第44話:「摂政エーアリヒ:3」
第44話:「摂政エーアリヒ:3」
「どうした? なにを驚くようなことがある? 」
驚いた表情のエーアリヒに、エドゥアルドは不敵な微笑みを浮かべながら言う。
「僕は、来年になれば15歳だ。この国を治める正当な領主として働いてもいい年齢になるはずだ。……そうだとすれば、僕が軍を率いて従軍するのだとしても、なにもおかしなことではないだろう? 」
エドゥアルドは、暗に、[僕に実権を明け渡せ]と言っている。
今、公国の統治は、摂政たるエーアリヒがすべて行っている。
行政も、司法も、軍事も、すべての権限がエーアリヒの手中にある。
あとは、公爵という[名]だけ奪うことができれば、それだけで公国のすべてがエーアリヒの掌中となる。
だが、いずれ行われるかもしれない帝国の軍事行動に、エドゥアルドが自らノルトハーフェン公国軍を率いて従軍したとすれば、その前提条件は失われる。
エドゥアルド自身が自らの手で軍事力を掌握するということにもなるし、また、自ら帝国のために従軍して戦い、仮に戦果を得るようなことがあれば、エドゥアルドの帝国内での地位は盤石なものとなる。
エドゥアルドは自身が手にした軍事力を用いて、エーアリヒが握っている他の実権をも奪い取って、名実ともに公爵としての力を得てしまうかもしれない。
「それは……、危のうございます」
やがて、エーアリヒは熟慮の末、絞りだすように言う。
「アルエット王国の革命軍、これを率いるムナールなる人物、かなり手強い、名将と呼んで差し支えない人物と聞いております。現在の王党派の苦境も、ムナールなる人物の器量によるところが大きいのだとか」
エーアリヒはそこで一度大きく呼吸をすると、声を落ち着かせて続ける。
「もし皇帝陛下が軍を招集なさった際には、どうか、殿下は代理の、しかるべき者をお立てになりますがよろしかろうと」
「その、ムナールなる人物がいかほどの者かは知らぬが……、強き敵と戦って勝ってこそ、皇帝陛下に我が忠誠を示すことができ、公国の先行きも明るくなるのではないか? 」
一時の動揺からは抜け出した様子のエーアリヒに、エドゥアルドはここが攻め時だとばかりに言葉を続ける。
しかし、エーアリヒはゆっくりと首を左右に振ると、エドゥアルドをまっすぐ、鋭い視線で見つめ返しながら、言う。
「いいえ、おやめになるべきかと。……お父上のこともございますれば。もし、公爵殿下に万が一のことがあれば、我が公国の嫡流が途絶えることとなりまする」
その言葉に、エドゥアルドは押し黙った。
貴族にとって、自身の血、そして家を後世に伝えることは、大切な役割であり、生まれながらに背負わされた義務だった。
エドゥアルドは貴族の格式ばったしきたりが好きではなかったし、その受け継いだ血を誇って高慢にふるまう貴族という存在を、嫌ってさえいる。
だが、自分自身を[ノルトハーフェン公爵]、貴族の1人として定義し、そうあろうと志している以上、貴族の[血と家を残す]という義務を無視することもできなかった。
「まだ、出兵すると決まったわけでもございませぬ」
憮然とした表情を見せるエドゥアルドに向かって、エーアリヒは柔和な笑みを見せると、年長者が年少者をさとすような口ぶりで言う。
「殿下にはいましばらく、勉学、鍛錬にはげんでいただき、しかるべくしていただきましてから、我が公国を率いて皇帝陛下の御前に進みまするがよろしかろうと愚考いたす次第でございます」
エドゥアルドは、悔しくてしかたがなかったが、それを口にすることはしなかった。
ましてや、表情に出すこともしない。
そんなことをしてしまえば、エーアリヒに勝ち誇らせるだけだからだ。
「……わかった。今は、ひとまずは摂政殿の言うとおりにするとしよう」
数秒して、エドゥアルドは(今は耐えるしかない)と自分に言い聞かせ、エーアリヒにそう返答する。
惨めな気持ちだったが、エドゥアルドはそんな自分を受け入れなければならない。
そして、決して目を逸らさないと、エドゥアルドは決めている。
「おわかりいただけまして、嬉しゅうございます」
そんなエドゥアルドに向かって、エーアリヒはまた、うやうやしく頭を垂れる。
その慇懃無礼な仕草にエドゥアルドは怒りさえ覚えたが、怒っては相手を喜ばせるだけだと、なんとか自分を押しとどめた。
そして、エドゥアルドはなるべく冷静な口調で、話題をエーアリヒがシュペルリング・ヴィラを訪問した用件へと戻す。
「それで? 狩りはじめの儀は、いつ行うのが良いのだ? 」
「はい。……今月中には、と思いまする」
エーアリヒはエドゥアルドの問いかけにうなずくと、おそらくはエドゥアルドのことを嘲笑っているはずなのにそんなそぶりを少しも見せることなく言う。
「こちらへ参ります前に、近くの猟師たちに森の様子などたずねてまいりましたが、今年はよく肥えた鹿も多く、大いに成果を期待できるそうでございます。また、幸いにして、狼などの野獣も姿を見せておりませぬ。気候も、今月中であれば安定するであろうと申しておりましたから、狩りには絶好の条件が整ってございます」
「そうか。……ならば、なるべく早く行うこととしよう」
エドゥアルドは素直にうなずいた。
エーアリヒにしてやられているのは悔しいことではあったが、狩りはじめの儀は公国に暮らす人々にとって大切なことであり、公爵であるエドゥアルドにとって大切な公務だ。
また、なにを考えているのか、どんなことをしかけてくるのか油断ならないのだとしても、エーアリヒは摂政として、為政者として十分な力量を持っている。
彼の忠誠心や野心について、エドゥアルドは疑っているが、その実務における提言や能力については信用している。
「でしたら、すぐにでも日程を決め、人を集め、用意をさせていただきまする」
エーアリヒはエドゥアルドにうなずいてみせると、かしこまって一礼した。




