鬼になるなと言われても、無理な相談だった。
「これより、我が隊の総力をあげまして、公爵殿下のご身辺をお守りいたします」
エドゥアルドたちに疑われているということを知っているのか知らないのか、ペーターはエドゥアルドに向かってひざまずきながら、ただかしこまってそう言っただけだった。
エドゥアルドと、ペーター、ミヒャエルの対面は、それだけですぐに終わった。
シュペルリング・ヴィラの警備を開始するための準備でペーターたちは忙しいはずだったし、エドゥアルドの側でも、裏切っているかもしれない相手とのんびり長話をするようなつもりはなかった。
まだ見習いメイドではあるものの、すっかり公爵家に仕えるメイドとして馴染んできたルーシェにとって、兵士たちの出現は、肌で感じられるような危険だった。
今までは公爵家をめぐる内情などほとんど知らず、ただ自分の居場所を確保するために一生懸命になるしかなかったのだが、今は事情もそれなりに知っている。
それに、これはルーシェにとっては[自分の問題]でもあった。
エドゥアルドたちは、ルーシェたちに[居場所]を作ってくれた。
どこの誰ともわからない、スラム街の片隅で消え去っていくはずだったルーシェたちを受け入れてくれたのだ。
ルーシェは、ようやく手にした[居場所]を、なんとしてでも守りたかった。




