第53話:「細工:1」
第53話:「細工:1」
エドゥアルドたちの存在に気がついた雄鹿の群れたちは、バラバラになって逃げていく。
鹿たちが必死に地面を蹴る蹄の音はどんどん小さくなり、辺りは静けさを取り戻していく。
「ヨハン。……どういうことだ? 」
エドゥアルドはやや憮然としながら、いぶかしむようにヨハンにそう言った。
その背後では、来客たちが騒然となっている。
ヨハンのような平民が、強制的にエドゥアルドの行動を制止することなど、貴族と平民という身分制が存在し、それが当然のこととされているタウゼント帝国では、常識的には考えられないようなことだからだ。
公爵の行いを、無理やり遮った。
それだけでも、ヨハンは不敬罪を適用され、重罰を加えられる可能性があった。
それに、エドゥアルドは若干、不愉快だった。
ヨハンが突然自分にこんなことをするのだから、それ相応の理由があったのだろうとは思っていたが、せっかく、狩りを楽しんでいたところを邪魔されてしまったのだ。
狙いをつけていた雄鹿の角は、それは見事なもので、その角を今日の記念に飾ることができなくなったということも、エドゥアルドにとっては残念でならないことだった。
「殿下。その銃を撃っては、危ないのでございます」
エドゥアルドに睨まれたヨハンだったが、彼は恐縮したような表情を見せながらも、はっきりとそう言った。
「危険、だと? 」
エドゥアルドは、思わず眉をひそめた。
いったい、どういうことなのだろうか。
このライフル銃については、事前に分解して調査まで行い、なんの細工もなかったということは、ヨハン自身が確認していることだ。
試験をしても問題なかったし、それに、今日もすでに何発も射撃を行っているが、まったく問題は起こらなかった。
「殿下。ご覧下さいませ」
いぶかしむような表情をしているエドゥアルドに、ヨハンは手の平を差し出して、その上にあるものを見せる。
それは、鉛でできた弾丸とそれを発射するための火薬を、紙で包んでひとまとめにした弾薬を分解したものだった。
ありふれた鉛の塊と黒色火薬だったが、弾の形が少し違う。
普通の球は球形をしているのだが、その弾は、ドングリの形に近いものになっている。
ヨハンは、そのドングリの形に作られた鉛の弾を取り出すと、エドゥアルドに向かってその底部を見せた。
エドゥアルドは、[意味がわからない]と言いたそうな顔をする。
弾の底部にはコルクの塊が埋め込まれているように見え、普通の弾とは違うものであるようだったが、[それがどうした]としか思えなかったのだ。
「殿下。あの銃器職人が用いた弾薬を1発抜き取って確認したのですが、この弾には、細工がされております」
だが、ヨハンには、それは特別な意味を持っていると見えるようだった。
「このコルクで埋められている部分は、くぼみになっております。この弾丸は発射される際に火薬の力を受けると、コルクがくぼみを押し広げ、銃口の中でわずかに弾を膨らませます」
「弾が、膨らむ……? 」
ヨハンの説明を聞いても、エドゥアルドはまだ、ピンと来ない。
そんなエドゥアルドに向かって、ヨハンは言葉少なに、だが険しい表情で言う。
「弾が膨らむと、この弾丸は銃口の中で弾詰まりを起こします。……すなわち、暴発するということです」
「なにを、ばかなことを! 」
その時、大声をあげたのは、エドゥアルドが使っているライフル銃を製作し、そして、装填を行った銃器職人だった。
人々の列に混じってことの成り行きを見守っていた銃器職人だったが、ヨハンの言葉を聞いて、とうとういてもたってもいられなくなったのだろう。
顔を真っ赤にし、顔に緊張で汗を浮かべながら、ヨハンの方を指さして怒鳴る。
「私が作った銃が、暴発するだと!? デタラメもいいところだ! これまでも、公爵殿下が何発撃っても、なんの不具合も起らなかったではないか! 」
だが、ヨハンは少しも顔色を変えることなく、銃器職人を睨むように見返しながら、エドゥアルドから銃を取り上げて銃器職人の方へ差し出すようにする。
「では、あなたご自身の手で、撃ってみてください。……もし、私が申し上げたことが嘘、間違いであったのなら、私はあなたに謝罪し、どのような厳罰でも受けましょう」
「……っ! 」
銃器職人は、ヨハンの言葉に押し黙る。
そして、迷うように、恐れるように、視線を激しく左右に動かし、冷や汗を流し、顔色を赤くしたり、青くしたりする。
銃器職人の動揺ぶりは、明らかなものだった。
ヨハンの落ち着きぶり、確信を持っている様子とは、対照的だ。
やがて、人々は銃器職人に疑惑の視線を向け始める。
これだけ明らかに、怒り以外で動揺しているところを見せつけられては、誰でも疑いたくなるだろう。
その、周囲からの視線に押し出されるように、銃器職人はようやく前へ、エドゥアルドたちの方へと進み出てくる。
そして、疑う視線を向けるエドゥアルドと、静かに睨みつけてくるヨハンの視線を受けながら銃を受け取ると、さらに数歩離れて、両手で銃をかまえた。
エドゥアルドから見て、はっきりとわかるほど、銃器職人の身体は震えている。
素晴らしい性能の銃を生み出す職人であるのだから、銃を撃つことなど日常的なことのはずなのだが、その緊張のしかたはとても普通ではなく、初めて銃に触れる者のようだった。
人々が固唾を飲んでいる前で、銃器職人は、震える指を引き金へとかける。
だが、彼は、撃たなかった。
銃器職人は突然、かまえていた銃を投げ捨てると、一目散に森の中をめがけて走り出す。
「追え! 奴を、逃がすな! 」
エドゥアルドはそう鋭く叫ぶと、自分自身も銃器職人をとらえるため、腰のサーベルの柄に手をかけながら走り出していた。




