第43話:「摂政エーアリヒ:2」
第43話:「摂政エーアリヒ:2」
やがて、エドゥアルドが待っている応接室の扉が4回、ノックされた。
「入れ」
エドゥアルドは身体の前で両手を組み、考えに集中するために閉じていた両目を開くと、短くそう命じる。
本来であればこういったこともすべて使用人が行うべきことだったが、信頼できる数人しか働かせないという方針であるために対応できる人数がいないため、エドゥアルド自身でやらなければならないことも多くなっている。
すぐに扉が静かに開くと、まず、メイド長のマーリアが入って来た。
「摂政、エーアリヒ準伯爵様のお越しです」
マーリアは手慣れた様子で一礼すると、エドゥアルドにそう報告する。
「ああ。入っていただいてくれ。摂政殿が相手だ、なにも遠慮などしてもらう必要はない」
エドゥアルドは貴族社会に必要な[格式]に内心でややウンザリとしながらも、それを表情にも声にも出さずにマーリアにそう指示を出す。
すると、マーリアはすべてを心得ている様子で、エーアリヒを部屋の中へと導きいれ、エドゥアルドの対面に用意されているソファへと案内をした。
「お久しぶりでございますな、殿下。本日は、我が公国の統治状況のご報告と、狩りはじめの儀の日程についてのご相談にまかりこしました」
マーリアに導かれ、エドゥアルドが座っているソファとはテーブルを挟んで反対側にある3人がけの大きなソファの横で一旦立ち止まったエーアリヒは、ソファから立ち上がってエーアリヒを出迎える姿勢を取ったエドゥアルドにそう言いながら一礼した。
(チっ、心にもないことを)
その丁寧な一礼に、エドゥアルドは内心で舌打ちする。
オズヴァルトもそうだったが、[大人]というのはいつも演技がうまく、若いエドゥアルドはいつも不快な気持ちにさせられる。
だが、エドゥアルドは、実権を目の前にいる大人、摂政エーアリヒに握られているとはいえ、それでもこの国の領主、公爵だった。
「よくぞおいでになられた。日々の職務への精励、誠に感謝に耐えないことだ。さ、どうぞ、腰かけられよ」
エドゥアルドはエーアリヒに向かって丁寧にそう答えつつ、腰かけることを勧める。
そして、客であり、年長者でもあるエーアリヒがソファに腰かけるのを確認してから自身もソファに腰かけ直し、居住まいを正してエーアリヒと対面した。
「まずは、お茶にいたしましょうか? それとも、酒にいたしましょうか? 僕はまだ酒にはなじみがないが、良い酒も用意してある」
「ご厚意痛み入りますが、お気づかい無用に願います。ここに来るまでの間に、すでにもてなしていただきましたゆえ」
礼儀としてお茶などを勧めたエドゥアルドに、エーアリヒは柔和な笑みを浮かべつつ、恐縮したような口調で返答する。
それは、誰が見ても遠慮しているだけのように見える仕草だったが、エドゥアルドからすれば、(毒殺でも警戒しているのか? )とも思える。
「そうか。ならば、さっそく用件をうかがおう」
だから、エドゥアルドは無理にエーアリヒにお茶を勧めず、本題に移るようにうながした。
勧めても無駄だろうと、それならさっさと本題に移った方がよいと思ったのだ。
「はい。では、まずは公国の内政状況の方から……」
エーアリヒはうなずくと、エドゥアルドに報告を開始する。
まずは、公国の内政の状況。
統治はうまく実施されており、民衆の間にも不満は少なく、経済的にもうまくいっているということだった。
ノルトハーフェンの港は例年通り帝国の海からの玄関口として多くの貿易船で活況を見せており、その関税収入によりノルトハーフェン公国の国庫は安定し黒字。
オズヴァルトを始めとする商人たちもその多くが順調に業績をあげており、新しい工場などに投資が行われ、公国の産業は引き続き発展中。
また、今年は収穫期に気候が穏やかであったことから、十分な穀物の収穫があり、食料の供給も問題ないということだった。
また、軍事面でも安泰だった。
帝国はここ数年出兵をひかえており、公国に課せられた軍役は小さく、軍は十分に訓練に励みその士気と練度を高く保っているということだ。
数年前、帝国の親征に同行した前のノルトハーフェン公爵が戦死した戦いで負った大損害からは、ほぼ完全に脱却できたということだった。
「ただ、西方のアルエット王国で、数年前から起こっている内乱が心配でございます」
公国の統治はうまくいっているものの、エーアリヒには懸念していることがあるようだった。
エドゥアルドも、そのエーアリヒの懸念については知っている。
「平民がアルエット王国の王家に対して反乱を起こした革命についてか」
「はい。……未だ、王党派と革命派の間での内戦の決着はついておりませぬが、やや革命側が優位に立ちつつあるようでございます」
アルエット王国というのは、タウゼント帝国の西側にある大国だった。
古くから強大な陸軍力を有する強国として知られ、タウゼント帝国とは何度もしのぎを削ったことがある。
だが、そのアルエット王国では数年前、凶作による飢饉をきっかけとして、王制の打倒をうったえ、支持する民衆の蜂起が発生し、その動きは[革命]と呼ばれるほどの規模にまで広まっている。
革命は、王位をめぐる貴族たちの思惑とも絡んで複雑に進展し、一度は王を王宮に幽閉し、平民を中心とした議会を開設して統治を行うことで鎮静化したように見えたが、その動きに不満をいだいた貴族たちや王に忠誠を誓う軍が王とその一家を王宮から救出し革命派に対抗したことから、大規模な内戦へ至っている。
王党派は、国王を守る精鋭である親衛隊を中心として、当初は優位に内戦を進めたが、民衆の高い支持により革命軍はアルエット王国の各地で粘り強く応戦を続けて、数年が経過していた。
その内戦が、どうやら革命派有利に傾きつつある。
もし革命派が決定的な勝利をつかみ、その視線を内から外へと向けたのなら、貴族、平民と、明確な身分制度を持つタウゼント帝国としても傍観してはいられないだろう。
「もし、皇帝陛下から号令が下された時は、すぐにでも軍を動かせるように準備をしておいてくれ」
「御意のままに、公爵殿下」
エドゥアルドの命令に、エーアリヒはうやうやしく頭を垂れる。
だが、彼はすぐに、驚いたように顔をあげることになる。
「その時は、僕、自らが軍を率いてはせ参じることとする」
かしこまった様子のエーアリヒに、エドゥアルドがやや高圧的な口調でそう宣言したからだ。




