第56話:「祝宴:2」
第56話:「祝宴:2」
やがて、日が傾き始めるころに、シュペルリング・ヴィラでの祝宴は始まった。
ルーシェにとって、狩りはじめの儀式の最中になにが起こったのかは気になってしかたのないことではあったが、使用人の人数の少ないシュペルリング・ヴィラでは、そんなことにかまっているような余裕はまったくない。
実際に料理を出したり、客人たちの相手をしたりするのはシャルロッテとマーリアの役割で、半人前のルーシェは裏方に回っていたが、相変わらず目の回るような忙しさだった。
幸いなのは、今晩、シュペルリング・ヴィラに宿泊する客人はいない、ということだった。
冬の日が傾き始めるころというのは、夕食の時間としては少し早めで、そういう時間に祝宴が始まったのは、来客たちが皆その日の内に自らの家へと帰宅することになっているからだ。
ノルトハーフェン公国はタウゼント帝国の中にある小国で、たくさんの人々が暮らし、その領地は公爵の直轄領だけでなく、何人かの準伯爵、準男爵などによって分割統治をされてはいるが、それほど広いわけでもない。
丸一日もあれば馬車で簡単に端から端まで往復できるほどの大きさでしかない。
それに加えて、シュペルリング・ヴィラから少し離れたところにポリティークシュタットと呼ばれている、公国の首府が置かれている都市があり、貴族たちの多くはそこに自らの館を持っている。
これは、帝国の北の玄関口となり、公国の経済的な中心地ともなっているノルトハーフェンが、公国全体の領地からしても北の外れにあって統治を行うには不便な場所であったことから、数百年前の公爵家が政治的な中心地とするべく意図的に築いた都市だ。
そのポリティークシュタットには、公爵の本来の館であるヴァイスシュネーと呼ばれる城館があり、公国に仕える貴族たちはみな、その城館の下に館を立て、普段は自らの領地ではなくそこで暮らしているのだ。
つまりは、祝宴さえ無事に終われば使用人たちにも休息がおとずれるということだった。
後片づけなどがいろいろと残りはするものの、そんなものは翌日以降にゆっくりと片づければいい。
祝宴は、一見すると和やかな雰囲気で、順調に進んでいた。
参加した客人たちはみな、マーリアの料理に舌鼓を打ち、出される酒の種類や味にも満足している様子だった。
だが、ちらり、ちらりと見える祝宴の様子からは、なにか、不穏な雰囲気があるようにルーシェには思えてならない。
みな、穏やかに談笑し、会話を楽しんでいるように見えるのに、なにかその表情には影があって、ある特定の話題に言及することを避けているような様子だった。
その話題というのは、今日の狩りはじめの儀式であるようだ。
本当なら、儀式の最中の出来事などについての話が花を咲かせているはずなのに、人々はそれとは関係のないことばかり話し合っている。
おそらく、儀式の最中になにかがあったからだ。
ルーシェはそう察してはいたが、やはり、なにがあったのかはわからない。
だが、なんとなく、[誰が事件にかかわっているのか]は、ルーシェにも想像することができた。
1人は、フェヒター準男爵。
そしてもう1人は、公国の摂政である、エーアリヒ準伯爵だ。
公国では、現在、エドゥアルドの正当な地位である公爵位を狙った簒奪の陰謀が進められている。
その陰謀を進めているのが、確固たる証拠はないものの、この2人であろうということはルーシェもすでに知っている。
今日の祝宴に参加している客人たちの中にも、この陰謀に加担している者がいるのかもしれない。
だが、少なくとも、もっとも注意しなければならないのは、この2人の人物だ。
フェヒター準男爵はエドゥアルドに対する悪意を隠そうともしていない。
今も、談笑している他の貴族たちとは対照的に、なんだか不服そうな顔で出されたワインを飲んでいて、ほとんど会話に加わらず、時折エドゥアルドの方を睨みつけながら、なにごとかを考え込んでいる様子だった。
エドゥアルドの馬車の行く手をごろつきたちと共に遮ったことや、シュペルリング・ヴィラにエーアリヒと共にやって来た時に見せた粗雑で醜悪な態度から、フェヒター準男爵はルーシェの中では[嫌な人間]という烙印がすでに押されている。
エーアリヒは、一見すると穏やかな様子だった。
摂政という立場と、公国の中ではもっとも爵位の高い準伯爵であるということから、エーアリヒはエドゥアルドと同じテーブルについて食事を楽しんでおり、今もその地位と権威にふさわしい品のある態度でワインを楽しんでいる。
だが、そのエーアリヒとテーブルを共にしているエドゥアルドは、少しも面白そうではないのだ。
そして、どうやら2人の間には、ほとんど会話もなく、あっても事務的なこと、公国の統治に関する話題ばかりであるようだった。
ルーシェの初対面でのエーアリヒに対する印象は、そこまで悪くはなかった。
だが、陰謀を企む首魁がいるとしたら、その立場や握っている権力から言って、まず間違いなくエーアリヒがそれだった。
エーアリヒ準伯爵家は、遠い昔にノルトハーフェン公爵家から分かれて作られた分家だ。
長い歴史の中で、公国に仕える貴族たちとノルトハーフェン公爵家の間にはなんらかの形で血縁関係が存在するのが当然なのだが、その由来からエーアリヒ家はもっともそれが濃いと見なされており、もし、エドゥアルドが跡継ぎを残さぬまま倒れたとしたら、公爵位を引き継いでもおかしくはない。
エーアリヒはまだ40代で元気で健康であったし、公爵位を簒奪して、名実ともに公国の支配者となろうという野心を持ち、実行に移そうとしてもおかしくはないことだった。
そのエーアリヒがルーシェの前に姿を見せたのは、ルーシェが使い終わったゴブレットなどをカートにまとめて、厨房の洗い場に持って行こうとしていた時のことだった。
どうやらトイレに用事があるようだったが、道案内を申し出るシャルロッテにエーアリヒは「何度も来たことがあるから」と断りを入れ、エーアリヒはたった1人だけで広間から出てくる。
ルーシェは思わず身を隠し、カートの上に並べたゴブレットの隙間からこっそりとエーアリヒのことを観察した。
広間の扉が閉まり、祝宴の喧騒が聞こえなくなると、エーアリヒは小さく深呼吸をして、息の詰まる祝宴から抜け出したことにほっとしている様子を見せる。
だが、その次の瞬間にエーアリヒが見せた表情に、ルーシェは思わず息を飲んでいた。
それは、エーアリヒの普段の温和な外見からは想像もつかなかった、鋭く、冷酷な表情だったのだ。
もし、真正面からその時のエーアリヒが見せた冷たい視線で睨みつけられていたなら、ルーシェは全身がすくんで、悲鳴もあげられなかっただろう。
その表情は、すぐに見えなくなった。
エーアリヒは広間を出る際にシャルロッテに告げたとおり、用を足すためにトイレへと向かって歩き始めたからだ。
(どうしよう……? 追いかけた方が、いいのかな……? )
ルーシェは、通路の奥へと進んでいくエーアリヒの背中を、見つめながら、迷う。
エーアリヒが見せた一瞬の表情。
あれは、間違いなく、冷酷な策略家の顔だった。
エーアリヒは、よからぬことを企んでいる。
そして、ここはシュペルリング・ヴィラ。
陰謀の対象となっているエドゥアルドが、わずかな使用人と共に暮らしている場所だ。
(なにかあったら、大変かも……)
エーアリヒが1人でシュペルリング・ヴィラの中を動き回っている間に、なにかしかけを残していくのではないか。
そう疑ったルーシェは咄嗟に、エーアリヒの後を追いかけていた。




